ゼロの龍   作:九頭龍

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甘えられる存在


第27話

 タルブの草原での戦争から数日後。勝戦にトリステインの城下町が賑わう中、魔法学園はいつもの様に学生達の変わらぬ日常が流れていた。魔法学園では朝食の際にオスマンから王軍の勝利を伝えられただけで、他には情報が生徒達に入ってくる事はない。

 ハルケギニアでは貴族同士の戦争は、言わば年中行事なのだ。世間が知らないだけで、毎日の様にどこかで小競り合いが始まっては小さな戦争が起きる。その為始まった事には騒ぐも、済んでしまえば落ち着くのも早い。

 そんな貴族達の常識には当てはまらない桐生は、ルイズが授業を受けている間に女子寮の庭でデルフリンガーを素振りしていた。

 白い刃が空を裂いてビュンッと言う音を立てる。数時間に及ぶトレーニングで火照った身体の額から滲む汗が頬を伝い、顎を伝い、雫となって地面に落ちる。

 

「鬼気迫る物を感じるぜ、相棒」

 

 振られていたデルフリンガーが呑気な調子で声を上げた。

 

「どうしたんでい? あの戦の後から妙に気が張ってるじゃねぇか。ちっとはリラックスしたらどうだい?」

 

「そうもいかねぇな。」

 

 最後の一振りとばかりに力強くデルフリンガーを振るいながら言った桐生は身体から力を抜き、持ってきていたタオルで顔を拭う。

 

「どんな理由かは知らねぇが、あの戦艦を沈めたのはルイズだ。今はまだ誰も知らないみたいだが、それに相手が気付けば必ずルイズを狙いに来る。魔法なんて物が使えるこの世界では、今の俺じゃあ駄目だ。もっと強くならなくちゃならねぇ。」

 

「あの娘っ子を守る為にかい?」

 

「半分正解で、半分外れだ」

 

 初夏の日差しが降り注ぐ中で顔を拭ったタオルを肩に掛け、女子寮の壁に抜き身のデルフリンガーを立て掛けて自分も壁に背中を凭れかけると拳を握った。

 

「ルイズだけじゃない。俺は、俺の周りにいる奴等を守る。自分の身体を張ってでもな。」

 

 力強く宣言する桐生に、デルフリンガーは笑う様にカタカタと柄を揺らすとそのまま押し黙った。

 初夏らしい涼しくも暑さを感じさせる風を感じながら桐生が溜め息を漏らすと、午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 そろそろ昼食の時間だが、流石に食事の場に汗臭いまま出るのは失礼と感じた桐生は、デルフリンガーを鞘に納めて井戸へと足を運んだ。

 ジャケットとシャツを脱いで近くに置かれていた木箱に置くと、井戸の釣瓶を引いて頭から水を被る。バシャバシャと頭や身体に当たって弾ける水がズボンを濡らすが、この気温なら直ぐに乾くだろうと高をくくって気にしない。

 水に濡れた髪を手櫛で掻き分けていると、

 

「あっ……」

 

 と言う声が背後から聞こえて振り返る。そこにはシエスタがバケツを持って立っていた。どうやら水を汲みに来たらしい。

 あの日、竜騎士を全滅させ、巨大戦艦を撃沈させた桐生とルイズはタルブの村人総出でお祝いをされた。

 その日は無事だった家に泊めて貰い、翌日に馬車で学園へシエスタと共に戻ってきたのだ。

 シエスタが声を上げたのも無理がない。背格好から桐生だと分かりルンルン気分で近付くと、背中に彫られた荒々しい龍の刺青が目に飛び込んで驚いたのだ。

 

「シエスタ……すまん、驚かせたな」

 

「い、いえ……大丈夫です」

 

 申し訳なさそうに話ながら身体を此方に向けてタオルで頭を拭く桐生にシエスタは首を振って見せた。

 

「それ、ドラゴンのタトゥーですか?」

 

 シエスタが恐る恐るながらも興味津々と言った様子で問い掛けてくる。桐生は小さく笑いながら頷いた。

 

「まぁ、そうだな。俺の国では刺青と言うんだが」

 

「あの……カズマさんが良ければ、なんですけど。もう少し、見せて貰えますか?」

 

 意外なお願いに少し首を傾げてから、桐生はゆっくりと再びシエスタに背を向けた。

 荒々しく、力強く天に昇ろうとしているかの様に身をくねらせ牙を剥いている姿はこの世界のドラゴンとは身体の作りが違う様に見える。黄色く鋭い爪に掴まれた玉に描かれているのは知らない文字だ。

 シエスタは持っていたバケツを置いて、そっと応龍の刺青に手を這わせる。浴びた水のせいで湿り気を帯びた肌は熱く硬い。

 

「なんて言うか……このドラゴン、カズマさんに似ていますね」

 

「俺に?」

 

「はい。とても力強くて、怖いのにどこか優しさを感じます。まるで、そう……カズマさんみたい」

 

 シエスタはトンと額を桐生の背中に当てて、伝わる温もりを感じながら囁く様に言ってからパッと離れた。

 

「ごめんなさい、馴れ馴れしかったですよね?」

 

「いや、そんな事はないさ」

 

 慌てた様に言うシエスタに微笑みながら言うと、桐生はシャツとジャケットを羽織った。

 

「それじゃあ、またな」

 

「はい」

 

 満面の笑みを浮かべて挨拶をしたシエスタはバケツの水を汲んで食堂へと向かう桐生を見送った。

 桐生の背中に触れていた掌を眺めてから、シエスタはその手を握り締めて自身の胸元に当てた。

 

 

 夜。夕食を終えて部屋に戻った桐生は椅子に腰掛けて晩酌のワインを呷っていた。ベッドではルイズが寝そべりながら手に持った「始祖の祈祷書」を眺めている。

 ルイズは「始祖の祈祷書」をベッドに置くと目だけを動かして桐生に視線を移す。

 開かれた窓の向こうに広がる夜空を眺めながらワインを呑む姿はなかなか様になっている。まるで小説の挿し絵の様だ。

 夜空を肴にお酒なんて、意外とロマンチストなのね。

 ルイズは心の中で一人呟くと、ベッドから立ち上がって棚からグラスを出して桐生の反対側の椅子に腰掛ける。

 桐生が目の前にやって来たルイズに顔をしかめると、ルイズはスッと自分のグラスを桐生に差し出した。

 

「私にも注いでちょうだい」

 

 ぶっきらぼうに言うルイズに苦笑してから、桐生は瓶を掴んでグラスにワインを注ぐ。

 黒々とした赤い液体がルイズのグラスを満たしてから、自分のグラスにも注ぐと桐生はそのまま軽く掲げて見せた。

 桐生の意図に気付いたルイズは小さな笑みを浮かべるとそのままグラスを同じ様に掲げ、カチンと小気味良い音を立てて乾杯が交わされた。

 グラスに口をつけ、口の中に広がる渋味を秘めた心地好い苦味を味わってからルイズはグラスをテーブルに置き、窓の外で輝く星と二つの月を眺めた。

 暫くの沈黙の後、ルイズは思わず溜め息を漏らしながら胸の中にある不安を桐生に話すべきかどうか迷っていた。

 伝説の系統「虚無」。自分にあんな力が眠っていた実感が湧かない。授業では未だ四大系統は失敗するが、今まで一度も成功した事がなかった簡単なコモン・マジックは成功する様になった。コモン・マジックは、自分にあった系統に目覚めた途端に使える様になると言われている。やはり本当に自分は「虚無」の系統なのだろうか。

 

「不安か?」

 

 不意に声をかけられていつの間にか俯いていたルイズがハッと顔を上げる。すると先程まで夜空を眺めていた桐生が此方を見つめていた。

 

「……うん。正直言って、不安だわ」

 

 心を見透かされた気がしたルイズは再び溜め息を漏らしてから桐生に相談することを決めた。

 

「未だに四大系統は失敗するのに、あんな巨大な光の玉を出せるなんて……やっぱり私は「虚無」の使い手みたい。正直少し嬉しかったわ。今まで自分が失敗してきたのは私自身のせいじゃなくて、私が自分にあった系統を使えていなかったせいだってわかったから。今までは単純に才能がないから、私は駄目だからって思っていたのにそれが間違いだってわかったから。でも……」

 

 ルイズはそこで一呼吸置いてグラスの中に残ったワインを飲み干した。酔いで赤らんだ表情で溜め息を漏らしながら空になったグラスをテーブルに置いて俯く。

 

「不安なの。私が使った「エクスプロージョン」は城下町では「奇跡」と言われてる。でもいつか、必ず王室の誰かが私の「虚無」に気付く。そうなったら、どうなっちゃうのかな? 私は……やっぱり戦争の為に利用されちゃうのかな?」

 

 ルイズの身体が小刻みに震え始める。閉じた瞳の闇の中で浮かぶのは、目の前で胸を貫かれたウェールズや桐生が撃ち落とした竜騎士達。

 今まではただ眺めていた誰かの死が、今度は自分の手で誰かに死を与えなければならなくなるのかもしれない恐怖がルイズの中を駆け巡る。

 そんなルイズの頭をポスッと乗せられた掌が優しく撫でる。クシャクシャと髪を掻き分けて撫でてくる感触は温かく、ルイズの中の恐怖や不安を溶かす様に安心を与えた。

 ゆっくり顔を上げると、いつの間にか自分の隣に立っていた桐生が頭を撫でながら優しい瞳で此方を見つめていた。

 

「大丈夫だ、ルイズ。お前は俺が守る。何があってもな」

 

 ルイズはその言葉と掌の感触の心地好さに目を細める。明確な約束もされていない言葉なのに、何故こんなにも信じる事が出来るのだろう。

 親よりも、もしかしたら自分が心から慕っている姉よりも、桐生は自分にとって甘えられる存在なのかもしれない。

 甘えてばかりではいけないと言う思いはある物の、ルイズはまだ十代の少女。甘えたいと言う願望は簡単に消える物ではない。

 徐々にぼやけた視界の中で瞼が下りていき、桐生に身体を預けたままルイズは眠りについた。

 

 

 身体に走る苦痛から、ワルドは目を覚ました。視界に広がるのは見慣れない天井だ。

 自分の身体に巻かれた包帯を見てから、辺りを見回す。板張りの壁の粗末な部屋だ。木製の机が一つと、自分が横になっているベッド以外は何もない。粗末に造られた窓からは日の光が差し込んで部屋を照らしている。

 

「俺は、一体……?」

 

 痛む身体をベッドに預け、天井を眺めてながらワルドは記憶を掘り起こした。

 タルブでの空中戦で、桐生が操る見慣れない竜の様な物に後ろから何かの魔法で身体を貫かれ、地面に向かって墜ちていく所から記憶がない。

 無意識に左手が胸元に行くと、いつも着けているペンダントがない事に気付く。

 首を動かして辺りを再度見回すと、机の上にペンダントがあるのが見えた。銀製のチェーンにロケットのついたシンプルな造りはすぐに自分の物だと判断出来る。

 起き上がろうと痛む身体を動かしてベッドの端に腰掛け、立ち上がろうとした瞬間に脚に力が入らずそのまま派手に前のめりに倒れてしまう。硬い床に打ち付けられた痛みと傷の痛みに顔が歪む。

 

「ちょっと! あんた何やってんの!?」

 

 女性の怒鳴り声に苦痛に歪む顔を上げると、そこにはフーケが立っていた。地面に這いつくばる此方を驚いた表情で見下しながら、盆に乗せられた湯気立つスープを机に置いて駆け寄る。

 

「まだまともに動けない癖に無理するんじゃないよ! 弾に身体を貫かれて瀕死だったってのに!」

 

「弾、だと? 俺は、弾で撃たれたのか? つっ!」

 

 身体を抱きかかえられて肩を借りながらフーケの言葉に疑問を感じながらも、乱暴に寝かされた身体の痛みに思わず声を漏らした。

 

「もう少し優しく寝かせられんのか? そんなんじゃ嫁に行けんぞ?」

 

 身体から力を抜いて溜め息を漏らしながら悪態をつくワルドを無視して、フーケはワルドの身体を「レビテーション」で僅かに浮かせて上体を起こさせてから再びベッドに下ろした。

 

「それだけ口が回るなら大分良くなったって事でしょ? ほら、スープだよ。食べて少し身体と心を落ち着かせな」

 

 ベッドに腰掛けてフーケが持ってきたスープを一匙救うとワルドの口元に運んだ。

 ワルドは少々訝しげな表情をしながらも素直に口を開いてスープを味わう。

 スープを全て飲みきったワルドは漸く人心地ついて身体をベッドに預けた。

 

「ここはどこだ?」

 

「アルビオンのロンディニウム郊外の寺院だよ。昔厄介になった事があってね。今回も口を聞いて使わせて貰ってるのさ。無事にここまでに連れてきた私に感謝するんだね」

 

「アルビオンだと? 侵攻作戦はどうなったんだ?」

 

「ああ、そっか。あんたは気を失ってたから知らないんだね。失敗も失敗、大失敗さ。艦隊、及び地上部隊は全滅。「勝利はこれ疑い無し」が聞いて呆れるよ」

 

 呆れた様に手を広げて首を振って見せるフーケの言葉にワルドは顎に手をあてがって考え込んだ。

 竜騎士は間違いなく桐生の操っていたあの竜もどきにやられたのだろう。地上部隊も恐らく桐生がやったのだと納得がいく。だが、艦隊はどうだ? 確かに強力な弾を放つ竜もどきではあるが、あの弾丸程度で破れるとは思えない。

 

「アルビオンの敗北の原因は何だ?」

 

「……一応、二つだと噂は流れているよ」

 

 ワルドの言葉にフーケは溜め息を漏らしながら腕を組んで顔をしかめて見せた。

 首を傾げるワルドにフーケは指を一つ立てて見せた。第一の理由と言うらしい。

 

「タルブの空に突然巨大な光の玉が現れたんだ。まるで小さな太陽の様なね。その光が止んだ途端に艦隊は全滅したよ。まるで爆発に巻き込まれた様に煙を上げながらね。世間ではトリステインのお姫様の起こした「奇跡」と言われてるよ。実際は謎だけどね」

 

 フーケは空になった皿をつまらなそうに爪先でピンと弾いて見せながら呟いた。

 不意にワルドの脳裏にルイズの顔が浮かび上がった。ルイズの中に秘められていた力を高く買っていたからこそ自分の手元に置いておこうと思った。

 気絶してしまっていた為その光の玉とやらは見えなかったが、その光はやはりルイズの仕業なのだろうか。ルイズもまた「虚無」の使い手なのだろうか。

 馬鹿な、とワルドは首を振った。クロムウェルの話によれば「虚無」の系統は生命を操るとの事だ。そんな艦隊を潰す様な巨大な光の玉なんて個人で扱えるとは思えない。

 考え込んでいたワルドの目の前に二本の指を突き付けながら今度は真顔になったフーケがズイッと顔を近付ける。

 

「それともう一つ。「トライデント」が今回の戦争に介入した恐れがある」

 

「何だと!? っ!」

 

 予想外の情報にワルドが思わず声を荒げると、振動が身体に響いて痛みに顔をしかめる。

 

「まぁ、こっちは誰かが見た訳じゃないからなんとも言えないけどね。ただ、艦隊にいた人間からの信号の中に、「トライデント」に地上部隊が全滅させられたって言うのがあったらしいからね」

 

 フーケは困惑した様に漏らした。

 仮に「トライデント」がトリステインについたのが事実ならば、今回の戦争は生半可な物ではなくなってしまう。今回だって数は圧倒的に此方が優位だった筈だ。だから確実な勝利が約束されていた、筈だった。

 桐生の操っていた竜もどき、ルイズの秘められていた力の解放、「トライデント」の介入……あまりにも予想外な事が重なり過ぎる。

 

「そこのペンダントを取ってくれ」

 

 ワルドは落ち着かない様子で机の上に乗ったペンダントを指差した。

 フーケは言われるままにペンダントを摘まんでワルドに手渡すと、すぐさま首に着けた。

 

「それ、大事な物なの?」

 

「別に……。身に付けてないと落ち着かないだけだ」

 

「ふ~ん……ずいぶん綺麗な人が入っているから?」

 

 まるで猫の様な悪戯っぽい笑みを浮かべて言うフーケに、ワルドの顔に僅かながら赤みが差した。

 

「貴様……中を見たのか?」

 

「あんたを介抱してる時に首から落ちてたまたま開いちゃってね。まぁ、お宝以外に覗きの趣味はないから安心して。で? で? 誰なのよ、それ? 恋人?」

 

 身を乗り出して好奇心を露にしながら問い掛けてくるフーケはまるで猫その物の様に見える。

 一瞬その細く白い首を掻っ切ってやろうかと考えたがワルドはロケットを握り締めながら溜め息を漏らした。

 

「そんなんじゃない。俺の、母だ」

 

「母親? あんた、意外とマザコンな所があるのね」

 

「好きに言え。もういないし、貴様には関係ない」

 

 そう言ってムスッとした表情でそっぽを向いたワルドにフーケが両手を広げて首を振ると、扉がガチャリと開かれた。

 扉から現れたのはクロムウェルと黒いローブで身を包んだシェフィールドだった。クロムウェルはワルドの顔を見るなりにっこりと笑みを浮かべる。その笑顔からは感情が読み取れず、まるで仮面の様だった。

 

「目が覚めたかね、子爵。無事で何よりだ」

 

 人懐っこそうな笑顔を浮かべたままクロムウェルが言うと、ワルドは深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません、閣下。一度ならず二度もの失敗……何とお詫び申し上げれば良いか」

 

「気にする事はない、子爵。今回の敗戦、君に原因は何もない」

 

 クロムウェルがチラリとシェフィールドに目配せさせると、シェフィールドは報告書らしい羊皮紙を捲りながら頷いた。

 

「報告によれば、突如空に現れた光の玉が膨れ上がり、我が艦隊を吹き飛ばしたとあります。更には、例の「トライデント」が地上部隊を全滅させたとも」

 

「つまり、敵に未知の魔法を使われた挙げ句、強大な力を持った化け物までも此方の敵になってしまった。これは大きな計算違いだ。強いて敗因を挙げるなら……敵の力量を見謝った我々指導部の問題だ。君達一介の兵に罪を擦り付けるつもりはない。しかし、君にはまだまだ働いて欲しい。今はゆっくりと療養して傷を癒し、再び余の杖として活躍してくれるかね、子爵?」

 

 クロムウェルは優しげな微笑みを浮かべながら手を差し出して見せると、ワルドはその手の甲に口付けた。

 

「必ずや」

 

「ありがとう、子爵」

 

 クロムウェルがワルドから手を引っ込めると粗末な造りの窓から外を眺めた。

 

「しかしながら、その光の玉とやらが「虚無」かどうかを調べるのも必要だが、「トライデント」が敵についたとなると厄介この上ない。かつてメイジ三千人を葬ったあの力が我々に牙を向いてくるとなると手を打たねばならぬ」

 

「仰る通りです」

 

 シェフィールドが報告書をペラペラと捲って僅かに眉を潜めた。

 

「「トライデント」はその知名度故に存在その物の目撃情報自体は掴めますが、あの「オブリビオン」との戦い以来数年が経った今も拠点は愚かメンバーの素性も一切割れていません。更に出現する町や国にも関連性がなく、裏社会でも誰もその尻尾を掴めていない、まさに神出鬼没と言った状態の様です」

 

「彼等の目的はわからぬが、向かってくるなら排除せねばなるまい。だがその前に、あのトリステイン軍を率いたのはアンリエッタ姫殿下だったと聞いている。箱入りのお姫様だと高をくくっていたがなかなかどうしてやるものだ」

 

 「トライデント」の話を重々しく話していたクロムウェルはアンリエッタの話になるとどこか楽しそうに話し始めた。

 

「彼女はトリステインで「聖女」として崇められ、しかも近々女王として即位するそうじゃないか。王とは国その物。王を手中に納めれば国を納めたも同然。そうなれば、「始祖の祈祷書」も難なく我が手に納まろう。ならば成すべき事は一つだ」

 

 クロムウェルがパチンと指を鳴らすと、廊下から蘇ったウェールズが部屋に入ってきて深々と跪いた。

 

「お呼びでしょうか、閣下」

 

 まるで人形の様な、感情を感じられない声で問い掛けてくるウェールズはどこか儚く見える。

 クロムウェルは跪いたウェールズの肩を優しく掴みながら口を開いた。

 

「親愛なるウェールズ君。余は君の恋人である「聖女」を我がロンディニウムの城に招待しようと思う。しかし、道中何もなくては退屈だろう。君が迎えに行ってやれば彼女も喜んで来てくれる筈だ。任せられるかね?」

 

 クロムウェルの言葉に顔を上げたウェールズは冷たい笑みを浮かべながら頷いた。

 

「御意に」

 

「結構。ではワルド君、ゆっくり療養してくれたまえ。「聖女」の迎えはウェールズ君に任せるとする。何か入り用ならミス・シェフィールドに遠慮なく言ってくれたまえ」

 

「閣下のお心遣いに感謝の言葉もありませぬ」

 

 ワルドは再び深々と頭を垂れてからクロムウェルの隣で佇むシェフィールドを眺めた。

 深く被ったローブのせいで表情が見えないが、覗く顎の細いラインにそれなりの美女である事が窺える。それにクロムウェルの秘書なだけでなく、事務処理の能力は高そうだ。特別強い魔力は感じられないが、恐らく何か特殊な力があるのだろう。ただの秘書にしてはクロムウェルの信頼が相当厚い事が何となく窺えた。

 

「ああ、そうそう。「土くれ」殿、道中我がアルビオン兵の道案内役、実に感謝しているよ。余の気持ちとして受け取ってくれたまえ」

 

 クロムウェルがシェフィールドに頷いて見せると、ローブから取り出された小さな袋がフーケに手渡された。

 持った重みに手に伝わるジャラッと言う感触から金貨なのが窺える。

 

「では、失礼するよ」

 

 ワルドとフーケにニコッと笑いかけてから、クロムウェルはウェールズとシェフィールドを引き連れて部屋から出ていった。

 フーケは手渡された金貨入りの袋を乱暴に机に放り投げるとらクロムウェル達が出ていった扉を忌々しそうに睨んだ。

 

「ふん、いけ好かない男だね。死んだ恋人を餌にして女を呼び出そうなんて……だから私は貴族が嫌いなんだ」

 

「あの男は貴族ではない。元は一介の司祭だ」

 

「ああ、そうだったね。なら、今日は記念日だね。貴族以外で貴族と同じくらい大っ嫌いな存在が生まれた事のね」

 

 ワルドの指摘に苛立った様に派手に手を振りながら首を振ったフーケはワルドに視線を向ける。

 するとワルドは左手を強く握り締め、肩をワナワナと震わせていた。

 

「どうかしたの?」

 

「死人に仕事を取られるなど……くそっ! こんな所で立ち止まっている場合ではないと言うのに! 「聖地」が、俺の目的が遠退いていく……!」

 

 悔しそうに歯を食い縛りながら瞳を閉じて悲痛の想いを口にするワルドにフーケは小さく溜め息を漏らしてから、ワルドの頬を優しく撫でた。

 

「本当にそれを目指しているなら、焦りは禁物さ。時には立ち止まり、傷を癒すのも必要だよ」

 

 フーケはベッドの端に腰掛けるとワルドの顎をクイッと上げて俯いていた顔を此方に向けさせると、唇を重ねながらゆっくりと押し倒した。

 

「何の、真似だ……?」

 

 唇が離され解放された口でそう問い掛けるワルドに、フーケは優しく微笑んだ。

 

「私も焼きが回ったのかしらね? あんたみたいに何かの為に必死にもがいてる男を見ると……放っておけないのよ」 

 

 傷だらけの身体に負担を掛けない様に気を遣いながらワルドの身体に覆い被さり、互いの吐息がかかるほどの距離で瞳を見つめてフーケが囁く。ローブ越しの乳房が包帯が巻かれたワルドの胸板に押し付けられる。

 

「貴様に、俺の何がわかる……?」

 

「さぁ? これからわかるかもしれないし、一生わからないかもしれない。けどね、人の温もりを感じないまま生きられるほど、あんたが強くないのはわかるよ」

 

 フーケのしなやかな指先がワルドの身体をなぞる様に這わされ、くすぐったさに身を捩るワルドにクスクスと小さく妖艶な笑みが浮かぶ。

 

「勘違いしないでよ? 誰にでもこんな事する訳じゃない」

 

「……言ってろ。」

 

 ワルドはもう抵抗を止めてフーケに身体を預ける様に力を抜いた。フーケの指先が、ワルドの腹からズボンに向かって這わされていく。

 

「貴様こそ、勘違いするな」

 

「何を?」

 

 不意に言葉を紡いだワルドに指の動きを止めて首を傾げるフーケ。

 ワルドは躊躇う様に視線を少し泳がせてからフーケの瞳を見つめて口を開いた。

 

「俺も、女なら誰でも抱く訳じゃない」

 

 悔しそうに言って視線を反らしたワルドに、フーケはどこか楽しげに含み笑いをして見せた。

 

「なら、今だけはお互い甘え合おうじゃない。身体、痛くて上手く動けないでしょ? 私がしてあげるから……」

 

 ズボンのベルトに手をかけながら、フーケはワルドに深く口付けた。


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