Báleygr   作:清助

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第九話「能力対決」

「どうしてこうなった」

 割れるような歓声が耳朶を震わせる。

 実況の姉ちゃんは子供同士の戦いを考慮してか、いかに只者じゃないのかを声高々に叫んで会場のボルテージをあげていた。

 ――『灰のミモザ』。

 目の前にいる相手はそういう二つ名を持つ7勝2敗の猛者らしい。

 滾るオーラは量も質も俺と同程度か。オーラに若干の怒りの色が見えることについては言及しない。

 客席にいるウィルをちらりと見上げると、何故か「君のせいです」という無言の圧力を受けた。味方はいないらしい。

 あの後、彼女たちの口から放たれた言葉はだいたい予想通りだった。

『あたしたちと戦って勝ったら教えてあげる』

 片方の胸の標高がないことを暗に指摘されたぐらいでこんな嫌がらせをするとは全く困ったやつらである。

 とんとんと軽く跳ねながらミモザは首を小さく傾げた。

「あと少しでフロアマスターなんです。ちょうど良い対戦相手が見つかって助かりました」

「いやいや俺なんて良い相手じゃないんで、ここは棄権して別の相手を探した方が良いと思うよ。例えばウィルとか」

「仲間を売るって酷い方ですね」

「ライオンの親は子を谷から突き落とすんだ。俺はそれをリスペクトしたい」

 彼女は微笑んだ。

「私、舌が良く回る殿方って嫌いです。あまりお喋りが過ぎると舌を噛ませますよ?」

 片眉をあげてそれに答える。

 審判が試合開始の合図をした。

 湧き上がる熱気と膨れ上がるオーラ。

 視覚から認知した相手の実力が、俺の意識を鋭く研ぎ澄ませる。

 こいつは想定以上に骨が折れる。

「では、参ります」

「お手柔らかに」

 構えると同時にミモザが駆けてくる。予想よりも速度が早い。

 顔面に飛んできた烈火のような右足を肩ごと後ろに引いて避ける。同時に腰の捻りを加えながら掌打を狙うが片足で止められた。

 息をつく暇もなく抉るような左フックが腹部にヒットするが、これはしっかりと流でガード。体勢を崩しているので勝機とばかりに拳を入れる。1撃は防がれたが、もう1撃はわき腹にしっかりと突き刺さり、ミモザの表情に苦悶を浮かばせた。

 さらに追撃をするべく回し蹴りを繰り出そうとすると、乱気流のように回転したミモザが俺よりも速く回し蹴りを放つ姿が視界に映る。

 これは頭部狙いなので屈んで回避し、お返しに軸足を狙ってこちらも足払いをした。

 直撃したかのように見えた一撃を相手は跳躍して回避。

 確認するとミモザの足には凄まじいほどのオーラが集まっていた。ちらりと上を見上げた先に、踵を大きく振りあげた死神が笑っている。

 全身をバネにしながら全力で後ろに飛ぶ。

 衝撃。

 岩盤に轟音と亀裂が走り、弾けとんだ瓦礫が周囲に散らばった。

『ミモザ選手っ、リングを踵落としで砕いたああああ! それを交わしたルカ選手も負けていません! お互い子供の選手同士ながら息もつかせぬ攻防です!』

 審判が俺の被弾1、ミモザの被弾2――クリーンヒットを連続で告げる。

 基礎的な徒手空拳はこちらが上、瞬発力は向こうだろうか。

 リーチで勝つ分俺に利があるが、何しろ速い。致命傷を与えるには不意打ちか、カウンター気味に攻撃を当てる必要がある。

「なかなか見た目より……やりますね」

「よく言われるよ」

 軽口を返しながら二度目の接敵を迎える。

 激しい体術の応酬。

 徒手空拳を主体としてやや後手に回る俺に対し、ミモザの方は完全な足技主体だ。身体の小ささは身体全体を使うことでカバーしている。元はカポエラーだろうか。現実でスピニングバードキックを見たのは初めてだった。

 すべての攻撃を捌いて予定通りカウンターを当てていく。

 右肩に有効打を放ったところで、ミモザが堪らずと言った様子で後ろに下がった。

 留めていた肺の空気を露散して脱力する。

 もちろん凝をすることだけは止めなかった。

 相手の攻撃はその体躯相応に軽い。

 実力がそれほど離れていない分、長期戦はこちらが有利とみた。

 向こうはおそらく強化系から離れた能力系統。硬のような致命的な有効打か特殊な発をもらわない限り俺に負けはない。

 だが当初から気になる足のオーラ。

 そこの威圧感は無視できない異常なレベルだった。

「足癖悪いな」

「お口の悪い人には言われたくないですわ。でも――もう少し悪くなっちゃうかも」

 ミモザは少女には似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべたあと、徐に両手を下に伸ばした。

『あっーとミモザ選手っ! 今日はいつもよりも早く靴を脱ぎだしたーっ! 本気! 本気ですっ!! 会場の皆様のブーイングが痛ーい!』

 周囲から控えめな野次が飛んでくる。

 俺はミモザだけを見ていた。

「私がなんで灰って二つ名かわかります?」

「……さあ?」

 にっこりと笑って靴底から灰色の玉を取り出すミモザ。それを周囲にばらまく。玉からは黙々と鈍色の煙が発生した。

 会場全体をさすがに覆いきれないとはいえ、これでは客席からは様子が伺いにくいだろう。観客がブーイングを飛ばすのはわからないでもない。

 俺は一通り周囲を凝で見た後、再びミモザを見つめた。

「煙幕使うからか……」

「それもありますね。ただ実際、現実は小説よりも奇なり、ですけど」

「本当は発をごまかすためだろ? とっとと出せよ。オーラ量は完全にそっち、体術は俺の方が上みたいだから、いい勝負ができそうだ」

「……」

 壮絶な笑みだった。

 来る。本気が。

「原作のモラウさんじゃないけれど、やっぱりゾクゾクするものなのかしら? お互いの発を見せ合う瞬間は……」

 ミモザの足に超密度のオーラが集中する。

 体験したことのない感覚だ。

 敵の能力を間近で見て感じる。血液が沸騰したような熱い感情を押さえつけてただ凝で見届ける。

 ここで攻撃をするほど無粋なことはしたくない。まるで一つの生命の誕生の瞬間を目撃するような奇妙な感覚が身体を止めていた。

 そうして見ている中で。

 彼女の眩いほどのオーラは固定化し、物質化し、具現化する。

「ねえ……」

 それは、ガラスの靴だった。

「ゾクゾクしない?」

 ひゅっ。

 ――消える。

 だが視線は逃さない。

 4次元でも走っているかのような超人的な動きで、俺の背後をミモザが疾走するのを本能で感じた。

 まだ追いつける動き。

 しかし避けられない位置。

 何が起きてもいいように、全力でオーラを回した腕に硬をして防御しようとする。

 同時に、果てしない悪寒のする声で、とある童話のモチーフとなった城の名が囁かれた。

「――《灰被りの暴君(ノイシュバンシュタイン)》」

 ハンマーで叩かれた衝撃。

 追撃を恐れて後退すると、背後に何かぶつかる。

「…………壁?」

 振り向くと豪華な装飾をした壁面が立ちはだかっていた。

 中央には煌びやかなシャンデリア。その奥には巨大な壁掛け時計が時を刻んでいる。

 周囲にはいつの間にか仮面をつけたドレス姿の女性やタキシードの男性が、優美な音楽と共に踊っていた。

 ――念空間。攻撃を受けただけで発動条件を満たしたのか。

 視界の端で人影が映る。

 ミモザだ。

 反射的に追いかけて中央付近に踊り出た。

 周囲の人ごみはこちらにまったく反応しない。凝で見てみるとオーラを纏った念人形のようだった。

 しかしこの数、どういう原理かは判らないが一人分のオーラにしては尋常じゃない量だ。

「余所見をしていていいのですか?」

「……なっ!?」

 いつの間にか背後でミモザの声がした。

 振り向きざまに裏拳を放とうとするが、足がもつれて腹部に強烈な蹴りを貰う。

 どごん、と衝撃が走るが吹き飛ばされはしない。

 否、吹き飛ぶことすらできなかった。

「がはっ……くそっ……!」

 悪態をつきながらも足にオーラを回して繰り出すが、うまく動けず容易に距離を取られた。

 足場が、異様に動きにくい。

「一説によると……王子様はガラスの靴をわざと得るために、床にコールタールを塗ってねばねばにしたそうです。酷い王子様だと思わない? 私はシンデレラのような失敗はしませんけどね」

 そういい残してミモザは人ごみに消えていった。

 円を広げるが念人形自体が彼女のオーラのようで、位置をつかむことができない。

 踊っている人形自体も床と同じで吸着性のオーラがある可能性がある。迂闊に排除することもできなそうだ。

 これがミモザの発。

 十中八九、ガラスの靴に触れた相手を念の空間に隔離して戦う具現化系能力者。

 対象の行動を変化系の吸着オーラで阻害しながら、自身は念人形に紛れて硬規模の攻撃力を纏った靴でヒットアンドアウェイを繰り返すタイプとみた。

 ヒソカのバンジーガムほど応用力はないが、発動すればバンジーガム以上に拘束力の強い念能力。

 隣り合うタイプに操作系が含まれることを考慮に入れると、念人形たちが襲い掛かってきても何も不思議ではない。

 さながら蜘蛛の巣にかかった昆虫のような気分だ。

 俺は周囲を警戒しながら具現化されている広場の時計をちらりと見やった。

 時計の針は動いている。

 精巧に、動いている。

 ひとつの物体を具現化するのにどれだけの修行が必要かはわからないが、天才でもない限り血の滲むような努力が必要だろう。

 それが動いているということは、意味があるということだ。

「やることは最初と変わらないけどな……」

 カウンターだ。

 先を譲り、後の先を取る。

「ほら、こちらですよ」

 言ってろ。

 左から聞えてきた声に、反射的に両足へオーラを集める。

 収束したオーラの推進力を利用して地面との癒着を剥がし、左から飛び掛ってきたミモザの攻撃を紙一重で避ける。

 一泊遅れて腕に回したオーラで反撃を試みるも遅く、敵は既に雑踏の中に消えていた。

 超高速オーラ移動は俺にはまだ実現不可能な技術。

 対応するには地の利を覆すウィルのような圧倒的なオーラの持ち主か、コンマ差で両足の凝から全身にオーラを回せるキシュハのような流の達人である必要がある。

 そしてその双方も俺には持ち合わせがないこともミモザは理解している。

 得意な隠でオーラを隠しながら再び円を広げるが、やはり敵の姿を把握することができない。

「しかもこりゃ……」

 足に回したものと広げたオーラから感じる僅かな喪失感。

「オーラまで食うのか……この床は……」

 長期戦はまずい。

 そんなことはお構いなしに、ミモザは人ごみを踊るように疾走してくる。

 右からの襲撃。

 次は左。

 上。

 後ろ。

 ありとあらゆる方角からの攻めが幾重にも行われた。

 ――堅実な戦い方だ。

 じりじりと俺を包み込むオーラが弱まっていく。

 体中もあちこちに亀裂が入ってしまったように痛みが走っていた。

 一般的に格闘技等において寝技に持ち込まれた場合、かけられている相手の体力の方が早く減少していくのは自然の摂理である。

 加えて何処から来るか予測できない常に緊張を伴った攻防。

 自由な行動がとれない上にまともに動こうとするとオーラ自体も吸引されていくストレス。

 完全な向こうのペース。

 このまま冷静に詰め将棋をされると、自由に動けないこちらに勝ち目はないだろう。

 俺はミモザにも聞こえるように舞踏会全体に聞こえる声量で叫んだ。

「そろそろ外の煙幕が晴れている頃合じゃないか!? さすがに人が消えていれば騒ぎになるぞ!ルカ君は能力解除することを激しく熱望します!」

 ふふ、と嘲笑が聞こえた。

「〝至福の時〟というものは、夢のごとく一瞬のように感じるものでしょう? 《灰被りの暴君(ノイシュバンシュタイン)》の空間は、私の匙加減次第で外と時間軸をずらすことができるのでご心配なさらないで?」

 返ってきた返答に俺は安堵の笑みをこぼす。

 粘着とオーラ吸引の床に、極めて困難であろう特質系の概念にも触れる時間の操作、そして莫大な念空間の具現化という要素が使用されている事実を踏まえる。

 具現化系に近いとはいえ、変化系や操作系の念系統にそこまで複雑なオーラ配分を使用している能力に穴がないわけがない。

「そこまで出来るってことは……さぞかし制約は重いんだろうな。無駄な説明ありがとうよ。お礼に俺も能力説明しようか?」

 沈黙がしばらく続いた。

 変わりに凄まじいほどの圧迫感が空気を変える。

 遅れて硬質的な声色が聞こえた。

「そろそろ終わりにしてさしあげましょうか?」

「時計の針も12時を回るから急がないと能力解けちゃうもんな」

「……」

「相手に触れるだけでこんな厄介な空間に放り込めるんだ。それくらいのデメリットはあって当然だろ」

 シンデレラになぞらえた能力だというなら、能力の傾向は自ずとそうなる。床が相手のオーラを吸収する上に自分の位置を掴ませない空間なら、相手のオーラが尽きるまで逃げ回ればいいだけなのだ。

 攻撃する必要はどこにもないのに攻撃をする。

 これは攻撃自体に能力の条件が関わっているか、今の台詞のように時間制限があるのか区分できる。

 状況やシンデレラの逸話からいえば明らかに後者。それを差し置いてもミモザ自身の顕在念量よりも遥かに大規模の念、おそらく潜在オーラも利用している空間だ。制約で強化したとしてもいつまでも維持し続けていられる筈がない。

 必ず。

 獲物が弱りきったところに最後の一撃が、必ずくる。

「正解です、といいたい所ですけど、その弱弱しいオーラでまだ勝つつもりです? そんなオーラじゃ次のわたしの全力を防ぐどころか、わたしに致命傷すら与えられませんよ?」

「あんまり喋ると負けフラグみたいに聞こえるぞ? 俺の能力がフェイタンみたいなカウンタータイプならどうするんだ?」

「……では、ご要望通り次で、全力で、完全に、確実に終わらせます」

 ミモザの気配が消える。

 濃密な殺気だけが残り香のように立ち込めた。

 俺は残ったオーラを足に込めて全速で走り出した。

 足先からぐんぐんと抜けていくオーラには構わない。

 念人形をすり抜けて急停止。

 オーラを消す。

 そしてその時を待った。

 円を感じた感覚はこれまで一度もなかった。

 なら何故ミモザは俺の居場所を正確に感知し、ヒットアンドウェイを繰り返すことができ、なおかつわざわざ陰で隠していた俺のオーラまで正確に測りとることができたのか。

 最初は念人形を通しての視界の共有かとも思っていたが、可能性は低い。そこまでいけば遠隔技術である放出系の要素をわざわざ足す必要があるうえに、視界を共有するだけでは陰で隠したオーラまで見破られはしない。そこまで高性能な念人形ならとっくに操作させてこちらに襲い掛からせているはずだ。

 《灰被りの暴君(ノイシュバンシュタイン)》は発展途上の念能力。

 では、どうやってこちらの位置を把握しているか。

 忘れるな、あの能力の根幹を。

 頭上から殺気が降り注ぐ。

「気配を消そうとしても無駄です! 食らいなさいっ!」

 ギロチンのような踵落しが繰り出された。

 俺の防御力ではとうていガードしきれない一撃がミモザの情けなのか肩に突き刺さり、そのまま裂傷のように腰深くまで裂いて人体をずたずたにした。

「え!?」

 声をあげたのは彼女だ。

 オーラが相当に乱れている。

 まさか殺してしまうというのは考えてなかったご様子で、予想外に脆かった相手の身体に狼狽したのだろう。

「そりゃそうだ。それは隠と周をかけて纏ったあんたの念人形だよ」

 半壊した念人形の背後から飛び出した俺は、硬直したまま動けない彼女の腹部目掛けて全力で拳を叩き込んだ。

「がっ……!!」

 ガラスの靴を履いた者は床を自由に動けるようだ。

 ミモザは止まることなく人ごみを巻き込んで壁に激突した。

 凝で警戒をしながら、モーゼのごとく割れた道をまだまだ十全に使えるオーラを纏いながら歩く。

 構成した精密な念空間が消えていないということは、時限式故の半オート性能か、ミモザがまだ正常な思考ができているということだからだ。

 注意深く近づくと、彼女は血反吐を撒き散らしながら立ち上がろうとしていた。

「ど……どうし、て? まだ念、が、使える? がはっ……ぐっ……なんで、どうして? 念人形と人間を、間違えた? 私が? げほっ……私の靴は……円の役割も果たすのにっ!!」

「さあ……で? ぞくぞくするか?」

 平然と返した口調にミモザは憤怒に顔を歪めたが、すぐに微笑んで血を軽く地面に吐いた。

「ええ……そうですね……ごほっ……オーラ量は相変わらず私の方が勝ってますし、いい勝負ができそうです……」

 衝撃で外れたのだろう。床に落ちていた白カチューシャを震えた手で再度セットしなおして立ち上がった。

 どうみても致命傷。だが俺のへろへろオーラを見てまだ勝つ気でいるみたいだった。

 小細工など必要ないといわないばかりに、真正面から蹴りかかるミモザ。

 それをしっかりと回避し、右腕に弱々しいオーラを集めて足に攻撃する。

 防御するためにミモザは反射的にそれと同量のオーラを回し、余剰オーラでカウンターを狙うためにローキックを放とうとした。

「ぎっ……!?」

 骨の折れる音とくぐもった声がホールに響く。

 きりもみして床に崩れたのは俺ではなく彼女の方だ。

 向こうのアドバンテージである足は封じた。

 チェックメイトだ。

 ミモザは印象的なふわりとした雰囲気を完全に崩して、陶器のような顔をくしゃくしゃにしていた。

「完全に、防いだはず……なん、でダメージを私、が、食らうの……?」

「攻撃は受けちゃいけない。特に念での攻撃は、なるべく食らわないように越したことはねー…………オーラの大部分をガラスの靴と念空間に充てるあんたの念能力は、相手の攻撃を食らわないことが前提条件で、そこが大きな利点だよな。そこらへんさっきの俺の攻撃をまともに受けた時点で、あんたは何が何でも絶対に逃げなきゃいけなかったんだ。混乱したまま突撃してきた今の行為は完全に悪手だろ」

 シャルナークの針の一刺し、ヒソカのガムの貼り付け。

 ミモザと相性の悪い能力ならたくさんある。

 彼女の能力は攻撃能力に長けている割に、複雑すぎる故に応用が効きにくい。

 一方で俺の念能力は一撃や拘束系ではないのでそこまでミモザの能力とは相性が良くない。

 冷静に彼女が逃亡に専念すれば、再び人ごみに紛れた相手を探すことなどこちらには不可能だったというのに。

 まあ、そうさせないために散々いらいらさせる言動を意識的にしていたわけだが。

「もう動くなよ。効き足折れてるだろ、あんまり女に暴力振るう趣味はないんだが」

 そう言いながらオーラの纏っていない腕を掲げた。

 眼前には俺に無駄な言動を語らせて体力の回復を測り、爆発的なオーラを乗せた飛び蹴りを放ってきたミモザが勝利の笑みを浮かべている。

 雷鳴のような攻撃はオーラを何も纏っていない俺の腕にぶち当たり、強烈な打撃音を響かせる。

 床の吸着のおかげで吹っ飛ばないとはいえ、背骨が軋むので素早く上半身もカバーするのは中々疲れる。

 瀕死の身体を引き摺りながら後退したミモザは嬉々として俺の様子を見ていたが、やがてその笑みは自嘲に歪んだ。

 俺の腕は何も損傷はない。

「ああ……わかって、きました、というよりは態とヒントをくれました……?」

「さあ?」

「纏っているオーラ……偽装ですね。おそらく隠の上位互換能力……念自体の希薄性……。考えてみればあの凄まじいオーラ量をもった人間の仲間が、そこまで弱いはずがないっ!貴方は、オーラを隠す能力者!」

「的外れな推理だな。見ていて恥ずかしいぞ?」

 大当たりだが態々自分の能力を事細かにいいたくはないので、息をするように嘘をついておく。

 彼女の顔は今確信に満ちているが、はぐらかせておけばやがては推測になる。具体的な証拠を伴った事実が出なければ思考の邪魔になるだけだ。

 思えば変化系能力の最たる代表であるヒソカ。

 彼の能力のひとつである《薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)》の原理は考えれば謎に満ちている。

 果たしてその能力は何の性質変化をさせているのだろうか。

 物体やエネルギーの性質を正確に念へトレースするのが変化系能力者であるならば、模写機を対象にすると電源がなければ動かない性質まで付与する必要があるだろうし、鏡の性質なら光も跳ね返さなければならない。

 ただコピーする。それのみを抽出して作り出した能力。

 この実例を見るに具現化系の要素を混ぜることにより、俺はある程度の概念的な性質変化にも着手できるのではないかと考えた。

 そうして生まれた能力が今のこれだ。

 ミモザの言うとおり、俺の能力はオーラを見えにくくする隠の完全上位互換だ。

 傍目に馬鹿にされるほどの脆弱な念?

 天空闘技場に来てからずっとそう見せていただけに過ぎない。

 兄弟弟子であるウィルすらも欺く、それがこの能力の真髄。

 

 

 ――《戦場詐欺師(プライベートライアー)》。

 

 

 それは覆ったものに円や凝にすらも感知されない、認識されにくくする「ステルス」という概念の性質を与える嘘つきのオーラ。

 わざわざ他人の命を助けにいくために、助かりそうもない死地に飛び込んでいく――昔好きだった映画の内容と自らの現状を皮肉ってそう名づけることにした。

 俺は攻防力20を纏った拳をミモザに突き入れる。

 しかし実際にはそう見えるだけで、その周囲にはさらに攻防力40のオーラを纏っているが、能力によって相手には見えない。合計値60の攻撃力。普通に対応すれば大ダメージは免れない一撃。

 ミモザはそれを視認すると攻防力20でガードしようとするが、自らの失態に気づき急いで残りのオーラを集める。間に合わず、何かが折れる嫌な音と共に吹っ飛んだ。

 己の眉間に穴が開くまでは、それがおもちゃのピストルかどうかは容易に判断できないだろう。

 果たして咄嗟に差し出した腕で、放たれた弾丸が本物の弾かゴム弾かを見分けることができる者が、この世界にどれだけいるのだろうか。

 円や凝などの念による探知に全く感知されなくなる俺の能力に対応するためには、俺のすべての攻撃を攻撃の見た目に関係なく全オーラで防がなければならない。

 念に慣れた者ほど、熟練者であればあるほど、相手のオーラに反射的に同量のオーラで無駄なく応対しようとしてしまう。

 戦闘において強敵ほど精密に機能させる流を逆手にとった能力の成果が、予想以上に現れた結果だった。

「それで? まだ続けるか?」

「……当然」

 おいおいおいおい……。

 余裕ありげにふらふらのミモザに聞くが、正直俺の体力も限界だった。

 彼女は俺以上に致命傷を受けているはずなのに……ガッツありすぎでしょこの子。

 弾丸のような速度でこちらに蹴りを仕掛けてくる。

「だからそりゃ悪手だっていってんだろ……!」

 片足は折れているはずなのに、その動きはどこまでも精彩に映る。

 歯を食いしばってこれを防御する。完全にガードしようとしてもダメージが内部に浸透するのは、相手の能力の破壊力が尋常じゃないからだ。

 お返しに殴るが、ミモザはこれをガードしなかった。

 きりもみしながら床を転がっていくが、すぐに立ち上がり再び旋風のように疾走してくる。

 足運びが封殺されている状況で、何度も回避や防御をすることはそう簡単なことではない。

 回し蹴りを捌き、右こぶしをぶち当てる。吹っ飛んだミモザはくるりと空中で建て直して人形を足場にバネのように旋回してこちらに再び飛び込んでくる。両腕で受けて前蹴りを叩き込む。相手は吹っ飛ぶがまた旋回し、背後に滑り込みながら再三蹴りを放ってくる。

 怒涛の攻撃に神経をすり減らしながら捌き続ける。

 ヒットアンドアウェイを捨てた完全な接近戦。

 ミモザの能力の利点は彼女自身が既に捨てている。

 俺の土俵だ。

 攻撃を当てているのも、回避しているのも防いでいるのも、有利なのも俺だ。

 ――なのに何で押されている?

 何度目の打ち合いで、何十回目の有効打を加えたのか。

 当たり前のように吹っ飛んだミモザを見送って貯めていた呼吸を再開する。

 吐き出した息が荒い。

 大量の汗が滴り落ちていた。

「もう起き上がってくるなよ……」

 それは懇願した気持ちで呟いた願いだった。

 しかし、シンデレラは立ち上がる。

 これも念能力なのか。

 嫌な汗が止まらない。

 彼女のガラスの靴の念能力は明らかな具現化系。強大で複雑だが、強化系のような持久力はないはず。

 何がそこまで彼女を突き動かす?

 飛び込んできたミモザを完全なカウンターを決めて今度こそ吹き飛ばす。

 目の前の戦鬼はぎゃりぎゃりと床を擦りながら仁王立ちのまま後退していく。

 もう倒れさえもしなかった。

 真一文字に結んでいる彼女の口元から大量の鮮血が流れている。

 それだけじゃない。

 全身の骨という骨はもう砕けているはずだ。

 雪のように白かった肌は紫色に変色していた。

 こちら見ている視線に何も映していないかのように感じ、俺は思わず背筋が凍りつく。

 ――暴君。

 その威容。

 そのオーラだけが輝いていた。

 俺はごくりと喉を鳴らした。

 修行ならきっと俺の方が効率的で、効果的で、それこそ地獄のような鍛錬をしただろう。

 良い師にめぐり合えた。それがこの結果だ。

 念での戦いはこちらに軍配があがる。

 だがその勝敗は、最終的に折れることのない強靭な鋼の意志に従う。

 俺の精神は果たして、目の前の怪物と張り合えるものなのだろうか。

 幾重にもガードした筈の己の身体がジンジンと呻いているを感じた。

 このままじゃ、負ける。

 空間に二人の荒い呼吸音が響く。

 ミモザはしばらくこちらを睨んでいたが、ふと右上を見上げて肩の力を抜いた。

「もう……止めときます。魔法の時間も解けちゃうみたいだし……」

「…………そりゃあ、幸いだ」

 同時に時計の針が12時を告げた音が木霊した。

 念空間が粉々に砕かれ、瞬きする間もなく会場に戻る。

 煙幕は終わろうとしていた。

 どうやら時間軸をずらすという話は本当だったらしい。

 絶状態になったミモザが、崩れるように倒れてゆくのを俺は祈るように見ていた。

 勝利宣言を念の枯渇によって朦朧とした頭で聞きながら、適当に手を揺らして会場を後にする。

 勝利の余韻はどこにもなかった。




念能力元ネタはそれぞれ映画「プライベートライアン」とシンデレラ城のモチーフより

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