始まりは、唐突だった。気づいた時、私はまぶしいほどのライトに照らされたデュエルフィールドに居た。
既視感に陥り、すぐに私は気がついた。また、あの夢だ。
二度三度では済まない、私にとっての繰り返す悪夢。始まりはいつも唐突で、流れはいつも同じだ。だから、私はその行く末を知っている。
眼下に、巨大な波が押し寄せていた。ソリッドビジョンによって映し出された質量を持たない波。私を守るはずだったモンスターたちが、木の葉のように流されていく。
『激流葬』。フィールド上のすべてのモンスターを破壊するカード。打ったのは、私自身だ。
私のモンスターたちは、生き残れたはずだった。それで勝利できたはずだった。
初歩的なミス。プロデュエリストとして初の舞台に立ったが故の緊張からだったのか。それとも、流れがこちらに傾いたが故の、手癖でカードをプレイしたが故からか。どちらにせよ、私は自分自身の行動によって、生まれて初めての敗北を得た。
夢は、そこで途切れる。それ以降は、今の私に繋がっている。プロとしての道を閉ざし、ただ生きるだけの今の私に。
ゆっくりと、目を開いた。切れかけた照明の明かりが、ぼんやりと私の顔を照らし出している。少し、寝汗をかいているようだ。
下着だけを履いて、あとは裸だった。それも脱ぎ、シャワーで汗を流す。水滴に濡れた、特徴のない男の顔。どこか、倦みつかれたような影が差している。冷水を被って熱を冷まし、部屋に戻る。
まだ陽は高いはずだが、煤けた窓から差し込む光は少ない。どちらかといえば貧乏な一人身が集まる、高層ビル群の影となる場所だからだ。住もうと思えば陽のあたるビルの中にも居を構えられたが、私は薄暗く煤けた灰色の街を、それなりに気に入っていた。
私が生まれたのは、そういう場所だったからだ。
電子音が鳴った。部屋にある数少ない高級品の一つ、最新型の据え置き電子端末からだ。電子メールではなく、音声会話の呼び出しだった。相手は、既知の人物。
「私だ」
『会長が、お呼びです。6時に、こちらまでいらしてください』
慇懃な口調で、電話先の女が話す。画像は切っているため相手には見えないが、私は頷いた。
「わかった」
失礼します、といって着信は切れた。仕事の依頼だと思った。それは呼び出しに応えて相手のところまで行かなければ分からない。電話の女は、要件に付いてなにも知らされていないだろう。
もうひとつの高級品、ブランド物のシャツと背広を着込んでいく。オーダーメイドで、一般のサラリーマンの年収が半分吹き飛ぶようなものだ。これから行く場所には、そういったものを着こんでいかなければならない。腕時計にも、服と変わらない金額をかけている。
そんなものを身に付けることへの優越感などはなかった。仕事に必要だから、買っただけだ。私には、物への執着やこだわりはない。
鞄を握り、部屋を出た。後付けの電子ロックが掛かる。廃車じみた古いバイクも持っているが、大通りに出てタクシーを拾うことにする。まだ陽は出ているというのに、狭い路地で酔っ払いが壁に背を預けて寝ころんでいる。胡乱げな眼が、場違いな私を見送った。
タクシーを使うような人間は基本的にいないため、拾うには多少歩かなければならない。途中で、若い男たちの集団の前を通り過ぎた。ラフな格好で、刺青やピアスが目立つ、退廃的な集団だ。生計を立てるためには軽犯罪もいとわない。偶に、身ぐるみをはがされて襤褸雑巾のようになった死体すら見つかる。犯人が捕まるかは、半々といったところだ。
高級スーツに身を包んだ私は格好の獲物だろうが、雑談に夢中なのか、彼らは私に眼を向けなかった。多勢に無勢、襲われれば無事では済まないだろう。安心と、何故か諦観に似たあきらめが小さくわき出した。執着がないのは、自分の命に対してすらかもしれない。
五分ほど歩き、大通りに出る。タクシーはすぐに来た。
「どちらまで?」
「ラングフォードビル」
言いながら私が乗り込むと、運転手は少しだけ怪訝な顔をした。乗り込んだ場所と格好が、もしくは場所と行く先がかみ合わないからだろう。それでも、無言で車を発進させた。
窓の外に流れる景色は、灰色からまぶしいパステルカラーに変わっていく。高い建物が多くなり、行く人の姿もきっちりとしたものになる。
しばらくして、タクシーは停止した。カードで代金を払い、タクシーを降りる。眼前に鎮座するのは、縦横が他のビルの二倍はある巨大な建物だ。そこかしこに、強面の警備員が巡回している。磨き抜かれたガラス扉をくぐると、巨大な吹き抜けの通ったロビーに出る。上を見るが、吹き抜けの先に嵌めこまれたガラスは豆粒のようだった。受付で、用件を伝える。
「お待ちしておりました。会長室へどうぞ」
丁寧に頭を下げる受付嬢に背を向け、エレベーターに乗る。会長室のある、地上六十階に直通の専用エレベーターだ。乗員は、私一人しかいなかった。エレベーターの来訪に、会長室の前で秘書の女が立ち上がる。
「会長は?」
「会長室におられます」
電話先と同じ声に送られ、小さなホールにも見える会長室に入る。そこに、一人の背広姿がいた。
年のころは、五十半ばか。着込んでいるスーツは私のものよりも数ランク上で、それだけでもこの男が成功者だと分かる。ケンタロウ・ラングフォード。一代にして先祖から受け継いだ小さな製薬会社を世界規模まで広げ、名門ラングフォード家に婿入りして財産と家名を手に入れた男。
「来たな。まあ、座れ」
私ごときでは、本来なら前に立つことすら許されない相手だが、勧められては断ることが非礼になる。大人が五人は座れそうなソファに、ゆっくりと腰を下ろす。底なし沼のように、柔らかい座席が沈んだ。
「用件は?」
ぶっきらぼうな口調で私は問うた。それだけで摘まみだされてもおかしくはないが、そういった口調はケンタロウ自身が命じたものだ。
プロデュエリストとして挫折を得た私を拾い上げたのが、この男だった。社交界ですら、デュエルが嗜みとして知られる時代らしい。ただし、彼らは自身で戦いはしない。幾度となく呼び出され、ケンタロウの代理として名だたる金持ちや名家の代理のデュエリストの相手をしてきた。今回も、そういった依頼か。
ケンタロウは、自分の手でワインを空け、グラスに注ぐ。私と会うときは、いつも一対一だった。
「そう急ぐな。今日の話は、長くなるかもしれない」
「それほど大切な依頼か?」
早々と長男に代表取締役を譲り、会長に退いたものの、ケンタロウの自由にできる時間はそう多くないはずだった。名門の跡継ぎとして、いくつもの会社の筆頭株主として、するべきことは山積している。
「大切な依頼だ。そのために、今日一日を空けるほどにな」
時間を確保するために、数カ月分は予定を組み替える必要があるはずだ。私は、思わず背筋を伸ばした。
「私に、娘がいるのは、知っているな?」
「ああ。今年で、十五だったか」
「詳しいな」
「あんたが、ことあるごとに話にあげるからな」
ケンタロウは苦笑しながらワインを傾けた。初めて見たのは、まだ三年前だ。気付くと、小さな皺が口元や目元に出来ている。少し遅い子供だが、だいぶ可愛がっているようだ。名門の子女でもある。手中の玉として育てられているらしい。
「たしか、シズカ・ラングフォードだったか。それがどうした」
「あれが、デュエルモンスターズを嗜んでいることは、話したか?」
「初耳だな」
「私は社交の手段としてお前に戦わせるだけだが、どこで知ったのか、あれは独学で始めてしまったらしい。他のけいこの合間に友人などに相手をしてもらっているらしいが、筋はいいと聞く」
最近では、良家の令嬢も自分自身でデッキを持つ時代なのか。一遊戯が、それだけ普及していることには驚きを隠せない。
そこで、なんとなく依頼の察しがついた。
「シズカ嬢の相手が、友人では勤まらなくなってきたか?」
「ああ。どうも、そうらしくてな」
「私は、接待デュエルなどしたことはないぞ」
ケンタロウは、いつも私に全力を出させた。社交の手段だけに、負けなければならない場合もあったかもしれないが、ケンタロウはそういうときには私を呼び出さない。
ケンタロウは再度グラスを傾けて笑う。
「別に、娘の相手をしろとは言っていない」
「なら、なんだ」
「せっかちだな。せっかく時間を取ったんだから、ゆっくりと話をしていけ。ワインも飲ん
でいないだろう」
「酔ったら仕事にならん」
「今日明日に仕事を頼むつもりはない」
飲まなければ、話は進まなそうだ。仕方なく、私はグラスに手をつけた。濃厚なブドウの味が広がる。酒を不味いと感じたことはないが、味に優劣をつけるのは苦手だ。
「夜は長い。すこしばかり、仕事には関係のない話をしてもいいだろう」
「何の話だ」
「お前のことを、少し知りたくてな」
「私の何を訊きたい」
「執着がない。どこか、すべてを諦めているようなことがある。それが、出会ったときから気になっていた」
私は無言でワインを飲んだ。ケンタロウも併せて舌を濡らす。
「プロデュエリストになったが、一度大会に出ただけで辞めたな。なぜだ」
「負けたからだ。自分で組んだデッキでの、初めての敗北だった。それで、すべてがどうでもよくなった」
「プロだろうと、負けることはある。それだけ自分に自信があったのか」
「さあ、な。私には、デュエルしかなかった。とある地方のサテライトで生まれ、独学でデュエルの腕を磨いた。それ以外に生きる方法も知らなかったしな」
少し、酒がまわってきたのか。普段は語らないつまらないことが、口から流れる。
親の顔は知らない。育ててくれた兄貴分や友人は、つまらないことで捕まってそれきりだ。周りに誰もいなくなったころに、デュエルに出会った。サテライトの汚い酒場で戯れに遊ぶ大人たちを見て、ルールを学んだ。
万に近いカードが存在したが、経済的に、私が使えるカードは少なかった。デッキのほとんどは捨てられていたものを拾い集めた紙束だった。それでも、大抵は勝ってきたのだ。アンティで奪ったカードを売って生活資金にし、糊口をしのいだ。少しずつ名が知れて、セミプロの勧誘を受けた。
セミプロとして多少のスポンサーがつき、経済的な枷が無くなってからは、無敗だった。
セミプロからプロへの期間は短かった。新鋭として注目も浴びた。だが、それまでだ。そこまでの私とは夢を境に断絶している。今の私は、抜け殻のようなものだ。
「プロに戻らないのか。腕は鈍っていないだろう。名前を出せば、またスポンサーだって着く。私が個人的に資金を出してもいい。生まれついて持った才能を、自分から埋もれさせる気か」
「持っていなければ、別のつまらない人生を歩んだだろう。そんな私が、才能を持っていたのが、間違いだったかもしれない。デュエルが人生だった。それを、自分から捨てた。あとは、死を待つだけだ」
負けたのは、きっかけに過ぎなかった。思えば、生まれたときから、私は死んでいたのかもしれない。それが、敗北して、今までの人生を振り返って見えてきただけだ。
「普通の家庭に生まれ、デュエルアカデミアでも出て、プロになる。そういう人生だったら、お前の腕も生かせたか?」
「そういう夢物語は好きじゃないな」
生まれ変わったら、またプロを目指すか。デュエルは、嫌いではない。腕を生かしてやりたい気持ちもある。しかし、私の半生は、それを許してくれなかった。
「それが、夢物語でないとしたら?」
ケンタロウは、グラスの中身を一気に飲み干した。こちらを見る目には、酔いの淀みは見えなかった。
それから一週間がたった。この一週間、私は自分の生き方を見直してきた。ただ、生きてきた。デュエルをそのためだけに使ってきた。使うしかなかった。プロとして頂点を目指す、それだけの器ではない。そう思っていた。
生きたいのか、死にたいのか。それだけを、考えてきた。
暗い部屋を照らす、電子端末のモニター。一つの電話番号が書いてある。
死にたいのならば、このまま暮していればいい。だが、生きたいのならば、そこに繋げ。話をして分かれる前、最後に、ケンタロウはそう言った。
新しい人生。そこに、魅力を感じないわけがなかった。だが、同時に恐れもある。今までは、人生のせいにしてきた。それですべてを諦められた。その逃げ道が無くなった時、私はどうなるのか。
考えに、考えた。死は、安寧な休息だった。今になって、それが分かる。強い希望の光は身体を焼く。冷たい土に伏していれば、安らかに眠っていられる。
私は、立ちあがった。机の上に、デッキを置いた。
「気分はいかがです?」
「なんともない。大丈夫だ」
ゆっくりと、顔の締め付けが解かれていく。一週間ぶりに、包帯を外したのだ。光が眼の奥に刺し、鋭い痛みを感じたが、目を細めているとじきに慣れた。ベッドの脇に、白衣を着た中年の男が立っていた。
「歩くのは、まだ待って下さい。明後日にはリハビリを始めましょう」
男は、手鏡を差し出す。映るのは、陶器じみた白い肌をもつ少女。色の抜けたような顔の中で、唇だけは、際立って赤い。長い瞼が数度瞬き、大きな琥珀色の瞳を隠す。まっすぐに伸びた琥珀色の髪は、肩の上でショートカットに切りそろえられている。
十人が十人、美少女と認める。それほどに整った顔立ちだった。耳の形や少し上がり気味の口元が、僅かに既視感を覚えさせる。
それが、生まれ変わった俺の顔だった。
手鏡と入れ替わりに、男が履歴書のようなものを差し出した。鏡で見たままの顔が写真に映っている。名前は柚葉(ゆずは)・奏(かなで)。十五歳。聞いたこともない小さな町の出身で、現住所もそこにある。両親はすでに逝去していて、天涯孤独の身。
ざっと目を通すと、男にそれを返し、ゆっくりと枕に頭をつけた。目を閉じる。
脳裏で再生されるのは、俺の人生の転機となった、ケンタロウとの会合だ。
あの会話の後、ケンタロウは、話を切り替えた。
『娘が、デュエルアカデミアに通いたがっている』
『止める気か?』
『いや、長男には会社を継がせたが、せめて娘には自由に成長してほしい。才能があるのを、枯らせることは何よりも惜しい』
『結局、私に何をさせたいんだ。依頼はないのか』
『ここからが、依頼だ。娘にの友人となってほしい。お前なら、娘を頼める』
『この歳になって、アカデミアに入れと言うのか。それで、新しい人生がなんだと言ったわけか』
『話は、最後まで聞け。大まかには、その通りだ。だが、違う。あれは人見知りをするから、大人の男に近寄るはずもないしな。――お前の人生を、私に預けろ。そうすれば、新しい戸籍と身体を用意して、新しい人生を歩ませてやる』
『……言っていることが唐突過ぎる。自分が何を言っているのか分からないのか?』
『わが社の技術力は、世界一だ。薬剤だけでなく、医療関係全てに秀でている。成形技術もな』
『俺を外見だけ若返らせようというのか。これでもまだ三十なんだがな』
『多くのアカデミア新入生は、十五歳だ。お前には、十五歳の女子生徒としてアカデミアに通い、娘の良き友人となってもらいたい』
『女子、だと?』
『お前を信用していないわけではない。だが、男のまま友人となり、それが恋愛に発展してしまえば、ラングフォード家として面倒なことになる。無理に仲を引き裂くのは娘に傷を残すし、醜聞も悪い。どこの誰とも知れぬお前をラングフォードに迎えるのは周りが許さん』
『娘のために、他人の人生を一からつくり直す。どれだけの親バカなら、そんなことを考えつくんだ?』
『娘だけではない。お前の腕のことも思っているのだ。死なせるには惜しい』
『傲慢だな。それに、自分勝手だ』
『そうだ。だから、依頼だ。お前に第二の人生をくれてやる。だが、今のお前には消えてもらう。元より死んだようなものだと言ったな?』
結局、私は依頼を飲んだ。新しい容姿と戸籍、他に必要なものは全てバックアップするという条件だ。前金にも、ケンタロウの個人資産から見れば砂粒のような、しかし普通の感覚では相当なものが振り込まれている。三年間のアカデミア生活でシズカ・ラングフォードを見守ったのちには、さらなる報酬が用意される。
だが、それら以上に、再びデュエルの表舞台に立つ気力が、最大の報酬だった。サテライトの住人に与えられた、分不相応なデュエルの腕。それを試す再スタートは、最低辺からではない。ただ純粋に能力を発揮するためだけのデュエルが待っているのだ。
そのために、私は今までのすべてを捨てた。失踪に見せかけて部屋を、荷物を捨て、デッキすらも置いてきた。私の名前と経歴を持った男は、どこかで詰まらない交通事故で死んでいるだろう。ケンタロウならば、死んだ人間の名前を入れ替えることなど容易いはずだ。
私は、柚葉奏。十五歳の、プロデュエリストを目指す少女だ。
第0話といったところ。ご期待に添えればいいなー的な(投げやり