ゼロの龍   作:九頭龍

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「青銅」との決闘


第4話

 トリステイン魔法学園の図書館は、食堂のある本塔の中にある。本棚は驚くほど大きい。およそ三十メイル程の高さの本棚が並んでいる。ここには始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の歴史が積み込まれていた。

 この図書館の一区画には、「フェニアのライブラリー」と呼ばれる、教師のみが閲覧を許される本棚がある。そこには彼、ミスタ・コルベールが本を漁っていた。

 ミスタ・コルベールはこの学園に勤めて二十年、中堅の教師である。彼の二つ名は「炎蛇」のコルベール。「火」系統の魔法を得意とするメイジだ。

 彼は、先日の「春の使い魔召喚」でルイズが呼び出した平民の男が気になっていた。正確には、その男の左手に刻まれたルーンが。珍しいルーンだった。それで先日の夜から図書館に籠もりっきりになった。

 生徒達でも閲覧出来る本棚には彼の望む情報が載っていなかったので、とうとうこの区画の本を漁る事になった。

 「レビテーション」、空中浮遊の呪文を使い隅から隅までの本棚を漁る。

 そしてその努力は報われる事になる。彼は始祖ブリミルの使い魔について記された書物を手に取り、ページを捲っていく。

 その中の一説に彼は目を止めた。じっくり読みふけってから、男の左手に現れたルーンのスケッチを見比べる。

 

「こ、これは……!」

 

 思わず目を見開いて固唾を飲む。

 彼は急いで床に戻り、本を抱えたまま走り出した。

 目指すは学園長室であった。

 

 

 学園長室は本塔の最上階にある。トリステイン魔法学園の学園長、オールド・オスマンは白い口髭と髪を揺らして、重厚な作りの木製のテーブルに肘を突いて退屈をもてあましていた。

 ぼんやりと天井を眺めていたが、机の引き出しを開いて中から水キセルを取り出す。

 それを見た部屋の隅の机で書き物をしている秘書のミス・ロングビルが羽ペンを振る。長く、淡いライトグリーンの髪が静かに揺れる。

 すると、水キセルが宙を飛んでミス・ロングビルの手元にやってきた。つまらなそうにオスマンが溜め息を漏らす。

 

「年寄りの楽しみを奪わんでくれんか? ミス……」

 

「オールド・オスマン。あなたの健康を管理するのも、私の仕事です」

 

 オスマンが椅子から立ち上がると、理知的な凛々しい顔を伏せたまま書き物を続けるロングビルの後ろに立つ。窓から見える春の日差しを浴びている草原を見つめた後、重々しく目を瞑る。

 

「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方と言うものが何より重要な問題になってくるんじゃよ」

 

 オスマンの顔に刻まれた皺は、彼が長い年月を過ごしてきたのを物語っている。百歳とも、三百歳とも言われているが、本当の年齢は誰も知らない。もしかしたら本人さえも知らないのかもしれない。

 

「オールド・オスマン。暇なのはわかりますが、だからと言って私のお尻を撫でないで下さい」

 

 いつの間にか手を伸ばし、ロングビルの柔らかな尻を撫で回していた手を咎められると、オスマンは素直に手を引っ込めた。

 

「この世の平和はどこにあると思う? ミス……」

 

「少なくとも私のスカートの中にはありませんので、机の下にネズミを忍ばせるのはやめてください」

 

 オスマンの問いかけに、すぐさま返すロングビルに言葉を詰まらした後、口笛を吹く。

 するとロングビルの机から小さなネズミが飛び出す。オスマンの足から肩まで上がり、ちゅうちゅうと可愛らしく鳴いている。

 そんなネズミにオスマンがポケットから取り出したナッツを差し出す。ネズミは嬉しそうにかじり始めた。

 

「さぁ、モートソグニル。報告をしてくれたらもっとナッツをやるぞ」

 

 ネズミがちゅうちゅう鳴き出す。

 

「そうか、白か。うむ。しかし、ミス・ロングビルは黒の方が似合うと思わんか、モートソグニルや」

 

 ロングビルの美しい眉が歪む。

 

「オールド・オスマン。今度やったら王室に報告しますよ」

 

「なにぃ!? 王室が怖くて魔法学園学園長が務まるかぁ!」

 

 ロングビルの発言に目を見開きオーバーなアクションを取るオスマン。

 

「オールド・オスマン!」

 

 そんな二人の漫才の様な行いは、突然の訪問者によって遮られる。

 入ってきたのはコルベールだった。荒い息遣いで手に持った書物と体を揺らしている。

 

「大変、大変なんですよ!」

 

「大変なのは君の方じゃろう? ともかく落ち着きなさい」

 

 言われてコルベールは荒い息遣いを整えてから手に持った書物をオスマンに手渡す。

 

「これを見て下さい」

 

「これは……「始祖ブリミルの使い魔達」ではないか。まったく……こんな埃っぽい文献なんぞ読み漁っておって。もっと有効に時間を使わんか、ミスタ……なんだっけ?」

 

「コルベールです! お忘れですか!?」

 

「そうそう、そんな名前じゃったな。で、この本がどうかしたかね? コルベール君」

 

 オスマンは興味なさそうに椅子に座り机に本を広げてペラペラとページを捲る。すると途中でしおりが挟まれていたため、そこを開いて止めた。

 

「これを見てください!」

 

 興奮した口調でコルベールが桐生の手に現れたルーンのスケッチを渡す。

 本とそのスケッチを見比べた瞬間、オスマンの目が強く光る。

 ロングビルの方へ顔を向けて顎をしゃくる。席を外してくれ、という合図だ。すぐさまロングビルが立ち上がり、学園長室から出て行く。

 

「詳しく説明してくれ、ミスタ・コルベール」

 

 オスマンの表情からは雑念が消え、厳しい顔立ちのままコルベールに問い掛けた。

 

 

 めちゃくちゃになった教室の片付けが終わったのは、昼休みの前だった。魔法が使えない為、人力で修理する事になっていたので思ったよりも時間がかかってしまった。

 シュヴルーズは爆風に吹き飛ばされてから二時間程で意識を取り戻したが、先ほどのルイズの呪文が効いたのか「錬金」の講義は行わなかった。

 窓ガラスや重たい机を運ぶ作業が多かった為、ほとんど桐生が片付けた様なものだがなんとか終わり、二人は昼食をとるために食堂に向かって歩いていた。

 ルイズはさっきから俯いていて、こちらに顔を向けようとしない。

 ポン、と桐生の大きな手がルイズの頭に乗せられる。驚いた様にルイズが桐生の顔を見上げた。

 

「気にするな。人間、誰にでも得意不得意がある。そんなに気に病む事じゃねぇよ」

 

 くしゃりと優しく髪を撫でる。その感触は暖かく、思わずルイズの瞳に涙が溜まりそうになる。

 しかし、プライドの高いルイズはそんな桐生の手を振り解く。そしてギッと歯を剥いて桐生を睨みつけた。

 

「ふざけないでよ! なんで平民のあんたなんかに、そんな事言われなきゃなんないのよ! あんただって……あんただって馬鹿にしてるんでしょ!? 貴族のクセに魔法が使えない! えばってるクセに何も出来ない! そう思ってるんでしょ!?」

 

「おい、俺は」

 

「うるさいわね!」

 

 ルイズの言葉に言い返そうとするも、大きな声で遮られてしまう。怒りに顔が真っ赤に染まり、肩が震えている。これ以上何を言っても恐らく火に油だろうと思い黙っていると、ビシッと桐生に指を突き出してきた。

 

「今、あんたの顔なんて見たくないわ! お昼ご飯抜き! どっか行ってちょうだい!」

 

「……わかった」

 

 ルイズの言葉に頷いて見せ、桐生は背を向けて歩き始める。そんな桐生の背中をルイズは睨み続けた。

 嬉しかった。今まで誰もが馬鹿にしてきたのに、桐生は優しくそれを慰めてくれた。それでも貴族のプライドが邪魔をし、素直になれなかった。

 一筋の大粒の涙が、ルイズの頬を伝った。

 

 

 少し歩いた所で、桐生は建物の壁にもたれるとポケットから煙草を取り出して火を付ける。美味そうに紫煙を吹き出しながら、すっかり空っぽになった腹を抱える。

 

「どうなさいました?」

 

 しばらく煙草を楽しんでいると、銀のトレイを持ったメイド姿の少女が話しかけてきた。カチューシャで纏めた黒髪とそばかすが印象的な、素朴な感じの少女だった。

 

「なんでもない、大丈夫だ。」

 

「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールに召喚されたっていう……」

 

 煙草を携帯灰皿にしまい込む桐生に少女が首を傾げてくる。服装からしてこちらの世界には居なさそうなのですぐにわかったらしい。

 

「知ってるのか?」

 

「ええ。平民が使い魔として召喚されたって、噂になってますから」

 

 少女はにっこりと笑ってみせた。多分、こっちの世界に来て始めた見た笑顔かも知れない。

 

「私もあなたと同じ平民です。貴族の皆さんをお世話するため、ここでご奉公させていただいてるんです」

 

 ルイズ達とそう年が変わらないのに随時しっかりした少女だと思った。

 携帯灰皿をしまって挨拶する。

 

「はじめまして、だな。俺は桐生一馬だ。よろしくな」

 

「変わったお名前ですね? 私はシエスタといいます。」

 

 握手をした瞬間、桐生の腹が鳴った。

 

「あぁ…悪いな」

 

 少し照れ臭そうに桐生が頭をかいてみせる。シエスタはそんな桐生を見てクスリと笑うと、ついて来る様に言った。

 シエスタについて行くと、食堂の裏にある厨房に出た。大きな鍋やオーブンが並んでいる。コックやシエスタの様なメイド達が忙しそうに働いていた。

 桐生を厨房の隅の机に座らせると、シエスタが厨房の奥へと消えた。そして再び姿を見せると、シチューがたっぷり盛られた皿とスプーンを持って来た。それを桐生の前に置く。

 

「貴族の方々にお出しする料理の余り物で作ったシチューです。良かったらどうぞ」

 

「いいのか?」

 

「ええ、賄い食ですけど」

 

 桐生は両手を合掌した後、スプーンを手に取り、一匙すくって口に入れる。

 

「……美味いな」

 

「良かった。お代わりもありますから、ごゆっくり」

 

 桐生は夢中になってシチューを食べる。食べっぷりのいい桐生をシエスタが笑顔を浮かべたまま眺めていた。

 

「ご飯、貰えなかったんですか?」

 

「ちょっと怒らせちまってな……昼飯を抜かれた」

 

「貴族を怒らせるなんて、大変な事ですよ!?」

 

「貴族か……自分一人じゃ何も出来ねぇくせにえばる甘ったれの集まりじゃねぇか。そんな奴ら、怖くもねぇし興味もねぇよ」

 

「勇気がありますね……」

 

 シエスタは唖然として桐生を見ている。自分よりもずっと年を取っているであろう桐生の顔は貴族への悪口を口にしても揺るがない。凄い人だなぁ、と内心シエスタは思った。

 すっかり空になった皿をシエスタに返す。

 

「初対面なのにいきなりご馳走になっちまったな……ありがとうよ」

 

「お腹が空いたら、いつでも来てください。私達が食べているもので良かったら、お出ししますから」

 

「そうか……なら、礼代わりと言っちゃなんだが、何か手伝わせてくれ」

 

 満たされた腹を軽くさすってから、桐生が立ち上がる。桐生の顔を見上げながら、シエスタが微笑んで頷いた。

 

「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいますか?」

 

「おう」

 

 桐生が大きく頷く。

 渡されたデザートのケーキが並んだ銀のトレイを持ってシエスタと食堂に出る。そのケーキをシエスタがはさみでつまみ、一つずつ貴族達に配って行く。

 金色の巻き髪にフリルのついたシャツを着た気障ったらしいメイジの姿が見えた。薔薇をシャツのポケットに挿して髪を手でかきあげている。周りの友人が、口々に彼を冷やかしている。

 

「なぁ、ギーシュ! お前、今誰と付き合ってんだ?」

 

「教えろよ、ギーシュ!」

 

 あの気障ったらしいメイジはギーシュというらしい。彼は愛でる様に薔薇を撫でた。

 

「付き合う? 僕は特定の女性には縛られないのだよ。薔薇は多くの女性を楽しませる花だからね」

 

 自分を薔薇に例えて、酔いしれている。どこの世界にもこんな馬鹿は居るんだなと、桐生は内心納得する。

 その時、ギーシュのポケットから小さなガラス製の瓶が落ちた。中には紫色の液体が入っている。

 気に入らない餓鬼ではあるが、落とし物を教えるのは当然の行いだ。

 

「おい、ポケットから瓶が落ちたぞ。」

 

 しかし、ギーシュは振り向かない。

 仕方なしに桐生はシエスタにトレイを持って貰い、小瓶を拾い上げてタンっとギーシュの前に置く。

 

「落とし物だぜ」

 

 ギーシュが苦々しい顔で桐生を見上げると小瓶を押しやってきた。

 

「これは僕のじゃない。君は何を言ってるんだね?」

 

 その小瓶を見るや否やギーシュの友人達が騒ぎ始めた。

 

「その香水、モンモランシーの香水か?」

 

「そうだ! この鮮やかな紫色は、自分用に調合してるモンモランシーの物だ!」

 

「それを持ってたって事はギーシュ、お前はモンモランシーと付き合ってるんだな!」

 

「違う。いいかい? 彼女の名誉の為に言うが……」

 

 ギーシュの言葉が最後まで紡がれる事はなかった。

 いつの間にかギーシュの背後に少女が立っていた。

 栗色の髪をした可愛らしい少女だ。茶色のマントを見る限り、一年生の様だが。

 

「ギーシュ様……」

 

 突然少女の瞳から大粒の涙がボロボロと零れ、泣き始める。

 

「やはりミス・モンモランシーと……」

 

「誤解だよ、ケティ。いいかい、僕の心の中に住んでいるのは」

 

 ギーシュの弁解の最中に、ケティと呼ばれたその少女は力強く頬をひっぱたいた。

 

「その香水を持っている事が何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 ギーシュが頬をさする。少し赤くなっていた。

 今度は遠くの席から見事な黄金な巻き髪をたなびかせて歩いてくる少女が見えた。その少女には見覚えがある。自分がこちらの世界に来た初日に、ルイズと言い合っていた少女だ。

 眉を歪ませて怒りを露わにした表情でモンモランシーがギーシュの前に歩み出る。

 

「誤解だよ、モンモランシー。彼女とはこの間ラ・ロシェールの森に遠乗りしただけで……」

 

 再び都合のいいように弁解するギーシュの頬には冷や汗が伝っている。どこの世界でも、修羅場は見ていて気持ちのいいものではない。

 

「やっぱりあの一年生に手を出していたのね……」

 

「お願いだ、「香水」のモンモランシー。咲き誇る薔薇の様に美しい笑顔をそんな歪ませないでくれ……」

 

 タジタジになって弁解しているギーシュの頬が、再び強くひっぱたかれる。今度はさっきとは反対の頬だ。

 

「嘘つき!」

 

 とモンモランシーが怒鳴って去っていく。

 ギーシュはまた頬をさすりながら芝居がかった仕草で言う。

 

「あのレディ達には薔薇の存在の意味を理解して貰えない様だ」

 

 桐生はとりあえず事の成り行きを見届けた後、机の上に置かれたままになった小瓶を取ってポケットに入れ、トレイをシエスタから受け取り歩き出した。

 そんな桐生をギーシュが呼び止める。

 

「待ちたまえ」

 

「なんだ? やっぱりこの小瓶は俺のだ、とでも認めるのか?」

 

 トレイを持ったまま片手で小瓶を出して振って見せながら桐生が問い掛ける。

 桐生の言葉に答えずに足を組んで椅子にふんぞり返るギーシュはどうも気障ったらしい。

 

「君が軽率にその瓶を拾ったおかげで二人のレディの名誉が傷付いた。どうしてくれるんだね?」

 

 ギーシュの言葉に思わず桐生は鼻で笑う。

 

「俺のせいだ、と言いたいのか? 二股かけてたお前が悪いし、お前の方があの二人の名誉を傷つけたと思うんだがな」

 

 ギーシュの友人達がどっと笑った。

 

「そうだ、ギーシュ! お前が悪い!」

 

 ギーシュの顔に赤みが差した。そして、桐生の身体を見回すと、ああっ、と突然小馬鹿にした様な目つきに変わる。

 

「君は確か、あの「ゼロ」のルイズが召喚した平民だったな。平民に貴族の名誉など語っても、わかりはしないか。しかも主人はあのルイズだしな……躾など出来る筈もない。君と、君の主人の無知さ故の所行と思って許してあげるよ。さぁ、行きたまえ」

 

 桐生はギーシュの挑発を聞いて、シエスタに再びトレイを預けると、ゆっくりとギーシュに歩み寄って見下した。

 

「うるせぇんだよ、ガキが」

 

 桐生の一言に、場の空気が一気に凍りついた。しかし、構わず桐生は言葉を続ける。

 

「二股かけた挙げ句両方に振られたキザ野郎が、偉そうに語ってんじゃねぇよ。てめぇみてぇな奴にルイズを馬鹿にする権利もねぇ。もうちっと自分の惨めさに自覚を持ったらどうだ? クソガキ」

 

 腕を組んで見下しながら罵る桐生にギーシュの目が光る。

 

「どうやら、君は貴族に対しての礼儀を知らない様だな」

 

「だったらなんなんだ?」

 

「良かろう、君に貴族に対しての礼儀を教えてやろう。ちょうどいい

腹ごなしだ」

 

 ギーシュが立ち上がった。桐生の眉もつり上がる。

 

「ここでやんのか?」

 

「貴族の食卓を平民の血で汚せるか。ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配ったら来たまえ」

 

 ギーシュが体を翻して食堂の外に出る。ギーシュの友人がワクワクした様子で、ギーシュの後を追った。もう一人は残って桐生を監視している。

 面倒臭そうに頭をかいた後、震えているシエスタに近寄る。

 

「あ、あなた、殺されちゃう……」

 

「なに?」

 

「貴族を本気で怒らせたら……!」

 

 突然シエスタが逃げる様に走り去って行く。よくわからないが、あのギーシュと言う男、強いらしい。

 去って行くシエスタを見送っていると、後ろからルイズが駆け寄ってきた。

 

「あんた! なにしてんのよ! 見てたわよ!」

 

「お前には関係ない」

 

 キッパリと言い放つ桐生にルイズが溜め息を漏らす。

 

「謝っちゃいなさいよ」

 

「なに?」

 

「怪我したくなかったら、謝って来なさい。今なら許してくれるかもしれないわ」

 

 ルイズの言葉に桐生は首を傾げる。そしてその後、残っているギーシュの友人に声をかける。

 

「ヴェストリの広場ってのはどっちだ?」

 

「こっちだ、平民」

 

 友人が顎をしゃくって見せると、突然桐生がその友人に近づき、胸

ぐらを掴んで宙に浮かせた。突然の状況にギーシュの友人は目を回して慌てている。

 

「ちょ、ちょっとあんた! 何して」

 

「口の利き方に気をつけろ、ガキが。俺は今、機嫌が悪い……その口、一度ぶっ壊して直してやろうか?」

 

 ルイズの言葉など聞こえてない様にギーシュの友人に静かに語る桐生。ただならぬ殺気を身体から迸らせその場にいる全員、ルイズですらすくんでしまう。

 

「す、すみ、すみません……こ、こっちです……」

 

 目に涙をいっぱいに溜めて身体を震わせながら指を差すギーシュの友人を下ろしてやり、そのまま広場まで案内させる。

 

「な、なんなのよ、あいつ……!」

 

 文句を口にしながらも、ルイズもそれに続いた。

 

 

 ヴェストリの広場は魔法学園の敷地内、「風」と「火」の塔の間にある中庭の事である。西側に位置する中庭は日中でも日が射さない為、決闘にはうってつけの場所だ。

 桐生が広場に着くと、既に噂を聞きつけた生徒達が所狭しと並んでいる。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 ギーシュが薔薇の造花を掲げると、盛大な歓声が沸き上がる。

 

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はあのルイズの使い魔の平民だ!」

 

 歓声に包まれながら、桐生が広場の中へ進み出る。ギーシュが腕を振って歓声に答えている。

 桐生の存在に気付くと、ギーシュも中央へ寄りそこそこの距離が空いた状態で睨み合う。

 

「とりあえず、逃げずに来た事は誉めてやろうじゃないか」

 

「……」

 

 ギーシュが薔薇の造花をいじりながら歌う様に言うも、桐生は答えない。

 

「さてと、始めるか」

 

「……気乗りしねぇなぁ」

 

 ギーシュが合図を送る様に言った言葉に、桐生が舌打ちをして呟く。

 桐生の言葉が聞こえたのかどうかはわからないが、突然沸き上がってた歓声がピタリと止まる。そのまま桐生は苦々しい顔を浮かべながら言葉を続ける。

 

「殴る価値のねぇ奴と喧嘩するのは好きじゃねぇ」

 

 ピンと、緊張の糸が広場に漂う。生徒達の視線が桐生に集中していく。

 ギーシュはしばらく黙った後、口元に笑みを浮かべた。

 

「なるほど……やはり貴族とは喧嘩したくないから、いい言い訳を考えた訳か。ははっ、コイツは傑作だ!」

 

 ギーシュの高らかな笑い声に周りの生徒達もつられた様に笑う。

 

「平民! 逃げたっていいんだぜ!」

 

「さっさと謝っちゃいなさいよ!」

 周りから笑い声に混じって様々な野次が飛ばされる。

 

 その様子を見てルイズは密かに安心した。やはり桐生は喧嘩を避ける様だ。当然だ。平民が貴族に勝てる訳がないのだから。

 

「だがな……」

 

 次に桐生から発せられた台詞に、その場の全員の期待が裏切られる事になる。

 

「てめぇみたいな薄っぺらい野郎に好き勝手言わせておくのは……もっと好きじゃねぇ」

 

 ギーシュの顔から笑みが消え、今度は桐生の口元に笑みが浮かぶ。

 手を差し伸べ、ちょいちょいと指を動かしてみせる。

 

「来いよ、甘ったれのクソガキが。貴族ってのがどんだけやれんのか知らねえが……遊んでやるよ」

 

 そしてゆっくりと構えを取る。

 ギーシュは黙ったまま薔薇の造花を振るう。

 花びらが一枚舞ったかと思うと、甲冑を着た女戦士の形をした人形に姿を変えた。

 身長は人間と同じくらいだが、硬い金属製らしい。淡い太陽の光を浴びて甲冑が輝いた。

 

「ほぉ……」

 

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はないだろう? 言い忘れていたが、僕の二つ名は「青銅」。「青銅」のギーシュだ。そしてこの青銅のゴーレム、「ワルキューレ」が君の相手をするよ」

 

「なんでもいい。さっさと来い」

 

 二人のやり取りをしばらく見ていたルイズが人混みをかき分けて広場に躍り出る。

 

「ギーシュ!」

 

「ああ、ルイズ! 悪いが君の使い魔をちょっとお借りするよ!」

 

「ルイズ、怪我するぞ。どいてろ」

 ルイズはこちらに目もくれない桐生とギーシュに向かって大声で怒鳴りあげる。

 

「いい加減にしてよ! 大体決闘は禁止されてるのよ!」

 

「それは貴族同士の決闘だ。平民との決闘を禁止する法はない。どうしても止めて欲しいなら、彼に僕に謝る様説得するんだな」

 

 ルイズは言葉に詰まる。そして桐生の前に立ち塞がる。

 

「カズマ! ご主人様の命令よ! 今すぐギーシュに謝りなさい!」

 

 自分だって嫌だった。こんな奴に頭を下げるのなんて。しかし、ここで謝らなければ、桐生は本当にギーシュにギタギタにされてしまう。そんなのは見たくなかった。

 桐生は構えを解くと、ルイズの両肩に手を置く。そして、優しく微笑んだ。

 その微笑みに思わずドキリとする。

 

「やっと俺を名前で呼んだな」

 

 そう言って、ルイズをそっと前からどけさせる。困惑するルイズに今度はギーシュに視線を移しながら言う。

 

「朝、言っただろう? ナメた態度を取ったお前以外の貴族は容赦しねぇと。だから、お前の命令でも、それは聞けねぇ」

 

「確かに聞いたわ! でも」

 

「それだけじゃねぇ。こいつはお前の事も馬鹿にした。使い魔なら、主人を馬鹿にした奴をぶっ飛ばすのが当然だろ?」

 

「でも、平民が貴族に勝てる訳」

 

「ルイズ!」

 

 なんとかして桐生を止めようとするルイズの言葉を少し強い声で遮る。

 

「お前は俺の主人なんだろ? なら、俺を信じろ」

 

 それだけ言うと、桐生はワルキューレに向かって突進する。それに合わせたかの様に、ワルキューレも桐生目掛けて走り始める。

 突然、桐生が動きを止める。それに構わず接近したワルキューレが拳を振り上げた。

 ルイズが手で目を覆う。

 ワルキューレの拳が後数センチで桐生の顔面に届こうとしたその瞬間、

 

「っしゃあ!」

 

 突然桐生の身体が沈んだかと思うと、鋭い拳の一閃がワルキューレの腹を貫通して粉々に砕け散った。上半身と下半身に別れたワルキューレが派手な音を立てて地面に転がる。

 

「なっ!?」

 

「えっ!?」

 

 ギーシュが驚きの声を上げ、ルイズは訳がわからず声を上げる。

 小牧流体術三大奥義の一つ、「虎落とし」。相手に攻撃が当たるという確信を持った一瞬の隙を突いて拳を打ち込むカウンター技である。

 桐生は粉々になって地面に転がるワルキューレをつまらなさそうに見てから視線をギーシュに移して問い掛ける。

 

「もう終わりか?」

 

 桐生の挑発にギーシュが歯を剥き出す。

 

「すまない、忘れていたよ……貴族はどんな相手であっても全力で叩き潰すのが礼儀であるとね!」

 

 数回、ギーシュが薔薇を振るうと剥がれた花びらからワルキューレが次々と作り出される。

 生まれた七体のワルキューレは隊列を組むと、一斉に桐生に向かって駆け始める。

 

「上等だ」

 

 それを迎え討たんと桐生もワルキューレの隊列に向かって走り始めた。

 

 

 ところ変わり学園長室。

 コルベールが何故、今になって始祖ブリミルの使い魔について調べる気になったのかをオスマンに説明していた。

 春の使い魔召喚でルイズが平民の男を呼び出してしまった事、契約をした時左手に刻まれたルーンが気になった事、そしてそれを調べた結果、

 

「始祖ブリミルが従えた使い魔、「ガンダールヴ」に行き着いたと言う訳か」

 

「そうです! あの男の左手に現れたルーンは、伝説の使い魔「ガンダールヴ」の物と一致します!」

 

「それで……君の結論は?」

 

「あの男は「ガンダールヴ」だと思います!」

 

 コルベールがはげ上がった頭の汗をハンカチで拭いながらまくし立てる。

 オスマンは書物に描かれた文字と桐生のルーンのスケッチを何度も見比べる。確かに、形は完全に一致している。

 

「……確かにルーンは同じじゃ。しかし、だからと言ってその男が「ガンダールヴ」であると決めつけるのは早計過ぎはせんか?」

 

「それは……確かに」

 

 オスマンの冷静な言葉にコルベールの熱が冷め、落ち着きを取り戻していく。

 コツコツ、と扉のノックの音が響いた。

 

「誰じゃ?」

 

「私です。オールド・オスマン」

 

 声の主はロングビルのものだった。扉の向こう側から、用件を報告する。

 

「ヴェストリの広場で決闘をしている生徒がいるそうです。かなりの騒ぎになっています。止めに入った教師がいたそうですが、生徒に邪魔された様です」

 

「まったく……貴族とは暇を持て余すと本当に碌な事をせんな。一体誰と誰が決闘をしてるんじゃ?」

 

「一人はギーシュ・ド・グラモン」

 

「あのグラモンの馬鹿息子か……」

 

 オスマンは頭を抱える。

 グラモン家の家系は先祖代々、好色家として有名で、ギーシュの女好きも血筋からきているものなのだ。

 

「大方女の子の取り合いでもしたんじゃろう。で、相手は?」

 

「それが……貴族ではなく、ミス・ヴァリエールの使い魔の様です」

 

 オスマンとコルベールの視線が交差する。

 

「いかが致しましょう? 決闘を止める為に「眠りの鐘」の使用許可を求める教師がいるそうですが」

 

 コルベールが慌てた様に首を振ると、オスマンが強く頷く。

 これは、チャンスだ。あの男、桐生が本当に「ガンダールヴ」かを知る絶好の機会である。それを邪魔される訳にはいかない。

 

「たかが喧嘩に秘宝を使う必要はない。放っておきなさい」

 

「わかりました」

 

 ロングビルが遠ざかっていく足音が聞こえる。

 完全に気配が消えたのを見計らい、オスマンが鏡に向かって杖を振るう。すると、鏡にヴェストリの広場の光景が浮かび上がった。

 

 

 桐生がまず先頭のワルキューレにタックルを繰り出す。後ろに吹き飛ばされたワルキューレがもう一体のワルキューレを巻き込んで吹き飛ばされる。

 隊列が乱れた他のワルキューレに今度は自慢の拳を振るう。

 殴り、蹴り、投げつけて次々とワルキューレを破壊していく。

 ギーシュは必死になって薔薇を振るい、次々とワルキューレを生み出していく。そうして一体に気を取られた桐生に別の一体が拳を振り上げる。

 

「カズマ!」

 

 ルイズの叫びに反応する様に、すぐさま防御の姿勢をとって肘で金属製の拳を受け止める。

 

「ちっ……流石に面倒だな」

 

 自分を取り囲む様にワルキューレが横に並んでいる。そして、拳を防いだワルキューレの一体を蹴り倒すと一斉に殴りかかって来た。

 

「終わりだ! 平民!」

 

 勝利を確信したギーシュが笑みを浮かべて叫ぶ。

 すると桐生は蹴り倒したワルキューレの脚を自分の腕でしっかり挟み込むと、

 

「うぉぉらぁぁっ!」

 

 人間の何倍もの重さを持つワルキューレをジャイアントスイングし、躍り掛かってくる他のワルキューレを次々と巻き込んで薙ぎ倒す。我流喧嘩体術、「スイングの極み」である。

 金属同士がぶつかり合い派手な音を立てて砕かれた。倒されたワルキューレ達を見届けた後、無遠慮に投げ飛ばす。

 

「そ、そんな馬鹿な!」

 

 絶望に声を荒げるギーシュを捉え、桐生は一気に距離を詰めると拳をギーシュの顔面目掛けて振り上げる。

 

「ひっ!」

 

 小さな悲鳴を上げて目を閉じ、訪れる衝撃と痛みに備えるギーシュ。しかし、いつまで経っても衝撃も痛みも訪れない。

 恐る恐る瞳を開くと、自分の鼻先スレスレで止まっている桐生のゴツい拳で視界がいっぱいになる。

 

「言っただろ?」

 

 そう言ってゆっくり拳を下ろす桐生。

 

「殴る価値がねぇってな」

 

 それを聞いてへなへなとギーシュがその場にへたり込み、俯き始める。

 それを合図に、周りから歓声が溢れ始めた。

 

「あの平民、強え!」

 

「ギーシュが負けたぞ!」

 

 先ほどまで完全にギーシュに味方していた大半が桐生を褒め称え始める。

 桐生はへたり込んでいるギーシュに視線を落とすと、ある事に気がつく。ギーシュのズボンの股関が湿って染みが出来ている。殴られるという余りの恐怖に失禁してしまった様だ。

 桐生は先ほどの香水の入った小瓶をポケットから取り出し、蓋を開けるとギーシュの頭から振りかけた。パシャパシャと香水が頭で弾けてギーシュの服とズボンを濡らす。

 桐生の行動の意図に気付いてギーシュがハッと顔を上げると、桐生は周りに気付かれない様に首を小さく振って見せて背を向けて歩き出した。

 完敗だった。勝負も。そして、男としても。

 

 

 オスマンとコルベールは「遠見の鏡」で一部始終を見た後、顔を合わせる。

 コルベールが興奮した様に震えた声で言う。

 

「オールド・オスマン。あの平民、勝ってしまいましたが……」

 

「そうじゃな」

 

「ギーシュは一番レベルの低い「ドット」メイジですが、平民に後れをとるとは思えません。それにあの戦闘能力! やはり彼は「ガンダールヴ」ですよ!」

 

「うむむ……」

 

 コルベールの言葉にオスマンが眉をひそめる。確かに、並外れた身体能力ではあった。多人戦に対しての恐ろしいほどに的確な戦法……普通の平民では考えられない。

 

「早速王室へ報告し、指示を仰ぎましょう!」

 

「それはならん!」

 

 コルベールの言葉にオスマンが強い口調で首を振る。

 

「何故です!? 世紀の大発見じゃないですか! 現代に蘇った「ガンダールヴ」!」

 

「ミスタ・コルベール……「ガンダールヴ」はただの使い魔ではない」

 

「それはわかっています」

 

 始祖ブリミルが用いた使い魔、「ガンダールヴ」。その姿形は記述に残されておらず、謎の多い使い魔である。

 始祖ブリミルが使用したと言われている「虚無」の魔法はその強大な威力の為、詠唱時間が長かった。無防備な主人を守る為に、「ガンダールヴ」はあらゆる「武器」を使いこなして闘ったと記されている。

 その強さは千人もの部隊を一人で壊滅させ、並のメイジでは歯が立たなかったとも言われている。

 

「まさに一騎当千、国士無双の強さを誇っていた使い魔じゃ。そんな強大な兵器にも似た「ガンダールヴ」を王室へ渡してみろ。宮廷で暇を持て余してる戦好きの連中が黙ってはおらん。必ず他国へ戦を仕掛ける筈じゃ」

 

「なるほど……学園長の深謀には恐れいります」

 

「ともかくこの件は私が預かる。他言は無用で頼むぞ」

 

「かしこまりました!」

 

 オスマンが杖を握り、窓際に立つ。

 

「時にミスタ・コルベール……彼の主人は優秀なメイジなのかね?」

 

 その言葉にコルベールが咳払いをする。ルイズの事を聞いているのだろう。

 

「いや、その……どちらかと言うと無能な方ですが……」

 

「なるほど、やはり腑に落ちん。何故そんな無能なメイジと契約した彼が「ガンダールヴ」になったのか。そもそも彼は本当にただの人間なのかね?」

 

 たっぷりと蓄えた髭をさすりながら顔を傾げるオスマン。

 コルベールは深く頷いてからキッパリと言う。

 

「どこからどう見ても、平民の男性でした。念のため、「ディテクト・マジック」で確かめたのですが、正真正銘、ただの人間です」

 

「なるほど……なら、「あれ」は何だったのじゃろうか……?」

 

「なんの事です?」

 

 オスマンの呟きに、コルベールが問いかける。しかし、オスマンは言葉を濁して話を終わりにしてしまった。

 彼の頭に引っかかっている「あれ」。

 それは一瞬しか見えなかったが、「遠見の鏡」の中で確かに彼は見たのだ。

 桐生の体を纏う様に流れる、稲光の様な青い光を。

 

 

「ちょ、ちょっと! カズマ!」

 

 歓声を上げて盛り上がり続ける生徒の波を掻き分け去ろうとする桐生の後をルイズが追う。

 広場から少し離れた扉から学園に入ると、先ほどの喧騒が嘘の様に静かな空間が広がる。窓から吹き抜ける春の風が、汗ばんだ肌に心地良い。

 すぐさま後を追い付いたルイズが桐生の前に出て複雑な表情を浮かべる。

 

「まさか……本当に勝っちゃうなんてね」

 

「貴族とえばってた割には、大した事なかったぜ」

 

「あのねぇ! 勝てたからいいものの、あんた本当に……!」

 

 ポタッ

 ルイズが呆れた様に桐生の腕を掴むと、何か液体が落ちる様な音が耳についた。

 音のした方を見てみると、赤い、小さな水滴が床に落ちている。

 表情を険しくさせてルイズは桐生の両手を掴んでよく見てみる。

 

「あんた……これって……!」

 

 両手の拳を見てルイズが言葉を失う。

 ゴツい拳は皮膚が剥がれ、肉が裂け、血がにじみ出ていた。殴り合いの喧嘩が得意な桐生とはいえ、流石に金属製の人形を殴り続ければそれ相応の反動が来る。骨が折れてないだけマシだと思っていた。

 

「大したことねぇよ、気にするな」

 

「大したことあるわよ! ちょ、ちょっと待ってなさい! 包帯と薬、貰ってくるから!」

 

 言うや否や、ルイズはすぐさまどこかへ走り去って行く。

 一人になって拳を見つめ、溜め息をついた。メリケンサックを付けて戦った方が良かったか、と内心ごちる。だが、メリケンサックも丈夫な方ではないから、どっちみちこうなっていたかもしれない。

 そんな風に考えていると、ルイズが包帯と何か青い液体の入った瓶を持ってきたのが見えた。

 桐生の手を掴むとそのまま引っ張り始めるルイズ。一体どこに行くのか尋ねると、

 

「私の部屋よ! こんな所じゃ落ち着いて手当て出来ないでしょ!?」

 

 と怒鳴られた。何をそんなに怒っているのか。

 一度外に出て、女子寮に向かい、ルイズの部屋まで引っ張られる。

 椅子に桐生を座らせる。手の甲を向けさせ指を伸ばさせると、ルイズが瓶の中の液体を傷にかけた。

 ピリピリとした痛みが伝わり顔をしかめる桐生。桐生の表情も気にせず、今度は傷を包む様に包帯を巻く。

 

「まったく……無茶して……」

 

 小さな呟きに桐生が顔を上げると、ルイズの瞳から涙が流れていた。

 その表情は心配した様な、安堵した様な複雑なものだった。

 

「泣いてるのか?」

 

「……泣いてなんかないわよ。どうしてこの私が、平民の、使い魔のあんたなんかの為に泣かなきゃいけないのよ」

 

 ブラウスの袖で涙を拭ってから恨めしそうにこちらを見るルイズが可愛くて、桐生は声を出さずに笑う。

 桐生の笑顔に顔を赤らめながら、もう片方の手に包帯を巻きつつルイズが早口で告げる。

 

「勘違いしないでよね。ギーシュを倒したのは凄いと思うけど、だからってあんたへの待遇が変わるわけじゃないわ」

 

 そう言って包帯を巻き終わると、今度はとびきりの笑顔を浮かべてくる。年相応の、少女の可愛らしさがそこにはあった。

 

「忘れないでよね! あんたは私の使い魔なんだから!」


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