ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

81 / 111
第六節 英雄旅団(ヘーラクレイダイ)(後編)

 

 

 

 

 ――半神と半神の子、ヒュロスとアレクサンドラ。彼らもまたアルケイデス亡き後の時代を代表する著名な英雄だが、彼ら兄妹の有名な逸話の一つにこんなものがある。

 

 シリーズ化したハリウッド映画『オリンピア』第四部初出、第五部の主人公ヒュロスに関しては言うまでもないだろう。幼少期の騒動を題しての『お騒がせ王子』である。

 

 彼とその妹は大神の子、戦神の子をそれぞれ父母に持ったが、ヒュロスは父方の血を色濃く受け継ぎ、膂力に比例する器用さを持っていた。また嫡男である故に次代のオリンピア王となる事が定められており、幼少の頃からケイローンの教えを受けて育つ。

 英才教育を受けたヒュロスは、幼いながらに明晰な頭脳と鋭利な思考、柔剛併せ持つ武勇の持ち主となった。父の鎧の外套に包まれた加護――便宜上『獅子の祝福』とする――を授かり強靭な五体を有し、幼き時分を父の間近で過ごしたという。

 

 そんなヒュロスは王子として、自身の感情を律して感情の起伏を平坦にする術を、幼いながらに身に着けてしまっていた。王たる者は国に尽くさねばならないと、父を見て育った故に思い込んだのだ。

 これを憂いたのは父である。自分の子供は可愛い。目に入れても痛くない。そんな我が子の心が鉄となるのは見過ごせず、そこで彼はヒュロスを市井に放り込んで歳の近い子供達と遊ばせた。そうして――見事に『王になんか俺はならねぇ!』と父に対する反抗期に突入したのである。

 

 子供として普通に、自由に遊べる解放感を知ったヒュロスは、瞬く間に市井に溶け込み順応した。結果、王家の者の執務が窮屈で、堪えられないものだと認識したのだ。

 果たしてヒュロスは父に歯向かい、時に公僕就任刑を受けつつも、父を彷彿とさせる不屈の闘志で忍従の時を三年過ごし、ケイローンの授業により力を付けたヒュロスは、電撃的にオリンピアから脱出してのける。

 戦士団と警邏隊の執拗な追跡と激闘を経て、逃げ切るためにマタルヒスを倒し、ケルベロスの猛追を振り切って、国外逃亡を成し遂げたのである。ヒュロスとアレクサンドラに対して、親戚のお姉さんみたいに接していたマタルヒスは情に絆されたのだとする説もあるが、それはさておくとして。漸く手に入れた自由にヒュロスは歓喜狂乱した。

 

 が、オリンピアを出たら大好きな……いつも自分を守ってくれて、優しく抱きしめてくれた母に会えないと思い至り、脱出したその足でオリンピアに引き返したのだった。

 

 なんのために脱出したのかと周囲を困惑させたヒュロスは、以降隙を見ては王宮を脱走して市井の民と交わり、民からの親しみを得て、駆けつけた父に拳骨を受けて連れ戻される光景が見られるようになったという。

 そんな母さん大好き(マザコン)息子の逸話は、オリンピアの微笑ましい日常の一幕となっていった。

 

 ――そして、アレクサンドラである。

 

 アルケイデスはヒュロスの件で反省していた。息子は可愛い。然し反抗期が続くのは辛い。そこで長女を猫可愛がりして駄々甘に甘やかした。それを見たヒュロスは余計に反抗的になるのだが……とうのアレクサンドラは計画通りに父に懐いた。

 そして夫が甘やかすなら自分が嫌われ役になろうと、ヒッポリュテに厳しく躾けられ母に対する反抗期に突入する。子供は現金なのだ。息子は母に、娘は父に。異性親に懐く傾向があるのはこの時代でも周知の事実である。

 

 アレクサンドラはヒュロスほどには才能がなかったが、兄と同じくケイローンに師事し、何かにつけては父の真似をしたがり、いつも仕事で忙しい父に引っ付いて廻った。そうしてアレクサンドラは不真面目なヒュロスの態度が目につくようになり、兄を蛇蝎の如く嫌悪し反面教師にすると、アレクサンドラは統治者としてはヒュロスを凌駕する才覚を獲得していく事になる。

 進んで勉学に励めば励むほど、大好きな父が褒めてくれる、構ってくれる。楽しくて仕方がなく、食うも寝るも常に行動を共にしたアレクサンドラは、成長するにつれ父の生真面目さ、母の行動力を覚醒させ、積極的に自分を磨くようになる。アルケイデスが何事かを思いつく度に無茶振りされ、十の試練と銘打たれたマタルヒスの功業に付いて廻って諸国漫遊し、親戚のお姉さんの立ち位置にいるマタルヒスから危険な目で見詰められている事にも気づかず、あくせくと修練を積んで力を身に着けた。

 時にはメディアの許を訪れ実戦的な魔術を学び――戦装束を見繕うと称し着せ替え人形扱いされつつ――アイアスと友好を深めて親友の仲になり。オリンピア国外の治安の悪さ、人間達の野蛮さを嫌悪する潔癖さを身に着け――父への尊敬の念を新たにしつつ――帰国してからは兄の自堕落さに激怒して尻を叩き修練に駆り出し。アレクサンドラはオリンピアに名高き戦乙女と称されるに到っていた。

 

 その武勇、母の如し。その知略・厳格さ王の如し。性交渉を申し出てきたゼウスを蹴り出した逸話は余りにも有名であり、そんな彼女は絵に描いたような頑固者――自身の考えを絶対とする自尊心を育んだ。

 女王の気質を母から受け継いでいたのだ。勿論アルケイデスの為す事は全力で肯定するし、父が己よりも正しい唯一の上位者であると規定してはいるのだが。

 そうしてやりたい事をさせ、本当にいけない事だけを叱り、途方もなく甘やかされて育った結果、アルケイデスがある意味で唯一育児に失敗した娘は、どこに出しても恥ずかしい一つの欠点を抱えてしまう。

 

 それは()()()()である。

 

 彼女はその立場と教育係のヒッポリュテのせいで、自身の容貌がどれほどのものかを自覚していなかったのだ。

 神々の中で一、二を争う美貌の戦神を祖父に持ち、稀代の大英雄の精悍さを継ぎ、母の秀麗な美貌を受け継いだ彼女は、正に美の結晶とも云える美々しい容貌を持っていたのである。その内面の気高さはますますアレクサンドラを輝かせ、その美はゼウスをも虜にするほどになった。

 然し平凡な民草は彼女を()()()()()では見てこなかった。当然である、あのアルケイデスの娘であり、人智を超えた美貌故に雲上人のように遠巻きにするのが精々で、手の届かない高嶺の花――眺めて満足する高尚な芸術品のようにしか見なかった。

 また彼女自身、異性に関しては無関心で、オリンピア国外の男はそもそも眼中にないか嫌悪の対象であった。アレクサンドラの要求する男の水準は、偉大な父に目を灼かれている故に非常に高く、それを満たす唯一の男は情けない兄しかいなかった。

 

 故に自身の“女”を欠片ほども隠さず、慎まず、意識せず。無防備極まる振る舞いが目立ち。――オリンピアを眺めた太陽神アポロンの目に、留まってしまって。

 

 そして求愛された。流れるような自然さはもはや様式美である。アレクサンドラは最初、相手が神であるから丁重にお断りしようとするも、求愛されたのがはじめて故に角の立たない断り方を知らず、ゼウスの時のような強引さはないアポロンの口説く姿勢にもどかしさを感じても上手く突き放せなかった。

 アポロンに纏わりつかれ、嫌がるも表には出さずにいた。そしてアポロンは無防備なアレクサンドラの振る舞いを見て、“いける”と判断してしまう。口では嫌がりつつも、内心は満更ではないと。もはや馴れ馴れしく触れるだけには留まらなかった。人目のつかない場にアレクサンドラを誘い込むと、アポロンは彼女を押し倒してしまったのである。そうして遂に、アレクサンドラは我慢の限界を迎えた。父が褒めてくれた自慢の黒髪に触れられてしまい、自制の鎖を引き千切ってしまったのだ。

 

 アレクサンドラは手酷くアポロンを打擲し面罵した。

 

 果たしてアポロンは逆上し、よせばいいのにアレクサンドラを連れ去ろうとしてしまう。頭の片隅に『ヘラクレスの娘』だという意識があったのだろう。変に呪わずにいる程度には理性が残っていたが……結果は変わらない。さしものアレクサンドラも、まだ未熟な戦士であった事もあり、格闘術にも明るいアポロンには敵わず捕まってしまう。

 後がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。これがアレクサンドラを語るに際して欠かせぬ逸話である。題するに『囚われの姫君』だ。

 太陽神のしつこい求愛は、慎みを知らぬ娘の振る舞いを正す試金石に相応しいものとして見ていたオリンピア王だったが、アポロンの狼藉を見て激怒し、復興の最中の国で太陽神を相手に決闘を申し込んだ。愛娘を連れ去ろうとする太陽神に瞬く間に追いついたアルケイデスは、アポロンが国外に出る前に挑発して決闘に持ち込むと、情け容赦なしに叩きのめした。

 

 然し腐っても太陽神ボイポス・アポロンである。簡単には負けずに必死に戦い、周囲に甚大な被害を出した。オリンピア復興を二年遅らせた出来事である。

 赫怒の炎に燃えてアポロンを抹殺せんと、伝説の神殺しである残虐殺戮拳を繰り出さんとするアルケイデスに、騒ぎを聞きつけて下界を見たゼウスは驚愕した。

 慌てて雷霆を投じアポロンとアルケイデスの間を裂いたゼウスは、なんとかアポロンを宥め手を引かせた。ゼウスにとっては二人共が自分の子供なのである。悲劇を起こさせたくはなかったのだ。ヘルメスの件もある。アルケイデスをタルタロスに落とすような真似は、できればしたくないのであった。

 ギリシャ世界とは究極的に言えば力こそ全て。すなわち神こそ全てである。然しその神を打ち負かしてしまった人間は、神々の威厳に懸けて罰さねばならない。が、アテナが異議を唱えて“アレスの丘”にて裁判を行い、アテナ・ヘパイストス・ヘスティアの弁護もあり、ゼウスは情状酌量の余地有りとしてアルケイデスを罰さない決定を下した。彼の意志にも反さない裁定である。

 然しアポロンは機嫌を害した。同じ父を持つとはいえ辛酸を嘗めさせられた異母弟に対し、好意的に見られる度量は彼にはない。アポロンはアルケイデスへの反感を溜め込む事となったが、ひとまず事態は落ち着いた。

 

 そのような出来事を経て――アレクサンドラの箍は外れたのだ。

 

 自身の危機を救ってくれた父を、もはや神の如く崇拝し、ただでさえ心酔していたのに父以外目に入らない盲目状態に陥ってしまった。これまで漠然と父に追いつくのに十年あればいいと思っていたのが、アポロン相手に本気を出したアルケイデスを見て、一生掛かっても絶対に敵わないと確信させられたのも大きい。

 平時のアレクサンドラは堅物で融通が利かず、公正で私欲に乏しい孝行娘なのだが、父が絡むと人が変わったかのように激しい感情をうねらせた。アレクサンドラにとって父とは神聖にして不可侵、あらゆる行いも肯定されるべき絶対者なのである。強姦されそうになった恐怖の反動もあり、アレクサンドラのファザーコンプレックスは決して取り除けない本能へと組み込まれたのだった。

 

 故に。

 

 公然と父を否定すると、声高に公言した男を。

 世界で唯一のアルケイデスの理解者であると自称する不届き者を。

 例え血の繋がりのある男であっても、アレクサンドラは断じて赦してはおけない。その生存を許容できない。

 

 殺してやる――そんな易い殺意は無かった。

 然し単純な殺意よりも遥かに危険な、世界に存在してはならない敵を排除せねばならぬという使命感と、純化された憎悪がある。

 ふぉ、きゅぅぅ。マシュの懐の中で白い獣が鳴いた。

 全身の毛を逆立たせ、鳥肌を立てるマシュ。逃してもらえるはずが、突如戦闘が起こりそうになり動揺していた。

 

「………」

 

 アレクサンドラの言を聞いたイオラオスは、思わずアルケイデスを見た。彼は仕方のない娘だと呆れているも、咎める気配がない。――老王が親馬鹿でボケた訳ではない。彼はアレクサンドラが困った性格をしていて、激昂するだろう事は理解していた。その上で、放置したのである。イオラオスらがどのように切り抜けるか、息子同然の甥の成長を見たいがために。

 

「イオラオス。アリューは獰猛だぞ。お前は私の息子同然だ、長男として妹の世話ぐらい見てやれ」

「……ハァ」

「お父様! こんなヤツ私のお、兄などではない! 私の兄はうつけのヒュロスのみ、兄は一人でも多すぎる、今更あんなヤツをおにいさっ、兄に、など……!」

「さらりと嫡男を次男にする親父、さらっと()()()呼ばわりしてくれやがる妹……ハァ、身どもに代わって愚妹の世話ぁ頼みたいね()()()(やつがれ)としては出来た妹を持つと肩身が狭くってさ……」

 

 少女は完全に頭に血が上っている。呂律が廻っていないのはそのせいだと、優しいイオラオスは思う事にした。

 

 ヒュロスの気の抜けた表情と声音は聞かなかった事にする。露骨に嘆息して戯言を聞き流し、イオラオスはマシュを見た。マシュはどうしたらいいのか解らず、視線のパスをガウェインに向け、ガウェインはトリスタンにパスし、トリスタンはランスロットにパスし、ランスロットは――発砲した。

 

 狂化し理性がなく本能で駆動する黒騎士が、先手必勝と言わんばかりに短機関銃の引き金を引いたのだ。

 

 轟く銃声は火花となりて。黒騎士が襲い掛かるはアレクサンドラである。アレクサンドラは銃声に驚いたようだが、音速を超える礫の悉くを視認するや、籠手すら身に着けていない腕を払った。

 宝具化した弾丸の霰が着弾する。然し硬質なモノに跳ね返され、弾丸は地面を転がった。アレクサンドラの装束の袖に弾痕が残っているが、その下にある肌は些か赤くなっている程度。黒髪の乙女は不快そうに天与の美貌を顰めた。

 “獅子の腕”アレクサンドラ。獅子とはネメアーである。その硬度を持つ肉体は、僅かの脅威も受け付けない。特に両の腕は豪腕であり、生半可な宝具では「少し痛い」程度のダメージしか与えられない。

 

「aaaa……aaaaaaaa――!!」

「!? ら、ランスロット卿!?」

 

 赤い血管の如き魔力の這う鉄柱を手に、黒騎士が馳せる。銃器ではどうにもならぬと判断したのだ。それにマシュが驚愕の声を上げる。制止しようとするのを、イオラオスが止めた。

 

「待て。どうせあの(アレクサンドラ)は止まらない。ランスロットとかいうのの判断は正確だ。どうせやるなら先手を取ったほうが良い。やるぞ、伯父上も止める気はない。ひとまず強く当たり、流して退け。どうせ伯父上の事だ、嗾けて来るぞ――」

 

 黒騎士がアレクサンドラに仕掛ける。不気味に脈動する赤い筋の這う鉄柱を槍に見立て、豪快に突き込んだ。純白の戦装束を纏い、関節部のみを鎧で守った軽装の戦姫は短剣を腰帯に差していた鞘から抜き払って迎撃する。

 短剣と槍に比する長大な鉄柱とでは間合いが違う。疑似宝具として振るう理性無き騎士は、然し些かも衰えぬ武技を冴え渡らせた。

 火花が散る。右から左、袈裟、逆袈裟に振り下ろし、振り上げられ、鋭い打突を間断なく見舞ってくる黒騎士を、アレクサンドラは冷えた目で見据えていた。湖の騎士の猛攻を鉄壁の如く受け流し続け、そして眉を顰める。

 

「……巧い。が、それだけだな黒いのッ!」

「gi……!」

 

 遂には短剣で弾き返す事もせず、片腕で鉄柱を受け止めた。ぴたりとランスロットが静止する。極めて高い筋力を誇るランスロットの膂力を、戦姫は片腕で捩じ伏せる。

 槍兵の英霊を上回る速度で、残像すら残さず踏み込んだ純白の姫の鉄拳が黒騎士の甲冑の真ん中を穿った。驚愕する余分なものはなく、事象に即応する本能が咄嗟に飛び退かせていたが、それでもなお派手に黒騎士を吹き飛ばした。

 

「私より技の冴えは数段上、然し力と速さは数段下、ちぐはぐだな貴様は。だが――構うものか。強かろうが弱かろうが、敵は殺す」

 

 ダンプカーに轢かれた藁人形の如く空を舞ったランスロットに、ガウェインとトリスタンが信じられないといったふうに瞠目し――太陽の聖剣と琴弓が構えられる。それを見て鼻を鳴らすアレクサンドラ。

 

 それを見てアルケイデスが口を開いた。彼には、例え後の禍根になると分かっていても、ここでイオラオス達を殺す気はなかった。もとよりイオラオスに関しては後に戦闘になっても生かす気でいる。故に言うのだ。

 

「――余興だ。適当にあしらい、蹴散らせ。進軍の邪魔を除けばそれでいい。パリスめが頭の血管を破裂させ憤死しかねんからな。急げよ。ああ、それとアレクサンドラ」

「はいッ!」

 

 呼び掛けに即座に応じる愛娘に微笑みを投げ、彼は命じた。

 

「お前はヒュロスと協力しイオラオスのみと当たれ」

「……はい。お兄様とですか。いえ、不満はないです。やりますとも」

「はぁぁぁ? 僕? やだよメンドクサイ」

「お兄さッ、兄上ッ! 抗命すれば私刑を加えるぞ、やれと言われたらやるのだッ!」

「やぁだよ」

 

 アレクサンドラは父の命令に、不服なものを感じつつも忠実に従った。だがそんな命令を平然と拒絶するのがヒュロスである。

 王の威厳、父の命令。そんなものなど知った事かと、罰など怖くないとヒュロスが示すのに、然しオリンピア軍は誰も動じない。ああまたか、といった呆れがあるだけで、それもまた負の印象を懐かせるものではなかった。

 いつもの事だ、寧ろヒュロスの態度に文句をつければ逆にアルケイデスから文句が来る。家庭の問題に口を挟むなと。要するに――アルケイデスはヒュロスの反抗も嬉しいものなのだ。それに、操作方法は知っている。

 

「ピロクテーテス。帰ったらヒュロスの態度をポルテに告げ口しろ」

「――さて()るか。アリュー、兄に遅れるな。イオラオスを殺すぞ。僕は至って真面目だ、最初から最後まで。そうだろピロクテーテス。僕の勇姿を母上によくよく説明してやってくれ」

 

 父王がこそりと弓の弟子に囁く素振りを見せるや、ヒュロスは一瞬にして見事な変わり身を演じる。

 全身を油断無く鎧で固めた青年は、若かりし頃の父によく似ていた。然しその風貌に母の美麗さを付け加え、全体的に細身としたものではあるが。パリスほどではないにしろ、一国の王子としてのカリスマ性に富んだ美貌の持ち主である。

 肩口で乱雑に切り揃えた黒髪を掻き上げ、長剣を抜き放ったヒュロスが進み出る。その威、アレクサンドラと比べ些かも見劣りしない。妹が十の努力を重ねたのに対し、兄は一の研鑽しか積まずに同等の位階に立っているのだ。

 

 ヒュロスの念押しにピロクテーテスは苦笑して頷いた。

 

 戦士王の嫡男と長女が歩み寄ってくるのに、イオラオスは嘆息して対峙する。

 

「その三騎の戦士はマタルヒス、貴様だ」

「畏まりました。適度にいなせばよろしいのですね」

「お姉様、瞬殺して加勢してください」

「――ええ、はい。いいですよアリュー、私の可愛いアレクサンドラ」

 

 太陽の聖剣を持つ白騎士、琴弓に指を這わせる赤騎士、圧し折れた鉄柱を捨て魔剣を抜かんとする黒騎士。それらが動き出す寸前、進み出たのは無機質な仮面を被った女戦士である。

 ランスロットの鎧と同質の隠蔽効果があるのか、その姿の輪郭は掴めない。アレクサンドラの、イオラオスを確実に仕留めるための呼び掛けに、実はアルケイデスより遥かに無責任にアレクサンドラを溺愛するマタルヒスは掌を返した。それに老王は苦笑してしまう。戯けばかりか、と。

 

 全身を覆う、機能的な仮面と一体化したスーツじみた鎧。羽織る外套は紫紺のもの。腰の両端に提げた黒い刃の魔剣を二振り抜き払った女戦士に、トリスタンは喉を鳴らし呻くように呟いた。

 

「――あのスーダグ・マタルヒスが私達の相手ですか」

「タフな仕事になりそうです。トリスタン卿、分かっていますね?」

「勿論……問題はランスロット卿ですが……」

「問題有りません。狂っているとて彼は円卓最優とまで称された騎士。気にするまでもない」

 

 マスター、心配ご無用。単なる戯れですよ。ガウェインは柔らかくマシュに語りかけて。

 

 そのマシュに対し、立ちはだかる者が居た。

 

「マシュ・キリエライトでしたか。偉大なるヘラクレス王の勅命です。少し()()()()()()()()()と。まあ――そんな訳で、弱い者虐めみたいで気は引けますが、少々付き合ってもらいます。戦場で相見えるに相応しいか、ここで見定めておきましょう」

 

 ――七枚張りの紅色の円環を持つ、どこかローマの皇帝、ブリテンの王を彷彿とさせる顔立ちの乙女である。

 細い腕、細身の軀、豊かな双丘、小さな貌。然し内包するのは獅子の豪力。次代最強の盾戦士と名高き、彼の大英雄“大”アイアス。彼女の眼差しに、マシュはたじろいだ。

 高潔な精神を宿した瞳は碧く。風にそよぐ金砂の御髪を撫でつけ。生真面目に述べた大アイアスの相手をデミ・サーヴァント単騎でさせられる。

 

 ふとマシュは思い出した。

 

 スパルタ教育の語源となったスパルタ国。それは後世、ヘラクレスの末裔が築き上げたものだ。つまりスパルタ人は総じてヘラクレスの血統に組み込まれているのである。

 そんなスパルタ人の太祖の教育が――スパルタではない訳がない。

 

 マシュはデミ・サーヴァントの形態となり、遠い目をした。束の間、少女は心の澱みを忘れられたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ローマは、ローマだ」

「はいはい。僕にも分かるように話してくれよ、()()()()

 

 真紅の神祖。現世の者ではないという彼に、アテナイ王テセウスは邂逅していた。

 後のローマ帝国の神祖の威光も、カリスマ性も。テセウスには心地よいものである。対等の友人として語らい、彼とロムルスはある契約を交わしていた。

 

「さあ、どうなるか。僕の読みが当たるか、それとも――」

「ローマの思惟が現実のものとなるか。いずれにせよ、ローマには確たるものがある。故にローマなのだ。か弱き乙女よ……ローマに包まれよ。さすればローマへの道は開けるだろう」

「神祖ロムルス、心配する必要はないと余は思うっ! マシュは強い娘……とは言えないが……まあなるようになるであろう!」

 

 男装の皇帝は、そう言って莞爾とした笑みを満面に浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 




うわー、さいごのふたりはいったいだれなんだー。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。