デート・ア・ライブ―精霊喰いは精霊に恋する― 作:ホスパッチ
(殺して、やる。殺してやる、殺してやる!)
まるで地獄絵図のような業火に包まれた街の空を、奇妙な格好をしながら一人の幼き少女が何度も同じ言葉を発して突き進んでいた。
少女――夕陽はある『何か』によって、精霊となった。
それはまるでノイズのような、認知できないような存在。掴みどころのない口調で夕陽の付け入る隙がまるでなかったが何はともあれ、その者によって夕陽は最高最強の存在となった。
空中に浮かびながら探すのは、この天宮市の大火災となったもう一人の精霊。
夕陽からかけがえのない家族を奪った憎むべき精霊。
完膚なきまでに殺す、そのために夕陽は行動している。
身体を拘束するように巻きつけられていたベルトは夕陽の周りを浮遊しており、一定間隔で小さな音を奏でながら人体が発する微弱な電波を探知し、その中でも生命反応を示している者だけを選別して夕陽の脳に直接伝えるのだ。
(まだこの街を離れていないはず、いまなら確実に殺せるんだ……ッ!)
いまの自分にできないことは何もない。
相手が同じ精霊であっても負ける気がしない。負けてはならない。
(出てこい出てこい出てこい逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな)
まるで呪詛のように呟きながら夕陽は空を舞う。
すると、ピコンと周りを浮遊していたソナー代わりのベルトから脳に生命反応が二つほど探知する。
探知すれば夕陽はすぐにその現場へと向かう。精霊となった夕陽の力をもってすれば一分もかからないほどの距離に生きている二人はいるのだ。
(はは、はははは……)
正直、殺せるならもう誰でも構わなかった。
それほどまでに家族の死は夕陽の心を狂わせたのだ。
(…………)
たどり着いた先は公園から離れた距離にある高台近くだった。
確かに高所に避難すれば火炎に怯えることもないだろう。夕陽は心の中で納得しながら燃え盛る街を呆然と眺めている二人の背後に降り立つ。
それは夕陽と同い年くらいの少年とそれ以上に幼い少女だった。少女は少年に抱えられていて意識を失っているようで、夕陽の気配に気がついた少年が振り返る。
(きみは……?)
夕陽の姿を見て不審に思っているのか少年は恐る恐る問いかける。
その質問に、夕陽は答えない。
代わりに問い返す。
(それは、おまえの妹か?)
夕陽は少年に抱えられている少女を指差す。
質問を質問で返された少年は指し示された少女をまるで庇うように後ずさりし、
(そ、そうだ)
(……そう)
少年の答えに夕陽は短く頷く。それと同時に少し不運だと思った。
何故なら――先ほど自分のように目の前で家族を失うことになるのだから。
感覚的だが夕陽は理解できた。
抱えられている少女の身体の中には夕陽と同じような宝石があるということを。
共鳴、というべきなのだろうか。とにかくわかってしまうのだ。
あの少女こそが家族の仇。決して逃がしてはならない宿敵なのだと。
(一度だけ警告するよ、その女を置いて消えて)
夕陽はそう言って人差し指を立てれば動作に合わせてその指を覆うように霊力が電撃のようにバチバチと迸りながら歪曲した高密度の刃を作り出す。まるで牙のようだ。
殺意が形を持った武器を見て、少年は額に汗を滲ませながら問う。
(……嫌だと言ったら?)
(一緒に殺すしかないね)
言い終わった瞬間の少年の行動には迷いがなかった。
明らかな殺意と敵意を前に少年は夕陽のことを自分の妹を殺す『敵』だと認識したのだろう。少女を一度持ち直せば夕陽から見て左に全速力で走り始めたのだ。
だが、夕陽にとっては人一人を抱えた少年の速度などたかが知れているし『的』にすぎない。
案の定その場から一歩踏み出しただけで少年の前に出ていた。
少年は酷く驚いた表情で立ち止まるがいちいち構っていられない。
せめてもの慈悲だった。
夕陽は刃ではなく手の甲を使って軽い力で少年を殴りつければ、風に吹き飛ばされた木の葉のように少年が軽く数メートルは吹き飛ばされる。精霊の夕陽にとっては軽い力だろうが少年にとってはひとたまりもない一撃だ。気絶していてもおかしくはない。
(…………)
倒れた少年を一瞥すれば夕陽は少年が吹き飛ばされたことによって地面に落ちた少女の首を掴み、靴裏が地面から離れるほど浮かせば刃を構える。
(やめてくれッ!)
すると気絶したはずの少年が夕陽の身体に飛びつき、不意打ちだったことから少女の首から手を離してしまい夕陽は地面に尻餅をついてしまう。
(しつこいな! 何なんだよおまえッ!)
仇が目の前にいるというのに殺せない苛立ちから夕陽は少年の顔を何発も拳で殴りつける。今度は手加減などしていない本気の力でだ。
どれだけ殴られても少年はそれでも夕陽にしがみついて離さずに血反吐を吐きながら叫ぶ。
(琴里は俺の、大切な妹だ……ッ! 奪われて、たまるもんか!)
(クソ、クソクソクソクソッ!! 邪魔をするなッ!!)
少年の兄としての姿が、もうこの世からいなくなってしまった兄――夕騎の面影と重なってしまう。
きっと夕騎も夕陽が同じようなことになっても庇ってくれただろう。何だかんだ言っても優しい兄だった。
だからこそ、嫌な光景だった。少年が少女――琴里を守ろうとする姿は本当に気分が悪いものだった。
(もう死んじまえよッ!!)
堪えきれなくなった夕陽は構えていた高密度の刃を振りかぶって少年の背中から心臓に向けて思い切り突き刺す。
さらにそこから刃を突き刺したまま霊力を電撃として流し、細胞ごと少年の身体を内側から焼いていく。
何かが流れ込んでくるような感覚がするが関係ない。
どんな人間だろうがここまですれば死ぬ。
少年の身体からは肉が焼け焦げたような嫌な臭いがし、身体の節々から黒い煙が徐々に吹き出てくる。
琴里だけのつもりだったが、余計なものまで殺してしまった。
初めての殺人に夕陽は手を震わせながらよろけつつも立ち上がると、荒くなった息遣いのまま今度こそ憎き仇である敵を討とうとする。
だが、少年はまだ死んでいなかった。
身体中から出ていた黒い煙はやがて炎となり、傷口を舐めまわすかのように這っていく。
足首を掴まれた夕陽は心底間の抜けたような声を上げる。
(は……?)
意味がわからなかった。
どうして殺したはずなのに死んでいないのか。
どうしてただの人間のはずの少年が精霊の真似事のようなことをしているのか。
(やめてよ、もう、邪魔しないでよ……)
夕陽の声はか細いものになっていた。
(こ、こで、諦めたら、琴里が殺されてしまう、だろ……)
(おまえの妹のせいでこの街はこんなことになったんだ! 私の家族はみんないなくなったんだ! 殺されて当然のことをこの女はしたんだ! だから邪魔をするな!)
何度も何度も刃を突き刺すも、どれだけ激痛に苛まれても少年は夕陽の足を止める力を緩めることはなかった。
琴里が原因で起こったこの大火災。
薄々少年も気づいているはずだ。なのに、どうして邪魔をするのかはわからなかった。
声にならない疑問とともに夕陽は少年の身体を刺し続ける。
すると少年はふと、声を漏らしたのだ。
(どれだけ妹が悪いことをしようと、お兄ちゃんである俺が見捨てたら、琴里は、本当に『ひとりぼっち』になってしまう、だろ……)
琴里が引き起こした大火災によってすでに『ひとりぼっち』になってしまった夕陽は爪が拳に食い込み、血が滲むほどのチカラで握り締め、悲鳴のような声を上げる。
(……私は、もう、もう、誰もいないのに。そんなのありえないありえないもう喋るな話すな口を開くなぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!)
駄々っ子のように声を張り上げ、錯乱し、狂乱した。
もう憤怒の炎によって思考が焼かれ、まともな判断すらできない夕陽は滅茶苦茶に霊力を撒き散らし、あたりを破壊するがそれらは少年や琴里に被害を与えることはなかった。
(独りは嫌だ孤独は嫌だ置いていかないでみんな『ひとりぼっち』なんて嫌だ地獄でもどこでもいいから一緒に連れて行ってよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!)
なおも髪を振り乱し暴れる夕陽の目には標的であるはずの琴里さえ視界には入っておらず、やがて飛び上がったと思えば不安定な飛行でどこかへと飛び立っていく。
その後、少年たちがどうやって逃げたのかなど夕陽の知るところではない。
霊力を迸らせながら燃え盛る街の中を駆け巡る夕陽。
何度も障害物にあたるが痛みはどこにもなく、やがて隕石が衝突したのではないかと思うほどの勢いで地面に着弾し、多大なるクレーターの真ん中で大の字になって倒れる。
(はぁ……はぁ……)
見上げた空は煤けていて、とても色褪せたもの。
まるで世界から夕陽意外すべての生き物が消えたかのような錯覚を覚える。
(嫌、いや、イヤ、一人は嫌ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!)
夕陽の精神が崩壊していく。
世界が崩れていく。
そして代わりに夕陽の心を埋めたのは『黒』だった。
世界を再編成したのは『闇』だった――
「わずかな差で、夕騎さんの勝利でしたわね」
シルヴィが倒れ、続いて夕騎が倒れた戦場で狂三はただ一人立っていた。
先ほどの攻撃の交差ではシルヴィの方が先に攻撃を当てていた螺旋回転したドリルは夕騎の肩口に突き刺さり、肉を抉ったがそれでも夕騎は腕が千切れようが構わずに右手を伸ばしきったのだ。
二人の勝敗を決めたのは他でもない最後の最後で振り絞られる『根性』だった。
そもそもシルヴィは散々本気だと言っていたが狂三から見てみればまるで実力を出していなかったように見える。
やはり昔の教え子まで手をかけるような冷酷な『復讐鬼』になれなかったのだろうか、狂三はシルヴィの表情を見れば一息吐き、少しだけ嬉しそうな声音で呟く。
「夕騎さんの甘い部分はあなたから引き継がれていたようですね」
夕騎が言うには今日中に折紙が琴里を討ちに来るらしいのでそちらを見に行くのも一興かと思ったが、すでにあちらでも戦闘は始まっているようで遠いながらも何度か爆撃音のようなものが聞こえてくる。
「零弥さんの影にも
「ママっ!」
狂三が顎に手を当てやがて納得したように頷いていると、狂三の背後から現れた少女が狂三の身体を抱きしめてそのまま地面に倒れこむ。
「うっ、この子はもう……」
顔見知りなのか狂三は一瞬肺から空気が漏れ出し呻き声を上げるが、抱きついてきた少女を見れば笑顔を作り相手の頭に手を置いて優しく撫でてやる。少女も嬉しそうに狂三の胸に顔を埋め「きゅーん」などと妙な声を上げている。
「とりあえず離れてくださいまし」
狂三がそう言えば少女は名残惜しそうにするが聞き分けがよくすぐに狂三から離れて立ち上がる。
一言でその少女を表すなら『デカイ』だ。
身長は二メートルを超えているのか立てば華奢な狂三とは大層身長に差ができ、しゃがむくらいでなければ目線を合わせることができていなかった。
左目には軍用というべきなのか医療用とは違う形状をした眼帯で覆っており、すらりと膝裏まで伸びる長髪は血で染めたかのように赤みを帯びている。身に纏っているのはセーラー服、その服には絵の具を引っくり返したかのような赤色が付着していた。
身長の高さからは見当がつかないほど幼い口調で少女は心底嬉しそうに狂三の両脇を持って抱えればまたギュッと抱きしめる。もう狂三が大きめの人形に見えてくるほど二人のサイズ感は違った。
「あなたは変わらず甘えん坊さんですわね、
「ママこそ、相変わらず小さい!」
「あなたが大きすぎるだけですわ」
兆死は零弥と同じく精霊の『想い』から生まれた精霊。
零弥は精霊の守ってほしい、助けてほしい、そんな『救済』を求める純粋な『想い』から生まれた精霊だが、兆死は別種の感情から生まれている。
それは現界するたびにASTなどの人間に襲われたときにどうしてこんな目に遭わなければならないのかと憎しみ、恨み、そんな負の『想い』である『怨恨』から生まれた精霊。
そして『怨恨』以外に兼ね備えていたのは誰かからの無償の愛を求める『渇愛』の『想い』。
だからこそ兆死は初めて出会った狂三に懐き、『愛』をもらったためにいまでは何でも言うことを聞くようになり『ママ』と呼ばれるようになったのだ。
「ママ見て見て、キザシはスゴイことできたんだよ!」
兆死は狂三が何か言いたげにしているのだが先にポケットからスマートフォンを取り出し、何やら動画再生画面まで進めれば画面を狂三に見せる。
その画面に映っていたのは――夥しいほどの血と、十字架に杭で磔にされている人間たち。
それを動画では撮影者の兆死は手にハンマーのようなものを持っており、何かリズムに沿ってそれぞれの人間に刺さっている杭を打っていた。
小さい音量ながらに叫び声はとても嫌な響き方をしていた。
狂三は目を細めて問いかける。
「これは何ですの?」
「えーっとね、『きらきら星』演奏してるの!」
確かに良く聞いてみれば叫び声が微妙に音色を奏でているがとても『きらきら星』には聞こえない。だが、兆死は褒めて欲しそうな目で狂三を見ている。
そう、兆死こそシルヴィの弟を惨殺した精霊史上最低最悪の精霊――〈リッパー〉。
DEM社が幾度となく捕獲を試みたが勝ち目がなかった純粋無垢な殺意を持つ最凶の精霊。
「褒めるのはあとですわ。それで、たの――」
「あ、パパだ!」
「もうっ! わたくしの話を聞きなさい!」
身体はこんなに大きいのにまるで思想が幼稚で言うことを聞かない兆死は落ちていた右腕を拾えば倒れている夕騎のもとへしゃがみ込み、その隣で寝転ぶ。
「兆死、早く右腕を置いてわたくしの話を聞きなさい」
「ぶーっ、ママはパパといっぱい一緒にいるのにケチー。キザシもお話したいのにー」
「パパはいま戦い疲れているのですわ、【
「はぁーい」
夕騎の右腕を大切そうに抱えた兆死は拗ねた表情で寝転んだまま狂三を見上げる。
ようやく話ができる狂三は手のかかる子だと思いつつ聞く。
「わたくしが頼んでいた情報は入手できましたの?」
「うん、できたよ」
軽く答えた兆死は寝転んだまま指をひょいっと振るうと宙にワープホールのような黒い裂け目が現れ、そこから小さめの棺桶が顕現される。
「そのなかに入ってるよ。世界中駆け巡ったんだからね、褒めて褒めて!」
「はい、よくできましたわ」
「むふーっ! キザシは偉いからラクショーだよ!」
誇らしげに胸を張る兆死はむふふーと鼻から息を出しては今度は夕騎に褒めてもらいたいのか身を引っ付けるが何の反応もないのでつまらなさそうな表情をし、ついでに――
「……ママ」
「どうしましたの?」
「見られてる」
狂三が何か返答する前に兆死が手を振るえば空中でいくつかの小さな炸裂音が聞こえ、地上にぼとぼとと機械の残骸が降り注ぐ。それは〈フラクシナス〉から飛ばされていた監視機だった。
「相変わらず手が早いですわね」
「むふん、当たり前だよう」
そう言うとまた兆死はまた夕騎にじゃれつきだしたので狂三はもう監視はないのだと考え、棺桶の中に入ってあったパソコンに同じく入れられていたUSBメモリーを差込み、データを確認していく。
それは兆死に頼んで狂三が目星をつけていたDEM社の研究所各所に潜入させて得た『月明夕騎』という存在の根源に関わる情報だった。
そのデータをすべて確認し終える頃には狂三は〈精霊喰い〉の能力についても酷く納得したような顔をし、
「なぁるほど、こういうことでしたか。でしたら、わたくしが次に向かうのは……このデータに記載されている場所ですわねぇ」
「ママ?」
疑問げに狂三の様子を見つめる兆死は一旦放っておき、狂三は〈
怪我をしていない右腕も千切れていない元通りの状態に戻せば狂三は別れの挨拶も告げずに背を向け、
「きひ、きひひひひひひひひひひひ。兆死、行きますわよ」
「え、どこに?」
「とにかくついてきなさい。きっと、面白いものが見れますわよ」
「わかった!」
狂三の言うことを間に受けた兆死は夕騎との別れを惜しみながら「ばいばい」と言って狂三の背中を追っていき、やがて二人は姿を消していく。
そして、その頃士道は零弥、十香、四糸乃の助けもあって見事折紙から琴里を守り、無事に霊力を封印することに成功していたのだった。