ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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今日二話目。


第三節 賢者の見識

 

 

 

 

 ――嘗て栄えたイオルコスの惨状は酷いものだった。

 

 古代ギリシャの戦争では、基本的に占領という行為が行われない。何故なら都市国家一つ一つが神々の加護を持ち、その王権を認められているからだ。

 神の赦しもなく勝手に国を占領し、統治などすれば不興を買うのは必定。故に国家間の戦争とは“略奪”か、確執のある相手の“殺害”を目的にする場合が多い。

 例えばこの世界線のトロイア戦争は前者に当たる。神意を錦の御旗に掲げてはいるものの、連合軍の総大将アガメムノンの目的は、既婚であり妻を持つ身でありながら、太陽神も見初めたトロイアの王女カッサンドラを奪う事であった。異なる世界線でのアガメムノンは、弟の妻ヘレネをパリスに奪われた事に憤慨し、その報復のためにトロイアに攻め込むのだが、この世界線では違った。

 神意を得たアガメムノンの野心は膨れ上がり、それを抑制する理由がなかった故に自制心が薄くなっているのだ。どうせ戦争をするのは神意で決まっている、ならば多少の旨味を得てもいいだろうと考えているのである。正に略奪こそがアガメムノンにとっての旨味であった。

 

 そして――イオルコスは後者に当たった。

 

 アガメムノンは自尊心の塊のような男である。常日頃の振る舞いは傲慢なもので、その性は冷酷非情であり、所有欲の強い王であった。

 彼は自身より遥かに名高きオリンピア王に嫉妬していたといえ。自身より遥かに強いオリンピア王を妬んでいた。だが神意を得て、アカイアで連合軍を結成する大義を得た事で、彼を従わせて自分を納得させようとした。

 だがオリンピア王は拒んだ。貴様如きの“お遊戯”に付き合う暇はないと。彼の直言を厭わぬ実力に裏付けされた言葉は、しかしアガメムノンを激怒させた。なんとか自制し怒りの矛先を向けなかったのは、アガメムノンにしては我慢強い態度だったと言える。というより、神のお気に入りであるオリンピア王を攻める度胸は流石になかった。

 この時は耐えた。だがオリンピア復興の為の支援を継続するために参戦できないと、連合軍に加盟しなかったイオルコス王にアガメムノンは憎しみに駆られる。またオリンピアか! と。忍耐強くないアガメムノンは、断じて赦しておけないとしてイオルコスに宣戦布告した。

 アガメムノンは別の世界線では「王の中の王」と讃えられる実力者だ。十年もトロイアを落とせず攻め続けたというのに連合軍の士気を保ち、支配力を弱めなかったのである。並大抵の手腕では不可能だろう。彼もまたイアソンと同じ呪いじみたカリスマ性を持っているのだ。

 しかしその力量は到底、名将のものとは言えない。だが綺羅星の如く集った英雄達は強く、特にギリシャ随一の智者オデュッセウスの存在もあり、彼の作戦によってイオルコスは電撃的に陥落した。

 

 後は蹂躙である。コルキスから齎される富や、優れた政策により栄えたイオルコスは崩壊し、富という富が奪われ、王と宰相は討たれた。そしてイオルコス王が頼ったサラミス島にも攻め込み、後一歩の所まで追い詰めたのである。

 彼らがサラミス島から撤退したのは、メディアの魔術の脅威、テラモンの奮戦、アイアスの鮮烈な初陣だけが原因ではない。アカイア連合軍の後背を、アテナイ王テセウスが脅かしたのである。

 

『神意を受けたわけではないから僕は連合軍に加盟しない。神意を妨げたとして神罰を下される事も恐れない。何故なら貴様は神意とは関わり合いのない戦を起こしているからだ。サラミス島をイオルコスのように襲う事は、すなわちこの僕を敵に回す行為だと知れ。今なら僕の友イアソンを殺した罪を赦そう。だが退かないなら僕は全力で連合軍と戦い、お前達の本来の目的を果たせないようにしてやる。僕と戦う覚悟があるか? 仮に僕を下せたとして、その後に神意を全うできるだけの余力が残ると思うか? 思うのなら掛かってくるといい。オデュッセウスの小僧がイオルコス奇襲の策を実行し、その卑劣さの前に屈したが、僕はそうはいかないぞ。嘗てのアルゴナイタイの生き残りの力を結集し、お前の命運を限りなく毟り取ってやる』

 

 アガメムノンは顔を真っ赤にして怒ったが、オデュッセウスの諫言を聞き入れた。万全の体勢のアテナイと戦うべきではないと。テセウスこそはヘラクレスに次ぐ大英雄だという名声が高い。その名に違わぬ実力者である事は周知の事実だ。故にアカイア連合軍はサラミス島から退いたのである。

 

 ――その様な経緯があり、イオルコスはイアソンの子を新たな王に戴き、復興の最中にあった。

 

 遠目に見える忙しない人々の動きに精彩はない。表情は一様に暗く、生きる希望を見失い、先代の王の死を嘆き悲しんでいるのがよく解る。

 マシュは顔色を曇らせた。所はイオルコス全体を見渡せる高台である。そこに大岩を担いでやって来て、それを削り石碑にしたイオラオスはイアソンの名を刻んでいた。彼は数瞬考え込み、文言を削り込む。

 偉大なるイオルコス王イアソン、此処に眠る。エリュシオンにて安らぎあれかし。この墓を暴く者、神々とイオルコスの全ての民、そしてイオラオスの怒りに触れるだろう――と。そう、この墓は未来に到るまで残り、観光名所となる場である。

 

「……イアソン王は、どのような方だったのですか?」

「ん? ああ……」

 

 マシュはイオルコスの惨状から目を背けたいのだろう。辛くて直視できない。だから目を背ける為に、尊敬する偉人であるイオラオスに話し掛けた。

 問い掛けに、放浪の賢者はあっけらかんと返す。

 

「口先の男だったな」

「え? あのイアソン王がですか? アルゴナイタイのリーダーを勤め上げた英雄で、カリュドンの猪狩りにも参加したほどの勇士なのに……?」

「………」

 

 カリュドン。その名を耳にして、一瞬イオラオスの動きが止まる。然しすぐに何事もないように返答する。

 

「ああ。荒事は全部仲間達に押し付けていた。だがその弁舌の才能とカリスマ性は本物だったよ。捻くれた男でね……伯父上の今があるのは、間違いなく彼のお蔭だ。イアソンと出会う前の伯父上は、他人との相互理解を諦めてる所があったからな。多分伯父上にとってはじめての友人だったはずだ。口ばかり達者で臆病で逃げ足は遅いし決断力も悪い、その上で追い詰められない限り本気を出せないヘタレでもあったが、まあ……良い奴、だったよ」

「そう……ですか……でしたら、彼はアガメムノン王を怨んでたりするんですか……?」

「怨んでいるだろう。多分オリンピアの復興を手が離せないぐらい急いでなかったら、伯父上は身の程知らずのアガメムノンを殺していただろうさ」

 

 さらりと殺すという言葉が出た事に、マシュはびくりとした。

 彼女には命の遣り取りが恐ろしいものでしかない。そうと見て取ったイオラオスは苦笑した。女子供には相応しい態度だが、仮にも人類史を背負って戦う者には相応しくないと感じたのである。

 そしてそんな者を戦場に送り出すカルデアに不信感を持つが、逆にマシュのような娘を使わざるを得ない窮状にも思い至る。いつの時代も世知辛いらしいと、イオラオスは胸中に溢しつつ問いを投げる。あくまで世間話のように。

 

「カワイイぐらい臆病だな。未来の人間っていうのは、おまえみたいなのばっかりなのか?」

「いえ……私は参考にならないかと……」

「……? マシュ、おまえがこれまでどんな戦いを経て此処まで来たのかは知らない。詮索もしない。だが一つ忠告しておこうか」

「傾聴します」

「おまえは異邦の民だ。異なる時間を生きる者であるおまえにとって、此処は過去の世界なんだろう? なら一々他人の事情に一喜一憂するものじゃない。関心を持つな、共感するな。まだおまえ達を完全に信じられたわけじゃないが、全て本当の話だと仮定して言わせてもらう。此処に生きる人々を、未来という時間に生きるおまえが憐れむのは侮辱だ。そういうのは、せめて自身の面倒を見られるようになってからしろ。自分の事すらままならない者に哀れまれるほど、わたし達の世界は弱くない」

「っ……」

 

 痛烈な批判だった。衝撃を受けて顔を顰めるのは、マシュが無色の命だからで。誰からでも影響されやすい、不安定な精神だからでもある。

 見兼ねてガウェインが口を挟んだ。

 

「――イオラオス殿、控えて頂きたい。マスターのその心は優しさからくるもの、その美点を貶めるような物言いは看過できかねます」

 

 太陽の騎士はマシュをマスターとしている。然し彼はマシュを王だと、主君だと定めているわけではない。守護すべき存在なのだ。あくまで彼女の盾なのである。

 だがそんな騎士にイオラオスは冷ややかな一瞥を向けた。

 

「馬鹿か、おまえは」

「……なんですって?」

「これは確信だが、おまえは自身の思い込みを押し付けて主を苦しめ、土壇場で私情を抑えきれず破滅させた口だろう」

「ッッッ!!」

「勘と経験でな、解るものがある。英雄っていうのは一部の例外を除いて無念の死を遂げるものだってな。おまえの分かり易い性格上、理想の主君を祀り上げ、主の為に尽力し、その果てになんらかの怨恨で無私の奉公を忘れて破滅する様が()()()()()よ。――で、当たりのようだな。うーん、ますます観察眼に磨きが掛かったらしい。この手のことなら伯父上を超えたか? ははは」

「貴方はッ! 他者の傷を拓き喜悦とするのかッ! 私の事ならいい、だがマスターの心を傷つけるような事は断じて赦せは――」

「だからおまえは馬鹿だって言ったんだ」

 

 激昂してはいない。的確に自身の末路を言い当てられた怒りなど、太陽の騎士が懐くものではない。清廉潔白なガウェインは、自身の非を認め改めている。改めたものを指摘されて怒りを見せるなんて、易い騎士ではないのである。

 故に語気を荒げたのは全てマシュを守るためでしかない。彼女は――危うい。その心の不安定さは、薄氷の上で辛うじて均衡を保てている程度に過ぎないと見ている。だからその均衡を崩しかねないイオラオスの忠告は聞き流せるものではないのだ。

 辛いだろう、哀しいだろう。だがだからといってそこから目を逸らし、見て見ぬふりをしろ、共感するなと云うのは、マシュの幼い心を圧迫する。

 

 そんなガウェインに、徹底してイオラオスは冷厳だった。

 

「自身の精神状態すら満足に保てない女子供に、一丁前に他者の痛みを共感させてどうする。余計に抱え込んで破裂するのが目に見えてるんだよ。まずマシュが身につけるべきなのは“ワガママ”で、分厚い面の皮だ。悪い意味での鈍感さが今のマシュには必要なんじゃないか? それが身に付くまでは自分の事だけに集中させろ――分からないか。その小娘、遠からず死ぬぞ」

「――――」

 

 ひゅ、とか細い息を吐き出したマシュがよろめく。咄嗟に黒騎士がそれを支え、鋭い目を弓騎士が向けてくる。イオラオスは嘆息した。

 出来の悪い教え子に説くように、彼は冷徹に解説する。

 

「死ぬっていうのは勿論精神的なものじゃない。極めて物理的な意味での死、だ。いいか、仮にこの世界が特異点なのだとしたら、確実にトロイア戦争に関わってくる。そうなると斬った張ったは当たり前、殺しに来る者は絶対にいる。そして生前のおまえ達がどれほどの猛者だったかはさておくにしろ、サーヴァントであるおまえ達じゃあ無駄に数ばかりいる英雄共を相手にマシュを護りきれないだろう。そうなるとマシュも戦わないといけない。()()()()()()()()()。そんな時までか弱い女子供らしく傷つけとでも言うのか? 殺す覚悟を持てと言ってるんじゃない、敵を殺してでも生き残りたいという()()()()()って言ってる。究極、世界って奴はワガママな奴が勝つように出来てるんだからな」

「…………」

 

 重みがある。実感が込められている。そして何より真理だった。

 マシュは瞳を揺らす。

 無欲な者は勝ち切れない。強欲な者が最後には勝ち残る。だが其れは――獣の理ではないのか。そう糾そうとするガウェインを制し、イオラオスは言った。

 

「が、簡単に変われるほど人間っていうのは都合のいい生き物じゃない。だからゆっくり心を強くしろ。今を凌ぐ心の鎧の着方を教えてやる」

「心の……鎧?」

「ああ」

 

 イオラオスはイアソンの墓の傍から離れた。手振りで歩くように促し、マシュが従うのにサーヴァント達も続く。彼女の提げているバックパックから、白い毛玉のような小動物が顔を出し鳴いた。ふぉう、と。

 賢者は賢いから賢者なのではない。惑う者を導くから賢者なのだ。半獣の賢者は獣の理も含め、然し人としての理を説く。

 

()()()()を決めろ。おまえの一番大切なものはなんだ?」

「一番大切な……」

「言わなくていい。思い浮かべたのは人か? 使命か? それとも自分か? なんでもいいんだ、その一番を常に念頭に置け。そして苦しい時は問いかけろ、目の前のものと自分の一番、どちらが重いかを。ワガママを覚えるのはその後でいい、覚えたら少しでも優先すべきだと感じたものを、少しずつ欲張って手繰り寄せろ。何もかも順番だ。順序を踏め。己の弱さを自覚しているならいつまでも足踏みしないで、段階的に自分を強くしていけばいい。それで後は……弱くなれる相手に縋るんだ。弱い奴が弱いままで居続ける必要はないんだよ、マシュ。誰だって強くなれる。誰だって英雄になれる。英雄になんかならなくても、ひとは生きていける」

 

 ――まるで、自分に言い聞かせているみたい。

 そう心の何処かで思うのに、マシュは胸に沁みるものを感じた。

 教え、説く姿と言葉にあるのが、初対面ですぐに自分の脆さを察して支えてくれる、優しさだと理解できたから。

 イオラオスが、自分が想像していた通りの人で嬉しかったから。

 だからマシュは無邪気に思う。人生の先達である彼が、本当の意味での“先生”のようだと感じて。

 

(イオラオスさんは、もう失くしてるんですね……)

 

 自分の中の“一番”を。

 知識として識っていたものを、実感として知る。マシュは素直にイオラオスの助言を聞いた。自分にとっての一番――おとうさんみたいな、あのひと。

 そのひとの為に、と口に出すのは恥ずかしいから胸に秘め。

 使命だからとか、自分しかいないからとか、そうした気負いが少しほぐれる。生きるために戦う……()()()()()()()()()()()()()。それができるようになったら、もっとワガママになれる気がして。

 

 マシュは先導して歩く男の背中を見た。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ちなみに特異点化の原因ってのは多分伯父上だ。トロイア戦争の援軍に向かってるって話を聞いた事がある」

 

「えっ?」

 

 直後、無造作に投下された爆弾に、心臓が止まるかもと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 




第三特異点クリア報酬、配布鯖は☆3アサシンのイオラオス。

HP:8593/ATK:8352
カード:Quick三枚、Buster一枚、Arts一枚。
宝具:強靭を示せ、縫い目断ちの短剣(キュプリオト・スパター)
  自身にQuick強化付与(1ターン)
  敵単体に防御力無視の強力な攻撃
  &防御力ダウン付与(3ターン)
  オーバーチャージで効果UP
スキル:賢者の見識(敵スキル封印1ターン)
   情報隠蔽(デバフ無効3ターン)
   獅子の呪い(自身のスター発生率&NP上昇率UP3ターン)
属性:混沌・中庸・地・獣・愛する者

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