刹那の軌跡 【完結】   作:天月白

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Extra1 心が求める 3

 身元不明の女を拾った次の日。その日からシュリは忙しなく動いていた。

 拾った日の夜に女は目を覚ましたが、目は何処か虚ろでこちらの呼びかけに反応はするが、視線を向ける程度だった。

 

「どうしたものか……」

 

 会話も出来ず、寝たきりに近い女の対処に困っていたアルクェイドはやはり不機嫌だった。

 ソレは三日経った今でも変わらず、歩きも喋りもしない彼女に悩まされている。

 

「ほら、口を開けて」

 

 唯一の誤算――というよりか発見はシュリが母性を発揮している事だった。女に対して甲斐甲斐しく世話を焼く姿は母であった。

 それを興味深そうにアルクェイドは見ていた。見た目は少女らしくはしないけれども、確かに女であることをまじまじと魅せつけられた気分だった。

 

「楽しそうだな……」

「何が?」

 

 いつものように快活な少年の様な格好をしているシュリに背後から声をかける。

 

「そいつの世話が」

 

 シュリは女の口に粥を掬ったスプーンを差し出しながら声だけ返事をする。シュリがアルクェイドを見ることはないが、何故か女は彼を見ていた。彼女が差し出す度に口を開く姿は親鳥から餌を渡される雛鳥のように見えた。

 

「んー、まぁ、つまらない訳じゃないけど……何といえば良いかな。してやりたいのも確かだけど、何処かしなきゃいけないような気もするんだ」

 

 決して、決して義務でも強制的な気持ちでもないけれど、何処かそのような気もすると彼女は言う。

 

「ふむ…………」

 

 その言葉を聞いてアルクェイドは眉を顰めた。それであるなら自分がここまでイラつくのも仕方が無い。

 そう考えついたが、そこから先が微妙に予測が付かなかった。

 

「残り滓か……? いや、だがそれはそれでこうなる原因はなんだ?」

 

 残滓があることに関しては仕方が無いとも言えた。しかし、それはアルクェイドやキーアが強く望めば何か出来るものでしかなかった。

 だからこそ、太陽の砦から漏れ出る黒いアレが謎だった。が、アレはこの女が原因と分かれば、ある程度予測は付いた。

 

「アレはコイツが呼んだ? にしては時期がおかしいか。アレがこうなったと考える方が納得出来る。となれば、コイツは誰だ?」

 

 残滓といえども、因果の力―至高に準ずる力を扱えるのは限られてくる。生み出したアグニでさえも、自らだけで扱えるものではなかったのだ。

 だから、この女は奇妙でならない。

 もっとも、それ以前に彼の不機嫌な原因の大半は――

 

「なんでそいつはずっと俺を見ているんだ」

「知らないよ……」

 

 今の今までアルクェイドが彼女の目に届く範囲にいれば必ず彼に視線を向けてくる。

 部屋に入れば直ぐに顔が向き、他の誰かに呼ばれても顔だけは彼に向けていた。それはシュリにスプーンを差し出されている今も変わらない。

 気になって『おい』とか『おまえ』と呼んでみても、あーうーとか声は発しない癖に顔を向ける速度だけは異常に速い。怒気を込めて呼んでも女は何処か嬉しそうに見えた。

 それがアルクェイドを余計苛立たせた。

 

「まぁ、いい。少し出かけてくる」

 

 アルクェイドは返事も聞かずに女の部屋から出て行き、強く扉を閉めた。

 シュリは彼の態度に肩を竦めながらも女に粥を掬ったスプーンを差し出す。

 

「いつまでも名前がないのは不便だよな。名前だけでも分かればいいのに……」

 

 それは女に問いかけたものではない。しかし、女はシュリの言葉に反応して初めて彼女の方に顔を向けた。

 

「…ィー」

「ん? どうした?」

 

 微かに動く口から音が漏れていた。否、声を発していた。

 

「でィー」

「ディ?」

 

 今まで聞いた覚えがない言葉が彼女の口から聞こえてきたが、それがどういう意味か分からずにオウム返しになる。

 

「な、わぇ、でぃー」

「な、まえ? 名前がでぃ、なのか?」

「デぃー」

 

 舌足らずな発音でなんとか聞き取ろうとシュリは耳を傾ける。何度も繰り返すことで女の発音は彼女が望む音に近づいていく。

 

「ディー、いやDか」

 

 シュリはようやく10以上の反復で女の名前を正しく認識できた。

 

「お前のは名前はDって言うんだな。よろしくな」

 

 名前を知れたからか、シュリは破顔してDを呼ぶ。

 

「よ、ェしク」

 

 まだ舌足らずながらもちゃんと疎通しようと見える意志がなんだか嬉しくてシュリは笑みを零す。しかし、ソレの意味が分からなくて、Dは首を傾げた。

 

* * *

 

「その女どうみる?」

 

 クロスベル市街からは少し外れた七耀協会の裏の墓地側にアルクェイドはいた。

 

「見てはいないから、はっきりと分からないけど……」

 

 木に隠れるように立つ彼とは反対側にキーアがいた。

 戦争地として、七耀協会自体は中立を保っているが、避難所として敷地内はそれなりに騒がしい。が、危機的な状況による緊張感は皆無に近かった。

 それもそのはず。クロスベル周辺に存在する戦争の傷跡などないのだから。死傷者は共和国か帝国の兵士しか出ておらず、それを撃ち破る機兵は謎に満ちているが、一般市民や低位の兵隊には情報操作されている。

 よって、戦争が始まったばかりのクロスベルに明確な被害はほぼ無いと言える。強いて言えば、食料や他国との交易関連に面倒ないざこざはあるが、そんなモノはディーターの領分であり、市民には現状関係ない。それなりの不安はあろうが。

 

「まちがいなくわたしの姉妹だと思う」

「だろうな。問題は今何故それが産まれたかだ」

「あそこの研究所にはまだナニカが残っていた。気になるのは中身」

「心当たりは?」

 

 そこまではアルクェイドもキーアと同じ結論が出ていた。一番気になり、問題なのがそこに誰の意志が入っているか。

 アグニやソレに準ずる誰かが入っていたら目も当てられない狂者が産まれることだろう。だからこそ、わざわざキーアにまで接触した。

 けれど、キーアもその予想が付かずに首を振る。

 

「それにしても不思議」

「あぁ?」

「貴方が彼女をすぐに殺さなかったことが」

 

 キーアが思いの外えぐり込んで来たのが不愉快で、彼は背を預けていた木に踵をぶつける。

 

「しなかったんじゃない、出来なかったんだ。俺が見つけたわけじゃなかったからな。それに……」

 

 シュリが一緒にいなければ、ほぼ間違い無くアルクェイドはその場で殺していただろう。ソレをしなかったのはシュリが見ていた。その理由に尽きる。

 

「それに?」

「何でもねぇよ」

 

 苦虫を噛み潰したように喉に留めた言葉が九相図だ。

 それに関してはキーアが知り得た事は無い。絵が出来たのは彼女が眠りについてからで、何よりも彼女の最後など知り得る筈がない。

 クロスベルで死んだなら別であったろうが、共和国の田舎の奥であるから以前の力が届かない場所だ。

 だから、アルクェイドはその言葉を飲み込んだ。

 

「あいつが来てから雨も止んだ。アレが女になったのは確かだろう。何を求めているか分かるか?」

 

 今度もキーアは首を振る。それに対してアルクェイドは舌打ちをした。

 ならば、これ以上彼女と話すことはない。そう断じた彼は墓地の丘をさっさと降りていく。

 

「あ……」

 

 突如会話を切られたからか、キーアは一瞬何かを言おうとしたが彼は無視して歩き続けていった。

 

「……ううん、それはない……はず」

 

 不意に考えついた可能性を口にしようとしたが、会話を打ち切った彼を呼び止めるまでの理由にはならなかった。

 それを彼に告げなったのは限りなく可能性が低いからだ。もう終わったはずなのだ。アルクェイドがここにいることが何よりの証明であるのだから。

 故に、キーアはその可能性を頭を振って追い出した。

 

「うん、それは有り得ない」

 

 遠くにしか見えなくなってしまった男の背中を無意識に追いかけながら、確認するように、言い聞かせるように呟いた。

 

「―――――――」

 

 キーアの口から零れた言葉は風が攫う。故にそれは誰にも届かない。

 

* * *

 

 かさかさ、かさかさと床に壁にと蠢く蟲の如き黒いナニカが這いずり回る。それを特に気にした風もなく、銀はその上を踏みつぶしながら歩いていた。

 正確には踏みつぶす前にナニカがサーッと避けてしまうのだが。

 銀は太陽の砦の奥深くまで続いている大きな螺旋階段を降りている。もはや、仮面や気功を使って誤摩化す気がない彼女は正装を纏っていた。

 彼女がD∴G教団の研究施設跡をこうして来訪しているのは(ひとえ)に胸騒ぎが原因だった。確固たる理由にはならぬけれども、放置していては取り返しのつかない事態になりかねない予感だった。

 警察や軍隊の前身たる警備隊の一部が幾度か調査には来ているが、錬金術の知識が微塵も存在しない彼らにこの研究施設の価値など皆無であり、何より敵の施設というだけで破壊する選択が出てきてもおかしくはないのだが、戦争時にそのような余裕などあるはずも無い。

 だからこそ、こうして彼女は今降りることが出来る。

 奥に進めば進むほど、言い様の無い雰囲気に咥内が乾くがそれに気づくことはない。

 やや湿った空気にかつてと言えども、怨念の住処だった墓所を歩いているのに何も起こらない。それだけで彼女が緊張感を持つ理由となる。

 大きな空間なれど、空気は淀み、鬱屈した気分に陥るだろうということが容易に分かる。そのうえで、かさかさと蟲が這いずる音に耳がざわつくのだから、彼女が不機嫌そうに眉間に皺が寄るのも仕方が無いだろう。

 

「あぁ、本当に此処は――」

 

 ――気持ちが悪い。

 そう言葉にすることすら唾棄して嘆息をつく。

 それは上記の理由と、なによりも此処は彼らの残滓が色濃く残っているのが理解できるが故の心情だった。

 一歩一歩進むごとに、奥へ奥へと誘われる様に胸騒ぎが強くなり、大きくなるにつれて鼻につく。

 

「此処か」

 

 結局、最奥地に辿り着くまでに辿り着くまでに何も起こらなかった。

 リーシャは古い大きな門の様な扉を見上げて呟く。それに呼応する様に、彼女を待ち構えていたかの様に、扉は大きな音を立てながら開き始めた。

 それに戸惑うこと無く、リーシャは奥へと足を進める。そこにあったのは、此処に有るはずの無いもので、彼女が驚愕するには十分な物だった。

 

「何故、これが此処に……」

 

 そこに有ったのは、アルクェイドが造り出したいくつかの銀像。しかし、それがあるべき場所なのはメゾン・イメルダの彼の工房奥のはずだ。

 それが何故かこの場所にあるのか、理解できずに誘われるがまま彼女は足を進めた。

 

「数が……足りない?」

 

 それが有るということを受け入れ、数を数えてみれば銀像がいくつか欠損していることに気づいた。

 本来ならば一纏めに置かれていたそれらの数がこの場所には足りていない。

 

「支援課のみんなの分がない?」

 

 支援課主要の4人だけの奴が無かったのだ。そして、逆に有る分のメンツの関係性を考えてみると……。

 

「この世界で記憶が残っている人物?」

 

 キーアやリーシャ、レンにシュリ、イリヤと言った彼を覚えている人物の像しかない。他にも記憶を持っている人間はディーター・クロイス等いるが、彼らの像は作られていない。故に、この場には存在しないのだろう。

 

「これは一体どういう――――」

 

 ――意味なのかと呟く前に一瞬だけ淡い女の姿が見えた。寂しそうに笑う女。けれど、それが見えたのは一瞬で、幻視したことさえ気のせいだと思いたくなるほどの間隙。

 だが、彼女はそれをはっきりと知覚した確信があった。理屈がどうこうなどではなく、それが起こりえる場所と言うだけで彼女はソレを受け入れる。

 故に、リーシャは自らの得物を取り出して、幻視した女の方へと向ける。既に見えてはいないが、はっきりといるということは理解していた。

 

「貴方は、どちら側ですか?」

「――」

 

 問いかけてみれば、彼女の姿明滅してうっすらとだが朧げな容姿を確認できた。

 しかし、口は動いているが言葉が返ってこない以上、どうやらそれ以上の意思疎通は出来ないと感じた。

 女の態度から敵対しないと判断してリーシャは短く息を吐く。

 

『――けて――て』

 

 不意に、聞こえた音に落とした肩をあげて半歩距離を取った。

 ノイズ混じりの男とも女とも子供とも老人ともとれないような不可思議な声。それはアグニの様と同じで咄嗟に警戒を最高レベルにまで引き上げる。

 難度も同じ音を繰り返す。けれども、ノイズの負荷は重く満足に聞き取れることは無い。

 その事に目の前の女は悲しそうな笑顔のままで、目を伏せる。

 

「くっ――――」

 

 女は朧げな明滅のまま、リーシャへと迫りそのまま重なった。迫ってきた時点で避けようとしたが彼女の体は動かずにいた。

 

『助けてあげて』

 

 その言葉を最後に女の姿は消えた。不明瞭な声ではなく、悲しそうな若い女の声で告げて。

 誰を――なんて問うまでもなく、リーシャには理解していた。問題なのは、何から――と言った点だろう。

 

「あぁ、なるほど。あの女性は――」

 

 三日前にシュリが拾ってきた女性。それを誰か理解した。そして、それはまさしく塵芥。こうして理解してしまえば、なんて事はないのだろう。

 リーシャは笑う。可笑しそうに、童心――否、これはその逆で母性なのだろう。

 シュリはすぐに分かっていた。彼女が今まで理解できなかったのは裏世界という闇に、アグニという狂者を知っていたから。

 

「どうした、ものかなぁ……」

 

 彼女が求める物は理解した。けれども、それを実行するとなると些か気恥ずかしい物があった。

 行う事だけならば、さしたる事――当人(リーシャ達)からすれば大事――ではあるが、それをあの女性の前で行うとなれば非常に困難と言わざるを得ない。

 そうしなければ、あの女性は納得しないのだろうと言うのは分かっているが、そんな(わざわざ見届ける)事などしなくてもそうしていく心算ではあるが――。

 

「納得しないんだろうなぁ」

 

 ここに来るまでの緊張なんて最早彼方へ吹き飛んでしまい、今彼女にあるのは一種の気恥ずかしさのみ。

 戦争という特殊な状況に、同じく納得させられる人物であろうレンはブライト姉弟について行って今はリベールの空の下。

 恋敵(ライバル)がいる状況ならば、意地でもしていたかもしれないが、その彼女がいない状況で行うのは些か卑怯にも思え、それが彼女を躊躇させていた。

 

「あぁ、本当に……どうしよう」

 

 リーシャは項垂れる。誤摩化しも効かないだろう相手にこうして内側にまで入られているのだから。

 誰が好き好んで第三者に見守られながら想い人との逢瀬をすると言うのか。それを考慮する筈も無い女性の感情。それを理解しているからこそのやるせない思いは虚無感しか無い。

 

「あの時にそのまま成仏してれば良いのに……」

 

 そうリーシャが嘆くのも仕方が無い事であろう。あの女性に脳内でエールを送られようとも尚更に。

 これ以上無いくらいに面倒臭い状況に幾度とリーシャは溜め息をつく。

 もう目の前の銀像などどうでもよくなり、踵を返して此処から去る彼女の背はどうしようも無いほどに哀愁が漂っていた。

 




出歯亀の一心で消えぬ亡霊は性質が悪い。
新作を閃の軌跡で書こうかなと今更ながらゲームしてまして現在2章。
数多くある二次で今更安易にⅦ組に放り込むのもなぁと思いますな。
3も出るらしいので書くとしたら3含めてゲームを一通りしたら、でしょうが。

R18的な小話って需要有るのかな?
こちらは割烹にでも応えていただけたらと思います




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