ゼロの龍   作:九頭龍

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鎖の重み


第28話

 初夏の日差しが本格的な夏のものに変わろうとする正午、アリエッタは自室で客を待っていた。

 戴冠式を無事に終え、女王となってからは国内外からの来客が格段に増えて一日中誰かしらに会っていなければならなくなった。

 様々な訴えや要求、おべんちゃらを聞き分けながら玉座に腰掛けて威厳を保たなければならないのは尋常ではない神経を使う。しかし、少しでも疲れや弱味を見せてしまってはそこに付け入ろうとする輩があちこちにいる。「王」と呼ばれる者は常に厳格であり、揺るぎない存在でなければならない。たとえそれが、齢十七歳の少女であろうとも。

 しかし、今回の来客はそんな女王の仮面を脱ぎ捨てて接する事の出来る相手だ。

 部屋の外に控えている従者が来客の到着を告げると、アンリエッタははやる気持ちを懸命に抑えながら通す様に伝えた。

 開かれた扉から部屋に入ってきたのはルイズと桐生だ。扉が閉まるとルイズは恭しく頭を下げた。桐生はそんなルイズの隣で軽く会釈して見せる。

 

「ルイズ……ああ、ルイズ!」

 

 アンリエッタは顔を綻ばせながらルイズに抱き着いた。ルイズは顔を上げないまま呟く。

 

「姫様……いえ、失礼致しました。今はもう陛下とお呼びしなければなりませんね」

 

「止めてちょうだい、ルイズ! そんな他人行儀な呼び方、私は許しません! 貴女は私から、最愛のお友達を奪うつもりなの?」

 

「ならば、いつもの様に姫様と呼ばせて頂きます。」

 

「是非、そうしてちょうだい。ああ、ルイズ……私こんなに素直に誰かに話せるなんて久し振りよ。女王になんてなる物じゃないわ。退屈は二倍、窮屈は三倍、そして気苦労は十倍! 鳥籠の中の鳥には、こんなささやかな素直になれる時間が唯一の希望なの」

 

 アンリエッタはつまらなそうに言うと、寂しげな笑みを見せた。

 ふと、アンリエッタの姿が一瞬桐生には堂島大吾と重なった。最後は自らの意志とは言え、自分の押し付けがましい想いで東条会と言う強大な組織の頂点に君臨したあの若きカリスマも同じ思いをしているのだろうか。

 桐生には心の何処かで覚悟している。いつかあの大吾が道を外れるその時が来たら、再び自分の拳で目を覚まさせて見せると。

 桐生が一人考え事をしている中、ルイズは黙ってアンリエッタの言葉を待った。アンリエッタからの使者が魔法学園にやってきたのは午前の授業の始まりであった。二人は教師に事情を話して授業を休み、アンリエッタが用意した馬車に乗り込んでやって来たのだ。

 アンリエッタがわざわざ自分を呼び出した理由。やはり、「虚無」の事なのだろうか。なかなか話し出さないアンリエッタが気になったが、此方から質問するのは何故か憚れた。

 

「姫様。この度の勝戦のお祝いを、言上させて下さいまし」

 

 此方の瞳を覗き込んだまま黙り込むアンリエッタに痺れを切らしたルイズがなるべく当たり障りのない話題で口火を切ると、アンリエッタはそっとルイズの手を握りながら口を開いた。

 

「あの勝利は貴女の……いえ、貴女達のお陰だものね、ルイズ。そして、使い魔さん」

 

 アンリエッタが微笑みながら言うとルイズの顔がハッとなり、桐生の眉が僅かにつり上がった。

 

「私に隠し事はしなくても結構よ、ルイズ?」

 

「わ、私、何の事だか……」

 

 アンリエッタの言葉に思わず声を震わせてしまうもルイズは尚もとぼけようとした。

 そんなルイズにアンリエッタは優しく微笑むと、机から報告書の羊皮紙を手渡した。それを読んだルイズは溜め息を漏らしながら肩を落として見せた。

 

「ここまでお調べとは……流石ですわ、姫様」

 

「あれだけ派手な戦果をあげておいて、隠し通すのは無理と言う物よ」

 

 そう言ってアンリエッタは桐生の方へと顔を向けて歩み寄った。

 桐生はアンリエッタの瞳を真っ直ぐ見返しながら組んでいた腕を下ろした。

 

「以前はアルビオンへの危険な旅からルイズを守り、今回は異国の飛行機とやらを操り敵の竜騎士隊を全滅させた……改めて、厚くお礼を申し上げますわ」

 

「俺はシエスタを、世話になったあの村を救いたかっただけだ。礼を言われる様な事はしてないさ」

 

 桐生が首を振って見せると、アンリエッタは小さく笑った。

 

「貴方にとってはそうかもしれませんが、貴方は救国の英雄です。出来たら貴方を貴族にして差し上げたい所なのですけれども……」

 

 アンリエッタはそこで俯き言葉を詰まらせた。

 何時だったか、キュルケが言っていた言葉を思い出す。トリステインではメイジでない者は貴族になる事は出来ない筈だ。

 

「褒美や肩書きが欲しくて、あの戦いに参加した訳じゃない。余計な気遣いは無用だ」

 

 首を振る桐生に少し驚いた表情で顔を上げたアンリエッタは少し考え込む様に黙り込むと頷き、桐生から離れて二人を交互に見詰めた。

 

「多大な……本当に大きな戦果ですわ、ルイズ・フランソワーズ。貴女と、貴女の使い魔が成し遂げた戦果はハルケギニアの歴史に載る程の物です。本来なら、貴女には領地どころか小国を与え、大公の位を与えても良いくらいです」

 

「い、いえ、私は何も……。手柄を立てたのはカズマですし……」

 

 アンリエッタの誉め言葉に顔を赤らめながらモジモジするルイズに苦笑しながら桐生が優しく頭を撫でてやる。

 そんなルイズに優しい微笑みを浮かべながらアンリエッタは首を振る。

 

「あの光は貴女の力なのでしょう、ルイズ? 城下では奇跡の光と噂されていますが、私は奇跡なんて信じません。あの光が拡がる中、貴女達が乗った飛行機とやらが飛んでいた。私はね、ルイズ……あの光は貴女の力だとしか思えないの」

 

 ルイズは自分を見つめるアンリエッタの瞳にそれ以上隠し事が出来ないのを悟った。

 不安そうに此方を見上げるルイズに、桐生は好きにする様に頷いて見せた。

 ルイズは少し躊躇いがちに口を開いて「始祖の祈祷書」の事を話し出した。桐生と言うパートナーがいるとは言え、少しでも相談出来る相手が欲しかったのだ。「水のルビー」に「始祖の祈祷書」反応して文字が浮かび上がった事、その文字を読み上げたらあの光が発生した事。

 アンリエッタはルイズを見つめながら黙って話を聞いていた。

 

「「始祖の祈祷書」には「虚無」の系統と書かれていました。姫様……それは本当なのでしょうか?」

 

 アンリエッタは瞳を閉じて首を振ってからルイズの肩にそっと手を置いた。

 

「ご存知、ルイズ? 始祖ブリミルは三人の弟子達に王家を作らせ、それぞれに秘宝を遺したのです。トリステインに伝わるのが貴女の嵌めている「水のルビー」、そして「始祖の祈祷書」」

 

「はい、存じております」

 

「王家の間の言い伝えにこう伝えられています。始祖の力を受け継ぐ者は、王家に現れると」

 

「しかし…私は王族ではありませんわ。」

 

「何を仰るの、ルイズ。ラ・ヴァリエール公爵家の祖は王の庶子。なればこその公爵家ではありませんか」

 

 ルイズは思わず息を飲みながら背筋に緊張を走らせた。

 

「貴女の身体には王家の血が流れているのです。資格は十分な筈よ」

 

 そしてアンリエッタは桐生の左手を取ると、手の甲に刻まれたルーンを指で撫でながら眺めた。

 

「この印は、「ガンダールヴ」の印ですね? 始祖ブリミルが用いた三つ柱の使い魔の一柱、呪文の詠唱時間を稼ぐ為だけに生まれた使い魔の印」

 

 桐生は頷きながらオスマンから聞いた話を思い出した。

 

「では……私はやはり、「虚無」の担い手なのですか?」

 

「そう考えるのが正しいでしょう」

 

 ルイズは溜め息をつきながら肩を落とした。今まで才能がないだの無能だのと言われてきたと思ったら、今度は伝説の魔法を扱えると来た。あまりにも唐突過ぎて思考は追い付かず、何処からかどっと疲れが出たのを感じた。

 

「これで私が貴女に勲章は恩賞を授ける事が出来ない理由がわかったわね、ルイズ?」

 

 桐生はルイズの代わりに頷いて後を引き取った。

 

「なるほどな。今ルイズの功績をお姫様が認めちまえば、あの光がルイズの力である事を国内外に伝える事になっちまう。そうなれば敵の目的は当然、ルイズって事になる」

 

 ルイズがごくりと生唾を飲み込むとアンリエッタは真剣な表情で頷いた。

「その通りです。あの光がルイズの力である事がわかれば、敵はルイズを奪うか、始末する為に躍起になるでしょう。敵の的になるのは女王である私一人で十分です。それに……」

 

 アンリエッタは急に言葉を途切らせると辺りを訝しげに見回してから溜め息を漏らした。

 

「敵は空の上だけとは限りません。地の底にも潜み好機を伺っている可能性もあります。貴女のその力を知れば、私欲の為に寄ってくる者もいるでしょう」

 

 ルイズは強張った表情で頷きながら思わず桐生の手を握った。桐生はそんなルイズの手を優しく握り返す。

 

「だからルイズ、その力の事は早く忘れなさい。ここで話した事は、私達だけの秘密です」

 

 アンリエッタは口元に指を立てて見せた。

 ルイズは桐生から手を離すと、暫く俯いた後に顔を上げてアンリエッタの顔を真っ直ぐ見つめた。

 

「恐れながら、私はこの「虚無」を姫様に捧げたいと思います」

 

 その言葉に桐生の表情が険しくなるのを感じたが、懸命にルイズは知らん振りをしてアンリエッタを見つめ続けた。

 アンリエッタはそんなルイズに首を振った。

 

「いえ……良いのです、ルイズ。貴女は一刻も早くその力の事を忘れなさい。そして二度と使ってはなりません」

 

 アンリエッタが窓の外へと視線を向けると、ルイズは一歩前に出て跪き頭を垂れた。

 

「以前母が申しておりました。過ぎ足る力は人を狂わせると。「虚無」等と言う強大な力を持った私がそうならぬ保証はありません。その為にも、私に鎖を与えて欲しいのです」

 

 ルイズは顔を上げると、決意を固めた表情を浮かべていた。その顔は凛々しく、しかしどこか危なげに見える。

 

「私は幼少の頃から、この身を姫様に、この国に捧げたいと思い、そう教育もされてきました。しかし、私には才能と言う武器がありませんでした。それ故についた二つ名は「ゼロ」。嘲りと侮蔑の中、いつも歯痒い思いに身体を震わせていました」

 

 ルイズは悔しそうに顔を歪めて言ってから、キッと表情を険しくさせた。

 

「しかし、そんな私に始祖ブリミルは力を与えてくださいました。私は、私の信じる物の為にこの力を使おうと思います。それでも姫様……いえ、陛下がこの力をいらぬと言うのならば、私は杖を陛下に返さなければなりません。どうか私に、姫様と言う名の鎖を! トリステインと言う名の鎖を与えて下さい!」

 

 叫ぶ様なルイズの言葉にアンリエッタは背を向けて、手で目元を拭った。ルイズの口上に感動したらしい。

 

「お前にその重みが耐えられんのか?」

 

 先程からあまり喋らなかった桐生の怒気を含んだ言葉にルイズとアンリエッタの身体が強張った。

 ルイズは立ち上がって桐生へと身体を向ける。そこには案の定と言うか、真剣に怒った時の表情を浮かべた桐生が腕を組んで此方を見つめていた。

 

「お前が今口にした言葉……その重みがどれ程の物か、わかって言ってんのか、ルイズ?」

 

 ルイズはその言葉から発せられる怒気と圧力に思わず後退りそうになるのを必死に堪えながら桐生の瞳を見つめ続ける。

 

「お前が今自分から着けようとしている鎖は、大人になれば誰でも嫌でも着ける事になる。その鎖は多くの物を失わせる。自分の大事な物も、人も、想いすらも」

 

 桐生の言葉が耳を抜け、脳へと導かれた瞬間ルイズは一瞬見た。両腕に、両足に、首に黒く重々しい鎖が絡まった自分の姿を。

 思わず周りを確認して今のが幻だったのかを確認するルイズ。今の黒く、重々しく、冷たそうな鎖が桐生の言う鎖なのだろうか。

 

「その鎖の重さは生半可な物じゃねぇ。その重さに、次々と大事な物を奪われても耐える覚悟がお前にあるのか?」

 

 重々しく、はぐらかし等一切許されない言葉で問い掛けてくる桐生。

 今の桐生に生半可な覚悟を表しても伝わらないのはルイズもわかっている。だからこそ飾らない、ありのままの想いをぶつける為にルイズは深呼吸をしてから口を開いた。

 

「覚悟ならあるわ。後悔はするかもしれない。辛い思いも、想像以上に待ってるかもしれない。それでも……私は私の信じた道を行くわ!」

 

 きっぱりと言い切ったルイズの言葉に迷いはなかった。

 桐生は正直、ルイズを甘く見ていた。単なる思い付きでアンリエッタの役に立とうと思っていると思っていたが、言葉とその瞳から伝わる迷いの無さはまごう事なき本物だった。

 桐生は暫くルイズを見つめ黙っていたが、やがて小さな溜め息を漏らして首を振った。

 

「なら、もう何も言わねぇ。お前はお前の信じた道を行け」

 

 桐生の言葉にルイズは力強く頷くと、アンリエッタに再び向き直った。

 いつの間にか此方を向いていたアンリエッタはそんなルイズに笑顔を見せた。

 

「ありがとう、ルイズ。やはり貴女は何時までも私の一番のお友達。ラグドリアンの湖畔でも、貴女は私を助けてくれたわね。私の身代わりに、ベッドに入ってくれて……多くの物が時と言う荒波に飲まれ、削られ、形を変えていく中、貴女は変わらずにいてくれているのね」

 

「姫様!」

 

 ルイズはアンリエッタに駆け寄ると、お互いを強く抱き締め合った。

 そんなルイズとアンリエッタを見ながら、桐生は複雑な想いに頭を悩まされていた。ルイズがアンリエッタの手伝いをすると言う事は、簡単に東へ旅する事が出来なくなってしまった。

 この世界の居心地は悪くない。新しい仲間、新しい出会い、新しい知識は桐生の心を高ぶらせ、本当に楽しいと感じられる。しかし同時に、早く遥達の元へと帰りたいと思う自分がいるのも事実だった。

 ひとしきり抱き合った二人はゆっくりと身体を離した。

 

「お願い、ルイズ。私の力になってくれるのなら、これだけは約束して。決して「虚無」の使い手である事を口外しない事。また、みだりにその力を使わない事」

 

「かしこまりました」

 

「「始祖の祈祷書」は貴女に授けます。それと後日、貴女には正式な王室からの許可証を贈らせて貰います。警察権を含む公的機関の使用と、国内外への通行を可能にさせる物です。自由がなければ、仕事もしにくいでしょうから」

 

 ルイズは恭しく頭を下げた。その許可証が届いた暁には、ルイズは女王の権利を行使する許可を与えられた立場になる。

 

「ただいまをもって貴女は私直属の女官です。貴女にしか解決出来ない事件が持ち上がったら必ず相談させて貰います。表向きは普段通り、魔法学園の生徒として過ごして下さい」

 

 それからアンリエッタは腕を組んだまま此方を見守っている桐生へと顔を向けると、身体中のポケットを漁って金銀宝石を取り出して桐生の手に握らせた。

 

「これからもルイズを……私の一番のお友達を宜しくお願いします、優しい使い魔さん」

 

「言われるまでもねぇし、こんな高価な物を受け取る気もない。俺はこいつの使い魔だ。見返りが欲しくてこいつを守ってる訳じゃねぇ」

 

 手に握らされた金銀宝石を返そうとするも、アンリエッタはその手を握りながら首を振った。

 

「わかっています。貴方が私欲の為にルイズの側にいたとしたら、ルイズは間違いなく貴方から離れている筈です。ですから、これはそれに対する報酬ではありません。大切なお友達を救い、この国を救って下さった貴方への、私からの気持ちです。どうか受け取って下さい」

 

 アンリエッタの真摯な瞳が桐生の眼を見つめた。その眼を見ていると、受け取らなくてはならない気がしてしまう。

 帰る手掛かりを探せるのはまだ先だろうなと思いながら、桐生はアンリエッタに礼を述べて金銀宝石をポケットにしまいこんだ。

 

 

 桐生とルイズが並んで王宮を出ると、ブルドンネ街の活気が出迎えた。街は勝戦祝いで未だに賑わい、酔っぱらった一団がワインやエールの入ったグラスを高々と掲げて乾杯を繰り返していた。

 

「ルイズ、学園から出てから何も食べてないだろう。少し遅めになったが、帰る前に昼飯でも食べていかないか?」

 

「そうね、確かに少しお腹が空いたわ」

 

 桐生の提案に頷きながらルイズは自分の腹を押さえた。

 魔法学園にアンリエッタの使いが呼び出しに来てそのまま此方に来てしまった為、二人は昼食を食べるタイミングを逃してしまったのだ。

 行き交う人々の中のブルドンネ街の大通りはやはり狭い。桐生はルイズの手を握ろうと触れると、ルイズがパッと手を引っ込めた。

 

「き、急にどうしたのよ!?」

 

 真っ赤な顔で怒鳴るルイズに桐生は首を傾げて見せる。

 

「こんなに人が行き交ってちゃはぐれちまうだろう? だから手を繋いだ方が良いだろ?」

 

「ば、馬鹿にしないでよ! 私はもう子供じゃないわ!」

 

 桐生の提案に怒鳴り声で返したルイズはそっぽを向くとそのまま歩き出してしまった。桐生が頭を掻きながら何故ルイズが怒ってるのかと疑問に顔を歪ませるとそれに続く。

 ズンズン進んだルイズの肩に誰かの背中が強くぶつかった。

 

「いってぇな!」

 

 ぶつかった痛みに声を上げながら振り返ったのは三十代くらいの男だ。どうやら傭兵崩れらしい。手に持ったワインの瓶をグビグビラッパ飲みしている。相当酔っているらしく、身体からは酒臭い臭いが漂っている。

 ルイズはその臭いに不快そうに眉をひそめながら無視して歩こうとすると、男がその細い腕を掴んできた。

 

「待ちなよ、お嬢ちゃん。人にぶつかって挨拶もなく行くってぇのかい? そんな法はねぇぞ」

 

「おいおい、そのお嬢ちゃん貴族だぜ?」

 

 傭兵崩れの仲間らしい男がルイズのマントに気付いて言う。

 しかし、腕を掴んだ男は動じない。

 

「今はタルブの勝戦祝いの真っ最中だ! 無礼講だ! 貴族も平民もありゃしねぇ! ほら、お嬢ちゃん。ぶつかった侘びに、俺に一杯注いでくんな」

 

 グイッとワインの瓶を突き出して来た男をルイズはキッと睨み付ける。そんなルイズの態度に、男の表情が凶悪に変わった。

 

「んだぁ、その眼は!? このクソガキ、俺には注げねぇってのか! 誰のお陰でタルブでの戦争に勝てたと思ってやがんでぇ! 「聖女」でもてめぇ等貴族でもねぇ! 俺達兵隊だ! 高みの見物しかしなかった貴族が、偉そうにしてんじゃねぇ!」

 

 仲間から口笛や歓声が上がる中、男がルイズの髪を掴もうと手を伸ばすも、その指が桃色の髪に触れる事はなかった。

 横から手首を掴んだ桐生の手が、ゆっくり男の手をルイズの髪から離させた。

 

「んだぁ、てめぇは!?」

 

「そいつは俺の連れだ。汚ねぇ手で触んじゃねぇ」

 

 桐生の登場に仲間の男達も表情を一瞬変えたが、此方に向けられる鋭い眼光に一瞬息を飲む。

 桐生は男からワインの瓶を奪い取ると、小さく振って見せた。

 

「そんなにこいつが呑みてぇなら俺が呑ましてやる。遠慮すんな。良く味わえる様に瓶ごと呑ましてやるよ」

 

 静かな声で凄みを利かせる桐生に男は言葉を詰まらせ視線を逸らした。長年戦場を生き抜いてきた経験が桐生との力の差を本能的に思い知らせてくる。例え仲間と束になってかかった所で勝てないだろう。

 男は桐生の手を振り解くと、仲間を促し去っていった。

 桐生はつまらなそうに溜め息を漏らしながら近くにあった木箱にワインの瓶を置くと、気が動転しているルイズに顔を向けた。

 

「だから言っただろう。手を繋いだ方が良いって」

 

 桐生の言葉に何も言い返せないルイズは小さく俯いた。

 少し下を向いた視線の中に、差し出された見慣れた手が入ってきてルイズは顔を上げる。そこには、優しく笑う桐生の顔があった。

 

「今度はちゃんと握れよ?」

 

「…………ん」

 

 ルイズは小さく頷いて桐生の手を握る。

 人混みを掻き分けながら歩く桐生について歩きながら、自分の手をしっかりと握ってくる温もりに思わず頬が熱くなる。

 子供扱いされたのに腹を立てて迷惑をかけるなんて、やはり自分はまだまだ子供なんだとルイズは内心バツが悪そうにした。

 しかし、桐生と共に歩いていくうちに、周りの活気や華やかな雰囲気がルイズの沈んだ心をウキウキとさせた。

 周りに立ち並ぶ珍しい品々を取り揃えた露店は、地方領主の娘であるルイズには初めて見る物だった。

 

「あっ」

 

 辺りを見回していたルイズは一軒の店に目が行って歩く足を止めた。

 思わず突然止まったルイズを引っ張りそうになった桐生も歩く足を止めて、ルイズの視線の先に目を向ける。

 どうやらルイズは宝石商に目を止めたらしい。立てられたラシャの布に指輪やネックレスが並んでいた。

 

「見ていくか、ルイズ?」

 

 桐生の言葉にルイズは瞳をキラキラと輝かせながら頷いた。

 二人が近付くと、ターバンを頭に巻いた商人が厭らしい顔で揉み手をして見せた。

 

「いらっしゃいいらっしゃい! どうですか貴族のお嬢さん。珍しい石が集まってますよ。どれもこれも「錬金」で作った紛い物じゃございません。正真正銘、天然の石ですよ」

 

 並んだアクセサリーの多くは、ゴテゴテと飾られたどこか下品さを感じさせる物だ。しかし、そんな中でもシンプルな作りだったり、高級感が出ている物もある。

 ルイズは並べられたアクセサリーの中でペンダントを手に取った。小さな銀細工に二センチ程の六角柱に削られた翡翠色の石が嵌め込まれている。石の色がルイズの瞳の鳶色を連想させる。

 

「お嬢さん、お目が高い。その石は加工が難しい石で、そんなに上手く形を削り出せたのは珍しいんですよ」

 

 日の光を浴びて輝く翡翠色の宝石にルイズはもう虜になってしまったらしい。掌に乗せては、可愛らしい指先で宝石を撫でている。

 

「欲しいのか?」

 

 そう声をかけた桐生に、ルイズは困った様に首を振った。

 

「お金がないから、いいわ」

 

「それでしたらお安くしときますよ。四エキューにしときます」

 

「……全然安くないじゃない」

 

 安くすると言う商人の言葉に一瞬輝いたルイズの表情はゆっくりと沈んで悔しそうに言葉が口から出てきた。

 

「お前、小遣いはないのか?」

 

 桐生がそう尋ねると、ルイズはつまらなそうに唇を尖らせて頷いた。

 

「あんたの剣を買う時に、今季のお小遣いを全部使っちゃったのよ」

 

 ルイズはそう言ってペンダントをラシャの布に戻した。が、視線はずっとそのペンダントに釘付けだ。よほど気に入ったのだろう。

 桐生はおもむろにポケットの中から先程アンリエッタから貰った一円玉程の大きさの金貨を取り出すと、ペンダントを手に取りながら金貨を商人に差し出した。

 

「これで何枚必要だ?」

 

 商人は桐生の顔と手に握られた金貨を交互に見ながら呆気に取られた表情を浮かべた。桐生が想像以上に金を持っていて驚いたのである。

 

「こ、こんなには頂けませんよ! ひい、ふぅ、みぃ……と、これで結構です。」

 

 先々王の顔が描かれた金貨を四枚取った商人が満足げに言った。

 

「ルイズ、ちょっと後ろを向け」

 

「えっ?」

 

「着けてやる」

 

 桐生の行動に呆気に取られていたルイズは声をかけられて慌てて後ろを振り向いた。

 桐生の手が自分の桃色の髪を少し掻き分ける様に弄る感触がくすぐったいが、ルイズの頬はそのくすぐったさとは違う理由で緩んでいた。桐生からの初めてのプレゼント。それだけでルイズは嬉しくて堪らない。

 ホック式の留め金が首の後ろで留められると、ルイズは桐生に振り返った。五芒星のループタイと重なる様にペンダントが首から下げられていた為、桐生がループタイを少しだけ下にずらしてあげた。

 

「……ど、どうかしら?」

 

 期待と不安が入り交じった表情で尋ねるルイズ。そんなルイズに桐生は微笑みながら頷いた。

 

「似合ってるぜ、ルイズ」

 

 桐生の言葉にルイズは思わず一瞬思いっきり頬を緩めた。

 しかし、すぐにハッとして桐生の手を掴むと引っ張りながら歩き出した。

 

「お、おい、どうしたんだよ、ルイズ?」

 

「う、煩いわね! す、すっごくお腹が空いたの! 早くお昼ご飯にするわよ!」

 

「わ、わかった、わかったから引っ張らないでくれよ」

 

 懇願する様に言う桐生を無視して、ルイズはズンズン進む。

 今は桐生と並んで歩けない。並んで歩いたら、今のどうしようもなく緩んでしまっている顔が見られてしまう。そんな恥ずかしい姿を見せたくない。

 しかし、喜びに緩んだ頬の筋肉はどう頑張っても中々元に戻ってくれず、ルイズは桐生を引っ張りながら嬉しくて堪らない笑顔を浮かべ続けた。


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