ゼロの龍   作:九頭龍

16 / 55
裏切りの「閃光」


第16話

 翌朝。

 昨晩から泊まった部屋の窓際で、桐生は外を眺めながら煙草を吸っていた。開け放たれた窓から吹き込む少し冷たい風が、紫煙を攫っていく。

 

「どうしたんでい、相棒?」

 

 ふと、壁に立てかけてあったデルフリンガーがカタカタと音を立てて桐生に話しかけた。

 

「あの娘っ子とはもうお別れなんだろ?なら自由じゃねぇか。さっき知らせにきた船に乗って、さっさとこっからおさらばしようぜ?」

 

 先ほど、ウェールズの使いを名乗る男が、戦場と化す前にここから飛び立つ「イーグル」号の出発時間を知らせに来た。その話によれば、あと数分後には出航するらしい。

 しかし、桐生はその知らせを聞いても部屋から出ようとしなかった。昨日のルイズに言った言葉が、今になって桐生を迷わせていた。

 内心、可笑しな話だとも思う。自分の子供ではないし、結婚と言う大事な選択は自分で選ぶ物だとも思う。最終的に決めるのはルイズ本人なのだ。その考え事態に迷いはない。

 だが、それとは別の物が、桐生の心を悩ませていた。

 ルイズの婚約者、ワルド。キュルケから聞いてもいる通り、貴族の中でも上位の階級である事は間違いないし、メイジとしての実力も確かな物だろう。

 一見非の打ち所ない婚約者に見えるが、桐生が気がかりになっているのは、ルイズを見るワルドの瞳だった。あの眼、あの眼差しは……。

 桐生は煙草を携帯灰皿に捻り込むと、デルフリンガーを手に取って部屋を出た。

 

「やっと行く気になったか、相棒。なあに、おめぇと俺ならどこに行ってもやっていけるさ」

 

 デルフリンガーが楽しげに話すのを無視して、桐生は歩き始めた。

 説明を受けた通りに廊下を歩き、昨日この城に入る際に訪れた鍾乳洞に足を踏み入れた。

 タラップがかけられた「イーグル」号と、共に並んで停泊している「マリー・ガランド」号に次々と女子供、それと恐らく食糧であろう袋や樽が積み込まれていく。

 

「ああ、漸く来ましたか」

 

 タラップに近付くと、先ほど桐生に出航の時間を伝えに来た使いの男が声をかけてきた。

 

「あんまりにも遅いから来ないと思ってましたよ。さぁ、早く乗ってーー」

 

「結婚式はどこでやっている?」

 

 男の言葉を遮って、桐生が問い掛ける。男は突然の質問に呆気に取られた様な表情を浮かべながら首を傾げた。

 

「結婚式? ああ、あの子爵と女の子のですか? いやぁ、こんな時に……しかもこんな場所で式を挙げるなんてねぇ。そもそも歳がーー」

 

「どこでやっている、と聞いたんだ」

 

 突然の式の実行に難色を表す様に愚痴り始めた男の言葉を今度は少し強い口調で遮る桐生。その迫力に男は一瞬声を詰まらせてから答えた。

 

「こ、ここから昨日のパーティーの会場だったホールを抜けて階段を上った礼拝堂で行われています!」

 

「わかった。すまんが俺は船には乗らない。早く出航しろ」

 

「えっ!? ちょっと!」

 

 場所を聞くなり突然背を向けて走り出した桐生に男は声をかけるが、桐生が振り向く事はなかった。

 

「何だよ、相棒……あの娘っ子の所に行くのか?」

 

「ああ、やはりワルドにアイツを任す訳にはいかない!」

 

 自慢の脚力を駆使して来た道を駆ける桐生。昨日の名残とも言える、机や椅子が無造作に置かれたホールに来て思わず舌打ちする。

 

「ちっ! どの階段だ!?」

 

 ホールから抜ける開かれた扉の先にはそれぞれ上りか下りの階段がある。しかし、今見る中でも行き先が不明な上り階段が三つあった。もっとちゃんと道を聞くべきだったと、心の中で思わずごちる。

 

「そう言やぁ、相棒。確かおめぇ、「ガンダールヴ」とか呼ばれてたよな?」

 

 突然のデルフリンガーの質問に、桐生は苛立ちを顔に表しながら頷いて見せる。

 

「なんつうかこう……その言葉が妙に引っ掛かるんだが……」

 

「デルフ、悪いがお前のお喋りに付き合ってやれる暇はねぇ」

 

 何やら唸る様に声を出すデルフリンガーに強い口調で言いつけて、桐生は一つの階段に近付いた。すると、階段の脇に桟橋で見たのと同じ鉄製のプレートが張られており、何やら文字らしき物が書いてある。恐らく階段の行き先なのだろうが、桐生には読めない。

 

「何でぇ、相棒。字、読めねぇのか?」

 

「この世界の字はわからねぇ」

 

 焦りを含んだ声で桐生が答えながら、内心何故焦っているのかを考えた。

 嫌な予感が頭を満たしている。このままルイズとワルドが結ばれてしまっては、何か良くない事が起こる様な……そんな予感が。

 こんな事なら昨日ハッキリと結婚を反対するべきだったと後悔していると、思わぬ助け舟がデルフリンガーから出された。

 

「ならよ、俺をプレートにかざしな。相棒の代わりに読んでやらぁ」

 

「お前……字が読めるのか?」

 

 少し驚いた口調と表情を浮かべる桐生に、デルフリンガーがカタカタと小さく震えた。どうやら笑っているらしい。

 

「あたぼうよ。こちとらおめぇ数千年と生きてんだぜ? 文字ぐらい読めらぁ」

 

 自信たっぷりと言うデルフリンガーに対して、桐生は申し訳ないと思いながらも胡散臭く思ってしまった。そもそもコイツは一体どこから物を見ているのだろう? 目と思える様な部分はないんだが、とデルフリンガーの全体を眺めて見る。

 そんな桐生の心中を察したのか、デルフリンガーから溜め息が漏れた。

 

「相棒……信じてねぇな? おめぇ信じてねぇだろ!?」

 

「い、いや! そんな事はない! 頼む、デルフ!」

 

 正直に言えばちょっと信じられないが、桐生は藁をも掴む思いでデルフリンガーをプレートにかざしてみた。

 すると突然デルフリンガーの声が止み、静寂が辺りを包んだ。

 

「こりゃあアレだ……「武器庫」って書いてあんぞ」

 

 どうやらこの階段ではないらしい。仕方なしに次の階段に向かって同じ様に脇に張られているプレートにデルフリンガーをかざす。

 

「あ~……こりゃあ「バルコニー」って書いてあんな」

 

 どうやらこの階段でもないらしい。

 桐生は急いで次の階段に向かい、念の為再度デルフリンガーをプレートにかざす。

 

「ん~……おっ! ここだ、相棒! 「礼拝堂」って書いてあんぞ!」

 

 桐生はその言葉に頷くと、急いで階段を駆け上がった。

 

 

 桐生が鍾乳洞へ向かった頃、始祖ブリミルの像が祀られた礼拝堂で、ウェールズは新郎新婦の登場を待っていた。ウェールズ以外は戦の準備を行っている為、彼以外の人間は誰もいなかった。

 ウェールズは王族の象徴である明るい紫のマントに、アルビオン王家の象徴である七色の羽根が着いた帽子を被った格好の、皇太子の礼装に身を包んでいた。

 礼拝堂のカラフルなステンドグラスから漏れる朝日の中、ゆっくりと扉が開かれ、何時もの魔法衛士隊の服に身を包んだワルドと、魔法の力で永久に枯れない花であしらわれた美しい冠を乗せたルイズが現れた。

 どこかぼうっとしているルイズがワルドに促されてウェールズの前まで歩み寄った。

 朝早くにワルドが部屋に訪れ、今から結婚式を挙げようと話された。昨日の桐生の言葉と、自ら死を選ぶウェールズ達の姿に若干の自暴自棄になっていたルイズは何も深く考えずにワルドに付いて来た。

 

「では、式を始める」

 

 ウェールズの優しい声がルイズの耳で木霊する。

 式? ああ、そうか。今からワルドと結婚するんだ、私。

 まるで他人事の様に考えながら、ルイズは静かに顔を上げた。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名においてこの者を敬い、愛し、そして妻とする事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 凛々しい表情で強く頷くワルドに、ウェールズは優しい微笑みを浮かべて頷いた。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 

 ウェールズの言葉が、ルイズの耳をすり抜けていく。

 何故自分は今、こんなにも悲しいのだろう。

 ワルドと結婚するから? いや、ワルドは昔から憧れていた人だ。きっと好きだとも思う。

 目の前のこの凛々しき皇太子が今日死ぬとわかっているから? しかし、もうそれを止める事は出来ない。それについては昨日カズマとも話したはずだ。

 そうでしょう? とふと周りに目を配ると、そのカズマがいない。ご主人様が結婚式だって時にどこ行ったのよ、あの使い魔は。

 そこまで考えて、ルイズは思い出す。昨日自分が言った言葉を。どこへなりとも行っちゃいなさいと、言ってしまったあの言葉を。

 きっと今頃、「イーグル」号に乗ってこの地を離れているだろう。もう二度と、会う事もない。

 今までの桐生との生活が頭を駆け巡る。誰よりも厳しくて、ことあるごとに叱られた。誰よりも優しくて、何時も自分を守ってくれた。フーケのゴーレムからも、自分を馬鹿にしたクラスメートからも。そんな桐生と、もう会えない。

 

「……新婦?」

 

 嫌だ。そんなのは嫌だ。あの笑顔を、頭を撫でてくれた感触を、失うのは耐えられない。その気持ちに気付いた時、ルイズは改めて知った。一番近くにいて欲しいのは誰かを。

 

「…緊張してしまっている様です。まぁ、初めての時はどの様な事であれ、緊張する物だろう」

 

 ルイズの顔を心配そうに覗き込んだワルドがウェールズに言う。

 ウェールズも心得ている様に頷くと、突然ルイズは首を振ってワルドから身体を離した。

 ルイズの行動の意図が読めないウェールズとワルドが首を傾げると、ルイズは決心した様に背筋を伸ばした。

 

「ごめんなさい、ワルド……私、貴方とは結婚出来ない」

 

 突然の宣言に面食らった様な表情を浮かべるワルドをよそに、ウェールズが真剣な表情でルイズに問い掛ける。

 

「新婦はこの結婚を望まない……そういう事かな?」

 

「はい。お二方には大変失礼とは存じますが、私はこの結婚を望みません」

 

 ワルドの息が詰まる気配を感じたウェールズは、そっとワルドの肩に手を置いた。

 

「子爵、誠にお気の毒だが……新婦が望まぬのではこの結婚、成立はさせられない」

 

 ワルドはウェールズの手からすり抜ける様にルイズに歩み寄ると、その小さな手を取った。

 

「ルイズ、別に日を改めて構わない。緊張しているのだろう?」

 

「ごめんなさい、ワルド。貴方の事は憧れだったの。確かに好きだったのかもしれない。でも、貴方と一緒にはなれない」

 

 ルイズの言葉にワルドは表情を変え、ルイズの肩を強く掴んだ。その目つきはまるで爬虫類を思わせる様な鋭さが秘められていて、ルイズは思わず息を飲んだ。

 

「ルイズ、僕には君が必要なんだ! 君の力が! 君の才能が!」

 

「……何を、言ってるの?」

 

 ワルドの剣幕に押されて怯えた様な表情を浮かべながらルイズが一歩後退る。今目の前にいるのは、ルイズの知っている優しくて格好良いワルドとは別人だった。

 

「いつだか君に言った事を忘れたのかい!? 君は始祖ブリミルを超えるほどの優秀なメイジになる! 僕と共に来れば、世界すら君の前にひれ伏すんだぞ!」

 

 あまりの剣幕にたじろいでいるルイズを思ってか、ウェールズは再度ワルドの肩に手をかける。

 

「子爵、残念とは思うが、君は振られたんだ。君も男なら潔くーー」

 

 しかし、ワルドは振り返るなりウェールズの手を振り払った。

 

「貴様には関係ない!」

 

 その豹変振りにウェールズも面食らってしまう。礼儀正しく、紳士的な態度を取っていたワルドからは想像出来ない荒々しさだ。

 そんなウェールズに目もくれずに、ワルドは再度ルイズの手を掴む。その強い握力に、ルイズの表情が苦痛で歪んだ。

 

「ルイズ! 僕には君が、君の才能が必要なんだ!」

 

「い、痛い! 離して! 貴方が私の何を求めてるかは知らないけれど、貴方が欲しいのは私自身じゃないって事じゃない! そんな人と……結婚するなんてごめんだわ!」

 

 ルイズは必死にワルドの手を振り払うと、ワルドと距離を取る様に後退った。

 そんなルイズを、ワルドは無表情で見つめた。その瞳は光が無く、まるで氷の様に冷たい何かを感じてルイズは息を飲む。

 

「仕方がない。君を手に入れるのが目的の一つだったんだが……予定変更だ」

 

「目的?」

 

 ルイズはワルドの言葉が理解出来ず、訝しげな表情でオウム返しの様に口ずさんだ。

 

「そう、今回の任務で僕には三つの目的があった。一つ目は君を手に入れる事。そして二つ目は……」

 

 そう言うと突然ワルドの口元に禍々しい笑みが浮かび、素早い動きで腰に差していた杖を引き抜いて事の成り行きを見守っていたウェールズの胸を貫いた。

 

「き、貴様……「レコン・キスタ」か……!」

 

「そう…貴様の命だよ、ウェールズ皇太子」

 

 ウェールズの身体から杖を引き抜くと、ワルドは冷たい笑みを浮かべてそう告げた。

 ウェールズは必死にワルドに掴みかかろうとしたが、貫かれた胸元から流れる鮮血を床に流しながら静かに倒れ込んだ。

 一瞬何が起きたのかわからなかったルイズは事態を飲み込むと、悲鳴を上げて腰を抜かしてしまいその場に尻餅をついた。

 

「これで一つの目的は達成した。最後の目的はルイズ……君のその胸ポケットに入っているアンリエッタの手紙だ」

 

 屍となったウェールズの肩を蹴った後、ワルドは血で赤く染まった杖をルイズへと向けた。

 怯える様に必死に後退るルイズに、ワルドは容赦なく歩み寄る。

 

「何で……何で貴方が貴族派に!? 貴方はトリステインの貴族なのに!」

 

 ルイズの悲痛な叫びの質問に、ワルドは笑いながら杖を掲げた。

 

「我々「レコン・キスタ」は、このハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて集まった貴族の連盟だ! 国の違いなど関係ない!」

 

 そう言ってワルドは杖を振るった。発動したのは「風」系統の魔法、「ウインド・ブレイク」。ルイズの小さな身体が吹き飛び、壁へと叩き付けられる。その際、頭に乗せていた新婦の冠がワルドの足元に転がった。ワルドはそれを踏みつける。

 

「残念だよ、ルイズ。君をこの手で殺さぬばならぬとは……」

 

 ワルドは心底残念そうに言いながら床に転がるルイズを見つめた後、呪文を詠唱し始める。

 

「う……あっ……」

 

 叩き付けられた背中が痛むルイズは呻き声を漏らしながら瞳から涙を溢れさせる。

 涙でぼやけた視界に写るのは、うつ伏せて倒れたウェールズの死体と、呪文を詠唱しているワルドの姿だった。

 こんな時、アイツがいれば。そう考えるも、件の人物はもうここにはいない。自分の身勝手な我が儘で追いやったクセに、なんて都合のいい考えを持ってしまったのだろう。

 頭に浮かぶのは、優しい笑みを浮かべた桐生の顔。

 

「……助けてカズマぁっ!」

 

 力の限りルイズが叫んだのと同時に、礼拝堂の扉が物凄い勢いでワルド目掛けて吹き飛ばされる。

 呪文を詠唱していたワルドは突然の身の危険に詠唱を中断し、背後へと飛んで扉だった木片を避ける。

 それに合わせたかの様に、ルイズの目の前に一人の男が駆け寄った。

 

「大丈夫か、ルイズ!?」

 

 ああ……その声をどれだけ待ち望んだ事か。

 心配そうに身をかがめて自分の身体を抱き上げる桐生の顔に、ルイズの瞳から安堵の涙が溢れ出る。

 

「カズマ……来て、くれたのね……」

 

「おう、待たせたな」

 

 ルイズの目元を指先で拭って上げた後、ルイズを床に座らせて桐生はワルドに向き合った。

 

「やはり……貴様が邪魔をするか」

 

 忌々しげに桐生を見ながらワルドが吐き捨てる様に言う。

 

「最初(はな)っからお前は気に食わなかったが……やはりこうなったか」

 

 桐生はワルドの横で倒れたウェールズを見て辛そうに顔をしかめた。そんな桐生に、ワルドは楽しそうに笑みを浮かべながら杖を弄ぶ様に振るった。

 

「貴様にも礼儀正しく接したつもりだったんだが……一体何が気に入らなかったのだ? 平民風情が貴族にそんなに何を求めると言うのだ?」

 

「お前のルイズを見る眼だよ」

 

 桐生の言葉にワルドも、ルイズも意味がわからなくて首を傾げながら桐生の次の言葉を待った。

 

「初めて学園の前でお前と会った時、ルイズを見つめるお前の眼は純粋だった。でもな、あの眼は「愛する人を見る眼」じゃねぇ。あれは、「新しい玩具を見つけた子供の眼」だった。だからお前がルイズを本当に愛してるのか疑問だった」

 

 そう言って桐生はルイズを見る。魔法を受けてボロボロになった小さな身体に、愛など感じられるはずがなかった。

 

「ふん、まぁいい。フーケの言う通り、貴様は危険な存在だ。生かしておけば必ず我々の障害になるだろう。今この場で、コイツの様に殺してやる」

 

 ワルドは横たわったウェールズをチラッと見て笑みを浮かべながら言った。

 桐生は静かに溜め息を漏らして上着に手をかけると、そのまま一気に脱ぎ捨てた。

 

「「っ!?」」

 

 その光景に、ルイズとワルドが言葉を詰まらせる。

 露わになった桐生の傷だらけの身体は、歴戦の猛者を思わせた。腕や肩、腹等に見られる様々な銃創や切創。しかし、二人が目を見張ったのは、その背中に描かれた龍の刺青だった。

 まるで荒々しく、しかし力強く天まで上ろうとしているかの様に描かれた上り龍。

 

「……ふっ、ドラゴンのタトゥーか。虚仮威しには良いかもな」

 

「虚仮威しかどうか……その身体に教えてやるよ」

 

 静かに怒りの籠もった声を発しながら、桐生の身体から赤いオーラが溢れ出る。

 ヒートの事を聞いていたルイズはともかく、ワルドは初めて見る桐生のオーラに訝しげに顔をしかめると、杖を構えて呪文を口にした。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 詠唱を終え、ワルドが杖を振るう。すると、ワルドの身体が分身を始め、四人のワルドが現れた。

 

「奇妙な術まで使えるとはな。分身か……」

 

「ただの分身とは思わぬ事だ。風のユビキタス(遍在)……それぞれが意志を持ち、私自身に近ければ近いほど強くなる!」

 

 ワルドの分身が懐から白い仮面を取り出して顔に着ける。その姿はまさに、フーケのゴーレムに乗っていた男だった。

 

「なるほど、あの時の男もお前だったか。ならフーケを逃がしたのも……」

 

「その通りだ。我々「レコン・キスタ」は国境を越えた貴族の同盟。犯罪者であろうと優秀なメイジは大歓迎なのでな」

 

 桐生はワルドの言葉を聞き終えるとデルフリンガーを引き抜いた。錆の浮いた刀身が鈍い輝きを放つ。

 

「来いよ、ワルド……お前は、俺が倒す!」

 

「行くぞ!」

 

 桐生がワルド本体に向かって突進すると、ワルドの分身の四人が四方に散ってその内の二人が杖を桐生に打ち込む。

 ガキンと言う鈍い金属音を立てながら二人のワルドの杖捌きをデルフリンガーで受け止める桐生。しかし、突然二人が退いたかと思うと、左右に別れていたもう二人の分身が杖を振るって「ウインド・ブレイク」を叩き込んで来た。

 デルフリンガーを構えてとっさに守りの体勢に入るも強い風圧によってルイズ同様壁に叩き付けられる桐生。

 

「野郎!」

 

 背中から伝わる痛みに顔をしかめながらも立ち上がってワルド達を睨み付ける。そんな桐生に、本体のワルドが笑みを浮かべる。

 

「貴様の剣技は多少なりとも見事だが、所詮はただの棒振りに過ぎん。平民である以上、魔法の前では無力だ!」

 

 五人のワルドが杖を掲げて同時に呪文を唱え始めた。桐生はその呪文に聞き覚えがあった。あの時、桟橋で仮面の男と対峙した時に聞いた呪文、「ライトニング・クラウド」だ。

 

「ちっ、この人数から一斉に受けんのはマズいな……!」

 

 忌々しそうに桐生が呟いたその時、

 

「思い出した!」

 

 突然デルフリンガーが叫び声を上げた。

 

「何だ、デルフ!?」

 

「いやぁ、やっと思い出したぜ! 俺は昔もおめぇに握られてた、「ガンダールヴ」!」

 

「悪いがお前の昔話を聞いてる暇はねぇぞ!」

 

 そんな会話をしていると一斉に蒼白い稲妻が桐生目掛けて放たれる。

 桐生はデルフリンガーとの会話で避けるタイミングを逃がしてしまい、とっさにデルフリンガーで防御の構えを取った。

 

「無駄だ! その様な刃で防げるはずなかろう! 丸焦げになるがいい!」

 

 勝利を確信したワルドが狂気に顔を歪める。

 「ライトニング・クラウド」がデルフリンガーに当たった瞬間、突然錆び付いた刀身から眩い光が放たれた。そして、桐生を焼き焦がすはずだった蒼白い稲妻は、その光り輝く刀身に吸い込まれていく。

 桐生とワルドが驚きを浮かべる中、光がゆっくりと消えた刀身はまるで新品の様に白銀に輝いていた。

 

「デルフ、これは!?」

 

「これが俺の本当の姿だ! 相応しい使い手にゃあ相応しい姿で応えるぜ! さぁ、行こうか相棒! チャチな魔法は任せときな! この「ガンダールヴ」の左腕、デルフリンガー様が吸い取ってやらぁ!」

 

 デルフリンガーの言葉にゆっくりと笑みを浮かべた桐生は束をしっかりと握り返し、上段に構えを取ってワルドを睨み付ける。

 そんな桐生には目もくれず、錆び付いた刀身から光り輝く刃へと変わったデルフリンガーを見てワルドが溜め息を漏らす。

 

「なるほど、ただのナマクラではなかった訳か。だが、形勢逆転には程遠いな」

 

 そう言ってワルドは再度呪文を詠唱する。すると杖が蒼白い光を放ち始めた。光の正体は回転している真空の渦である。杖を触れる物を切り、貫く鋭利な真空の刃をまとった剣へと変えたのだ。

 

「「エア・ニードル」。ウェールズを殺す際にも使った魔法だ。杖自体が魔法の渦の中心、これを吸収する事は不可能だろう!」

 

 蒼白い輝きを放つ杖を構えた五人のワルドが一斉に桐生に躍り掛かる。桐生はデルフリンガーで真空の刃を受け、払い、流すが五対一だ。鋭い突きをすんでのところで交わしては頬の肉が裂け、次々と打ち込まれる斬撃に避けきれず腕や胸の肉が裂けて血が流れる。

 

「そらそらそらっ! どうした、「ガンダールヴ」!? その程度か!?」

 

「くっ!」

 

 防戦一方の桐生をルイズはハラハラしながら見守った。しかし、このままではマズいと思い、思い切って杖を引き抜いて呪文を詠唱する。失敗したとしてもワルドの猛攻を多少は逸らせると思ったのだ。

 だが、ワルドも実戦の中で生きてきたメイジである。ルイズの呪文の詠唱に気付き、本体のワルドが素早く呪文を詠唱して再度ルイズに「ウィンド・ブレイク」をお見舞いする。

 ルイズの身体は風で吹き飛ばされ、始祖ブリミルの像へと身体を叩き付けられ気絶してしまう。

 

「ルイズ!」

 

「戦いの最中に余所見とは余裕じゃないか!」

 

 吹き飛ばされ、床に突っ伏したルイズに気を取られた桐生はワルドの突きをなんとかデルフリンガーで受け止めるも突き飛ばされ、ウェールズの隣に倒れ込んでしまう。

 

「安心しろ。あの聞き分けのない娘は貴様を殺してから殺してやる」

 

「くっ、てめぇ……!」

 

 痛む身体を起こして立ち上がろうとした時、カシャンと指先に何か硬い感触が伝わりそれに視線を向ける桐生。

 指の先には青い鞘に収まった、茶色い束の短剣が転がっていた。状況から察するに、ウェールズの護身用の短剣の様だ。

 桐生はその短剣の鞘を引き抜いてみる。鞘の中からは刃渡り十五センチほどの両刃の刀身が現れる。

 桐生は突然デルフリンガーを鞘に収めると、その短剣を握り締めて立ち上がった。

 

「あ、相棒、何してんだ!? 俺を使えよ! そんなチンケな刃物じゃなくて!」

 

 突然鞘に収められたデルフリンガーが喚き散らすが、桐生は短剣片手にワルドへと突っ込んで行った。

 

「そんな小さな!」

 

「果物ナイフで!」

 

「この私を倒せると!」

 

「思っているのか!?」

 

 分身である四人のワルドが交互に口にして桐生に挑みかかる。本体のワルドは勝ち誇った様に笑みを浮かべながら少し距離を取った。

 桐生は小さく呼吸を漏らすと流れる様な動きで一人目のワルドの杖を避けて脇腹を短剣で切り裂いた。更にもう一人、またもう一人と杖をすんでのところで避けては脇腹を切り払うの繰り返し、最後の一人が鋭い突きを繰り出すと深く屈んですれ違いざまに切りつける。そして短剣でピュッと空を払うと分身のワルド達が消えていった。

 

「何ぃっ!?」

 

 予想だにしない出来事に、ワルドの表情が驚愕に変わる。

 宮本武蔵秘伝必殺剣、「組小太刀・幻狼」。相手の攻撃の合間を縫ってすれ違いざまに切りつける、電光石火の狼の動きを元に編み出された必殺剣である。

 余裕を無くしたワルドはすぐさま呪文の詠唱に入るが桐生は止まらない。

 短剣を鞘に収めてポケットにしまうと、デルフリンガーの束に手をかけてワルドをしっかりと見据える。

 

「……うぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 雄叫びを上げながら目にも止まらぬ速さで一気にワルドに駆け寄り、引き抜かれたデルフリンガーの居合いの刃が閃いた。

 一瞬の沈黙の後、ボトリとワルドの左腕が地面に転がる。

 

「ぐぅっ! 何だ!? 今の速さは!?」

 

 切り裂かれた左腕と桐生を交互に見ながら鮮血が溢れ出る肩の切り口を覆い、よろめき後退るワルド。

 宮本武蔵秘伝必殺剣の一つ、「荒れ牛」である。暴れ牛の突進の如く一気に間合いを詰めて居合い斬りを繰り出す必殺必中の一撃だ。しかも今は、「ガンダールヴ」としての能力の助けもあって、通常よりも遥かに速い。

 

「ぐっ!? はぁ……はぁ……!」

 

 突然得体の知れない疲労感が身体を駆け巡り、デルフリンガーを地面に突き立てながら膝をつく桐生。身体から迸るヒートも、赤から青い色へと変わる。

 

「無茶したな、相棒。「ガンダールヴ」としての動きは、その時は軽快でも疲労は半端じゃねぇ。おめぇはあくまで、主人の魔法の詠唱を守る盾として動くのが役目だからな」

 

 デルフリンガーの説明を聞きながら、桐生はワルドに視線を向ける。

 ワルドは残った右腕で杖を振って宙へと浮かんだ。

 

「貴様を殺せなかったのは心残りだが、ウェールズを始末出来ただけ良しとしよう。間もなくここは我が「レコン・キスタ」の同志によって滅ぼされるのだからな!」

 

 ワルドの言葉の通り、外では大砲の砲撃の音と竜の様な鳴き声が聞こえてくる。更にそれに混じり、断末魔の悲鳴までもが響いていた。

 

「さらばだ、「ガンダールヴ」! 愚かな主人と共に死ね!」

 

「待てよ」

 

 退こうとするワルドを桐生が呼び止める。ワルドはもはや桐生に打つ手等ないと高をくくり、首を傾げて見せた。

 

「まだてめぇに、渡してねぇもんがあるんだ」

 

 息も絶え絶えながら、桐生ワルドを睨み付けながら言う。

 

「ほう? 貴族の私に渡したい物だと? 平民風情の贈り物等期待はしていないが……一応受け取ってやろうじゃないか!」

 

「ああ……とくと受け取りやがれっ!」

 

 桐生はワルドの魔法によって砕かれた壁の破片の一つを取ると、ワルド目掛けて思いっ切り投げつけた。

 一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、ワルドは心底楽しそうに目をつぶって笑いながら破片を右手弾いた。

 

「こんな! こんな物が贈り物だと!? もっと貴族への礼儀を学ぶんだなーーっ!?」

 

 高らかに笑って目を開くと、その笑いは一瞬で消えた。先ほどまでそこにいたはずの桐生の姿が見当たらないのだ。左右に視界を動かすが、倒れたルイズとウェールズ以外どこにも見当たらない。

 ふと、左側に気配を感じて振り向くと、ワルドの身体は硬直した。

 そこには、自分の高さより少し上に飛んだ桐生の姿があった。左手には鞘に収められたデルフリンガーが握られている。

 

「これは……!」

 

 桐生はそう口ずさみながら、右手の拳を握り締める。その表情は怒り一色に染まり、そんな桐生の動きを、まるで金縛りにあった様にワルドが呆然と見つめる。

 

「慕っていたお前に裏切られた、ルイズの分だ!」

 

 ワルドの左頬に桐生の拳が打ち込まれ、ワルドの身体はステンドグラスを破って外へと消えた。

 着地と同時に桐生は呼吸を荒げて傷口から流れる血と汗を地面に流す。身体から迸っていたヒートの青い輝きも、静かに消えていった。

 

「いくら何でも無茶し過ぎだぜ、相棒! 壁を走って飛ぶなんざぁ!」

 

 デルフリンガーの心配そうな声を他所に、桐生はシャツを手にとってルイズの元へと急ぐ。

 小さな身体を抱きかかえて呼吸をしてるのを確認してホッとすると、ワインレッドのシャツを着込んでジャケットでルイズの身体をすっぽりと包み込んだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。