真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
名門というのは、それだけで自然と各方面に顔が利く。官僚、宦官、地方豪族に商人など、あらゆる種類の人間から断片的な情報を集めることで、劉勲らは中華の動向を把握していた。
逆にいうと、そうでもしなければ董卓軍と反董卓連合軍の双方の間を泳ぎ回るなど出来はしない。
「なんというか……よくもまぁ、この短期間でこれだけの情報を集めたものね……」
洛陽の見取り図を覗き込みながら賈駆が嘆息する。
地図には至るところに渡って、兵の種類と配置を表す駒が置いてある。陳留と氾水関の中間地点には連合軍を表す多数の駒が、氾水関と虎牢関には董卓軍を表す駒が置かれていた。
また、洛陽にも張譲の息のかかった官軍が待機しており、それもしっかりと再現されていた。これら情報は袁術軍の抱える多数の密告者や、兵站を支える商人ネットワーク、袁家と繋がりのある豪族や官僚から得られたものだ。
何も敵地にスパイが直接潜入し、情報を得るだけが諜報活動では無い。孫呉の周泰などはいわゆる「工作員」の代表だが、袁術陣営の諜報機関、国家保安委員会ではそういった直接的な情報入手を行う事は稀だった。
基本的には「情報源となる人物を買収し、秘密裏に特定の組織に資金や資源を手配することによって情報網を作り上げ、多数の断片的な情報を収集・統計処理して分析する」という形をとっている。この手法では何より資金力と人海戦術がものを言う。
反董卓連合に参加したはずの袁術――その配下である劉勲がこちらに接触してきたときから、賈駆もある程度の予想はしていた。しかし、こうやって詳細な戦力図を見せられると、改めて背筋に冷たいものが走る。しかし同時に、劉勲を始めとする袁術陣営の力に対して何とも言えない頼もしさを覚えてもいた。
賈駆はあれから劉勲と共に、董卓を脱出させる為の下準備とその計画を立てていた。
最終的な目標は、董卓とその主要な部下を南陽群に送り届けること。だが、その為にクリアしなければならない条件が2つあった。
まずは、いかに囚われの董卓を救出するか。幸い、董卓が捕まっている場所は分かっている。なぜなら董卓は厳重に監視されており、とても隠し通せるようなものでは無かったからだ。見つからないような場所に隠す、というのも一つの手だが、その場合は秘匿維持のために警備兵の数がどうしても少数になってしまい、万が一バレた時に打つ手がない。
故に張譲は、秘匿に関しては割り切る代わりに李儒に命じて警備を厳重にさせ、賈駆達が殴りこみをかけてきても対処できるようにしていた。
そこで、劉勲と賈駆はもう一人のプレイヤーを投入することにした。粛清を生き残った反宦官勢力の筆頭格、司徒の王允である。漢王朝への忠誠心が篤く、皇帝を傀儡としての暴政に耐えかねた王允は、近々皇帝を奪還する計画を立てており、宮廷クーデターを起こす気でいた。これを利用しない手はない。クーデターに伴う警備の混乱の隙をついて、董卓を救出する。
だが、その為には残るもう一つの条件をクリアしなければならない。仮に王允らのクーデターが成功し、董卓を救出できたとしてもそれは一時的なもの。洛陽周辺に駐屯している5万の官軍をどうにかしなければ、いずれ鎮圧されるのは目に見えていた。よって最低限、彼らを身動きの取れない状況に置く必要がある。
「……だから、ボク達が敢えて反董卓連合軍に敗北することで、洛陽から官軍を引き摺り出す、か」
ハッキリ言って王允達によるクーデターは、董卓救出の確実性を増す為のおまけに過ぎない。正直な話、成功しようがしまいが洛陽から官軍を引き離してしまえば救出は可能だ。
「目的自体は理解できたけど、具体的にはどうするつもりなの?」
「そうね。まずは連合軍にさっさと氾水関を抜いてもらうわ。」
そっけなく答える声がした。声の主、劉勲は場に不釣り合いなほど澄んだ、鈴の鳴るような声で話を続ける。
「今のところ氾水関には華雄、張遼率いる6万の兵が、虎牢関には呂布および陳宮率いる兵が3万人配置されている。この作戦では、張遼将軍に2万の兵士を率いて機動予備となってもらう。」
劉勲は詳しく説明しながら、指で地図をつつく。
「氾水関に残る兵士は4万ほど。兵力差は絶望的。しかも残念ながら、張遼将軍の機動予備は氾水関の救援に
劉勲の目が細まり、賈駆の瞳を覗き込む。
「氾水関が抜かれれば、張譲も洛陽の官軍を動かすしかないはずよ。」
氾水関を連合に渡して、洛陽の官軍を引き摺り出す――それは賈駆達にとって大きな意味を持つ。
董卓救出の肝はいかに厳重な警備を掻い潜って脱出させ、安全地帯まで届けるか、という2点に集約されている。
現状では張譲が子飼いの官軍5万を洛陽に待機させているため、まずはこの軍を何とかして動かさねばならない。氾水関が奪われれば、後の無い張譲も官軍を虎牢関に動かさざるを得ないだろう。そうなれば洛陽の警備は自然と薄くなり、追手の数も減る。
それに、あまり序番で董卓軍が粘り過ぎると反董卓連合そのものが解散しかねない。そうなれば、逆に董卓を救出できなくなってしまう。
以上の点を踏まえれば、劉勲の提案は必要条件を満たしている。だが、そのためには――
「……それは、氾水関の防衛部隊を捨て駒にするという意味?」
そう、劉勲の提案を満たす為には兵士の犠牲が無くてはならない。ただ単に氾水関を明け渡せば、それは張譲の疑惑の念を強めるだけで逆効果だ。疑われないようにするには、ある程度の犠牲が必要なのだ。
「確実に負けると分かってて、彼らを見殺しにするの?」
賈駆は瞳に挑戦的な色を浮かべて、劉勲に問いかける。
世の中には「敵には一切容赦しない」という人種は案外溢れているが、「味方にも一切容赦しない」人間は割と少ない。
いくら官軍を引き摺り出すためとはいえ、友軍を捨て駒にするというのはやり過ぎ――というのが一般的な考えであり、賈駆とて例外では無かった。軍師として何度か外道な献策をした事はあったが、最初から味方の犠牲が前提という策は流石にしたことが無い。
しかし劉勲に限らず、袁術軍では人的損害にはあまり執着しない傾向がある。袁術軍にとって大事なのは目標を達成できるかどうかなのだ。
ただし、よく勘違いされる事だが、別に袁術軍は人命そのものを『絶対的』に軽視しているわけではない。単に人口の多い南陽群においては他の地域を治める諸侯に比べて、『相対的』に兵士一人当たりの価値が低いだけなのだ。
逆にいうと、南陽群よりも多くの人口を持つ地域を治める諸侯が大勢いれば、あるいは南陽群の人口がもっと少なければ、恐らく袁術軍は人命消耗を抑制する軍事ドクトリンを採用しただろう。
曹操や孫策らが人命消耗を嫌うのも、現実的な見方をすれば単純に人的資源が少ないだけの話。人が少なければそれだけ兵士一人に多くを依存するということ。ヒトやカネに余裕のない劉備や曹操、孫策らが組織を回していく為は、否応なく神経を尖らせて消耗を抑制せざるを得ないという考え方も出来る。
「うん?何か問題でも?」
訝しげな表情で、逆に問い返す劉勲。とはいえ悪意のようなモノは感じられず、純粋に賈駆の質問の意図を図りかねている様子だった。
「……あんた、自分が言ったことに何の疑問もないの?」
「え~と、情報は特に間違ってないはずだし……氾水関が抜かれれば、いくら張譲だって政治的判断より軍事的妥当性を優先……」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……」
「む?」
「“む?”じゃないわよ!……っていうか首かしげたまま『何言ってんのコイツ?』みたいな目でボクを見ないでよ!それじゃボクが間違った事言っているような気になるじゃない!」
「?」
頭に大量のハテナを浮かべながら、小さく首をかしげて見つめてくる劉勲に、賈駆は軽い眩暈すら覚えた。これが董卓や陳宮のような幼い少女ならまだ可愛げがあるものの、自分より年上と思わしき女性にそんな仕草をされても鬱陶しい。ていうか、正直イタイ。
「だから、ボク達につき従ってくれる兵を、無駄に死なせるようなマネはしたくないって言ってるのよ。」
「無駄じゃないわ、必要な犠牲よ。彼らの流した尊い血は、キチンとアタシ達に受け継がれる。」
しれっと凄まじく白々しいセリフを吐く劉勲。胸に手を当て、さも悲痛な決意を誓った悲劇のヒロインの如く神妙な面持ちで言葉を続ける。
「アタシ達は、その悲しみを乗り越えて前に進まなければならない――彼らの死を無駄にしないためにも。」
「……それって手強い黒幕策士っぽく見せといて、案外物語の中盤辺りであっさり死ぬザコのセリフよね……」
言っている事は綺麗なのに、この女が言うと途端に胡散臭く感じるのはなぜだろう?ある意味、一種の才能なのかもしれない。
「そう言う事言わないの!……まったく、これだから最近の若い子って苦手なのよ。どうしてこう、妙に冷めてるんでしょうねぇ?」
ジト目で賈駆を睨みつける劉勲。
そりゃ、いい年した大人に厨二臭ただようセリフを言われたら冷めるでしょ、と賈駆は内心でツッコミを入れるが口には出さない。
一方で彼女の脳裏にはふと、もう一つの疑問が浮かんでいた。
「あの、……ちなみに劉勲って何歳なの?」
「アタシ?そうね、何歳ぐらいに見える?」
「……………………に、……20歳くらい……かな………?」
「なによ、“本当はもっと年上に見えるけど、正直に言うと面倒くさそうな気がするから適当にサバ読むか”みたいなぎこちない返事は!?」
「……えと、ゴメン……」
「待って!なんか余計悲しくなるから謝らないで!」
劉勲は割と本気でショックを受けていた。日頃の態度や言動が大人びているせいか、昔から年上に見られる事が多い。いわゆる「クラスに一人はいた、ブレザー着崩して鏡で髪型を確認したりする、オトナっぽい娘」といった印象で、本人も実は密かに気にしていたりする。
「それはともかく、ボクに考えがあるんだけど。」
「……しかも軽く流されたし。まぁ、別にいいけど……」
まだ不満そうに頬を膨らませる劉勲を敢えて無視して、賈駆は自分の考えを口にする。
「敢えて敵に有利な状況を作り出して、早めに投降するっていうのはどう?」
「同じことよ。ただでさえ連合は兵站を支えるのに苦労してるのに、大量に投降されても管理に困るだけ。」
だが、劉勲は大して興味なさそうな様子で賈駆の提案を一蹴した。大軍にとって、兵站がいかに重要かは話すまでも無い。それが寄せ集めの30万規模の遠征軍ともなれば、捕虜を捕る余裕などありはしない。その上、誰が捕虜を監視し、その費用を負担するかで揉める事は間違いない。
かといって逃がす訳にもいかないので、合理的に考えればその場で捕虜を切り捨てるのが最善手だ。
「仮に運よく解放されたとしても、そっからどうやって生きてくの?結局どっかで野たれ死ぬんじゃない?」
張譲は「死守」命令を出していた。つまり董卓軍に戻れば、あるいは董卓軍の支配地で見つかれば、何らかの処罰は免れない。かといって元董卓軍兵士が別の諸侯の領地で仕事を得るのも困難だ。となれば、行きつく先は飢え死にか、良くて盗賊だろう。
劉勲の意見はどれも正論であり、結果だけを見れば氾水関の守備兵が死ぬことには変わりは無い。そして董卓救出には必要な犠牲だ。何かを得るには、別の何かを捨てなければならない。
「言いたい事は理解できたけど……だけど、やっぱりボクには受け入れられない。確かに氾水関を捨て駒にすれば、洛陽の官軍は確実に動く。でも、だからといって最初っから諦めていい命なんてない。」
「ふ~ん。でもさぁ、具体的にはどうするワケ?せめて代案は出してもらわないと、アタシも色々と困るのよ。」
「……氾水関から出撃させて、敵が本格的な反撃に移る前に虎牢関まで退却させる。」
偽装退却――それは戦場で最も難しいとされる行動の一つとされる。ほんの些細なきっかけで、偽の敗走が本当の敗走に繋がりかねないからだ。しかも敵に悟られないように、自然な敗走に見せかけなければならない。
また、董卓軍の内で氾水関に配備されている部隊と連合軍では兵力に大きな開きがあり、高い練度・士気を持つ兵と、確かな状況判断能力・戦術眼をもつ指揮官、そして部隊間の統制のとれた連携の全てがなければ成功しない。
「呆れた……そんな策が成功すると、アナタ本気で思ってるワケ?」
「分かってるわよ。成功する保証はどこにもない。けど……」
自分は甘いのかもしれない。この期に及んで怯えているだけなのかもしれない。
だけど、端から人を犠牲にするような策を立てるようじゃ、みんなが平和に暮らせる世を作りたいと言った幼馴染に顔向けできない。だから――
「……せめて、最初から諦める事だけはしたくない。」
劉勲に向けてきっぱりと、賈駆は言い切った。
「例え偽善と言われようと、少しでも助かる命があるのなら、ボクはその方法を選びたいんだ。」
たっぷりと一分ほど、経過しただろうか。劉勲はしばしの間黙っていたが、やがて気の抜けたように脱力する。
「ハァ……分かったわよ。アナタの好きにすれば?」
呆れかえった劉勲が投げやりに言うと、賈駆は少し意外そうな顔で返事をする。
「うん……じゃあボクはこれから、自分の部屋で作戦の詳細を考えるから。」
すぐに思考を切り替えると、賈駆はそのまま部屋を出て行った。
一人部屋に残された劉勲は、賈駆が立ち去っていた出口を見つめる。ぽつり、と劉勲の口から小さな声が漏れる。
「優しい子ね、あの子は……」
劉勲の見たところ、賈駆は一見プライドも高く、他者に厳しいような印象を受ける。だが、そういった人間に限って案外責任感が強く、あらゆる心配事を一人で抱え込みがちだ。そして一度気を許した相手には、妙に義理堅い一面を見せることがある。
賈駆は洛陽に来てから董卓の為に、あらゆる汚れ仕事に手を染めた。しかし、それも結局は華雄や張遼達に、これ以上迷惑をかけたくないという気持ちから出ている。賈駆の行動原理の根幹にあるものは「友の力になりたい」といった友情の類なのだ。
「けど、この世界で生きていくには……優し過ぎるのよ……」
劉勲は考える。打算と計算、それにほんの少しの心配を加えて、思考を巡らせる。
これからは、乱世が始まる。
民衆の間では董卓さえ討てば平和が戻ると勘違いしている者もいるが、それは大きな間違いだ。既に漢王朝に力は残っていない。
その事実は多くの諸侯の野心を書きたて、否応なく人々を巻き込んでゆく。血で血を洗う、終わりのない闘争へと。
行きつく果てには多くの悲劇が待ち受けるだろう。
永遠の愛を誓った恋人を死地へと追いやり、親の仇を無二の親友として扱う。忠誠を誓った主君の寝首を掻き、苦楽を共にした仲間と殺し合う。
あらゆる手段をとって、めまぐるしく変化する乱世に適応できなければ、生きることすらおぼつかない。
そうなった時に、果たして賈駆文和は自分を保てるのだろうか、と。
個人的な意見ですが、基本的に「質」を重視する組織ってどうも貧乏な組織が多い印象があります。「人」も「金」も「資源」も無いから仕方なく、限りあるモノを有効活用せざるを得ない、みたいな。イスラエル軍あたりを見てるとそう感じます。
逆にいえばソ連軍やアメリカ軍みたいな余裕のある組織は、そこまで資源をフル活用しなければならないほど厳しい状況では無いだけかと。
超大国の人命軽視傾向も「貧乏人は一万円の損失に敏感に反応するが、億万長者はそこまで執着しない」という感じですかね?