デート・ア・ライブ―精霊喰いは精霊に恋する― 作:ホスパッチ
――私が生まれたのは五年前、気付けば炎が燃え盛る街にいた。
零那は刀を一振りする度に過去のことを思い出していた。
迫り来る宝石で作り上げたかのような輝きを放つ樹の枝の束を切り裂き、迫る竜の一撃をいなし、それでも零那は刀を振り続ける。
――私自身、どこから来て何のために生まれたのかわからなかった。物が燃えている光景をただ見て、それをどうすればいいのか、まるでわからなかった。
天宮市によって起きた大火災。
人々にとってそれは『災厄』だが零那にとっては何のことかもわからないただの『事象』だった。
――声が聞こえた。か細く、今にも消え果ててしまいそうな小さな声。それが私と夕騎の出会いのきっかけ。
目の前で起きる事象を眺め続ける零那に小さな声が聞こえてきた。
それは耳から伝わっているのではなく直接頭に響くような声で小さきながらにはっきりと聞き取れたがところどころが断片的だった。
(――助けて。――を、助けて――)
助けて、そう聞こえた。
零那は助けを求める声がする方にすぐに向かった。助けなければならないと零那は自らの心に従ったのだ。
今思えばどうして助けなければならないと強迫観念に駆られたのか、これは令音が仕向けたことなのだが零那にとって些細なことに過ぎない。
誰かが自分を必要としている、その声に零那は応えたのだ。
「ほら、この数はどうかな?」
雨霰のように飛び交う樹の枝が刀を振るっている零那の身体を貫く。
右腕がない分どうしても防御が薄くなる右側を令音は狙う。貫かれた箇所から身体中に痛みが響き渡り、零那の表情が苦渋を堪えたものとなるがすぐにでも刀を振るって枝を斬り落とす。
――夕騎はこんな痛みで諦めはしなかった。今もそう。
身体から血が滲むも零那は踏ん張り、令音に向かって斬撃を振るう。
誰かの声を聞いた零那がたどり着いたのは焼け爛れた遊具、朦々と燃える炎が揺らめく公園だった。
そこに一人の少年が倒れていた。
(酷い怪我)
右半身を焼かれ腕を失い、それでも浅い息で生き続いている。
零那が近寄り見てみれば意識もないというのに零那の霊装の裾を弱々しい力で掴む。
(夕陽を……、俺の、妹を……助けてくれ……)
目も開けずうわ言のように口を開け、懸命に懇願するその姿に零那は驚愕した。
今誰よりも死に掛けているはずの人間が他の誰かの心配を、自らの命を顧みずにしている。
(どうしてあなたは自分よりも他人のことを心配するの?)
思わず零那は問いかけていた。
生まれたばかりの自分にはない
だが少年はそれ以降口を開くことはなかった。
浅い呼吸を繰り返し、零那の裾を掴む力も徐々に弱まっている。
零那は答えが知りたかった。
この少年がもしここから命の危機を脱し、もう一度目が覚めれば聞けるかもしれなかった。
だから零那は決めた。
それまで誰にもこの人間に触れさせないと、どんなことをしてでもこの人間を守ると。
そうすれば彼が目覚める前に零那自身何かを知れると、そう思ったのだ。
そのために五年もの月日の間、人間の組織に力を貸してでも治療施設を確保し、自らの力で徐々に少年の傷を治していき、誰にも触れさせなかった。
例え相手が精霊でも関係ない。この少年に害を成す者を零那は許さなかったのだ。
そして夕陽の手によって少年――夕騎は目覚めた。
抱きしめたくなるほどの心の高揚を何とか押し殺し、零那は目覚めた夕騎に長年積もりに積もった問いを投げかけた。
(どうしてあなたは自分よりも他人のことを心配するの?)
五年前と全く同じ質問で零那は聞き、夕騎は天井を見上げ静かに答えてくれた。
(そんなこと決まってるだろ――)
――『自分のことよりも相手の方が大切だから』、夕騎はそう答えた。思えば私は答えを言われる前からすでに答えを知っていた。
眠っていた夕騎と共にいて、手に触れる度に、零那の中で夕騎の存在は大きくなっていった。
いつの間にか零那は自身よりも夕騎のことを大切に思うようになっていたのだ。
だから夕騎が目覚めても夕騎のことを守り続けた。
夕騎が傷つかないように、夕騎の想いを叶えるために。夕騎といられるだけで零那は充分だった。
それでも時折夕騎は悲しそうな表情をする。満たされない何かを抱えていた。
夕騎はそれでも他者のことを想い、自らの想いを殺してまで殉ずることを決めた。
その願いを成し遂げるために零那も尽力を尽くし、戦う。
――夕騎が願いを叶えた時、夕騎の傍には誰もいない。守った者も、想いを繋いだ者も、誰も彼もが夕騎から離れてしまう。
無論、零那も夕騎の傍にいられなくなってしまう。
「不可解だね、零那。君にはわかっているのだろう? ここでどれだけ私の足止めをしたところで何の意味もなく、命を無駄に散らすことになることを」
「…………」
わかっている。
そんなことは初めからわかっている。
零那の身体に<
回復能力を持ってしても<
『――――――ッ!?』
返しに目を奪われた<
――……戦い始めてどれだけ時間が経つだろう。零弥達はどれくらい離れただろう……。
目の前が朦朧とした景色になっていく中、零那の頭には想いを託した零弥の顔が浮かんでいた。
本来ならば自らが夕騎を逃がし、零弥がここで足止めをするのが零那にとっては最善案だっただろう。
それでも零那は自身が戦うことを選んだ。どれだけ愚策だろうが零那は選んだ。
夕騎を守るという何よりも大切なことを捨ててまでどうして令音と戦うのか。
どこまでいっても理由は夕騎のためだった。
夕騎は兄として夕陽に味方をし、零弥達を見限った。
『敵』に殉ずるために零弥を斬り捨てどんな言葉を浴びせられても自らが恨まれる道を突き進もうとした。
――この戦いは令音を打ち破った先に夕騎の願いがある。でもそれは夕騎が二度と精霊達と触れ合うことが出来なくなることを意味してる。もう二度と、夕騎は誰にも会えなくなる。
誰よりも自身を殺して未来に希望を託そうとする夕騎が誰よりも不幸になるなんておかしい、零那の行動が夕騎の迷いや躊躇いを生む結果になったとしても零那は自身で考え自身の命を失うことになっても刀を振り続けることをやめなかった。
――この一度の攻撃で、この一度の斬撃で。もう一度夕騎が精霊と……友と、昔のようにいられる時間を一秒でも増やせるなら……。どれだけこの身が傷つき倒れそうになろうとも、刀が折れようとも――戦い続ける。
<
○
「ねえ夕騎」
「…………」
零那のおかげで令音と距離を取った士道達はあてもなく走り続けていた。
夕騎は零弥に支えられ、声を掛けられようとも返事をしようともせずにいる。
「今までの夕騎は全て嘘だったの? 今までのあなたの想いは全部令音に刷り込まれただけのものだったの……?」
「夕騎……」
隣で走っている士道も零弥と同じように心配そうな表情で夕騎の反応を見ていた。
もう会話することもないだろうと思っていたというのに思わぬ場を用意された夕騎は息を吐き、どこか虚しそうに語る。
「そうだな、だから俺は言ったんだ。俺は嘘に塗れたただの『化物』だって、俺の思う意思は全て刷り込まれたものでお前らと過ごした日々を楽しいと思えたのもきっとそう思うように仕組まれたものだったんだろう」
ウェストコットとの戦いを終えた夕騎の前に現れた令音は今まで改竄され封印していた『月明夕騎』ではなく『崇宮夕騎』としての記憶を全て夕騎に戻した。
それは途方もなく残酷だったが夕騎はどこか納得してしまった。精霊に対する異常な執着も愛情もそう仕組まれたものだと知れば納得出来てしまった。
「でもお前達は俺とは違う。自分の意思で生きられる。比べ俺は生まれながらにして生き方を縛られ、そして一度死んだ。俺は――過去に生きた人間なんだ」
「違うだろ……ッ! お前は今も生きてる『月明夕騎』だ!! 精霊が大好きでずっと俺達を守ってくれたかけがえのない『人間』だ!! ただの『化物』なんてあるはずがない!!」
「はは、そう言ってくれれば嬉しいねぇ……。でも、俺の命はもうすぐ燃え尽きる。この身体はもう持たないんだ」
夕騎の身体をよく見れば地面に向かって砂時計の砂のように黒い炭のようなものが今も落ちている。
それが落ちる度に支えている零弥が夕騎の身体がどんどん軽くなっているのを感じていた。
「夕陽が無理矢理俺の身体を蘇らせたからな。身体が崩れてきてるんだ」
「どうすれば止められるの……? また霊力をあなたに渡せば――」
「俺の身体にはもう<精霊喰い>の力はないから無理だ。俺はもうただの人間さ」
「そんな諦めた風に言わないでよ!! どうしてあなたは生きる方向へ向いてくれないの!!」
零弥の悲痛な言葉に十香も夕騎の姿を直視していられなくなる。
悲痛な言葉を聞いても夕騎の意思は変わらない。
「どれだけ俺の想いが作られた偽りのものだったとしても、今まで過ごした日々は本物だったって信じたい。だから俺は――」
夕騎が全てを言い切る前に夕騎達の前に何かが飛び、落下する。
見れば――
「零那!」
地面に倒れていたのは両腕を失い、片足を失い、血塗れの姿になっていた零那の姿だった。
地に突き刺さる一振りの刀。思わず夕騎はその名を呼び、傍らに寄り添えば片手で零那の身体を支える。
「……夕騎」
瀕死の重傷を負い、視界もぼやけているが零那には自分を支えてくれているのが誰かはっきりとわかった。
思えばこうして夕騎から触れられるのは初めてだったかもしれない。それがたまらなく嬉しく、零那の目からは涙が零れながらも笑みが浮かべられる。
「何でだよ……何で俺のためにそんなになってまで……」
「……夕騎はその答えを私に教えてくれた」
その答えは夕騎も知っている。
夕騎が零那に教えてくれたのだ。自分よりも大切だから、だから命を賭してまで守ろうとする。
教えてくれたのに聞き返すのは野暮というもの。
それに――
「私は……あなたの傍にいたかった。何もしてくれなくていい……私は独りが嫌だった。そして自分よりも他者を優先する優しいあなたを独りにさせたくなかった」
身体が不思議と軽くなっていくのを感じる。
自分の身体が光の粒子になっていくのを零那自身はっきりと感じ取っていた。
「夕騎、私は……ずっとあなたに言いたかったことがあるの」
「……何でも言ってくれ」
ぼやけているはずなのに夕騎の姿がはっきりと見える。
誰よりも眩しくていつも目が合わなかった夕騎と今こうして目を合わせられている。
だから最後に零那は自分がずっと抱いていた言葉を口にする。
「――愛してる。誰よりも深くあなたを愛してる」
もう一度夕騎に会うことが出来れば言おうとしていた言葉をはっきりと告げればいつも無表情だった零那の表情にはっきりとした『笑顔』が零れる。
それを最後に零那は目を閉じた。
そして身体が光の粒子となって最後の一粒まで空へ向かって消えていく。
「零那……」
押し出されそうになる涙を懸命に堪え、残された零那の
「別れの言葉は済んだかい?」
そこにいたのは<
「……とっくに済んでるよ」
「夕騎、君にはすでに記憶が戻っている。何をすればいいのか、母が言わずとも知っているだろう?」
「ああ、わかってるよ」
令音の言葉に夕騎は頷く。
あの時に戻された記憶。霊力の保管庫として用意された士道とは違い、夕騎は令音の理想の世界を作るにあたって重要な使命を背負っている。
精霊好きに刷り込まれたのも、精霊喰いとして実戦経験を重ねるにしてはあまりにも不利益なはずだがその性質は全く別の意図を込められて刷り込まれたものだった。
そう、
「俺の役目は――精霊を
一閃。零弥と十香の身体が一度だけ震える。
「ゆ、うき……?」
士道には夕騎が何をしたのか全く理解が出来なかった――いや、したくなかった。
あれだけ精霊のことを愛し、精霊を守るために命を削ってきた夕騎が――
精霊を斬るなど、とても信じられなかった。
「夕騎……?」
「ど、うして……」
零那が使っていた刀で十香と零弥を斬り裂いた夕騎は何も答えない。
二人の背中からは血が溢れ出し、その返り血が夕騎の顔に飛び散る。それはまるで涙のように滴り落ちるが夕騎の表情に何も曇りはなかった。
十香と零弥の身体は光の粒子となって消え、残されたのは二人がこの世界に生きた証――
「それでいい。私は全ての精霊の母に、君は精霊の王になるのだから」
夕騎が十香と零弥を斬り捨てたことに満足するような態度を示す令音は目を伏せて深く頷く。
「これでシンの
残された士道は思い切り夕騎の胸倉を掴み上げる。
「何してるんだよ……何してるんだよ夕騎!!」
「……今から突き放す。俺に向かって思い切り剣を振れ、いいな」
「は……?」
本当に小さな声で、しかし覚悟を決めた声音で夕騎はそう言った。
士道と自分は違う。士道は士道の出来ることを、夕騎には夕騎の出来ることを。
夕騎はいつも汚れ役を買って出る。そして士道は夕騎が切り開いた道の先で精霊を幸せにする。
いつもそうしてきた。
だがこれからは違う。何かあっても夕騎は汚れ役を買ってやれない。これからは士道が一人でどうにかしていかなければならないのだ。
夕騎が友ではなく兄として士道にしてやれる最初で最後の手向けだ。
士道が状況を理解していない状態で夕騎は士道の身体を蹴りで突き放す。
「構えろ!!」
先に構え上段斬りを放ったのは夕騎だった。それは紛れもなく本気でこのまま刀が振り下ろされれば両断されるのは士道の方だ。
その語気に圧され、士道も少し遅れて構え、大剣を振り下ろす。
誰から憎まれようとも誰に剣を向けられようとも、傀儡としての人生を歩み続けてきた夕騎の人生に華を添えてくれたのは紛れもなく精霊や士道達だ。
「――士道、お前はどんな世界を望むんだ?」
斬撃が交錯する中、夕騎は一度だけそう問いかける。
それは答えを求めて言ったものではなく、義眼となっていた夕騎の右眼が光り輝く。
次の瞬間、舞い上がったのは二箇所から噴き出す鮮血。
「…………な、に……?」
目を閉じていた士道がゆっくりと目を開けば目の前にいたのは夕騎ではなかった。
士道と夕騎に挟み込まれるようにして斬撃を浴びた令音がそこにいたのだ。
「これがあんたも知らない精霊の力だ。零那が義眼を作ってくれた時に霊力と一緒に俺にくれた力だ」
血が舞う中、義眼の光は失われていく――