広瀬"孝"一<エコーズ>   作:ヴァン

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 引き金

「それじゃ先生。あたしはこれで失礼します」

 

「はい。佐天ちゃん。何事も、成せばなるです。焦らずじっくり、前へ進んでいきましょう」

 

 能力開発の実習を終え、涙子は教室をでる。

 小萌先生はこれからまだ、明日の授業の準備で帰れないようだ。

 それなのに、この約一ヶ月間、文句も言わずに涙子に付き合ってくれた。

 

「・・・・・・先生。ありがとうございます」

 

 自然と、感謝の言葉が口から零れ出る。

 誰もいない廊下での、涙子の独り言だ。

 今度目処が立ったら子萌先生を誘って、ささやかな食事会をしよう。

 感謝の気持ちを何かで示したい涙子は、自分の懐事情と相談して計画を練る。

 

(もちろんお金はあまりないから、ファミレスとかになってしまうけど・・・・・・)

 

 寒い懐事情だった。

 

 

 

「――こんにちは『るいるい』」

 

 校門を出て少し歩いた頃。誰かに呼び止められた。

 

「・・・・・・あれ? タマ、ちゃん?」

 

 日は完全に落ち、辺りは薄暗い夜の顔を見せ始める。

 街灯が薄ぼんやりとした光を放ち、通学を照らす。

 その光の中に涙子は見知った顔を見つけた。

 

 肩まで伸びたセミロングの髪。

 くるりとした眼。

 華奢な身体。

 それは紛れもなく、涙子の知り合いの二ノ宮玉緒であった。が――

 

「・・・・・・・・・」

 

 どことなく、違和感を覚える。

 うまく説明できないが、何かが違う。

 それは、彼女のちょっとした動作や、表情。雰囲気から漂う何か。

 涙子は本能的に何か、危険なものを感じ、一歩後ずさった。

 

「どうしたんすか? 玉緒ですよ? あなたのお友達の」

 

「・・・・・・あんた、誰?」涙子はさらに二歩後ずさり、身構える。

 

「・・・・・・ふふっ。やっぱ、分かっちゃうかぁ・・・・・・。姿はごまかせても、溢れ出る君への悪意は隠しきれなかったみたいだね」

 

 街頭の照らす光から笑みを浮かべる彼女は、その光から出て、涙子の元へと歩み寄って行く。

 

「だから! あんた、誰なのよ!?」

 

 涙子は浮かび上がる恐怖感を、威嚇することで必死に隠す。

 

「ふふ、ボクは二ノ宮双葉。玉緒は姉さ。まあ、君はそんな記憶も、もうじき無くなるけどね」

 

 双葉は、影の中から自身のスタンドを出現させる。

 ぎょろりとした光る眼が涙子を目標に定め、背中に当たる部分から触手を出す。

 左右にしなる触手は、涙子の目の前を何度も往復し威嚇しているのだが、スタンドの見えない彼女には何が起こっているのか認識する事が出来ない。

 その様子を見て双葉は「フンッ」と鼻で笑う。完全に相手を馬鹿にした笑いだ。

 

「な、何が目的なの? あたしに何の恨みがあるの?」

 

 双葉の態度にカチンと来た涙子は、声を張り上げ、双葉を睨みつける。

 その態度は完全に虚勢であり、双葉もそれをわかっていて軽く受け流す。

 

「しいていうなら、君の全てかな? 佐天涙子。君はどうして孝一君とつるんでいるんだい?」

 

「え?」突然孝一の名前が出てきて、虚を突かれる。

 

「君の事を調べさせてもらったよ。そして確信した。君は孝一君にはふさわしくない。そばにいるべき人間じゃない」

 

「な、なんでそんなこと・・・・・・」

 

「じゃあ、君は何が出来るんだい? 君の周りの人間は有能だ。御坂美琴はこの学園都市の最高峰のレベル5で、初春飾利と白井黒子はジャッジメントに所属しており、それぞれに得意分野がある。だが、君は? 『レベル0』のただの『無能力者』の君は、いったい何が出来るんだい?」

 

 双葉は『レベル0』と、『無能力者』という単語をワザと誇張して、涙子を糾弾する。 

 

「有能な人間は有能な人間同士、仲良くしていたらいい。でも、君ときたら・・・・・・。誰かの足を引っ張るお荷物だって事、まだ気が付かないのか? 君の存在が、仲間内でどれだけ足枷になっているか、そろそろ自覚したほうがいいんじゃないの?」

 

「そんなの! あたしが誰と仲良くしようが、あんたに関係ないでしょ!?」

 

 散々罵詈雑言を浴びせられ、涙子が切れ気味に叫ぶ。

 

「大有りだね。特に孝一君に関しては。君という存在は、孝一君にとっては有害でしかない。きらきらと光り輝き、辺りを照らす炎。それが孝一君だ。そして君は、その光に誘われて回りを飛びまわっている害虫だ。害虫は害虫同士で仲良くしていたらいいのに・・・・・・。だから今日は、それを分からせるために来た」

 

 ヒュンヒュンと涙子の周りで威嚇していた触手がぴたりと止まり、標的を定める。

 

「君の記憶を全て貰う。孝一君のこと、友達の事、学園都市での出来事、全ての記憶を貰う」涙子目掛けて触手が、振り下ろされる。「さよなら。全ての記憶を失い、絶望の中で生きるがいい」

 

「・・・・・・ぁ」

 

 何かに気が付いた涙子が小さな声をあげる。

 そして、ついにスタンドの触手が涙子の身体を――

 

「なに?」

 

 涙子を切り裂くはずの触手が空振りする。

 あるはずの場所に、涙子がいない。

 

 双葉は上を見る。

 

「――何とか、間に合いましたね。涙子様。無事でよかったです」

 

「エ、エルちゃん!」

 

 上空には大量の黒ねずみが、まるで黒い絨毯の様に密着して、エルと涙子を乗せて浮かんでいる。

 黒ねずみ達の背中からは羽のようなものが出て、「ブブブブ」という羽音を出している。

 

「驚いたな。まさか、こんな伏兵がいたとは。これは計算外だ」

 

 双葉は上空に浮かぶ涙子達を、冷静に観察する。

 

(群体型スタンドか、数は約300近く。コイツ等に一斉にかかられたら、厄介だな。だけど――)

 

「双葉ぁ!」

 

 暗闇の路上から孝一がこちらに向かい、エコーズact2の『シッポ文字』を投げつける。

 

「ちぃっ!」

 

 投射された文字を、双葉は何とかかわす。

 『ドゴォ』

 かわした場所に着弾した文字はその通りの効果を発揮し、その爆風で双葉は数m空き飛ばされる。

 

「くっ!」何とか体勢を立て直す。

 

 爆風が逃げた正面には、怒りの表情を浮かべた孝一と、姉の玉緒がいた。

 

「やあ、孝一君。よくボクが彼女を標的にするって分かったね?」

 

 双葉が余裕の態度を崩さず、笑いかける。その態度に、孝一はぶち切れそうだったが、かろうじてこらえる。

 

「・・・・・・エルに頼んだんだ。彼女の能力なら、複数の対象を監視・報告できるから」

 

(なるほどね。ボクが標的にする人物にあたりをつけ、あのネズミを監視に当たらせたのか。そして何かあれば、すぐに知らせ、現場に向う。あの女の子の能力、やはり厄介だ)

 

 双葉はエルの能力をそう分析し、ジリッと後ずさる。

 

「双葉。こうして合うのはいつ以来振りですかね? でも、お前と再会の喜びを分かち合うことは、たぶんもうないっすね」

 

 玉緒が、悲しみと怒りの入り混じった複雑な表情を浮かべている。

 

「やあ、タマ。プロメテウス事件の時は、ありがとう。おかげで孝一君と知り合いになれたよ」

 

「・・・・・・・・・」

 

 玉緒は答えない。もう、会話を交わす事もないと思っているのかもしれない。

 

「それで、どうするんだ? この状況で、一戦やりあうか? こっちは全然構わないぞ」

 

 3対1というこの状況を、孝一は卑怯だとは思わない。双葉に同情もしない。これ以上、コイツが何かを仕掛けるのなら、全力でそれを叩き潰す。今はそれしか考えない事にした。

 

「双葉。お前が、好意を向けてくれることを、僕は嬉しいとはまったく思わない。むしろ迷惑だと思っている。お前の思いは一方通行だ。自分の都合ばかり優先して、相手のことを見てもいない。そんなのは愛情じゃない。ただの押し付けだ」

 

「・・・・・・・・・」

 

 孝一が双葉に非難の言葉を浴びせる。

 双葉はただ、その言葉をじっと聞くだけだ。

 だが、確実に何かの変化を与えたのは確かだ。

 先程までの、余裕の笑みが、彼女から消えている。

 

「はっきり言うぞ。『お前のことなんて、だいッ嫌いだ』。おまえと、友達にはならない。それ以上の関係にも決して、なることはない。それで、お前が逆上して報復に来るなら、今度は容赦しない。全力で、お前を再起不能にする」

 

「・・・・・・・・・」

 

 静寂が、孝一達を包み込む。

 誰も、何も答えない、静寂の時間。

 聞こえるのは、街の騒音。

 車やネオンから発生する音だけ。

 その静寂に終止符を打ったのは、双葉だった。

 

「・・・・・・・・・そこまで、嫌われたんじゃ、仕方ない。退散することにするよ」

 

 ゆっくりと、一歩ずつ、孝一達に背を向け歩き出す。

 闇の中にその身体を溶け込ませ、双葉はビルの雑踏の中に消えていく。

 誰も何も声を掛けなかった。

 かける言葉もないし、これ以上彼女と関わり合いになりたくなかったのだ。

 やがてその存在が完全に消え去った後、玉緒がポツリと「・・・・・・双葉」と声を洩らした。

 それが同情か、家族としての愛情だったのかは、玉緒にも分からなかった。

 

「・・・・・・一体、何なの? あいつは、何なの?」

 

 エルと共に地上に降りた涙子は、孝一に問いただす。

 その顔はまだこわばったままだ。

 よほど怖い目に合ったのだろう。

 孝一はしばらく黙っていたが、「このままだんまりを決め込むのは良くないっす」と玉緒に諭され、重い口を開いた。

 

「佐天さん。これは、僕の問題だ。君を巻き込むつもりはなかった。でも、巻き込んでしまった以上。話そうと思う。聞いてくれるかい?」

 

 その孝一の問いに、涙子は涙混じりにコクリと頷くのだった。

 

 

 

 漆黒の、街の明かりも届かない路地裏を、双葉は歩いている。

 その表情に浮かぶものは何もない。ただの能面だ。

 完全に、無表情で、双葉は路地裏をさまようようにのそのそと歩いている。

 

 だが、その闇にいるのは彼女だけではない。

 闇の中にはそれにふさわしい住人も存在する。

 

「おいおい姉ちゃん。こんな時間にお1人で、どこいくのぉ?」

 

 ヘラヘラとした表情を浮かべた男達が、5人。闇の中からその姿を現し、双葉を取り囲む。

 

「・・・・・・・・・」

 

 双葉は何も答えない。顔を落とし、ただ闇の一点を凝視している。男達のことなど眼中にないようだ。

 だがその様子を、おびえて声も出ないと勘違いしたのか、男達が下卑た笑い声を上げる。

 

「へっへっへっ。おびえて声も出ないんでちゅかぁ? 大丈夫、大丈夫。おれ、こう見えても女性には優しい方だから、もちろん『アッチ』のほうもなぁ」

 

「い、今のうちに、じゃんけんで決めようぜ?」

 

「馬鹿。順番なんてどっちでもいいじゃん。どうせ最初は、『全員』でお相手してもらうんだからよぉ」

 

 その時、男の1人が馴れ馴れしく双葉の肩に手を伸ばし、自分の方に手繰り寄せる。華奢な身体がすっぽりと男の身体に包み込まれる。

 

「早い者勝ちっ。俺はやっぱり『一対一』の方がいいなぁ」

 

「あ、てめー! 抜け駆けかよ!」

 

「てめ、コロスっ!」

 

 男達の野次が飛ぶ中、男が双葉を押し倒そうとする。

 

「・・・・・・ああ。ムカツク。思い通りにならない事って、なんでこうもイライラさせるんだろう」

 

「あん? 何か言ったか?」

 

 双葉のポツリと洩らした言葉に、男が何だと耳を伸ばした瞬間。

 双葉のスタンド『ザ・ダムド』が発現し、その触手で男を切り裂いた。

 ブワァとその切り口から鮮血、の変わりに大小様々なシャボン玉が飛び散っていく。

 

『ザ・ダムド』。名前は、双葉自身が自分の人生になぞらえてつけた。

 形容詞は、永久に地獄に落とされた。呪われた。

 あるいは、忌まわしきもの。

 家族に忌み嫌われたろくでなしの自分に、ぴったりなスタンド名だと双葉は思った。

 

 

「んあ!?」

 

 間抜けな言葉を残し、男はその場にズルリと倒れこむ。

自分が何をされたのか、皆目見当がつかなかった。

 

(おれ、どうしてここにいるんだっけ? それに体が動かない? なぜ?)

 

 地面に突っ伏した男は、立つこともしゃべることも出来ずに、コンクリートの地面に頬を押し付け、延々と「なぜ?」と問い続けるしかなかった。

 

 倒れた男を、何の感慨もなく、見下ろしていた双葉は、やがてゆっくりと男達に向き直る。

 

「て、てめ!? 何しやがった!?」

 

 男達数人が角材やナイフを持ち、双葉に襲い掛かる。

 しかし数歩歩いた瞬間、『ザ・ダムド』の餌食となった。

 

 2度。

 3度。

 4度。

 

 男達の体を複数回きり付ける、スタンドの触手。そのたびに体から大量のシャボン玉が飛び散っていく。

 

『5分前、いい女が裏路地を歩いていた。後をつける』

『今日は朝シャンをした』

『ダチの女がいい女だ、やりてぇ』

『1時間前、Bennysでダチ4人と食事をした』

 

 このシャボン玉に入っているのは、彼等の記憶。双葉のスタンド『ザ・ダムド』は触手で切った対象の記憶をシャボン玉状にして閉じ込め、奪う事が出来る。

 『ザ・ダムド』には二つの触手がある。1つは、相手の短期記憶を奪う『黒鎌』。対象の、短時間の記憶を奪う触手である。そしてもう1つ――

 『ザ・ダムド』の触手が赤く輝き、男達を再び何度も切り裂く。

 

 

『俺の出身地は長崎だ』

『小学時代、初恋の先生に告白した』

『6歳の頃、友達数十人から誕生日を祝ってもらった』

『親父の名前は川島幸助』

『俺は第七学区のアパートに住んでいる』

『呼吸の仕方』

 

 赤いシャボン玉に閉じ込められているのは、彼等の長期記憶。生まれや、家族構成、少年時代の思い出などが対象だ。『赤鎌』はそれらを奪い取る能力である。

 

「あーあ。残念。運がないね君」双葉が1人の男に告げる。

 

「ひゅーぅ。ひゅうー。ヒィッ。ヒィッ」

 

 男が、引き付けを起こして地面を転げまわる。彼が『赤鎌』で奪われたのは、思い出だけではなく、呼吸の方法。すなわち肉体の記憶である。

 男は「ヒィー! ヒィー!」と必死に息を吸おうとし、痙攣を起こしている。

 

「うぇぅえええええん。ここどこぉー。ママァ。パパァ」男の1人が幼児退行を起こし、泣き喚く。

 

「おれ。誰だっけ? なんでここにいるんだっけ? ていうか、きみたちだれ?」

 

 もう1人の男はこれまでの数十年分の記憶を根こそぎ奪われ、きょとんとした顔をして周りを見ている。

 

「あ――。あうぅ――」もう1人は完全に赤ん坊に逆戻りしている、指をしゃぶり、仰向けになり、体をゆらゆらと揺らしている。

 

 そんな彼等の周りを舞う、大量のシャボン玉達。『ザ・ダムド』は、腹の部分からバックリと大きな口を出現させ、全てのシャボン玉を吸い込み、飲み込んだ。

 

 後には無様な醜態をさらす男達がいるだけだった。

 

「ふんっ」双葉は男達をしばらく見下ろし、やがてその場から立ち去ろうとする。

 

「――おいおい。コイツは一体どうしたんだ?」

 

 黒い革ジャンを着た男がやってきた。

 茶髪のウェーブがかかった髪。そして手にはなぜか『ムサシノ牛乳』。

 彼の名前は黒妻綿流(くろづまわたる)。スキルアウトの1つ。ビッグスパイダーを束ねている。

 

 黒妻は様子のおかしい男達に「大丈夫かよ」と駆け寄る。

 

「お穣ちゃん。こいつはまさか、あんたが――」

 

 その言葉を最後までいえなかった。

 『ザ・ダムド』の触手が、黒妻の体を十文字に切りつけたからである。

 黒妻はその場に、糸の切れた人形の様に倒れ、動かなくなった。

 

「――いらつく。むかつく。むしゃくしゃする。こんな気持ちは初めてだ。こんなに愛しているのに。こんなに愛してあげたのに。想いが届かないなんてありえない。あの女が悪いんだ。きっとそうだ。そうに違いない。あの女。あの女。あの女。あの女。あの女・・・・・・」

 

 双葉は、その場から歩き出す。

 

「・・・・・・・・・」

 

 その一部始終を覗いていた人物がいた事を、双葉は知らない。

 男は、双葉がその場からいなくなると、一目散に逃げていった。

 

 

 明かりのある路地に出た双葉は、携帯でどこかに連絡を取る。

 

「――やあ。ボクだよ。ちょっと、協力して欲しい案件があって電話をしたんだ」

 

 電話の主と短いやり取りをする。

 

「君たちの組織『イレイズ』には色々協力してあげただろ? その借りを、ちょっと返して欲しいんだ。人員は2人程でいい。・・・・・・何をするのかって?」

 

 電話の主の問いに、双葉は笑って答える。

 

「1人、(さら)って欲しいヤツがいるんだ」

 

 その表情はどことなく、狂気をはらんでいるように見えた。

 

 

 

 

 


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