ゼロの龍   作:九頭龍

38 / 55
カーテンコール


第38話

 夜が明けた早朝、トリスタニアの一角にあるゴミ捨て場には人だかりが出来ていた。

 何時もの様にゴミを捨てに来た近隣の住民が、顔を潰され無残な姿で放置された女の死体を見つけたからである。

 行方不明のアンリエッタを探している為、少人数の兵士が現場検証を行っているが、いかんせん人数が少ない為に野次馬を押さえ切れずにいた。

 死体は二十代前後の女性で、派手な服装から察するにこの辺で働く商売女の様だ。顔は何度も硬い鈍器で殴られたのか、原型が解らない程に潰されてしまっているせいで身元が特定出来ない。

 野次馬の中で死体を眺めていた一人の青年が人の群れからそっと抜け出し、薄暗い路地に入って暫く歩くと仮面を着けた二人の男が目の前に立ちはだかった。左には白い蛇を模した仮面を着けた細身の男。右には鉛色の鼻から上を覆い額に突起を生やした仮面を着けた大男。ウロボロスとオーガだ。

 

 「やはり、あの女か?」

 

 ウロボロスが青年に問いかけると、青年は小さな溜息を漏らしてから羽織っていた黒いロングコートの懐から鼻の辺りから嘴の様な突起が突き出た黒塗りの仮面を被った。

 

 「うん、依頼主のお姉さんだったよ」

 

 仮面を装着した青年、レイヴンは感情の無い声で呟くと顎をしゃくって見せ、二人を引き連れて暗い路地の奥へと消えて行った。

 

 

 街の一角での死体騒動が号外となって知らされる中で迎えた昼。中央広場のサン・レミの聖堂が十一時を知らせる鐘を鳴らした。

 タニアリージュ・ロワイヤル座の前に、一台の馬車が止まった。開かれた馬車のドアから出てきたのはリッシュモンである。彼は堂々とした態度で劇場を見上げると、御者台に座った小生にここで待つ様に伝え劇場の中へと入って行った。

 我が者顔で通路を歩くリッシュモンに切符切りの男は一礼して彼を通した。芝居の検閲も職務の一環である彼にとってこの劇場は勝手知ったる別荘の様な物なのである。

 客席へと入ると、客は皆若い女性が疎らに座っていた。今日の芝居は開演当初は人気のあった演目だが、役者の演技が酷過ぎると評者に酷評されてしまった為、当時とは比べ物にならない客の少なさだ。

 リッシュモンは彼専用に設けられた座席に腰掛け、内心焦りながら幕が上がるのをじっと待った。

 

 

 リッシュモンが劇場に入って少しした後、ルイズとアニエスが劇場の前にやって来た。昨晩捕らえた男からの情報を元に、劇場の向かいの路地で張り込みを続けていたのだ。

 ルイズは懸命に顔に出さない様に努力してはいたが、実はくたくたに疲れていた。男を捕らえて情報を聞き出してから一睡もしていない。ただアニエスの行動に合わせて動いているだけだった。未だにネズミとは誰なのかすら教えて貰えないのが不満だが、今は待つしかない様だ。

 ふと、アニエスの方へと顔を向けると、疲れなど微塵も感じていない様な生気に満ちた表情で劇場を睨んでいた。アンリエッタが新設した隊の隊長らしくタフな方なのかもしれないが、その瞳には別の何かを秘めているのを感じられた。

 眠気から少しぼやけ出してきた目を手の甲で擦って懸命に劇場を見つめていたルイズの視界に、見慣れた人影が映った。

 この世界では一着しか存在しないかもしれないグレーのスーツにワインレッドのシャツを着こなした大男、桐生だ。傍にはいつだか服屋で買った平民の服を着て髪をポニーテールにしているアンリエッタがいる。化粧と服装からパッと見ただけではアンリエッタとは分かりにくいが、ルイズの目は誤魔化されない。

 二人はアニエスが飛ばした伝書フクロウの情報を元にこの劇場へとやって来たのだった。

 

「姫様! カズマ!」

 

 叫びながら此方に駆け寄ってくるルイズの姿を確認したアンリエッタはすぐさま駆け出して、ルイズの小さな身体を強く抱き締めた。

 

「心配しましたわ! 全く、何処に消えておられたのです!?」

 

「貴女の優しい使い魔さんをお借りして、街に隠れておりました。黙っていた事は謝りますわ、ごめんなさい。でも、大切な貴女には知られたくない任務だったのです。その為に使い魔さんをお借りしましたが……今朝、アニエスが飛ばした伝書フクロウの内容に貴女と行動を共にしていると書かれていて驚きました。やはり貴女は私の一番のお友達。何処にいてもこうして巡り会う運命にあるのかもしれません」

 

 それからいつの間にか側まで来ていたアニエスに気付いたアンリエッタがルイズから身体を離した。

 アニエスは桐生をチラリと見た後、その場に跪いた。

 

「準備は整っております」

 

「ありがとう、アニエス。貴女は本当に良くしてくださいました」

 

 少し置いてけぼりを食らってお互いに目を見合わせる桐生とルイズ。そんな二人に構わず、劇場の前にもう一組の団体客が現れた。

 獅子の頭に蛇の尾を持つ幻獣、マンティコアに跨った魔法衛士隊だ。マンティコア隊の隊長は、その場の全員を見回して目を丸くさせた。

 

「これはどういう事だ、アニエス殿!? 貴殿からの報告により現れてみれば、陛下までいらっしゃるではないか!」

 

 隊長は颯爽とマンティコアから跳び下りると、アンリエッタへと駆け寄った。

 

「陛下! 心配したのですぞ! 全く……ご無事で何よりですが、一体何処におられたのです!? 我等マンティコア隊一同、一晩中駆け回って探したと言うのに!」

 

 心底安堵した表情で話しながら隊長がアンリエッタへと質問を投げかける。

 自分を心配してくれる目の前の隊長に申し訳なさから思わず苦笑したアンリエッタは頭を小さく下げた。

 

「ご心配をお掛けしたのは申し訳ありませんでした。後でキチンと説明します。ですが、その前に……隊長、命令です」

 

「はっ! 何なりと!」

 

 アンリエッタの言葉に敬礼しながらビシッと背筋を正した隊長は凛々しさを感じさせる声で答えた。

 

「今から貴方の隊で、このタニアリージュ・ロワイヤル座を包囲しなさい。中からは蟻一匹、逃してはなりません。宜しいですね?」

 

 隊長はアンリエッタの命令に一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐさま頷いた。

 

「御意」

 

「それでは、私は参ります」

 

 劇場に身体を向け、その大きな外観を真剣な眼差しで眺めた後、アンリエッタが歩き出した。

 

「姫様、私達もお伴します」

 

 すぐさまルイズがアンリエッタに近付き跪くも、アンリエッタは小さく首を振った。

 

「いえ、貴女は此処に残りなさい。これは、私が決着を着けなければならぬ事なのです」

 

「ですが」

 

「ルイズ、これは命令です。此処に残りなさい」

 

 少し厳しさを感じさせるアンリエッタの声に、ルイズは戸惑った表情を浮かべながら頭を垂れた。肯定の意である。

 アンリエッタはそんなルイズに小さく頷き再び歩き出そうとするも、それを遮ったのは意外にも桐生であった。

 

「悪いが、此処まで付き合わされて待ってろなんて命令は聞けないな。俺達も行かせて貰う」

 

 桐生の思いがけない言葉にルイズが顔を上げて驚いた表情を浮かべた。

 アンリエッタが戸惑った様に言葉を詰まらせると、横からアニエスが剣を引き抜いて桐生に切っ先を突き付けた。

 

「これは陛下の、この国の問題だ。国も背負わぬ一介の平民がしゃしゃり出るな」

 

 強い口調で話すアニエスをマジマジと眺めた後、桐生は向けられた切っ先を強く指で摘んで見せた。

 アニエスは怪訝な顔で桐生を見ながら剣を引こうとするも動かない。物凄い指圧で刃を摘む桐生の指が剣の自由を奪っていた。

 

「貴様……!」

 

「なら尚更、ただ此処で待つ訳にはいかないな。このお姫様を守るのが直属の女官であるルイズの仕事だろう? ルイズと一緒に俺もお姫様を守るぜ」

 

 アニエスが忌々しげに桐生を睨みつけるも、一切引かずにその瞳を見つめ返し語る桐生。

 緊張に満ちた沈黙の中、アンリエッタが小さな溜め息を漏らしながら頷いた。

 

「わかりました。では、ルイズとカズマさんにも護衛をお願いします」

 

「陛下っ! 一般の人間を巻き込んでは!」

 

「確かにただの一般人ならば、私も決して護衛を頼んだりはしません。ですが、この二人の強さを私は知っています。特に彼は……カズマさんは、一介の平民ではありません。武術に長けています」

 

「……確かに、ただの平民ではない様ですが」

 

 アンリエッタの肯定に否定的な意見を漏らしていたアニエスも、長年の戦いの経験から桐生が只者ではないのを見抜いてはいた。

 納得はいかないが、アンリエッタの決めた事に否定は出来ない。諦めた様に剣を握る力を弱めると桐生も刃を離して解放した。

 

「精々怪我をせぬ事だ、大男」

 

 苛立ちを含んだ声で言った後、アニエスは剣を鞘に収めて腕を組んだ。

 

「では、参りましょう」

 

 マンティコア隊による劇場の包囲が完了した報せを受け、改めて歩き出したアンリエッタの後ろにアニエスと桐生、そしてルイズが続いた。

 

「ねっ、カズマがあんな事言うなんて珍しいじゃない?」

 

 アンリエッタに続いて歩いていたルイズが、桐生のジャケットの袖をクイッと引いて小声で投げかけた。

 

「何か姫様とあったの?」

 

「そんなんじゃない。ただまぁ……気になる事はあるがな」

 

 桐生は敢えてはぐらかす様な言い方でその会話を終わりにさせた。

 桐生の中の何かがこの劇場に渦巻くドス黒い気配を察知したのだ。そしてその気配は、物凄く近い所からも漂っていた。

 

 

 薄暗い照明の中、幕が上がり、芝居が始まった。

 女性向けの芝居の為、ちらほら見える観客はみな女性ばかり。恐らく役者の誰かしらのファンであろう、女性達の黄色い声が飛び交った。舞台では煌びやかに着飾った役者達が悲しい恋の物語を演じていた。

 リッシュモンは役者の行動一つ一つの度に上がる観客の耳障りな黄色い声に苛立ちを覚えていた。待ち合わせの人物が中々来ない事も苛立ちを大きくさせていた。

 リッシュモンの頭の中には今目の前で演じられている劇よりも、待ち合わせの人物に投げかける質問の事で頭が一杯だった。

 今回の女王失踪はアルビオンによるものか。それとも全く別の組織によるものか。いや、もしかしたら自分を裏切って奴が勝手に動いたのかもしれない。何にしても面倒な事になったとリッシュモンは額に手を当てて溜め息を漏らした。

 不意に、隣の席に誰かが腰かけた。

 リッシュモンはチラリと横目に座った人物を眺めたが、待ち合わせの人物ではない。フードを深く被った、若い女性の様だ。

 リッシュモンは軽く咳払いをして見せるが、隣の女性は席から立とうとしない。今はあまり他人に関わりたくないが、致し方なく思って声を掛けた。

 

「失礼。そこは連れが座る席なので、どうか他所の席で劇を観てもらえないだろうか?」

 

 たしなめの言葉を掛けるも、女性は席から立とうとしない。

 全く近頃の若い娘は……とリッシュモンは一人内心呟きながら、少しを身を乗り出して再度女性に話し掛ける。

 

「聞こえませんでしたかな、マドモアゼル? そこは私の連れの」

 

「そんな事を仰らず、観劇のお供をさせて下さいまし。リッシュモン殿」

 

 クイッとフードを捲りながらたしなめの言葉を遮ったその女性はアンリエッタだった。

 リッシュモンは予想外の人物の登場に面食らった表情を浮かべてから、すぐさま心配そうに辺りを見回して声を潜めた。

 

「陛下、行方不明と聞いて心配しておりました。一体何処にいらっしゃったのです?」

 

 リッシュモンの問いに答えず、アンリエッタは真っ直ぐに劇を眺めながら口を開いた。

 

「これは女性向けの芝居、殿方が観に来る内容ではないと思いますが?」

 

「なに、つまらなかろうが趣味に合わなかろうが、芝居に目を通すのも仕事の一つですので」

 

 落ち着き払ったリッシュモンの言葉にアンリエッタは小さく笑った。

 

「なるほど。では劇場での密会も仕事の内であると? ……考えた物ですね。貴方は高等法院長、芝居の検閲も職務の内故に、ここに貴方が居ても誰も疑問には思わない。これ程にない隠れ蓑ですわ」

 

「先程から仰ってる言葉の意味が分かり兼ねますな。密会とは……一体私が誰に会うと言うのです? まさか愛人などとは申しますまいな」

 

 リッシュモンは愉快そうに笑って見せるが、アンリエッタの顔にはもう笑みはない。鋭い狩人の瞳が力強く光を秘めていた。

 

「貴方が先程仰った連れの方なら待つだけ無駄というもの。何せ偽造された切符でこの劇場に入ろうとしたものですから。民の娯楽の場を汚す様な真似は許されてはなりませんからね」

 

「これは驚いた。切符売りは何時から王室の管轄に?」

 

 アンリエッタはこの下らない上っ面のやり取りに嫌気が差した様に深く溜め息を吐いてから、リッシュモンを鋭い目付きで睨み付けた。

 

「お互い下らぬ腹の探り合いはもう止しましょう。貴方と今日此処で密会の予定を控えていたアルビオンの密使は昨夜逮捕しました。彼は洗いざらい話してくれましたよ。今頃はチェルノボーグの監獄で手厚くもてなされている筈です」

 

 アンリエッタは一気にリッシュモンを追い詰めに掛かった。

 アンリエッタの剣幕に一瞬キョトンとしたリッシュモンは次の瞬間、高らかな笑い声を上げた。幸か不幸か、その笑い声は劇に夢中な他の観客達には聞こえなかった。

 

「なるほどなるほど! お姿をお隠しになったのは、私を誘き寄せる餌だったと言う訳ですな!」

 

「その通りですわ。そして、貴方はその餌にまんまとかかったのです、高等法院長」

 

「私は陛下の掌で踊らされていた、そういう事ですか!」

 

「本当に……本当に残念ですが、その通りです」

 

 リッシュモンは今迄見せた事のない、邪悪な笑みを浮かべてアンリエッタを見た。その欲望に染まり切った下衆な視線に、アンリエッタは堪らない不快感を覚えた。

 

「私が消えれば必ず貴方は密使と接触する筈、そう考えました。自分達以外の組織が私を狙っている……貴方達にとってこれほどの事件はありませんからね。焦ってしまえば、誰であろうと必ず慎重さを欠きます。それが利口なキツネだろうと、日向を歩かぬネズミだろうと」

 

「ふむ、確かに。それで、一体何時から私が怪しいと?」

 

「確証はありませんでした。貴方も大勢の容疑者の一人でしかありませんでしたから。でも、私に注進してくれた者がおりましたの。あの夜、手引きしたのは貴方で間違いないと」

 

 アンリエッタの声は徐々に疲れたものへとなって行き、寂しさを秘めたものへとなって行った。

 

「信じたく……信じたくありませんでした。貴方が、王国の権威と品位を守るべき高等法院長が、この様な売国の陰謀に加担するなど。幼い頃から私を可愛がってくれた貴方が……私を敵に売るなど」

 

「陛下は未だ私にとって、無知な少女に過ぎません。そんな小娘に国を任せるなら、アルビオンに支配された方がこの国の為になる。違いますかな?」

 

「私を可愛がってくれた貴方は偽りの姿だったのですか? 貴方の優しさは……全て嘘だったのですか?」

 

「主君の娘を可愛がらない家臣等居る筈が無かろうに。そんな事も気付けぬから、貴方は子供なのだ」

 

 アンリエッタは息を止めて瞳を閉じた。

 自分は一体何を、どれを、誰を信じれば良い? 嘘と裏切りが支配する中で自分を保っていけるのだろうか。いや、嘘は兎も角、裏切りはなかった。この男は出世の為に自分を利用してきただけに過ぎない。

 惑わされるな。騙されるな。真実を見抜け。揺れぬ心を持て。それが、王の条件なのだから。

 アンリエッタは瞳をゆっくり開くと、毅然とした態度で口を開いた。

 

「貴方を女王の名の下に罷免します、高等法院長。抵抗などせず、大人しく逮捕されなさい」

 

 しかしリッシュモンは余裕の表情のまま、芝居へと顎をしゃくって見せる。

 

「何を申される。まだ芝居は途中、最後まで観ずに退場するのは役者に失礼ではありませんかな?」

 

「この劇場は魔法衛士隊が既に包囲しています。貴方も貴族の端くれなら、潔く杖を渡しなさい」

 

「やれやれ、小娘の分際でいきりよる。私を罠に掛けたつもりなのだろうが、生憎罠に掛かったのはお互いなのだよ」

 

「何ですって?」

 

 リッシュモンはニィッと笑うと手をポンッ、叩いた。

 瞬間、芝居を演じていた男四人、女二人の六人の役者達は突然動きを止め、衣装に隠されていた杖を取り出してその先をアンリエッタに向けた。

 突然の出来事に、観ていた観客達から悲鳴が上がった。

 

「騒ぐな! 芝居は黙って観るものだろうが!」

 

 本性を剥き出しにした、乱暴な声でリッシュモンが叫ぶ。

 観客達が怯えて声を出せない中、アンリエッタは落ち着いた口調で呟いた。

 

「役者はみな、貴方のお友達と言う訳ですか」

 

「左様。みな一流の使い手です」

 

 リッシュモンはアンリエッタの手を握りながら言う。その脂ぎった感触にアンリエッタは鳥肌が立つのを感じた。

 

「今回の脚本は、貴女を人質にとって、アルビオン行きの船を取る。そして貴女を手土産にアルビオンへ亡命。役者はアルビオン、舞台はトリステイン、そしてヒロインは貴女だ。最高の喜劇ではありませんかな?」

 

 楽しそうに笑うリッシュモンに、何処までも冷たい瞳で見つめるアンリエッタが口を開く。

 

「念の為、忠告します。貴方にとってあの大根役者なお友達が大切なら、今すぐ杖を下ろさせなさい。さもないと、私の頼もしい二人の護衛が貴方のお友達を痛めつける事になりますよ?」

 

 アンリエッタの言葉をハッタリと捉えたリッシュモンは高らかに笑いながら首を振った。

 

「何を馬鹿な! 脚本家である私の演出にその様な者はありませんぞ? 助けが来た所で、最早手遅れだろうが!」

 

「そうですか……」

 

 アンリエッタは小さな溜め息を吐いてから、劇場に顔を向けて手を挙げた。

 

「ならば、今から私が脚本家となりましょう」

 

 呟きながら手を下ろした瞬間、女性役者二人の間で小さな爆発が起きて、それぞれが左右へと吹き飛んだ。客席にこっそりと潜んでいたルイズの「エクスプロージョン」ある。

 突然の出来事に男の役者達が慌てた様に顔を見合わせた瞬間、疾風の如く現れた灰色の塊が一人の顎を強く打ち上げた。その塊は一瞬の硬直の後、二人目へと駆け出して左頬を殴ってよろめさせてから、顔面に拳を叩き込んで吹き飛ばした。その塊を確認しようとしたもう一人の男は次の瞬間、鋭い肘の突きに為す術なく吹き飛ばされる。

 漸くその灰色の塊を目視出来た最後の一人が杖を向けるも、杖を握った手首に鋭い手刀を叩きつけられ、痛みから前屈みになった所に容赦ない拳が顔面を打ち抜いた。

 我流喧嘩体術、「驚愕の極み」。目にも留まらぬ速さで次々と敵を薙ぎ倒す対多人数用の必殺拳だ。

 

「撃ち方用意!」

 

 灰色の塊、桐生が役者達を薙ぎ倒したのを確認したアニエスが声を挙げると、今迄怯えていた観客達が一斉に懐から銃を取り出してリッシュモンにその銃口を向けた。

 劇場の客全員は、実は銃士隊の隊員達であった。平民の女性で構成されている為杖を持たぬ以上、彼女達を見抜けるのは余程の眼力でないと不可能であろう。

 自分の手駒が一瞬の内に倒された事に頭がついて行かずにポカンとしているリッシュモンの手を乱暴に振り払って何処までも冷たい声で話し掛けた。

 

「カーテンコールですわ、リッシュモン殿」

 

 リッシュモンはその場に崩れる様に膝を突いた。

 

「ま、まさか……こんな小娘に、裏をかかれるなど……」

 

 絶望しきった様子で呟くリッシュモンを他所に、アンリエッタが軽く手を挙げると、銃士隊の隊員達がその太った身体を拘束した。

 その様子を、アニエスは剣の柄に手をかけながら見つめていた。

 

 

 役者だったアルビオンのメイジ達が気絶しているのを確認してから劇場から飛び降りた桐生は、隠れていた客席から飛び出して来たルイズと落ち合った。

 

「やったわね、カズマ! お手柄じゃない!」

 

 嬉しそうに言うルイズの頭を撫でながら拘束され立ち上がらされたリッシュモンと、アニエスへと視線を向けた桐生は首を振った。

 

「いや、まだだ」

 

 小さく呟いた桐生の言葉に首を傾げるルイズを他所に、桐生は一直線に駆け出した。

 

 

「チェルノボーグへ連行しなさい。そこで自分の犯した罪を償わせるのです」

 

 アンリエッタの命令に銃士隊の隊員が頷くと、脱力気味のリッシュモンを歩かせて劇場の外へと向かった。

 アニエスはリッシュモン達が向かって来る通路の先で、血走り憎悪の籠った眼でリッシュモンを睨み付けたまま剣を引き抜くと、一気に駆け出した。

 雄叫びを上げながら突進するアニエスに、アンリエッタと銃士隊は訳が分からず硬直し、リッシュモンは恐怖に満ちた眼でアニエスを見詰めながら悲鳴を上げた。

 憤怒と憎悪に任せたまま、剣をその醜い身体に目掛けて振り下ろす。が、剣は途中で動きが止まった。

 リッシュモンとアニエスの間に割って入った桐生が、アニエスの剣を掴んだのだ。強く握られた刃に掌から滲み出た赤い血が伝っていき、ポタポタと床に敷かれた絨毯に零れ落ちていく。

 

「っ!? 退けっ!」

 

「断る!」

 

「退けぇっ!」

 

 刃を離させようと剣を引くアニエス。しかし桐生も痛みに耐えながら懸命に刃を掴んで剣の自由を奪う。

 

「馬鹿な真似は止めろ! 此処でこいつを殺して何になる!?」

 

「お前なんかに何が分かる! その男は私の故郷を! 仲間を! 家族を金で売り、殺した男だ! 法による裁きなど必要ない! 今此処で、私の手で殺してやる!」

 

 憎悪に染まったアニエスの瞳は何処までもギラギラとしていて、何処までも悲しかった。

 その瞳は、今迄戦ってきた「復讐者」達を思い出した。やり場のない怒り、決して消える事のない憎しみ。それだけに囚われ、大切な物を見失ってしまった者達を。

 

「今此処でこいつを殺して、復讐を果たして、それでお前の何になる?」

 

「そんな事知った事か! ただ私は、故郷を失ったあの日から! こいつを殺す事だけを目的に生きてきたんだ! こいつを殺せるなら、何を失っても――」

 

「逃げるんじゃねぇっ!」

 

 言葉を遮り怒鳴り声を上げる桐生に、アニエスはビクッと身体を震わせた。

 

「復讐を逃げ道に使うんじゃねぇ! 何を失ってもだと? お前を生んだ親が、そんな事望む訳ねぇだろうが!」

 

 怒鳴りながら乱暴に剣を投げる桐生の力に、アニエスの身体が引っ張られて後ろへ尻餅をついた。

 瞳の端に涙を浮かべながら睨み付けてくるアニエスを、桐生は真っ直ぐ見つめ返した。

 

「アニエス、って言ったよな? 人間は長い事暗い道を歩いていると、この先もずっと暗いものだと思っちまう。そして次第に、先に進む事が嫌になっちまう。そして全てがどうでも良くなっちまうんだ。お前は、何時まで復讐なんて暗い道の中で彷徨い続けてる? お前にとってこの男が許せないなら、この男と同じ様な奴を作らない為に一歩前に行くべきじゃねぇのか?」

 

 アニエスは悔しそうに黙ったまま桐生を見上げていたが、ゆっくりと頭を垂れた。

 そんなアニエスを見詰めていた銃士隊の隊員達は、一斉にアニエスに駆け寄り、心配そうに声を掛けた。

 

「隊長、大丈夫ですか!?」

 

「貴様っ! よくも隊長を!」

 

 まるでアニエスを庇う様に前に立ち、剣を引き抜いて桐生を睨み付ける隊員達。

 そんな隊員達を見回してから、桐生は小さな笑みを浮かべた。

 

「見ろ、アニエス。お前を守ろうと、こんなにも仲間が手を差し出してくれるじゃないか。何を失っても、なんて二度と言うな。誰かの上に立った以上、お前の身体も、命も、お前だけの物じゃねぇんだよ」

 

 そう言って桐生はアンリエッタに顔を向けて小さく頷くと、心得ていた様にアンリエッタも頷いて、隊員達と共にリッシュモンを外の馬車へと連行した。

 

「カズマ! 大丈夫!?」

 

 事の成り行きを見守っていたルイズが桐生に駆け出すと、桐生は掌の傷を舌で舐めてから苦笑した。

 

「大丈夫だ。だが、痛みはそれなりにある。店に戻って手当てしなきゃな」

 

「だったら、早くお店に!」

 

 袖を引っ張りながら焦るルイズに、桐生は優しく頭を撫でてから未だ此方に剣を向けたままの隊員達へ視線を向けた。

 

「そいつを、お前達の隊長を頼む」

 

 隊員達は思いがけない言葉に戸惑った表情を浮かべた後、強く頷いた。

 桐生達が劇場から出た後、黙ったまま俯いているアニエスに隊員の一人が声を掛けた。

 

「隊長、我々には、隊長が過去に何があったかは知りません。我々は今この場で何が起きても記憶しませんし、見ても居ません。今は……今だけは、自由になって下さい」

 

 そう言って隊員達が皆で頷き合うと、それぞれが背を向けたままアニエスを丸く囲った。まるで、誰にも中を見せぬ様にする為に。

 

「…………うっ、ううっ! うわあああああああああああっ!」

 

 小さく漏れた嗚咽はやがて大きくなり、アニエスは顔を上げて大声で泣いた。久しく頬を伝った涙は冷たく、未だ消える事のなく燃え続ける復讐の炎を少しだけ小さくした。

 

 

 リッシュモンの逮捕劇から三日後。

 相変わらず桐生は厨房で皿洗いをし、ルイズは接客にと大忙しだった。

 何時もの様に仕事に精を出していると、羽扉が開いて新しい客が入って来た。二人組みだが、深くフードを被っている為顔は分からない。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 慣れた動きで元気良く言いながら注文取りにルイズが二人組みに近づくと、一人がフードを軽く上げて顔を見せた。

 

「アニエス!」

 

 アニエスは指を唇に当ててから小声で囁いた。

 

「二階に部屋を頼む」

 

「貴女が居るって事は、もう一人は……」

 

「ええ、私ですわ。ルイズ」

 

 もう一人の人物、アンリエッタの声を聞いたルイズはすぐさまスカロンに頼んで二階に部屋を取ってもらった。

 

 

 用意された部屋に桐生を連れて四人で入ると、アンリエッタとアニエスがフードを取って席に着いた。

 

「さてと、ルイズ……先ずは貴女にお礼を。貴女が集めて下さる情報は役に立っていますわ」

 

「えっと……送っといて何ですが、あんなので大丈夫だったんですか?」

 

 送った情報には確かに政治に関するものもあるが、殆どが他愛ない街の噂や平民からの批判等だ。役に立っていると言われてもイマイチ実感が湧かなかった。

 

「あれで良いのです。民の正直な意見をそのまま送ってくれるのが大事ですから。まだまだ若輩の身、批判はあって当然です。しかし、それに負けぬ様に自らを磨き上げる為にも、その批判を聞かなくてはなりません」

 

 ルイズはアンリエッタが頼もしく見える反面、少し寂しさを覚えた。もう自分の知っている姫様ではない様な、別の誰かになってしまっていく様な……。

 

「それと、貴女の使い魔さんを勝手にお借りしてしまった事を謝らなくてはなりませんね。本当にごめんなさい」

 

「全くですわ。私を除け者にされるなんて」

 

 ルイズは詰まらなそうに言いながら頬を膨らませた。そんなルイズを、桐生が頭を優しく撫でて宥めた。

 

「貴女を巻き込みたくなかったのです。裏切り者を、罠に仕掛けるなんて危険な事を……」

 

「高等法院長が、裏切り者だったんですよね?」

 

 アンリエッタは内密に事を進めていたが、秘密はいずれ漏れるもの。リッシュモンがアルビオンの間諜である事は既に噂になっていた。

 

「その通りです。それと、もう一つ気掛かりな事が。アニエス」

 

 アンリエッタが声のトーンを落として言うと、アニエスが頷いて口を開いた。

 

「実はチェルノボーグへ輸送中だったリッシュモンが、何者かに殺害された」

 

「何だと?」

 

 今迄黙っていた桐生が眉を潜めて言葉を発する。

 アニエスは桐生へ顔を向けると首を振った。

 

「護衛に当たっていた兵もろとも、殺害されていた。リッシュモンの口から秘密が漏れるのを恐れたアルビオンの者の仕業だとは思うが……犯人の特定は出来ていない」

 

「リッシュモンの屋敷を家宅捜査しましたが、使用人も全て殺害されていました。アルビオンの者とは断定出来ませんが、仕事が早過ぎます。油断出来ない敵がいるかもしれません」

 

 重たい空気が嫌になったのか、アンリエッタは小さな溜め息を漏らした後にアニエスに手を差し伸べた。

 

「そう言えば、正式な紹介がまだでした。彼女はアニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン殿です。女性ですが、剣も銃も男勝りな銃士隊の隊長です」

 

 アニエスは立ち上がると桐生とルイズに深く頭を下げた。桐生も軽く会釈し、ルイズも慌てた様に小さく頭を下げた。

 そして今度は桐生とルイズに手を差し伸べた。

 

「ルイズとはもう面識があると話していましたね。其方の殿方はキリュウ・カズマ殿。人間ですが、ルイズの使い魔であり、頼もしい方です」

 

 アニエスはジッと桐生を見詰めた後、瞳を閉じて小さく頭を下げた。

 そんなアニエスの姿に、桐生は苦笑しながら腕を組んだ。

 

「さぁ、堅苦しいお話はここまでにして、祝杯を挙げましょう! 今回の事はまだ解決したとは言い切れませんが、今は皆無事にこの場にいる事を祝いましょう!」

 

 アンリエッタの言葉を聞いた桐生はルイズを座らせ、持って来ていたワインをグラスに注いでそれぞれの手に渡して席に着いた。

 

「始祖ブリミルの加護の元、この場に信頼出来るお友達と共に居られる事を祝って!」

 

「「「「乾杯!」」」」

 

 アンリエッタの音頭の後、四人のグラスがカチリと重ねられた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。