広瀬"孝"一<エコーズ>   作:ヴァン

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サルディナ ―孝一編その②―

「ん・・・・・・」

 

 まぶた越しに陽の光を感じ、サルディナは目を覚ました。

 眠気眼をこすり、周囲を見る。

 開け放たれた窓からカーテンがそよぎ、優しい陽の光が差し込んでくる。

 いつの間にベッドに寝ていたのだろう。訝しみながらもサルディナは上体を起こした。

 そのとたんに、手前の部屋からベーコンの香ばしい香りが漂ってきた。

 「フンフンフン」というジャックの鼻歌が聞こえてくる。どうやら、朝食の準備中のようだった。

 そういえば昨日から何も食べていない。

 そのことに気づくと、サルディナのお腹から「くぅぅ」という音が鳴った。

 

「ううっ・・・・・・」

 

 なんとなく気恥ずかしくなり、サルディナはお腹を押さえた。

 

「おーい。朝飯できたぜ。とっとと起きろぉ」

 

 ジャックがサルディナを起こしに寝室にやってくる。

 

「お前。私に何かしたか? 朝起きたら、ベッドに寝かされていたのだが」

 

 ジャックが来たとたん全身を毛布でくるみ、サルディナは頬を赤く染めじろりと睨む。

 

「ああ? 何もしてねぇよ。あいにく俺の守備範囲は30代からなんだ。お前みたいな洗濯板の胸なんか見ても、ちっとも嬉しくないね。んな下らん事言ってないで、さっさと飯食え」

 

「うぐ・・・・・・」

 

 そうやって全否定されるのも、それはそれで納得いかないのは何故だろう。

 サルディナはなんとなく釈然としないまま、ジャックの言葉に従った。

 

 

 2人がけのテーブルには皿が二枚とフォークが二本置かれており、中身は厚切りのベーコンが添えられたスクランブルエッグ、そしてこんがりと焼けたトーストといった内容だった。

 ジャックは自分のいつも座っている椅子に腰掛けると、自分のトーストにタマゴを乗っけてかじりついた。

 サルディナもそれに習い、席に座る。2人がけテーブルなので、ジャックと真向かいの形になるのがなんとなく気恥ずかしかったが、空腹には勝てない。フォークで自分の分のスクランブルエッグを一口大にしてすくうと、そのまま口に運んだ。

 

「おいしぃ」

 

 素直な感想が口から零れた。

 

「そりゃあ良かった。これでまた、『こんな塩分の多いものを乙女に食わすな』何ていわれたら、たまったもんじゃねえからな」ジャックがベーコンをパンにはさみつつ、皮肉を言う。

 

「そんなことは言わん。うまいものをうまいと言ったまでだ。そうつんけんするな」サルディナがフォークに刺した角切りのベーコンを口に運び、咀嚼する。

 

 その様子を見たジャックは「なんだ。今日はやけに殊勝じゃねぇか。昨日の傍若無人ぶりはどうした」と、からかい混じりの言葉を浴びせた。

 

 サルディナは「別に、なんでもない」と顔を膨らませ、食事を続ける。

 女心と秋の空とはよくいうが、ちょっとした言動で気分をころころと変えのは勘弁願いたいぜ。

 ジャックは、心の中で大きなため息をつき、食事を取る。

 しかしこのお嬢さん・・・・・・

 おいしそうにスクランブルエッグを平らげるサルディナを見やり、ジャックは昨日までのこの見習い魔術師の言動を回想する。

 

(――なるほどな。こいつはまさしく見習いだ。しかも「超」が付くほどの世間知らずだ。恐らく自分の仕事の内容も、それがどのような結果を生むのかという意味も、まだ深く考える事もないのだろう)

 

 トーストを全て平らげ、コーヒーを入れるために席を立つ。念のためサルディナにも訪ねると「暖かいココアがいい」とジャックに答えた。ジャックは「あいよ」と返しキッチンへと向かう。

 

「・・・・・・おっかないねぇ」

 

 ポットのお湯が沸くのを待つ間、ジャックはポツリと一言呟いた。

 それは、サルディナの行く末についてなのか、彼女をそういう風に教育した『アジャンテ』についてなのか。ジャックは自分でも分からなかった。

 

 

 

 

「・・・・・・おお。夜の時には分からなかったが、改めてみるとなんという大きさだ」

 

 高層ビル群に圧倒されるサルディナが周りをキョロキョロと見渡している。

 上空を飛ぶ飛行船や巨大な風車に驚き、自動掃除機に目を丸くし・・・・・・

 その姿はまるで地方から初めて都会に出てきた観光客のようだ。

 ただし、普通の観光客は全身黒ずくめのローブなど羽織ったりしない。

 特に早朝の人通りが多い時間ではその姿は目立ってしょうがない。

 

 彼らは現在、「ノートン探偵事務所」を出て、ファミレスまで向かう最中である。

 事前に連絡した待ち人に合うためだ。

 その際、サルディナが昨日と同じ黒いローブで表に出ようとしたため、「そいつは目立ちすぎるんじゃあねぇか?」と止めたのだが、サルディナの「これはアジェンテの正装だ。恥じることなどなにもない」という一言でしぶしぶ了承せざるを得なくなってしまう。

 案の定、道行く人々が怪訝そうな顔をしてジャックたちを見て通り過ぎていく。

 

(ったく。勘弁して欲しいぜ)

 

 こっちはただでさえ人目につくのは勘弁願いたい身の上だってのに。

 ジャックは帽子を深く被り、なるべく通行人と視線を合わさないように注意する。

 

「あはっ。すごいすごいっ。なあ、ジャック。あの建物は・・・・・・」

 

 だがそんなジャックの努力など、サルディナはお構い無しだ。

 ジャックの服を引っ張り、次々に質問攻めにしてくる。

 

「おい。サルディナさんよ。お前さんは観光をしにここに来たのかい」

 

 とりあえずたしなめておく。

 その言葉にサルディナは「ハッ」と息を呑むと、とたんに顔を真っ赤にして自制する。自分のはしゃいでいる姿を思い出し、羞恥心が蘇って来たのだろう。「コホン」と一つ咳払いし、顔をジャックからそらす。

 

「ったく。お前はどこの田舎から出てきた旅行者なんだよ。ビルくらい今迄だってあったろうに」

 

「し、しかたないだろ」サルディナが頬を膨らませて答える。「我ら流浪の民は特定の土地を持たない。大抵が、山奥や草原地帯や地下等を根城にしているのだ。それに私は、このような大都会を一度も見た事がなかったのだ。圧倒されて当然なのだ。うん」

 

 サルディナは自分で自分の行動を正当化するように、何度も「うん。うん」と頷いた。

 

「・・・・・・それよりジャック。そのコーイチという奴は、本当に信頼できる奴なんだろうな?」

 

 サルディナが話をそらすようにして、これから合う人物について、ジャックに再確認を取る。

 

「あたりまえだ。なりは小さいが頼りになる男だ。こいつが参加するか否かで、作戦の成否は劇的に変わるからな」

 

「ふーん」

 

 サルディナはまだ信頼できないといった顔で見ているが、ジャックには確信があった。

 これまでだって何度も、孝一はジャックを助けてくれた。

 絶体絶命のピンチを土壇場の大逆転に変える男。それが広瀬孝一という男だ。

 孝一となら今回のトラブルも、きっと乗り越える事が出来るさ。

 ジャックは希望の地を求める旅人の心境で、孝一との待ち合わせ場所へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 とあるファミレスにて。

 

「嫌です」

 

 開口一番、孝一はぴしゃりとジャックに言い放った。

 

「そりゃあねぇぜ!? 俺ぁまだ何にもいってないじゃねぇか!?」

 

 ジャックが「信じられない!」といった顔で孝一を見る。

 ファミレスの一室で、ジャックの真向かいに座る孝一の口から飛び出したのは、完全な協力拒否の言葉だった。

 

「いらっしゃいませーご注文はお決まりになられましたかー?」

 

 タイミングがいいのか悪いのか、ウエイトレスがメニューを携えやってきた。

 

(おい。なんだこの尊大な男は。こいつがお前の言うコーイチとかいう奴なのか?)

 

 ジャックの横に座っていたサルディナが、脇をつつきながら小声で訊ねる。

 サルディナはフルーツパフェを注文した。

 

(いいから黙ってろ)ジャックは同じく小声でサルディナに返し、コーヒーを注文する。

 

 最後の孝一はカフェオレを注文する。ウエイトレスは注文を読み上げると「しばらくおまちください」といって、頭を軽く下げると去っていった。

 

 ウエイトレスが去った瞬間。

 

 「あんたなぁ・・・・・・」孝一はまるで詐欺師を見るような目でジャックを睨む。「今まで何度でしたっけ? こうやってジャックさんに『お願い』とやらをされたのは」

 

「そ、それは」ジャックが言いよどむ。

 

「あんたにされたお願いで、平穏無事に解決したものってありましたか!? いいや、なかったね! 下水道の件も宝石強盗の件も、こっちは何度死にそうな目に合ったことか。たぶん普通の人間だったら5回は死んでますね。絶対!」

 

 孝一は早口でまくし立てるようにジャックを責める。よほど煮え湯を飲まされてきたのだろう。その様子はまさに怒り心頭といった感じだ。

 

「で、でもよう・・・・・・。こうして待ち合わせのファミレスまで来てくれたって事は、少なくとも話だけは聞いてくれるんだろう?」

 

 ジャックは孝一が話し終わるタイミングを見計らって、おずおずと訊ねる。

 

「そ、そりゃあ、電話で『絶体絶命の大ピンチだ。お前が来てくれなきゃ俺は死ぬ』なんていわれたら。後味悪くて仕方ないじゃないですか」

 

 流れが変わりそうだ。

 ジャックは頭をテーブルにこすり付け、情に訴える作戦を取る。

 

「たのむ。今度こそ本当の本当に、ピンチなんだ。俺だけじゃない。この子の将来に関わることなんだ」

 

「あの、ジャックさん。さっきから気になってたんですけど。この子、誰です?」

 

 孝一はファミレスに来た時から気になっていたことをジャックに聞く。

 中年男性と、年端も行かないような少女。明らかに不自然な組み合わせだ。

 

「おお。よく聞いてくれたな。実は――」

 

 ジャックはその言葉を待ってましたとばかりに、昨夜にやってきた、この見習い魔術師の話を孝一にする。

 

 ――こうなったら、無理にでも話を聞かせて共犯にしてしまおう――というジャックの打算的な思いに、孝一はまたしてもトラブルに片足を踏み入れてしまうのだった。

 

 

 

「――はあ。魔術師さん。ですか」ウエイトレスが持ってきたカフェオレを飲みながら孝一がジャックの隣にいる少女をまじまじと見る。

 

「サルディナという。ジャックはお前のことを高く評価していたが、にわかには信じられんな」

 

 孝一の気のないような返事に、サルディナは「コイツ本当に頼りになるのか?」といった微妙な表情で答える。

 

「俺の話は以上だ。運び屋のアハドという男を捕まえるために協力してくれ! 孝一。お前はこんないたいけな女の子を見捨てるつもりか? 何とかしたいと思わないか? ちょっとやってやるぞって気にならないか?」

 

「なりませんよ。大体、どんな品物で、今どこに保管してあるのかもわからないのに、どうやって探せって言うんです?」

 

「場所は分かっている。『オーシャン・ブルー』と呼ばれる建物のどこかだ。詳しい場所は、近付けばこの紋様が教えてくれる」

 

 それまでフルーツパフェを一心不乱に食べていたサルディナが、二人の会話に割り込んでくる。フードの袖口を少しめくり、右腕を差し出すとジャック達に掲げてみせた。彼女の手首周辺には丸や、古代文字らしき奇妙な文字が書き込まれている。

 

「なんだそりゃ」ジャックが腕に刻まれた紋章を指差し、訊ねる。

 

「昨日説明しただろう。商品を強奪しようとする不届きな輩がいると。そういう手合いに対処するために、商品にはあらかじめ追跡(トレイス)の文字(ルーン)が刻まれているのだ。今回の品物にも当然それが刻まれている。商品に刻まれた文字(ルーン)と私の文字(ルーン)。近付けば互いに共鳴反応が起こる」

 

「へぇぇ。なんか、すごいなぁ。本当の魔法使いみたいだ」孝一の素直な感想に「本物だ。愚か者」とサルディナは鋭いツッコミを入れた。

 

「オーシャン・ブルーは数週間前に急遽閉館が決まった建物だ。今は目下閉店セールで格安販売中。人の出入りはすこぶる激しい。その盗んだ奴も、迂闊には別の所に運び込むことも出来ないってわけか。見失う心配はなさそうだな。だがまてよ?」ジャックがコーヒーを一口啜り、疑問を口にする。「ちなみに、品物はどんなものなんだ? 形状が分からねぇと、持ち運びの仕様がないぞ」

 

「それも問題ない。段ボール箱程度の大きさだ。数量は片手で数得られるほど。あとは全て回収したらしい。品物は何かは私は聞かされていない。ただ、名前だけは知っている。『ガナンシィ』というそうだ」

 

「ガナンシィ!?」

 

 その言葉を聞いたとき、ジャックには思い当たる節があった。こう見えても裏の社会に身をおく人間だ。それなりの情報は入ってくる。

 今の言葉が間違いじゃなければ。かなり、ヤバメの品物だ。このお穣ちゃんには荷が重過ぎる――

 それは技術的なことだけではなく、もっとメンタルなもの。

 つまり、心構えや自分の行動に責任を負えるほどの強い覚悟だ。このサルディナにそんな覚悟があるとは思えなかった。

 冷酷な言い方かもしれないが、サルディナにはそういった、闇の世界で生きていくための才能がまったく無かった。それは、昨日まで一緒にいてすぐ分かった事だ。

 

「・・・・・・・・・」ジャックはサルディナを見る。あの、闇の世界の住人独特の、冷たく濁ったオーラが、サルディナには感じられない。だとしたら――

 とたんに、気が変わった。

 他人に強要された仕事というのは今一つ身が入らなかったが、今は違う。

 サルディナを、放って置けなくなった。

 他人の生き方に干渉するのは本位じゃないが、それでも彼女と出会ってしまったのだ。出会い、心惹かれるものがあるのなら、見過ごすことなどできない。

 

「ひとつ、お前に聞いておきたい事がある」ジャックはサルディナに訊ねた。「お前が試験を合格するのに躍起になっているのは分かる。どこの世界でも、見習いなんて、ろくな扱い受けないだろうしよ、お前が速く昇格したいって言うのももっともな話だ。だからお前に問いたい。お前、今回の試験で、人を大量に殺す覚悟はあるのか?」

 

「何の話だ? これは私の試験だ。何故人を大勢殺す必要があるのだ?」サルディナは怪訝な表情でジャックを見る。

 

 ジャックは真剣だ。真剣な表情でサルディナを見ている。その表情を見て、二人を諌めようと思っていた孝一は様子を伺うことにした。ジャックがサルディナに何を言うつもりなのか興味があったのだ。

 

「俺は不器用だからな。さりげない気配りなんて出来やしねぇ。だからはっきりいうぜ。サルディナ。お前は、この仕事に向いてない。今すぐ転職をオススメするぜ」

 

「なんだと」

 

 その言葉を聞いて、サルディナが激昂し、ジャックの襟元を掴んだ。

 

「お前は、私を愚弄するのか? いうに事欠いて『向いてない』だと!? 何故だ!? 何故そんなことをいう! お前に、私の何が分かると言うのだ!」

 

「お前の試験で追っている薬品が、いずれ人を大勢殺すと分かっていてもか?」

 

「なに?」

 

「『ガナンシィ』情報に間違いが無けりゃ、コイツは都市部壊滅を目的に開発された麻薬だ。元々はロシア政府が能力開発の試験薬として開発していたらしい」

 

「能力開発、ですか?」孝一が興味深そうにジャックに尋ねる。

 

「なにも、学園都市だけが能力開発を行っているわけじゃねぇ。話題に上らないだけで、アメリカでも、中国でも、イギリスでも、世界中のいたるところでそういった実験は行われているのさ。やっぱりだれしも、未知の能力を得たい、っていう欲求はあるからな。・・・・・・『ガナンシィ』はそんな能力開発の実験中に開発された新薬だ。服用すれば、人間の身体機能を一時的にだが、飛躍的に向上させる事が出来るらしい」

 

「すごい! それが本当なら、夢の薬じゃないですか」

 

 感心する孝一に「話には続きがあるんだ」とジャックがいう。

 

「そんな薬が開発されたなら、確かにすごい。ノーベル賞ものだ。だが、おいしい話には裏がある。この薬に思わぬ欠陥がある事が分かっちまった。それは、重い中毒症状だ。薬を服用した被験者は、身体機能を向上させる代償として、酷い薬物依存状態に陥っちまう事がわかったのさ」

 

「そ、それでっ」ジャックの話を聞いていたサルディナがジャックに食って掛かる。「その話と、さっきのお前の私への暴言がどう関わるんだ!? これがどうして人を大量に殺すことに繋がるのだ!?」

 

「まだわからねぇか? この薬自体は、あまりにも危険だという事で、第一種指定薬物に認定された。製造自体行う事が違法になった。だがそれは表向きだ。裏の世界では、この薬は、政権奪回を狙う政治家や、民族浄化を謳うテロ組織なんかに流れ、悪用されている。手口としてはこうさ。まず、表向きはごく安全な能力向上薬として、市場にばら撒く。実際能力は向上するんだから嘘じゃねえわな。大体一ヶ月か、うわさを聞きつけた市民達に口コミが広がり始めるのは。それから後は、もう何もしなくても売れる状態さ。そして、十分に薬物服用者の数を確保した所で――」ジャックはカップのコーヒーを全部飲み干し、孝一とサルディナの顔を見る。「薬物の流入を止める。物流の流れを完全にストップしちまうのさ。するとどうなると思う?」

 

 ジャックは孝一に尋ねる。

 

「えーっと。薬をどこからも供給出来なった人達は、一斉に中毒症状になる?」

 

「正解だ。中毒症状になり、正常な判断が付かなくなった人々は、互いに言い争うようになる。そして、既に無い薬を求めて、所構わず暴れまわるようになる。そんな時にだ、ポツリと耳元でささやいてやるのさ。例えば『隣の家の住民が薬を大量に保管しているぞ』とか『政府が薬品に規制をかけている。今の現状は政府のせいだ』とかな。国を簡単に転覆させてしまう程の薬。それが『ガナンシィ』だ」

 

「え、ちょっとまってくださいよ? それが少量でも、この学園都市にあるってことは!?」孝一が事の重大さに気が付く。

 

「そうさ。能力時向上がうたい文句の薬品だ。無能力者の奴らにはさぞや受けがいいだろうよ」

 

「そ、そんな? 大変じゃないですか! 今すぐアンチスキルに連絡しないと」孝一は携帯を取り出す。

 

「そいつは止めたほうがいい」ジャックが手でそれを制す。「あまりに危険だ。例えば追い詰められたヤツがやけくそになって爆弾でも起動させるかもしれない。特にオーシャン・ブルーは今、大量に人が出入りしているからな。ヘタすりゃ大惨事になりかねない」

 

「つまり・・・・・・。僕達で、秘密裏に回収しろと?」

 

「それが人死にを出さず、平穏無事に解決する最善の策だと思うぜ。運び人の野朗は商品を回収した後、ボコボコにしてアンチスキルに引き渡しゃいい」

 

「・・・・・・・・・」

 

 二人の会話をサルディナはテーブルにうつむきながら聞いていた。先程ジャックに対して抱いていた怒りも消え去り、胸に去来するのは命の重み。

 人の命や重みというものを急激に実感し始めたのだ。それを察したジャックが優しく声を掛ける。

 

「サルディナよ。どんな物事にも責任っていうものは付きまとうんだ。人間は、自分の行った行動に、責任をとらなけりゃならない。俺は『アジャンテ』の生き方そのものに苦言を言っているんじゃねえ。世界には違う価値観・理で動いている人間ってのはいるからな。だがよ、お前はどうなんだ? 事を成す時、全てを背負って生きる覚悟ってのが、あるのか? 他者を犠牲にする事が出来るのか? 自分の運んだ品物のせいで、大勢の人間が死ぬという罪の重さ。お前はそれに、耐え切れるのか?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 サルディナは何もいわなかった。ただ静かにジャックの言葉に耳を傾けるのみだった。

 

「それでも・・・・・・」やがてポツリと言葉を吐く。「私は使命を全うする。しなければならない。だって、そうじゃなきゃ、私は生きられない。他に生き方を知らない・・・・・・」

 

 孝一もジャックも何も言わず、そしてサルディナもこれ以上口を開くことはなかった。

 ただただ静寂だけがその場を包み込んでいた。

 そして、会議はそのしばらくの後、お開きとなった。

 

 

 

 

 

 深夜。

 ジャックは昨晩と同じソファで横になっていた。

 ベッドはサルディナに貸してやった。幼い少女には命と向き合う機会が必要だと感じたからだ。

 

「決行は、明日だな・・・・・・」

 

 誰にとも無く呟く。

 明日、オーシャン・ブルーへと赴く。

 それがどんな結果になろうとも、サルディナにいい結末を迎えさせることは出来ないだろう。その事が少し心苦しい。

 

 孝一は協力してくれることになった。「『ガナンシィ』が市場に出回る事態は阻止したい」というのが理由だった。

 孝一。いつもすまない――ジャックは心の中で謝罪した。

 毎回トラブルに巻き込むのはジャックにとっても本意ではない。だけど、それでも頼らざるを得ないのは、他に信頼できる友人がジャックにはいないからだ。嘘や騙しあいが日常のジャックの生活で、孝一という存在がどれほどありがたいか。『まるで俺という地上の虫を照らしてくれる太陽』とはジャックの談だ。

 

「――ジャック。おきてるか?」

 

 ふいに、サルディナの声が聞こえた。

 

「――ああ、起きてる。どうした。緊張して、眠れないのか」ジャックは起き上がり、振り向く。そこには少し落ち込んだ様子のサルディナがいた。サルディナはジャックから借りたパジャマを着て、マクラをギュッと両手で抱きしめている。

 

「お前のせいで、眠れない。だから、責任を取れ」

 

 そういうと、ジャックのソファまで歩み寄り、隣にポスンと腰を下ろした。

 

「眠れるまで、話し相手になれ」

 

 マクラで口元を隠しながら、サルディナは頬を染めてこちらの様子を伺っている。

 ジャックは少し気恥ずかしい、それでいてどこか放って置けない雰囲気を感じ取り、「わかったよ」と短く呟いた。

 

 

 ――夜が更け、新しい一日が始まる。

 それぞれの想いが交差する一日が。

 

 上条当麻はインデックスと、明日開催される早食い大会に優勝するため作戦を練り、

 御坂美琴はゲコ太グッズを集めるための下準備を進めている。

 内田和喜は委員長とはじめて遊びに行くアミューズメント施設に心躍らせ、

 佐天涙子はアルバイトの内容をまったく知らないまま、興味本位で参加する。

 

 視点が変われば、物語もまた変わる。

 広瀬孝一とジャック、サルディナの物語はどのような着地点を見せるのか。

 『オーシャン・ブルー』を舞台とした物語。

 今再び、開幕。

 

 

 

 


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