ゼロの龍   作:九頭龍

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子守り狼


第42話

 燭台の蝋燭に灯された炎が揺らめく中、桐生とウルフェインは互いに拳を打ち合っていた。

 ウルフェインは軽やかなステップと、速く重い拳を武器に桐生への攻撃の手を休めない。

 しかし、桐生も決して押されてばかりな訳ではない。得意のスウェイでウルフェインの拳を躱しては左右からのフックや、ギリギリまで引きつけて下がりながらの前蹴りをウルフェインへ当てていく。

 小牧流体術、「捌き討ち」。スウェイから繰り出す一撃は重さは無いものの相手の体力をじわりじわりと奪って行くトリッキーな攻撃だ。

 桐生の攻撃ばかりが当たっていて、ルイズは桐生の方が押していると思っているが実は違う。

 ウルフェインは桐生の攻撃を物ともせずに突っ込み続け、拳を桐生に当て様と様々な攻撃を繰り出して行く。

 フック、ストレート、アッパー……桐生はギリギリで躱しながら次第にウルフェインの格闘スタイルを分析していく。

 軽快な足取りと拳による乱打。どうやらウルフェインはボクシングを元にしたスタイルの様だ。年齢からは想像出来ない重みを秘めた拳は速さもあり、まともに食らってしまっては致命傷を受けかねない。

 ウルフェインの攻撃のパターンを大体読んだ桐生は右フックからの左アッパーを避け、そこに渾身の拳を打ち付けようとした。

 瞬間、ウルフェインの眼が光ったのが見えた。

 不味いと思って時には既に遅く、ウルフェインはそのまま身体を前に出しながら鋭い右の蹴り上げを繰り出した。

 ウルフェインの蹴りは桐生の顎を捉え、その衝撃から桐生の身体が打ち上げられた。

 

「カズマ!」

 

 ルイズの叫びを聞きながら桐生は咄嗟に地面に着地する際、身体を後転させてウルフェインと距離を取った。

 古牧流体術、「猫返り」。着地する直前に猫の如く転がりダウンを避ける回避術である。

 口端から伝う血を指で拭った桐生を見て、公爵が小さく拍手をした。

 

「なるほど。確かに口ばかりではない様だな。ウルフェインの一撃を受けてまともに立ち上がったのを見たのはお前が初めてだ」

 

 公爵からの賞賛を無視して桐生は真っ直ぐにウルフェインを睨みつけると、ウルフェイン目掛けて駆け出す。

 此方に向かってくる桐生の身体から青白い光が発せられたのを見てウルフェインは訝しげにしながらも、もう一度蹴りをお見舞いせんと構えを取った。

 此方にそのまま向かって来ると思った桐生が突然自分の少し前で前転をした瞬間、起き上がりと同時に腹へと突っ込む頭突きを繰り出して、来てウルフェインは衝撃と痛みに顔を歪めながら腹を押さえながら前屈みによろめく。

 体勢を立て直した桐生は、前屈みになっているウルフェインに打ち下ろす様に身体を回転させながら飛び蹴りを頭に叩き付ける。

 我流喧嘩体術、「前転の極み」である。スウェイから更に回避する古牧流体術である「達磨避け」からの連携で繰り出される、バッティングセンターに居たカップルのボールに翻弄された哀れな彼氏から天啓を得た荒技だ。

 桐生は倒れたウルフェインを見ながら数歩後ろへと下がり、出方を待った。

 ルイズは思わず祈ってしまった。これ以上二人が戦い合わない様にと。

 桐生が強いのは分かっている。ウルフェインが弱くない事も分かっている。だからこそ、二人が戦い続ければ生半可な傷では済まない事も分かっている。

 ルイズの祈りは虚しくも届かず、ゆっくりとウルフェインが立ち上がった。痛みからかは呼吸は荒く、前屈みのままの肩を揺らしている。

 

「おい、平民」

 

 公爵の呼びかけに桐生が振り向くと、公爵は腕と脚を組んで小さく頷いて見せた。

 

「お前のその身体から湧き上がる光……。どうやらただの平民では無いらしいな。お前にもその様な能力があるのは素直に驚いたぞ」

 

「……「にも」?」

 

 桐生は公爵の言葉が引っかかって問い掛けた。

 以前ルイズから「ヒート」の事を変わった体質だと言われた事はあるが、今まで自分の様に光を身体から迸らせた人間は此方に来てからは見た事がない。

 ルイズも桐生以外に「ヒート」を纏っている人間を見た事がない為、公爵へと視線を向けて話を聞いていた。

 ルイズの視線に気付いているかいないか、公爵は顎をしゃくってウルフェインを見る様に桐生に促した。

 桐生とルイズがウルフェインへと視線を向けると、二人は思わず驚いた。

 ウルフェインの身体から黄土色の光……「ヒート」が湧き上がっていたのだ。

 呼吸が落ち着いたウルフェインは身体を伸ばす様に上体を起こすと、ギラついた眼で桐生を睨みつけた。

 

「若造が、調子に乗りやがって……!」

 

 ルイズも聞いた事のない、ドスの利いた声で漏らしたウルフェインは黒い革手袋を外し、整っていた髪を乱暴に掻き揚げてオールバックにした。そのまま両手でシャツの襟を掴むと乱暴に引き千切って脱ぎ捨てる。

 露わになったウルフェインの身体は、若い頃に負ったであろう古傷が其処彼処に付いていた。日々トレーニングを欠かしていないのを伝える体格は燕尾服のせいで着痩せに見えて隠れていたのを思わせた。

 だが、ルイズと桐生が目を引いたのは体格でも古傷でもなく、ウルフェインの身体に刻まれているタトゥーだった。

 両肩から上腕にかけてトライバル模様の黒いタトゥーが施され、背中一面には狼の顔が黒く描かれていた。

 

「舐めてんじゃねぇぞ、餓鬼がぁっ!」

 

 叫びながら駆け出し、向かって来るウルフェインの顔に桐生は拳を打ち付ける。

 しかし、ウルフェインは痛み等感じていない様に構わず桐生の両肩を掴むと額に向かって頭突きを繰り出した。

 痛みによろめく桐生に容赦なくフック、アッパー、ストレートと拳のコンビネーションを浴びせてから鋭い前蹴りで桐生を後ろへと吹き飛ばすウルフェイン。

 口と鼻から吹き出た血を地面に零しながら桐生の身体が転がる。

 ルイズは思わず目を覆って顔を背けた。そんなルイズをカトレアが立ち上がって優しく抱き締める。

 痛みを訴える身体を起こして何とか立ち上がる桐生に、ウルフェイン首を左右に動かしてゴキゴキと関節を鳴らした。

 

「カズマよぉ……お前、貴族は好きか?」

 

「何だと?」

 

 ウルフェインの突然の質問から真意が見えない桐生は口元の血を手の甲で拭いながら問い掛け返す。

 ウルフェインはそんな桐生に小さく笑みを浮かべて手を差し出すと、ギュッと拳を握り締めた。

 

「俺ぁなぁ、貴族って生き物が大っ嫌いなんだよ。魔法が使えるか使えねぇか、生まれが何処で育ちがどうだとかしか相手を測れねぇ、そんな貴族ってクソみてぇな生き物が! そんな貴族をぶちのめし、殴り飛ばすのが堪んねぇ快感でな。普段偉そうにしてる奴が涙目になって「許して下さい」なんて言いやがる。そんな腰抜け共が偉そうにしてんのが気に食わねぇんだ!」

 

 バチンと拳と掌を重ねたウルフェインの言葉に、ルイズの瞳から涙が溢れ出して顔を背けた。何時も優しくて、自分を大事にしてくれていたと思っていたウルフェインがそんな風に思っていた等知りたくなかった。

 ルイズの涙を見て、桐生はウルフェインを殺気の篭った眼で睨みつけると、ウルフェインは小さな笑みを再び零して天井を仰いだ。

 

「でも武器は所詮この肉体一つしかねぇ。特別使えるとしたらいつからか出す事が出来ていた、この「オーラ」による身体能力の向上だけでな。ある日、呆気なく負けちまった」

 

 どうやら桐生にとっての「ヒート」に似ているあの光は、「オーラ」と呼ばれているらしい。ウルフェインの話し振りからすると、その能力は「ヒート」と同じ様だ。

 ウルフェインは天井から今度は公爵へと視線を移した。

 

「俺を負かせたのが、旦那様だった。正直俺は死を覚悟したよ。貴族をあんだけぶちのめしたんだ。見せしめの処刑か、嬲り殺しか。どちらにしろ良い死に方は出来ねぇ。そう思っていた。でもよ、」

 

 ウルフェインは今度は優しい笑みを浮かべながら桐生へと視線を戻した。その目を澄んでいて、とても綺麗な物だった。

 

「そんな俺を、旦那様は救ってくれた。「口だけの偉そうな奴をぶっ飛ばすのは当然だ」とな。俺はあの時から旦那様を守ろうと思って、付き人を申し出た。快く受け入れてくれたあの時の喜びは今でも忘れねぇ。そして暫くして奥様と結婚され、エレオノール様が産まれた」

 

 ウルフェインの視線は、今度はルイズ達に向けられた。その優しい瞳は、父親を思わせる物が秘められていた。

 

「旦那様と奥様に、産まれたばかりのエレオノール様を抱いてやって欲しいと言われた時は耳を疑ったぜ。当たり前だ。平民が貴族の子供を抱き上げるなんて、有り得る訳がねぇ。それでもと言われ、エレオノール様を抱き上げた時の重みと温もりを感じた時……俺は涙が止まらなかった。理由は良くわからねぇ。ただ思った。「俺の一生を、この二人の子供の為に使おう」と」

 

 ウルフェインの語りを聞いていたルイズが、ゆっくりとウルフェインに振り返る。

 その瞳に写るウルフェインは何時もの優しい笑顔だった。

 

「それからカトレア様が産まれ、ルイズ様が産まれた。俺はこの三人を、実の娘の様に大切にしてきた。俺みたいなチンピラ上がりの男にそう思われても、迷惑なだけかもしれないけどな」

 

 自嘲気味に笑いながらウルフェインは桐生に顔を向けると、自分の両手を暫く眺めてからギリッと歯を強く噛み締めた。

 

「だからルイズ様がワルドの野郎に裏切られたと聞いた時、俺は耐え難い怒りを覚えた。刺し違えてでもワルドを殺してやる、そう本気で思った。それからエレオノール様の婚約が決まり、旦那様から今回の「試験」の話を聞いた時、喜んで俺は試験官を申し出た。大切にするだ? 命に代えてでも守るだ? 所詮はラ・ヴァリエール家の名前と財産が欲しくて近づいて来る為の口実じゃねぇか。そんな口だけのクズ共に……そんなクソ野郎なんかにっ!」

 

 拳を握り締めて歯を剥きながら顔を上げたウルフェインの身体からは黄土色の「オーラ」が更に激しく迸り、桐生目掛けて突進する。

 その姿は、鋭い牙を晒しながら獲物に向かう獰猛な狼の姿を連想させた。

 

「旦那様と奥様の娘をっ! 俺の大切な娘をっ! 渡せる訳ねぇだろうがぁっ!」

 

 一気に間合いを詰めたウルフェインが桐生に殴り掛かる。

 桐生はなんとか防御していくが、防御の「リガード」ですら追い付けなくなりそうなほどにウルフェインの拳は速さと重さを増して行く。

 とうとう受け止め切れなくなった桐生の顎に鋭いアッパーが打ち付けられた。それを好機と見たウルフェインは左のボディーブローから打ち下ろしの右を桐生の顔面に叩き付ける。

 衝撃から力なく地面を転がりながら、桐生はウルフェインの拳の強さを思い知った。ウルフェインの本当の武器は拳でも蹴りでもない。

 公爵や公爵夫人、そしてその娘達への「想い」だ。それを愛と呼ぶ者が居る。それを信念と呼ぶ者が居る。形は様々かもしれない。しかし、「想い」が込められた一撃は何よりも強いのを桐生は知っている。

 呼吸を荒げながら横たわる桐生に、苛立った声でウルフェインが叫ぶ。

 

「立てやこらぁっ! 戦に行きゃあ俺より強い奴はごまんと居る! ルイズ様を守るんじゃねぇのか!? てめぇも他のクズ共と同じ、口だけか!? あぁっ!?」

 

 ウルフェインの言葉に黙ったまま、桐生が痛む身体を起こして立ち上がる。その瞳からは光は消えておらず、諦める等一切考えていない強さを秘めていた。

 桐生が立ち上がったのを見て、今まで黙っていたエレオノールが椅子から乱暴に立ち上がり口を開いた。

 

「ウルフェイン! この男を倒しなさい! どんな卑怯な手を使っても構わないわ! 勝ちなさい! これは、命令よ!」

 

「姉様!?」

 

 エレオノールの叫び声に桐生とウルフェイン、そして公爵夫妻とカトレアが驚く中、ルイズが声を上げてエレオノールに近付く。

 エレオノールはルイズに身体を向けると、鋭い眼つきでルイズを睨みつけた。

 

「貴女を戦争に参加させる訳にはいかない! こんな試験、さっさと終わらせるべきなのよ!」

 

「姉様には関係ない! 私は陛下の役に立ちたいだけなの! こんな名誉な事を、どうしてそんなに否定するの!?」

 

 桐生とウルフェインの戦い等最早見えていない様に、ルイズとエレオノールは互い睨み合いながら口論する。かつてのルイズならばこんな事は出来なかっただろう。

 

「あんたみたいな子供が戦争に行った所で何が出来るって言うのよ! これ以上心配かけるのは辞めてちょうだい!」

 

 エレオノールのその言葉に、ルイズの中で何かがブツリと切れた。

 

「心配? ふざけないでよ! 姉様が心配してるのは私の事じゃない! 家名の事でしょう!? 私が戦争に行ってヘマをして、家名を汚されないかが心配なんでしょう!?」

 

 ずっと押さえ付けて来た不満が爆発したルイズの言葉に、エレオノールは表情を失って一瞬よろめいた。

 そんなエレオノールの様子を知ってか知らずか、ルイズの口はブレーキの効かなくなった大型バイクの様に止まらない。

 

「どうせ私は出来損ないよ! 姉様からすれば邪魔な存在よ! 今まで私を怒ってたのだって、何も出来ない私が憎かったからでしょう!? 嫌いだったからでしょう!? 姉様にとって、私は要らない子だったからーー」

 

 パンッ! と大きく響いた音で、ルイズの言葉は中断された。

 一瞬何が起こったかわからなかったルイズは、左頬にジワリと感じる痛みと逸れた視線からエレオノールに引っ叩かれたのをゆっくりと認識した。

 痛む頬を手で覆いながら視線を戻したルイズの目に写ったのは、ボロボロと涙を流しながら唇を噛み締めているエレオノールの顔だった。

 

「あんたに……あんたなんかに何がわかるのよ!」

 

 涙で震える声で叫びながらルイズの胸ぐらを掴んだエレオノールは、コツリと額を重ねてルイズの瞳を見つめた。

 

「家名なんかどうでも良いわよ! 魔法が使えない事だってどうだって良いわよ! 戦争に参加するのがどういう事なのか、あんた本当にわかってるの!?」

 

 エレオノールは頬を押さえるルイズの左手の手首を掴むと、グイッと視界の中に掌を入れさせた。

 

「この手を血に染めるかもしれないのよ!? その手で産まれてくる子供を、あんた抱けるの!? それだけじゃない! 手足を失うかもしれない! 子供が産めない身体になるかもしれない! 死ぬかもしれない! あんたを失うなんて、耐えられないわよ!」

 

 初めて見るエレオノールの泣き顔に呆然としていたルイズを、エレオノールは強く抱き締めた。

 初めて感じるエレオノールの感触は温かく、震えていた。

 

「家名や名誉なんてどうでも良い! ただ私は、あんたが元気にいてくれればそれで良い! 大切な妹を死ぬかもしれない場所になんて行かせない! あんたが居なくなるなんて、考えたくない! あんたは……私の大切な妹のあんたは、一人しかいないのよ!」

 

 人目も気にせずに涙を零しながら想いを口にするエレオノールに、ルイズの瞳からは温かい涙が溢れ出した。

 自分を一番嫌っていたと思っていたエレオノール。カトレアが誰よりもエレオノールが自分を大切に想っていると言った言葉が、漸くわかった。

 ゆっくりとルイズはエレオノールの背中に手を回して抱き着くと、胸の中で静かに涙を流した。

 そんな二人を眺めていたウルフェインは幸せそうに笑ってから、桐生に身体を向けて拳を鳴らした。

 

「悪いな、カズマ。意地でもお前に勝たなきゃならなくなった。例え、お前を殺してでも」

 

 黄土色の光が更にウルフェインの身体から迸り出すと、桐生も二人からウルフェインに顔を向けて首を振った。

 

「あんたがルイズをどれだけ大事にしているのか、エレオノールがルイズをどれだけ想っているのかがわかったのは良かったと思っている。俺があんたの立場なら、きっと同じ様に思っただろう」

 

 桐生は深呼吸をしながら身体を伸ばし、青かった光が赤色に変わった瞬間、ジャケットの襟元へと手を掛けた。

 

「だからこそ、ルイズの想いを譲る訳には行かない。あんたが俺を殺す気で来る覚悟があるって言うなら……俺はそれに、俺なりのやり方で応えるだけだ!」

 

 勢い良く脱ぎ捨てられたジャケットとシャツが地面へと散り応龍の刺青を晒す桐生に、ルイズ以外のラ・ヴァリエール家の一同が驚きを表しながらその見た事のない龍の姿に目を奪われ、ウルフェインの口元には笑みが増していった。

 

「ドラゴンのタトゥーか。本来なら狼がドラゴンに勝てる訳がねぇ。けどよぉ……大事な人間の為に平気で地べたぁ這いずり回れる狼は、手強いと思うぜ?」

 

「そうだな。だが、俺も負ける訳にはいかないんだ。主人の命だけじゃなく、「想い」も守る。それが、使い魔である俺の役目だ」

 

 互いに自然と構えを取り合い、呼吸を整えて行く二人。

 静かに張り詰めて行く緊張の中、燭台の蝋燭から溶け落ちた蝋がポタリと地面に零れた。

 その音を合図に、桐生とウルフェインは駆け出した。

 互い譲れぬ、「想い」を拳に乗せて。

 

「「うおおおおおおぉっ!」」

 

 雄叫びを上げながら相手の顔面目掛けて繰り出した拳をギリギリの距離で避け合い、上腕同士が強く重なる。

 弾かれた様にどちらからともなく距離を取ると、ウルフェインが右からのハイキックを繰り出す。

 桐生はその蹴りを受け止めるのと同時に、ウルフェインの右脇腹にボディーブローを打ち付ける。

 痛みから前屈みになったウルフェインはそのまま前に一歩強く踏み込み、桐生の顎を頭突きで打ち上げる。

 衝撃に声を漏らしながら一歩下がるも、桐生は踏ん張ってウルフェインの肩を左手で掴み、顔に右肘のエルボーを当て、再び右のボディーブローを浴びせた後、思い切り顔面を殴り飛ばした。

 地面へと倒れたウルフェインに追い討ちを掛けようと近付くも、身体を捻りながらカポエラの要領で繰り出された蹴りを腹に受けて桐生も尻餅をつく。

 一歩も譲らない攻撃が互いの体力を奪う中、先に立ち上がったウルフェインが止めとばかりに全身全霊の力を込めた右ストレートを繰り出した。

 何とか立ち上がった桐生はその拳をギリギリまで引き付けた瞬間、身体を横にずらしてウルフェインの腹には膝蹴り、背中には組んだ拳による交差法による攻撃を繰り出す。

 古牧流体術、「受け流し」。相手の攻撃を交わしつつ強烈な交差法による攻撃で動きを封じる必殺技だ。

 鋭い痛みにより腹を抱えながら呼吸が出来ずに固まるウルフェインに、桐生は身体から赤い光を迸らせながら飛び上がり、鋭い飛び蹴りを顔面に打ち込んだ。

 身体が激しく地面へと叩き付けられた瞬間、ウルフェインは一瞬焔に包まれた龍の様な物が見えた錯覚を覚えた。

 古牧流体術究極奥義、「王龍の極み」。「受け流し」からの連携で繰り出される、古牧流体術の開祖である古牧宗左衛門が晩年に編み出したと言われている必殺奥義である。

 ウルフェインは何とか身体を起こそうとするも、痛みから起き上がる事が出来ず、黄土色の光も消えてしまった。

 

「くっ……そ……! 俺の……負け、だ……!」

 

 痛みに喘ぎながら漏らすウルフェインに、桐生も身体から赤い光が消えてその場に膝をつく。

 ルイズとエレオノール、カトレアが不安そうに見つめる中、二人の様子を眺めていた公爵がジェロームに視線を向けた。

 

「馬車を用意しろ。四人乗りの、質素な物で良い。魔法学園から来たメイドも出発出来る様に支度させろ。見送りには誰も出さなくて良い」

 

 脇に立つジェロームにそう伝えて先に階段を上らせた公爵は椅子から立ち上がり、桐生とルイズに交互に視線を向けてから深く溜め息を漏らし口を開いた。

 

「約束だ。ルイズの戦争への参加を許可する」

 

「お父様!」

 

 エレオノールが抗議の声を上げるも、公爵は首を振って見せた。

 

「儂等貴族は、約束は必ず守らなければならぬ。それが貴族の、人としての務めだ。この男はウルフェインに勝利した。ならば儂等にルイズの戦争への参加を拒否する資格はない」

 

 公爵の言葉にエレオノールはルイズを悲しげな瞳で見つめてから、力なく首を垂れた。

 公爵が夫人に目配せすると、夫人は頷いて腰に差していた杖を振るった。瞬間、「レビテーション」の魔法によって横たわったウルフェインの身体が浮かび上がる。

 

「ウルフェイン……ごめんなさい」

 

 浮かび上がったウルフェインに駆け寄ったルイズが申し訳なさそうに謝罪する。

 ウルフェインはそんなルイズに手を伸ばし、頭を優しく撫でて首を振った。

 

「ルイズ様……貴女はもう、立派なレディだ。自分の道を歩んで下さい。そして、忘れないで下さい。貴女を心から心配し、常に想っているご家族がいる事を。貴女は、愛されているという事を」

 

 ウルフェインの手を掴んで包み込む様に握り締めながら、ルイズは何度も頷いた。

 そんなルイズに安堵した様にウルフェインが手を引くと、今度は傍らで自分を見つめていた夫人へと視線を向ける。

 

「申し訳ありません、奥様。私はルイズ様を守れませんでした。どんな罰でも受ける覚悟は出来ています。なんなりと、罰をお与え下さい」

 

 申し訳なさそうに言うウルフェインに、夫人は首を振って微笑んだ。

 

「本当に申し訳ないと思っているのなら、早く傷を癒しなさい。私達と、貴方の娘はルイズだけではないのですよ?」

 

 夫人の言葉にウルフェインは一瞬息をするのも忘れた様に言葉を詰まらせ、必死に嗚咽を漏らすまいと身体を震わせながらその瞳から涙を流した。

 ウルフェインの涙を見て見ぬ振りをして、夫人はカトレアと共にウルフェインの身体を押しながら会場から出て行った。

 ルイズはそんなウルフェインを見送った後、脱ぎ捨てられた桐生のシャツとジャケットを拾って、桐生に駆け寄る。

 ルイズからジャケットとシャツを受け取った桐生がそれを着込むのを見届け、公爵が杖で地面を軽く叩いて二人の意識を此方に向けさせる。

 振り返った桐生に公爵は乱暴にデルフリンガーを投げ渡し、出口へと向かって歩き出すと階段の手前で足を止めた。

 

「キリュウ、カズマ……だったな」

 

 背を向けたまま言う公爵に、デルフリンガーを腰に括り付けていた桐生はその手を止めて小さく頷いた。

 公爵は暫くそのままジッとした後、顔を少しだけ二人へと向けた。

 

「ルイズを……娘を、頼む」

 

 短くそれだけ言うと、公爵は階段を上がって行った。

 残ったエレオノールは俯いたままツカツカと桐生へと近付くと、顔を上げた瞬間桐生の顔に鋭い平手打ちを浴びせた。

 避ける事もなくその平手打ちを受けた桐生に、エレオノールは涙が浮かんだ瞳で睨み付けながらシャツの胸ぐらを強く掴んで顔を近付ける。

 

「ルイズにもしもなんかあったら……あんた、殺すからね!」

 

 吐き捨てる様に言って乱暴にシャツから手を離したエレオノールは二人に背を向けると駆け出し、階段を上がって行った。

 叩かれた頬を撫でた後、桐生はエレオノールの後を追う様に階段へ視線を向けるルイズの頭を優しく撫でた。

 

「お前は幸せ者だな、ルイズ。お前が思っている以上に、家族はお前の事を想っていてくれているぞ」

 

「……私、知らなかった」

 

 桐生の言葉に、ルイズがポツリと漏らした。

 

「ウルフェインがあんな風に考えていたなんて。エレオノール姉様が私の事をあんな風に想っていてくれてたなんて。私……私……!」

 

 身体を震わせながらポツポツと溢れてきた涙がルイズの足元の地面を濡らしていく。

 桐生はそっとルイズを抱き寄せると、ルイズは桐生にしがみ付いて大声で泣き出した。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! うわあああああああん!」

 

 繰り返し謝罪の言葉を口にしながら、ルイズは泣き続けた。それは自分が気付けなかった家族の想いに対してか、それともその想いを知りつつ戦争に参加する事への謝罪か。

 ルイズ自身にも、それは分からなかった。

 

 

 ひとしきり泣いて落ち着いたルイズと共にラ・ヴァリエール家の玄関に出ると、既に太陽は天高くへと昇って正午へと時刻が変わっていた。

 だだっ広い玄関の前で質素な形の馬車と、その横にシエスタが待っていた。

 辺りには他には誰も見当たらない。公爵の言っていた通り、見送りの者は誰もいないらしい。

 

「カズマさん、ミス・ヴァリエール、お待ちしていました。……ミス・ヴァリエール? 大丈夫ですか?」

 

 屋敷から出て来た二人を出迎えたシエスタがルイズの泣きはらんだ目に気付いて心配そうに声をかける。

 ルイズはそんなシエスタに苦笑を浮かべながら頷いた。

 

「大丈夫よ。さぁ、出発しましょう」

 

 ルイズの事が心配だが、そう言われては何も言えずシエスタは馬車の扉の横に控える様に立った。

 御者台にはゴーレムが乗っており、運転はまた自動で行なってくれるらしい。

 桐生もシエスタと向かいの扉の横に立つと、ルイズは一歩馬車へと近付いて振り返り、屋敷を見上げた。

 もう二度と戻って来れないかもしれない。両親や姉達、ウルフェインを含む使用人達とも二度と会えないかもしれない。

 自分を押し潰さんとばかりにのし掛かって来る不安を消し去ろうと、ルイズは瞳を閉じた。

 自分の道を歩んで行く覚悟を改めて決め、瞳を開いたルイズの瞳には強い光が宿っていた。

 

「……行って来ます」

 

 小さくそう呟き、馬車へと向かってルイズは歩き出した。

 必ず生きてこの屋敷に帰って来ると、心に誓いを立てて。


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