ゼロの龍   作:九頭龍

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少女の想い


第19話

 桐生がカレーを振る舞った翌日から、ルイズの様子がおかしくなった。

 何時もなら桐生にやらせる洗顔や歯磨きを自分でやると言い出したのだ。更には服を取って着せようと広げると、

 

「自分で着るから良いわ。それと……あっちを向いてて」

 

 と言い出した。

 慣れない手付きで顔を洗った物だから、まだ前髪から雫を垂らしながら顔を赤らめて言うルイズに桐生は首を傾げるも、恥じらいを覚えるのはいい事だと思って素直に従った。

 

「あ、あの……カズマ?」

 

 ふと、ルイズに背を向けていた桐生の背中に声を掛けられて、桐生はまだ着替え中だと思って背を向けたまま問いかける。

 

「どうした?」

 

「このスカート、なんかホックが留まらないんだけど……」

 

 桐生が振り向くと、シャツは着れているがスカートが僅かにずり下がった状態のルイズが恥ずかしそうに困った顔をしていた。

 

「これはな、こうするんだ」

 

 普段から着させられて手慣れた手付きでスカートのホックを留める桐生。

 

「あ、ありがとう……」

 

「? おう」

 

 普段なら、着替えが終わっても礼の一つも寄越さないルイズの感触の言葉に、思わず少し驚きながら頷く桐生であった。

 

 

 アルヴィーズの食堂に向かうと、何時も自分が地べたに座る所に見慣れない大きめの椅子が置かれており、桐生は戸惑った。

 ルイズの席は長いテーブルの一番端で、その横で普段桐生は地べたに座って食事をとるのだが、その場所に椅子が置かれているのだ。まるで誕生日の者が着く様な位置の席だが、今日は誰か来るのだろうか。

 

「何ボーッと立ってるの? そこの椅子に座りなさい」

 

 椅子を眺めていた桐生に先に席に着いたルイズが声を掛ける。

 

「俺がか?」

 

「そうよ。今日からは机で食べなさい。よくよく考えたら、あんたが地べたで食事をとるのって見栄えが良くないわ」

 

 突然の申し出に少し面食らうも、桐生はその椅子に腰掛ける。なかなか造りが良い様で、尻に感じるクッションが柔らかい。地べたの時の尻の痛みがなくなって心地好い。

 しかし、椅子に着くと、今度は何時もの自分のスープとパンが見当たらない。あるのはナイフとフォーク、それと空いた皿だけだ。

 

「ルイズ、俺の飯がないんだが?」

 

「ああ」

 

 ルイズはチラッと桐生の前に置かれた皿を見てから、自分の前に置かれた料理を少し桐生の方へと寄せた。

 

「この料理を自分で皿に取って食べなさい」

 

「良いのか?」

 

 寄せてくれた料理とルイズを交互に見て、桐生は再び面食らった。

 目の前に並ぶ料理は豪華絢爛と言う言葉が似合う物で、ローストチキンや色とりどりのサラダ、ふっくらと焼き上がったパンや、何か良く分からない魚料理等も並んでいる。普段ルイズが自分に取って手渡してくれてはいたが、改めて見ると朝っぱらから凄いご馳走だ。

 

「良いから食べなさい」

 

「……わかった」

 

 澄ました顔で食前の祈りを終えてからルイズがそう言ったので、桐生も手を合わせてから、朝から凄いご馳走を口へと運んだ。

 

 

 朝食が終わって教室に入ると、数人の生徒がルイズを囲みだした。

 ここ数日、ルイズ達が授業を休んでいたのは何かとんでもない任務を承ったからと噂になっていたのだ。良く見ると、タバサとキュルケ、それにギーシュまでもが多くの生徒に囲まれている。

 誰も彼もがこの数日間何をしていのか? と言う質問を飛ばしているが、タバサは相変わらず本を読んで無視しているし、キュルケは勿体ぶった言い方をしながら化粧を直している。ギーシュは喋りたそうだが、言って良いのか悪いのか戸惑った様に口をゴニョゴニョと動かして困った顔をしている。

 

「ねぇ、ルイズ……一体何があったのよ?」

 

 ルイズを囲む生徒の中から「香水」のモンモランシーが前に出て問いかけて来た。

 ルイズは疲れた様に溜め息を漏らしてから澄ました顔で手を振って見せた。

 

「別に何もないわ。ただ、オスマン氏に頼まれて宮殿へお使いに行っただけよ。ねぇ? キュルケ、タバサ、ギーシュ?」

 

 ルイズから声を掛けられてキュルケは手鏡から視線を逸らさず頷き、タバサも本から視線を逸らさず頷き、ギーシュがやや戸惑った表情を浮かべてから頷いた。

 何か隠してるのはわかる物の口が割れないルイズ達に、クラスメート達は次々と詰まらなそうに席へ戻っていった。

 生徒達が席に着くと、本日の授業の先生でもあるコルベールが教室に入って来た。

 今日の授業は、「火」の魔法と油によって動力を得た物体が動くと言う物だった。この研究が更に高度になれば、いずれは魔法を使わずに、更には動物を使わずに馬車や船が動くと言うのだ。

 しかし、物を動かすのにわざわざ油や「火」の魔法を使うのなら、最初から魔法で物を動かした方が早いと、生徒達は退屈そうにコルベールの抗議を聞いていた。

 黒板に書かれている方程式は、こちらの言葉で何が書かれているのかわからないが、コルベールの抗議に桐生が驚きを表した。

 

「凄いな。あの先生、エンジンの基本的な構造を説明してるのか」

 

「えんじん?」

 

 桐生の呟きが気になったルイズが振り向きながら言うと、コルベールにもそれが聞こえたらしく黒板を書くチョークの動きを止めた。

 

「おおっ! この方程式が生む素晴らしさをわかってくれるのかね!?」

 

 退屈そうに自分の講義を受けている生徒達の視線が辛かったコルベールは、嬉しそうに桐生を見て笑った。

 

「ああ。あんたが話している方程式は、俺の世界ではエンジンと呼ばれて、あんたが言った通り、魔法も動物も使わずに車や船を動かす装置の基本的な原理になっているんだ」

 

「だから何だって言うのよ?」

 

 興味深そうに桐生の話を聞いているコルベールと他の生徒達をよそに、モンモランシーが金色の巻き毛を指で揺らして退屈そうに声を出した。

 

「魔法があるのにわざわざ魔法を使わないのは、宝の持ち腐れと言う物じゃないかしら?」

 

 その言葉を聞いて数人の生徒も頷いて見せる。しかし、桐生は首を振った。

 

「発想を変えたらどうだ? 確かに、お前達貴族は魔法が使えるから必要ないかもしれない。だが、一般の人間、お前達の言葉を借りるなら平民か。その平民が魔法も使わずに車や船を自動で動かしたとしたらどうする?」

 

「平民が……車や船を自動で動かす?」

 

 桐生の言葉が理解出来ない様に戸惑いの表情を浮かべながら生徒達が色めき立つ。

 

「少なくとも、俺のいた所では日常的にそう言った方法で人々は生活していた。魔法が使えないから、と言う理由もあるだろうが」

 

「いや、実に素晴らしい!」

 

 興奮した様子でコルベールが黒板から離れて桐生の元へと近付いて来た。

 

「ミス・ヴァリエールの使い魔殿! 貴方の話は実に興味深い! 一体貴方はどこの国の出なのかね!?」

 

 この質問に、桐生は言葉をつぐんでしまった。以前ルイズに問いかけた通り、日本と言ってもわかりはしないだろうし、かと言って、下手に適当な国を挙げてしまえば、このコルベールと言う男は死に物狂いで探すだろう。それだけの情熱を持った瞳が、目の前のコルベールにはあった。

 そんな桐生の心情を察したのか、ルイズが横からコルベールに口を挟んだ。

 

「ミスタ・コルベール。彼は……その、えっと……東のロバ・アル・カリイエの方から来たんです」

 

 ルイズの言葉にコルベールの表情が驚きの物に変わった。

 

「なんと! あの恐ろしいエルフの地を通ってこの国に! あ……いや、「召喚」されたのだから通る必要はないか。しかし、エルフ達の住まう東の地ではトリステイン以上の技術・研究が盛んと聞いている。なるほど、貴方はそちらから来られたのか」

 

 コルベールが納得した様に頷く。

 桐生がルイズの方をチラッと見ると、私に合わせて、とアイコンタクトを感じてコルベールに頷いて見せた。

 

「ああ。俺はその、ロバ……と言う国から来たんだ」

 

 コルベールが桐生に笑みを浮かべると、終業の鐘が響いた。

 退屈な講義を受けて気だるそうに教室から出ていく生徒達を尻目に、コルベールは照れ臭そうに笑って見せた。

 

「いや、失礼した。年甲斐もなく教師と言う立場を忘れて聞き入ってしまったよ。名を、教えてくれないか?」

 

「桐生一馬だ。あんたは?」

 

 桐生が名を名乗って問いかけると、コルベールが右手を差し出した。

 

「私はジャン・コルベール。二つ名は「炎蛇」だ。宜しく、カズマ殿」

 

「ああ」

 

 桐生も右手を差し出して硬く握手を交わした。

 

「いずれカズマ殿とは酒でも酌み交わしながらもっと話してみたい物だ」

 

 その夜、夕食を終えて部屋に一度戻ってから、桐生は女子寮の庭でデルフリンガーを振るっていた。錆び一つない刀身が空を裂いてビュンッと音を立てる。

 

「熱心だねぇ、相棒」

 

 振られ、空を裂くデルフリンガーが軽口を叩いて桐生に話しかける。

 

「娘っ子に嫌われでもしたのかい?」

 

「わからんが……一応心当たりはない」

 

 桐生がこうして庭に出る事になった十五分程前。部屋に帰っていつも通り寝間着のネグリジェに着替えさせようとタンスへ桐生が向かうと、ルイズがそれを止めて布団のシーツでカーテンの様な隔たりを作り始めた。

 

「き、着替えるから……ちょっとあっち向いてなさい」

 

 シーツから顔を出して真っ赤な表情で言うルイズに本日何度目かの驚きを表した後、桐生は素振りをしてくると言って部屋から出ていったのだった。

 

「まぁ、良いんじゃねぇの? 着替えさせんの面倒だったんだろ?」

 

「まぁ……自立してくのは良い事だしな。それには文句はねぇさ」

 

 それから更に十五分程デルフリンガーを振ってから、そろそろ良いだろうと部屋へと戻った。

 戻ってみると、着替えを終えたルイズがベッドの上で窓の外を眺めていたが、桐生の帰宅に気付いて顔をそちらに向けた。

 

「そろそろ俺は寝るぞ。お休み、ルイズ」

 

 デルフリンガーを壁に掛け、ジャケットを椅子に掛けると桐生が何時もの様に就寝の挨拶を口にしたが、ルイズは答えない。じっと桐生を見つめて押し黙っている。

 桐生はルイズの態度がイマイチ良くわからず、ルイズに構わず寝床である藁束に横になった。

 

「ねぇ……」

 

 瞳を閉じて暫くの沈黙の後、ルイズが声を掛けてきたので顔を向ける桐生。

 

「どうした?」

 

「その、えっと……」

 

 問いかけると突然モジモジしだしたルイズに、桐生は首を傾げて先を待つ。

 

「い、何時までも床に寝かせるのはちょっと良くないわよ、ね? 今日からは…こっちのベッドで寝て良いわ」

 

「何?」

 

 思いがけない言葉に身体を起こす桐生。ルイズは自分で言って恥ずかしくなったのか、蝋燭に照らされた灯りの中で顔を真っ赤にしている。

 

「い、いいから! 早く蝋燭を消してこっちに来なさい!」

 

 怒鳴る様に捲し立てるルイズに頬を掻いてから、藁束から立ち上がって蝋燭をふぅっと吐息で消し、桐生がベッドに腰掛ける。

 

「ほら、ここ……」

 

 ルイズが横になって奥へと身体を詰める。幸いベッドはかなりの大きさがあり、桐生が横になっても窮屈ではない。

 桐生は促されるままベッドに横になった。フワフワの枕に程好い固さのベッドの感触が高級感を伺わせる。

 

「悪いな、ルイズ」

 

「良いのよ、別に」

 

 藁束とは比べ物にならない寝心地の良さに意識が持っていかれそうになると、ルイズが突然口を開いた。

 

「ねぇ……カズマの世界には、本当に貴族がいないの?」

 

 ルイズの質問に、桐生は天井に視線を向けたまま頷いた。

 

「ああ。魔法を使える奴は、いないな」

 

「なら、大人になったら、何をするの?」

 

「それは人によるな。どこかに勤めに行く奴もいれば、家の跡を継ぐ奴もいる。それに関しては、こっちとは変わらないかもな」

 

「カズマも、そうだった?」

 

 ここで桐生は一旦口を閉ざしてから、瞳を閉じながら口を再び開いた。

 

「俺は少し、普通の人とは違う生き方をしていた。それに疑問を持った事はなかったが、今思えば……そんな生き方しか出来なかったのかもしれないな」

 

 孤児院「ヒマワリ」で幼少を過ごし、自分や他の孤児達を育ててくれた風間新太郎の背を追いかける様に極道となった桐生。その事を恥じた事もないが、同時に本当に良かったと思った事もなかった。かけがえのない存在、澤村遥に出会うまでは。

 

「そうなんだ……それって、カズマがずっとなりたかったものだったの?」

 

 いつもとは違う、妙に近い所から聞こえるルイズの声は心地好く、桐生は寝てしまわぬ様に意識しながら眼を閉じたまま頷いた。

 

「多分な。それだけを目指して生きていたと思う。ルイズは、何になりたいんだ? そう言う夢とか……あるのか?」

 

「……笑ったりしたら、怒るからね」

 

 念を押す様な物言いのルイズに苦笑を浮かべてから頷く桐生。そんな桐生に安心したのか、ルイズはポツポツと言葉を紡ぎ始めた。

 

「私ね、立派なメイジになりたいの。別に強力な力なんていらない。ただ、人並みに魔法が使える、立派なメイジに」

 

 桐生がゆっくりと首を動かして、ルイズの方へと顔を向けた。

 

「私、小さい頃からずっと、貴女は駄目って言われて来たの。お母様もお父様も、私には何にも期待しない。そんな自分を変えたくて努力してきたけど、結局駄目で。クラスのみんなにも、ゼロゼロって馬鹿にされて……もうそんなの嫌なの。自分の得意な系統さえわからない、そんな惨めな存在でいるのが……辛いの」

 

 口から漏れていく想いはルイズの気持ちを蝕んで、徐々に力なく顔を沈ませながら桐生のシャツの袖をギュッと掴んでいた。

 

「だから私、せめてみんなと同じ……普通のメイジになりたいの。失敗ばかりじゃなくてちゃんと魔法が使える、そんなメイジに」

 

 ルイズはこの小さな身体で、どれだけ辛い思いを味わい、苦しみ、涙を流して来たのだろう。話ながら徐々に感情が高ぶってしまったらしく、桃色の髪から覗く頬に流れた涙が月明かりに淡く反射している。

 桐生はゆっくり身体をルイズの方に向けて、優しく頭を撫でてやる。くしゃりと桃色の髪が指に絡み、まるで梳く様に撫でていく。

言葉のない優しさに包まれる心地好さに、ルイズは自然と桐生の胸元へ顔を埋めて眠りについた。

 

 

 オスマンは王室から届けられた一冊の本を眺めながら長い髭を弄っていた。古びた革製の装飾がなされた表紙はボロボロで、羊皮紙は茶色くくすんでしまって年季を感じるのと同時に、みすぼらしさすら感じてしまっていた。

 指先で丁寧に表紙を巡り、一通りページを捲って見るが何も書かれていない。三百ページ程あるその本には、文字は一切書かれておらず、ただ茶色くくすんだ羊皮紙があるだけだった。

 

「これがトリステイン王室に伝わる「始祖の祈祷書」か……」

 

 六千年前、始祖ブリミルが神に祈りを捧げた呪文が記されていると言われているが、ルーンは愚か、文字一つ書かれていない。

 この手の伝説の道具と言うのは紛い物が多い。が、それにしても白紙の本とは酷い出来だと、オスマンは溜め息を漏らした。

 

「これを本と呼んでいいのか?」

 

 パタンと表紙を閉じて胡散臭そうにその本を眺めていると、ノックの音が部屋の中に響いた。

 

「鍵は開いておる。入ってきなさい」

 

 オスマンの言葉の後、扉が開いてルイズが学園長室に入ってきた。

 

「お呼びでしょうか?」

 

 オスマンは入ってきたルイズに笑顔を浮かべて歓迎し、先日の任務の件を労った。

 

「良く来てくれた、ミス・ヴァリエール。お主達のお陰でこの国を陥れようとする陰謀は阻止された。思い出すだけで辛いかもしれんが……」

 

 オスマンはルイズの心中を察して少しトーンを落として言ってから、椅子から立ち上がって窓の外に視線を向けた。

 

「だが、君達のお陰で、姫は無事来月にゲルマニアの皇帝との結婚式が挙げられる事になった」

 

「そう、ですか……」

 

 ルイズは途端に悲しくなった。アンリエッタが望まぬ結婚をするなんて、幼馴染みとしても気持ちの良い物ではない。

 労いの言葉に頭を下げていると、オスマンはルイズに「始祖の祈祷書」を差し出した。

 

「これは?」

 

 手渡された薄汚れた本を怪訝そうに眺めながら、ルイズがオスマンに問いかける。

 

「「始祖の祈祷書」じゃ。」

 

「「始祖の祈祷書」? これが?」

 

 王室に伝わる伝説の書物。国宝だ。何故そんな物を、オスマンが持っているのか。

 

「トリステイン王室の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女が必要となる。その巫女はこの祈祷書を手に、式の詔(みことのり)を詠み上げるのが習わしじゃ」

 

 初めて聞かされる伝統の習わしに、ルイズはとりあえず頷いて見せた。

 

「そして姫は、その巫女に君を選んだのじゃよ。ミス・ヴァリエール」

 

「私を……姫様が?」

 

「うむ。巫女は式の前より、この「始祖の祈祷書」を肌身離さず持ち歩き、詠み上げる詔を考えるのじゃ」

 

「え!? 詔を私が考えるんですか!?」

 

「そうじゃ。まあ伝統と言うのは面倒な物での……。しかし、姫は君を選んだのじゃ。きっと君なら良い詔を考えてくれると。これは、大変名誉な事なのじゃ」

 

 恐らくアンリエッタは、幼馴染みとして幼少の頃を共に過ごしたルイズだからこそ選んだのだろう。そう思ってルイズは力強く頷いた。

 

「慎んで、お受けします」

 

 ルイズの言葉に、オスマンは嬉しそうに笑いながらルイズの肩を優しく叩いた。

 

「君が詔を詠み上げてくれれば、姫もきっと喜ぶ筈じゃ」

 

 

 その日の夕方、桐生は風呂に入っていた。風呂と言っても、貴族が入る湯船に湯が張られた風呂ではなく、焼き石が放つ熱によるサウナ風呂である。

 木造の安っぽい小屋の中でタオルを腰に巻いた状態で、腕を組みながら中の椅子に腰掛けて瞳を閉じた状態で汗を流していた。

 サウナ風呂に入ると、まだ堂島組の新入りだった頃に兄貴分の真島が連れていってくれたサウナを思い出す。真島は熱さに異常に強く、結局初めて一緒に入った時は上せて倒れてしまった苦い記憶があるが。

 ダラダラと皮膚の毛穴から老廃物が汗となって流れていく感覚を心地好く感じ、程好い所で外の脱衣場に行って近くの井戸から水を汲み、頭から被った。火照った肌に少し温めの水の感触が気持ち良い。

 

「あ、カズマさん」

 

 着替えを済ませ外に出ると、シエスタがカップとティーポットを乗せた盆を持って待っていた。

 

「シエスタか……どうした? 俺に何か用か?」

 

 桐生がそう言うと、シエスタは小屋のそばにあるベンチへ桐生を誘導し、盆に乗せられたカップにティーポットの中身を注いだ。

 

「先程、東方のロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しい品が行商の方々から差し入れられたんです。「お茶」って言って、せっかくだからカズマさんにご馳走したくて……はい、どうぞ」

 

「お茶か……ありがとう。いただきます」

 

 手渡されたカップから漂う香りは上品さを感じられ、ゆっくり味わう様に口へと含む。鼻へと抜ける芳香や程好い渋味が利いた味は日本の緑茶を思わせた。

 

「これは美味いな。懐かしい味がする」

 

「懐かしい?あ、そっか……カズマさん、東方の出身でしたもんね」

 

 茶を啜りながら、桐生はとりあえず頷いた。

 

「まぁ、そうだな……しかし、良く俺がここにいるのがわかったな?」

 

「ああ、それは、カズマさんの前に入ったコックの人が教えてくれたんですよ」

 

 クスクス笑いながら言うシエスタに釣られ、桐生の口許にも笑みが浮かんだ。

 暫く他愛のない話をしてから部屋に戻ると、桐生は目の前の光景に一瞬言葉を失った。

 ルイズがベッドに腰掛けて何やら古びた感じの本を持っている。いや、それは別になんて事ない。問題はルイズの格好だった。

 風呂に行くからと置いておいた桐生のジャケットを羽織っている。グレーのジャケットの胸元からはルイズの白い肌が覗き、裾からは素足が延びている。大きいせいでルイズの身体をすっぽりと包み込んでいるが、ブカブカの袖からは白魚の様な綺麗な指が短く突き出ていた。

 

「ルイズ……」

 

「ああ、戻ったの? お帰り」

 

 普段通りの返事をするルイズ。

 

「これ、凄い滑らかな生地ね。何で出来てるの?」

 

 指先でジャケットの袖を摘みながら問いかけるルイズ。どうやら肌触りが気に入ったらしい。室内ならシャツ一枚でも寒くはないしと、とりあえず注意するのを諦めた。

 

「それは確か……ウールで出来ていたか」

 

「ウール?」

 

「羊の毛だ」

 

 桐生が説明していると、ルイズがジャケットの胸ポケットから何かを見付けたらしい。もぞもぞと指先を動かして中の物を取り出した。

 それは見た事がない小さな袋だった。ピンク色の生地に何か読めない文字が書かれている。

 

「何これ?」

 

 ルイズが指先でその袋をいじっていると、いつの間にか近付いていた桐生がその袋を優しく取り上げた。

 

「悪いな、ルイズ。これは俺の大切な……御守りなんだ。こればかりは、お前でも持たせたくない」

 

 桐生が取り上げた小さな袋。それは遥から貰った御守りだった。

 

「そう……。ごめん、いじっちゃマズかったかしら?」

 

「いや、そんな事ないさ。悪いな」

 

 申し訳無さそうに謝るルイズの頭を優しく撫でてやり、飲み水を汲んでくると桐生が部屋から出ていった。

 その隙に、ルイズはジャケットの胸元を掴んで顔に寄せ、スンと匂いを嗅いでみる。

 鼻をくすぐるのは少しワイルドさを感じる男の、桐生の匂い。抱き締められた時、そばにいた時に感じるこの匂いは、ルイズの心を優しくも激しく掻き立てた。

 

「カズマの、匂い……」

 

 ポツリと呟いてハッとする。

 わ、私は何を変態みたいな事を!?

 誰もいない部屋の中でルイズは一人、顔を真っ赤にしながら慌てふためくも、そのジャケットを脱ぐ事は出来なかった。

 

「何よ、随分仲良さげにいちゃついてるじゃない。しかもルイズ、ちゃっかりダーリンの服まで着ちゃって」

 

 ルイズの部屋の窓の外に、シルフィードが静かな羽音を響かせながら飛んでいた。

 シルフィードの上に乗っているのはタバサとキュルケ。タバサは月明かりを明かりにして本を読んでいる。キュルケは窓の隙間から部屋の中の様子を伺っていた。

 王宮からの帰りに見せたルイズの態度が気になって様子を見に来たが、やはりルイズもまんざらではなさそうだ。

 

「何よ、そりゃあたしだってそこまで本気じゃないわ。けど、あれだけアプローチしてるのに何にもなしは納得いかないわ」

 

 まるでタバサに言い聞かせている様だが、当然タバサは聞いていない。

 内心、キュルケは焦っていた。桐生が自分になびかないだけでも問題なのに、ルイズとは今や良い感じの様だし、先程はメイドと二人きりで過ごしていた。この自分を差し置いての二股は許せない。「微熱」の二つ名が泣くと言うものだ。しかもルイズが桐生とくっつこうとしているのなら意地でも奪わなければならない。フォン・ツェルプストーの名にかけて。

 

「個人的にはあまり陰謀なんてらしくないけど、何かしら策を用さないと。ねぇ、タバサ?」

 

 パタンと読んでいた本を閉じて、いつもと変わらぬ表情でキュルケを指差すと、タバサの口が開いた。

 

「嫉妬」

 

 瞬間、キュルケの頬が赤く染まる。初めて見るキュルケの反応に、タバサがこてんと首を傾げた。

 一瞬の沈黙の後、キュルケは物凄い勢いで首を振りながらタバサの肩を掴んだ。

 

「違うっ! 断じて違うわ! あたしが嫉妬なんてする訳ないじゃない! これはゲームなのよ! あのにっくいヴァリエールからダーリンを奪うって言う、恋のゲーム!」

 

 しかし、タバサは動じずに再び口を開いた。

 

「嫉妬」

 

 その一言で、キュルケの中の何かがブツンと切れた。

 

「いい、いいわ、上等よ! 嫉妬なんかないって所、見せてあげようじゃないの!」

 

 メラメラと瞳を燃やしながら、キュルケはタバサにシルフィードの移動をお願いした。

 

 

 女子寮の庭にある井戸から水を汲み上げ、持ってきた飲水用の瓶へと移していると、不意に背後に気配を感じて桐生が振り向いた。

 

「は~い、ダーリン♪」

 

 そこにはキュルケが立っていた。まだ制服姿で、燃える様な赤い髪が大きめの赤い月明かりに照らされて神々しさを感じさせた。

 

「キュルケか。どうした? こんな時間に」

 

「もう、ダーリンってば本当に冷たい」

 

 桐生の質問に答えずに歩みよるなり、首に腕を回してキュルケがしなだれかかる。柔らかい乳房が制服とシャツの布を隔てて桐生の胸元で押し潰される。

 

「この間の約束、しっかりと守って貰いたくて会いに来たのよ?」

 

 熱く甘い吐息を漏らして言いながらチラリと横目で女子寮の角を見る。そこからは目を凝らさなきゃ見えない様にタバサが顔を出していた。

 タバサの言葉に切れたキュルケは、タバサに桐生と当然の様にキスして見せると、訳のわからない意気込みを伝えて証拠代わりに見ている様にと勝手に約束させたのであった。

 

「今、ここでか?」

 

「人目がなければ良いんでしょう?」

 

 戸惑う様子もなく言う桐生を挑発する様に舌舐めずりして見せるキュルケ。本当はタバサの目があるのだが、細かい事は気にしない。

 

「ならまぁ、約束だしな」

 

 桐生の手が優しくキュルケの頭を撫でてゆっくり背中に下ろされる。小さくんっ、と声を漏らした後、キュルケが瞳を閉じて唇を突き出した。

 赤い月明かりの中、桐生とキュルケの唇が重なる。

 

「ん……」

 

 余裕ぶっていたキュルケの表情が変わって頬に赤みが差す。苦い煙草の味と、桐生の味が混ざりあってキュルケの舌を、喉を刺激する。

そっと桐生が唇を離して、優しい笑みを浮かべる。

 

「約束は守れたな。お休み、キュルケ」

 

 惚けた表情のキュルケの額に口付けて、桐生は瓶を持ってそのまま去っていった。

 桐生がいなくなって数秒後、キュルケがヘナヘナとその場にへたり込んで熱い吐息を漏らした。

 隠れていたタバサがキュルケに近付き、しゃがみ込んでキュルケに呟いた。

 

「完敗?」

 

「……そう、ね」

 

 先程まで桐生の唇が重なっていた自分の唇を指先で撫でながら、心地の良い妙な高揚感を覚えてキュルケが呟いた。


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