ゼロの龍   作:九頭龍

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宣戦布告


第24話

 ゲルマニアの皇帝アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式は、ゲルマニアの首都に当たるヴィンドボナで執り行われる事になった。式の日取りは三日後、ちょうど月を跨いだニューイの月の一日に行われる。

 そして本日はトリステイン艦隊旗艦の「メルカトール」号が新生アルビオン政府の客人を迎え入れる為に、艦隊を率いてラ・ロシェールの上空に停泊していた。

 甲板では、艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵が服装を正して客人を待っていた。その横では艦長のフェヴィスが退屈そうに口髭を弄っていた。

 

「ちっ、流石は自らの王を死に追いやる連中だ。時間も守れん野蛮人共しかいないらしい」

 

 イライラした様子で舌打ちをしながらラ・ラメーは呟く。向こうが此方に出向く筈の約束の時間は等に過ぎていた。

 

「野蛮人は野蛮人なりに着飾っているのではないですか? もっとも、正装と言う物を理解していれば……の話ですが。」

 

 フェヴィスがラ・ラメーに見えぬ様に小指で耳の穴を掻きながらどうでも良さそうに呟くと、鐘楼に登った見張りの水兵が声を上げた。

 

「艦長! 左上方より艦隊!」

 

 水兵の言った方を目をやると、とてつもない巨艦を先頭にアルビオン艦隊が降下して来るのが見えた。

 

「ふん、遅れて来ただけの大物らしい大きさではあるな」

 

 忌々しく先頭の巨艦を見つめながら鼻を鳴らして呟く。あの艦隊には姫と皇帝の結婚式に出席する大使が乗っている筈だ。

 

「あの先頭の艦は巨大ですな。あの様な艦は今まで見た事がない。ここが戦場でない事を、少なからずとも始祖ブリミルに感謝すべきかもしれません」

 

 感極まった様に呟くフェヴィスにラ・ラメーは小さく頷いて見せた。

 降下してきたアルビオン艦隊はトリステイン艦隊と並走する様に停泊すると、旗流信号をマストに掲げた。

 

「貴艦隊ノ歓迎誠ニ感謝致ス。アルビオン艦隊「レキシントン」号艦長」

 

「馬鹿にしよって……! 此方は提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、随分な傲慢振りではないですかな」

 

 露骨に不機嫌な表情を浮かべながらも、アルビオンに比べ貧弱に見える自軍の陣容を眺めて悔しそうに漏らすフェヴィス。

 そんなフェヴィスの肩に手をやり、ラ・ラメーがあやす様に首を振った。

 

「あの様な艦を与えられたら、世界を我が物にでもした様な気分にでもなるのだろう。野蛮人なりの見栄と受けて飲み込もうではないか。よし、返信だ。「貴艦隊ノ来訪心ヨリ歓迎致ス。トリステイン艦隊司令長官」、以上だ」

 

 ラ・ラメーの言葉は控えた士官からマストに張り付いた水兵へと復唱され、スルスルとマストに命令通りの旗流信号が登る。

 突如、どんっ!と大きな音を立てて空砲が数回放たれた。礼砲である。

 巨大な大砲から放たれた空砲は、辺りの空気を震えさせた。幸い、弾が込めてあったとしても此方の距離には届く事はない。しかし、それがわかっていながらも、ラ・ラメーは一瞬後退さった。

 実戦経験のある提督ですら威圧する程の禍々しい雰囲気が、「レキシントン」号から感じられた。

 

「ふん、野蛮人にお似合いの野蛮な艦め。よし、答砲だ!」

 

「して、何発撃ちますか?最上級の貴族には十一発と決められておりますが?」

 

 礼砲の数は相手の格式と位で決まる。フェヴィスの質問に、ラ・ラメーはヒラヒラと手を振った。

 

「あんな野蛮人共に最上級と言う言葉は似合わん。七発で良い」

 

 子供の様に意地を張るラ・ラメーをニヤニヤしながら眺めたフェヴィスが声を上げた。

 

「答砲用意! 順に七発! 準備出来次第撃ち方始め!」

 

 

 礼砲を撃ち終えたアルビオン艦隊旗艦「レキシントン」号の甲板で、艦長のボーウッドは左舷の向こうのトリステイン艦隊を見つめていた。

 彼の頭の中をよぎるのは、数日前の出来事だ。

 突如アルビオン皇帝となったクロムウェルの指示で「レキシントン」号を、東方の「ロバ・アル・カリイエ」からやって来たシェフィールドと呼ばれた女性と共に整備している最中に聞かされた今回の作戦。祖国を裏切り、トリステインとの不可侵条約を破ると言うとんでもない悪行を決行する事を知らされたボーウッドは、怒りに我を忘れてクロムウェルに掴みかかった。

 しかし、そんな彼を制したのは討ち死にしたと伝えられていたウェールズ皇太子だった。だが、かつては自分を信頼してくれていたその瞳も、改めて忠誠を誓う為に接吻した手も、氷の様に冷たい物だった。

 クロムウェルに関して流れいた噂、あの男は「虚無」を操ると囁かれていたが、どうやら本当だった様だ。

 純粋な軍人であるボーウッドは、祖国の為でも、クロムウェルの為でもなく、ただウェールズ皇太子の忠誠の為にこの作戦を決行する事を決めた。

 例えその皇太子が、もはや「人」ではなかったとしても。

 

「艦長よ」

 

 物思いに耽っているボーウッドに、今回の全般指揮を執り行うサー・ジョンストンが声をかけた。その声色からは不安が伺える。

 

「サー?」

 

「こんなにも奴等の艦に近付いて大丈夫かね? 最新の大砲はかなりの射程範囲を持つのだろう? ならばもっと離れたまえ。私は閣下から大事な兵を預かっているのだぞ?」

 

 ボーウッドは口の中で臆病者めとジョンストンを罵倒しながら表情に出さぬ様気を付けて見下した。

 ジョンストンはクロムウェルの信頼の厚い男ではあるが、実戦経験のないただの政治家に過ぎない。戦場でははっきり言って邪魔な存在でしかないのだ。

 

「サー。しかしいかに最新の大砲と言えども、射程範囲いっぱいでは届かない場合がありますので」

 

「しかし、こんなに近付いては兵達が怯えてしまうだろう? 士気を下げる様な事は避けたいのだ」

 

 言うに事欠いて兵が怯えるだと? 怯えているのは貴様だけだ。

 ジョンストンに聞こえぬ様に舌打ちしてからボーウッドは構わず命令を下す。

 

「左砲戦準備っ!」

 

「左砲戦準備っ! アイ・サー!」

 

 空の向こうのトリステインの艦隊から轟音が響き渡る。答砲が発射された。

 作戦開始の時間だ。

 艦隊の最後尾に位置する旧型艦「ホバート」号から乗組員等が「フライ」の呪文で浮かぶボートで脱出するのを見送り、サー・ヘンリ・ボーウッドは完全な軍人へと変化した。

 政治も、陰謀も、卑怯極まりないこの作戦も、最早どうでもいい。その瞳には勝つためなら何でも行う非情な冷たさが宿っていた。

 

 

 答砲を発射し続ける「メルカトール」号の甲板で、ラ・ラメーはその光景に驚きを表し眉を潜めた。

 アルビオン艦隊の一番最後尾の艦から、突如火の手が上がったのだ。

 

「何事だ? 火事か? 事故か?」

 

 フェヴィスが訝しげに呟いた瞬間、突如その艦が空中爆発を起こした。

 燃え盛る残骸となったアルビオン艦がゆっくりと地面に向かって墜落し始める。

 

「い、一体何事だ!? 何故艦が爆発した!? 火薬庫に火が回ったのか!?」

 

 「メルカトール」号の水兵が声を荒げて、甲板が騒然となる。

 

「落ち着け! 落ち着かんか!」

 

 フェヴィスが水兵達を叱咤する中、「レキシントン」号から手旗手が信号を送ってきた。それを望遠鏡で確認した水兵が、顔を青くさせて内容を報告する。

 

「「レキシントン」号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦。我ガ艦隊「ホバート」号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」

 

「ば、馬鹿な! 撃沈だと!? 勝手に爆発したんじゃないか!」

 

 相手の手旗信号に慌てるラ・ラメーは怒鳴る様にマストに張り付いた水兵に指示した。

「返信しろ! 「本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ」」

 

 水兵が言われた通りに手旗信号を送る。するとすぐに返事が返ってきた。

 

「只今ノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦カラノ攻撃ト捉エ、応戦セントス」

 

 「ふざけるなっ! 弾のない大砲でどうやって艦を撃沈させると言うのだ!」

 

 ラ・ラメーの怒号に近い絶叫は、「レキシントン」号の大砲によって掻き消される。

 巨大な黒い砲弾が「メルカトール」のマストをへし折り、甲板に幾つもの大穴が開く。艦のあちこちから黒い煙が吹き出す。

 

「あの距離から大砲が届くだと!?」

 

 揺れる甲板の上でへし折れたマストにしがみつきながらフェヴィスが驚愕の声を上げる。長年艦長を勤めてきたが、これ程まで長い射程範囲を持つ大砲は見た事がない。

 

「送れ! 「砲撃を中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ」」

 

 ラ・ラメーが怒鳴るが、「レキシントン」号は返事の代わりに砲撃を繰り返す。

 次々と砲弾は艦を撃ち抜き、あちこちからとうとう火の手が上がり始めた。

 「メルカトール」号から悲鳴の様に手旗信号が送られていたが、とうとうその旗手も大砲により吹き飛ばされてしまった。

 フェヴィスは自分の身体が吹き飛び、甲板に叩き付けられた瞬間、ラ・ラメーが砲弾を抱き抱える様な形で甲板に飲み込まれていったのを見た。

 ここで漸くフェヴィスは悟った。これは最初から仕組まれた襲撃であると。自分達がアルビオンに嵌められたと言う事を。

 燃え盛る甲板は傷付き呻く水兵か、物言わぬ屍となった者達の姿が見える。フェヴィスは痛む頭を振るって叫んだ。

 

「艦隊司令長官戦死! これより旗艦艦長が艦隊指揮を執る! 各部被害報告を知らせろ! 艦隊全速! 右砲戦用意! モタモタするな!」

 

 

 燃え盛りながらゆっくりと動き出したトリステイン艦隊をボーウッドは冷たい眼差しで見つめていた。

 

「奴等、漸く我々の意図に気付けた様ですな」

 

 いつの間にかボーウッドの傍らに佇んでいたワルドが呟いた。ワルドもジョンストンに司令長官が務まる訳がないのを理解していた為、実際の上陸作戦全般の指揮はワルドが執る事になっていた。

 

「その様だな。だが子爵、もはや勝敗は決している。奴等がいかに抵抗しようとも、結果が変わる事はない」

 

 軍人らしい冷たい口調でボーウッドが視線を燃える「メルカトール」号に向け続けながら言う。

 既に行き足のついていたアルビオン艦隊は、漸く動き出したトリステイン艦隊の頭を抑える様な機動で動いていた。

 アルビオン艦隊は最新の大砲を試す様に次々と砲弾をトリステイン艦隊に発射した。トリステイン艦隊も微力ながら応戦しようと大砲を放つが、従来の射的範囲から外れた位置から撃ってくるアルビオン艦隊には弾が届かず、空しく雲を貫くだけだった。

 容赦のない砲弾の雨の中、とうとう「メルカトール」号が轟音を上げて爆発した。最早トリステイン艦に無傷な艦等一つもない。中には白旗を揚げている艦も見える。

 一方的ななぶり殺しの様に次々とトリステイン艦を撃ち落とした「レキシントン」号の甲板では、水兵達が次々に手を上げて「アルビオン万歳!神聖皇帝クロムウェル万歳!」と叫び声を上げた。見るとジョンストンまでその万歳に参加している。

 ボーウッドはワルドがいるのも構わず忌々しそうに万歳を繰り返すジョンストン達を見て唾を吐き捨てた。かつて空軍が王位だった頃は、戦闘の最中に万歳をする輩等いなかった。例え敵であろうとも、相手も自分と同じ血の通った人間。その敵を看取り心の中で敬意を払うのが軍人の務めであるとボーウッドは信じてやまなかった。

 不機嫌なボーウッドを気にした様子もなく、ワルドがボーウッドの肩を掴み笑みを浮かべた。

 

「艦長、新たな歴史の幕開けですな」

 

「下らんな、子爵」

 

 ワルドの手を振り払う様に肩を揺らしながらボーウッドは心底つまらなそうに言った。

 

「歴史とは人々の争いと文化の形象だ。この戦もその広大な歴史のほんの一部に過ぎない。同じ事が再び繰り返されただけだ」

 

 ボーウッドは堕ち逝くトリステインの艦隊に心の中で十字を切りながら皮肉に満ちた笑みを浮かべてワルドに振り向いた。

 

「そしてその歴史が正しかったかどうかを決めるのは我々ではない。我々の子孫や、後に産まれてくる子供達だ。我々のこの戦いもこれからの戦いも、せいぜい悪名高い歴史の一ページにならない事を祈りたい物だ。そうは思わんかね、子爵?」

 

 

 生家の庭で幼い兄弟達を抱き締めながらシエスタは空を不安そうに見上げていた。

 生家のキッチンで昼食の下拵えをしている最中に、突然大きな爆発音を聞いて慌てて外に飛び出すと、空には異様な光景が広がっていた。

 ラ・ロシェールの方角の空から何隻もの燃え盛る艦が墜ちてきては山肌にぶつかり、森へと崩れながら墜ちた。

 突然の出来事に村中が騒然となった中、シエスタに抱き締められた妹が怯えた様に身体を震わせて顔を上げた。

 

「お姉ちゃん、何が起こってるの?」

 

 妹の質問に安心させ様と答えようとした時、空から巨大な艦が降りてきた。あまりの大きさと威圧感に後退る村人を無視して艦からは錨が下ろされ、上空に停泊した瞬間何匹ものドラゴンが甲板から飛び立った。

 

「みんな、家に入りましょう」

 

 兄弟達をしっかりと引き連れてシエスタが家に入ると、両親が窓から訝しげに巨大な艦を眺めていた。

 

「あれは……アルビオンの艦隊じゃないか」

 

 父親が停泊した巨大な艦を見上げて呟く。

 

「まさか、戦争が始まるの?」

 

「それはないんじゃないか? アルビオンとはついこの間不可侵条約を結んだばかりだと、領主様からおふれもあったし」

 

 不安そうに言う母親に父親は首を振ったが、母親の表情から不安は消えなかった。

 突如、空を駆けた竜騎士が跨がったドラゴンが炎のブレスを村の家々に吹きかけた。

 

「きゃあっ!」

 

 悲鳴を上げながら母親が後ろへと吹き飛ばされた。ドラゴンの吹いた炎が家に火を着け、窓ガラスを割りながら家の中へと炎が飛び散ったのだ。

 外からは怒号や悲鳴が響き渡り、村中が焼かれているのを悟った父親は気絶する母親を抱き抱えてシエスタに叫んだ。

 

「シエスタ! 南の森へと逃げろ! 兄弟達を頼む!」

 

 

 家々が焼かれ、燃え盛る村を見下ろしながら大きな風竜に跨がったワルドが冷たい笑みを浮かべた。辺りには自分の従えた火竜に跨がる竜騎士達が容赦なく村を焼くのが見える。

 チラリと「レキシントン」号を見ると、甲板から下ろされたロープを伝って上陸部隊の兵が次々と降りているのが見える。広い草原を持つタルブの村を拠点に、アルビオン軍はトリステインへの侵略を開始する手筈になっている。

 ふと、草原の向こうから近在の領主の物であろう、数十人の軍勢が此方に突撃してくるのが見える。上陸する部隊に突っ込まれては厄介と踏んだワルドは、竜騎士達にその軍勢に攻撃する様に指示を出した。

 ワルド率いる竜騎士達目掛けて炎の魔法が飛んで来るが、それに物怖じせず竜のブレスが容赦なく部隊へと吹きかけられた。

 

 

 トリステインの王宮ではラ・ロシェールの「メルカトール」号率いる国賓歓迎の為の艦隊が全滅した報を受けて騒然となっていた。

 さらにその報と同時に、アルビオンから宣戦布告文が届けられた。そこには不可侵条約を無視して此方の艦隊を攻撃した事への非難が書かれ、「自衛ノ為我ガ神聖アルビオン共和国政府ハ、トリステイン王国政府ニ対シ宣戦ヲ布告ス」と締められていた。

 ゲルマニアへ出発する準備を進めていた王宮は急いで将軍や大臣を呼んで緊急会議を開いたが、話は一向に進まない。

 アルビオンへことの次第を問い合わせようとする者や、今すぐゲルマニアに軍の要請を送るべきだと言う者もいる。

 アンリエッタは結婚の為にあしらった純白のウェディングドレスに身を包みながら呆然とその会議を眺めていた。

 

「奴等は我々が先に攻撃を仕掛けたと言っておる! しかし此方は礼砲を発射しただけだと言う話ではないか!」

 

「野蛮人共め、偶然の事故から誤解しおったに決まっている」

 

「急ぎアルビオンに会議の開催の打診を!今ならまだ間に合うかもしれぬ!」

 

 飛び交う有力貴族が意見を冷静に聞いていた枢機卿のマザリーニが頷いた。

 

「よし、アルビオンへ急ぎ特使を派遣する。事は慎重を要する。この誤解から全面戦争へと発展させぬ為にも……」

 

 マザリーニの意見にその場の皆が頷いた瞬間、急報が寄越された。

 伝書フクロウによって送られてきた書簡を確認した伝令が会議室の扉を荒々しく開いて入ってきた。

 

「急報です! アルビオン艦隊が降下し、占有行動を開始しました!」

 

「何だと!? 場所はどこだ!?」

 

マザリーニが机をバンッ! と強く叩きながら立ち上がる。伝令は急いで書簡を広げて書かれている場所を確認する。

 

「ば、場所はラ・ロシェールの近郊! タルブの草原とあります!」

 

 ざわめく会議室に次々と伝令が飛び込んで来た。

 

「で、伝令! タルブの領主、アストン伯戦死!」

 

 この伝令により、会議室の意見は完全に二つに別れてしまった。

 

「ゲルマニアに軍の要請を! 最早一刻の猶予もない!」

 

「しかし、その様に事を荒立てては……」

 

「残りの艦を急いで集めろ! 古かろうが小さかろうが構わん! 全部だ!」

 

「落ち着かれよ! ここは特使を派遣するべきだ! 此方から仕掛ければ、それこそ全面戦争の口実を与えてしまう!」

 

 一向にまとまる気配が見えない会議の中、マザリーニは歯軋りしながら悩んでいた。出来れば彼は外交の解決を望んでいた。わざわざ下らない戦争を引き起こす理由も必要もないからだ。

 怒号や罵声が響く中アンリエッタはぼんやりと薬指に嵌めた「風」のルビーを見つめた。ウェールズの形見、それを自分に託した男の顔を思い出した。

 私は、何をやっているの?

 あの時、この指輪を届けてくれた二人とウェールズ様に誓ったのではなかったの?

 ウェールズ様に胸を張って会える様に、勇敢に生きていくと。

 

「タルブの村、炎上中!」

 

 その急報の声に、アンリエッタは強く瞳を閉じてから椅子を乱暴に引いて大きく音を立てながら立ち上がった。

 会議室はシンと静まり返り、皆の視線が立ち上がったアンリエッタに向けられた。

 

「貴方方は、恥ずかしくないのですか?」

 

「姫殿下?」

 

「我が国土が敵に侵されているのですよ? 同盟だの特使だのと口にする前に、やるべき事があるでしょう」

 

「いや、しかし姫殿下……誤解から生まれた小競り合いですぞ?」

 

「誤解? 礼砲に実弾が込まれていたと言う世迷い事を、貴方方はまだ信じているのですか?」

 

「我等は不可侵条約を結んでいるのですぞ? 事故の筈です」

 

「ほう? 仮に此方がその条約を破いた瞬間に、見計らった様に宣戦布告の文を出す国を信用しろと、貴方方はそう言いたい訳ですか」

 

 アンリエッタは呆れた様に小さく冷たい笑いを漏らした後、力強くテーブルを叩いて叫んだ。

 

「我等の民が! 何の罪もない民が血を流しているのですよ!? 彼等を守るのが貴族の務めではないのですか!? 我等は何の為に王族を、貴族を名乗っているのです!? この様な緊急を要する事態に対応し、彼等を守る為に君臨しているのではないのですか!?」

 

 力強いアンリエッタの言葉に、会議室の将軍や大臣達は息を飲んで言葉を詰まらせた。

 

「貴方方は、単に怖いのでしょう。アルビオンと言う大国を敵に回す事が。なるほど、確かに敗れれば責任を取らされ、反撃の計画者になったと非難を浴びかねない。そうならぬ為に、傷付き血を流す民を見捨てると言うのですね?」

 

「姫殿下……」

 

 マザリーニがたしなめ様と声をかけるも、アンリエッタは構わずその場の全員に背を向けた。

 

「ならば私が軍を率いましょう。貴方方はそこで怯えながら意味のない会議でもしていなさい」

 

 そう言い放つと、アンリエッタは会議室から飛び出した。マザリーニや大臣達が慌ててそれを制しようとする。

 

「姫殿下! 落ち着いて下さい! お輿入れ前の大事なお身体なのですぞ!」

 

「ええい、走りにくい! こんな物!」

 

 アンリエッタはドレスの裾を掴むと乱暴に引きちぎった。純白のウェディングドレスのスカートがビリビリと音を立てて膝上くらいのミニスカートに変えてしまった。引きちぎった布切れを、マザリーニの顔に投げ付ける。

 

「私の代わりに、貴方が結婚すれば良いじゃないの!」

 

 宮廷の中庭に出ると、アンリエッタは大声で叫んだ。

 

「私の馬車を! 近衛! 急ぎなさい!」

 

 聖獣ユニコーンが繋がれた王女の馬車が引かれてきた。

 アンリエッタの呼び掛けに、近衛の魔法衛士隊が次々と中庭に集まってくる。

 アンリエッタは一匹のユニコーンの手綱を馬車から外すと、ヒラリとその上に跨がり再び大声で叫んだ。

 

「これより全軍の指揮を私が執ります! 各連隊集めなさい!」

 

 既に状況を察していた魔法衛士隊の各々が、一斉に敬礼する。

 アンリエッタが魔法でユニコーンに手綱を着けて引くと、ユニコーンは額から突き出た神々しい一角を陽の光に煌めかせ、前足を高く上げて走り出した。

 幻獣に騎乗した魔法衛士隊口々に叫びながら後に続く。

 

「我等が姫殿下に続け!」

 

「後れを取っては家名が泣くぞ! 貴族の誇りを見せるのだ!」

 

 我こそはと次々に中庭の貴族達がアンリエッタを追って走り出す。城下に散らばっている各連隊への伝書フクロウが一斉に飛び立った。

 マザリーニは伝書フクロウで埋められた空を仰いだ。

 どちらにしろ、いずれは戦わなければならぬ大国。未だ準備が出来てないとは言え、ここで引いては一生対抗出来ないかもしれない。

 そう、アンリエッタの言う通りだ。自国の民を救えない者が、どうして王族でいられよう。

 未だに戸惑いを見せる他の将軍や大臣達に向き直ると、マザリーニは破り捨てられたウェディングドレスのスカートを握り締めて突き出した。

 

「見ましたか、各々方。姫殿下は戦いを決意しました。未だ政治の事もわからない、我等よりも遥かに幼い少女がです」

 

 そう言ってマザリーニは一瞬瞼を閉じると、カッと眼を見開き怒鳴り付けた。

 

「各々方! 急ぎ馬へ! ここで姫殿下を一人で行かせたとあっては、我等末代までの恥ですぞ!」

 

 マザリーニの剣幕に、将軍や大臣達は迷いを捨てて力強く頷いた。

 

 

 南の森の片隅で、「トライデント」の三人は佇みながら焼かれるタルブの村を眺めていた。三人とも仮面を被り、表情の伺えない視線を向けて一方的な侵略を見物している

 

「綺麗な村だったのに。勿体ない事をするね、あの皇帝は」

 

 どこか呆れた様に声を漏らすレイヴンを他所に、ウロボロスとオーガが同時に背後に視線をやる。その視線に怯えた様に、繁った長い草がガサガサと揺れた。

 

「出てこい」

 

 静かだが、他の追随を許さない様な言葉でオーガが呟く。すると、草むらから二人の子供が出てきた。

 一人は十歳くらいの男の子で、煤で汚れた草色のシャツに茶色いズボンを穿いている。少し長いクリーム色の前髪から覗く目尻は涙の痕が見える。その男の子の後ろには同じ格好で髪色をした小さな女の子がいた。男の子のシャツをしっかり片手で掴みながら小さな嗚咽を漏らして泣いている。見た所、兄妹の様だ。

 

「何か用かな? 坊やとお嬢ちゃん」

 

 レイヴンが二人に向き直り身体を屈めて優しい口調で問い掛ける。

女の子を抱き寄せて少し戸惑った様に視線を泳がせてから、男の子が口を開いた。

 

「あんた達、殺し屋なんでしょ?」

 

 男の子の言葉からピンと緊張の糸がその場に張られる。

 レイヴンは首を傾げながら男の子に問い掛ける。

 

「どうしてそう思うのかな?」

 

「以前、村に寄った旅人のおじちゃんが言ってた。仮面の着けた三人組の凄い殺し屋が世の中にはいるって」

 

 緊張からか、呼吸を荒げながら口ずさむ男の子がギュッと女の子の身体を強く抱き締めた。女の子は顔を男の子の胸元に埋めながら肩を揺らして静かに泣いている。

 

「だったら何だ、坊主?」

 

 オーガがそう問い掛けると男の子は片手でズボンのポケットを漁り、何かを握り締めて取り出した。

 

「これで、これであのドラゴンに乗った奴等を!父さんと母さんの……仇、を……うっ、くっ……!」

 

 涙を零し嗚咽を漏らしながら差し出された震える手には銅貨が数枚乗っていた。掌には強く拳を握り締めたのか、爪の痕から血が滲んでいる。

 

「下らん、こんなはした金で仕事等受けるか。とっとと失せろ」

 

 ウロボロスが小馬鹿にした様に言って首を振ると、男の子は突然女の子を突き飛ばしてレイヴンに駆け寄った。レイヴンの羽織っていた黒いロングコートの襟元を掴み、涙と鼻水を流して懇願する。

 

「お願い! あいつ等を殺して! あいつ等は僕の友達を! 父さんを! 母さんを燃やしたんだ! 許せない! 絶対に許さない! お願いだから……お願いだからぁっ!」

 

 必死に訴えレイヴンの肩をガクガク揺らした後男の子がゆっくりとその場に崩れ落ちた。チャリン、と小さな音を立てて血の付いた銅貨が地面を転がる。

 オーガが突き飛ばされ声を上げずに泣き崩れた女の子を乱暴に立たせると男の子の元へと押しやった。

 レイヴンは涙を流しながらうずくまる二人を見下ろしてから、転がった銅貨を拾い集めて男の子の髪を掴んで顔を上げさせた。

 

「本当にあいつ等を殺して欲しい?」

 

 ぞっとするほど冷たい、氷の様な声で男の子に問い掛けるレイヴン。

 男の子は涙を流し続けながら頷いた。その瞳には、弱々しくも憎悪に染まった光が宿っていた。

 

「よし。かなり安いけど、君のその怒りと憎悪に敬意を表して、特別に引き受けてあげるよ」

 

 男の子の髪から手を離すと、レイヴンは銅貨を握り締めてズボンのポケットにとしまいこんだ。

 

「レイヴン、本気か? そんな安っちい額で仕事を引き受けるだと?」

 

 ウロボロスが驚きと呆れを表しながら言うも、レイヴンは頷いた。

 

「暇潰しくらいにはなるでしょ? ちょっと暴れたい気分だったし。あ、二人はここにいていいよ。僕一人で行くから」

 

 まるでピクニックに行くかの様な軽い口調で話すと、状況がまだ理解できていない男の子と女の子の首に手刀を打ち付けて気絶させる。

 

「代わりにこの子達を適当にどっか置いてきてあげて。あ、丁重に扱ってよ? こんな小さくても依頼主なんだから」

 

「……お前の気紛れは俺の友人だった男よりも読めないな。わかった、好きにしろ」

 

 オーガもまた呆れた様に言いながら子供達を担ぎ上げると、どこか納得がいっていない様なウロボロスと共に森の中へと消えた。

 

「久々に純粋に人を憎む眼を見たな。あの子はいずれ大物になるかも」

 

 そう小さく呟いたレイヴンは森の中から草原へと出て、鼻歌混じりにドラゴンが飛び交い燃え盛るタルブの村へと歩み寄っていった。

 ふと、巨大な艦からロープを伝って下りてくる兵達を見つけ、肩を伸ばしながらそちらに身体を向ける。

 

「一応依頼はあの竜騎士みたいだけど、まずは地上のゴミを掃除しようかな。さて、楽しもうか」

 

 一人楽しそうに漏らし、漆黒の仮面とコートを身に纏ったその男は、アルビオンの上陸部隊へと駆け出した。


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