Báleygr   作:清助

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第十話「情報提供」

 柔らかい朝日が揺れるカーテンを避けて頬を撫でる。

 窓辺から見える地上は遥か彼方。

 水平線の海には真新しい陽光が揺ら揺らと輝いていたが、行く手にはいくつもの雲が浮かんでいた。

 此処は雲よりも高いところ。天国に一番近い場所。

 そんな錯覚すら抱く。

 実際には標高3000を超えるゾルティック家の建つククルーマウンテンの方が高いのだろう。

 それでも200階クラスの窓辺から見える景色は、地上のすべての生物をこの世から置き去りにしてしまう感覚を与える。

 無精髭を生やした医師が病室から出て行くのを確認すると、視線をちらりと反転させた。

 寝そべっている白いベッドを挟んですぐ左に、黒髪の少女が座っている。

 人形のように整った顔立ちは慈愛の笑みを浮かべながら、しゃりしゃりと林檎の皮を剥いていた。

 滑らかに裂かれた林檎を皿に丁寧に並べる少女。

 お見舞いのために献身的に尽す様は、端から見れば聖女のように微笑ましく映るだろう。

 俺はその様子を見て朗らかに笑う。

 彼女も天使のような笑みを返した。

 そのまま爪楊枝を林檎にさくりと刺して俺の口元に運んで――は来なく、自らの口元に運んだ。

「お前が食うのかよ……」

「なんで? 私が調理したんだから私が食べるのは当たり前でしょ?」

 心底不思議そうな顔をしてもぐもぐと林檎を食べ続けるのは、最近になって絶賛鬼畜度上昇中のキシュハだ。

「全治三週間とか聞いたけど思いのほか大丈夫そうよね。慌てて私が戻って来るまでもなかったじゃない」

「どうせウィルの奴が大げさかつクソ真面目に伝えたんだろ? あいつは負けたわけじゃないのに騒ぎすぎなんだよ」

「最近兄さんに似てきて困っているわ、切実に」

 二人してうんうんと頷いているが決して仲良しなわけじゃない。

 その証拠にウィルからの見舞い品は大抵キシュハが毒見と称して食べている。この女狐はいい加減豚のように太ればいいと切に願う。

 もぐもぐと無愛想に食べていたキシュハが不意に隣のベッドに視線を流す。新しい林檎を爪楊枝に刺して「食べる?」と微笑んで言った。

「あ、ありがとうございます」

 白いカチューシャをした少女は、戸惑った色を隠さないでそのまま好意を受け取っている。首から下はほとんど包帯に覆い隠されていて痛々しい。

 ついこないだ俺が文字通りふるぼっこしたミモザだった。

 どうでも良いことだが林檎の咀嚼権は俺にある筈なのだが。

「まだ峠を越えたばかりだから辛いでしょ? これ、特殊な調合をした念入りのカモミールだから飲んでみて。よく眠れるけど……あ、毒だとか思ったら捨ててもいいから」

 無愛想な表情のままキシュハはポケットから桜色の紅茶袋を差し出した。

 目を丸くした少女はすぐに満面の笑みを浮かべる。

「いえ、今すぐにでも使わせていただきます。まだ少し体調が悪くて……」

「あそう。なら汲んであげるから少し待っててね」

 手際よく作られて渡されたカップに、ミモザは嬉しそうに口をつける。

 俺はしばらくの間、女同士の雑談を途切れ途切れに聞いていた。同年代の同姓と会話するなんて機会、キシュハには中々ないのかもしれない。

 そのうちミモザは薬の効果が利いてきたのか、口数が減って静かになる。完全に眠りについたようだった。

「こっちの子の方が相当に重症だったじゃない」

 視線をこちらに戻しながらキシュハは責めるような声色で口を開いた。

「女の子を死ぬ寸前まで殴るなんて最低ね」

「かなりギリギリの戦いだったんだから仕方ないだろ」

 真っ白なシーツを見ながら粗雑な言葉で返す。

 ちらりとみたキシュハはすこぶる機嫌が悪い。夜通しの看病の所為か目元が据わっていた。

 念の枯渇、粉砕骨折、内臓破裂、意識不明。

 すべてミモザの状態だった。

 念能力者とはいえ、再起不能になってもおかしくない程度。手加減なんてしていたら俺こそがそうなっていただろう姿だ。念そのものの破壊力に強化系に匹敵するかのような無尽蔵のタフネス。ミモザは強かった。

 赤の他人である筈のキシュハが夜な夜な死んだように眠っていた彼女に、態々念を隠しながらこっそりと治療を施していたのは知っていた。俺ですら薄々と感づいているのだから、施術されていた本人は既にわかっていることだろう。

 俗にいうツンデレという奴か。

 考えながら最後のひとつの林檎に手を伸ばすが、周で強化された無駄に精密な爪楊枝が手の甲にクリティカルヒットして俺は天高く奇声をあげた。どうか俺にも1パーセントでいいからデレ成分をください。

「まぐれで勝ったからって油断してるんじゃない? 念の反応が遅すぎる」

 そう言いながら穴の開いた手の甲を綺麗に塞いできた。

 系統の離れているはずの強化系の治癒行為ですらこの速さ。

 キシュハの念センスは時々圧倒的な存在感を示すウィルすらも凌駕しているように感じる。

 耳を塞ぎたくなる彼女の説教をセルフ幽体離脱しながら聞いていると、病室のドアの前に人の気配がする。

 がらがらと扉を開けてベッドにいるミモザと俺を順番に流し見たあと、残りの林檎を平然ともぐもぐ食べているキシュハを見て、ウィルは疲れたようなため息をついた。

「キシュハさん、貴方の分の林檎も買ってきたのでルカさんにも食べさせてあげてください。一応怪我人ですよ?」

「そうだ、こっちは怪我人だぞ。最近底辺扱いされすぎて感覚麻痺してきたけど、普通怪我人には恥らいながらあーんとか林檎食べさせるのが常識だ」

「ルカさんはちょっと黙っててください」

 自分でもなんか口を開くほど裁判が不利になりそうなので自重する。

 当のキシュハは心外そうな顔をした。

「違うからウィル。林檎が食べたいんじゃなくてルカに食べさせたくないだけ。だから見舞い品を買ってこないのが正解だと思う」

「ほらウィル裁判長聞きました? このド鬼畜大将はなんらかの罰を受けたほうがいい気がします。例えばナース服のコスプレで看病とか」

「ルカさんは黙れません?」

「はいすいません」

 凄まじいオーラを噴出させてきたので手をあげて降伏する。

 人間誰しも見極めどころは重要だと思う。

「なんでこうも貴方たちは仲が悪いんでしょう……」

 いやこの女狐が意地悪しているだけだから。そう言いたいが恐らく俺の口から出てくる言葉は果てしなく誠実さを欠いた皮肉に自動変換されてしまうので肩をすくめただけだった。

 キシュハはため息をつくと、持ってきた医療器具を纏めだしてそそくさと病室を退散しようとする。扉の前にたつウィルの方へ足を進めるかと思いきや、俺のほうへ首だけ動かしてにやりと笑った。嫌な予感がする。

「いつまでも怪我人の振りをしていても強くはなれないわよ。わたしの念をごまかせると思った?」

 冷や汗が滲み出た。

 ウィルの眉間に皺が寄るのを見ないようにする。

「……それは本当ですか?」

「今ちょっとお腹痛くなってきた」

 吹き出しながらキシュハが病室を出ていく。ウィルの背後に少女を見とめると、片眉をあげた。

「貴女ね、監視していたのは(・・・・・・・・)

「ミモザの治癒、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げたラヴェンナのそれには手だけ軽く振ってそのまま去っていた。なんか今の一連のやりとり師匠に似ていてなんとも言えない気分だ。

 それより現状打破の方が大事である。

「いやあれだよウィルさん。知り合いの田中さんのおばあちゃんのひ孫の友達が交通事故で亡くなってここのところその悲しみに明け暮れていたんだ。少しくらい修行を疎かにしてもいいだろう?」

 今にも儚げに消えてしまいそうな憐憫の表情を浮かべながら、俺は沈痛そうに述べてみた。

 ご都合主義と呼ばれる時空を超えた事象がすべてを捻じ曲げてウィルが涙ながらに納得してくれるように願う。次元よ曲がれっ。

「中学生レベルの部活動のサボりみたいな言い訳はやめて下さい。慢心していると足元を掬われますよ」

 無理でした。

 想定よりも激怒はしていないようだったが、どうしようもない幼稚園児を見るような視線は頂けない。

「キシュハにも同じこと言われたよ畜生め……ところで後ろのお嬢さんとの勝負はどうなったんだよ。試合は今日だったんじゃないか?」

 俺のベッドに近づいてきたウィルの後ろでは、爆睡の余り涎を垂らしたミモザの口元を吹くラヴェンナの姿があった。その様は正直双子というよりは歳の離れた姉妹のようだ。

 ウィルもラヴェンナも戦いの後だと言うのに、何処にも怪我らしい痕跡が見当たらない。

「あたしが即効ギブアップして終わったわ」

 ラヴェンナの方が吐き捨てるようにそう言い放った。

「命を懸けた試合でもないのに分の悪い戦いはしない主義なの」

「ミモザとは正反対のスタンスだな」

「むきになって死に掛けちゃったら意味ないでしょうに?」

 そりゃそうだが、と俺は幸せそうに眠っているミモザを見やった。視線に気づいたウィルが薄く微笑むのが癪に触る。

「きっと普段ならラヴェンナさんと同じような考え方だろうと思いますけど、相手の誠意にはちゃんと答えるのがルカさんなんですよ」

「おいウィル、変な精神分析するな」

 自分の能力は奇襲型の分類に属するのはわかっている。

 初撃で決める。

 ミモザとの試合も彼女が強化系に近い系統でないとわかった瞬間に、地力の攻撃力の差をごまかしながら一気に仕留めに行ったほうがよかったのだ。

 ウィルは俺の能力の概要を余り知っていないはずだが、この兄弟弟子は何となくわかっているのだろうか。

 俺は迷走した思考を隅に追いやりながらラヴェンナの方を向いた。

「まあとにかく、こっちが圧勝したんだ。情報くれ」

「圧…勝?」

「うっさいウィル。ラヴェンナ、情報くれ」

「いいわよ。何が聞きたいの?」

 何でもないように少女は肩を竦ませた。

 本来なら無料で入手するはずの手筈だったのだ。当然の反応といえるが、一体こんな回り道をしたのは誰のせいなのか、不届き千万である。

「把握している限りの天空闘技場在住の念使いの数と能力。判っていれば転生者たち個々の念能力解除条件もだ」

 ラヴェンナのスリーサイズとどちらが優先か甲乙つけがたかったが、この病室にいる全人類と敵対したくなかったので心の内にひっそりと置いておいたのは内緒だ。

 彼女は片手で数を数えながらハキハキと答えだした。

「今いるのはあたし達4人を含めて16人。残り12人のうち5人が良いオーラね」

「5人について詳しく」

「一人は黒スーツの男、最初あなた達が来たときロビーで見かけたでしょ? ハルド・ムトーっていう暗殺者の転生者よ。左手の攻撃がやたら凶悪な変化系能力者で相当の実力者。あたしも戦ったことがあるけど普通に負けたし」

 ロビーの事を思い出す。

 確かに暗殺者といえば納得のオーラの歪さだったし、ウィルのオーラを見ていたときも全く恐れている様子はなかった。

 要注意人物として記憶しておこう。

 ラヴェンナは二人目の人物をあげていく。

「オーシャン・アルビオンも多分知っているはず。ほら、あのアロハシャツの青年。最近来たばかりだから念能力はいまいちよく判らない。ただ最初来たときロビーで「カストロさんはいませんかー、解除に必要なんです」とか言っていた馬鹿だから多分強化系」

 黙って聞いていたウィルが何か言いたそうに口を開きかけたが、俺が意地の悪い視線を返すとそのまま押し黙った。お前はマシな方だよ、強化系では。

 ラヴェンナは端整な顔を僅かに歪めて続ける。

「あと、転生者じゃないけどグライシスっていう古参がいる。透明になれる能力者でロリコン変態野朗。こいつは本当に最悪だから戦うことになったら遠慮なくやってね」

 その様子だと自身も被害にあっているのだろうか。地雷を踏む趣味はないので先を促す。

「他は時折観客としてくる関西弁の男と制服姿の女性。ああ、もう此処にはいないけど、〝魔弾〟って異名の凶悪な放出系能力者の同胞もいたわね」

「思っていたよりも詳しいな。ラヴェンナ自身は情報収集系の念能力者か?」

 そう言いながらウィルに視線を流すが、首を横に振られた。

「能力を出させる前に降参されました」

「そりゃ難儀だな」

 嫌な顔を浮かべながら視線を戻すと、にやりとラヴェンナは笑った。

「ミモザと似たようなもの、かしら……そっちの能力はミモザに聞くから言わなくてもいいわ」

「まるで近いうちに戦うみたいな言い草だな……言うよ、こっちは念獣使いだ」

 何時かの時のようにウィルが物すごく嫌な顔をしているのを全力でスルーする。大真面目にフェイクを流して何が悪いのか俺には理解不能だ。

「ふーん……性格別に当てはめるなら変化系っぽいから話半分に信じておくわね」

 目を細くして笑うラヴェンナに、俺は曖昧に笑みを返す。

 今のところこれから能力がある程度ばれる恐れのある彼女とはなるべく戦いたくはない。辛勝したミモザと同じ程度の実力ならなおさら避けるべき対象だ。

 次に此処で戦うとしたら彼女があげなかった残り7人の念能力者たち、もしくは与しやすそうなアロハシャツの青年、オーシャン・アルビオン辺りだろうか。

 誰と当たるにせよ絶対的な強さが不足している。

 情報の続きを前にお手洗いにと部屋を出て行ったラヴェンナを見送ってから、俺はウィルにそっと呼びかけた。

「ウィル」

「なんですか?」

「修行すっぞ」

「……了解」

 今回の師匠による天空闘技場派遣の真の狙いが、俺のモチベーション向上を狙ってやったのだとすれば、おそらくそれは大当たりだろう。


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