ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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6.2 アルゴノーツでの一時 (下)

 

 

 アルゴー号が波を捕まえ、張られた帆が風を掴んだ。

 後は櫂を漕ぐまでもない、海と風の流れに任せれば、コルキスへの航海の途上にある最初の中継点『レムノス島』に到達するだろう。

 アルゴノーツの一員である預言者の一人イドモンがそのように予言する。件のレムノス島にまでは、遅くとも半日もかからずに辿り着くだろうと。ただその後の出来事についてはまだ分からないと、何故か鼻の下を伸ばしながら言った。

 一言で言えば助平親爺の顔である。だらしないったらない。良い歳した中年親爺が。

 

「突然すまん。ヘラクレス、折り入って頼みがあるんだが……」

 

 訝しげにイドモンの様子を窺っていたヘラクレスに、アルゴー号の甲板から声を掛けてきたのはヘラクレスよりやや年配の男だった。

 年の瀬は四十代手前だろうか? 一般的な勇士の纏う青銅の鎧とマントを羽織った、歴戦の風格を漂わせている。浅黒い肌に黒い髪と無精髭、厳つい風貌に反して穏やかな眼をした彼は、甲板から船首で風に当たっていたヘラクレスに近づいてくる。

 自分が有名で傍目に見ただけで名前を知られようと、こちらはそういうわけにはいかない。ヘラクレスは誰何する。

 

「名は?」

「サラミス島の王テラモンだ」

「………」

 

 何故に王がアルゴノーツに加わっているのか……。

 アドメトスもそうだが、王が国を空けて冒険に出るなどヘラクレスの感性では信じられない。微妙な気分になりながら、早くも船旅に飽き始めていたヘラクレスは暇潰しのために話に応じることにする。

 

「……いいだろう。無聊を慰める手段が思いつかずに悩んでいたところだ。貴様の頼みとやらを聞くだけはしてやろう」

「感謝する」

 

 我ながら一国の王に対する態度ではないと思ったが、テラモンの人柄を図るには丁度いい。様子を窺いながら言うと、テラモンは至極あっさりと王に対するには無礼な態度を受け入れた。

 自覚がなく興味も関心もない故に、ヘラクレス自身完全に忘れているが彼もまた王家に連なる者。ミュケナイ王国の正統な王者となる資格を持つと見做され、主神ゼウスの子でもある半神半人なのだ。彼の血筋と有する資格だけで、ギリシア世界に於いてほぼ総ての人間が目下の存在になるのである。加えて大英雄と称するしかない偉業の達成者でもあった。

 ヘラクレスの『無礼な態度で器を図ろう』という考えは破綻している。彼の態度は当然のものであり、それに反感を持つのは身の程知らずの愚か者だけなのだから。むしろヘラクレスのそれは鷹揚で余裕に満ちた、寛大なものであるとテラモンに認識された。なんと風格のある方なのだ……テラモンは敬意を持ってヘラクレスに礼を示す。

 

「貴殿には関わり合いのないことだが、わたしは妻を亡くしてな」

「む……」

「ああ、いや、気にしないでいい。悲しくはあるが割り切った。それよりもだ、困ったことに妻との間に子宝に恵まれなかったんだ。わたしに胤がなかったのか、妻が不妊の畑だったのかは分からんが……このままだとわたしの国を継がせるべき子がいないままになる。そこでわたしは新たに妻を娶ろうと考えているんだ」

「……断っておくが、貴様に宛てがえるような女に心当たりはない。私と縁戚になりたいのなら諦めるといい」

「そんな大それたことは考えてないぞ」

 

 そうは言うが、ヘラクレスは早くもテラモンとの会話を終わらせたくて仕方なくなっていた。

 妻を亡くした。だが割り切り、早くも再婚しようとしている。

 悪いとは思わない。テラモンのように割り切れないでいる己が女々しいだけなのだ。それに……妻メガラはヘラクレスの考え得る限り最高の女だった。どんな女を見ても、メガラと比べて一段も二段も格が落ちて見えるのである。

 メガラは美しかった。が、誰よりも美しかったわけではない。探せばいる程度の美、家庭的なところも珍しくはない。それでも……愛情補正か、思い出補正か……メガラは、どんな女神よりも遥かに美しかったと思っている。

 

 テラモンは気遣いのできる男だ。同時に他者の顔色を窺うことにも長けている。危機意識も高い。そんなふうに、心の動きに敏感な男だから、テラモンはヘラクレスが疎ましく感じつつあるのを悟る。(何かマズイことを言ってしまったか……?)テラモンは内心首をひねる。しかし折角話し掛けたのだから、変に話を流されては少し困る。

 あまり長々と前置きをしたら、ヘラクレスから追い払われるかもしれないと考えたテラモンは、早々に本題に入ることにした。

 

「前妻との間には子に恵まれなかったが、新たに妻を娶れば子を成せると思っている。しかしそれでも確実に生まれる確証はない。そこでヘラクレス、貴殿に将来生まれるかもしれんわたしの子の名前を考えて欲しい。男児のだ」

「……? 待て、まるで意味が分からんぞ」

「名付け親になってほしいだけだ。他意は……なくはないが、彼の大英雄が名付け親となれば箔がつくというもの。頼む、男児の素晴らしい名を考えてはくれないか? 生まれたら我が子に貴殿への恩義も語り継ぐ。わたしも貴殿に従おう。だから……頼むっ」

 

 テラモンは必死だった。

 

 彼は分かっていたのだ。前妻との間に子が生まれなかったのは、自身に胤がないからなのだと。テラモンは前妻と契る前より女の体を知っていたが、一度として子供を孕ませたことがないのである。

 どう考えても原因は自分だ。自分の子供は望めない。子孫が残せない。男として、王として、これ以上ない屈辱だった。

 そこでテラモンはイアソンのアルゴノーツに参加することを決意した。イアソンは女神ヘラのお気に入りだという。ヘラは結婚も司り、出産や妊娠などに関する権能を持つ娘達を持っている。イアソンに頼めば自分も子を授かれるはずだと考えた。

 

 しかしヘラクレスがアルゴノーツに参加したことで考えが変わった。

 

 ゼウスの子である。しかも人の身でありながら、神に匹敵する武勇を持つという大英雄でもあった。ならば確実にゼウスに気に入られ眼を掛けられているはずだと踏んだ。ヘラクレスがテラモンの子の名付け親になったとなれば、ゼウスは気を利かせて子供が生まれるように取り計らってくれる可能性はある。

 どうせ生まれるなら、ヘラよりもゼウスに子を授けてもらいたい。ヘラクレスに名付け親になってもらえるなら最高だとテラモンは考える。

 

 そんな打算を知りもせず、ヘラクレスは一応頼まれるまま思案した。こうまで必死に頼まれれば、名前の一つぐらいは考えてもいいという気になっている。三人の子供達の中で、自分で名前を付けたのは娘だけだ。息子達はメガラが名付けた。子を成す前に、男の子ならメガラが、女の子ならヘラクレスが名付けようと約束し合っていたから。

 故に男児の名を考えるのはこれが初。折角なら勇ましい名を考えてみよう。そうして思案することしばらく、ヘラクレスは重々しくテラモンにその名を告げた。

 

「……アイアスだ」

「っ?」

「貴様が子を授かったのなら、()()()()と名付けるがいい」

 

 おっ、おお! 声を上げて感激し、涙すら流しながら己に縋り付くテラモンに、ヘラクレスは曖昧な顔で慰める。大袈裟な男だと呆れながら。

 ――果たしてアルゴー号での冒険を終えた後のテラモンは、数年の後に大恋愛の末、子を授かった。その子供は後に英雄として名を馳せる稀代の盾戦士、七枚の花弁を咲かせし大アイアスその人であり……己の名はヘラクレスにつけられたものだと、生涯に亘って誇りとし続けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の男泣きに崩れ落ちたテラモンは、ヘラクレスに従うことを固く誓った。何かあれば呼びかけて欲しい、すぐに駆けつけて力になると。

 要らん、と言い捨てれば面倒臭くなると考えたヘラクレスは、これまた曖昧に頷くに留めた。意味不明なほど大袈裟でも感謝されて悪い気はしないし、彼に頼る未来がないとも言い切れない。縁と貸しは作っておくに限るかと、安い値札を心の中でテラモンに貼っておく。それなり以上に失礼な認識だったが、こと戦力計算に於いてシビアな価値観を持っているのがヘラクレスだ。

 死と隣合わせの乾いた死生観から来る冷徹さではない。単純に、純粋に淡白なのだ。これはヘラクレスが国家を単騎で傾けるのを容易としているが故の感覚である。国家の興亡を胸三寸で決められる暴力災害たる存在からしてみれば、テラモンに下した評価はまだ甘く優しいものだと言えるだろう。

 

「なんだ、また妙なことでも仕出かしたのかよ?」

 

 今度はカイネウスである。不敵に笑いながら声を掛けてきた男に、ヘラクレスはふと彼に纏わる噂を思い出した。

 先日アルゴー号の中で小耳に挟んだ程度だが、なんでもカイネウスは元女であるという。ポセイドンに強姦され、悲嘆に暮れていたカイネウス――カイニスは、代償としてなんでも願いを叶えてやると言われ、もう二度とこんなひどい目に遭わなくても良いように、自分を不死身の体を持った男にしてくれと願ったことで男になったらしい。それを嘲笑を滲ませながら語っていたのは……有翼のゼテスとカライスだった。

 

 悪意ある解釈かもしれない。本当はカイニスからポセイドンに願いにいき、体を差し出してから願いを叶えてもらった可能性もある。いずれにしろ胸糞の悪い気分になり、その場から離れたものである。不快な話を面白おかしく語るカライスの神経を疑った。奴ら兄弟とは仲良くはなれんなと見限った瞬間でもある。

 

「さてな……子供の名付け親になってもらいたいと頼まれ、名を考えてやっただけだ。ああも喜ばれてはこちらの方が困惑してしまうが……」

「へぇ? 煩わしいってんなら無視すりゃよかったじゃねえか。なんだかんだ暇なんだな、大英雄様はよ」

「煩わしいのは貴様だ。……()()を消せ。それとも私の無聊を慰めに来てくれたのか?」

 

 カイネウスから感じられる隠された殺気を言い当てる。するとカイネウスは獰猛な笑みを溢した。ニヤニヤとした品のない笑みに、ヘラクレスはにこりともしない。

 本気で煩わしいだけだ。挑発のつもりなのだろうが――生憎と。子猫に牙を剥かれたとて、本気で怯えたり警戒する獅子はいないだろう。柳に風と涼し気な顔を崩さないヘラクレスに、カイネウスは殺気を漂わせながら肯定した。

 

「応よ。オレも暇でな、天下無敵の最強さんの力が見たくなっちまった。ちょいと運動に付き合わねえか?」

「運動か……」

 

 鎧を外して甲板の真ん中に立ち、上半身裸で手招きするカイネウスに対してヘラクレスは思案する。にやついた顔には、初日の自分の怯えで忘れていた不死性を思い出しての自信が貼り付いている。ヘラクレスは溜め息を吐きたい気分だった。

 

「……いいだろう。相手をしてやる」

 

 ヘラクレスはカイネウスの驕りを的確に見抜く。憐れにさえ見えた。仮染めの不死だけが自信のもとであるのは軽薄で、神様から恵んでもらった力で得意になっているのは滑稽である。

 才気はあるのだろう。だが飛び抜けたものではない。

 鍛錬はしているのだろう。だが歴戦の猛者には届かない。

 不死身ではあるのだろう。だが――幾ら不死身でも、無敵ではない。

 少し教育してやろう、とアタランテに近しい年頃の若者に対して、ヘラクレスは意図的に年長者として振る舞うことにした。そんな義理はないが、放っておけばその傲慢さで身を滅ぼすだろうと確信したからである。

 

 鎧を脱ぎ、上半身を晒すと、カイネウスは口笛を吹いた。健康的に日焼けした肌には満遍なく筋肉が張り詰められ、左肩には獅子神王の牙の痕が残っている。

 気負わずとも漲る力の波動に、カイネウスは本能的に畏怖を懐きながらも、どこかで惹かれる自分がいるのを無視して強気に笑ったのだ。

 何事だと仲間達が集まってくるなり、二人を囲んでくる。イオラオスが書物にペンを走らせているのを横目に見つけて笑ってしまいそうになるのを堪えた。

 人だかりが出来ていく中、カイネウスが言った。ヘラクレスは肩を竦め、返す。

 

「知ってるかもしれねえが、オレは不死身だ。手加減は要らねえ。オレは殺す気でやるぞ」

「構わん。貴様に()られる私ではない。ついでに遊びも交えてやろうか」

「あぁ? 遊びだぁ……?」

「貴様は弱い。傲り高ぶる前に、その鼻を圧し折ってやろう。――貴様が疲れるまで存分に打たせ、その後に私は一撃のみ反撃する。丁度良いハンデだと思わないか? 壁を知れ未熟な戦士よ」

 

 腰を落として戦闘態勢を取る。

 カイネウスはヘラクレスの言葉にポカンとして、その意味を呑み込んだのか顔を真っ赤にして怒りを露わにした。

 もはや殺気を隠そうともせず、カイネウスはそれ以上の言葉を費やさずに仕掛けてきた。

 

 カイネウスの性格上、こんな挑発をされて、簡単に我を見失いはしない。それが余裕のない攻勢を仕掛けたのは、彼自身も理解しているからだ。彼我の格の違いを。

 認めたくない。なんのために不死身の体を手に入れたのだ。

 認めたくない。不死身なのにヘラクレスに恐怖してしまっていたことを。

 誰にも殺されないという自信を失わないために、カイネウスはヘラクレスに喧嘩を売った。最強の英雄を自分の当て馬にしてやると意気込んだ。

 

 カイネウスが鋭い拳を突き込む。ヘラクレスは最小限の所作でその甲に己の手を添えて受け流す。体勢を崩さず動作を連続して、不死身の戦士は果敢に拳を、肘を、額を、膝を……ありとあらゆる打撃をヘラクレスに叩き込む。

 その総てを受け、逸らし、透かし、捌き、完全に見切って完璧に処理する。ヘラクレスは冷めた目で、灼熱の呼気を吐き続けるカイネウスが疲弊するのを待った。

 

 アルゴノーツの面々は、最初はカイネウスを嗤った。おいおい一発も当てられないのか、と。しかし一時間以上もカイネウスが打ち続け、その総てを完全に遮断され続けるのを見ると、次第にアルゴノーツのメンバーも黙り込んでしまう。

 珠のような汗を噴き出し、激しく動く度に汗を散らすカイネウスの息は完全に上がっていた。ヘラクレスはそれを見守り、時折りカイネウスの顔を覗き込む動きを混ぜる。もう終わりか? そう言われているようで、激怒したカイネウスが気炎を燃やす。

 

 だがそれまでだ。誰がどう見ても限界を超えて、疲労困憊したカイネウスの体のキレは見る影もない。ヘラクレスは拳を握った。

 

 ギュゥゥウウウ! ――圧迫される。圧縮される。一つの世界がヘラクレスの拳に握られていく。その圧力に総ての者が圧倒され――その矢面に立ったカイネウスの顔に、絶望が過ぎった。

 

「不死の身に感謝するといい。これだけでは死にはしないだろう」

 

 歯を食い縛れとは言わなかった。ただ拳を振り抜いた。

 カイネウスがノロノロと防御の姿勢を取ろうとしたのを無視し、その水月に拳を掬い上げるように放つ。

 直撃した瞬間、不死でなければ確実に死んでいる衝撃がカイネウスを貫通した。

 吹き飛びはしない。飛ばないように工夫したのだ。だがカイネウスはもんどり打って転倒し、全身を赤黒くするほど藻掻き苦しんで悶絶し、甲板の上で腹を抱えて転げ回った。血反吐を吐き、吐瀉を吐き、驕りも自尊心も何もかもを砕け散らせ。

 

 ヘラクレスは嘆息する。本当にただの運動程度の感覚だった。

 

 沈黙の帳が落ちる。はたと、それに気づいた。やりすぎたか? 今更のようにそう思い、また初日の空気が戻ってきつつあるのに苦笑いしたくなる。

 まあ、仕方ない。ヘラクレスにとってはカイネウスのための一撃だったが、他から見たらたちの悪い弱い者苛めに見えたのだろう。或いはヘラクレスが化物にしか見えなくなったか。

 

 と、そんな時だ。

 

「――やるなぁ! 流石はヘラクレスだ。折角だ、君たちもヘラクレスに挑みなよ。私に君たちの勇姿を魅せてくれ」

 

 舵の方から声がした。

 イアソンである。飄々と、なんでもないように。何も脅威や恐怖を感じていないように彼はアルゴノーツをけしかけていた。いっそ無責任さまで感じる。

 

「? どうしたんだ? なんで挑まない。武力の頂点がそこにいるんだぞ? 挑まないなんて英雄らしくないだろう」

 

 心底不思議そうなイアソン。それに、誰かが笑った。

 ヤケクソぎみである。飛び出したのは誰だったか――まずはその男は舵の方まで走りイアソンを捕まえた。

 

「なっ!? 何をする?! 私は船長だぞ! 船長にこんなことをして赦されるとでも――」

「うるせえ! まずは言い出しっぺからやれや!」

 

 ヘラクレスは、自分の前に蹴り出されてきたイアソンを見下ろす。

 みっともなく尻もちをつき、唖然とした顔で自分を見上げる船長を。

 

「………」

「………」

「………」

「………や、やあヘラクレス。御機嫌如何かな?」

「悪くない。遊んでいくか、イアソン」

「い、いやぁ……遠慮するよ。ほら、私って頭脳労働担当だから。君みたいな筋肉担当とは部署が違うというかジャンルが違うっていうか。歴史の史書に記される私と、伝記に記される君とでは、生きる世界が違うだろう? そういうことだから……」

「ふむ。しかし見識は広めるべきだろう。一つ遊んでいけ。なに、何事も経験だと言うだろう?」

「……見逃して……くれないか……?」

 

 濡れた瞳で懇願してくるイアソンの額に、そっと手を触れて――デコピンする。

 

 あピャっ――間抜けな悲鳴が一つ。無様に転がり柵にぶつかったイアソンは、額を抑えながら怒声を発した。

 

「おっ、オレの叡智を宿した頭になんてことを!? 頭に筋肉しか詰まってないくせによくもやってくれたな!? 手加減しろ馬鹿! この馬鹿! アホ! 助け舟出してやったのになんだこの仕打ちは?! くっそもう赦さん、海より深い私の慈悲はたった今枯渇したぞ! みんなやれぇ! 私に続け、あの筋肉野郎をぶちのめせ! これは船長命令だぁ!」

 

 ――その。イアソンの命令に。

 

 男達は互いに顔を見合わせて、吹き出すように笑い出した。

 笑いながら……上半身の服を脱ぎ、ヘラクレスに向けて拳を鳴らしながら歩み寄る。

 

「――ってワケだ。すまねぇなヘラクレス。全員で掛からせてもらうぜ」

「悪く思うなよ。おまえはヘラクレスだ。むしろ手加減してください!」

「うぉぉおお! 俺は今から顔面殴るフリするから優しく倒してくれ!」

「おぉおお! おれの妹を嫁にやるからおれだけは見逃してくれぇ!」

 

 口々に情けないことを言いながら、男達はヘラクレスに殴りかかってくる。

 それに、思わず笑ってしまっていた。

 男達に応え、ヘラクレスは優しく拳を作る。そして期待に答えて、言った。

 

「いいだろう……()()()

 

 ――それなんか意味が物騒な感じじゃないですよね!?

 誰かの悲鳴で、船は喧騒に満ちる。

 一人、また一人と、男達が空に舞い。ヘラクレスに挑み、一撃で返り討ちにされ、空を舞うのがアルゴー号での定番な光景となっていく。

 

 そんな……のどかな時間。半日後、レムノス島が見えてきた。ヘラクレスはなんとなく、イアソンに感謝しなければならない気がして、また借りができたというのに、それが無性に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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