ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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二十夜 咆哮は無く、戦意は蛇に委ねられる

 

 

 

 

 発作的に召喚主を殺した所で、アマゾネスの女王ペンテシレイア――“アーチャー”の座にて現界したサーヴァントは我に返り後悔していた。

 

 マスター殺しを働いた事を、ではない。忌々しくも己を“美しい”などと口走った下郎を殺めた事は、欠片たりともペンテシレイアに後悔を懐かせなかった。

 あの手の俗物は自身の正しさを信じて疑わず、それを否定する者を全力で排除しようとする。そして一旦“自分のもの”と認識したモノは、玩具のように扱う下衆である。

 例え元が善良な人間であったとしても、その性根が歪んでいるのだから一度壊れたら元通りになるのは難しい。徹底的に挫折しない限りは迷走するだろう。見るからに精神的に追い詰められ、限界を迎えていたらしいアレは、ストレスの捌け口として自身より弱い者を求めるのだ。そしてその矛先はまず間違いなくサーヴァントである自分になるだろう。

 小者ゆえに至極分かりやすい。令呪を持つ故に自分の方が立場が上だ、などと自惚れるのが目に見えている。そうなればこの身に触れる資格のない雑魚の分際で、女王である自分に手を出すのだ。度々“美しい”などと言いながら。立場を嵩に着た優越感を滲ませて。

 

 神代に勇猛な女王として君臨した経験が、対峙した者の人間性を把握せしめる眼力を宿らせている。故にマスターを殺した事に慚愧の念などなかった。

 

 悔やんでいるのは、殺すまでに少しの猶予を設ければよかった、という利己的な物。自尊心の強いペンテシレイアは、どうせ殺すなら利用して殺せば良かったと悔やんでいたのだ。

 今回の聖杯戦争は、多くの英霊が集う異例のもの。それこそ名だたる英雄豪傑が集うだろう。その勇者らを制覇し、打ち倒し、アマゾネスの勇猛さを示したかった。

 元マスターを利用して新たなマスターを探し、新たなマスターを見つけた後に処分すれば良かったのだ。令呪を使えないようにその手足をもぎ取って。

 

 後悔先に立たず。ペンテシレイアは霊体化して魔力を節約しながら彷徨っていたが、自分の眼に適う者など早々見つかるはずもない。妥協して下郎や雑魚をマスターに仰ぐ気にもなれなかった。故にペンテシレイアは自嘲して嗤ったものである。

 何も成せず、誰かと戦う事すらなく、自分は消滅するのかと。アマゾネスの女王たる者がなんたる無様さなのか。

 しかしよくよく考えてみれば、これでよかったのかもしれない。ペンテシレイアは己の美しさを自覚し、忌々しい人類最速を嘯く英雄に言われるまでは誇っていた美貌を持つ故に解っていた。例え女子供でも、自身を美しいと口にせずにはいられないと。男であれば何をかいわんや、というものだ。

 

 ペンテシレイアは、自身の最盛期の姿で現界している。

 

 狂戦士であったなら少女の姿だったろう。“美しい”と称された屈辱の元凶とも言える姿を全盛期とは認めないと、少女の姿が自らの全盛期であるのだと言い張ったはずだ。

 しかしペンテシレイアは弓兵の座に在る。理性があるのだ。無論バーサーカーの己のように沸々と煮え滾る憎悪はあるが、何もかもが見えなくなるほどの狂気ではない。

 女戦士の女王として冷静に考え、子供の姿より大人の物の方が強いに決まっている。身長の高さと手足の長さは戦士として不可欠な要素だからだ。理性があるクラスなのに何が悲しくて自分から弱体化せねばならない。自身の容貌を疎む気持ちはあれ、戦士としての己を誇るからこそ大人の姿で現界したのだ。

 増長しているように聞こえるかもしれない。だが己は美の化身も斯くやといった美貌を誇る。神々の中でも一、二を争う美貌の父を持ったのだ。父の血を誇ればこそ、この美を否定はすまい。だが戦士として在る己の力ではなく、美を見る事は許容しない。

 ペンテシレイアの父、軍神マルスを見るが良い。その美は誰しもに知られ、認められているというのに、誰もその美しさではなく恐ろしさや強さ、偉大さや悍ましさを讃えるではないか。美しいとは誰も言わない。つまり極まった力さえあれば、美ではなく、力だけを讃えるはずなのだ。そこに男と女の性差などないはずである。

 

 ペンテシレイアはアーチャーだ。単独行動のクラス別スキルがある故に、数日間マスターがおらずとも生き残れる。現界を保てる。だからその気になればもっと足掻けるだろう。マスターのいないまま敵サーヴァントを探し、戦う事もできるかもしれない。

 だが“戦える”だけだ。勝利は難しい。サーヴァント故にマスターが不在の今、自らの力を十全に扱えはしない。パラメーターは軒並み低下し、強敵との戦いになれば宝具を使うしかない。そうなれば魔力は尽き、戦闘中に消滅する無様を晒してしまう。それは耐え難い屈辱だ。勝ちも負けもせず消え去るなど戦士の矜持が赦さない。だからといって、宝具を使うまでもない雑魚を見繕って潰すなど――そんな浅ましい獣の如き振る舞いもまた論外である。

 

 強敵を欲する。しかし、マスターがおらねば満足に戦えもしない。ならばマスターを探そうにも、現代の人間に“神性の美”を前に自失しない人間がいるとも思えなかった。

 

「……ハッ」

 

 嗤い、弱ってきた体をどことも知れぬ林の中に倒す。木を背にして、女王は天を仰いだ。――ここは己の生きた時代よりも遠い未来。尊敬する偉大な父と、強者であると認める父の第一の信徒が、共に目指した現在の御世。

 心残りがあるとすれば、聖杯に与えられた知識として識るのではなく、この眼で見て回りたかった――かもしれない。生前、姉のヒッポリュテが里帰りして来た際、打ち倒されてアマゾネスの国から連れ出され、共に旅をした事を思い出して。時の果てを旅するのも悪くはないなどと思う己が可笑しくて笑ってしまう。

 

「ハハ――」

 

 声を殺して、笑う。愛する姉は、己が女王となった後も、己より強かった。外を旅して愛する者と共に戦ったからだ、と姉は言った。

 一度だけ、義兄である最強の男と会った。ペンテシレイアが認める最強の女を妻にした、女を見る眼が確かなあの男と。――そうその時に男は言った。『■しく成ったなペンテシレイア。流石は、ポルテの妹。……昔のようにお兄様と呼んではくれんのか?』

 断っておくが、一度としてあの男をお兄様などと呼んだことはない。なのにふざけて言ったあの男に怒り心頭に発して挑んで、姉が自分より数倍強いと称した男に敗れた。それからも様々な国を旅し。ああ――やはり悪くなかったと、生前を振り返る。

 

 クツクツと笑う。自身の未練を嗤う。

 

 ――その声を聞きつけたのか。人の、気配がした。

 

「………」

 

 近い。このペンテシレイアともあろうものが、こうまで近くに接近されるまで気づけないとは不覚だった。

 微かな殺気を滲ませ誰何の代わりとする。サーヴァントの気配ではない、人間のものだ。

 その人間は姿を見せる。足捌きと姿勢から見れる体軸に、雑魚ではなく暗殺者の手合いだと見抜いた。

 

 男だった。長身痩躯の、枯れた男だ。ペンテシレイアは顔を顰める。また、言われると。あの言葉を。憎悪と殺気が先んじて滲むのに、男は色のない眼差しで座り込むペンテシレイアを見下ろした。

 

「そんな所で何をしている?」

 

 平静そのものの声だ。己の美貌を眼にし、殺気を向けられてなお無感動な瞳である。

 ペンテシレイアは驚いた。こんな眼を向けられた事がない。少し――興味が湧いた。未知なるものは、好むところである。

 ペンテシレイアは斜に構えて笑ってみせる。

 

「……さてな。貴様の方こそ、何をしている。私の姿が見えないのか? 血に塗れたこの私を見て、何も感じないとでも嘯くのか?」

 

 木に背中を預けたまま、両手を広げて嘲笑する。彼女は血に塗れていた。それは、彼女の召喚主のものである。そしてそんな凄惨な姿と素振りを見せても、ペンテシレイアの匂い立つ美しさは欠片も損なわれていない。むしろより一層、彼女を美しく彩る化粧のようですらある。

 目を奪われ、呪わしいあの台詞を吐き出したとしても無理はない。だがその血と、何もかもを見て、男は眉一つ動かす事はなかった。そして、言う。見惚れるでもなしに、淡々と。

 

「何か感じるものがないのか、か。――特に何も。強いて言えば、()()()()()と感じる程度だ」

「――――」

「それに……お前がどのような人間なのかは、話してみるまでは分からない」

 

 そんな……当たり前の事を。怪異そのものと遭遇してなおも()()()()語る男に、ペンテシレイアは唖然とする。

 血塗れで、憔悴している女に殺気を向けられ。そんな事をのたまう男の神経が分からない。芯から枯れ果てているような男の眼差しに、アーチャーのサーヴァントは笑う事もないまま表情を消して男を見据える。

 

「……おかしな男だ」

「おかしさで言えば、お前には敗ける」

「ハ――なるほど、では言い換えよう。貴様は面白い。見たところ何も知らぬ一般人とやらなのだろうが……人の道を踏み外し欠落したモノか? この際だ、貴様を試してやる。時間はそれほど取らん、少し話を聞いていけ」

「……いいだろう。急ぎの用もない」

 

 そうして、ペンテシレイアは戯れに話し出した。

 嬉しかった……というのとは違う。単純に興味を惹かれたのだ。己を見て美しさに見惚れるでもなく、このペンテシレイアを『一個の人間』としか見做していない様に。

 話してどうする、とは思う。無駄なことをと。信じはすまい、聖杯戦争のこと、魔術やマスター、サーヴァントのことなど。

 

 話し終えて、ペンテシレイアは訊ねた。信じるか、人間、と。

 

 信じないと言えばそれまで。殺しはしない。そのまま帰す。久方ぶりに新鮮な気持ちになれたのだ、消滅するまでの単なる戯れだ。

 だが男は頷いた。冗談の色など微塵も覗かせずに。

 

「信じよう」

「………何? こんな話を、信じるだと?」

 

 話しておいてなんだが、ペンテシレイアは心の底から驚いた。なぜ信じる、と。

 

「お前が嘘を言う理由はないだろう。それとも、私を謀る理由があるのか?」

「……貴様こそ、血に濡れた者の相手をまともにする理由があるまい」

「言っただろう、お前がどのような人間なのかは、話してみるまでは分からないと。つまるところ、お前の言葉を信じる理由はないが、嘘だと断じる理由もない。ならば私は一先ず信じ、然る後にお前という人間を知っていこう」

「――――」

「では、事を済ますがいい」

「な、なに……? それはつまり、なんだ。まさかとは思うが……」

「サーヴァントには、依代とやらが必要なのだろう。私がマスターになるより他に、手がないと思ったのだが……違うのか?」

 

 今度こそ、ペンテシレイアは絶句した。

 未だ嘗て見たことのない人間である。こんな人間が有り得るのか、疑って。

 しかしその男の眼に、毛筋の先ほども冗談や嘘の気配はないように見えて。思わず、女は男の手を取っていた。

 

 マスターとサーヴァントの契約が此処に成る。そして己の手に触れてなおも、漣一つ立てない男の眼を見て。サーヴァントは、体の奥底が、一際強く鳴る感覚に戸惑った。

 

 それが男――枯れ果てた殺人鬼、葛木宗一郎とペンテシレイアの出会いであり。女王のマスターとなった男と、サーヴァントとして聖杯戦争に参じた女王の運命の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ! 下がれ、凛! サーヴァントだッ!」

「――――」

 

 サーヴァントの追加召喚。その原因を知る為に、状況を把握しているかもしれない聖杯戦争の監督役、言峰綺礼の許を訪ねようとしていた矢先だった。

 凛は冬木大橋の歩道橋に歩を進める前に、敵サーヴァントと思しき女と鉢合わせる形で遭遇してしまい――そして、予想外な男の姿を眼にして目を見開いてしまった。

 

 女、ペンテシレイアは露骨に舌打ちする。サーヴァントと遭遇した間の悪さに苛立っているのだ。()()()の為に拠点を飛び出して来たというのに、戦闘をこなさねばならなくなったのだから苛立ちもする。

 鎖を繋いだ鉄球を顕し、ペンテシレイアは黒白の双剣を手に立ちはだかった男を睨みつけ、殺気も露わに吐き捨てた。

 

「フン、運の悪い……ああ、私の事ではない。貴様らの運の悪さを詰っているのだ。よもやこのような所でこの私と出くわすとはな」

 

 白皙の美貌に切れ長の双眸、人体の黄金率を完璧に形にした肢体と目鼻立ち。銀のように輝いてすら見える白い髪を結い上げた、人智を超えた美の権化。

 アーチャーのサーヴァント、ペンテシレイアは赤い外套のサーヴァントに呵責無き殺気を浴びせる。

 

 しかし凛は彼女の美しさよりも、その背後に佇む男にこそ驚愕していた。

 

「そんな――葛木先生!? まさか先生がマスターだなんて……!」

 

 そう、男は凛の知る学園の教諭である。無感動に凪いだ瞳で凛を見据え、葛木宗一郎は意外そうにするでもなく淡々と応じた。

 

「遠坂か。お前もマスターとは、世間というものは存外狭いらしい」

「教え子かソウイチロウ。だが私には関係ない。まさか殺すな、などと眠たい事を言いはすまいな?」

 

 ぎらりとした眼を向けられ、肝の小さな人間であれば竦み上がるところを、葛木は臆するでもなく返答する。

 

「私は聖杯戦争というものに関わるつもりはない。私は魔術師ではないのだ、魔力とやらをお前にやれる訳でもなく、あくまで依代としてのマスターになっただけの事。アーチャー、戦うというなら好きにするといい。私は手出しはしない」

「よかろう。弁えているではないか。ああそうだ、私は私の意志で戦う。命じられたからなどと、受動的な姿勢など持たん。会敵必殺――出くわしたからには死んでもらう」

 

 ペンテシレイアはそうして、少女とそのサーヴァントに殺気を向ける。

 あたかも巨大な獣に睨みつけられたように怯む凛。だが、腹に力を入れて堪え、気丈に睨み返す。そして赤い外套の弓兵に戦闘を命じ――る、前に。

 ペンテシレイアは葛木を一瞥するや、おもむろに殺気を霧散させ舌打ちした。まるで――そう、まるで葛木の顔色を伺うような。

 無意識なのだろう。自覚がないのだろう。なんとなく気まずい表情を不機嫌なものとして吐き捨てる。

 

「……やめだ。興が乗らん」

「………?」

「見逃してやる。小娘、私と相見えていながら命ながらえる幸運に感謝しろ。さっさと行くがいい、貴様らなどに用は無い」

 

 アーチャー・エミヤは凛に視線を向ける。しかし凛も困惑していた。戦闘に移るのを覚悟していたところである。現に女のサーヴァントは殺気を向けてきていた。

 にも関わらず、見逃すという。エミヤは万全ではない故に望むところではあるが、些か腑に落ちないというのが正直なところだ。

 凛は意を決して葛木に問い掛ける。

 

「……葛木先生。貴方は魔術師なんですか?」

「いいや。私は魔術師などではない」

「なら、どうして聖杯戦争に参加なんか……巻き込まれているんですか?」

「それにも否と返そう。私は私の意志で、アーチャーを救った。それだけの事で、それだけでいい。お前は私と戦うというのか、遠坂」

「……いいえ。今は退かせてもらいます」

 

 会釈もせず身を翻し、凛はエミヤを伴い去っていく。葛木が女をアーチャーと呼んだ事に動揺していたのを隠し。今は戦闘を避けるべきだと。

 その背に一瞥も向けず、ペンテシレイアは葛木の腕を軽く小突いた。葛木がちらりと視線を向ける。

 

「なんだ」

「フン……つまらんぞ。ソウイチロウ、私は木偶を連れて回る趣味はない。やむを得なかったとはいえ、私は自ら貴様のサーヴァントとなったのだ。ならば最低限の筋は通さねば我が名が廃る。初戦はせめて、ソウイチロウの命によって始める気でいたのだ。それを貴様は……いやいい。何はともあれ、私の聖杯戦争を始めるのは貴様の号令によってだ。それまでは自衛に徹するぞ」

「……? ……そうか。ならば次は、私が命じよう。敵を殺せ、と。それでいいのか?」

「ああ。そうこなくてはな――」

 

 女王は葛木を伴い、凛とは反対の道を行く。葛木の言葉にペンテシレイアは機嫌を直して笑った。彼女にとっては信じられないほど波の大きい感情のうねりがある。昂ぶっているらしい。そうと気づいたペンテシレイアは困惑し……眉を顰める。

 なんだ、と胸を抑えた。だが今一瞭然としないものは不快ではなく、ペンテシレイアはかぶりを振る。意図して無視し、今は目的の者に会いに行こう。

 

 柳洞寺にいた奇跡の王妃。その者から聞かされた、ある男の所在。何か王妃は言っていた気がするが総て聞き流し、ペンテシレイアはマスターを連れて飛び出してきたのである。

 

 そこに強者がいる。ならば、挑まぬ理由などない。ペンテシレイアはただただ、己の愛する姉が認めた強者に、再び挑むつもりでいたのだ。

 葛木は嘆息するでもなく、霊体化して進む女を追った。彼自身も彼女を救った本当の理由を自覚できずにいる。胸の裡に燻る、自身の心の揺らぎを見極めるために、女戦士に付き合うのも悪くないと思っていた。

 

 そうして“黒”に割り振られるはずだったサーヴァントは、“白”の聖杯が滞在する屋敷へと襲来するのだ。

 

 

 

 

 




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