刹那の軌跡 【完結】   作:天月白

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Extra1 心が求める 7

 一寸先が見通せぬ深い闇。その中を確信を持って歩を進めるリーシャ。

 先の見えない道を見えているかの様に狭い狭い穴蔵に頭をぶつける事なく呼ばれる様に足を前に。

 ひんやりとした空気に息を白くさせ、大きく息を吐く。冷たい空気とは反対にリーシャは汗をかいていた。頬を伝い顎から落ちて地を微かに湿らせる。

 もうどれくらい歩いただろうか。そう思って額の汗を拭った時に彼女は初めて自分が汗をかいている事に気付いた。

 恐怖はない。疲れもない。ならば何故。未だ死神の姿は影も見えず緊張感も然程ない。

 

「忌避……か」

 

 知らず内に音を漏らす。

 アルクェイドに何を見ていたと言われた時、リーシャの心は大きく跳ねた。どこまで知られているのかと口が乾き声を出したくとも出せなかった。秘するモノでも無いとは考えたが結果としてそうなった。

 アレと同じと思いたくは無いし、同じにしてはいけないと彼女は思った。だが、限りなく似ているのだ。そして、その大本は自分だという事実。

 自らを穿つ月を求めるアルクェイド。それに憧れた死神。

 かつて、太陽は地に落ち月に遮られた。

 

「皆既日食……」

 

 それがアルクェイドの本質だ。時を経て尚、彼は自らの欠損を理解せずに求めている。下弦の月でも半月でもなく、真円を描く満月を求めて。

 それ故無意識にアルクェイドは()を引き寄せる。その属性の持ち主を。レン然りティオ然り、そしてなによりリーシャを。彼の太陽はそれぞれが嵌ってしまう程の大きさで、それが一番理想の形に近いのがリーシャなだけである。

 逆に言えばそれだけで、周期を考えればこの時を逃せば恐らく10年以上彼を追う事は出来なくなるだろう。

 完全に一致する時に彼女が彼を殺してからクロスベルに来るまで影すら見えなくなった様に。

 

「それが唯一アグニが失敗したもの」

 

 死神の底を覗いた今、リーシャは大体の事を理解していた。

 アグニは時を見誤ったのだ。邪魔さえ入らなければと戦争開始と同時に事を進めた事が失敗だった。

 アルクェイドが一番飢えるその時にこそ怨念を叩き込むべきだったのだ。なれば、それは否応無く飢えにぴたりと嵌った事だろう。

 

「この先に……いる」

 

 暗い穴の先には簡素な扉があった。ランタンが設置され、足下には扉へと続く石畳。

 

「これは、家?」

 

 土に大半が埋まっているが、よく見れば塀の一部が見えるし、窓の枠とガラスもある。中からは薄らと明かりが漏れていた。

 何故こんな地下に、と疑問だったが息を飲んでゆっくりと扉を引く。

 木材特有の軋んだ音を立てて開かれたそこは一見普通の家だった。

 どこの田舎にでもありそうな暖炉と木製のイスとテーブル。暖炉の前にはリクライニングチェアーと柔らかそうな絨毯。

 その穏やかな家内の暖かさに戸惑いつつも一歩足を進める。

 扉から先へ一歩進めた瞬間空気が変わる。不可思議な危うさを孕んだ空間に知らず唾を飲み込む。入ってはならぬ、奥に進んではならぬと、脳が危機信号を発する。

 

「はぁっ……はっふぅ」

 

 呼吸は荒くなり、微かに体が震える。

 見てはならない。聞いてはならない。理解してはならない。

 進めばあの時見たものよりも後悔するぞと本能が叫んでいた。

 この先にはアレがあると。

 それでも足はゆっくりと進む。床板は軋み、暖炉の炎は揺らめき燃えた木がパキリと割れる。

 家内の奥の扉へと足を進め、玄関から丁度真ん中辺りに来た時、暖炉の炎は大きく揺れて音を立てずに奥の扉が開く。

 開くな、見るな、有ってはいけないと何度も何度も脳に響く。

 けれど、ああけれど、ソレがある筈の場所から目が離せない。眼球が揺れても視点は同じ場所を見続ける。

 薄暗く、それでもソレは明確に。赤黒く染まった壁に磔られた人の形をした骨格。

 間違いない。ソレは人だったものだ。壁面から判断して生きたまま磔にされている。

 ふと、暖炉からした木の割れる音がしてそちらに目を向けてみれば、リクライニングチェアに誰かが座っているのが見えた。

 しかし、影しかよく見えず動きもしない。けれど、そちらからも視線が外せない。

 

「はっ……ふぅっはっ……」

 

 荒い呼吸が更に荒くなる。

 その影から出ているナニカが見えた。それは黒い服の裾から出ている手だった。手に血の気は無いどころか骨に纏わりついている様に見える。それがどう言うものか、リーシャはすぐに理解出来た。即身仏なのだと。

 その左手の影には暖炉の炎によって鈍く光る漆黒の右手があった。

 

「はっあぁ……なんっ……でぇ……」

 

 漏れ出る様に、そのミイラが誰なのか分かってしまい、疑問が溢れ出た。

 不意に、背後で扉が閉まる音がした。

 

「おかえり、■■さん」

 

 振り向けば、死神が立っていた。

 その言葉の意味が理解出来ない。否、したくない。

 それでも、ああそれでも、分かってしまった。だからゆっくりと。

 

「貴方は、死神では、ないのですね」

 

 荒れている呼吸をゆっくりと落ち着かせる様に。

 

「ええ」

 

 真実(未来)に触れていこう。

 

 不可解な点は最初からあった。アルクェイドではなく、リーシャに取り憑いた事。アルクェイドに見えない事。そして、あの去り際に彼らを祝福した事も。全てにおいて死神らしくは無い。それに本人は肯定していない。

 

「まずは、本来の姿に戻ろうか」

 

 碧い炎に燃やされる様に目の前の人物の顔が燃える。古い皮膚が爛れ落ちる様にしてその奥から少しだけ既視感のある少女の顔が現れた。

 黒い髪に深い青はそれぞれ両親から受け継がれた確かなものであろう。

 

「初めまして、としておこうか。名前はまだ付けられない」

「何故、あの場に残っていたの?」

 

 仰々しく語る少女のソレにあえて触れずに問う。

 

「残った理由はベクトルが違うだけ。そして古戦場地下だったのはそこに残り滓が多く残っていたから」

「ケイ君がみえなかった理由は?」

「ソレは彼の因子が薄い故に。時が経つ程に知覚出来る可能性は高くなる。最も、そうなる為にも一つだけ条件があるけれど」

 

 淡々と語る彼女の声には抑えられた感情が見えていた。しかし、それがリーシャにとってどう言うものかは判別出来ない。

 

「あなたの目的は?」

「どう、言ったものかな……」

 

 初めて彼女は困惑した様な表情を浮かべた。肩で切り揃えられた髪を恋する乙女の様に指でクルクルと巻く。

 今まで即答に近かったのが、此処にきて詰まる。

 

「言った所で理解どころか聞こえるモノではなく、かと言って言わなくて良いものでも無い。が、理解出来ては意味が無い」

「その理由は言えるものですか?」

「済まないね、そういうものなんだ」

 

 残念ながらと首を横に振る彼女は苦笑していた。

 

「ただでさえ、リスクを背負っている現状で、更にソレをレイズする訳にはいかないんだ」

 

 何時バーストするか分からないからと申し訳なさそうに言う。

 

「では、他を。そこの彼と壁の彼女は誰ですか」

「ソレは君が思っている通り、かな? 恐らく。明確には言えないね」

「そう、ですか」

 

 リーシャが思っている通りならば、と思考して他にも多くの疑問があるが、恐らくその全てに目の前の彼女は答えられないだろうと確信した。

 

「ならば、もう一人は何処ですか? ここにいなければならない、もう一人は何処に?」

「くはっ」

 

 それは、堪えきれずに漏れた息。よくやったと喜色に口を歪ませずにはいられなかった。

 

「そう、それ。大事なのはそこ一点。いやぁ、どう誘導したものかと思ったけど、存外なんとかなるモノだね。いや、いや、そうなるのは考えれば当然か? 寄るよね、寄っちゃうよね、当たり前だもんね。悩む事すら意味は無かったのかもしれないなぁ。いやぁ、何とかなるもんだ。それにしても……」

「あ、あの……」

「あ、あぁ。済まない。悪いな、独りでいる事が長くて癖みたいなものなんだ。たまに思考が漏れるんだ。それで、なんだったか。あぁ、もう一人ね。どうなったかは知らない。だが、いなかった。それは事実だ」

 

 喜色の声でやや早口に告げる。どことなく感情に振り回されている感じだった。

 

「ああ、やっと言葉が見つかった。目的はね、自分に向け続けさせろ」

 

 誰を、等という陳腐な講釈など欠片も必要なかった。それだけで、リーシャは全て理解出来た。

 

「これで、全てが繋がった筈。何処から切れたのか知らないけれど、これで縁は結ばれる。ククッ」

 

 少女は肩を振るわせて笑う。歓喜していた。

 目の前の少女に思う所はあるが、何を言っていいか分からないリーシャは口を噤んだまま。

 家の所々から淡い光が浮かび始めた。元の場所に還っていくのだろう。

 

「また、会いましょう」

「うん、■■さんによろしくね」

 

 その言葉を最後に少女は笑顔のまま消え去った。

 周りの空間も還った事でがらりと景色が変わる。

 そこは懐かしい場所だった。

 

「最後の餞別か、または……」

 

 繋がる言葉は無い。待ち人が来たのだから。無粋な思考は止めた。

 いつかと同じ様に月の塔の最上階。

 待つのはリーシャ。来るのはアルクェイド。

 違うと言えば、上からでは無く下からという点か。

 

「…………」

 

 相対して尚、アルクェイドの表情は困惑を示していた。疑問があると、それを解消せずして、逢瀬はならぬと。

 が、このまま問うては片手落ちだ。故に駆けた。

 武器すら構えず素手で殴り掛かる。それをリーシャは頬で受け止めた。

 

「初めて君の衝動を見た気がする。何故かな」

 

 殴られたままの体勢でアルクェイドを見据える。

 アルクェイドは後ろに下がって距離を取っては、また殴る。三度、四度と繰り返す。

 それでもリーシャは何もせずに受け止める。

 

「軽いね。今までの君が嘘のよう」

「――――」

 

 その言葉を否定したくて更に力を込めて殴った。が、それでも彼女はその場から動かない。

 

「ほら、やっぱり軽い」

「黙れ……」

 

 震える手を誤摩化す様に引いて眼前で強く握る。

 

「Dとの対話はすっきりするものではなかった様ですね」

 

 一瞬、微かな間だがアルクェイドは視線を反らした。その反応は言葉なき肯定である。

 一気呵成に攻めようと動いたが彼はたたらを踏む様にして止まった。珍しい事の連続だとリーシャは思う。

 昔の彼はこんな風だったろうか? 迷う様に荒れては八つ当たり。クロスベルで再会した彼のあの雄々しい生き様は何だったのか。

 アグニの思惑に対して見事彼奴を討った彼はどこに行ったのかと。

 これではまるで、かつての自分の様ではないか。

 

「――――ぁ」

 

 霧が晴れる様に思考が澄み渡った。

 

「ふふ、ふふふふ」

「何を笑っている」

「少し、安心しました」

「――あ?」

 

 アルクェイドは訳が分からないと怪訝に眉を顰める。

 ここで初めてリーシャが前に出た。

 

「詮無き事に気付いただけです」

「なっ……グ!」

 

 同じ様に素手で殴り返し、反射的にそれを手で受け止めた彼は驚愕した。

 威力、衝撃はそれほどではなかった筈なのに、自らの腕は弾かれてしまった。そして、がら空きになった所を力一杯のボディブローが炸裂した。

 肺の空気が抜ける程の衝撃でアルクェイドは一瞬呼吸が止まる。それでも無理矢理距離を取ったのは流石というべきか。いや、その程度しか出来なかったと取るべきだった。

 いくら調子が悪かろうが、喰らう寸前に下がって衝撃のタイミングをずらす程度は彼に取って造作無いはずだ。

 

「受け止めてあげますよ、その激情。その名がなんと言うか分からないのなら教えてあげますよ!」

「ハッ、吹いたな。リーシャアアアアァァァ!!」

 

 その目が気に入らない。殺意とも悪意とも敵意とも違う。レンから向けられる好意に準ずるそれでもない。

 故に理解出来ない。怨念の中にそんなものはなかった。いや、正確には己の中にもなかった。

 好意や恋愛感情はあった。それらが怨念の中では最たるものだったのかだから。しかし、その先のモノは理解出来なかった。

 自らの理想(輝き)とは明らかに違う。自らの内で全てが決まっていた彼には分からない。

 

「人間であるならば満足だと思っていた! だが、実際は気持ち悪さが増えただけだ!」

「だから、なんですか。そんな事など知りませんよ!」

「教えるつったのはてめぇだろうが!」

「あなたの衝動の話ですよ、それは!」

 

 分からない。それがどう違うのか分からない。

 的確に拳は互いに当たる。

 口の中は切れて血を唾と共に吐き、視界を遮りそうな血は手の甲で拭う。そんな無駄な行動していても拳の速さは変わらない。

 いや、無駄だからこそだろうか。無駄な動きすら取り込んで水が流れる様に体が動いている。

 

「お前もアイツもそんな目で見るな、吐きそうなんだよ!」

 

 目を潰そうと襲いかかる。言葉の順序もめちゃくちゃで。しかし、そんなものだろう。言葉に出来ない苛立ちの衝動など。

 未知なる激情は純粋に気持ちが悪い。ふわふわと浮いている言葉が脳内を巡り答えが喉につっかえて吐き気を催す。

 

「同じを目をしている貴方が言うか! 拒否される事が怖いだけの癖に!」

「うるせぇなぁ……うっせぇんだよ!」

 

 低い姿勢から一気にリーシャの顎を狙って拳を振り上げる。避けられた。それでも構わず連続で狙いも決めずにただ殴る。

 当たっている。当たっているのに手応えがない。それだけでアルクェイドは更に苛立つ。

 一見、やられっぱなしに見えるリーシャは微かに口元を緩めて右手を振り上げた。たったそれだけでアルクェイドの両拳は挙げさせられた。

 挙げられた手を引っ掻く様にして振り下ろす。リーシャの頬が微かに裂ける。

 

「リィィィシャアアアアァァァァ!!」

「さっさと気付け! この馬鹿あああぁ!!」

 

 互いに拳を振り上げる。高らかに鬨の声を張り上げて。接触は一瞬。

 崩れ落ちるはアルクェイド。

 

「…………」

 

 自らを見下ろす彼女を見上げる。

 たった一発であったが、アルクェイドが起き上がる気力を無くすには十分だった。それほどまでに戸惑っていた。

 分からない。分からない。分からない。この感情が分からない。

 見下ろしてくる彼女の感情()が分からない。

 あの日と同じ構図。あの時抱いた感情が思い出せない。

 ああ、見蕩れたのは覚えている。憧れたのは覚えている。けれども、その名は分からない。

 あの感情(刹那)を覚えていない。それが無性に腹立たしくて、情けなくて、悲しかった。

 銀像(創作)に込めれば浮き出ると思って作り上げてもしっくりこなくて。

 他者から賞賛されても、その奥には気付けなくて。

 自分だけが、やはり空っぽなせいで執着出来ない。それでも無惨に扱われれば殺したくなる程怒ってしまう。

 この感情が分からない。求道者()は与える者でないが故に。

 

「…………なぁ」

「……なんですか」

 

 目の前の彼女の顔が分からなくて。やっぱりこうして問いかけてしまう。

 

「なんで泣いてんだ」

「知りませんよ。教えませんよ」

「知ってるのか知らんのかどっちだよ」

「私は言葉に出来ません。態度で教える気はありません。ですので、さっさと気付いてください」

「無茶な…………」

 

 ただ呆然と見上げていた。

 無意識に手が伸びた。零れる彼女の目尻に向かって。だが、その手はリーシャの手によって包まれた。

 

「何か、したい事はありませんか」

「…………なんだいきなり」

「いいから答えてください」

「……特にない」

 

 それが本心なのだろう。元々消えるつもりだったのだ。集大成の創作は出来た。アグニも滅した。それ以外の事など考えた事がなかった。全ては己で完結していた。

 だから必要なかった。先の事を考える意味など。

 

「だったら…………」

 

 自分と同じならば、そうしよう。そういう事しか出来ない。

 

「旅を、しませんか?」

「は?」

「私と」

「お前と?」

「はい」

「…………なんで?」

 

 こう答えるのは間違いなく失策であろう。少なくとも女という生き物に対しては。

 それが分かっていても、アルクェイドは問うた。問わねばならなかった。

 

「別に理由なんてありません。ただ、そうしたいからです。私が」

「一人でいけよ」

「嫌です」

「なんで」

「詰まらないじゃないですか」

「知るかよ…………」

 

 訳が分からない。どうしてこうなった。

 アルクェイドの頭には疑問しかない。

 

「いいから行きましょう。楽しいですよ」

「あーもう、わーったよ」

「やった」

 

 もう彼女は泣き止んでいた。

 包まれていた手は放され、今度は頬を挟まれた。

 いつの間にかリーシャの顔が近くなっていた。

 手を伸ばす距離よりも更に近い。

 

「そうだ」

「あn…………」

 

 何かを言う前にアルクェイドの口は塞がれた。

 さきほどの涙のせいか、少ししょっぱい味がした。

 

「答えが分かったら教えてくださいね」

 

 満面の笑みで彼女は言った。

 また分からない事が増えた。

 

 

 

 彼は探し続けるだろう。その答えを。

 分からないなりに、分かっている彼女を連れて。

 その胸の奥底にある感情()の名前を探して。

 心が求めるがままに。

 

 

 旅をしよう。そうすればきっと――――




これにて完全に完結。

もう少し文に構成を乗せられたらなと思いました。
解説しようかと思いましたが、野暮な気がしますね。

誰だこれって感じでキャラ崩壊してる気もしますが、別にいいよね。



一つだけ補足しておくと、彼が理解しないとほぼ間違いなく磔が産まれます。永遠に残したいから仕方ないですね。


次回作本当にどうしようかな……

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