ヘラクレスが現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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十八夜 収斂こそ理想の証

 

 

 

 イリヤスフィールは眠りに就いた。依然、活動限界時間に変動はない。夜になったら起こしてねと告げて、今はセイバーを傍に置き就寝している。

 思い詰めた表情だった。何か悩むものがあるのは明白だったが、イリヤスフィールは誰にも相談していない。眠かったのもあるだろう、起きた後に話を聞くべきかもしれなかった。

 

「グッ……!」

 

 今、衛宮士郎は衛宮邸にある道場で木刀を手に、思うままバーサーカーに打ち掛かっていた。指示された通り全力で、無手のバーサーカーを相手にである。

 相手に武器がないからと、遠慮してしまうほど士郎は愚鈍ではなかった。相手は人類史上最強の武人の名を冠するに値する大英雄である。その身を以て力の差は理解していた。故に、自分などが凶器を手に殴りかかっても、傷一つ負わせられないと確信している。例えば彼は英霊であるため睡眠は不要だが、罷り間違って眠りに就いていたとして――それこそその寝込みを襲ったとしても返り討ちだろう。むしろ寝起きに手加減ができるか確証はないため、意識がない所を狙う方が危険ですらある。

 

 唐竹割に振り下ろされた木刀を目で追って、バーサーカーはその分厚い掌で木刀の側面に触れソッと脇に逸らす。木刀を振るった力ごと流され、体勢の崩れた士郎の首に、これで五回目になる手刀が軽く接触した。

 手加減に手加減を重ねたそれは、しかしほんの少しの痛みを士郎に与える。堪らず身を引いて、再度打ち掛かろうとした士郎にバーサーカーは無造作に告げた。

 

「もういい。全て解った」

「ハッ、は……は……」

 

 乱れた息をなんとか整えながら汗を拭い、構えを解く。するとバーサーカーは、衛宮士郎へ端的に評価を下した。

 

「エミヤシロウ。貴様には――剣の才能は無いな」

「っ……そんなに、酷かったのか?」

 

 相手が悪かったから無様に見えるが、自分ではそう言われるほど酷いとは思っていない。いや、特別な才能があると自惚れているわけではないが、そうもはっきり断じられるほど見込みがないとは思わなかった。

 平均より上の運動神経と体力はある、つもりだ。バーサーカーからするとどんぐりの背比べなのかもしれないが……。士郎の反駁にバーサーカーは首を左右に振る。

 

「勘違いはするな。私が見ていたのは体格と力の使い方、視線と足の運び、動作に連動する全身の動きと動体視力、反射神経、そして太刀筋を含む剣の扱い方だ。背丈と反射神経以外は鍛錬次第で補える。故にその点で才能がないと言ったのではない」

 

 バーサーカーの物言いは、どちらかと言うと理屈臭い。見掛けで誤解され易いが、彼はフィジカルで圧倒するよりも、技量を競う立合いを好む武人然とした性質を持つ。自身に迫る危険を察知する、先天的な本能としての心眼もあるが、後天的な武芸の極致である心眼を備える故に、前者で感覚派の天才肌の指導、後者で理論派の天才・凡才の指導も得手としていた。

 彼は衛宮士郎が感覚派の凡才であると判断したのだが、かといって理論をおろそかにできるほど感覚が優れているわけでもないと見た。感覚寄りの理論が合う、と人間離れした眼力が見抜いている。

 

「……? じゃあ、バーサーカーの言う才能って何なんだ? センスとか?」

「そうだ。神代ならばともかく、現世の人間は物理法則に縛られる故に、体格から来る身体能力の差は“誤差”でしかない」

「ご、誤差……」

「ああ。私の尺度で言っているのではない、現行の人類は身体能力を技量の一点で覆せる程度の脆弱さしかないと言っている。神代ならば身体能力に絶望的な開きがあれば、例え技量で遥かに上回っていても勝ち目がない場合が多いのだ。この場で私の言う才能とは、現世ではセンスしか有り得ない。それのみで、女子供であっても屈強な兵を打ち倒し得る。無論武器の類は必要になるだろうがな」

「………」

 

 確かに神話の通りなら、近代の剣の達人が神話の半神半人に挑んでも、出鱈目な身体能力でのゴリ押しで瞬殺されるだろう、と士郎は思う。

 何せ生きている世界(ジャンル)が違うのだ。神話の超人の動きには、如何な達人でも反応すら出来ないはずだ。仮に直感か何かで反応できたとしても、その圧倒的な腕力で武器ごと捻じ伏せられてお終いである。あらゆる神業を披露しても素の動体視力と反射神経の暴力で屈服させられるはずだ。現代の人間に分かり易く例えるなら、時代劇の剣の達人が、アメコミのスーパーヒーローに勝てるのか、といったところである。

 

 士郎は納得したような、してないような、曖昧な表情でバーサーカーの言葉に耳を傾ける。彼が士郎に才能がないとだけ通告するつもりではないと察したからだ。

 

「人間とは肉の器を持つ実体存在だ。故にあらゆる才覚は肉体へ密接に関わりがある。現世で言う神経伝達とやらの速度、思考の形、骨格や筋肉の付き方などで個体ごとに異なる性質を纏めてセンスと言うのだ。脳の力、差し詰め脳力とでも言うべきものも重要だな」

「……俺の性質に剣が合わないのか?」

「その通り。貴様の性質は、剣を振るうのに最適なものではない。剣士を志すのなら根本的な肉体改造が必須となるだろう。エミヤシロウ、今の貴様の体が備える性質は、持久力、そして弓を最適なものとしている。長期戦にこそ適性があると言えよう」

「弓……」

 

 以前、自身が弓道をしていたのを思い出す。それはもう、随分と昔の事のように感じられて――士郎は頭を振った。今は過去を懐かしんでいる場合ではない。

 バーサーカーは続けて言った。

 

「だが悲観する事はない。あくまで弓に最も優れた性質があるというだけの事だ。これは現世の人間全てに言えるが――剣も槍も、徒手の格闘術も修練を重ねれば一流の域には届き得る。その先には真に才能を持ち、尋常の理から逸脱した精神がなければ到れんだろうが、貴様の半端な才にしては上々であると言えるだろう。だが――」

「……?」

「――エミヤシロウの真髄は、其処には無い。剣と弓の才幹も、ある一点を見れば全て一枚格が落ちる。喜ぶといい、貴様には()()()()()があるぞ」

 

 予想だにしていなかった言葉だった。一瞬、理解が追いつかず目を瞬く。

 そんな少年に、至強の戦士は言祝ぐように微笑んでいた。

 

「貴様は()()()()()()()()()()()。生物としての本能が(イカ)れているのだろうな。普通の人間ならば、何度も人体の急所を“攻撃”されれば怯むというのに、貴様にはまるでその素振りがない。そして何より、貴様は自身の持ち得る能力を最大限発揮できている。未熟極まる現在は取るに足りんが、相応の鍛錬を積み一流の技を身に着ければ、自身の手札を効果的に運用し格上の戦士をも打倒し得るようになるやもしれん」

「あー……俺は今、褒められてる、って事でいいのか……?」

「無論だ。死を()()()気質を備えるのは戦士の基本。()()()のは問題だが、まあそこは死なねばいいだけの事だろう。そして戦士として立ち回る術を磨き、基礎となる力を磨けば――私が断じてやろう。保証してやろう。エミヤシロウ、貴様は英雄の領域に手が届く」

「―――」

 

 なんと返せばいいのか、咄嗟に思いつけずに士郎は口籠った。

 しかし、素直に嬉しい。ヘラクレスに認められた――男としてこれほど誇らしいものは早々ない。若干赤面して照れる少年に、バーサーカーは微笑を深めて窘める。

 

「だがそれは未来の話だ。今の貴様は雑兵でしかない。履き違えてはならんぞ。勇敢と無謀は違う。冷静に己に出来る事を見極めよ」

「……分かった」

 

 分かってる、と返そうとした。しかし意図せず素直に了解した旨を告げている。そんな自分に驚きつつも、士郎はバーサーカーの指導を胸に刻んだ。

 

「さて。小休憩は終わりだ。これより貴様に合った戦闘術、及び基礎となる戦闘論理の構築に移る。短い期間となるだろうが、私が貴様に叩き込んだものを基礎とし、以後は自ら模索し独自に発展させていけ。何事にも体は資本だ、今後を考えると活動に支障が出ては敵わん。故に厳しくはやらんがその分真剣に臨め」

「――ああ。勿論だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む、()()()()()……」

 

 面白くなさそうに、イリヤスフィールが呟いた。衛宮邸に張られている結界に手を加えたからだろう、この前はセイバーやバーサーカーしか知覚できていなかった、遠視と霊視による()()()を察知して、白き聖杯の少女は不快そうに唇を尖らせる。

 バーサーカーの意外と理論立った指導を受けた後、夕餉の支度が済みイリヤスフィールを起こすと、眠そうにしながらも少女は士郎に言ったのだ。晩御飯の前に魔術の鍛錬を視てあげる、と。

 

 今まで自分の城も同然だった土蔵に、誰かを招く事がなかったため新鮮な気持ちになりながらも、士郎は早速地べたに座り込んで魔術の鍛錬を始めようとしていた。

 イリヤスフィールは物珍しそうに土蔵の中を見渡していたのだが、先日もあった覗き見に流石に機嫌を害したらしい。わたしの城なら簡単には視れないのにと不満を溢す。士郎も誰かに視られていると思うと、どうにも腹の据わりが悪く気に入らなかった。

 

「しょうがないから、結界を張るね。魔術の鍛錬を他人に視られるとか、魔術師にとって死活問題なんだから」

「結界を張るって……今からか? 割と、っていうか、かなり大変だと思うんだが」

「そうでもないわよ? だってわたし、()()()()()()()()()って思えば、簡単に望み通りの魔術が使えちゃうもの。見てて……」

 

 Barriere――唱えたのはドイツ語だろうか。女魔術師にとって命とも言える髪の毛を二本抜き、虚空に手放された銀糸のように綺麗な髪が空間に溶けて消えていく。

 不可視の何かが士郎とイリヤスフィールのいる土蔵を包み込んだのを感知する。“世界”の異常に敏感な士郎には、結界が張られたのだと感覚で理解できた。

 

 視線がなくなったのを察知したのだろう。満足げなイリヤスフィールに、士郎は呻くように褒める事しかできない。

 

「こんな簡単に結界が張れるなんて、凄いな……」

「ふふん。純正の魔術師ならもっと手間取るものだけど、わたしは特別だから」

「どう特別なんだ?」

「わたしの起源は“聖杯”でね、理論とかすっ飛ばして望む成果を再現できるの。だからわたしと他の魔術師を一緒にしたらだめなんだからね? わたしと比較される方が可哀相になっちゃうわ」

「へぇ……ところでイリヤ、起源ってなんだ?」

 

 え? と。まるで高校生に足し算のやり方を訊ねられた小学生みたいに、馬鹿を見る目になるイリヤスフィールである。その目に士郎は悟った。あ、基礎的なものだったのか、と。

 イリヤスフィールは無言で士郎を見詰める。少年はその眼差しに晒され、居た堪れない気持ちでいっぱいだった。ふぅと露骨に溜め息を吐かれ、居た堪れなさが倍増する。

 

「……ねえ、シロウはキリツグに何を教えられてたの? てんでお話になりそうにないんだけど」

「い、一応……魔術の使い方と、鍛錬の仕方とか……魔術は秘匿するものだ、とか……そういうのは知ってるぞ……」

「………」

 

 再度、イリヤスフィールは嘆息した。なるほど、無知なのねと。イリヤスフィールを年下の少女と思い込んでいる士郎には、なかなか心にくる呆れた目だった。

 

「……座学、今度時間できたらそこから教えてあげなくちゃだめね。……ううん、やっぱりセラでも呼んでみっちりやらなくちゃ。いい、シロウ。魔術の世界で無知は罪よ。何も知りませんでした、なんて言い訳は通じないわ。知識に貪欲じゃない魔術師とかはっきり言って三流よ。シロウ、勉強しなさい」

「……はい」

 

 なんだかイリヤスフィールが姉のように感じてしまう。肩身が狭い気分だが、しっかり者の姉みたいに感じたからか、士郎はイリヤスフィールとの距離が縮んだ気がした。

 イリヤスフィールは気を取り直して、まるで駄目な弟の士郎が右も左も分からないのだと理解し、零から見てあげなくてはならないと腹を括る。

 

「……うん、まずシロウの起源から調べてみるわ。わたしの場合、(さわ)るだけでいいからすぐ終わるんだけど。わたしが先生で良かったわね」

「はい」

「あは、従順でカワイイじゃない。うんうん、そういうとこポイント高いかも」

 

 シロウをペットにするのもありね、なんてコワイ事を口走るイリヤスフィールであるが、流石に冗談だろうと士郎は思った。限りなく本気に近い呟きだとは知る由もない。

 イリヤスフィールは地べたに座り込んでいる士郎の頭に手を置いた。そして、目を瞑る。普通の魔術師なら起源の鑑定のためにそれなりの準備をするのだが、彼女にそれは必要ない。士郎はまだ知らずにいる、自然の嬰児である“聖杯”の寵愛を受けられた自分が、どれほど恵まれているのかを。

 彼女の加護を受ける事で、魔力総量が底上げされ、まだ開かれてもいなかったはずの魔術回路が励起し、その上で体調にまったく変化がないという異常も、士郎は気づいていなかった。

 

「――珍しいわね。シロウの起源は“剣”よ。……それに、何かシロウの中に埋め込まれて……これ、宝具? 現存する宝具なんて……」

「………?」

「………起源が宝具の影響で変質したのかな? ……キリツグ、なんてことしてるの……計算外だったりする? ……あ、もしかして……」

 

 士郎の頭に触れる、ひんやりとした小さな手。怪訝そうに呟くイリヤスフィールに、士郎は内心首をひねりながらも大人しくしていた。

 自分の中をまさぐられている気がするが、不快ではない。むしろ心地よく、暖かく感じてしまっていた。それは、聖杯の加護なのか――剣が鞘に収められたような安心感がある。

 

 やがてイリヤスフィールは士郎から手を離さないまま、難しい表情で言った。

 

「……ね、ちょっとシロウの中に何かあるから、取り出してみていい?」

「え? 俺の中に何かあるのか……? ……なんか怖いな。出せるならやってくれ」

 

 極普通に答えると、イリヤスフィールは頷く。すると、士郎の中から淡い金色の光が溢れた。

 それは、紺碧の縁を持つ、黄金の鞘だった。その眩さにイリヤスフィールは瞠目し、士郎もまた目を奪われる。

 

「――やっぱり、宝具。こんなの、キリツグはどこで……あ、そういうこと……これ、セイバーとの縁なのね」

「セイバーとの? これは……何なんだ?」

「……聖剣の鞘よ」

「え?」

「……ううん、なんでもない。多分シロウにはまだ必要だから持っていた方がいいわ。シロウがセイバーに必要だと判断したら、返してあげて」

「え、いや……これセイバーの物なのか? なら返した方が……」

「今はシロウが持ってなさい。絶対に、シロウが生き残る助けになるから。これがある限りシロウは簡単には死なないはずよ。あと、セイバーは常に傍に置いとく事。いいわね」

 

 有無を言わさぬように強く言われ、士郎は渋々頷く。イリヤスフィールの眼が、極めて真剣なものだったから逆らえなかったのだ。

 イリヤスフィールが士郎から離れる。そして場の空気を変えるように脳天気に微笑んで、少女は努めて明るく言った。

 

「それじゃあ、シロウの魔術の腕を見てあげる。普段通りに魔術使ってみて」

「あ、ああ、解った。なんか恥ずかしいな……」

 

 ――そうして、士郎はイリヤスフィールに散々に罵倒され心配され命じられる羽目になる。

 

 

 

 なんでいちいち零から魔術回路作ったりしてるの馬鹿なの!? こんなのをほぼ毎日やってたとか自殺志願じゃない! キリツグはほんと何教えてるのよ!? ほら魔術回路を使いなさい、やり方は教えてあげるから。っていうかなんで強化とか解析みたいなニッチな魔術しか……え、投影魔術? なにそれさらにマイナー、な……!?

 ……ねえ、その手にあるのって今、投影したの?

 ……シロウ。悪いこと言わないから、それ絶対に他の魔術師に見せちゃ駄目だからね。見られたら殺しなさい。ううん、寧ろわたしが殺すわ。こんなの封印指定直行コースじゃない……あ、だからキリツグは……。

 なんでもないわ。それより起源が“剣”って事は、シロウの投影は剣に特化してるのかな? ごめんシロウ、もう一回(さわ)るけど逆らわないでね――――って! よく視たらこれ、世界卵? ……固有結界じゃない!? シロウの魔術回路、固有結界にだけ特化してる――!?

 

 

 

 ――衛宮士郎は、本当に運が良かった。

 

 イリヤスフィールとだけ同盟している彼は、イリヤスフィールから加護を与えられ。彼女のサーヴァントに戦闘術を仕込まれて。イリヤスフィールと親密になった故に、長い年月を掛けて気づき、研ぎ澄ませていく事になるはずの異能に気づかせてもらえたのだ。

 聖杯であるイリヤスフィールの、異質で特殊な魔術特性によって解析されなければ、こうも簡単に気付ける道理はなかった。純粋な魔術師ではないイリヤスフィールだから見抜けて、気づけて、指摘して――そして鍛えられるのだ。

 

 剣の鍛ち手は、白い妖精のような少女。

 

 異能の剣が、この時から打たれ始めたのである。

 

 ――収斂こそ理想の証。剣を鍛えるように、己を燃やすように、鉄を打ち続ける道を衛宮士郎は歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 


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