真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
(頼むぞ……朱里!)
一刀は大きく深呼吸をして、諸葛亮へ目配せする。内容に関する議論で敗北した以上、
諸葛亮は心得たとばかりに深く頷くと、一つ間を置いてから口を開いた。
「孫権殿のお話はよく分かりました。ですが……2つほど確認したい事項があります。よろしいでしょうか?」
その言葉に孫権が首を縦に振ると、諸葛亮は一つ一つ言葉を選びながら、慎重に問いかける。
「貴方は最初に、ご自身の事を“袁公路様の代理”だと、そうおっしゃいました。これは間違いありませんか?」
「間違いない。先日、袁術様から直々に、今回の交渉における特命全権大使として任命された。無論、認証済みの信任状も持っている。」
懐から信任状を取り出す孫権。上質の紙には袁家の印が押されてあり、孫権が袁術の正式な代理であることを証明していた。
「なるほど……たしかに、袁家の印と見て間違いないようです。ご無礼をお許しください。」
諸葛亮は慇懃に一礼する。
「では、もう一つ確認させてもらいますが……袁術殿は公式には、どのような役職に?」
「ッ……!」
そこで孫権は、ようやく諸葛亮の言わんとする所を察する。それは、袁術の複雑な支配体制の矛盾点を正確に突くものだった。
豫州――春秋戦国時代には宋・楚、蔡・魏が入り乱れ、一説によれば黄河文明発祥の地とも呼ばれる地。漢代に入ってからは袁家が先祖代々本拠地としており、汝南郡と頴川郡を中心に強い影響力を持っていた。袁家当主の最有力候補だった袁紹が冀州牧に任命された事もあり、洛陽会議以降は袁術の勢力圏に入る事になった。
しかし、洛陽会議で豫州牧に任命されたのは袁術では無く、その配下の孫賁という男だった。孫賁は袁術の客将となっている孫家の人間であり、袁術は自分の部下を州牧に任命することで豫州牧を実効支配していたのだ。当然、豫州は関税自主権返上や領事裁判権承認、最恵国待遇に思いやり予算など、袁術に有利な法律・政策が実施される。
なぜこのような回りくどい方法を取ったかについては諸説あるが、一番信憑性が高い原因はやはりコストの問題だろう。
間接統治は直接統治に比べて収入は減るが、それ以上に官僚や軍隊の維持に必要なコストが減る。治安維持や社会保障、徴税業務に戸籍管理といった公共支出・行政経費はほぼゼロに等しい。よって通商ルートの安全を保障し相手に自由貿易を強制できる軍事力と、圧倒的な経済力を有している限り、直接統治よりも間接統治の方が収益性は高いといえよう。
商人の力の強い袁術陣営では財政支出は可能な限り抑えるべきものとされ、その姿勢が支配体制にも現れていた事が、当時の記録にも記されている。
『可能ならば非公式に、不可能ならば公式に』
――汝南袁家・外交教書演説より
このような領土支配を伴わない袁術陣営の経済支配政策は、非公式帝国主義ともよばれる。しかし“非公式”であることが、ここでは裏目に出ていた。
袁術は“公式”な豫州牧で無いどころか、『徐州牧』にすら劣る『南陽群太守』に過ぎなかったのだ。
「……袁術殿の公式な役職は“南陽群太守”だ。だが――」
しかし、孫権が口を開く前に諸葛亮は声を張り上げ、退路を遮断する。
「であれば――貴女の持つ条約署名・調印権は、荊州に所属する“南陽群”に限ったものであって“豫州”はその対象外のはず。
何ゆえ、あたかも豫州の外交権を保持しているかの如く振舞うのか」
凜として響く、幼い少女の声。
決して大きくもなく、強くもないその声は、静まり返った部屋の隅々に渡るまで響き渡る。諸葛亮は毅然とした面持ちを崩さず、だが視線だけは鋭利なものへと変えた。
「孫権どの。返答や、いかに」
してやられた――孫権は思わず、ここで舌打ちしたい思いに駆られる。彼女のみならず、その周囲にいた袁術の使節達の、誰もが同じ思いを抱いていた。
(流石は『伏竜』、諸葛公明とでも言うべきか……)
本当に痛いところを突いてくる。政治・経済的な正当性で争う事が不利を見るや、論点の主旨を法的な正当性の問題へと切り替えた。これで今回の議題は振り出しに戻ったわけだ。いや、振り出しならまだしも、今やこちらが形勢不利になってしまっている。つい数分前まで有利だった状況が、今や完全に諸葛亮の掌の上だ。
こうなった以上、純粋に外交的な手段で孫権……袁術陣営に出来ることは、ひたすら見返りを提供する以外にあるまい。一度南陽に戻って指示を仰ぐ手もあるが、今度こそ劉備達も万全の態勢で迎え撃ってくるだろう。最悪、イデオロギーの違いを棚上げにして曹操と同盟を結びかねない。
(……仕方ないか。劉勲達には悪いが、独断専行させてもらう。私達が守るべき民……その生活の為に)
ここから先は、完全に出たとこ勝負だ。周囲の使節達が何か言おうとするのを遮って、孫権は口を開いた。
「……そちらの仰るとおり、私自身は袁術殿の代理に過ぎず、当の袁術殿もまた南陽群太守に過ぎません。徐州牧殿に比べれば格式は劣る事でしょう。」
「……」
諸葛亮は無言で、孫権の言葉に耳を傾ける。
孫権は一旦こちらの言い分を認めたような発言をしたが、本心から言っている訳でもあるまい。一度持ち上げてから落とすなど、舌戦においては基本中の基本……だからこそ、まだ油断はできない。いいや、むしろこれからが本番なのだ。
「されど――貴女は我々の内情を誤解している。豫州と南陽群の組織と活動は、袁家が全てを取りまとめている訳では無い。皇帝陛下から統治を委託された豪族達の“自由な意思”のもと、『民主集中制の原則』に従って治められているのだ。」
まるで法律を読み上げているような、独特な言い回しを多様した孫権の言葉。その意味を正確に理解出来た者は、袁術の使節団を除けば陶謙と諸葛亮ぐらいのものか。
民主集中制とは……下から上まで全ての権力機関は民主主義的に構成され、上級機関の決定は下級機関にとって無条件の拘束力を持つ――いわば意思決定までは民主的な議論を尽くして多数決で決めるが、決定された決定には絶対に逆らってはならない、という制度だ。
民主制と独裁制を混ぜたようなこの制度は、もともと組織における分派や造反組の結成を阻止する為のもの。
豪族や商人の力が大きく、リーダーシップ不足が否めない袁術陣営では地方分権・封建的な色彩が強い。しかも豪族達や商人はそれぞれの領地や仕事を持っており、会議が開ける時期は極めて限られている。故にこの「寄り合い集団」が一貫した政策を行うには、行動の統一が必要条件であり、一度会議で決められた決定が覆されるような事があってはならなかった。
それを解決するべく採用されたのが、“討論の自由と行動の統一”という言葉に代表される、官僚主義を体現したかのような民主集中制だったのだ。
「本文書には、我々の対外関係全般をつかさどる外務人民委員会の印が押されている。」
そして官僚主義のもとで一度下された決定は――
「であれば、この決定は豫州と南陽群に住む全ての人民の意志と等価。合計人口900万以上……かの地に住む全人民の意志を否定するならば、それなりの覚悟はしてもらおう」
どんな犠牲を払おうとも、覆されてはならないのだ――
「忠告しよう……あまり袁家を舐めない方がいい。象の動きは鈍重だが、本気で動き出せば大抵の障害物は粉砕できる。大きさは、それだけで力なのだ。」
ゆっくりと、厳かに、孫呉の姫はそう告げた。
それは徐州側に対する、あからさまな恫喝。居並ぶ文武百官も思わず絶句する。
自らの内包する官僚主義的弊害を利用した、典型的な瀬戸際外交だ。もちろん、絶対に戦争になるという確証は孫権にも無いだろう。だが、徐州の3倍はあろうかという圧倒的な人口差を見せつければ、徐州側の士気を挫く事は出来る。この時代の常識から言えば、人口差はそのまま経済・軍事力の差となるのだ。
「孫権殿……今の発言は我々への“脅し”ですか?」
「無論、そんな事はない。これはそちらへの“警告”だ」
そんな事は無いと言いつつも、孫権の語中で“忠告”が“警告”へと格上げされた事を、諸葛亮は聞き逃さなかった。
「……」
「……」
見えない火花を散らす、諸葛亮と孫権。彼女らの舌戦と行方次第で、軽く100万を超える民草の生活が変わるのだ。お互いに守るべき民を抱えているだけに、一歩も引く様子は無い。まだ若い、いや少女といっても差し支えの無い年齢の娘2人に、歴戦の武将すら固唾を飲んで見つめていた。
(結局、こうなってしまいましたか……)
諸葛亮は小さく唇を噛み締める。
もとより、力関係では圧倒的に相手側の方が有利なのだ。敢えて今まで力押ししなかったのは、対等な立場である事を強調し、こちらに気を遣ったがゆえ。例え無理を通せる力があろうとも、使わないに越したことは無いからだ。逆にいえば、その気になればいつでも押し切れるということ。
対して、徐州側に単独で対抗できる力は無く、しかも孤立無援の状態だった。
(揚州は前から袁術さん達が半植民地化してますし、青州は曹操軍という身近な脅威に怯えて妥協的。かといって曹操さん達を味方にするには……)
本来なら、こういった場面では別の列強に協力をあえぎ、両者を争わせて徐州の利になるように誘導するべきなのだ。
だが反董卓連合戦以降、劉備達と曹操はイデオロギーの違いもあってずっと対立してきた。生半可なエサで曹操は釣れないだろうし、かといってそれなりの見返りを与えれば、今度は徐州内部から反対を受けてしまう。感情レベルでの反発もあるし、交渉は袁術以上に難航するだろう。
そもそも「武力による中華の統一」を目指す曹操が、劉備達の独立を認めるかどうか疑わしい。下手をすれば“袁術に取られない内に徐州を潰そう”という判断を下す可能性すらある。
また、正式な同盟こそ結んでいないものの、劉備達は旧知の仲である公孫賛と懇意にしており、それが曹操との接近を更に困難にしていた。
公孫賛と袁紹は長年対立しているし、袁紹と曹操は同盟を結んでいる。しかも曹操が狙っている青州は公孫賛寄り。袁術に対抗する為に曹操を味方にすれば、間接的に公孫賛や青州を敵に回してしまうのだ。友好勢力を敵に回し、長年の敵に鞍替えする事がどれだけのリスクをもたらすのかは言わずもがな。一時の勝利の為に、長期的な国益を損なうなど愚の骨頂でしかない。
「もう一つ。……恥ずかしながら、人民委員会の活動は慈善活動でも友愛を説く事でも無い。むしろこの世の俗と欲望そのもの。純粋に、ただひたすら純粋に利益を追求する巨大な官僚機構だ。」
孫権は、相変わらず怯んだ素振りも見せずに話を続ける。
「そして巨大な組織というものは、一度決断を下せばその巨大さ故に引き返せない。仮にこの場でで私を論破したとして……」
次に来るのは、より容赦の無い“力”そのもの――
最後にそう言って、孫権は話を締めくくる。その口調と表情からは、相変わらず何も読み取れない。どこか達観していると言ってもいい。ただ、紺碧の瞳だけが深い憂いを湛えていた。
「…………」
再び、議場に沈黙が下りる。
誰も言葉を発しない。いや、発せないのだ。
孫権の言葉は推測に過ぎなかったが、ただの推測と一蹴するにはあまりにも真に迫っていた。
そこにあったのは、劉備達の目指す“理想”とはかけ離れた、不条理で無機質な“現実”だ。
己のやり口を卑怯とを知りながら、敢えて孫権は彼女にとっての“現実”を見せつけた。
哀愁と諦観の混ざった瞳で、真摯に、誠実に、最も高い可能性を予測した。
無慈悲な力によって母を奪われ、現実を見せつけられ、それでも力に頼らざるを得ない……そんな彼女の言葉だからこそ、それは抗し得ぬ説得力を持って劉備達の心に突き刺さる。
「………」
陶謙は無言で、目の前にいる女性の言葉に耳を傾けていた。同時に彼女の一連の発言によって、議場の雰囲気が変わった事にも気づいていた。そして――
「…………よかろう。」
沈黙を破る、小さな声。この場にいる者全ての視線が、陶謙一人に向けられる。
「これより、決を取る。同盟に賛成の者は右へ、反対のものは左へ移動せよ。徐州の未来を考え、各自が最善と思う決断を下すが良い」
主君の命を受け、全ての家臣達が一斉に動きだした。他の誰でも無い自分自身の頭で考え、最初の一歩を踏み出す。
距離にすれば僅か数尺しかない移動。だがそれは徐州に住む、全ての民を左右する数尺なのだ。
一歩、また一歩。自分の決断を噛み締めるように、ゆっくりと移動する。
果たして結果は――
「……賛成9割、反対1割、棄権無し。」
怒りも無く、喜びも無く。静まり返った室内に、ただ事実だけが陶謙の口から羅列される。
決断の時は来た――陶謙は玉座から立ち上がり、己の敗北を高らかに謳い上げる。
「……よって、徐州牧・陶謙の名の元に、南陽群太守・袁術との同盟締結を宣言する!」
全ての家臣が、その言葉に頭を垂れる。
全員が心から納得した訳では無い。中には小さくかぶりを振った者もいれば、熱くなった目頭を押さえる者もいる。
だが、面と向かって異議を唱える者は一人もいなかった。
◇
(皆、現実を理解したのか……)
陶謙は、そっと目を閉じる。
彼が州牧に就任してから十数年……徐州で大きな戦乱は起こらなかった。黄巾党の乱も、董卓の暴政も徐州の人間からすれば遠い彼方での出来事、と言う程度の認識でしかない。つまるところ全員が平和ボケしているのだ。戦争という現実的な恐怖を見せつけられれば、場の空気が妥協・譲歩という安易な道に流れても不思議は無いだろう。
(だが――
――それで良い!)
家臣達が様々な感情に揺れ動いている中、陶謙はただ一人、奇妙な高揚感に包まれていた。外交・経済戦争で負けたにも関わらず、「負け」を自ら選べたという英断に陶謙は安堵する。
(そう、これで良いのだ。屈伏、屈辱、構わぬ大いに結構。折れるべき時に折れずして何が政治家か)
陶謙は、長年生きた経験から知っている。
歴史が何度も証明している通り、絶対的な“現実”と圧倒的な“力”の前では、理想や民の意志、小国の意地などただ踏みにじられるモノしかない、と。
(……徐州が生き残るには、他勢力との協調は欠かせぬ。つまり、裏を返せば我々には単独で独立を維持できるほどの力は無い、ということ)
誰よりもその事実を理解していた陶謙は、優れた外交手腕でもって徐州の独立を維持してきた。だが皮肉な事に、長い平和が逆に家臣達の現状認識能力を曇らせてしまった。平和に慣れきった家臣の中には戦のなんたるかを忘れ、己が正義を過信し「曹操、袁術、恐れるに足らず」と思い上がる者まで出てくる始末だ。
正義は一つではない。国の数だけ、組織の数だけ、人の数だけ価値観があり、それに基づいた正義がある。そして正義と正義がぶつかり合えば、当然ながらより強い方の正義が勝つ。
(今の我らに必要なのは、理不尽に屈する勇気――小国が生き残る条件を忘れれば、安易な自尊心と引き換えに大国に蹂躙されるだけじゃ……)
どんなに見苦しくとも、自尊心をずたずたに引き裂かれようと、生きてさえいれば未来はある。大義や正義、理想や誇りなどというモノは強者の贅沢でしかない。弱者はまず、己が弱者である事を知り、限界を知った上で行動せねばならないのだ。
(玄徳どの……)
憂いを帯びた陶謙の目は、部屋の片隅で頭を下げたままの、桃色の髪をした少女に向けられる。彼女は部屋の左側、つまり同盟反対の側にいた。
(理想を追い求める貴女の姿勢は素晴らしい。だが、この機会に覚えてもらいたい。不条理な現実と、その中で生き残る術を知らねば、理想を為すことは出来ぬと……)
長い髪に隠れて、劉備の表情はうかがい知れない。隣に立つ北郷は唇を噛み締め、関羽は武器を握る拳に力を込めている。諸葛亮と鳳統は……彼女達の反対側にいた。軍師として、主君らの意に反してでも“客観的に正しい”選択をしたのだろう。
(貴女は幸せじゃよ。常に傍らで支え続けてくれる部下と、必要とあらば君命に逆らう気概のある部下の両方を得ている。これからの時代は益々そなたにとって厳しくなるだろう。だが、斯様な部下がいる限りは……)
何にせよ、家臣達は決断した。自分達自身の意志で、袁術への屈伏を選んだ。自尊心を捨て、屈辱的な譲歩という“合理的”な選択を成し遂げたのだ。
◇◆◇
翌日――
孫権たち使節団は、南陽へ向かう馬車に乗っていた。交渉が終わった以上、もはや徐州に用は無い。一刻も早く宛城へ戻り、詳細な報告をするのが次の仕事だ。
馬車の中には2人の人間が座っていた。片方は全権大使を務めた孫権、もう片方は片眼鏡をかけた、こちらも若い士官だった。
「蓮華様……本当によろしかったのでしょうか?」
「具体的に、亞莎はどこが気になるの?」
孫権は書類から目を上げ、亞莎と呼んだ少女を見る。
姓は呂、名は蒙、字を子明という。最近になって軍師見習いに大抜擢された、孫家の若手ホープの一人だ。
「同盟の話です。恫喝混じりの交渉をすれば、我ら孫家の印象は確実に悪化します。袁家の為に、そこまでする必要があったのでしょうか?」
「では、少しきつい言い方になるけれど……与えられた使命を放棄して、交渉を決裂に追い込んだ方が良かったと?」
「それは……」
呂蒙は答えられなかった。
彼女の主君が最も気にかけているのは袁家でも孫家でも無く、自分達の治める民草の生活だ。重要なのは孫呉の民の生活であり、孫家の独立や袁家打倒などはそのための手段に過ぎない。
今回の交渉を決裂させてしまえば袁術陣営は徐州という市場を確保できず、それは南陽群と豫州の経済にとって大きなダメージとなるだろう。打倒袁術には一歩近づくかも知れないが、守るべき人民の生活に悪影響を及ぼしてしまっては、本末転倒なのだ。
「それに………本当に追い詰められているのは彼らじゃない。我々の方だ」
「一度為された決定は変更されてはならない」……官僚主義の有名な弊害の一つです。あまりにも組織が巨大だからこそ、変更する手続きとかのコストが大き過ぎて、多少状況が変わったぐらいじゃ変更できないんですよね。
ただ、ソビエトの民主集中制なんかはロシア内戦、第2次世界大戦を乗り切る上で大いに役立ったそうです。平時じゃ弊害が多そうな制度ですが、意見や方針が2転3転しない分、戦時には有効だとか。
次回は書ききれなかった袁術領経済の話を書こうかと思います。