魔法による攻撃が飛び交う中、桐生はデルフリンガーを振り続けた。
黒ずくめの男達は桐生達を囲んでドットクラスの魔法を繰り出し続けている。先程ウェールズが話した様に魔力を温存させるつもりなのだろう。しかし、ドットクラスの魔法とは言え、巧みな連携が桐生達を追い詰めて行く。
先程からキュルケとタバサが男達に向かって魔法を繰り出すが、氷の矢で貫かれようが、炎で身を焼かれようがビクともしない。ウェールズと同じく不死身な様だ。
「ちっ! このままじゃ埒が明かねぇっ!」
苛立った様子で目の前に飛んで来た「ファイヤーボール」を叩き斬りながら桐生が声を荒げる。
タバサは読めないが、ルイズとキュルケにも倒れない敵の攻撃から表情に焦りが現れる。
「何なのよ、こいつ等! 何で倒れないのよ!」
キュルケが杖を振るい続け炎を操りながら戸惑いを含んだ声で叫んだ。
敵はそんな桐生達に構わず魔法を繰り出し続ける。やがてルイズを囲む様な形で三人が身を寄せ合わなければならなくなるまで追い詰められてしまう。
「せめて、相手の杖を壊すなり出来れば……!」
ルイズの焦った声に、桐生はある閃きを思い付く。それが効果的な確証はないが、やらないよりはマシだと判断してタバサに振り返る。
「タバサ! 暫くの間、ルイズとキュルケを守れるか!?」
タバサが桐生の方へと顔を向けて首を傾げる。
この状況で何が出来るのかはわからないが、桐生はかつてフーケとの戦いでも自分を守ってくれた人だ。
タバサは桐生を信じ、強く頷いて見せた。
「よし……暫くの間、こいつ等を頼む!」
桐生は言うなり黒ずくめの男の一人に向かって駆け出した。
「カズマっ!?」
慌てて後を追いかけようとするルイズを制してタバサが二人と固まる様に身を寄せ合うと杖を振った。
瞬間、三人を囲む様に竜巻が巻き起こり、ルイズ達に向かって繰り出された魔法が次々と弾かれていく。
「てめぇの相手は……俺だぁっ!」
向かって来る桐生に気付いた男が杖を振るおうと腕を伸ばした瞬間、デルフリンガーの一閃が弧を描いた。
杖を桐生に向かって突き出した男は魔法が出ない事に首を傾げる。そして自分の右腕を見てみると、そこにある筈の腕が地面に転がっているのが見えた。
桐生はそのまま更にデルフリンガーを振って左腕を斬り落とし、更には両脚を斬り裂いて蹴り倒すして男を達磨の様な格好で地面に転がす。
どうやら身体を傷付けられても再生はするが、切り離された場合は再生出来ないらしい。男は芋虫の様にモゾモゾと身体を動かしている。
「悪く思うなよ……」
桐生は手足の無くなった男に苦しげな表情で呟くと、他の男目掛けて駆け出した。
仲間がやられた事に気付いた男達は、標的をルイズ達から桐生へと変えて魔法を繰り出した。
桐生は素早い動きとお得意のスウェイで魔法を避けながら次々と男達の手足を斬り裂いて行く。杖だけを破壊しても万が一予備を持っていた場合は意味が無くなってしまうし、脚だけでも残れば壁となってウェールズを守るに違いないと思った桐生の決断は功を奏した。
男達はみんな両手両脚を失った状態で地面を転がる事になった。
まるで地獄絵図の様にも見えるが、それよりも手足を無くしても血も流さず動き続ける男達に桐生はゾッとした。
「ん〜……」
不意に、デルフリンガーから唸り声が上がって桐生は視線を其方に向けた。
「どうした、デルフ?」
「あ〜……今ぶった切ったこいつ等なんだけどよ、な〜んか……引っかかるんだよなぁ……」
「引っかかる?」
首を傾げながら問いかける桐生に、デルフリンガーは柄をカタンと小さく揺らして見せた。
「何なんだろうな〜……あ〜、思い出せねぇ! 人間が痒い所に手が届かねぇ時ってこんな気分なんだろうな〜」
「カズマ! 大丈夫!?」
呑気なデルフリンガーの声を掻き消す勢いでルイズが桐生に駆け寄る。
桐生は答える代わりにルイズの頭を優しく撫でた。
「流石はダーリンね! これでこいつ等は手も足も出ないわ!」
「……出ないと言うより無い」
転がる黒ずくめの男達を少し気味悪そうに見ながら言うキュルケにタバサが静かに口を挟む。
「ああ。だが、問題の奴はまだ残ってる」
桐生は視線をウェールズに向けながら言う。
視線の先のウェールズは倒れた仲間の事等気にしていない様に微笑みながら拍手をしていた。
「素晴らしい動きをするね、ミス・ヴァリエールの使い魔殿。彼等はアルビオンの中でも指折りのメイジだったんだが、平民でありながら勝利を手にするとは驚きだよ。あの「マリー・ガラント」号で出会った時から只者ではないと思っていたが……想像以上だね」
「ありがとうよ。これで形勢逆転だな。姫様を返せ、ウェールズ!」
何処か余裕な態度を取るウェールズに凄味を利かせながら睨み付ける桐生にアンリエッタが身構える。
しかし、ウェールズは穏やかな微笑みを浮かべたままチラリと空を眺めると、首を振って見せた。
「いや、まだ君達が有利になった訳じゃないと思うよ。と言うより……君達が不利になったと言った方が正しいかな?」
「何だと?」
言葉の真意が掴めない桐生に対して、ウェールズは空へと指を差して見せる。
警戒を怠らないまま天を仰いだ桐生の額に、ポツリと大粒の雫が降りかかった。
次第にポツポツと大粒の雨が降り始め、あっと言う間に本降りになると辺りの路面を濡らし始めた。
「そんな……こんな時に!」
キュルケが心底悔しそうに声を荒げながら天を睨み付ける。
「どうやら始祖ブリミルは僕達を祝福してくれている様だ。こんな時に降ってくれるとは、まさに天の恵みだね」
「どう言う事だ?」
事態が掴めない桐生がルイズに問い掛けると、ルイズは悲しそうに俯きながら首を振った。
「この雨のせいで、姫様の魔法は強力な物になるわ。「水」系統のメイジにとって、雨はまさに恵みなの。絶対の勝利を約束するね……」
白俯くルイズを他所に、アンリエッタがウェールズの前に出てルイズ達に叫ぶ。
「見なさい! この雨で私達の勝利は揺るがない物になったわ! 私は貴方達を殺したくない! 今すぐ退きなさい!」
キュルケもタバサも、雨の力を得た「水」系統のメイジの強さを知っている。最早勝ち目が見えない戦いから戦意が失われて行くのを感じる。
ルイズは雨に打たれながら膝を突くと、力無く両手を地面に預けて四つん這いの格好になった。
「ここまで、なの? 私達じゃ、姫様は救えないの……?」
辛そうに呟くルイズを見て、桐生はルイズの肩を強く掴んだ。
顔を上げたルイズの瞳に映ったのは、まだ力強い光を秘めた桐生の瞳。
「諦めるな、ルイズ。アンリエッタを救いたいんだろう? 大切な友達を、救いたいんだろう? あのお姫様を救えるのは、親友であるお前しか居ないんだ」
桐生の言葉に弱々しくも頷き立ち上がるルイズ。
桐生はルイズが立ち上がったのを見送ると、ウェールズへと視線を向けた。
魔法の力はこの数十日の期間で思い知っている。今の状況がどれだけ不利かまではわからないながらも、ルイズの様子から絶望的なのは手に取る様にわかった。
しかし、だからと言って諦める訳にはいかない。今ここでアンリエッタを行かせてしまえば……きっと取り返しのつかない事になる。そんな事はさせたくない。
「あ〜、なるほど…思い出したわ。」
重苦しい空気の中、呑気な声が桐生の右手から流れる。
四人は声の主であるデルフリンガーに一斉に視線を向けた。
「何だ、デルフ? 何の話だ?」
「いや、悪ぃな、相棒。長生きし過ぎっとどうも物忘れが酷くってよ。でも大丈夫だ。もう完璧に思い出したぜ」
「だから、何の話をしている?」
一人納得した様子で話すデルフリンガーに苛立った声で問い掛ける桐生。
「なに、あいつ等は俺と同類って事さ。四大系統の魔法で動いてんじゃねぇ。「先住」の魔法だ。ブリミルもあれにゃあ手を焼いてたもんだぜ」
「何が言いたいのよ、このナマクラ! 何か案でもあるって言うの!?」
「人の、いや、この場合は剣のか。ともかく話は最後まで聞くもんだぜ、能無しの娘っ子。せっかく「虚無」の使い手だっつうのに「エクスプロージョン」ばっかり使いやがって。まるで馬鹿の一つ覚えじゃねぇか。この間みてぇな派手な物を出せんのは年に一度あるかどうかだ。今のお前さんの「エクスプロージョン」じゃあ花火にもなりゃしねぇよ」
「だったらどうすればいいのよ!?」
「お前さんの持っている「始祖の祈祷書」は飾りかい? ちゃんと読んでみな。ブリミルの事だ。何かしらの対策を書いてある筈さ」
ルイズは「始祖の祈祷書」のページを捲ってみた。しかし、「エクスプロージョン」の次のページは相変わらず真っ白だ。
「何も書いてないじゃない!」
「本てのはページが沢山あるんだ。ちゃんと全部捲って探しな」
ルイズが更にページを捲ると、文字が浮かび上がっているページが見つかった。
「ディスペル、マジック?」
「そいつだ。「解除」の魔法さ。これであの人形も力を失う筈さ」
桐生とルイズはお互い顔を見合わせて頷き合うと、アンリエッタ達に身体を向けた。
アンリエッタは唇を噛み締めながらルイズ達を見つめた。
この雨のお陰で退いてくれると思っていた。しかし、先程まで戦意を失っていた筈のルイズ達の瞳に再び強い灯火が灯っているのが見える。
アンリエッタは一度俯くと、深い溜め息を漏らしてから顔を上げた。その瞳には強い決意が宿っていた。
出来る事なら彼女達を、特にルイズを殺したくはなかった。しかし、彼女が自分の行く手を阻むと言うのならば……。
アンリエッタが呪文を詠唱し始めると、ウェールズの詠唱が重なる。その詠唱の際、ウェールズがアンリエッタに冷たい笑みを浮かべて見せた。
その温度に気付きながらも、アンリエッタの心はウェールズの笑顔に胸を熱くさせた。
徐々に二人に降り注ぐ雨粒は固くなって集まり始め、渦を巻き始めた。
「水」、「水」、「水」、更に「風」、「風」、「風」。
「水」と「風」の六乗。
同じトライアングルクラスと言えど、これほどまでに息が合った詠唱はほぼ有り得ないと言っても過言では無い。しかし、王家の血はそれを可能にする。
そして完成させる。王家の者のみが使える「ヘクサゴン・スペル」が。
詠唱は干渉し合い、巨大な竜巻となって二人を包む。
竜巻は轟音と共にルイズ達に向かって進み始める。
まるで謳う様に呪文を詠唱し始めたルイズ。
桐生の身体にルイズの声が雨と共に染み込んでいく様な心地良さが広がっていく。
「始祖の祈祷書」に書かれた古代のルーン文字を読むルイズの集中力は計り知れない。今降り掛かる雨も感じていないのかもしれない。
「ちょっと……こんな時にこの子、何してんの?」
「気にするな。ちょっとばかし、伝説の真似事をしているのさ」
戸惑った様子でルイズを見ながら言うキュルケに、桐生が笑みを浮かべながら答える。
桐生はデルフリンガーを振るって雨粒を刃で弾くと、目の前で荒れ狂う巨大な竜巻を見つめた。
チラリとルイズの方を見ると、まだまだ詠唱が続きそうだ。
「どうやら、敵さんの方が早いみてぇだな」
デルフリンガーが相変わらず呑気な口調で言う。
「まぁ、「虚無」の魔法は時間が掛かっからなぁ。その間はどうしても無防備になっちまう。そんな主人を守るのがーー」
「俺だ、と言いたいんだろう?」
何処か笑みが含まれた声で桐生が答える。
目の前の竜巻に対して浮かぶのは恐怖では無い。そんな物よりも、希望に近い感情が桐生の中を駆け巡っていた。
「伝説の真似事、ね。なら、その伝説に掛けるしかないわね。けど、あの竜巻はどうするのよ? いくら何でもあの竜巻は……あたしやタバサじゃ防げ無いわ」
桐生はなおも不安そうに言うキュルケとタバサに振り向くと、二人の頭を優しく撫でた。
濡れた髪を梳く様に掻き分け、太く硬い指が優しい感触を二人に与える。
「心配するな。お前等は、俺が守る」
桐生の言葉はまるで父親の様に頼もしく、雨で冷えた身体を温める様な温かさが秘められていた。
「……お願い」
タバサが桐生の手を強く握りながら呟く。
「頼んだわ、ダーリン。あたし達を……守ってね」
キュルケが桐生に抱き着くと、首筋にそっとキスを落とす。
桐生は二人に頷き掛けると、再び竜巻に身体を向けた。
「相棒、どうやら敵さんは準備が整った様だぜ?」
巨大な竜巻から吹き付ける冷たい湿った風が肌を打ち付けてくる。弾けた様に飛んで来た水が桐生の頬を掠めると、鋭利なナイフで付けられた様な切り傷が出来て血が滲んだ。
やがてそのまま渦を巻いていた竜巻は此方に向かってゆっくりと動き出した。
此方に向かいながら地面と周りの木々を巻き込みながら進んで来る光景はまるで巨大な津波にも見える。
「これは……手が掛かりそうだな」
桐生はゆっくりと竜巻に向かって歩き出す。次第に、身体から青いヒートの光が迸り始めた。
「言っとくがな、相棒。あの魔法は今までの魔法とは訳が違ぇ。生半可な痛みじゃ済まねぇ。相棒……覚悟は良いか?」
「誰に言ってんだ、デルフ?」
桐生はデルフリンガーを軽く掲げると、笑みを浮かべて見せた。
「俺はルイズの、「虚無(ゼロ)」の使い魔だぞ。あんな竜巻、敵じゃねぇよ。」
桐生は深呼吸をしてから一気に距離を詰めて竜巻をデルフリンガーで受け止めた。
デルフリンガーの峰を左腕で抑え付け、脚を踏ん張って衝撃波の様な風圧に耐える。
「くっ……!ぐっ、くぅっ……!」
水と風が桐生を押し潰そうと襲い掛かる。
爪が剥がれ、数本の指が折れた。
瞼が裂け、視界が赤く染まる。
ブツリと言う音と共に耳が千切れる。
唇が裂けて口の中で血の味が広がる。
左腕が肘から折れ、激痛が身体に走る。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げている。
肺が熱い。呼吸がし辛い。だが、
「それがどうしたぁっ!」
デルフリンガーの峰に頭突きを繰り出し、額で刃を抑えながら一歩ずつ前に進み出す桐生。
「うぉぉぉぉっ!」
魔法の端にいた桐生の身体は完全に魔法の中へと入り込み、より強い衝撃が身体に襲い掛かる。
「よ、止せ、相棒! これ以上進んだら相棒の身体がーー」
「うるせぇっ!」
デルフリンガーの制止の声を遮り、少しずつながら一歩ずつアンリエッタ達に向かって歩み寄る桐生。
「痛くねぇ……! 痛くねぇんだよ、こんな傷。こんな傷なんかより……!」
桐生の脳裏に浮かぶのは、手を差し伸ばしながら辛そうに顔を歪めるルイズ。そして、間違っているとわかりながらその手を掴めず苦しそうにしているアンリエッタの姿だった。
「必死に手を伸ばしてるルイズと、悪夢にうなされて苦しんでいるアンリエッタを見てる方が、よっぽど痛ぇんだよ!」
叫びながら歩を進める桐生の身体から迸っていた青いヒートが赤色に変わる。
身体は当に限界を迎えている。しかし、桐生の中の強い想いが、倒れる事を許さなかった。
呪文を詠唱しているルイズの頬に、何か冷たい液体が降りかかった。
呪文の詠唱に集中しながら指で液体を拭うと、その指が赤く染まる。桐生の血だ。
目の前には巨大な竜巻を受け止めている桐生の姿が見える。少し遠目でわからないが、とんでもない傷を負っているに違いない。
ルイズは呪文の詠唱を止め、桐生に駆け寄りたくなる衝動を必死に抑えた。
今、桐生は自分と、姫様の為に身体を張っている。ここで詠唱を中止してしまっては桐生の想いを無駄にする事になる。
不意に、ルイズの頭の中で桐生の声が木霊した。あの日、ギーシュとの決闘の時に言っていた言葉が。
「お前は俺の主人なんだろ? なら、俺を信じろ」
ルイズの瞳に強い輝きが灯った。
そうよ、私はカズマの主人なのよ。使い魔を信じないのは、メイジのする事じゃないわ!
魔法を完成させたルイズは弱まった竜巻の隙間からウェールズに向かって杖を振るった。
デルフリンガーに吸収させて弱まっていく竜巻の中、桐生は後ろから暖かい何かを感じた。光とも、風とも感じるその感覚は魔法の完成を桐生に知らせた。
薄れ行く意識の中、桐生は不思議な光景を見た。
それは幻だったかのかもしれない。しかし、桐生は確かに見たのだ。
桃色の髪の小さな女の子と淡い紫色の髪の小さな女の子が、しっかりと手を握り合う姿を。
竜巻が掻き消えた後、桐生は得体の知れない満足感を感じながらその場に倒れ込んだ。
ルイズが杖を振るった瞬間、ウェールズが糸の切れた操り人形の様に力無く倒れ込んだ。周りの手足が無くなった男達は動かなくなると、塵となって消えていった。
「ウェールズ様!」
強力な魔法の使用によって疲労した身体に鞭を打って倒れたウェールズに駆け寄るアンリエッタ。ウェールズの肌はまるで地割れした地面の様にヒビが入っていた。
生きている人間の物ではない。「アンドバリの指輪」によって作られた偽りの命の成れの果てだ。
ルイズの唱えた「ディスペル・マジック」の力によって、「アンドバリの指輪」の効果が消えた事はアンリエッタにはわからない。しかし、感覚でわかる。あるべき物があるべき場所に帰ったのだと。
ウェールズの身体を抱き締めるも、伝わるのは無機質な冷たさだけ。
「姫様……」
聞き慣れた声からアンリエッタは顔を上げる。
そこには、疲れた表情を浮かべてルイズが立っていた。
アンリエッタはすぐさま顔を背けた。
ルイズの顔をまともに見る事が出来ない。幼い頃からずっと自分を慕ってくれて、常に味方でいてくれたルイズ。その彼女を自分は殺めようとしたのだ。どんな顔をして良いかわからない。
「ルイズ……私は、私は何て事を……」
「目は……覚めましたか?」
「お願い、教えてちょうだい、ルイズ。私はどんな顔をして貴女の目を見れば良いの? どんな謝罪をすれば、私は許して貰えるの?」
「……私には、わかりません。ですが、今は姫様のお力が必要です。」
ルイズはアンリエッタの手を取ると、倒れた桐生の元へと駆け出した。
キュルケとタバサが見守る中、桐生は地面に横たわっていた。身体中はボロボロで、ジャケットやスラックスには血が滲んでいる。折れた左腕は、不自然な方向に曲がってしまっている。
「酷い怪我……」
「カズマは、あの竜巻をたった一人で受け止めてくれました。カズマの傷を治すには、姫様の「水」の力が必要です。お願いします」
アンリエッタは頷くと、杖を振るった。
瞬間、桐生の身体が水に包まれた。暫くすると水がゆっくりと消えて行き、露わになった桐生の身体はまだ所々傷が消えていない物の、左腕は元の形に戻っていた。
「カズマ……」
ルイズが屈んで桐生に顔を近付けると、痛みが残るも動く様になった左腕を動かしてルイズの頭を撫でながら桐生が目を覚ました。
「良く頑張ったな、ルイズ」
ルイズは小さな笑みを浮かべながら頷いた。
「カズマさん……私……」
申し訳無さそうに俯きながら呟くアンリエッタに、桐生は身体を起こすと顎をしゃくって見せる。
「今は、ウェールズの元に行こう。このままじゃあ、あいつが報われねぇ」
アンリエッタはゆっくり顔を上げて頷いた。
桐生達はウェールズの元へと向かうと、寂しそうな笑顔で此方を向くウェールズが口を開いた。
「ありがとう、ミス・ヴァリエールの使い魔殿。僕は……とんでもない過ちを犯す所だった」
「気にするな」
「ウェールズ様!」
アンリエッタが急いで駆け寄りウェールズの傷を癒そうと杖を振るった。
しかし、一度死んだ者に治癒の魔法は効果がない。
「無理だよ、アンリエッタ……この身体はもう癒せない。僕は、本来ここにいるべき人間じゃないんだ」
「そんな……! やっと、やっとお会い出来たのに……!」
ウェールズはアンリエッタの頬に手を伸ばした。しかし、その手は指からボロボロと崩れて塵へと変わってしまう。
「どうやら……もうそんなに長くはない様だ。最後に……あの場所へ、あのラグドリアン湖へ連れて行ってくれないか? アンリエッタ……君にあそこで誓って欲しい事があるんだ」
アンリエッタが懇願する様な瞳で桐生達を見つめた。
桐生は何も言わずウェールズの身体を抱きかかえた。魂が半分程消えかかった身体は酷く軽く感じた。
「タバサ、頼む」
桐生の言葉に頷いたタバサが口笛を鳴らすと、空で待機していたウィンドドラゴンが舞い降りて来た。
桐生達は風竜に乗り込むと、弱まってきた雨の中ラグドリアン湖を目指した。
ラグドリアン湖に着いた頃には雨は止んでいた。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。空が僅かに白み始めている。
桐生はウェールズを抱きかかえたまま、アンリエッタと共にラグドリアン湖の中へと歩いて行った。
腰の辺りまで沈みかけた所で、桐生はアンリエッタにウェールズを預けた。
「最後は、お前が抱いてやってくれ。愛する女に抱かれたまま逝けるほど、男にとっての幸せはないからな」
桐生はそれだけ言うとルイズ達の元へと戻った。
アンリエッタはウェールズを強く抱き締めながらヒビ割れた頬を撫でた。ザラついた感触が指先に伝わる。
「ウェールズ様、ラグドリアン湖に着きましたよ。私達が初めて出会った、あの場所に」
「ああ……そうか。」
ウェールズは虚ろな瞳で微笑んだ。もう、目は見えていない様だ。
「僕はね、アンリエッタ。あの日君と出会った時に思ったんだ。全てを捨てられたら、どんなに良いのだろうって。富も権力も必要ない、ただ小さな庭付きの家で二人で過ごせたらって」
「そう思って下さってるなら、何故あの時愛を誓って下さらなかったの? 私は他に何もいらない、貴方様の愛さえ貰えればそれで幸せだったのに」
「君を不幸にすると思って、僕はその言葉を言えなかった。僕等は王族だ。望む、望まぬとも、必ず戦乱の渦の中心となって君臨しなければならなくなる。そんな男が一度誰かに愛を誓えば、その相手の女性は必ず敵に狙われる。今回の様にね」
ウェールズの身体から、少しずつ生気が無くなっていくのがアンリエッタの掌に伝わってくる。
溢れそうになる涙を必死に耐えながら、アンリエッタは少しでもウェールズとの最後の会話を楽しもうとした。
「アンリエッタ……今でも僕を、愛してくれているかい?」
「当然ですわ、ウェールズ様」
「なら、誓ってくれないか? 僕を忘れると。僕を忘れ、他の男を愛し、幸せになると。水の精霊の前で、誓ってくれ」
アンリエッタは言葉を失った。
そんなアンリエッタに、ウェールズは弱々しく懇願する。
「お願いだ、アンリエッタ。僕は、もう間も無くこの世から消える。その前に……君の誓いを聞かせてくれ」
「無理よ……そんな事、言える訳ないじゃない! 他の人なんて考えられない!私は……私は、貴方を、ウェールズ様だけを愛してきたのに!」
「アンリエッタ……もし誓いを立ててくれなければ、僕の魂は永遠にこの地を彷徨い続ける事になる。君は……愛した男をこの世に縛るつもりかい?」
「でも、でもっ!」
「アンリエッタ……君はまだ若い。これからも多くの出会いと別れを繰り返す筈だ。その中にきっと……僕以上に愛せる男がいつか現れる。だから、誓ってくれ……」
アンリエッタは消え入りそうなウェールズの声に身体を震わせて涙を堪らえながら、虚ろになったウェールズの瞳を見つめた。
「……誓います。だから、貴方も誓って。私が誓いを口にした後、魂となっても私を愛し続けると」
「ああ……勿論だ。誓うよ……。」
アンリエッタは白みを増して太陽が顔を出しかけている空を仰ぎ、瞳を閉じた。
「私は愛していたウェールズ様を忘れ、他の殿方を愛する事を誓います」
アンリエッタの誓いの声がラグドリアン湖に響き渡った。まるで、悲しい歌が奏でられた様に。
「さぁ、今度は貴方の番ですわ。愛を誓って下さいまし。その瞬間だけは、私は貴方を強く抱き締めますわ。それくらいは許してくれるでしょう?」
瞳を開き、ウェールズに顔を向けたアンリエッタの顔が悲しみに染まった。
ウェールズは幸せそうに微笑みを浮かべたまま事切れていた。
もうどんなに揺さぶろうと、声を掛けようと、目覚める事も答えてくれる事もない。
「本当に、意地悪な人。最後まで、誓いの言葉を口にしてくれないんだから……」
ウェールズの身体が足元から徐々に崩れ、塵へと変わっていく。優しい微笑みを浮かべた顔が崩れ落ちると、吹いた風が塵を拐っていった。
「……あああああああああっ!」
先程まで堪えていた涙が溢れ出し、声にならない声でアンリエッタが泣き叫ぶ。
瞳から流れ出る涙がラグドリアン湖の水面に零れ落ち、小さな波紋を何個も拡げる。
愛する男を失った少女の叫びが、辺りに哀しく響き渡った。
ラグドリアン湖の岸辺でアンリエッタを見守っていたルイズは、隣に立つ桐生の手を強く握った。
「カズマ……これで、良かったのかな?」
泣き叫ぶアンリエッタを見つめたままポツリと呟いたルイズに桐生が顔を向ける。
「あのまま姫様を行かせてあげた方が、良かったのかな? 私達は、夢を見ていた姫様を無理矢理起こしちゃったんじゃないかな?」
辛そうに漏らすルイズの手から自分の手を離すと、桐生はルイズの頭を撫でた。
空から起きたての太陽が光を地上に降り注がせ、アンリエッタが立つラグドリアン湖の水面を美しく輝かせた。
「明けない夜がないように、覚めない夢もないんだ。それが良い夢だろうと、悪い夢だろうとな。アンリエッタにとってあの夢が良い夢だったのか、悪夢だったかはわからねぇ。けどな、お前は正しい事をした。それだけは間違いじゃねぇよ」
「……うん」
桐生の言葉にルイズが小さく頷いた。
桐生はアンリエッタをルイズ達に任せて少し森の中へと足を進めた。
桐生は一際太い樹を見つけると、硬い幹目掛けて拳を叩き付けた。打ち付けられた衝撃から樹がグラグラと揺れ、木の葉が舞い落ちる。
「レコン、キスタ……!」
吐き出す様に声を漏らした桐生の瞳には、怒りの炎が宿っていた。