トリックスターな魔王様   作:すー/とーふ

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第三話

 草薙護堂はカンピオーネである。

 半年前に古代ペルシアの軍神ウルスラグナを弑逆し、十の化身を簒奪した男。その戦歴はアテナやメルカルトといった神だけに留まらず、既に同族二人とも交戦の経験を持つ。

 力が、知識が、例え全てが敵に比べ劣っていても、必ず勝利への道を切り開く絶対の勝者。多くの仲間と共に戦場を馳せて勝利を掴み取ってきた男。それが草薙護堂という、元一般人の自称平和主義者を語る男の名だ。

 

 そんな彼は現在、新たな試練に挑んでいる。突如現れた先輩カンピオーネの冬川秋人。彼の言うテストに合格するため護堂は休日を返上して試練に勤しんでいる訳だが。今のところ結果はまあまあ悪くない。

 第一のテストは東京ドームの一部破損と引き換えに合格を言い渡され、元球児としてかなりの後ろめたさを感じるが、それでも合格と言われホッと胸を撫で下ろした。

 まあ、そのさい夜叉と化した仲間に三ヶ月間の野球禁止を秋人ともども通告されたので、嬉しさはプラマイゼロという感じなのだが。

 

 そんな彼等は現在、東京ドームから移動していた。

 近くの定食屋で昼食を済ませ、東京ドームの修繕の段取りを付けた正史編纂委員会のエージェントと合流。

 彼の運転するワゴン車で次のテスト会場に向かった。

 なお破壊したフェンスは秋人の『善悪の悪戯』で仮の修復を行い、今夜行われるナイターが終わり次第一晩で修復をするつもりだ。

『善悪の悪戯』は発動中も呪力を常に消費する。その量は変化の度合いにもよるが基本的に微々たるもので、あの程度の変化なら一年は維持出来るだろう。

 しかし、秋人は神々と戦うカンピオーネ。僅かな弱体が死に直結することを考えれば権能を維持するのは得策ではないので、早急に対処すべき事だ。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さて、運転手も含めて秋人達総勢七人の大所帯が向かったのは、東京ドームから五〇キロ離れた場所――東京湾だった。

 

「東京湾にこんな所があったんだな」

 

 肺一杯に潮の香りを感じ、ベタつく潮風に身を曝しながら周囲を見渡すのは護堂だ。ここは東京湾でも外れの方に位置し、一般人は立ち入る事の出来ない委員会所有の小さな港。左手に見える体育館みたいな大きな建物が、日本近海の観測場と船の収納、整備をするドックを兼ねていた。

 

「一般人の意識を逸らす術が港に施されているようね。東洋の魔術には詳しくないから、詳細まではよく分からないけど」

「それに海の方からこの港を見た場合、きっと何か別の物に見えているのだろうな。さしずめ岩壁や岩礁地帯といったところか」

「その上で、ここに来ようとは思わせないようにする。当然だけど手間が掛かっているわね」

 

 防波堤に立つ護堂の両脇で、エリカとリリアナが瞬時にそう分析して意見を交わしていた。優れた魔術師である彼女達の手に掛かれば、その術式は理解出来ずとも効果ぐらいなら直ぐに把握出来る。すると二人の意見を肯定する言葉が背後から掛けられた。

 

「流石はエリカさんにリリアナさん。ご明察」

「清秋院、大丈夫だったのか?」

「心配してくれてありがとう、王様。でも大丈夫。王子様が直接話を付けてくれたから」

 

 護堂達が振り返れば、そこには竹刀袋を持ちながら暢気な笑顔を見せる恵那がいる。

 そして実はこの天真爛漫娘は、先日の事件の責任を負わされ自宅謹慎を言い渡された身だった。

 しかし日本最強の媛巫女を軟禁するのは難しく、こうして失った愛刀に代わる武器も持ち出した上で清秋院家は逃亡を許している。恵那が朝早くから祐理の元を訪れたのもしばらく匿ってもらうよう頼むためだったのだ。

 馨の家を訪ねた事で居場所がバレ、即座に帰宅命令がこちらにも伝わったのだが――、

 

「恵那姉ちゃん。当主の婆ちゃんは俺が説得しといたよ。とりあえず俺と一緒にいる間は大丈夫」

「ありがとね、王子様」

 

 日本の呪術界を牽引してきた四家の当主だからこそ、自分達の王であるカンピオーネの言葉は絶対であり、重みがある。例え今、携帯電話を恵那に返している秋人に思うことがあったとしても、魔王直々の召還に否とは言えない。

 秋人の後ろで苦笑いを浮かべる祐理。そしてその隣に立つ背広姿の見た目サラリーマン――正史編纂委員会所属の甘粕冬馬(あまかすとうま)は、今頃苦虫をダース単位で噛み潰しているだろう清秋院家当主に、ほんの少しだけ同情した。

 

「よし、じゃあ心置きなくさっさと移動しようか!」

「でも先輩。ここには船なんて一隻も置いてないぞ」

 

 護堂の見る限り船など何処にもありはしない。ドックの中にはあるのかもしれないが、それならわざわざ防波堤まで来ないだろう。しばらくここで待つのかと視線で告げる護堂だが、次の瞬間には、秋人がポーチの中から取り出した物品に目を奪われていた。

 なおポーチに手を伸ばした際、パーカーの裾が捲れて工具ベルトに括り付けられたトンカチが露出したのだが、エリカやリリアナとは違いそれに護堂が気付いた様子は無かった。

 

「ふっふっふ、船が無ければ作れば良いんだよ」

 

 不敵に笑う秋人が持つのは輪ゴムで束ねられた笹の葉だ。その内の一枚を抜き取ってから束を仕舞い、引き換えに一本の針をポーチから取り出す。葉の先端を針で貫き、微かに葉を谷折りにしてからもう片方の先端も刺し貫く。

 日本人なら一度は作ったことのある人も多いだろう。ご存知、笹舟の完成だ。

 

「あ、王子様は今回笹を使うんだ」

「折り紙ではないのですか?」

「色々と試したんだけどさ、折り紙よりも笹の方がしっかり変化させられるんだよ。ジョン先輩は多分認識の違いだろうって言ってた」

 

 どうやら恵那と祐理は一度見たことがあるらしい。ここまでくれば護堂達も何をするつもりなのかを直ぐに察する。なんというか、随分適当なんだ、こんなのでも良いのか、というのが素直な感想だ。

 観衆が見守る中、秋人は笹舟に呪力を込める。思わず身構えてしまう程の呪力の高まりに護堂の肉体が反応した。

 至近距離から感じる力は、グローブや硬球を作った時とは次元が違うほどの、爆発的な力の奔流。空間が軋む程の力。

 限界まで呪力を籠められた笹舟を勢いよく海に放り投げた時、秋人の口が言霊を紡ぐ。

 

「進め! 地を、海を、空を駆ける豊穣の秘宝! 全てを背負う奇跡は匠をもって黄金の輝きを示せ! 」

 

 笹舟が宙にて光を発する。目が眩むほどの閃光の中、その影は瞬く間に巨大となり、また黄金色に輝いていく。轟音を響かせ、大量の水飛沫を降らせながら着水した時、笹舟はもう淡い黄金色を放つ帆船に変貌を遂げていた。

 

 それを見た護堂は素直に凄いと驚き、神童二人はその船が放つ神性に僅かながらの畏怖を持つ。ただの神童とカンピオーネで温度差が凄いが、とにかく三人とも突如出現した神船を興味深そうに見ていた。

 

「……いやまあ、確かに笹舟も『船』だけど……なんという適当ぶりだ」

「ちゃんと乗れるんだから気にしない気にしない。そりゃあ、ちゃんとした船を素材にした方が性能は高いし、呪力も少なくて良いけどさ」

 

 改めて権能のデタラメさを思い知り、そして護堂は秋人の権能が持つ汎用性をちょっぴり羨ましく思う。使用制限がシビアで使う状況も限られる『東方の軍神』では秋人の様な使い方は逆立ちしても出来そうにないからだ。

 

「さあ、移動するから皆乗って!」

 

 防波堤と船を繋ぐ桟橋に飛び乗った秋人は、全長三〇メートルほどの帆船を背にして客人を迎え入れる。防波堤と帆船の高低差はおよそ五メートル。甲板には帆やマスト以外、客船にあるような雑魚寝部屋しか存在しなかった。操縦室すら存在しない、本当に最低限の物しか揃っていない奇妙な船だ。

 

「はい、エリカ姉ちゃ……こほんっ、あー、お手をどうぞ、ミス」

「ふふ、これはご丁寧にありがとうございます。小さなジェントルマン」

 

 秋人の恭しい態度に微笑み、エリカはその手を取って桟橋に上がる。勿論、先に上がった護堂に『気が利かないわね』という冗談混じりの視線を送るのも忘れない。

 エリカに続きリリアナが、恵那と祐理も秋人の手を取って桟橋に上がる。

 

 

 

 ニヤリと悪戯っ子の笑みを浮かべる秋人に、最後に乗船した甘粕だけが気付いていた。

 

 

 

「また秋人くんは悪巧みですか?」

「イヤだなぁ、ハットリさん。ただの善意だよ、善意。紳士たるもの婦女子には常に気を配れってね、ジョン先輩からの教え」

「文通はまだ継続中ですか。どうやら友好関係を築けているようでこちらとしても一安心です。…………それと秋人くん、何度も言っていますがそのハットリさんというのは……」

「えー、でも甘粕さんは忍者なんでしょ? 忍者って言えばハットリ――いや、ここはあの忍者戦隊をリスペクトして『猿飛佐助』や『霧隠才蔵』でもアリか!?」

「…………ハットリさんで良いです」

 

 あからさまに忍者っぽい名前よりも名字と捉えられるアダ名をチョイスした甘粕の哀しみは如何に。沙耶宮馨の懐刀とも呼ばれる隠行術の達人の背中が煤けて見えた。

 

「じゃあ出発進行! 全速前進!」

 

 全員が乗船した所で船は目的地を目指して自動で動き出す。徐々に船はスピードを出すが、揺れは恐ろしい

 ほどに感じない。背後に流れる景色の速さから相当な速度が出ていると分かるが、向かい風すらも感じなかった。

 まるで船上だけが外界から隔絶されている様だ。

 

「じゃあ皆、部屋に入って。そこで第三の試験をやるから」

 

 最初に秋人が、それに紙袋を持った甘粕が続く。恵那や祐理も十畳ほどの雑魚寝部屋に入った時、リリアナはなんとなしに頭上を見上げ、そして悟る。

 

「――なるほど。この船はスキーズブラズニルなのですね」

 

 先程の言霊。一人でに風が吹いて靡く帆。そして唐突に発動した霊視が、この船の正体を暴き出す。

 エリカは彼女の言葉に仮説を立証出来てご満悦。護堂だけが聞き慣れぬ単語に首を傾げた。

 

「リリアナ、何なんだそのスキーズなんとかっていうのは」

「スキーズブラズニル。北欧の豊穣神フレイが所持していたと言われている魔法の船のことです。一説には、所持していたのは最高神であるオーディンとも言われていますが」

「その船は神々全てを乗せられる程に巨大で、その反面ポケットにも折り畳んで仕舞える小さくて便利な船。それがスキーズブラズニルよ、護堂」

 

 この全長三〇メートルの帆船も本来なら小型に過ぎない。しかし護堂はスケールの大きさよりも、これが他神の持ち物である事に戦慄を覚えた。

 

「ちょっと待ってくれ。……じゃあなにか、先輩の権能は他の神様が持っていた道具も再現出来るって事なのか!?」

 

 それは強いを通り越して最早卑怯なのではないか。

 ロンギヌス、グングニル、布都御魂剣。

 神話に疎い護堂でも神様の持つ道具、武器には幾つかの心当たりがある。この船の神性を見る限りオリジナルと比べてかなり劣るだろうが、それでも一介の魔術師にとっては充分に驚異となる神具を再現出来るなど、その汎用性ははっきり言って異常だ。

 確かに権能は規格外のデタラメ能力だが、汎用性という観点から見ればそれほど万能ではないのだから。

 

「――そうね、その可能性はあるかもしれないわね」

 

 エリカは護堂の疑問を肯定するも、『善悪の悪戯』に関して何か思う事があるらしい。どうせ自分には皆目見当も付かないのだからと、護堂は頼れる参謀が結論を出すまであっさり引き下がることにした。

 

「とちらにしろ、『善悪の悪戯』は謎の多い権能のようですね。どうかご用心を、草薙護堂」

「まあ、あの子の性格を考えれば争う可能性は低いでしょうけど、用心するに越した事は無いわ」

 

 彼の純粋で身内に甘い性格を考えれば、この先敵対するとは到底思えない。しかもおそらくだが、権能について訊ねたらあっさり教えてくれるだろうと、二人は予測している。

 今やエリカとリリアナは、秋人に対する警戒を極端なまでに下げきっていた。

 

「あ、やっと入ってきた。こっちこっち」

 

 雑魚寝部屋に入った護堂達を秋人が歓迎する。室内は船の外装に反して畳張りで秋人の趣味が窺えた。

 部屋の中央に秋人は腰を下ろし、その両脇には祐理と恵那が上品に正座している。こうしてみると破天荒ぶりが目立つ恵那も名家のお嬢様なのだと分かる。

 その後ろ、一歩退いた所に甘粕も座っているのを確認しながら、護堂も美少女二人を侍らせながら、秋人の真正面に腰を下ろした。

 こうして六人が車座に座った所で漸く第三のテストが開始される。

 

「てな訳で、今から第三のテストをします!」

「あー、先輩。結局第二のテストっていうのは何だったんだ?」

 

 護堂達が分からぬのも無理はない。第二のテストは昼食中に抜き打ちで行われたものだからだ。

 

「大丈夫。兄ちゃんは見事合格。問題なし!」

 

 元気よく太鼓判を押す秋人が掲げた課題。それは資金調査だ。

 今の御時世、秘密のヒーローとして活動するには何かと金が掛かる。情報工作と隠蔽、被害地の修繕費用。

 もちろんそれ等は正史編纂委員会が出してくれるが、もしかしたら彼等のサポートが受けられなくなる時が来るかもしれない。それでもヒーローとして悪い神様や悪人達は倒さなければならない時、モノを言うのが個人資産である。ようはいざという時に自腹を切れるかだ。

 

「兄ちゃんはあの定食屋で一番高かった焼肉定食を奢ってくれた上に、皆の分まで奢る懐の広さと潤沢な資金も見せ付けた。しかも奢りを拒否する祐理姉ちゃんとリリィ姉ちゃんを黙らせるリーダーシップも披露。文句無しに合格! ありがとう、そしてご馳走さま!」

「随分安い潤沢だなオイ」

 

 確かに護堂は正月の身内賭博でかなりの金を稼いでいるが、それでも委員会の工作費用を肩代わり出来るほど持っている筈もない。しかしこの小学生にとっては充分に大金だったのだろうと護堂は無理やり納得する。そして、その推測は正しかった。

 権能でその気になれば大金持ちになれる秋人も根は一介の庶民に過ぎず、しかも物欲も無いときた。

 カンピオーネになったがまだまだ庶民魂が抜けきっていない小学生にとって、樋口さん一枚はとても大金だったのだ。その噂に違わず、変な所で年相応の秋人である。

 

「ってな訳で。早速次のテストに入ります!」

 

 ここで秋人は言葉を溜め、全員を見渡した。そのニヤニヤ顔が微笑ましい反面、カンピオーネとしての直感か、そのテストが物凄く厄介である事を護堂は察する。

 

「これまでのテストは運動と資金に関して。ではあと確かめる項目は何でしょう? 分かる人は挙手!」

「では、僭越ながら私がお答えしましょう」

「はい、リリィ姉ちゃん!」

 

 粛然とした態度で片手を上げるリリアナを、秋人は嬉しそうに指名した。

 

「このテストは草薙護堂の実力を測るためのもの。なら初めに行ったテストの意味を考えれば、自ずと残りのテストも分かるというものです」

 

 この強引に始まったテストに関し、意外とリリアナは乗り気であった。護堂の実力を確かめるのは悪い話ではなく、そして足りないものを見付け出す事が出来る。戦闘でもプライベートでも愛しの主君を支えたいと考えているリリアナにとって、護堂のことをよりよく知る事の出来る秋人のテストは、まさに航りに船だったのだ。

 何より、敬愛する主が他者に認められる事を嬉しく思わない騎士はいない。

 

「つまりリリアナ、俺がやるテストっていうのはいったい何なんだ?」

「それは――貴方御自身の知能、知識についての確認。つまり、ペーパーテストです!」

 

 ――――船内に沈黙が降りた。

 しかし、あながち的外れでないことに護堂は狼狽する。船内で行えるテストなど限られているではないか。

 得意気に胸を張っているリリアナに何度も頷いている秋人の姿が、彼女の回答が正解であることを示唆していた。

 

「その通り! とはいえ問題用紙は作ってないから口答での問題になるけど!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ先輩! まさかその問題って……神話の問題なのか?」

 

 冗談であってくれ。一気に冷や汗が噴出する護堂の顔は、暗にそう言っているようだった。その期待は、見るも無惨に砕け散る事も知らずに。

 

「当然でしょ。俺達はカンピオーネなんだから敵は神様。なら神話の知識が無くちゃ話にならない。馬鹿や物知らずにヒーローは務まんないんだよ」

「うごぉ……」

 

 そう言い切る姿に護堂の口から呻き声が漏れた。

 神話なんて勉強していない。有名神話の触り程度なら知っているが、詳しい内容はお手上げ。度々エリカや祐理に陳言されていたが、もともと魔術関連にかかわり合いたくなかった護堂はいくら言われても勉強する気力が湧いてこなかった。それに魔術にはその知識不足を補う奥の手が存在する。そして何より、電話帳何十冊分にも匹敵する世界各地の神話やその歴史を覚えきれる自信が無かったのだ。

 

 はっきり言わずとも、合格出来る気がしない。

 

「……いや、あのな先輩。神話って物凄く奥が深い上に、沢山の説があるから全てを理解するなんて大変だぞ。しかも範囲が馬鹿みたいに広いから俺と先輩の知識が被るとは限らない訳で。多分噛み合わない答えが多いと思うぞ俺は」

「む、確かに一理ある」

 

 護堂の必死の抵抗に秋人は一考する。彼も神話はカンピオーネになってから――正確にはまつろわぬ大禍津日神との死闘後に勉強し始めた身だ。

 同じく初心者である護堂と答えあわせをしても、そのカバーしている神話の範囲によっては一切関係のない場合があった。

 

「…………でも有名かつオーソドックスな内容なら兄ちゃんとだって答えが合うでしょ。ほら、 火之迦具土神はどうやって生まれたんだー!とか」

 

 なら、それすらも知らない自分はどうすれば良いのかと、護堂は深く落ち込んで見せる。それを常識の様に訊ねる秋人を直視出来なかった。

 心なしかも周囲からも『ほら、見たことか。ちゃんと勉強しないからだ』と、何やら呆れられている気がしてならない。

 

「…………その、先輩は神話も勉強しているので?」

 

 思わず中途半端な敬語で訪ねてしまった護堂は、

 

「もっちろん! だって『教授の術』なんて恥ずかしいこと、もう二度と御免だよ俺は。兄ちゃんだってそうでしょ……って、兄ちゃんっ!?」

 

 

 ――当然だと言い切る小学生に、今度こそ高一男子は灰になった。

 

 

 特に祐理の視線が痛すぎる。彼女の中では、護堂は教授の術――カンピオーネなのだから仕方がないが、経口摂取による魔術施行を好むと勘違いされているのか、美少女達と公然とキスをするため、あえて知識を蓄えない色情魔だと認定されているのかもしれない。

 

 そして教授の術――対象者に自らの知識を教授する術を疎み、本気で抵抗している小学生のやる気に心がへし折られている護堂を見て楽しんだ恵那は、約一年前を思い出していた。

 

「王子様、まだ気にしてるんだ。相変わらずおマセさんだなー」

「う、うっさいな恵那姉ちゃんはっ!?」

 

 顔を真っ赤にする秋人は恵那を睨み付け、その仕草がまた笑いを誘う。彼が恵那や祐理から教授の術を施されたのは大禍津日神との死闘を繰り広げた時なのだが、あの羞恥は完全に秋人にとってトラウマだ。 まだ性的な事に無知で関心の無い秋人でも、キスという行為が恋人同士で行う神聖な行為である事を知っているのだ。

 当たり前だが互いに男女の感情は芽生えていない。それでも気まずかった想いを秋人は一方的に感じていた。遥かに年下とのキスが恵那達にとってはノーカンでも、秋人にとって年上とのキスはその限りでは無いのだ。

 

「と、とにかくっ! 今から第三のテスト開始! 第一問、この日本を創造し――」

「ちょっと良いかしら?」

 

 恥ずかしさを誤魔化すために急いでテストを開始した秋人に待ったを掛けたのは、淑女めいた微笑を拵えるエリカだった。

 出鼻を挫かれて眉根を寄せる秋人だが、知り合いを蔑ろにするほど狭量ではない。

 

「なに、エリカ姉ちゃん」

「急にごめんなさい。でもね、護堂がこのテストに合格するのは不可能なのよ。だって護堂ったら、一回も勉強をした事が無いんですもの」

 

 急なカミングアウトに場が騒然とする。とは言っても激しくあたふたしているのは護堂のみで、他の面々は『ついに言ってしまったか……』と苦笑い。

 ただ、秋人だけは不機嫌そうに顔を顰めた。

 

「じゃあ兄ちゃんはサボってたってこと? ……ちょっとショック」

「そうでは無いの。護堂はね、権能を掌握するのに必死で勉強をする暇が無かったのよ」

 

 護堂の所持する『東方の軍神』は十個の化身を扱う権能。事実、全ての化身を掌握出来たのはつい最近の事であり、その事実を持って、エリカは得意の話術で秋人を納得させようとしている。

 隣で縋る目付きをしている護堂に貸し一つと言外に告げ、エリカはまだ不機嫌顔をしている秋人を落としに掛かった。

 

「でもちょっとは勉強する暇もあったでしょ? それなのにしないのは兄ちゃんの怠慢だよ」

「ならそれは、護堂に勉強はしなくて良いと言った私に責があるわね。――だって、護堂が完璧になる必要なんてどこにも無いもの」

 

 この発言は、落雷を受けたかの様な衝撃を持って、秋人の心に突き刺さった。

 

「お仕えする主君の至らぬ部分を補うのが、騎士たる私の務め。そして仲間同士で助け合うのが、ヒーロー戦隊というものではなくて?」

 

 それは、子供に言い聞かせる柔らかな声色だった。

 

 女神の様な笑顔から目を離せず、言葉を失う秋人。

 目から鱗が落ちる気分だった。あれだけ能書きを垂れておきながら、まだ自分は本当の意味で仲間の意味を理解していなかったのだと、秋人は反論の余地なく打ちのめされた。

 

「そうだ……そうだよ、リーダーだって仲間を頼って良いんだよ。全部一人で頑張る必要なんて無い。じゃないと五人揃える意味がない。助け合うための仲間なんだから」

 

 秋人の瞳が宝石みたく輝いている。綺麗な姉ちゃんから、尊敬に値する綺麗な姉ちゃんに格上げされた瞬間だった。

 

「分かってくれたかしら?」

「俺が間違ってたよエリカ姉ちゃん! 気付かせてくれてありがとう! 流石は兄ちゃんが認めた恋人の一人!」

「当然ね。私は護堂の騎士であると同時に、彼を心身ともに支える一番の女でもあるんですもの」

「うんうん、姉ちゃんがいれば一安心! こんな美人で頼れる人が一番の恋人だなんてっ、兄ちゃんの幸せ者め!」

「あら、よく分かってるじゃない。物分かりの良い子は好きよ」

「俺もエリカ姉ちゃんが大好きだ!」

 

 説得するだけでなく上手く秋人の信頼を得ると同時に、第一の愛人だと刷り込みまで行うエリカ。一番のという部分で周囲――特に女性陣――が騒がしくなったが、エリカは華麗にスルーした。

 どんなチャンスも逃さない強かな面があるからこそ、彼女はエリカ・ブランデッリなのだ。

 これでまた、自分という存在を楔に、秋人が護堂と争う確率は低くなる。全てがエリカの思惑通りに事が運んだ。

 

「という訳で、第三のテストもエリカ姉ちゃんのお陰で合格! 残りは最後のテストのみ!」

 

 最後のテストはこれから向かう先。本州から南下して五〇〇キロほど進んだ先にある委員会所有の無人島で行われる。

 東京湾を出港しておよそ三十分。ちょうど残り半分といった所まで進んでいた。――この船は、時速五〇〇キロというトンデモ無い速さで進んでいるのだ。それなのに揺れが一切無いのだから、まさしくこの船は神々の船に相応しい。

 

「目的地まであと三十分ちょい。念のためハットリさんに用意して貰っといて良かった良かった」

 

 何やら護堂も交えて言い争いをしている姦しい乙女達を尻目に、秋人は背後の甘粕を振り返る。この人の良さそうでいて苦労人の相も出ている忍者から紙袋を受け取った所、幾人かが反応を示した。

 

「秋人さん、それは何なのですか?」

「空いた時間で皆と親睦を深めようと思って用意してもらったんだ。女性と親しくなるならコレ以上に最適なゲームは無いんだって」

 

 それは今朝、七雄神社に足を運ぶ前の明け方、二十四時間営業の牛丼屋に寄って知り得た情報だった。怪しまれないように甘粕の姿で並み盛りにがっついて秋人は、隣のカウンターに座る男子高校生三人組の会話に聞き耳を立てていた。

 なにやら初回限定のゲームを買い求めて徹夜をしたらしい男達の熱弁は、印象深かっただけあり記憶に残っている。

 それでも会話に出てきた『エリカさま』やら『リリアナさん』といった単語の数々がすっかり抜け落ちているので、なんとも都合の良い頭である。

 

「さあ、残りの時間はコレで遊ぼう! ツイスターゲームで!」

 

 

 良い笑顔で両手の物を掲げた直後、護堂の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 その島は野外戦の鍛練用に準備された無人島であった。

 直径二キロの、面積の九割を森林に覆われた楕円形の島。砂浜に上陸してから森に入り、周囲を背の高い青々と繁った木々に囲まれ、日光の射さないジメジメとした場所に秋人達の姿があった。

 

「さあ、いよいよ最終テストを始めるよ!」

 

 テンション高々に宣言した秋人とは違い、護堂達には疲労の色が濃く見えている。具体的には全部のゲームに強制参加をさせられて心労が絶えなかった護堂と、過度な肉体的接触に終始顔を赤くしていた祐理を始めとした淑女の面々なのだが、そんな事は関係無いと、秋人は横一列に並んだ護堂達を楽しそうに見渡した。

 

「最終テストは姉ちゃん達も全員参加。――兄ちゃん達の力を試させてもらうよ」

 

 ――空気が張り詰めた。

 先程の和気藹々とした雰囲気は毛ほども感じない。たった最後の一言で、護堂達は容易くその身を戦人のソレに切り替える。

 秋人の言葉には、それだけの魔力が込めれていた。

 

「制限時間は一時間。それまでに俺を捕まえたら合格。ちなみに俺は危険な攻撃はしないよ」

「先輩、俺はどのくらいの力で挑めば良いんだ」

 

 護堂の脳裏に浮かんだのは、いつぞやにローマの地で行ったエリカ主催の腕試しだった。

 あの時、彼女は本気で護堂を殺しに掛かり、そんな彼女に護堂は容易く勝利している。しかしそれは、大騎士といっても一般の枠を出ない魔術師だからこそ得られた勝利。

 相手がカンピオーネなら、それは直ぐに殺し合いへと発展する。しかも護堂の仲間は歴戦の強者ばかり。

 いくらカンピオーネでも荷が重すぎると判断しての問い掛けだったが――、

 

「甘いよ兄ちゃん。まさか兄ちゃんは、手加減した力で俺を捕まえられると思ってんの? ――ナメたら酷い目に遭うよ」

 

 途端、秋人から放たれる威圧感が増した。

 護堂の身が神々と対峙した時の様に細胞レベルで臨戦態勢を整え、エリカとリリアナはそれぞれが魔術で呼び出した戦装束を身に纏う。祐理は微かに目を細め、恵那は手元の竹刀袋の結い口をほどいた。

 

 この時、この場にいる全員が真の意味で理解する。

 

 

 対峙する少年は、神を殺めた常識の外にいる化け物の一人なのだと。

 

 

 しかし、それも一瞬。

 直ぐに気配が元に戻り、秋人は子供らしい無邪気な笑顔で開始を告げた。

 

「さあ、テスト開始!」

 

 嬉しそうに宣言。

 そして悪戯小僧の笑みを浮かべ、秋人はその場で足を踏み鳴らす。

 

 

 

 すると、秋人を中心に巨大な穴が足下に出現した。

 

 

 

「なにッ!?」

 

 その穴は近くにいた護堂達の足下にも及び、急な出来事に反応の遅れた護堂達は深さ五メートルの巨大な穴に落下していく。浮遊感は一瞬。落下した痛みは無い。何故なら、

 

「みーんな泥だらけ! もう鬼ごっこは始まってるんだぞー!」

 

 いつの間にか金の靴を履いて宙に浮かんでいる秋人の言葉通り、穴の底は大量の泥の海で埋め尽くされていたのだから。

 

『善悪の悪戯』は変化させる物体に呪力を込めるという性質上、まずは接触を必要としなくてはならない。けれどもそれは手に限った事ではなく、頭でも足でも――当然、小さな地面の窪みに触れている足の裏からでも構わない。

 あとはその窪みを巨大な穴にし、湿った地層を泥に変化させれば、こうして即席の落とし穴が完成する。

 秋人の隠密性があってこその不意打ちだ。

 

「じゃあ兄ちゃん、仲間と力を合わせて俺を捕まえてみな!」

 

 全身泥塗れになりながら見上げる先。高笑いを上げる秋人は護堂の視界から完全に消え去った。

 

「……やってくれたな、先輩」

 

 悪戯っ子の異名を正確に理解した護堂は、あの少年を捕まえてお灸を据える作戦会議を開くため、まずは穴からの脱出を提案しようとして――、

 

「うっ!?」

 

 その惨状に思わず目を反らした。

 世間のアイドルなど目ではない美少女達が、全身泥塗れというあられもない被害に遭っているのだから。

 

「……秋人さん、後で覚悟してくださいね」

「皆そろって泥だらけだね、王様」

 

 祐理はどうやら綺麗な長髪を泥塗れにされた事や、着ているワンピースを汚された事よりも、悪戯行為自体にお説教する気満々らしい。

 山籠りの修行で汚れる事に慣れているせいか。制服や顔が泥でぐちゃぐちゃになった恵那はあっけらかんとしていた。

 

 問題は、

 

「――エリ、エリ、レマ・サバクタニ。主よ、何故我を見捨て給う」

「――ダヴィデの哀悼を聞け、民よ。ああ勇士らは倒れたる哉、戦いの器は砕けたる哉」

 

 問題は、いつの間にやら愛剣を手に、抑揚の無い声で静かに本気の戦闘体勢に意向しつつあるエリカとリリアナにあった。

 その身に纏うのは、もはや邪気と呼べるもの。

 護堂のためにと丁寧にセットした髪は見るも無惨な姿に成り果て、大騎士のみが纏える誇りとも言うべきバンディエラは、元の色が分からないほど茶色く変色していた。

 俯いているせいで顔色を窺えないのが恐ろしい。紡ぐ言霊の終わりを見計らう護堂だが、その二人の姿に戦々恐々としていた。

 

「な……なあ、二人とも。まずは少し冷静になってだな――」

「あら、護堂。私たちは冷静よ。ええ、それはもう恐ろしい程に」

「子供の悪戯に一々目くじらを立てるほど私たちは狭量ではありません」

 

 面を上げたエリカとリリアナは万人が認める程の笑顔だった。顔中が泥パック状態にも関わらずそう断言できるのだから凄い。

 ただ今の彼女達を見たならば、きっと神々ですら恐れをなして逃げ出すに違いない。

 

「怒ってはいません。しかし、悪戯をした子供を叱るのは大人の務めです」

「リリィの言う通りよ。――さあ、護堂。おいたをした子供を捕まえる作戦会議を開きましょう。祐理と恵那さんも、当然手伝ってくれるわよね?」

 

 頷かなければ殺される。

 目が笑っていない二人に、護堂達は揃って何度も頷くのだった。

 

 

 ――残り時間、五十五分。

 

 

 


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