ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
ギリシアという
大地母神でありながら天をも内包する女神、ガイアが産み出した究極の怪物テュポーン。彼の者が母神の命令に応じて地上を暴れ回り、天に突撃して全宇宙を尽く破壊し尽くした時、多くの神々が恐怖に駆られ動物に変身し逃げたのだ。
その錯乱ぶりは、下半身と上半身が別々の動物に変身したまま逃げる神などがいたほどであり、その不格好な姿で逃れた先がエジプトである。故にエジプトの神々は動物に近い姿なのだという。
しかし同時代、同じ星のエジプトという地域に於いては、そんな間抜けな事実は存在しない。
ギリシアにて語られるエジプトの事実と、エジプトにおける神話の事実は全く異なるのだ。そも、同時代のギリシアでは未だテュポーンは眠ったままであるのに、エジプトには既に土着の神々が存在している。
この差異は如何なるものか。真実は単純明快であった。
すなわち、ギリシアというヨーロッパの地域の
故に崇める神が、語られる物語が違う。紡がれる歴史が異なる。
ヘラクレス――アルケイデス――がギリシア世界のテクスチャを渡り歩き、エジプトという地を歩んだところで、彼が異なる神話世界に足を踏み入れることはまずないことだと云える。これがなんの力もない極一般的な人間であったなら、折り重なった
しかし『ヘラクレス』という英雄には普通は無理な話だ。何故なら彼はギリシア世界きっての大英雄。ギリシア神話第四代『英雄の時代』の『英雄の種族』なのである。本来ならその性質はギリシア神話というテクスチャの中にしか存在し得ないはずだった。
だが――『ヘラクレス』は。ギリシア神話最大の英雄にして、人類史編纂に於いて欠かすことの出来ない子孫達の祖である男の影響力は、一つのテクスチャに収まりきらぬほどに巨大にして過大に過ぎた。世界各地を旅し、様々な逸話を打ち立てる彼は、どだい一つの神話という枠組みに収めるには大きすぎる英雄だったのだ。
その証として、インドにおける執金剛神――金剛手、持金剛神とも称される、仏教の護法善神が挙げられる。この金剛杵を執って仏法を守護する執金剛神は『ヘラクレス』であるという。異なるテクスチャにまで、彼の存在は語られてしまっているのだ。つまり彼だけは、地球という惑星に折り重なる多種多様な神代という織物の中で、他の神話に息吹を波及させ得る規格外の英雄である証左であろう。
故に。
彼がインドという世界にその存在を刻んだように、異なる世界線のヘラクレスとは違う行動を取ることで、異なる神話へとその足跡を残すことは充分に有り得ることだという証明となる。
ヘラクレスという称号をそのままに、アルケイデスという異形の精神を持った人間の英雄が、欲するところを変えたのなら――彼は出会えてしまう。
異なるテクスチャに生きる英雄たちと。異なる伝承と物語と。史実に記される、偉大な戦士や王たちと。
彼は、邂逅している。輝ける同行者の同伴がない故に、非常に記録は少ないが、確かに彼らは出会っていた。神代の終焉が近づいていた古代ペルシャに於いて、神代最後の王に仕えていた孤高の戦士と。女神アールマティの加護を受けし弓兵、アーラシュ・カマンガーと、ヘラクレス・メガロスは確かに出会っていたのだ。
東方の弓兵の代名詞がアーラシュならば、西方の弓兵の代名詞とはヘラクレスであると、対等に語り合った彼らを指して称する声は
自身がエジプト王ブーシーリスを狙撃し、暗殺したことで起こるだろう混乱を予測したヘラクレスが、エジプトの混乱を鎮め、その地を統べる新たな王を探し求めたことで――エジプトの
その少年の名はラー・メス・シス。ラムセス。後に王位に就いた時、ラーの
二十四歳にしてファラオとなる彼の、若かりし頃。御年十七歳、意気軒昂にして気宇壮大、万物万象を手中にありと謳う端睨すべからざる少年である。
ギリシア世界に決して小さくない影響を及ぼす運命的な邂逅は其処に。輝ける同行者を筆頭とする仲間達とはぐれた、ヘラクレスの空白の半年間はその少年との日々であった。
王を探す巡礼である。
だがしかし、アルケイデスに悲愴な覚悟はない。
あのような愚王の代わりなどすぐに見つかる、なんて楽観視しているのではなく、善き王を見つけ出せば彼の地のことを伝え、統治を頼めばいいと考えていた。
いや、これは楽観しているのだろう。善き王がいるとは限らない。なんとなれば、奉じる戦神に願い、エジプトの王たれる者を示して頂くしかないかもしれない。
後悔してはいない。自身を含む旅人を、あの王は生贄にしていたのだ。悪質な詐欺に引っ掛かってのこととはいえ、それは赦せるものではない。またその王を諌めもしない臣下もまた、王の不在の間の苦難は甘んじて受けるべきだとも思っていた。
その心情を知れば、イオラオスやテセウスなどは『それは強者の傲慢だ』と窘めていたかもしれない。弱者である民草や凡俗の家臣らに、絶対者である王に諫言するのはかなり勇気のいることなのだ。もしもアルケイデスがそう指摘されていたなら反省しただろう。彼はどこまでも強者であるが故に、弱者の視点からの物の見方は少しズレているところがあると自覚はしていたから。
ケリュネイアに乗ってエジプトの地を駆け回る。
――そんなアルケイデスは、次第に楽観視ができなくなりつつあった。
(いない……)
そう、いないのだ。
(王たりえる者が、いない)
ブーシーリス程度の、詐欺に簡単に掛かる愚王の代わりなどいる、と思っていた。あるいは彼よりも優れた者など幾らでもいると。
それがいない。アルケイデスは焦った。下手な者にあの地の後を任せるのは、また同じ事がある可能性がある以上は看過できない。だから王に相応しい人物を探しているというのに。エジプト各地を回り、様々な王と会い、民から話を聞いているのに、目星がまったく立たない。
此処にきて漸くアルケイデスは己の短慮を悔いた。エウリュステウスほどの王、とは言わない。アイエテス、テラモン、テセウス、イアソン。彼らと同等の王を、とも言わない。
だがせめて、平穏に国を治められる王を探しているだけなのに、それが影も形もないのである。さしものアルケイデスも焦燥に駆られた。
なんとかしなければ、と責任感の強いアルケイデスは蟻一匹すら見分けるほど真剣に――切実にエジプトを巡って。
彼は、自分が何かの境界線を越えてしまった感覚を覚える。
無論それは言語化できる感覚ではない。未知のものだった。だが何かを踏み違えた感覚だけは確かに理解した。
酩酊したような、目の眩み。ケリュネイアが苦しげに呻いた。
そして空気が一変したのに、目を剥いて静かに驚愕する。
オアシスだった。砂漠の地で人を潤す奇跡の泉があった。一瞬前までなかったはずのそれに、アルケイデスは魔術師や神の仕業かと疑った。
辺りを咄嗟に見渡し、彼は泉の近くで寛ぐ二人の少年を見つける。
生気の溢れる端麗な顔立ちの、黒髪の少年だ。
そして彼と和やかに談笑している、柔らかな白髪と色素の薄い肌、意志の強さを宿した眼が印象的な少年。
彼らこそ、オジマンディアスとその兄弟、モーセである。アルケイデスが気づいたのに一瞬遅れ、彼らの眼がアルケイデスに向けられた。
オジマンディアス――今はまだラムセスと呼ばれる少年と眼が合った時、アルケイデスは自身の体に電流が奔ったかのような錯覚を覚える。そしてラムセスを庇うように、さりげなく立ち上がった少年モーセに、聖者の威風を感じた。
近い将来、確実に大成する。その確信に、アルケイデスは確かに喜んだ。
またも、はたけやま氏に支援絵をいただきました。
今度はイオラオスくんです。
【挿絵表示】
はい、美少年……。
これは食われる(確信)
作者の印象としましては、まだイオラオスくんがアルケイデスに同行しはじめたばかりの頃だと感じました。
こんな彼が、今や身長も伸び、細マッチョ化し、アタランテとアオハルしてるかと思うと……(血涙
リア充は爆発するべき。だから何があってもそれは私怨ではない!!!
はたけやまさん、この場を借りてもう一度、ありがとうございました!