ゼロの龍   作:九頭龍

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「試験」


第41話

 瞼に当たる朝日の光に、ルイズは目を覚ました。瞬間、頭に鈍い痛みが走って思わずこめかみを抑え込む。

 目にしみるほど眩しい日差しを手で遮りながら気怠く重い身体を持ち上げたルイズは一瞬、自分が何処に居るのか分からなくなったが、隣で寝息を立てながら寝てるシエスタを見て昨晩の事を思い出した。

 シエスタと飲み比べをしたまま、気を失う様に眠ってしまったらしい。

 シエスタと自分はベッドに寝かされて毛布が掛かっており、ふと周りを見渡すと、桐生が水を持ったグラスを持って此方に来るのが見えた。

 

「起きたか、ルイズ」

 

「ん……頭が、ちょっと痛い……」

 

「飲み過ぎだな。ほら、水だ。少しは気分がスッキリするぞ。飲んでおけ」

 

 差し出されたグラスを受け取って一気に水を呷るルイズ。喉が痛くなるほど冷たい水は酔いで気怠い身体を少しだけ楽にしてくれた。

 

「……はぁっ。ありがとう、カズマ」

 

 ルイズが空になったグラスを桐生に返すと、隣で寝息を立てていたシエスタから小さな唸り声が上がり、薄眼を開けながらゆっくり状態を起こすと目を手の擦りながらルイズと桐生を交互に見た。

 

「ふにゃ……おはようございます、ミス・ヴァリエール。カズマさんも」

 

 幾らかまだボーッとしているシエスタに苦笑を浮かべた桐生は、ルイズと同じ様に水の入ったグラスを差し出した。

 シエスタは軽く会釈した後グラスを受け取り、水を味わう様にゆっくり飲み干すと大きな溜め息を吐いてから慌てた様にベッドから立ち上がってルイズに身体を向けた。

 

「あ、あのっ! ミス・ヴァリエール!」

 

「な、何よ?」

 

 突然のシエスタの行動に思わず身構えるルイズ。桐生も何事かとシエスタを見詰めながら事の成り行きを見守っていた。

 

「も、申し訳ありません! 私、その、あまりお酒の癖が良くないらしくて……覚えて無いんですが、何かミス・ヴァリエールに失礼な事をしてしまったんじゃないかと思って!」

 

 ペコペコと何度も頭を下げて来るシエスタに、ルイズは頬を掻きながら苦笑した。

 

「まぁ、良いわよ。私もあんまり覚えてないし……少しは楽しかった記憶もあるし」

 

 どうやらルイズとシエスタは昨晩の事をあまり覚えていないらしい。

 昨晩、酒の飲み比べをしながら最初はお互いへの悪口の言い合いだったのだが、次第に矛先は桐生へと向けられ、まるで二人にはそこに居る桐生が見えていないかの様に、桐生への普段の不満や愚痴の言い合いが始まった。

 言い寄っても靡かない、一緒に寝てるのに何もしない、こんなに想ってるのに振り向いてくれない、とまるで女子会のノリの様な会話を繰り返し話していた。どういう訳かその時は普段の二人からは想像出来ないほど気が合ったらしく、時折「かんぱーいっ!」等とグラスを重ねながら笑い合う姿も見えた。

 自分に対して好き放題言っていた事を、ほぼ素面の状態で聞かされていた桐生は頭が痛くなったが二人の楽しそうな姿から何も言えなかった。

 シエスタは今度は桐生に身体を向け、深々と頭を下げながら謝罪した。

 

「カズマさんにもご迷惑をお掛けしたと思います。本当にごめんなさい」

 

「無礼講と言ったのは俺だし、気にするな。二人の意外な一面も見れたしな」

 

 桐生の言葉に安堵したシエスタが小さく微笑んだ瞬間、ノックも無しに勢い良く扉が開かれた。

 その音に驚いた三人が扉へ視線を向けると、十数名のメイドが慌てた様子で中に入ってきては壁に立て掛けてあったモップや箒を引っ手繰る様に取っている。

 そのメイドの数人がルイズに気付くと、桐生とシエスタを押しやってルイズに近付いてきた。

 

「ルイズ様! こんな所に居らっしゃったんですか!」

 

「急いで身支度を! 時間がありません!」

 

 メイドの剣幕にキョトンとして居たルイズは我に返ると、両手を上げて首を振った。

 

「ちょ、ちょっと! こんな朝っぱらから一体何事なの!?」

 

 ルイズの言葉に説明する時間も惜しいと思ったのか、メイドは互いに顔を合わせて頷くと声を揃えて言った。

 

「旦那様が戻って来られます! 急いで支度して下さい!」

 

 旦那様。その言葉からルイズは一瞬で表情を真顔に変え、ベッドから飛び降りると一目散に自室に向かって駆け出した。数人のメイドがその後を追う。

 父が、ラ・ヴァリエール公爵が帰って来るのだ。

 

 

 竜に四隅を紐で吊るされた馬車から車輪を外した様な豪華な籠が、朝靄の中ラ・ヴァリエール邸の前に降り立った。

 数十人と集まって居た召使い達が籠に駆け寄ると紅い緋毛氈が入り口まで敷かれ、その緋毛氈に沿って左右に並び始める。

 準備が整ったのを察知した召使いの一人が籠の扉を開くと、初老の貴族が緋毛氈に降りてきた。

 ラ・ヴァリエール公爵である。歳は五十過ぎ。白くなり始めているブロンドの髪と口髭を揺らしながら豪華な衣装を身に纏い、悠々と歩いている。左眼に嵌められたグラスから覗く瞳からは鋭い眼光が宿っている。

 屋敷の入り口まで来た公爵にウルフェインが駆け寄り、慣れた手つきで帽子を取っては髪を整え、服の合わせを確かめた。

 

「ルイズは戻っているか?」

 

 ウルフェインに服の合わせを確かめさせたまま、渋いバリトンで公爵が言う。すると公爵専属であり、一番ラ・ヴァリエール家に長く仕えている執事ジェロームが恭しく一礼した。

 

「昨晩お戻りになられています」

 

「そうか。朝食の席に呼べ」

 

「かしこまりました」

 

 ウルフェインの合わせが終わったのを見計らって公爵が屋敷の中へと歩き出す。その後ろ姿にジェロームもウルフェインも、外に並んだままの召使い達も深く頭を下げた。

 

 

 朝食は昨晩のダイニングではなく、日当たりの良いこじんまりとしたバルコニーで行うのがラ・ヴァリエール家の決まりであった。

 引き出されたテーブルに真っ白なシンクが敷かれ、上席に公爵と夫人が並んで座る。そして歳の順に三姉妹が席に並ぶ。ルイズの後ろには昨晩同様、桐生が立っていた。

 ルイズは二日酔いから来る頭の痛みに耐えながら背筋を伸ばして座っている。

 最初は桐生は平民なのだから食事の席には立つべきではない、昨日は例外だったと意見があったらしいのだが、公爵夫人より昨晩同様ルイズの後ろ立つ事が許された。

 公爵は久し振りに揃う娘達を一瞥してから桐生へと視線を向けるが、さほど興味がないらしくすぐさま視線を外した。

 召使い達が次々と五人の前に料理を運んで来る。瑞々しいサラダやふっくらとしたパン、ローストビーフに果物等、魔法学園の朝食が再現されている様だ。

 

「い、頂きます」

 

「頂きます」

 

 ルイズとカトレアが両手を合わせて頷きながら言う言葉に公爵は訝しげな顔をしたが、食事を口に運び始めた娘達に野暮な質問をしたく無いのか、そのまま自分も食事を始めた。

 公爵は紅茶を一口口に含んでから、深い溜め息を漏らした。

 

「久しく娘達が揃った嬉しい筈の朝食だと言うのに……あの鳥の骨め、人の気分を害する事に関しては長けておる。せっかくの気分が台無しだ」

 

 静かだが、強い苛立ちを含んでいる公爵の声に、ルイズの身体に緊張が走る。

 公爵夫人も紅茶を一口口に含んでから、夫の方へと顔を向ける。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「儂をわざわざトリスタニアに呼びつけて何の用かと思ったら、「一個軍団編成されたし」と言いおった。全くふざけおって……儂は既に軍務を引退し、兵を率いる世継ぎも家に居ないと言うのに。何より、儂は今回の戦は反対なのだ」

 

「確かにそう仰ってましたね。しかし、宜しいのですか? 祖国は今、一丸となってアルビオン討伐を目指すべしと枢機卿から御触れがあったばかりではありませんか。ラ・ヴァリエールに逆心あり、と世間から言われかねませんよ?」

 

 そう言いながらも公爵夫人は涼しげな顔だ。

 

「言いたい奴には言わせておけ。言われた事に従う事だけが忠義の表し方では無い。間違いを間違いとお教えするのも家臣の役目だ。全くあの鳥の骨め……枢機卿等と呼ばれておるからに調子に乗りおって。若い陛下を誑かし、国土を広げる算段なのだろう」

 

 アンリエッタの事を言われて、思わずパンを吹き出しそうになりむせ込んだルイズの背中を桐生が優しく叩いて落ち着かせた。

 

「おお、怖い怖い。枢機卿の周りの雀達に聞かれたら、タダではすみませんよ?」

 

 言いながらも公爵夫人は嬉しそうだ。まるで、夫の夫らしい姿が見れた様に。

 公爵が話を終えたのを見計らって、それまで黙っていたルイズが頭の痛みも忘れて椅子から立ち上がり口を開いた。

 

「父様……伺いたい事があります」

 

 公爵は立ち上がったルイズへと視線を向けた。その視線は厳しさの裏に温かな愛情がある物を桐生に感じさせた。

 

「良かろう。だがその前に、久しく会う父に接吻はしてくれぬのか、ルイズ?」

 

 ルイズは小走りに公爵の元へ行くと頬に口付け、真っ直ぐな視線で公爵を見詰めた。

 

「何故、父様は此度の戦に反対なのですか?」

 

「他でもない、この戦が間違った戦だからだ」

 

「戦争を仕掛けてきたのはアルビオンですわ。ならば迎え撃つのが当然の事ではないですか」

 

「ルイズ、勘違いをしてはいけない。此方から攻める事を「迎え撃つ」とは言わないのだよ。いいか? 「攻める」という事は、圧倒的な戦力差があって始めて成功する。敵軍は五万、我が軍は六万」

 

「我が軍の方が.一万も多いではないですか」

 

 ルイズの反論に公爵は紅茶をもう一度口に含んでから首を振った。

 

「一万「も」ではない。一万「しか」なのだ。本来攻める側は守る側の三倍の兵力が勝利への必須条件だ。ましてや相手は空の上。仮に三倍の兵力があったとしても勝利は難しいだろう」

 

「でも……」

 

 まだ納得のいかないルイズに、公爵はルイズの頭を撫でながら顔を覗き込んだ。

 

「我々は攻め入るのではなく、奴等の大陸を包囲して日干しにするべきなのだ。そうすれば向こうから和平を申し込んでくる。戦は必ずしも白か黒か、そのどちらかに着けようとする必要はないんだ。攻め入り失敗すれば、それこそ多くの血が流れる事になる。必ず勝利出来るという条件がなければ、攻め入るのは間違っているのだよ」

 

 ルイズは黙ったまま俯いた。

 公爵の言っている事は正論だ。必ず勝利出来るという保証もなしに攻め入るのは、確かに危険すぎる。

 

「タルブの勝利は偶々だ。一度勝ったからと言って、慢心してはならん。傲りは身を滅ぼす。おまけに魔法学園の生徒を士官として連れて行く? 馬鹿を言っちゃならん。子供を戦に参加させる等、それこそ失敗は確実だ。勝利も約束されていない戦に、いや、例え勝利が約束されていたとしても、娘を戦争に参加させる等、出来る筈がない」

 

 公爵は食事もそこそこに、残っていた紅茶を一気に呷って口元を拭うと立ち上がった。

 

「朝食は終わりだ。ジェローム! 戦が終わるまで、ルイズを屋敷から出すな」

 

「かしこまりました」

 

「父様!」

 

 席を外そうとする公爵にルイズが叫ぶ。

 

「陛下は私を必要としています! 私は、この戦に参加しなくてはいけないのです!」

 

 その言葉に、公爵は去ろうとする足を止めてルイズへと振り返る。

 

「お前の何を必要としていると言うのだ? 魔法の使えないお前の、何を」

 

 ラ・ヴァリエール家の人間はルイズが「虚無」の使い手である事を知らない。そんな疑問を持つのは当然の事だ。

 桐生はここまで一切口出しせずにルイズを見守っていた。人が人に想いを伝える時、自分の言葉で伝えなければ意味がない。手助けをすれば言葉は軽くなり、その中に秘められた想いを伝えられずに終わってしまう事もある。

 

「今はまだ、言えないけど……私……!」

 

 ルイズはぎゅうっと拳を握り締め、必死に言葉を口から出そうとしていた。

 

「私はもう、子供じゃない! 昔の私とはもう違うの!」

 

「ルイズ! 貴女お父様に向かって何て事を!」

 

 エレオノールが席から立ち上がり、きつい声で言い放つ。

 が、ルイズはそんなエレオノールを睨みつけた。

 

「姉様は黙ってて! 今私は、父様と話しているの!」

 

 ルイズのその態度に、家族全員、更には控えていたジェロームやウルフェイン、召使い達も驚いた。以前のルイズなら、姉の一言ですぐに縮こまってしまった筈なのに。

 ルイズは公爵に向き直って口を開いた。

 

「みんなの知っての通り、私は馬鹿にされてきた。姉様達と違って、魔法の才能がないって言われてきた。でも、今は違う! 陛下は私が必要だとはっきり言ってくれた! だから私は、陛下の期待に応えたいの!」

 

 ルイズの話を聞いた公爵の目の色が変わった。

 公爵はゆっくりルイズに歩み寄ると、身体を屈めてルイズと視線を合わせた。

 

「お前……得意な系統に目覚めたのだね?」

 

「はい」

 

「四大系統の、どの系統だね?」

 

 ルイズは戸惑った様に身を捩った。「虚無」の事は話せない。しかし、父に嘘をついていい物なのだろうか。

 ルイズの中に小さな葛藤が生まれるが、唇を噛み締めて嘘をつく事を決めた。

 

「……「火」、です」

 

「そうか、「火」か……」

 

 公爵は暫くルイズの顔をジッと見ていたが、やがて力無く頭を垂れた。

 

「お前のお爺さんと同じ系統だね。ならば戦に惹かれるのも無理はない。罪深い、系統だ。よりによって……お前が……」

 

「父様……」

 

 深い溜め息を漏らしてからもう一度ルイズの顔を見詰めた公爵。その瞳には悲しみが宿っていた。

 

「ルイズ、大事な事だ。決して間違えてはいけない事だ。陛下がお前の力が必要だと仰った。確かなんだな? 他の誰でもない、お前にそう言ったんだな?」

 

 念を押す様な口調で問い掛ける公爵に、ルイズは力強く頷いて見せた。

 

「はい。陛下の口から、私の力が必要だと仰られました」

 

 ルイズの瞳は澄んでいて、真っ直ぐで、それが事実なのを公爵に伝えた。

 公爵は何処か苦しそうに眉を顰めながら、首を振った。

 

「名誉な事だ。本当に名誉な事だが……やはり認める訳にはいかない」

 

「父様!」

 

「ルイズ、お前はワルドの裏切りの一件で自分でも気付かぬ内に自棄になっているのだろう。婿を取って心を落ち着かせろ。戦争への参加等認めぬ。断じて認めぬ! お前に相応しい婿を此方で用意してやる。話は終わりだ、ルイズ。お前は戦が終わるまでこの屋敷での謹慎を命ずる。勝手な真似は許さん。良いな?」

 

 公爵の言葉に歯噛みしながら、ルイズは必死に頷くまいと拳を握り締めながら父の顔を見詰めた。

 公爵夫人が目を細め、二人の姉妹が見守り緊張が漂う中、黙っていた桐生が口を開いた。

 

「好きでもない男と一緒にさせるのが娘さんの幸せとは、俺にはとても思えませんが?」

 

 桐生の発言に、今までルイズに向かっていた視線が一斉に桐生へと向けられる。それはルイズも例外では無かった。

 ラ・ヴァリエール家の人間と召使い達に見詰められたまま、桐生はルイズへと歩み寄りながら言葉を紡いだ。

 

「確かに親父さんの言う通り、戦争への参加は俺も決して賛成は出来ません。だが、娘さんの……ルイズの覚悟は本物です。ただのその場任せの言葉じゃない。彼女は必死に自分の使命を全うしようとしています」

 

 ルイズの隣に立った桐生を睨みつけながら公爵は立ち上がり、腕を組みながらこの世界では変わった格好の桐生をマジマジ眺めてから視線を合わせた。

 

「貴様の様な平民に何が分かるのだ? そもそも貴様は何者だ?」

 

「申し遅れました、自分は桐生一馬と申します。貴女の娘……ルイズの使い魔です」

 

「使い魔だと? 幻獣ならいざ知らず、魔法も使えぬ貴様の様な男がルイズを守れる訳なかろう。話にならん」

 

 公爵が小馬鹿にした様に手を振って見せると、ルイズは少しモジモジしながら口を挟んだ。

 

「父様……。確かに、カズマは貴族ではありません。魔法も使えません。しかし、剣術や拳法の腕は確かです。私はカズマに何度も命を救って貰っています。それに……」

 

 ルイズはチラッと桐生の方を見て少し迷った様に顔をしかめたが、すぐに公爵に向き直るとキッパリと言い放った。

 

「カズマは一度ならず二度、ワルドにも勝っています」

 

 その言葉に公爵と夫人が目を光らせて、姉妹二人が意外そうに桐生を見詰めた。

 「閃光」のワルドと言えば知る人ぞ知る、「風」のスクウェアクラスのメイジだ。まぐれや偶然で勝てる実力では無い。ましてやそれが魔法も使えない平民ならば。

 

「ルイズの言っている事は本当か? お前は本当にあのワルドに勝ったのか?」

 

 公爵が疑いの目を向けながら桐生に問い掛ける。

 桐生は小さく首を振ってから答えた。

 

「一度目は勝ったとは言えません。逃げられてしまった為、引き分けという方が正しいでしょう。ですが二度目は、状況が一度目とは違いますが、勝利出来たと自分は思っています」

 

 真っ直ぐ見返し語る桐生の瞳や口ぶり、態度から嘘をついているとは思えない公爵は腕を組んで小さく唸った。

 そんな公爵に、ルイズは桐生のジャケットの袖を摘みながら言う。

 

「父様、戦争が危険な事は、私も多少ながら理解しています。ですが、カズマが居れば怖くはありません。カズマはいつも私を守ってくれました。私は、カズマを信じています。だからお願いです。私の出征を許して下さい。必ず勝利して此処に帰って来ます。約束します」

 

 ルイズへと視線を向けた公爵は暫く黙っていたが、やがて首を大きく振ってから桐生を見詰めた。

 

「貴様の様な何処の馬の骨かも分からぬ者に娘は任せられん」

 

「父様!」

 

「まぁ、聞け、ルイズ。どうしても戦に参加すると言うのなら、この男に「試験」を受けて貰う」

 

 公爵の口から「試験」という言葉。エレオノールの結婚を駄目にしたとしか聞いていないルイズは不安そうに桐生を見た。

 公爵は桐生を睨みつけながら顔を近付けて凄味を利かせた。

 

「貴様の実力が本物かどうかを確かめる為の「試験」だ。口だけでない事を証明したければ、受けて貰おうか」

 

 桐生は公爵の視線を受け、不安そうに此方を見ているルイズの頭を優しく撫でてから頷いた。

 

「お受けしましょう」

 

 桐生が肯定を表すと、公爵がパチンと指を鳴らした。

 するとウルフェインが公爵に近付き、公爵から何かボソボソと囁かれると頷いて席を外した。どうやらその「試験」とやらの準備を頼まれたらしい。

 少しの間の後、召使いの一人が公爵へと駆け寄り何か囁いた。

 公爵は頷くと顎をしゃくって桐生について来る様に促した後、ジェロームを引き連れて歩き出した。

 桐生は黙ったままそれに続き、ルイズも後ろからついて行く。更にルイズの後ろに夫人と姉妹二人がついて歩いた。

 屋敷の玄関のロビーに来ると、一つだけ重々しい形をした扉が目に入った。扉の前には二人の召使いが立っている。

 ルイズは幼少の頃の記憶に、その扉に近付くとウルフェインに注意されたのを思い出した。なので中には入った事がない。

 公爵が迷わずその扉へと向かうと、扉の前の召使い達が深く頭を下げてから扉を開いた。重々しい音を立てながらゆっくりと扉が開くと生暖かい風が吹き付けて来た。

 その風から、桐生は嗅いだ事のある臭いを感じた。何度も嗅ぎ、一時はその臭いが鼻から離れ無かった事もある。当然良い臭いではない。鉄錆の様な、鼻をつく不快な臭い、血の臭いだ。

 ルイズも臭いを嗅ぎ取ったのか、顔をしかめながら鼻を手の甲で押さえている。それは姉妹二人も同じだった。

 扉の先は、地下へと続く階段が設置されていた。脇には手すりと、先を照らす為の蝋燭が着けられた燭台が続いている。

 コツコツと音を立てながら公爵を先頭に階段を降りて行くと、だだっ広い、石造りの部屋に辿り着いた。此方も幾つもの蝋燭が着けられた燭台が壁に取り付けられ、階段よりも部屋を明るくさせている。

 ざっと見た所六十畳ほどの大きさがあり、急遽拵えた様な豪華な椅子が五つ並んでいる。その中で一際大きな椅子の横に、ウルフェインが立っていた。

 公爵はウルフェインが立っていた椅子へと向かい腰掛けると、ウルフェインとは反対側の椅子の脇にはジェロームが立つ。その隣の椅子に夫人が、更にその隣に歳の順に姉妹が腰掛けた。

 

「父様、ここは?」

 

 ルイズが部屋を見回しながら公爵に尋ねる。

 桐生も部屋を見回して、壁や床、更には天井にもある黒茶けた染みを見つけた。臭いの原因でもある、血の染みの様だ。

 公爵は深く椅子に腰掛け直してからルイズの質問に答えた。

 

「ここはかつて我々ラ・ヴァリエール家の先祖が魔法の練習に使っていた部屋だ。騒音に備えて地下に造られ、壁や床、天井には魔法を使っても壊れぬ様に強化の魔法が施されている。最も、その様に使われていたのは半世紀以上も前、まだラ・ヴァリエール家がそれほど力を持っていなかった時代だ。それから時代は流れ、この環境に目を付けた歴代の王よりここは捕虜や裏切り者の拷問部屋として使われていたのだ。私の祖父の代でその様な野蛮な真似を貴族の家で行うのは御免だとの事で拷問器具は全て処分されたがな。そして今年から、私からの「試験」を行う会場として此処を扱っている。今回の様にな」

 

 ルイズの質問に答えた公爵は腰に差していた杖を引き抜くと、小さく振るった。

 瞬間、桐生の腰に巻き付けられていたデルフリンガーが勝手に外れ、フヨフヨと空中を漂いジェロームの元へと飛んで行った。ジェロームはそのデルフリンガーをしっかりと受け止める。

 

「お前は拳法も得意との事だったな。なので剣は預からせて貰う。我々貴族もそうだが、いざという時頼りになるのは武器ではなく、己の肉体なのでな」

 

 公爵はそう言うと腕を組んでルイズに視線を向け、椅子に座る様に顎をしゃくって促した。

 ルイズは少し不安そうに桐生を見るが、力強く頷いて見せる桐生に小さく頷くと椅子に腰掛けた。

 

「「試験」の内容は簡単な物だ。お前にはこれからある男と一対一で戦って貰う。その男に勝利する事が出来たら、「試験」は合格だ」

 

 説明を受けた桐生は会場となるその部屋を見回すと公爵へと視線を向けた。

 

「俺が勝ったら、娘さんの戦争への参加を認めるんですね?」

 

「儂は貴族だ。例え平民が相手であろうと嘘は言わん。貴族に二言はない。貴様が勝ったらルイズの戦への参加を認めよう」

 

 桐生は深い溜め息を漏らしてから部屋の中央に立つと、拳を握り締めた。

 

「俺の方はいつでも行けます。その男とやらを呼んで下さい」

 

「その必要はない。既にその男は此処にいる」

 

 公爵の言葉に桐生とルイズは驚いた様に部屋を見回すも、見えるのはラ・ヴァリエール家の人間とジェロームとウルフェイン、後は入り口に立っている二人の召使いだけだ。

 桐生とルイズの反応が当然と思った公爵は口元に笑みを浮かべると、軽く手を上げて見せた。

 するとウルフェインが歩きながら何時もの白い手袋ではなく、黒い革手袋をしっかりと手にはめ直しながら桐生の元へと向かって行く。

 

「ま、まさか……」

 

 ルイズが驚いた様に声を漏らすも、ウルフェインは桐生から少し離れた位置に立つと、深々とお辞儀をして見せた。

 

「貴族以外の方の相手はかなり久し振りになりますが……宜しくお願いしますよ、キリュウカズマ殿」

 

 昨日の様な満面の笑顔で言うウルフェインに、ルイズが立ち上がる。

 

「父様! 何故ウルフェインなのです!? ウルフェインはただの執事頭じゃないですか! そんなウルフェインをカズマと戦わせようなんて間違ってます!」

 

 ルイズは必死に訴えるが公爵は答えない。夫人も姉妹達もただ黙って桐生とウルフェインを見詰めている。

 ルイズは苛立った様に桐生へと顔を向けて叫ぶ。

 

「カズマ! ウルフェインを傷付けないで! ウルフェインはちい姉様と同じ様に私を守ってくれた大切な人なの! そんなウルフェインが傷付くなんて……カズマ?」

 

 桐生に必死に訴えていたルイズはそこで気付いた。

 桐生は真剣な眼差しでウルフェインを見据えながらゆっくりと構えを取った。その表情からは油断は伺えず、相手の出方を待っている様に見える。

 ウルフェインは一瞬身体からダランと力を抜いたかと思うと、凄まじい速度で桐生に駆け寄り拳の一閃を繰り出した。

 咄嗟に腕を重ねて防御の体勢を取り、拳を受け止めるとその衝撃から二、三歩後ろへと後退る桐生。

 ルイズはただただ言葉を失った。ウルフェインの動きが全く見えなかったのだ。桐生の方へと視線を向けていたのもあるが、瞬きした瞬間にはウルフェインが桐生に拳を繰り出している所だった。

 

「ほぉ……。私の拳が見えるとは、今まで相手にして来たボンクラな貴族の方々とは一味違う様ですね。これは……」

 

 心底驚いた様に言ったウルフェインは燕尾服の上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンを上から二つ外すと襟を捲って構えを取って口元に笑みを浮かべた。

 

「久々に、本気の殴り合いが楽しめそうだ」

 

 そのウルフェインの表情に、ルイズは思わずゾクッとした。

 何時も厳しく、しかし優しく、他の召使い達や両親と違って三姉妹として平等に扱ってくれたウルフェイン。その表情はとても優しい物だった。

 今のウルフェインの表情はそんな物からはかけ離れた物だった。言うならば残忍で、容赦の無い男をイメージさせる様な物だった。

 ウルフェインの顔に驚いているルイズに、公爵が声を掛ける。

 

「ルイズには言ってなかったな。最も、エレオノールとカトレアが知ったのもつい最近だが。ウルフェインは三十年ほど前、トリスタニアの一部の貴族に恐れられていた男でな。「貴族狩り」の二つ名を持つ、貴族を標的に襲うチンピラだった男だったのだよ」

 

 ウルフェインの過去の出世を聞いて、戸惑いながらルイズは桐生とウルフェインを交互に見る。

 ウルフェインはちょいちょいと指を動かして桐生を挑発して見せる。

 

「さぁ、「試験」はまだ始まったばかりだ。せいぜい楽しませてくれよ、カズマ殿」

 

「……上等だ」

 

 拳の衝撃で痛む腕を振るうと、桐生は再び構えを取る。

 ラ・ヴァリエール家の地下室で、「試験」は静かに始められた。


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