ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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本日三回目だよー。おっかしいな……なんか調子でてきた。なんだこれ?
でも短いです。




七幕 怒りの日、報復の時(上)

 

 

 

 

 親しい者との離別。痛みを伴う訣別を迎えても、王に感傷に浸る時間はない。

 伸ばした指が虚空を掻く空々しさと共に、時間は残酷に流れ去っていく。

 裁定を決し、古い同行者は去った。王としての決定と、人としての情を交えた裁きを与えた王は一瞬、空を見上げる。

 罰を決め、与える側の悲哀を、罰せられた者が想像できるのだろうか。

 こんな痛みに耐え続けるのが王であるというなら、為政者とは鉄の血を流す木偶人形ではないか。

 

 王とは、誰よりも歓喜し、激怒し、ヒトの臨界を極めたるモノ――その在り方を夢想していたものだが、戦士でしかない己には土台不可能な在り方である。

 率いるのではない、率いられるが相応で、性に合っている。ヒトを極めた王はこの世界には無用だ。後に続く者達のため、礎となるモノが必要なのだ。人類の黄金の時代にこそ真の人王は現れるべきで、この時代に現れようものなら傍迷惑な狂人でしかない。

 王として、人として、後の世に繋げる土台を遺す。それが己の仕事なのだと理解できる。

 

 戦士王……思えば寒々しい皮肉な号だ。王と囃し立てられても所詮は戦士だと嘲られているようである。勇士、勇者などと称されたところで、叶うのは敵を殺す事だけだというわけだ。目に見えないもの、触れられないものには無力なのだろう。

 だが、構うものか。それでいいし、それがいい。失う事には慣れている。進むべき道は見えているのだ。何を取り溢したとしても、後は駆け続けるだけでいい。後ろは振り返らない。そうだ、それでいいのだ。王は己にそう言い聞かせる。

 抑止力だと……? それがなんだ。なんだというのだ。そんなものにこの歩みは止められるものか。

 王は悟っていた。抑止力という存在を識ったことで、己の精神性が余りに廻りとズレ過ぎているのはなんらかのイレギュラーで、抑止力にとっては王自身も普通のギリシャ的な価値観を持っていなければならないものなのだと。つまり己も抑止の対象なのだろうと、あたりを付ける事ができた。

 

 抑止力が己の道を阻む……? それがなんだ、それがどうした。構わないとも、総て薙ぎ払って進むまで。

 

 王は粛々と常の仕事に移る。何があっても対応できるように。何があっても小揺るぎもしない国と時代を造るために。

 

 

 

 そうして月日は流れる。――王は侮っていなかった、然し抑止力という『世界』との戦いは彼の認識の外を突いた。『世界』は王よりも遥かに狡猾で、卑怯だったのだ。

 

 

 

 約束の時、来たる。建国より二年、戦神の神殿にて陽が昇る刻限を前に、マタルヒスに鎧の着付けを手伝わせている時だった。

 ふと伝令神の神殿の方に、神威が降臨するのを感じる。

 疾風である。天つ聖鹿よりも速い神速の脚が、自身の許へ駆けつけてくるのを察知したアルケイデスは、次いで戦女神が神殿に降臨するのを感じつつも誰何の声を上げる。

 

「何用だ、ヘルメス神」

 

 年若い青年の姿をした軽装鎧の神、ヘルメス。彼の来訪にアルケイデスは小波一つない平坦な声音で訊ねる。

 すると親しげに歩み寄ってきた彼は、大神の創り上げた最高傑作に向けて言った。

 

『挨拶もなしかい? ヘラクレス』

「フン。常日頃天界よりこちらを眺める視線を感じていれば、挨拶をする必要性も感じないな。常にとは言わんが、頻繁に()()()ているのだ、久しいと感じる心もない」

『あは、気づいてたか。まあいいや、それよりヘラクレス。遂に来たよ。宇宙の果てから、ボク達オリュンポスから世界の支配権を奪うために。ギガースが来た』

 

 その報に、アルケイデスはぴくりともしない。戦慄も高揚もなく、巌のような眼差しをヘルメスに向ける。

 涼し気な表情の裏で、ヘルメスは冷や汗を流していた。

 ――なんだよ、人間なの? この英雄は……。

 重厚な鋼が人の形をしている。大自然が造り上げた果ての断崖を仰ぎ見たような戦慄がヘルメスを襲った。アルケイデスの視線が、信仰により歪む以前の大神が持っていた威厳と被って見える。何人足りとも左右できぬ無比の精神が、雪崩を打って押し寄せるかのような錯覚を伝令神に幻視させた。

 アルケイデスは傍らの仮面の女を一瞥し、短く命じた。留守を任せる、ヒッポリュテと協力し常態を廻せ、と。恭しく拝承した仮面の女から視線を切り、伝令神の興味が仮面の女に向く前にアルケイデスは言った。

 

「大神に伝えるといい、不肖の子が己の役を果たしに参ると」

『あ、ああ……』

「武具の手入れを終えるまでは待ってもらうが。アテナが来る、どうせアテナが私の迎えなのだろう?」

『そう……だとも。うん、分かってくれてるなら良い。ボクは戻るよ。ボクにも戦仕度はあるからね。じゃ、また会おう。なぁに、ギガースなんてただデカイだけの的さ。絶対に勝てる、気を楽にして戦ってくれればいいよ』

「ああ、分かった」

 

 ヘルメスはにこりとしてアルケイデスの肩を叩く。そしてアテナの名が出ると、退室しようとしていた仮面の女がぴくりと反応したのを見咎め、ヘルメスは関心を寄せてそちらに視線を向けた――瞬間。

 アルケイデスの腕がブレた。音もなく、気配もなく。そして相好を崩して微笑んだ。

 

「ヘルメス神、一つ忠告を」

『ん、なん――っ?! それは……』

 

 アルケイデスは笑って手を差し出し、その手にある物を見てヘルメスは呆気に取られる。

 伝令神の羽織る外套の飾りが盗られていたのだ。

 どういうつもりかなと笑顔になるヘルメスの威圧に、大英雄は肩を竦める。

 

「油断は禁物だと伝えたかった。御身はどうやら、()()()()()()()()()()()のように見えたのでな」

『そ、そうかな? ああ、分かった、気をつけるよ。じゃあね、ヘラクレス』

「ああ。戦の時に会おう」

 

 ヘルメスは気勢を削がれ、さっさと退散していった。マタルヒスは庇われたと思ったのか、一礼して退室していく。

 それに苦笑した。確かに庇った。マタルヒスはできる限り神から関心を寄せられない方が良いのだから。だがそれだけではない。

 アルケイデスは懐に呑んでいる『或るモノ』に触れ、嘲笑を浮かべる。

 外套の内に隠し持っていたのは、ヘルメスから()()()モノ。――借り受けて来ていたのだろう、冥府神ハデスの『隠れ兜』があった。

 

「だから言っただろう? 足元がお留守だと――」

 

 手に入れる算段を立てていたわけではない。ましてやヘルメスが隠れ兜を持っていると気づいていたわけでもない。試しに盗ってみたら、これだったのだ。

 これ以外なら、普通に返していた。然し時が来たのだ。これほど便利な道具はない。嗤いを噛み殺すのに失敗し、ヘルメスの迂闊さに失笑する。

 

 だがそんなふうに嘲笑えるのは、地上にアルケイデスただ一人だろう。

 

 ヘルメスは神々の伝令使である。旅人、商人の守護神であり、夢と眠り、境界、体育技能、能弁、発明、策略、死出の旅路の案内者などとも言われる神格である。

 幸運と富を司り、狡知に富み詐術に長けた計略の神でもある。そして、早足で駆ける者、牧畜、盗人、賭博、商人、交易、交通、道路、市場、競技、体育などの神でもあるのだ。

 そんなヘルメスを指して『足元がお留守』などと称し、その懐から至宝を掠め盗れるなど、武人として極限の技能と勘を持ち、些細な隙を見抜く眼力を持ち、触れても触れたと悟られぬ器用さが不可欠だ。そしてヘルメスを上回る超人的な悪意がなければならない。総ての条件を満たしているのは、アルケイデスだけだった。

 

 (フン、芸は身を助ける、か……よもや盗人から学んだ技術が活きるとはな)

 

 嗤う。己の渇望を成すのに足らぬ技術がある可能性を想定し、あらゆる芸を齧ってきたものだが、まさかよりにもよって盗人の業を使う羽目になるとは思いもしなかった。

 この隠れ兜は永遠に紛失した事にしよう。管理責任を問われ、罰を食らうといい。アルケイデスは悪意を滴らせ、白い歯を剥く。ゼウスの腹心であるヘルメスは邪魔者なのだ、失墜しても構わない。()()()()()()()()()だけなのだから。

 

 アテナが来る。

 その気配を察知して、あらゆる感情の波を押し殺し。

 差し出された女神の手を取って、アルケイデスは神々の戦場へと赴く。

 

 ――約束の時が来た。

 

 巨人大戦(ギガントマキア)に、白き中道の剣と弓、白亜の魔槍を携えた戦士王が参戦する。

 暗い火を胸に灯し、アルケイデスはその一歩を踏み出した。

 

 神々に激震の奔る戦へ。

 人々を震撼させる禍へ。

 

 この瞬間、この世界線の未来は決定されるのだ。

 

 

 

 

 

 


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