ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
トロイアからサラミス島への道中、戦御子の胎が見るからに膨らんできていた。
ヒッポリュテは確実にアルケイデスの子を孕んでいる。疑いの余地はない。短い年月だったが、三児の父だったこともある男である。この変化に気づかないような間抜けではなかった。
そうと悟るやあからさまな迄に行軍の脚を緩め、何かにつけて母体に気を遣い、単純な労働すら妻には赦さず獲物を狩り、食を与え、ほんの少し派手に動くだけでキツく叱りつけた。そんなアルケイデスに、さしものヒッポリュテも辟易してしまう。
自分を想っての事と理解はしている。最愛の夫からの気遣いは素直に嬉しい。最大の名声を持つ大英雄でありながら、身重の妻に対して献身的ですらあるのには彼女の中の古い常識が困惑を訴えるほどだ。だが幾らなんでも束縛が厳しすぎる。とうの昔にサラミス島に辿り着いてもおかしくないのに、未だ到着していないのは、身重のヒッポリュテに万が一がないようにと病的に気遣うアルケイデスの過保護さのせいである。
「いい加減にしてくれ。私はそこまで柔じゃない」
森の中。立ち上がってお花を摘みに行こうとするだけで敏感に反応して助け起こし、寄り添って茂みに向かおうとする夫に戦御子はうんざりしながら言った。
これに反論するのはアルケイデスである。神経質に周囲を警戒している大英雄は、嘗て前妻メガラの苦しみ様を見ている。その際に他の経産婦に体験を聴き、如何に出産というものが過酷なものかを知識として聞かされていた。些細な事でも――例えば歩いている時に転倒しただけでも流産に繋がるケースが珍しくないと教えられていたのだ。
産みの苦しみに対する実感は無い。無いが、前妻メガラと三人の子を失い、新たに妻を迎えた事による心理的反動だろう。アルケイデスは殊更にヒッポリュテの身を案じ、過保護になるのは当然の成り行きである。
「我が子を宿した妻を気遣わぬ夫が在るか? 元々急ぎではないのだ。ならば細心の注意を払うべきだろう。例え何があろうと如何なる獣も、神であろうと今のポルテに近づかせる訳にはいかん。万難を排しポルテの体調を維持し、栄養をつけさせ、お前を害さんとするなら病魔をも殺す。どんな手段を使ってでもだ」
――出産を司る女神エイレイテュイアが来なければ難産に苦しみ続ける事になるのだがそれについては心配していない。戦神マルスが苦しむ我が子を見過ごすはずがなく、既に確約が齎されていた。曰く『ヘラのババアが邪魔立てしたとしても、エイレイテュイアの首を刎ねて頭だけでも
目を据わらせ限りなく本気で言うアルケイデスに対して、嬉しいやら煩わしいやら、ヒッポリュテは深々と鉛色の吐息を吐き出した。
「気持ちは嬉しい。けれど私はアマゾネスだ。アマゾネスほどに女の格を上げられたならば、馬上で出産するなど容易い事。中には戦のさなかに出産した猛者もいる。元とはいえ女王であり戦御子であるこの私に、同じ事ができない道理は――」
「戯け、できるできないではない。誰がそんな真似をさせるか」
流石はアマゾネス。蛮族も真っ青な無茶である。戦の中で産み落とされた赤子はほぼ確実に死んだのではないだろうか。
到底そんな事はさせられないと、アルケイデスは断固としてヒッポリュテの抵抗を抑え込む。ヒッポリュテも流石に無理にでも突っ撥ねる気にはなれず、仕方なさそうに苦笑して大人しく世話を受けた。
お蔭でテラモンの子アイアスの誕生には立ち会えなくなったわけであるが、そこまで深刻に残念がるほどでもない。ヒッポリュテは諦めて、至強の戦士に護られる現状を是として受け入れる。斯くして二人の道程は平穏に時が流れるままゆるやかに進んだ。
この時間差に、無事テラモンの第一子をもうけたメディアは奮起する。サラミス島へ近づく者を察知するために使い魔をばら撒き、アルケイデスらの接近を阻止せんと目論んだのだ。なんとしても我が子とアルケイデスの接触を阻む覚悟である。
メディアは確信している。招かれた以上『ヘラクレス』という英雄は絶対にサラミス島に姿を現すと。誰よりも恐れている相手だからこそ、逆に誰よりも信頼してもいたのだ。あの男なら絶対に来る、少なくともあと一ヶ月以内には。
あらゆる直接的な妨害は無意味だと結論づけている。自分が丹念にサラミス島周辺の海域に罠を仕掛たとしても、確実に乗り越えられるはずだ。小賢しい策略も無駄。敵対的な措置は却って逆効果となるだろう。なら情に訴えるしか無い。王妃メディアはヘラクレスという男を理解していた。恐れるからこそ正確に分析しようとして、話の通じる手合いだと把握するに至っていたのだ。外見はともかく中身は模範的で理想的ですらあると擦れた心のメディアは思っている。ただどうしてもあの筋肉と金ピカがダメなだけで。
自分が直接出向き、言えばいい。第一子を生んだばかり、新婚ほやほやで幸せいっぱい。だからもう少しはテラモンとの蜜月を満喫させてほしい。余人を交えずにいたいのだ、と。それで十中八九『ヘラクレス』は――アルケイデスは引き返してくれるに違いないと。
それは間違いではない。メディアにテラモンへの言伝を頼み、仲間と王妃の幸せを祝福して去るに違いないのだ。メディアの予想は極めて正確である。海千山千の邪知暴虐の海を超え、元々英邁な頭脳を誇るメディアの叡智は正答を導き出していた。
今、メディアは己のトラウマと向き合い、乗り越えようとしていた。感動的だろう。乙女が女に成り、母に成ったが故の強さが発露したのかもしれない。だが無意味だ。
メディアの運の悪さ、アルケイデスとの間にある間の悪さは神懸かっている。アルケイデスの幸運と、メディアの不運の相乗効果は凄まじいの一言だ。果たしてメディアの目論見は破綻してしまう運命にある。
使い魔を通してアルケイデスとヒッポリュテを発見したメディアは、早速とばかりに覚悟を固めた。物申す覚悟はひたすらに産まれた愛くるしい娘のため。決して愛する娘を筋肉の権化に感化させるものかと、死地に赴く悲愴な覚悟を持った戦士の如くに魔術で空間転移する。神代の大気に満ちる魔力濃度なら、魔法の域の大魔術もメディアには行使の容易いものに過ぎない。
果たしてメディアは対面した。嘗てのトラウマに。なんとしても乗り越えてみせると心の中の怯えを拭うべく自身を鼓舞しながら。
だが、
「
ケリュネイアに跨り、両腕でヒッポリュテを横抱きにして、微塵も揺らさずに疾走する黄金の戦士がメディアに迫っていた。
「ひっ」
――不運である。
サラミス島に入るや、ヒッポリュテの陣痛が始まっていたのだ。
間もなく産まれる! その前兆にアルケイデスは頭に血を昇らせ、早急に手厚い看護が必要だと焦っていたのだ。
その焦り様は驚天動地。王妃がメディアであると気づく事すら儘ならぬ。ヒッポリュテは立ちはだかったのが友人であると気づいたが、凄まじい陣痛に声を上げられず顔を歪めるしかない。
黄金の鎧を纏う戦士はケリュネイアを急かし、ヒッポリュテに負担を与えぬ限界の速度で走る。そしてアルケイデスは横抱きにしたヒッポリュテを、牝鹿の疾走でも揺らさない神業的なバランス感覚を発揮して支えていた。
鬼気迫るとはまさにそれ。いつぞやのメディアとアルケイデスの初対面時、その怒気を彷彿とさせられる。
乗り越えようとしたトラウマ。普段の穏やかなアルケイデスが来ていたのならそれは果たせた。だが、間が悪かった。致命的に悪かった。
自身の脇を駆け抜けていった強烈な存在感に、凍りついていたメディアは心が折れて膝から崩れ落ちる。
「ぁ……」
股に生暖かい感覚があった。足元に水溜りができている。初対面で耐えられたのが奇跡だったのだ。
羞恥と恐怖に、人知れずメディアは啼いた。
この場には自分しかいなかった事が唯一の救いだった。
「やっぱり、無理だったんだわ……人間に御せるような
悲嘆に暮れて嘆く。コルキスで出会ったトラウマを乗り越えようとした矢先に遭遇した、鬼神も道を避く凄まじい迫力。
自身の情けなさに、メディアの心は擂り潰された。野に伏せてメディアは啼く。彼女の尊厳はズタズタだった。
「でも……それでも!」
だが彼女は母だった。新米だが、それでも母である。我が子を想えばこそ……自分の拘りではあるが女の子に筋肉はダメだと強く想えばこそ、引くわけにはいかない。
何度心折れてもメディアは立ち上がるだろう。数年もの旅がメディアに不屈の闘志を与えていた。
尤もご不浄を致してしまっている姿では、いまいち格好がつかないのだが。
一時己本来の主人、アプロディーテの許に一年に一度の挨拶に出向いているエロースが此処にいれば、声を大にしてメディアを諌めたに違いない。
諦めろ、試合終了だ、と。
「ぉ、ぉぉおお……」
雄叫びのような歓声だった。
駆けつけたアルケイデスをテラモンは歓迎した。やっと来たかと労おうとした。
だがヒッポリュテの様子を見て。アルケイデスに要請され。すぐさま宮廷医と助産婦を招集し、緊急的に出産の儀が執り行われた。
戦神マルスが駆けつける。案の定ヘラは属神エイレイテュイアを派遣しようとせず、ヒッポリュテが死ぬまで難産に苦しませようとしていたのだ。そうだろうと思ったよと女神王の許に襲来した戦神は、事前の警告を聞かなかった故に問答無用の一太刀でエイレイテュイアの首を刎ねた。
神は不死である。不滅である。故に首だけになっても生きている。俺の娘に出産させろと命じられ、恐怖に染まった表情でエイレイテュイアの生首は権能を振るい、ヒッポリュテは無事にアルケイデスとの愛し子を産み落とした。マルスがそれに満足して去っていったのは、娘夫婦の感動に水を差さないようにしたのではなく、エイレイテュイアを返しに行くのと同時に大神ゼウスに事の次第を説明するためだ。
マルスがヘラに憎しみの目で睨まれ、ゼウスの感情の見えない目で見据えられ。ポセイドンをはじめとする他のオリンポス十二神に囲まれている中――アルケイデスは盛大に感動していた。
「おおお、ぉおぉおぉ!」
我が子である。待望の、と称すると語弊があるかもしれないが、四人目の。
地上に存在する実の息子の誕生に、彼は男泣きに泣いていた。英雄は感情の大きさもまた巨大。大英雄の感動の涙は波状となって波及し、周囲の者も涙ぐんで祝福した。
大粒の涙を流しながら実子ヒュロスを抱き上げて、天に掲げるようにして吠える。言葉にならぬ雄叫びに、疲労困憊のヒッポリュテも微笑んでいるようだった。
「私にも……抱かせてくれ……」
「ああ、勿論だッ」
ヒッポリュテも初の実子に感極まっている。腕の中に収まる小さな命に、慈母の微笑みを湛えてヒュロスと名付けられた我が子に頬を当てた。
元気な泣き声を上げ、疲れて眠ってしまったヒュロス。しわくちゃで、可愛らしさはない。それでも誰もが愛らしい寝顔だと思った。
アルケイデスは未だに泣いている。こんなにも涙脆い男だと誰が思っただろう。しかし情けないと思う人間は存在しなかった。怒りに支配されていない場合、戦場でもない限りは常に物静かな物腰の男だったが、その内面は非常に涙脆い一面もあったのだ。アルケイデスはどこまでも人間なのである。
――心に焼き付いた、絶望の原風景。しとしとと降り注ぐ雨粒と空を燃やす朱い炎。慟哭する幼い悲鳴。愛していると笑む、女の
はじまりの悲劇から漠然と懐いていた、二度と子宝に恵まれない、恵まれてはならないという思いは決壊している。蹲って男泣きするアルケイデスの肩に、テラモンは笑いながら手を置いて慰めた。
そしてようやく落ち着くと、涙を拭い立ち上がってテラモンと熱い握手を交わす。
「――すまない。情けないところを見せた。久し振りだな、テラモン」
「情けないわけがあるか。ヘラクレス、我ら一党の偉大な首領よ。同じ父親となったわたしには、貴殿の気持ちがよく分かる。ははは、わたしもアイアスは、目に入れても痛くないぐらい可愛くて仕方ないんだ」
テラモンは満面の笑みで、愛らしい女児を抱く乳母に手招きし、渡された我が子を腕に抱いた。「抱いてやってくれ、名付け親は貴殿だ」テラモンにそう言われ、無意識に抱こうとしたアルケイデスはハッとした。
今の自分の手は涙に濡れ、汗に塗れ、大変不衛生で不浄である。産まれてまだ一ヶ月ほどだという女児を抱くに相応しくない。そこでアルケイデスは自身の鎧の外套を外しそれでアイアスを包み込んだ。この外套が含有する神秘濃度ならば、外界の粉塵如きで薄汚れる事もない清潔なものだからだ。その上から抱き上げて、女児の瞳を覗き込む。
「ぁぅ、ぁー」
「……可愛いな……」
「だろ? ははは、わたしの子は世界一だ!」
テラモンは上機嫌に笑った。アルケイデスの顔に小さな手を伸ばし、ぺたぺたと触れてくる女児は笑顔である。無色透明、穢れないの無垢な瞳と純粋な花のような笑みに、アルケイデスは声もなく抱き続けるしか術を知らなかった。
魅入られて動かないアルケイデスにテラモンは苦笑し、寝台で上体を起こしている戦御子ヒッポリュテに歩み寄る。
「ヒッポリュテ、貴殿とも久しいな。壮健だったばかりか、本懐を遂げるとはさすがはアマゾネスの戦士長。貴殿の子をわたしにも抱かせてほしい」
「ああ、世話になった、テラモン。貴様も男を上げたらしい。いい面構えだ。我が子を三番目に抱く栄誉を許そう。お前だからだ、特別だぞ」
「はっはっは! これは光栄だ! ……むっ、そうだ。ものは相談なんだが、貴殿らの子とわたしの子は共に男児と女児。しかも産まれた歳が近い。これもなにかの縁だ、ここはこの子達を許嫁同士にしないか?」
「悪くない。私は構わないぞ」
即断即決の女、ヒッポリュテ。斯くしてテラモンの思いつきから、英雄旅団の次代頭目とその右腕は、こうしてその関係を決定された。無論、それに反対する者はいる。
メディアだ。転移の予兆の魔力が場に満ちて、召し物を替えて帰還したメディアは、ちょうどその話を聞くなり声を大にして言った。
「テラモン様!? そんな! 勝手にお決めにならないでください!」
「おお、メディア。どこに行っていたんだ。この子はオマエの友のヒッポリュテの息子だ。オマエも抱いてやるといい」
「え? あ……ヒッポリュテ? え、ええ……」
ヒュロスを押し付けられ、咄嗟に抱きとめたメディアは、その愛らしさについ笑みを溢してしまう。ヒッポリュテが久し振りだと言うと、メディアは困惑しながらも友人との再会を喜んだ。
が、すぐにハッとする。ヒッポリュテに断りを入れて、直前のやり取りを覚えていたメディアは眦を釣り上げた。ヒュロスを抱いたまま、厳しい表情でテラモンに振り返り詰問――
「あなた様! 勝手に私の娘の結婚相手を決めないでください! 確かにアガタはテラモン様のお子です」
「アガタではなく、アイアスだ」
「アガタなんです! 私にとっては! この子は私の子供でもあるんですよっ! いいですか、この子の旦那になるのは優しくて、線の細い、知的で文化的なぁぁああ!?」
――しようとして。メディアはあられもない悲鳴を上げた。
気づいてしまったのだ。アルケイデスの存在に。腰が引けて、涙すら浮かべてしまいそうになりながら、メディアは恐怖と共に驚愕の声を上げる。
「へっ、へっ――ヘラクレしゅぅうう!! ななな、なななにしてるのよぉ!?」
出産の場で鎧姿でいる戯けではない。甲冑を脱いでいる彼は、微風の薫る草原のように爽やかな表情だった。メディアがやって来たのに、転移してくる前から察知していた彼だったが、コルキスで別れるまで感じていた居た堪れなさはない。むしろ
メディアは動転してアルケイデスに駆け寄った。有り得てはならない事態に、彼女は束の間、心的外傷を忘却していた。
アルケイデスが最高級の宝具で自分の娘を包み込んでいたのだ。それが意味する所を彼女だけが理解している。してしまっている。我が身の恐怖を満身から放逐したメディアは急ぎ、アルケイデスから我が子を取り戻す偉業を成し遂げる。ヒュロスをアルケイデスに押し付け、自身の娘を己の胸の中に取り戻したのだ。
大英雄は困惑する。鬼気迫る王妃の狂態、その理由が解らぬまま己が子を獅子の外套で包んで抱いた。
「ぁ、ぁあ、ああああ!?」
愛娘の体を探知したメディアは、その優れた魔術的眼力で見抜いてしまう。
獅子の外套に、よりにもよって赤子が、慈愛を以て抱かれていたという状態により、その体質が常人の其れより外れてしまったのだ。
すなわち、アイアスは。現在アルケイデスの腕の中で、外套に包まれているヒュロスと同様――その柔らかく脆弱な
人理を弾く特性はない。しかしアルケイデス渾身の一撃に耐え得る頑健さを保有していた金獅子の神獣の体質を、二人の赤子は得てしまったのだ。宝具の担い手アルケイデスの手で、外套で包まれ赤子が抱かれる。それによってのみ発現する特質だ。
柔肌はそのまま。しかし埋め込まれた因子は、メディアを以てしても取り除けない。成長するにつれ――その肉体が完成に近づくにつれ――金獅子という神格保持者ほどの硬度は発揮できないにしろ、全力のアルケイデスと正面から殴り合い、二発、三発は耐えられる強靭な五体を獲得するだろう。
避けられない、戦士として破格の才能を、後天的に手に入れてしまった。アイアスとヒュロスは、類稀な戦士として勇名を馳せる未来を約束されたのだ。
メディアは恥も外聞もなく泣き出してしまいたくなった。くしゃくしゃに美貌を歪めて、アイアスという愛娘の未来を偲ぶ。彼女の脳裏に金髪のアルケイデスのような女がマッスルポーズを取って歯を光らせている娘の姿が去来して、一気に気が遠くなった。
「!? メディア!」
ふら、と倒れたメディアを、テラモンは咄嗟に抱き留める。アイアスが落ちてしまわないように支えながら。
アルケイデスは当惑する。ある意味で悪化している、メディアの自身への態度の訳が解らない。腑に落ちなかった。どうしたものかと眉を落とし、ヒッポリュテを見るも、ヒッポリュテも寝台の上で首をひねっている。
とりあえず解ったのは、これからも変わらず、メディア個人とは距離を置いたほうがいいということ。アルケイデスは嘆息した。ここまで大袈裟に疎まれるのは辛いものがある。自業自得ではあるのだが、培ってきた性格などが崩壊する程に錯乱する王妃を見ては、ある程度疎遠でいる方がいいと判断せざるを得ない。
こうして、『獅子の軀』ヒュロスが産まれた。これから一年後、長女の『獅子の腕』アレクサンドラが産まれる事になる。
アルケイデスとヒッポリュテがサラミス島に滞在した七日間。メディアとヒッポリュテは久闊を叙し。アルケイデスは度重なる憤怒の魔女の襲撃を受け続ける。
度重なるそれらを片手間で打ち破られ、その度にメディアは痴態を晒してしまい、その一連の流れが喜劇のようで。後々にこの逸話が喜劇として演じられる事になるとは、現在のメディアは夢にも思っていなかった。
――英雄夫婦は我が子と共に、仲睦まじく連れ添いながらアルゴスのミュケナイに帰還する。十二の試練、その最後の儀が決まったというエウリュステウスの報せがあったのだ。
帰国した彼らは、しかし首を捻る。
イオラオスとアタランテが、帰ってきていない。
しかし信頼がある。あの二人がそうそう遅れを取るはずがないのだ。何があっても逃げ帰るぐらい容易いだろう。
噂を聞くところによると、彼らは結ばれているらしい。新婚旅行にでも出たのか。善き事である。祝いに行きたいところだが、勤めから逃れるわけにもいかない。早々に終わらせてしまおうとアルケイデスは思った。
その判断が、アルケイデスの生涯に於ける黄金期、その終焉を齎すと露ほども思い至らず。
次回、最後の試練。