ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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予告しておきます。
生前編が終わるとsn編。
それが終わると完結。fgo編? 知らない子ですね……。
以前の妄想はさておき、気が向けばやらないこともないかもしれない。やるとしたら第三特異点の後から、かな……?
超長編ですが、よろしくです。生前編はもう残り四分の一程度。いよいよ本番が近づいてないこともない。



11.1 サラミス島の喜劇 (上)

 

 

 

 白い閃光が奔る。

 彗星の如く瞬き、閃いて消える無繆の白光。

 対峙する幻影の人型、その架空の眉間を貫く軌道は神速の残影である。影を置き去りにする槍筋に揺らぎはなく、槍突を戻す引き手は眼にも留まらない。

 

 半刻に亘り続いた演武は佳境に入る。一瞬のみ膨れ上がる鬼気。仄かに漏れた殺気は担い手の“意”を追い抜いていた。身に積んだ武練が“意”に先んじる神域の武――疾走する槍が穿つは幻影の急所。

 眉間、喉、水月、槍の極みが三連する。一代を以て組み上げられた神武の流れは、しかして初代を以て潰えるだろう。後に継げる者のない人智を凌駕した武芸――三連した槍の軌跡が不意に揺らぎ、一槍を繰る一動作に九連する極みの槍術。

 その神業は回避不能。その豪腕により防御不能。剛と柔が高次元で合一した無双の武術は、単純な研鑽のみで到れるものではない。ただ一人からなる神話、人類の特異点とも言える規格外の器と才幹が必要不可欠だった。そして膨大な経験と技の研磨によって到れる唯一の領域こそが彼の立つ境地。一つも欠けてはならぬものが融合した奇跡の結晶こそが、戦闘の化身マルスをして最強の人類と称する魔槍の担い手である。

 

「……鈍っているな」

 

 そして。事もあろうに神槍の技を披露した超人は、そんな感想を不満げに溢した。

 槍を振るわずにいた歳月は数年。ヘパイストスより剣と弓を授かって以来、錆びつかせていた技である。これを磨き直すために槍を振るったのだが、彼は満足していなかった。

 

 『神域の武』程度ではダメなのだ。アルケイデスの意識は高い。彼が仮想敵とするのは戦神マルスなのだ。故に全く以て不足である。己に求める水準は更にその先、最低限度で神域の極みにある。奥義である『射殺す百頭』を転用し槍術に用いてみたが、そのキレにも満足できない。槍の薙ぎ払いの軌跡、総てが無数に連なる刺突として見舞える技量の位階がアルケイデスの基準値である。

 仕方がない。鍛錬せねばならないだろう。錆びついた槍術を、剣術と弓術と同等まで引き上げる必要がある。そうしてはじめて槍術は求める水準を満たすだろう。武芸百般余さず極めてこその戦士であり、己が体現する英雄像に苦手な武術など有り得てはならないのだから。

 

「それで不満げにする者などお前ぐらいなものだ、アルケイデス」

 

 酒杯を手に苦笑してヒッポリュテが云う。彼女もまたアルケイデスと同じ槍を所有していた。とは言っても、長槍の尺度は担い手の身の丈に合わせて異なるのだが。

 

 ――其れは蒼き海嘯の獣の頭蓋骨から削り出し、鍛冶と火を司る神が鍛造した新たなる得物だ。海神の権能、地震と操水の異能を有する宝具。真名を解放すれば、半権能の域にある力を発揮するだろう。

 げに恐るべきは、巨獣の生命力とヘパイストスの鍛冶の業である。心臓を極槍に貫かれ、手足と尾を切断され、その五体は余さず解体され尽くした。頭蓋を削られ、果ては武具に形を変えられながらも、生命の宝庫と云える海の化身たる獣は()()()()()()()のである。

 生きながらに解体された魔槍の憎悪は筆舌に尽くし難い。骨髄の色彩を持つ白亜の槍は、不気味に脈打っていた。三人の怨敵への憎悪を増幅させられた槍は、擲たれたとしても怨敵の挑発を受ければ担い手を穿たんと飛翔するだろう。即ち投げ放っても白槍は紛失しない。怨敵を殺す本懐を遂げるまで、魔槍が息絶えることは決してない。

 

 アルケイデスの演武がおこなわれたのはトロイアの王城、その宮殿である。

 

 報酬として神の獣の骸を貰い受けたと言って、さっさと退散しようとしたところ、ヘクトールが「返し切れねえ恩義を受けたってのに、これでお別れしちまったらトロイアの評判が地に落ちちまう。せめて少しはお返しさせてくれ」と引き止めてきたものだから困った話だった。

 国を挙げてのパレードにはじまり、飲めや騒げやの宴会を開かれてしまった。本当なら供された酒でも飲みたいところだったが、この後すぐにでも本来の予定地であるサラミス島に向かう気でいたので泣く泣く遠慮したところである。ヒッポリュテは遠慮なく酒を呷っているが……。

 そして折角だからとヘクトールがアルケイデスの演武を所望した。まあいいだろうと軽い気持ちで受け入れ、魅せてやったところ。居並ぶ文武百官とトロイアの王、その妻子と近衛兵は絶句してしまったのだ。そしてヘクトールは曖昧な表情で苦笑している。

 

「さて、槍の極みを見たいと言ったが、これで満足か?」

「……いやぁ、はは……」

 

 ヘクトールは乾いた笑みを溢す。

 

「参考にしたい、って思ってたわけだが……こりゃ無理だ」

「無理ではない。肉体的な問題で再現できぬ、到れぬものはあるだろう。だが技とは己に合うものを選び、合わぬものを削り、自身に最適化していくものだ。貴様は今の己と私を比較しているのだろうが自惚れるものではないぞ。生きた年月、積んだ経験が違うのだ。今の貴様には無理でも、五年後、十年後の貴様ならできることもある。若人よ、己の未来を諦めるな。貴様の才ならば必ずやある種の境地に到れる」

「高く買ってくれて嬉しいね、俺も捨てたもんじゃないってことか」

 

 危うく自身の武才へ見切りをつけるところだったヘクトールだが、言われてみて比較対象のマズさに気づき微苦笑する。

 大英雄ヘラクレス。彼は今三十二歳だという。戦士として最も脂の乗った時期だ。そんな彼よりもヘクトールは十歳近く若い。彼の言う通り十年間みっちりと鍛錬を積めば今の己では想像できない技量を手にしているかもしれなかった。むしろ今は彼の最強にこうまで言わしめる自身の才覚を信じるべきだろう。

 頷いてヘクトールは酒を呷る。そんな彼を横に、自身の隣の上座にアルケイデスの席を設けたトロイア王ポダルケースは不安げに言った。

 

「……しかし、この程度のもてなしだけでよいのか、ヘラクレスよ」

 

 彼は不安だった。英雄という人種を知る王である。

 大した見返りもないまま、帰しても怨まれないか不安で仕方がない。表向き報酬は要らないと言っても、実は期待している部分があり、その期待を裏切ったと怨みを持つ人間がいるのもまた事実。彼は王であり凡人である、故に無償の救済など信じられなかった。

 本当はもっと豪勢にもてなし、金銀財宝を贈り、奴隷を譲らねばならないのではないかとぐるぐると考え込んでいる。それにアルケイデスは笑った。嫌味はなく、莞爾とした会心の笑みである。

 

「案ずるな、トロイア王。私にとって、こうして貴殿やトロイアの王族、重臣らと直接縁を結べたこと自体が報酬に等しい。あらゆる金銀財宝も、この縁を前にすればはした金だ」

「……それはどういうことだろうか?」

「なに。私は近い将来、必ずや王となる。その時に豊かなトロイアと縁故があれば、それは何物にも替えがたい宝となるだろう。国交を結び、交易し、互いの国を富ませ、同盟国として軍事協定を結ぶ――そうであるならここで法外な要求をする行為などは百害あって一利なしだ。そうは思わぬか、トロイア王」

「――おお、なるほど。そういうことだったか」

 

 露骨に安堵したポダルケースは、アルケイデスが本当に王に成るのだと信じて疑うことがなかった。それは他の臣も同様である。

 それは分かりやすい利益の話だったから。今は絵に描いた餅だが、アルケイデスの卓越した強さと、英雄としての名声の高さはよくよく思い知っている。あの恐るべき獣を討つのに主役を張った男だ。やり遂げるのは疑いようがない。

 王となった後のためのコネクションの構築。壮大でありながら現実味があり、ポダルケースの不安は解消された。彼はトロイアの豊かさを知っている、故にアルケイデスがそれを当てにした縁を得られたと喜ぶのは理解できる話だった。

 

 真意を悟っている者など、トロイア側ではヘクトールと――未だ幼いが聡明な彼の妹のカッサンドラだけである。

 

 ヘクトールは単に、アルケイデスの人柄を知った。彼が本当に無欲な人物で、海嘯の獣から得た武具で満足していることを。そしてポダルケースを安心させるための方便として、分かりやすい利を切り出したことを悟っていた。だから笑うしかない、アルケイデスはポダルケースやトロイアに仕える臣を安心させるために方便を言った優しさがあるが、本当に王に成ってしまうのだろうという確信を持っている。その場合、アルケイデスが優しいだけの人物ではないと読み取れて、武力一辺倒の英雄ではないと洞察できるのだ。

 

(食えないオッサンだな……)

 

 後に自分が、最速の英雄に同じことを思われるとは欠片も想像していないヘクトールである。

 

 ――そしてだからこそ、幼い身でヘクトールと同じ結論に至った幼姫カッサンドラの聡明さは群を抜いていた。

 

 齢十にも満たない彼女はアルケイデスと言葉を交わしていない。ここで見聞きしたものが総てである。それだけでカッサンドラはアルケイデスの真意と未来予想図を克明に思い描けた。

 この時のカッサンドラは、まだアポロンより予言能力を与えられていないにも関わらずだ。その人物鑑定眼と知性が飛び抜けているのは疑う余地がないだろう。

 

 派手なもてなしに喜ばない英雄。王の身内だけを集めさせて小ぢんまりとした宴会を開かせた英雄。父王が不安がっていて、それを払拭する利をわかりやすく提示した英雄……そしてそれを眺める敬愛する兄の目の色。

 アルケイデスは本当に報酬を無用と考えていること。兄ヘクトールが、アルケイデスが王になると言った言葉になんの反応も示さなかった故に、本当に王に成るのだろうと考えつけてしまう。少ない材料で論理を構築し、優れた知性が生む直感が確信を懐かせている。紛れもない予言の力の下地が彼女にはあった。アポロンより予言能力を授けられた直後、即座にそれを使い熟せる知能の高さが幼い身に宿っていたのである。

 

 故にのほほんと、赤みを帯びた髪の少女は構えていた。特に関わろうともせず、アルケイデスを興味深げに観察するだけに留めている。

 大人たちは女で、子供である自分が出しゃばればいい顔をしないと知っているから。そんな自分に対して唯一まともに相対してくれる兄ヘクトールを敬愛しているから。彼女は淑やかに沈黙を選ぶ。

 

 アルケイデスと、カッサンドラ。特異な彼らの意志が交錯する時こそが、終わりの始まりを告げるのである。ただ今はまだ、その時ではない。

 

「あー、元はと言えば俺の槍はヒッポリュテ、あんたの物だった。試練を超えたからって貰うばかりってのも後味が悪ぃ。アマゾネスの誇り高き戦士長、あんたに贈り物がしたい」

 

 ヘクトールは笑ってそう言う。それは強かな計算だ。アルケイデスの妻だという女に贈り物をし、より強固な結びつきを得ようという。

 それが分かっているのか、ヒッポリュテは凛々しい表情を澄ませ、わざとらしく驚いてみせた。

 

「貴様は私の試練を超えた。なのに代価を支払うというのか?」

「ああ。ただ槍を貰っただけじゃねえ。鍛冶の神に俺専用にオーダーメイドまでしてもらっちまったんだ。対等じゃねえだろ?」

「ふむ。なら有り難く受け取ろう。王子ヘクトール、いや兜輝くヘクトールか? 気持ちだけでも嬉しいが、くれるというなら貰い受けよう」

「よしてくれ。その二つ名をあんたら夫婦に口にされたらこっ恥ずかしいだけだ」

 

 意味深に言い合い、その実ヘクトールが極めて深く感謝しているのは本当だった。

 ヒッポリュテとアルケイデスは、好感を持つに値する。もしもヘクトールが王子でさえなければ、彼らに付いていきたいと思ってしまうほどに。

 計算はある。しかし彼らとの友誼も結びたい。故に彼は惜しげもなく差し出すのだ。トロイアと、将来の同盟国の結びつきのために。

 

「俺の馬……ゼウスからトロイアに授かった神馬を譲る。聖鹿を持つヘラクレスには無用だろ? そして聖鹿ほどではないにしろ、神馬があれば並んで駆ける脚には困らないと思うぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはいい、いいな! 最高だ!」

 

 ヒッポリュテは自身の愛馬に思い入れはある。しかし戦士でもある彼女は、名馬に対して目がなかった。ヘクトールに譲られた神馬の代わりに愛馬をトロイアに贈った彼女は、神馬――荒野(エレーミア)と名付けた白馬に跨り、ケリュネイアに騎乗して駆けるアルケイデスと並んでいた。

 ケリュネイアに乗ったアルケイデスに追い縋るのはこれまで不可能だった。飛び抜けて脚の速いケリュネイアである。牝鹿ほどとはいかずとも、ある程度は拮抗できる駿馬を手に入れたヒッポリュテはご機嫌だった。

 体に感じる風が心地好い。何より新たに愛槍となった得物と同色の白馬というのが、彼女の琴線を刺激している。敢えて言えば極めて気に入った贈り物だ。

 

 機嫌のいいヒッポリュテの様子にアルケイデスは頬を緩める。そして面白くなさげなケリュネイアに気づいて囁いた。

 

「私は分かっているぞ。お前が一番速いと。だからそう腹を立てるな」

(………)

 

 そういうことじゃないと言いたげに頭を振る牝鹿に微笑する。

 アルケイデスとしても、ある程度ケリュネイアに追随できる騎獣をヒッポリュテが得たのは嬉しい誤算だった。

 何せ移動時間が大幅に短縮できるのだ。時間は有限、時間は資源である。流れた時間は戻らないのだから、貴重なそれを短縮できるのなら喜ばしい限りだろう。

 

 一路、テラモンの待つサラミス島を目指す。

 だいぶ待たせてしまっている自覚はあった。仲間が子供をもうけたという。テラモンとその子に会えるのは喜ばしい慶事である。

 メディアもいるらしいが……流石に数年もすれば自分に対する苦手意識も薄まってくれているはずだろう。

 

 ――同刻、カリュドンの地で、イオラオスとアタランテが、カリュドンの猪狩りに参加していることなど露ほども知らず。

 

 アルケイデスの前途は拓けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、メディア()は刻の涙を見る。
布石も打ち終わったのでサクサクいくぜぇ。

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