ゼロの龍   作:九頭龍

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働く理由


第34話

 初仕事を終えて簡単な賄い食を貰った二人はスカロンに使って良いと言われた部屋へと向かった。が、そこは二階の客室が並ぶ廊下の奥の扉……しかも扉の先のはしごを上って入る屋根裏部屋だった。

 本来人が住む場所ではない為、樽や木箱が散乱し、あちこちには蜘蛛の巣が張られている。歩くだけで舞い上がる埃にルイズは豪快なくしゃみをした。

 部屋の隅に置かれたベッドにも埃が積もっており、桐生が毛布を剥ぎ取るとバサバサと振って埃を落とす。

 

「何なのよ、この部屋! こんな部屋で寝れる訳ないじゃない!」

 

 忌々しげに辺りを見回して怒鳴るルイズを無視して、桐生は小さな窓を開けた。

 夜明けの冷たい空気と共に、この部屋の先住民らしい蝙蝠が入って来て梁にぶら下がり、キィキィと小さな鳴き声を上げる。

 

「何よ、こいつ等!」

 

「俺達の同居人だろ?」

 

 桐生は軽く部屋を掃除して蜘蛛の巣をはらうと、ベッドに横になった。

 

「お前もさっさと寝ろ。昼から起きて俺は店の仕込み、お前は掃除だ。少しでも休まなきゃ身体がもたないぞ?」

 

「何であんたは順応してんのよ!?」

 

「雨風をしのげて、しかもベッドで寝れるんだ。世の中には自分からなった奴もいるが、中には全てを奪われて雨風に晒されて寝なきゃいけない奴もいる。それに比べれば良い待遇だ。とにかく、俺はもう寝るぞ」

 

 毛布を被ってゴロンとルイズに背を向けた桐生は、すぐさま小さな寝息を立て始めた。

 ルイズは何度も部屋を見回して唸った後、ベッドに上がって毛布の中に潜り込み、桐生の背中にこつりと額を当てた。

 確かに酷い場所だ。自分の部屋から比べたら、不潔で不衛生極まりない。しかし、それでも一つだけ喜ばしい事がある。

 ここにはあのメイドが……シエスタが居ない。

 桐生に告白して振られたにも関わらず、まだ諦めていないと言った。更には、自分から桐生を奪うと言った。

 私は別に……あのメイドになんか負けたりしないけど。

 心の中でポツリと呟きつつも、ルイズの中ではシエスタの存在は大きな脅威に成りつつあった。

 身体を動かして、桐生にピッタリとくっつくルイズ。その大きな身体から伝わる温もりと匂いに瞳を閉じる。

 ねぇ、カズマ? 私がシエスタみたいに告白したら……あんたは、やっぱり私を振るの?

 自分が桐生に振られる姿は想像するだけでも胸が痛くなる。面と向かって告白し、振られたシエスタの痛みはこんなものでは無かっただろう。自分が同じ痛みを味わったら……正気でいられる自信はない。

 自分でも気付かぬ内に、桐生のシャツを強く握り締めながらルイズはネガティヴな考えを頭から追い出した。

 今はともかく、任務に集中しよう。街の噂を逐一姫様に報告しなくては。

 疲労と安らかな温もりに包まれ、ルイズの思考は徐々に眠りに落ちて行った。

 

 

 その日の夜も、「魅惑の妖精」亭は繁盛していた。

 ルイズはげんなりした表情で店の隅に立ちながら料理やワインが運ばれていく店内を眺めていた。

 ルイズを見た客の反応は二つだった。

 一つはその身長と体型から、餓鬼が一丁前に仕事をしていると冷やかすタイプである。どの客も決まって馬鹿にするのは、店の中でダントツに小さいルイズの胸だ。

 そんな客にルイズは青筋を浮かべた笑顔でワインをサービスするのであった。それはもう、良く味わえる様に瓶ごと呑ませてあげるのだ。

 もう一つは特殊な性癖を持ったタイプだ。ルイズはスタイルはともかく、容姿だけなら店の中でもトップクラスに入る。そういう趣向をお持ちの方々にはルイズは大変喜ばしい存在なのである。

 客は決まって小さなルイズを舐めてかかり、その小さな尻や短いスカートから覗く白い太腿を撫でようと手を伸ばしてくる。

 そんなお客様にはルイズは平手打ちのサービスをお見舞いする。満遍なく両頬に。

 そんな訳で愛想の一つも言えないルイズにスカロンは、

 

「貴女はここで他の子の働き方を見て学びなさい」

 

 と言い、ルイズは此処に追いやられたのである。

 店内を動き回る他の女の子達を見て、なるほど、とルイズは所々素直に感心した。

 まず、基本的にニコニコと笑顔を浮かべて相手の愚痴や悪口を聞き流している。かと思えば突然相手の容姿や性格を褒めたり、色っぽい仕草で甘えて見せたりと男心を擽る。

 そして客が身体に触れようとするとその手を優しく払い除け、時には焦らす様に、時には申し訳なさそうにしながら断りを入れる。その際にはもっとチップをはずんでくれたら……とか、私が店一番の売れっ子になれたら……と一言漏らし、そんな娘達の気を引きたい酔っ払った客はチップをドンドン出してくるのだ。

 見事だと思いながらも、貴族の自分にあんな事出来る訳ない、とルイズは溜め息を漏らした。

 メイジは貴族、生まれは公爵家なルイズだ。仮に明日世界が滅亡すると言われても、あんな愛想が振りまける訳がない。

 不意に、ルイズは店の隅に置かれた鏡に気付いて其方に視線を向けた。

 写っているのは自分。恥ずかしい格好をしている、自分。しかし、紛れもなく美しい。

 溢れ出る気品さ。まだまだ成長の兆しを見せる身体。艶やかで綺麗な桃色の髪。

 ルイズはおもむろに、鏡の前で様々なポーズをしてみた。腰に両手を当ててウインクしてみたり、親指を咥えて上目遣いにモジモジしてみたり。

 うん、可愛い。恥ずかしい格好してるけど、私可愛い。

 ナルシスト全開にルイズは自分の容姿に酔いしれた。

 うん、やっぱり可愛い。私、見た目は結構……いや、かなりイケてるはず! カズマだって男だもん。こんな私なら見惚れるはず! でもカズマ、あんたは私の使い魔なんだから、私に見惚れて当然なの! と言うか私だけを見てれば良いの!

 自分に見惚れる桐生の姿を想像して、ルイズは思わず口元に笑みを浮かべながらチラリと厨房で働く桐生へと視線を向ける。

 瞬間、ルイズの時が止まった。

 厨房の洗い場で真剣な表情で皿を洗う桐生。昨日ジェシカに教わった洗い方のお陰で、流れる様に汚れた皿が綺麗になって積まれていく姿は一見プロ染みて見える。時折額から流れる汗をシャツの袖で拭う姿は、無意識に恋する乙女の視線で眺めるルイズには堪らなくセクシーにすら見える。

 ルイズの頬が自然と赤らみ、胸の鼓動が大きくなり始める。

 な、何よ何よっ! ちょっとカズマあんた……か、かっこいいじゃない! ほ、ほんのちょっとよ!? ほんのちょっとだけれども!

 見惚れさせる筈が逆に見惚れてしまったルイズは、一人訳も分からず弁解する。

 そんな桐生を見ていたら、不意に他の人物が桐生に近付くのが見えた。

 スカロンの娘、ジェシカだ。桐生に声をかけて、何やら話したかと思うと口元に手を当て身体を揺らして笑っている。その揺れに比例して、黒く長い髪や胸元から覗く胸の谷間も揺れている。

 ジェシカの黒髪と胸はシエスタを連想させ、二人が話しているのを見て、ルイズの中で灼熱のマグマが噴き上がる。

 黒髪、胸。黒髪、胸。黒髪っ! 胸っ!

 黒髪はまだ良い。が、胸の事は散々客に言われていた事もあって、ルイズの中のマグマは火山噴火よろしく大きく噴き上がった。

 貴様等男はそんなに胸が好きか! そんなに脂肪の塊の大きさが大事か!

 ルイズの桃色の髪がざわつき、怒りの篭った視線が完全に桐生に向かっている。

 

「ちょっとルイズちゃん! 何処を見てるの!?」

 

 不意に掛けられた声に慌てて視線を向けると、腕を組んで怒った表情で此方を見ているスカロンが目の前に立っていた。

 

「駄目じゃないの! ちゃんと他の子から働き方を学ばなきゃ! それとも余所見出来るくらいに働き方がわかったの!?」

 

「えっ? あっ、え、えっと……ご、ごめんなさい……」

 

 桐生への怒りとスカロンからの叱咤に混乱したルイズは小さくなりながら謝罪の言葉を口にする。

 

「いい、ルイズちゃん? 仕事が出来ないのは仕方ない事よ。いきなり完璧に働いて貰おうなんて私も思ってないわ。でもね、少しでも覚えようと努力もしないのは良くないわ。貴女が苦労しているのはお父さんから聞いているけど、一度仕事に出ればそんな事は関係なくなるの。人にはそれぞれ事情があり、そんな中で仕事をしているんだから。だからこそ私は誰も甘やかさない代わりに、誰もを平等に扱わせて貰ってるの」

 

 スカロンはそう言うと、ルイズの肩を掴んで視線を合わせる様に屈み込んだ。

 

「この際だからハッキリ言うわ。ルイズちゃん……苦労したからって、何時までも甘えないで」

 

 ルイズはギュッと拳を握り締め、スカロンを睨み付けた。

 何で私があんたに……平民のあんたなんかに説教されなきゃいけないのよ!

 ルイズの視線を真っ直ぐに受け止めたスカロンは口元に笑みを浮かべ、何時もの女口調ではなく、声も地声に戻して言った。

 

「俺に説教されて悔しいか? だったら俺を見返してみろ。そして、その悔しいと思う感情を忘れるな。その感情があれば、お前は何時でも俺を見返すチャンスがある」

 

 それだけ言って立ち上がると、スカロンは客の元へと向かって行った。

 一人残されたルイズは痛くなるくらいに拳を握り締め、久しく流れた悔し涙に頬を濡らした。

 

 

 スカロンと何か話していたらしいルイズを見て、桐生は手の動きを止めて小さく溜め息をついた。あの様子では、どうやら何か怒られたらしい。

 少し心配そうにルイズを見るも、桐生はすぐさま皿洗いを再開した。ルイズを心配するのは仕事が終わった後だ。今はこの大量の皿を磨くのが先だと自分に言い聞かせた。

 

「ルイズ、何かやらかしちゃったみたいね」

 

 まだ桐生の側にいたジェシカがルイズを見ながら言う。

 桐生はああ、と短く返事を返して視線は今磨いている皿から離さなかった。

 ふと、ジェシカが昨日の様に桐生のシャツの袖をクイッと引いた。

 

「ね、カズマ。ちょっと話したい事があるからあたしの部屋に来てくれない?」

 

 囁く様に言うジェシカに視線を向けた桐生は訝しげな表情で首を傾げた。

 

「まだ仕事中だろ。仕事が終わってから聞いてやるよ」

 

「ううん、今話したいの。大丈夫、パパには休憩って名目で一旦抜けさせてあげるから」

 

 尚も食い下がるジェシカに少し面倒そうに溜め息を漏らしてから、桐生は仕方ないとばかりに頷いて見せた。

 ジェシカは顔を輝かせながらスカロンの元へと駆け寄ると、何やら話をした後桐生の元へと戻って来た。

 

「オッケーだってさ。じゃ、こっち来て」

 

 泡にまみれたままの桐生の腕を掴んでグイグイと引っ張りながら歩くジェシカ。桐生は溜め息をつきながらされるがままについて行った。

 

「ここがあたしの部屋。ほら、入って」

 

「……ああ」

 

 招かれるまま桐生は部屋の中へと入った。

 ジェシカの部屋は、思っていたよりも片付いていた。少し大きめの机の上には本が重ねられ、所々から付箋がはみ出している。恐らく仕事用とプライベート用が詰まれているであろう箪笥の横には全身を写す為であろう長めの鏡が立て掛けられている。

 

「ま、立ち話じゃせっかくの休憩も台無しになっちゃうしね。座ったら?」

 

 机にしまわれていた椅子を出して桐生に腰掛ける様に勧めたジェシカはベッドにポスンと腰掛けた。

 昼間の仕込みから立ちっぱなしだった桐生は素直に椅子に腰掛け、溜め息を漏らしながら身体を軽く伸ばした。

 

「で、話って何だ?」

 

 煙草を吸いたく思うもここがジェシカの部屋である為ポケットに入れようとした手を引っ込めながら尋ねる桐生。

 そんな桐生にジェシカは突然ニヤニヤした笑みを浮かべ始めた。

 

「あたしぃ〜、わかっちゃったかも」

 

「何がだ?」

 

 何処かもったいぶった様子で話すジェシカに桐生は首を傾げた。

 

「ルイズの事。あの子、貴族なんでしょ?」

 

 ジェシカの言葉に、桐生は無表情のまま黙り込んだ。

 そんな桐生にジェシカは手を振って見せる。

 

「とぼけなくって良いの。あたしはね、このお店の女の子の管理を任されてるのよ。だから女の子を見る目にはちょっとした自信があるの。ルイズってばお皿の運び方も知らないし、そのくせ妙にプライド高いし……それと、あの物腰。あれは貴族独特の感じがしたわ。あたしもこのお店で働き出して長いけど、あんな優雅な物腰なのはそこらじゃいないもの」

 

「……どうだろうな。生憎、俺はあいつを引き取った身だ。だからあいつの出生や育った環境まではわからねぇ」

 

 ある意味では嘘ではない言葉を紡ぎ、話をはぐらかす桐生。

 しかし、一度火の点いたジェシカの好奇心は治らない。

 

「だから、とぼけなくって良いって。何か事情があるんでしょ? でもルイズが貴族となると……カズマは従者か何か?」

 

「……何度も言うが、俺はあいつを引き取った身だ。だからあいつが貴族かどうかも知らねぇし、興味もねぇ。ただあいつが真っ当に生きてくれれば、それで良い」

 

 これも嘘ではない。実際今回の一件、ルイズには人として色々勉強させたいと思っていたのもあってこの場所に厄介になる事にしたのだ。

 貴族と言う概念に囚われない、貴族以上の貴族になって貰う為に。

ジェシカはジッと桐生の顔を見つめた。まるで嘘を探るかの様に。

 

「なんか、カズマって分かりにくいわね。嘘だけをついている訳じゃないみたいだし……でも、何か隠してるのは分かるわ。こちとら鋭いタニアっ子なんでね」

 

 桐生はその言葉に対して口をつぐんだ。

 神室町でもそうだったが、夜の街を長く生きている人間は観察力が人一倍高い。客の性格、クセ、好み等を的確に覚え、それに応えなければ生きていけないからだ。

 桐生がこれ以上は簡単に口を割らないと判断したジェシカは、急に立ち上がって黒く長い髪を掻き分け、色っぽい笑みを浮かべて見せた。

 そこには少女だと思っていたジェシカは居なく、夜の世界を生きる女の顔をしたジェシカが立っていた。

 

「ねぇ、カズマ……」

 

 ジェシカはゆっくり桐生に近付き、そのまま椅子に座る桐生の膝の上に腰掛け小声で囁いた。

 柔らかくシエスタ程のボリュームのある胸が桐生の胸板に押し当てられ、その感触と温もりを服越しに伝える。

 ジェシカの手が桐生の顎のラインをなぞる様に肌を滑り、お互いの吐息が吹きかかる程の近い距離に顔を近付ける。

 

「ね、お願い。誰にもした事ないすっごいサービスをしてあげるから、あたしだけにこっそり教えてくれない? あんたとルイズの関係とか、何を企んでいるのかとか……」

 

 熱く、甘いジェシカの吐息が桐生の唇を撫で、そのまま重なりそうな程更に顔が近付くと、桐生は優しい笑みを浮かべてジェシカの唇に自分の人差し指を当てた。

 

「悪いが、店長の娘に手を出して追い出されるなんてのはごめんなんでな。そろそろ休憩は終わりだ」

 

 優しくジェシカの頭を撫でたかと思うと、ドレス越しの腰を掴んで自分の膝から立たせた桐生はそのまま自分も立ち上がる。

 

「だがまぁ、これだけは言っとくぜ。俺とルイズが何を企んでるかはともかく、この店に迷惑を掛けるつもりはねぇよ」

 

 桐生はジェシカに背を向けて歩き出そうとすると、不意に留まってジェシカへ顔を向けた。

 

「それと、色仕掛けで男を堕とすのを悪いとは言わないが、もっと自分を大事にしろ。少なくともお前の父親は、お前にそんな事をして欲しいとは思っていない筈だ」

 

 それだけ言って出て行った桐生の背中を見送ると、ジェシカは思いっ切りベッドに倒れこんで深い溜め息を漏らした。

 

「うっわ……あたし、負けた。あんな親父に」

 

 悔しそうに漏らしながらも、何処か嬉しそうな表情を浮かべてジェシカは一人呟いた。

 

 

 ジェシカの部屋から戻った桐生は再び皿洗いを再開すると、ルイズが店内に居ない事に気が付いた。

 店内の隅から隅まで見回しても、何処にも姿が見当たらない。

 少し心配になりながらも、容赦なく次から次へと積まれる皿に追われて探しに行けない桐生は、結局店が閉まるまで動けなかった。

 仕事が終わり、それぞれが片付けをしていると、

 

「カズマ君、ちょっと良いかしら?」

 

 とスカロンが桐生に話し掛けた。

 桐生が振り返ると、スカロンの手にはシチューとパンが盛られた皿の乗ったお盆があった。

 

「何だ、その料理は?」

 

「今日の賄い食よ。二人で食べてちょうだい」

 

「今日のは昨日よりも豪勢だな。何かあったのか?」

 

 昨日の賄い食は豆が少しだけ入ったスープだった為、食事の質の上がりに素直に桐生は驚いた。

 そんな桐生に、スカロンは小さな溜め息を漏らしながら首を振った。

 

「ちょっとルイズちゃんに注意したら、あの子部屋に引きこもっちゃってね。これでも食べて、元気を出して貰おうと思って」

 

「……そうだったか。気を遣わせて済まないな」

 

 あの時スカロンから何を言われたか分からないが、ルイズはどうやら落ち込んでいるらしい。しかし、仕事を途中で抜けるという勝手な行為に桐生は申し訳なく思いながらお盆を受け取った。

 

「良いのよ。あの子には少しキツい言葉だったみたいだから。私ってばやっぱりまだまだね。女の子をそれなりに見て来たつもりだったけど、まだまだ勉強が必要だわ」

 

「いや、仕事をないがしろにして引きこもっちまうとは……迷惑を掛けた。父親として申し訳ない」

 

 お盆を持ったまま謝罪の為に頭を下げる桐生にスカロンは手を振った。

 

「カズマ君……正直ルイズちゃんは、ちょっと世間知らず過ぎるわ。仕事がどういう物か分かってない。でもね、決して駄目な子ではないと思うわ。あの子の目には強い光がある。何事も乗り越えられそうな、強い光がね。今ならまだ間に合う。あの子はまだまだ人として伸びる筈よ。だから申し訳ないけど、此処に居る間は厳しく指導させて貰うわ」

 

「分かっている。至らない娘だが、どうか宜しく頼む」

 

 幸い娘のジェシカと違って、スカロンは自分とルイズが親子である事に疑いを持っていないらしい。

 桐生は料理を持ったまま部屋へと入ると、ベッドの上で毛布に包まりうずくまってるルイズを見つけた。

 桐生は料理を積まれていた木箱の上に置くと、ツカツカとベッドに近付いて乱暴に毛布を剥いだ。

 

「何するのよ!」

 

 突然毛布を剥がれたルイズが抗議の声を上げる。頬には涙の跡が見受けられた。

 

「どういうつもりだ、ルイズ。仕事の最中に抜け出すなんていい加減な事をして」

 

「何が仕事よ! 大体、貴族の私が何であんな事しなきゃいけないのよ! あんなの平民のやる事じゃない!」

 

「お前の今回の任務は、平民に紛れて情報を集める事だろう? なのに何だ? 客を怒らせるだけで、仕事だけじゃなくて任務も出来てねぇじゃねぇか。あのお姫様はお前を信じて任務を託したんだろう? その想いをないがしろにする気か?」

 

「そんなの分かってるわよ! 私が言いたいのは、何でその任務の為にあんな下らない酌だの愛想笑いをしなきゃならないのかって言いたいの! 貴族の私が」

 

「いい加減にしろ!」

 

 久しく聞く桐生の本気の怒声に、ルイズの身体がビクッと跳ねる。

 桐生の表情は怒りそのもので染まっており、鋭い眼光がルイズを射抜く。

 

「さっきっから聞いてりゃあ貴族貴族と。貴族は平民よりも偉いんだろ? だったら平民の出来る事なら何だって出来るだろうが。何でお前等の言う平民があんなに汗水垂らして働いてるか分かるか? お前等貴族と違って、働かなきゃ生活出来ないからだ。恋人の為、家族の為、或いは自分の夢の為に必死に働いて金を稼いでいるんだ。お前等貴族が働かずに生活出来ているのは、あいつ等平民の働きがあってこそという事を忘れるな!」

 

 桐生の言葉に反論出来ないルイズは俯きながら唇を噛み締め、ベッドのシーツをギュッと握った。

 平民が何の為に働いているのか。そんな事、考えた事もなかった。

 

「勘違いすんなよ、ルイズ。お前が俺にとってどうでも良い奴なら、こんな厳しくは言わない。幸か不幸か俺逹は出会い、そして主人と使い魔という立場になった。俺はお前には、そこらの貴族よりももっと人の痛みや想いが分かる貴族になって欲しいから言っているんだ。そして俺は、お前ならそれが出来る事を知っている。簡単に物事を諦めたりしないのを知っている。俺の知っているルイズ・フランソワーズ・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、そんじょそこらの貴族とは違う。違うか、ルイズ?」

 

 ルイズは溢れ出る涙を手の甲で懸命に拭うと、真っ赤になった瞳で桐生を睨み付けて立ち上がった。

 

「当たり、前じゃないの。見てなさい! あんたも、あの親父も、見返してやるんだから! 私が本気になったら凄いって所、今一度教えてやるわよ!」

 

「そうだ、それで良い。お前なら出来る」

 

 瞳の奥にメラメラと炎が宿ったルイズに桐生は小さな笑みを浮かべる。

 一先ずここで騒動は終わったかと思うと、突然拍手が部屋の中で鳴り響いた。

 慌てて二人が音の鳴る方へと視線を向けると、にんまりとしたジェシカが此方を見て立っていた。

 

「お前、何時の間に……」

 

「カズマの怒鳴り声がしたからちょっと気になって来たんだけど、なかなか感動的な場面だったわ。ま、最初の方は何言ってるかわかんなかったんだけど、取り敢えずルイズがお父さんに凄い宣言をしているのを見れたから良しとするわよ。それじゃあ、ルイズ……本気になったらどう凄いのか、ハッキリ見せて貰おうじゃない?」

 

「何であんたにそんな風に上から目線で言われなきゃいけないのよ」

 

 ルイズは忌々しげにジェシカを見ながら吐き捨てる様に言った。ただでさえシエスタと被る部分が多くて気に入らないのに、自分を呼び捨てで呼んでくる所がますます気に入らない。

 

「あのねぇ、あんたのお父さんには言ったけど、あたしはこのお店の女の子の管理も任されてるの。あんたみたいにお客さんを怒らせるだけの子は、ハッキリ言って迷惑なの。あんたみたいな餓鬼のせいでお店の評判に傷が付いたら、困るの。分かる?」

 

「が、餓鬼ですって!? これでももう十六よ!」

 

「え? あたしと同い年なの?」

 

 ジェシカは心底驚いた様に言ってからルイズの頭のてっぺんから爪先まで眺め、最後に胸を凝視してからプッと小さく吹き出した。

 その瞬間、ルイズの中で再びマグマが盛大に噴き上がった。

 こいつ、今笑った! 私の胸を見て笑った!

 鋭い目付きで睨み付けるルイズを全く意に介さずジェシカは指を立てて見せた。

 

「あのね、今夜からチップレースってのがあるの。お店の子逹の中で一週間の間にどれだけチップを貯めたかを競い合うゲームなの。そこであんたの本気とやらを見せて貰おうじゃない。ま、口だけだろうけど」

 

 ジェシカの挑発に、ルイズは完全に切れた。

 

「上等よ! あんたみたいな胸の大きいだけの馬鹿女なんかに負けるもんですか! 城が建つくらいにチップを貯めてやるわよ!」

 

「あら、言ったわね?」

 

「ええ、言ったわ! 私が勝ったら、あんたには跪いて謝って貰うわよ!」

 

「良いわよ。ならあたしが勝ったら……あんた達の秘密を全部教えて貰うからね。それじゃ、お休み」

 

 ジェシカは余裕たっぷりな様子でヒラヒラと手を振りながら出て行った。

 ルイズは怒りが収まらないらしく、何度も枕をボスボス音を立てて殴りながら息を荒げた。

 

「本当にあったま来た! あの馬鹿女、ぜぇったいに謝らせてやる! 見てなさい! 酌でも何でもして、チップも情報もたっぷり集めてやるわ!」

 

 まるで怒り狂った猫の様に髪を逆立ててフーッフーッと息を荒げるルイズに桐生が小さく苦笑する。

 そんな桐生に、ルイズが顔を向けて口を開いた。

 

「でも、あんたは良いの?」

 

「何がだ?」

 

「その、ご主人様が他の男にベタベタ触られても……」

 

 言いながらルイズの顔が怒りとは違った赤みを差し始めた。

 桐生はそんなルイズに小さく笑うと、優しく頭を撫でた。

 

「心配すんな。お前に変な事する奴が居たら俺が直ぐにぶっ飛ばしてやるよ」

 

 その言葉と手の温もりに、ルイズは安らぎを感じて瞳を閉じた。

 瞬間、ルイズの腹からクゥッと可愛らしい音が鳴り響いた。空腹から腹の虫が限界を訴えたのだ。

 

「さ、さぁ! さっさと食べて今夜に備えて寝るわよ!」

 

 ルイズは恥ずかしさから真っ赤になりながらシチューとパンを頬張ると、今夜のチップレースに向けて毛布に包まった。

 桐生はそんなルイズを見て、今回の経験がルイズにとって良い物になる様に祈りながら隣で眠りについた。


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