トリステイン魔法学園の食堂は、学園の中でも一番背の高い真ん中の本塔の中にあった。
食堂の中にはやたらと長いテーブルが三つ並んでいる。長さからして百人は座れそうだ。ルイズを含む二年生は真ん中のテーブルだ。
自分の世界で学年を分けるのがジャージだったように、こちらの世界ではマントの色で学年が分けられているらしい。ルイズ達の机を正面に見て左隣のテーブルに座っている大人びた学生達は紫色のマントを羽織っている。三年生だろうか。
右隣の生徒達は茶色のマントだった。まだ幼さが残っている顔立ちの者が多い。恐らく一年生だろう。
朝食、昼食、夕食と学園の中にいる全ての生徒、教師はここで食事を取っているらしい。
一階の上にロフトの中階があり、そこで歓談に興じてる教師達の姿が見えた。
どのテーブルにも豪華な飾り付けが施されている。流石は貴族の食卓と言った所か。
いくつものローソクが立てられ、花が飾られ、果物がいっぱいに盛られた籠が乗っている。
食堂の豪華絢爛さにキョロキョロと興味深そうに眺めている桐生に気付き、得意気に指を立ててルイズが口を開く。
「このトリステイン魔法学園で教えるのは魔法だけじゃないのよ」
「と、言うと?」
「メイジはほぼ全員が貴族なの。「貴族は魔法をもってしてその精神となす」のモットーのもと、貴族たるべき教育を受けるのよ。だから食堂も貴族の食卓に相応しいものでなくてはならないの」
「確かに……見事ではあるな」
腕を組みながら頷いて見せる桐生にルイズは気を良くした様に笑みを浮かべる。鳶色の瞳が悪戯っぽく輝いた。
「でしょう? 本当ならあんたみたいな平民がこの「アルヴィーズの食堂」には一生入れないの。感謝しなさい」
「どうでもいいが、アルヴィーズってのはなんだ? 人の名前か?」
「小人の名前よ。周りに像がたくさん並んでるでしょ?」
ルイズに言われて初めて気が付いたが、壁際には精巧な造りの小人の彫像が並んでいる。
「よく出来てるな……まさか動くのか?」
「あら、良く知ってるじゃない」
「……動くのか」
冗談半分に聞いてみたのが凄いわねとばかりにルイズに驚かれ肩を落とす。やはりこちらの世界では自分の常識は通用しないらしい。
「っていうか踊るわ。いいから椅子を引いて頂戴よ。気の利かない使い魔ね」
ルイズが呆れた様に腕を組んでくい、と首を傾げてみせる。桃色の髪が揺れた。確かに紳士なら椅子を引くべきではある。
椅子を引いて見せると、ルイズが礼も言わず腰掛ける。そして……桐生は少し困った。
ルイズの隣に腰掛けようかと思ったが、いかんせん椅子が小さいのだ。座れなくはなくともこれでは腰が痛くなりそうだ。
顎に手を当て考えていると、ルイズが睨んできた。
「なに突っ立てんの? あんたはそこよ」
ルイズが床を指差す。
そこには申し訳程度の大きさの肉が浮かんだスープが盛られた皿と、パンが二個ポツンと置かれていた。
「これが……朝飯か?」
不満を込めた瞳で桐生はルイズを見る。それも当然だろう。
ルイズ達の机には朝からこんなに、と言わんばかりに豪華な料理が並んでいる。デカい鳥のローストやパイ、ワインの瓶まで見える。一体この差はなんなんだ。
そんな桐生にルイズは頬杖をついて溜め息をつく。
「あのね、本当は使い魔は外。あんたは私の特別な計らいで床。わかった?」
言われて見れば他の使い魔の姿が見えない。あのキュルケが連れてきているはずのフレイムも姿がない。
仕方なしに桐生は床に座った。目の前にあるスープとパンは貧相ではあるが、食事であることには変わりない。目の前で両手を合掌する。
「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝致します」
祈りの声が、唱和される。ルイズも目を瞑ってそれに加わっている。
ささやかな糧。恐らくテーブルに並んだ豪華絢爛な料理を指しているのだろう。しかし、これのどこが「ささやか」なのか。これがささやかなら自分のはちょっぴりの糧か。
とりあえずスープとパンを平らげると、やはり足りない。仕方なしに、ルイズの腕を軽くつついた。
「なによ?」
「なんでもいい。少しくれ。俺は大人だから、これだけじゃ足りん」
「まったく……」
ルイズはぶつくさ言いながら鳥のローストを少量と果物を皿に落として、美味しそうに豪華な料理を頬張り始めた。
「コレが三食続くのか……やれやれ」
桐生は果物をかじりながら呟いた。
魔法学園の教室は大学の講義室の様な造りをしている。木の代わりに石を使って造ったと想像すると当たる。講義を行う魔法使いの先生が、一番下の段に位置し階段の様に席が続いている。ルイズと桐生が入っていくと、先に教室に来ていた生徒達の視線が一斉にこちらに向けられる。
一瞬の沈黙の後、周りからクスクスと笑い声が起こる。先ほど会ったキュルケもいた。周りを男子生徒が取り囲んでいる。自称、男をイチコロにすると言うのは本当らしい。
昨日とは違って、今日は様々な使い魔が教室にいた。ルイズに尋ねると、昨日は使い魔を召喚した初日の為外に待たせたが、今日からは主人と一緒に授業に出る様になるらしい。
キュルケのサラマンダーは椅子の下で寝ていた。肩にフクロウやカラスを乗せてる生徒もいる。窓からは巨大な蛇がこちらを覗き込んでいる。チチっと鳴き声が耳元でしたので見てみると、ピンク色のネズミが桐生の肩に乗っていた。誰かの声がするとすぐさま肩から飛び降り、走り去る。
しかし桐生の目を引いたのは、自分の世界では存在しない生き物達だった。
六本足のトカゲがちょろちょろ歩いている。巨大な目玉が浮かんでいる。二つの首を持つワシが飛んでいる。
初めて見る生物達に驚きを表す桐生を後目にルイズが席の一つに腰掛ける。桐生は腕を組んで壁に背をもたれた。
扉が開き、先生が入ってくる。
中年の女性だ。紫色のローブに身を包み、帽子を被っている。ふくよかな頬が優しい雰囲気を作り出し、思わず近所のおばちゃんの様に見えた。
彼女は教室を見回すと、満足そうに微笑んだ。
「皆さん、春の使い魔召喚は、どうやら大成功の様ですね。このシュヴルーズ、こうして春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」
その言葉にルイズが俯く。シュヴルーズと言う女性が壁にもたれている桐生に視線を止める。
「おやおや、変わった使い魔を召喚しましたね? ミス・ヴァリエール」
とぼけた声でシュヴルーズが言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。
「「ゼロ」のルイズ! 召喚出来なかったからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」
誰かの野次にルイズが立ち上がり、桃色の髪を揺らして可愛らしい声で怒鳴る。
「そんな事しないわよ! きちんと召喚したわ! コイツが来ちゃっただけよ!」
「嘘つくな! 「サモン・サーヴァント」が出来なかったんだろ?」
ゲラゲラと笑い声が響き渡る。その耳障りな声に桐生の眉が少しつり上がる。
「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! 「風邪っぴき」のマリコルヌが私を侮辱しました!」
握り締めた拳でルイズが机を叩いた。ダンッ、と少し小さく音がした。
「俺は「風上」のマリコルヌだ! 風邪なんか引いてないぞ!」
「あんた、自分のガラガラ声聞いた事ないの? 馬鹿は風邪を引かないと言うけど、風邪を引いてるのに気付かないだけなのかしら!?」
マリコルヌと呼ばれた少し太っちょの男子生徒が立ち上がりルイズを睨みつける。シュヴルーズが手に持った小ぶりの杖を振ると、立ち上がっていた二人が突然ストンと席に座り込んだ。
「ミス・ヴァリエール、ミスタ・マリコルヌ、みっともない口論はお止めなさい」
ルイズがショボンとうなだれる。今までの勝ち気で生意気な態度が嘘の様だ。
「お友達をゼロだの風邪っぴきだの呼んではなりません。わかりましたか?」
「ミセス・シュヴルーズ、僕の風邪っぴきは中傷ですが、ルイズのゼロは事実です」
再びクスクスと笑い声が漏れる。
シュヴルーズは厳しい顔つきで教室を見回し、なにかをしようとしたが、それよりも先に行動を取った者がいた。
「てめぇ等、うるせえぞ」
静かに、しかし迫力の籠もった声に笑い声がピタリと止まる。
驚いた表情で声の主である桐生に教室中の生徒が視線を向ける。その瞳は怒りに染まっており、気の弱い生徒は思わず生唾を飲む。
「授業が始まるんだろうが。いつまでもつまらねぇ事で騒いでんじゃねえ」
「……そちらの使い魔さんの言う通りです」
シュヴルーズが桐生の言葉に頷いて、授業を始める。こほん、と重々しく咳払いをしたあとに杖を振るうと机の上にいくつか石ころが現れる。
「私の二つ名は「赤土」。「赤土」のシュヴルーズです。「土」系統の魔法をこれから一年、皆さんに講義していきます。魔法の四大系統はご存知ですね? ミスタ・マリコルヌ」
「は、はい、ミセス・シュヴルーズ! 「火」「水」「風」「土」の四つです!」
「その通り。かつて失われた系統魔法である「虚無」を合わせて全部で五つの系統があるのは、皆さんも知っての通りです。その五つの中で「土」はもっとも重要な系統であると私は思っています。それは私が「土」系統だからとか、単なる身びいきではありません」
シュヴルーズは今一度、咳払いをして見せる。
「「土」系統の魔法は、万物の組成を司る重要な魔法です。この魔法がなければ金属を作り出す事も出来ないし、加工する事も出来ません。石を切り出して建物を建てることや、農作物の収穫も今より手間取るでしょう。この様に、「土」系統の魔法は皆さんの生活の中である意味一番密接に関係しているのです」
桐生は黙ったまま聞きながら思った。こっちの世界の魔法はどうやら自分の世界で言う所の科学技術に当たる様だ。ある意味ルイズが、魔法使いである事を威張る理由が何となくわかる。
「今から皆さんには「土」系統の魔法の基本である、「錬金」の魔法を覚えて貰います。一年生の時に出来る様になった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう一度、おさらいしましょう」
シュヴルーズが目の前の石に杖を振り、なにやら呪文を唱えて見せた。すると石が光り出し、光がおさまるとただの石だったそれはピカピカ光る金属に変わっていた。
「それって……もしかして、ゴールドですか!? ミセス・シュヴルーズ!」
キュルケが興奮した顔で身を乗り出す。
そんなキュルケにシュヴルーズは笑顔で首を振って見せた。
「違います。ただの真鍮です。ゴールドを錬金出来るのは「スクウェア」クラスのメイジだけです。私はただの、「トライアングル」ですから」
ここで桐生は昨日の授業の内容を思い出す。昨日はメイジの基本についてのおさらいだった。
メイジとは、上から「スクウェア」、「トライアングル」、「ライン」、「ドット」の順にランクが別れている。このランクは、どれだけ魔法が足せるかを表している。
「ドット」は、「火」の系統の魔法を単体でしか使えない。しかし、「ライン」のランクになると、「火」「土」の様に二系統を足せる。それが四つまで足せるのが最高ランクの「スクウェア」に当たるのだ。ちなみに、同じ系統を足せば、それだけその系統の魔法が強力になるらしい。
つまり、今講義をしているシュヴルーズは「トライアングル」のメイジの為、強力なメイジに当たるのだ。
桐生がルイズの肩を軽く叩く。鬱陶しそうに振り向いたルイズに桐生が小声で囁く。
「お前はいくつ足せるんだ?」
その言葉にルイズの表情が固まる。どうやら聞いてはいけないことだった様だ。
その様子を見てシュヴルーズがルイズを見咎める。
「ミス・ヴァリエール!」
「は、はい!」
突然自分の名を呼ばれた事に驚いて慌てて振り向くルイズ。
「授業中の私語は慎みなさい」
「す、すみません……」
「お喋りをする暇があったら、あなたにやって貰いましょうか」
「え? 私ですか?」
「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」
シュヴルーズに指名されたのに、ルイズは立ち上がらない。もじもじと困った様に手をすり合わせている。
「ミス・ヴァリエール? どうしたのですか?」
再びシュヴルーズがルイズに声をかける。すると、キュルケが困った表情で手を上げた。
「先生」
「なんです?」
「やめといた方がいいと思いますけど……」
「何故ですか?」
「危険です」
キュルケのキッパリした発言に、教室中の全員が頷いた。桐生とシュヴルーズだけが首を傾げる。
「危険? どうしてですか?」
「ルイズを教えるのは初めてですよね?」
「ええ。ですが、彼女が努力家という事は聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール、やってごらんなさい。失敗を恐れていては、何も出来ませんよ?」
「ルイズ……お願い、やめて」
キュルケが首を振る。健康的な褐色の肌をした顔が青白く変わっている。まるで、得体の知れない物に怯える者の様に。
そんな言葉を無視し、ルイズが立ち上がる。
「やります」
そして緊張した顔で教室の前へと歩いていく。どことなく、足取りが重い。
隣に立ったシュヴルーズが優しくルイズに微笑みかける。
「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、心の中に思い描くのです」
こくり、と可愛らしく頷いて、ルイズが手に持った杖を振り上げる。表情は真剣そのものだ。
そんなルイズとは裏腹に、次々と教室の生徒が椅子の下に隠れ始めた。まるで何かに怯えている様に見える。
そう言えば、あんまりルイズは人気がない様に見える。誰も彼もが「ゼロ」の二つ名で彼女を馬鹿にする。女子ならわかる。その容姿に嫉妬して、イジメの様に呼ぶのはどこの世界でもあるだろう。実際、桐生の見た限り、ルイズと対等か、それ以上の容姿の女子はあのキュルケくらいしか見えない。
しかし、男子はどうだ。キュルケと対等の可愛いさを持つルイズに言い寄ろうとする者がいてもおかしくないが、そんな様子はない。
ルイズが目を瞑り、短く呪文を唱えて杖を下ろす。
その瞬間、机ごと石ころが爆発した。
爆風をモロに受けて、ルイズとシュヴルーズが黒板に叩きつけられる。桐生も思わず腕を顔にかざして爆風に耐える。誰かの悲鳴が上がった。
爆風と音によって驚いた使い魔達が一斉に暴れ始めた。キュルケのサラマンダーが眠りを妨げられた事に腹を立てて口から炎を吹き出す。翼を生やした犬が飛び上がってガラスを突き破り外へ出て行った。その穴から先ほどの巨大な蛇が入って来て誰かのカラスを飲み込んだ。
悲鳴が響き渡り、混乱に陥った教室の中、キュルケがルイズを指差して怒鳴る。
「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」
「ああ、もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」
「俺のラッキーが蛇に喰われた! 俺のラッキーが!」
様々な文句や怒号が響く中、横たわっているシュヴルーズの姿が見える。時折痙攣しているので、死んではいないらしい。
ここで桐生はハッとする。
「ルイズ!」
机に飛び乗り、そのまま飛び移りながら急いで下へ駆け下りる。
ルイズはシュヴルーズの隣で既に起き上がっていた。煤で真っ黒になった姿は見るも無残だ。ブラウスが破け、華奢な肩が覗いてる。スカートは破れてパンツが見えていた。しかし、そんな姿の事も、大騒ぎの教室にも目もくれずにハンカチを取り出す。
手にしたハンカチで顔の煤を拭き取ると、淡々とした口調で言った。
「ちょっと失敗したみたいね」
その言葉に他の生徒から猛然と反撃を食らう。
「どこがちょっとだ! 「ゼロ」のルイズ!」
「いつだって成功の確率ゼロだろうが!」
ここで初めて、桐生はルイズの二つ名が何故「ゼロ」なのかを知る事になった。