デート・ア・ライブ―精霊喰いは精霊に恋する― 作:ホスパッチ
もう誰も踏み込むことも出来ず、崩壊していく運命にある世界――隣界で、ただ一人戦う少年がいた。
名は月明夕騎。
始源の精霊より生まれ〈精霊喰い〉の牙を与えられたことにより人生を狂わされた者。
愛した者達を裏切り、恨まれようともたった一つの想いを胸に進み続け、今も尚戦い続けている。
「グルァアア――ッ!!」
獣の如き咆哮を上げ、襲い来る化物を薙ぎ払いながら全身から血を噴き出す。
無理矢理定着させられた結果、滅びゆく肉体。
夕騎自身わかっていた。自分はすでに死人であり、過去に生きた者なのだと。だからこそ、どれだけ損な役回りだろうが構わない。自分の背負った咎なのだと理解していた。
闇の奥底より飛来する刃の数々。
目で捉えていながらも躱すことすらも出来なくなった身体に次々と音を立てて刃が突き刺さる。
「が……ッ!」
踏鞴を踏んで後退しようとも足を地面に叩きつけて夕騎は倒れない。
意識はもう何度飛びそうになったか。
薄れ混濁していく意識の中で何度戦う意味を自らに問うたか。
決まっている。
――俺は、証拠が欲しかったんだ。
贖罪でありながら、自らがいた証を。
精霊への愛が植えつけられたものだろうとも。どれだけ自らの存在が嘘に塗り固めたものであっても。
士道達が生きてくれるだけで『月明夕騎』はこの世に存在した証となる。
最後の気力を振り絞り、肉薄した相手の喉元を〈ナジェージダ〉が斬り裂く。
噴き出す鮮血。倒れる身体。
見る限り、もう敵は見られない。精霊に成り損なった者達が彷徨う隣界ですらとうとう夕騎は一人となった。
その身は前のめりに倒れ、夕騎を中心に夥しい血が花弁のように真っ黒な地面を彩る。
――これで、ようやく終わりだ……。
長かったようで、とても短いように思えた何とも矛盾に溢れた時間の中で見えた終焉。
叶えたかった夢はきっと士道が叶える。
同じ母から生まれた兄として、士道にしてやれたことは少なかったかもしれない。だが、もう満足だった。
手の受け皿で受けていたはずの砂は全て手から零れ落ちてしまったが、これで――
「…………これは……」
ふと胸に伝った感触。
夕騎の胸から落ちたのは一枚の封筒。その封筒を見て、思い出す。
それは夕騎を労うために行われたパーティで渡された手紙。
あの時はすでに夕陽に身体を返すことを決めており、夕陽に渡された後も読んでしまえば迷ってしまうとずっと読まずに仕舞っていたものだった。
他の手紙は戦っていた最中に紛失してしまったのか、残っていたのは今落ちた一通だけ。血に濡れてしまわないように夕騎はそっと手に取る。
その名を見て、夕騎は思わず目を丸めてしまう。
自分が初めて霊力を封印した精霊――零弥。
最期ぐらい自分に甘えるぐらい良いだろうと夕騎はその封を切った――
○
『夕騎へ――
こうして手紙を書くことは初めてで何を書けばいいかわからないので、これを機に今まで私が思っていたことを伝えたいと思います。
夕騎と出会って、戦って、あなたと共に暮らすようになって随分経つけどもあなたは全く変わっていません。
精霊のことを第一に思って、どんなことでも夕騎は私達のために頑張ってくれました。いつもなら調子に乗るから言わなかったけど私達のために戦ってくれるあなたの姿は誰よりも格好良いです。
でも同時に怖くもありました。どれだけ傷ついても構わない、精霊のためなら死ねる、そう言うあなたがとても怖かった。私はあなたを失うことが何よりも恐ろしいと思っています。
あなたは私にとって光。いつも道を明るく、普く照らしてくれて、だからこそ私は迷いませんでした。
月は太陽ほど眩くは照らさない。でも私にとって月明というあなたの輝きは何よりも眩くて、眩しいからこそ私は前でもなく後ろでもなく、あなたの隣に寄り添って歩んで生きたいです。
私は夕騎を誰よりも愛しています。
例えあなたが私よりも狂三を愛しているとしても、この気持ちは何一つ変わりません。
まだまだこの世界には私の知らないことで溢れています。夕騎にだって知らないことはあると思います。
だからこそ、これからも共に歩んでいきましょう。
明月零弥より――』
○
「…………」
手紙を読み終え、零弥の本心を知った夕騎。
手から零れ落ちた手紙は一瞬にして血で真っ赤に染められ、せっかくの手紙も文字が見えなくなってしまう。
夕騎の身体は限界に達していた。
もう視界もぼやけて眼前ですらままならず、身体の感覚もすでに麻痺してなかった。
ただ不思議と心は満たされていた。
こんな嘘偽りで作られたような化物である自分をここまで愛してくれる人が、いや精霊がいたのだと。零弥ははっきりと伝えてくれた。
流す涙も失ってしまったが代わりに夕騎の口元は笑みを浮かべていた。
零那が望んでいた通り、夕騎は満たされて人生を――
「……おいおい」
ぼやけた視界に映ったのは赤い光。
全て殺しきったと思っていたが最後に一人だけ残っていたのだ。
もうすでに夕騎に戦う力はない。崩れていく隣界の中で最後にし損ねてしまったのだ。
悔いはないと思っていたが最後の最後でツメが甘かった。
振り上げられる刃。それは夕騎にとって死神の鎌そのもの――
○
「……っ!」
呆然と何か考え事をしていた零弥は踏み外し、階段から落ちそうになる。
「零弥」
その手を取って止めたのは零那。落ちないように支えれば零弥も安堵して息を吐く。
「ありがとう。少しぼーっとしてたわ」
「何か考え事?」
「ええ、ふと一年前のことを思い出したの」
あの一件からちょうど一年。
あれから零那も来禅高校に転入し、三年生となったことで進路を決めるという言わば人生の分岐点に差し掛かっていた。
零弥と零那は八舞姉妹のように元々は一つの存在が二つに分かれた者。魂の繋がりにおいては八舞姉妹以上に結びつきが強く、零弥が何を考えているのかは手に取るようにわかってしまう。
「夕騎のこと?」
「……やっぱり零那には隠し事は出来ないわね」
当然零弥も知っている。
だからこそ息を吐いて、まるで自嘲するように笑みを浮かべる。
「一年前、零那にああ言ったのに私はずっと夕騎のことを引き摺っているの。毎日毎日、もしかしたら夕騎が帰ってくるんじゃないかって期待してる自分がいるの」
夕騎と共にいた時はいつもそうだった。
いつも命懸けの無茶をして、でも何だかんだ言って生きていて。今回もいつものように――なんて考えてしまう。
「それだけ夕騎の存在は大きかった。私も夕騎がどれだけ頑張ったか、命を削ったか、知ってる。だからたまにのうのうと生きているこの学校の連中に憤りを感じることがある」
「あ、あなたって意外と好戦的よね……」
休憩時間中なので廊下で騒いでいる男子生徒達を見れば零那は無表情ながらに殺気が見える。
夕騎が何か仕掛けを施していたのか、不思議と来禅高校の生徒はクラスメイトでさえ夕騎のことを忘れてしまっている。覚えているのは士道や〈フラクシナス〉にいた面々、精霊達ぐらいだ。
今にも駆け出して蹴りでも放ちそうな零那を抑えていると不意に零弥の手首が零那に掴まれて引っ張られる。
「来て」
「え、え? 何?」
零那の行動は突拍子がなく、零弥は半ば引き摺られるようにして屋上へ連れて行かれる。もうすぐ授業が始まるというのに本人的にはまるで構わないといった様子だ。
今日は天気が良く、青空が広がる屋上に辿り着けば零那は手を離して零弥から少し離れる。
「零弥、もしもう一度夕騎に会える可能性があるって言えば信じる?」
「……え?」
零那の言葉に零弥は一瞬何が何だかわからなくなる。
構わず零那の制服は唐突に輝きを放ち、気付けばその身に纏われていたのは軍服。
その軍服には見覚えがあった。
「霊装……?」
「そう。私達は想いで生まれた精霊。だからこそ想いが消えない限り霊力が尽きることはない。零弥も気付いていないだけでもう充分に戻ってるはず」
一度は空になったとしても時間が経てばこうして元の力を取り戻すことも出来ると零那は知っていたのだ。
「隣界はこの世界とは時間軸が大きく異なってる。だからこっちで一年経っても隣界はそれほど時間が経ってない可能性は充分にある」
零那は夕騎がしようとしていたことを知っているただ一人の精霊。だからこそ夕騎がどうやって隣界とこの世界を切り離そうとしていたのかも無論知っている。
「夕騎はこの世界と隣界の繋がりを断ち切ったと思う。普通に行けば辿り着くことは出来ない」
でも、と零那は一歩歩みを進める。
「私達が元の一人に戻れば隣界に繋ぐ新たな道を作れる」
「でもそれって……」
完全な八舞に戻ったことがある夕弦から話を聞いたことがあるがその時は耶俱矢の人格が一度消滅したらしい。一人に戻る、聞こえはいいもののそれは片方または両者共に人格が消滅する可能性だってある。
知ってか知らずか、零那は構わず続ける。
「大丈夫。主人格は零弥だから消えるのは私だけ」
「そんな軽く言っていい話じゃないわ! 何を言ってるのかわかってるの!?」
「わかってる」
その目は冗談を言っている目ではなく、零那の手はそっと零弥に触れる。
「一年前まで私は夕騎さえ良ければ後はどうでも良かった。でも、零弥とこうして一緒に過ごして思ったことがある」
零弥は夕騎がいなくなってからも気丈に振舞おうとしていた。特に十香達の前では一切弱みを見せなくて、でも零那はどれだけ零弥が我慢していたか知っている。魂で繋がっているのだから。
「――私は夕騎だけじゃなくて、零弥にも幸せになって欲しい」
「零那……」
「死ぬわけじゃない。零弥の中で生き続ける。私達が二人力を合わせれば出来ないことは何もないから。だから零弥は本当に自分がしたいことをして欲しい」
とびきりの笑顔で、最後に零那は笑った。
「私は誰よりも零弥の幸せを祈ってる」
笑って、その姿は淡い光となって、零弥の中に取り込まれていく。
途端に零弥の中にある
「…………ありがとう、零那」
これだけお膳立てされてしまったのだ。
もう零弥の中には迷いなどなく、久方振りの霊装を身に纏う――
○
――結局命を懸けても俺は何も成し得なかったってことか……。
迫る断罪の刃に最早身動き一つ取ることの出来ない夕騎。ただ押し寄せる死に抗うことも出来ないと思えば――
「夕騎ッ!!」
幻聴か。聞こえるはずもない零弥の声が聞こえた気がする。
瞬間。いくつも響き渡る斬音だが夕騎の身には何も起こらず、だが声ははっきりと聞こえた。
「私を見なさい夕騎!!」
倒れていた体勢から強引に引き上げられ地に膝をつけられる夕騎。そのぼやけた視界はやがてピントが合ったように鮮明になっていき、やがて――
「れ、零弥……?」
「ええ、そうよ」
そこにいたのは赤い目を光らせていた化物ではなく、もう会えるはずもない零弥だった。
その身には霊装を身に纏っているが夕騎が知っているものとは少し形状が変化していた。まるで零那の霊装も合わさったような、そんな形をしていた。
「どうして……」
「そんなのあなたを迎えに来たからに決まっているでしょう」
肩を掴む零弥の手は震えていた。声だって、口元だって泣き出すのを懸命に堪えるように歯が食い縛られていて、目尻には涙が溜められていた。
どうやってここに来たのか、そんなこと今はどうでもいい。それよりも零弥がここに来ると決めたこと自体が夕騎にとってはおかしいのだ。
「俺は、一度おまえを殺したんだぞ……。何でそんなヤツを――」
「そんなこと言うなら私だって一度あなたを殺したようなものよ!」
我慢出来なかったのか、零弥からは涙が零れる。
「私は零那と一つになってあなたがどれほどの思いで成し遂げようとしていたか知ったわ。でも、あの時零那が言えなかったことを私の想いも込めて言うわ」
崩れそうになる夕騎の身体を掴み引き寄せれば額をぶつけ、思い切り零弥は叫んだ。
「死ぬな!! 私達と共に生きなさい!!」
「っ!」
今にも崩れ去ってしまいそうな世界の中で、様々な音が混濁する中で零弥の言葉だけが耳に届いた。
崩壊していた肉体も零弥が触れた箇所から圧倒的な力によって再生、いや内側から新たに創造され、見た目こそ血塗れだが内部はすでに全て作り変えられていた。
「でも、俺は……ッ!」
「あなたのことだからきっと何を言っても信念を曲げないことはわかってるわ。埒が明かない平行線だってわかってる――だから」
話し合いでは解決しない、零弥はこうなることをわかっていた。
だから拳を握り締め後ろへ振るえば崩壊しかけていた隣界すらも圧倒的な霊力によって再生し、一度夕騎から離れる。
「こうなったら決闘をしましょう」
「決闘……?」
まるで初めて零弥と夕騎がまともに戦った時のように、零弥はあの時の夕騎と全く同じように言った。
「――私が負けたらあなたのいうことを何でも聞く。私が勝ったら私の願いを何でも叶えて貰うわ。どう?」
あの時の意趣返しのように決闘を申し込んできた零弥。
申し込まれる側になった夕騎はきょとんと目を丸め、あの時とはまるで反対の立場だと笑いそうになる。
〈精霊喰い〉として覚醒した今の夕騎には精霊の如何なる武装だって通用しないというのに。勝ち目のない戦いだというのに零弥は勝つ気でいる。
「受けて立つぜ」
零弥が受けたように夕騎だって決闘を受けた。
即座に互いに放った一撃がぶつかり合い、隣界全土を揺るがす――
○
「あれ、先生。今日はもうお帰りですか?」
「ああ、今日は早く帰らないとな。怒られるどころじゃねえんだ」
あれから月日が流れ、二十七歳となった夕騎は心理カウンセラーとして独立開業に成功していた。
何でも人の話を聞き、的確にアドバイスをする才能に恵まれていたようで今では予約が大分先まで詰まっている人気相談所にまで上り詰めて忙しい日々を送っている。
今でも士道達とは連絡を取り合う仲で、今では士道も子沢山の父親となっていてなかなか休日が合わないがどうにも元気にしているようだ。
掛けてあった上着を手に取ると急いで駆け出し、事務所を飛び出せばそう離れていない場所にある自宅へと辿り着き、時計を確認すれば珍しく時間を守れている。
「ただいまーっ!」
玄関の扉を開ければ向こうも気付いたのかリビングに繋がる扉が開き、すっかり大人びたエプロン姿の零弥が顔を見せる。
「おかえりなさい夕騎。今日は! 時間を守れたようね」
「そ、そんな強調すんなよ……前はちょこっと長引いただけだろ?」
「へぇーあなたにとって三時間は『ちょこっと』ってわけ?」
「ごめんなさいだから剣出すのはやめて」
昨年はこの日のことを覚えていながらも疲れで事務所で寝てしまって大幅な遅刻をしてもうそれは怒られた。あと殴られた。
「おとーさ」
零弥の足下から出てきた一つの小さな影。何やらクッションのカバーを被っていて、見えているのか微妙だが夕騎が帰って来たと知れば真っ直ぐ走ってくる。
「よいしょっと!」
駆け寄ってきた小さな子を抱きかかえると被っているクッションカバーを取ってみれば見えたのは女の子だった。
「
「うん」
長い髪の色は夕騎の黒を継いでいて、少し垂れた目は零弥のもの、容貌も幼きながらに整っていた。どこか零那にも似ている部分があるほどだ。単純な親バカではなく将来は美人になると確信している。
仕事の忙しさ故に帰ってきてもすぐ眠ってしまうことが多く、なかなか構ってやれないが今日は愛娘――夕那の誕生日。とんでもなく重要な日なのだが――
「さぁて夕那。早速だがおとーさ時間を気にしすぎてプレゼント買い忘れるってやらかしをしちゃったから何が欲しいか言ってくれないか?」
「んー……じゃああれして欲しい」
父親としてとんでもないが夕那は気にしていないようで提案してきて、夕騎は首を傾げる。
「あれって?」
「この前ね、ベッドでおかーさがおとーさの上に座って『きもちいい』って言ってたの。あれゆーなもしたい」
「ばふッ!! げほっ……それはなし! なし!」
何故か狼狽した零弥が腕をバツ字に交差させて駆け寄ってきて夕那も不思議そうに首を傾げる。
見られてはならないものを見られてしまってこれには夕騎も苦笑。何とか誤魔化して夕那を抱えてリビングへ歩いていく。
――これで良かったんだな。
孤独の末路を迎えるかと思えばいつの間にか子宝にも恵まれた。
明確な『幸福』を得た夕騎はそれから第二子にも恵まれ、様々なことがあった人生を歩んで零那が望んだ通り満たされて最期を迎えたのだった――