粉々に霧散していく悪鬼。それらは全て、アルクェイドの右手に纏わり付いていく。
アルクェイドの風貌も最早まともな人の形をしているだけ。怨念の霧に包まれ、碧の両眼が敵を睨む。
そこから感じられるのは強い悪感情。怖気が走るほどに冷たい狂気。
『貴様……死人風情がワシに刃向かうとは何事じゃ!?』
闖入者が来てから一切動きを見せない彼とは違い、アグニは激情に駆られていた。
自らが生み出した力の絶対と確信していたのを一瞬で覆された死人に向けて感情を憤怒させる。死人が意のままにならないその一点が気に喰わない。
その怒りが、玉座の間を震わさせる。それはいつかの地震よりも強い振動で、ロイドやエリィは立つことすら出来ない。しかし、闖入者の四人は違う。
空間の揺れなど無いかのように、両の足で力強く立っていた。そして、その中の一人が前に出た。
大剣を特に構えるでも無く、ただ持って進む。そして、彼との距離が一定まで近づいた瞬間、鈍い金属音が響いた。
「相変わらず重要なのは口にしないな」
右の義手で無造作に殴りかかった彼を瞬時に大剣で受け止めたレオンハルト。その口振りはやはり何処か楽しそうで、彼にいつものように声をかける。
しかし、彼には対話する気配は無く、只々口から漏れる呼気は怖気が立つのみ。
レオンハルトの背後から三つの背後が迫る。少女らの疾さは世界でも上位に位置するが、何分相手が悪い。
切り裂いたと思った彼の体は霧散し、別の場所に収束していく。
「コイツはお前らの手に負えない。手を出すな」
別の場所に現れた彼に対してレオンハルトは予め分かっていたかのように収束する前に大剣を振るう。霧散した影は大剣を受け止めるように形を成して彼が現れる。
他の三人の攻め手は受けることすらなかったのに、レオンハルトの大剣は受け止めている。
「お前たちの相手が来るぞ!」
レオンハルトが言った瞬間、彼ら二人を遮るように幾つもの怨念の塊が蠢いていた。それら一つ一つが人の形を成していく。
それらの姿は様々で、隻腕の男、腰の折れた老婆、上半身しかない女、他にもたくさん。それら全てが呪詛を吐き、惨たらしい姿のまま歩み寄ってくる。
「これは……」
その場の全員が腐肉の血生臭さを間近で感じるように顔顰める。しかし、現実にその臭いを感じるわけではない。
「……醜いわね」
レンが鎌で隻腕の男の首を一閃する。しかし、首が無くなったところでソレらの歩みは止まらない。碧色の液体を垂れ流しながらも、怯むこと無く数がどんどん増えていく。
「なんなのよ、こいつら……は!」
チェーンソーで細切れにしても、部品が這い蹲る様にして動き続ける。爆雷符で焼こうが弾けようが敵はお構いなし。
彼女らがいくら攻撃したところで、状況は苦しくなる一方だった。
『呵呵呵呵』
その様をアグニは奇怪に笑う。
姿を現した翁は想像していた通りではないが、概ね計画通りになったことに満足していた。
じわじわと自らの中で大きな割合を占めていく感情に身を任せ、歓喜して拳を震わさせる。
そんなアグニをきつく睨む幼き少女。もはや、アグニが自身に対して興味すら無いことを承知して尚、それを吉と思い機を狙う。
アルクェイドを止められる唯一の男は同等で天秤は動かず、彼女が頼りにしている生きている者たちは怨念の量に潰されかけている。
現状、じり貧としか言いようがない光景に一筋の光を掴むために、息を潜める。
敵だけでなく、味方でさえも思いもしない虚でなくばならない。それだけを、キーアは狙う。
たった一度の機会を。
そして、それは訪れた。
* * *
キーア達の場所からアグニを挟んで反対側。二人は奇妙な闘いを繰り広げていた。
レオンハルトを包むように霧散したままの彼。レオンハルトは霧の中で大剣を振るっていた。霧のまま移動する彼を的確に狙う大剣は心が読めるのかと思うほどに正確。
レオンハルトが振るう度に鈍い音が鳴り、まともに形作ることすら許さない。
未だ人の形に戻れずにいる彼に、レオンハルトは不敵に笑う。
「最早まともな思考など出来ないはずなのに、気になるのか? 貴様らには永遠に理解出来ぬさ」
ゆっくりとレオンハルトの周りと浮遊しながらも雄々しく呻く彼に対して、ぞんざいな一撃を放つ。
躱すでも受け止めるでもなく、観察するように漂う彼は何かを見ていた。
「失い忘れたものがそれほどまでに恋しいか。いいだろう特と見よ!」
上段から振り下ろし、彼を一刀両断する。それでも彼は霧で受け止め弾く。そうする度にレオンハルトは笑うのだ。
「ほら、だんだん増えてきているぞ!」
何が楽しいのか、レオンハルトは笑っている。子供とじゃれ合うような、不出来な弟弟子でも諭すように、童心のままに無邪気だった。
増えているのは金属音が鳴る回数。五つに一つから二つに一つへ、そして既にほぼ毎回音がする。その度に霧は不可解そうに淀むのだ。
『我らと同じ死人。だが違うが故に相入れぬ貴様がこうも追える?』
男か女か、老か若かすらもあやふやな声で問う霧にレオンハルトは一蹴する。
「貴様らには分からぬさ。自らを捨てた貴様ら如きに俺の、俺達の事が理解出来んさ」
尚もレオンハルトの攻め手は続く。攻撃が当たる度に霧は戸惑う。まるで失って行く何かが理解出来ない様に。
そして、それに比例するようにレオンハルトの動きは精細になって行く。始めのような力押しではなく、大剣では有り得ないような動きをしていく。
霧を擦るように薄く裂いていく。片手で大剣を持っているはずなのに、両手を振るう度に亀裂が二つ発生する。
「そろそろ終わるぞ? ほら、早く気付かねば手遅れになるぞ」
それは、誰に向けた言葉か。一層動きが速くなるレオンハルトに別の誰か姿が重なって見える。
死人と怨念。基本的に同じ存在であるはずなのに、むしろレオンハルトが質量的にも存在的にも脆いはずなのに、圧倒する事実。
それ以上に、何も出来ないでいる怨念の塊。それに気付いたアグニは振り返ってレオンハルトに注視した。
『何じゃ、お前は……』
ここに来て予想外の存在に初めて意識を向けた。疑問に思ったアグニはレオンハルトに関して思考する。
だから、気づかない。一番の異変が起こっているのが果たしてどちらなのかを。
「――ッ! 今!」
そして、それが好機と見たキーアが遂に行動に移した。キーアから放たれる一筋の碧の光。
先程取り戻した力の片鱗を全てアグニへと向けてまっすぐに開放した。その力の効果は少ないが故に実にシンプルな想い。
複雑であれば、例えば誰かが生き残る事を願えば大抵はその誰か以外犠牲になる。それが実に効率が良いから。だが、その身近にいる人物たちが犠牲になることを拒絶すれば、さらなる誰かが必要になる。そうなるにはさらなる過去からそうなるような行動すらも強要することになる。
かつて、レンが呼ばれたように、次にアルクェイドが呼ばれたように。それだけ力の強さが必要になる。それは、結果がそうなるから過程が引っ張られるからに他ならない。
だが、逆に目的がシンプルであったなら、それだけ必要となる力は少なくて済む。
だから、彼女は覚悟した。これから訪れる結果を知っているのだから。
『そのような攻撃なぞ効かぬわ!!』
だから、アグニは気付かない。もはや翁に未来を詠む力はないのだから、それはもうアルクェイドに譲渡された。故に反射。
本能的に迫る脅威に対しての防御としてそれを選んだだけ。だから、怨念の塊を盾にした。
怨念に当たった光は弾けて霧散した。ダイアモンドダストの様に煌めきながら消えていく碧の光。
そして、何も起こらない。
『残念だったの、未熟な人形など恐るに足らず』
力を開放しきったキーアは疲労で膝を付く。ロイドとエリィがキーアを労るように庇うが、尚も怨念は迫りつつある。
起死回生の一撃が互いに無駄に終わったとアグニは嘲笑し、ロイド達は歯軋りする。
「これは、どうも分が悪いわね」
「アタシもこれはちょーっとやばいかなぁ。なにより楽しくない」
「パテル=マテルさえいてくれたら……」
ロイドたちと少し離れた場所で包囲されているレンとシャーリィ。悲鳴も何も反応しない人形のような敵にいい加減嫌気が刺したのか愚痴を零すが彼女たちにもどうしようも無い。エネルギーが尽きないだけに何も対処出来ないのだ。
まだ地上であれば、パテル=マテル等の対軍に効果的な方法が取る事も出来るが此処ではそれも出来ない。
「それも読まれていたからここにいるのでしょうけども」
愚痴を零す二人の上から降りてきたリーシャ。それに続くように幾つかの人形が上から落ちてくる。同じような暗殺者だった怨念の相手をしていたようだ。
死すら恐れぬ機械のような人形たち。それはいつか見たようなアルクェイドの軍隊を彷彿させた。
「得てしてそうなったのか、という疑問はあるけれど、似ているだけに腹が立つわね」
「それは同感ですね」
コレらと同じと認めたくないのか二人は苛立つ。けれど、いくら悪態を付いたところで何も変わらない。
何もかもがアルクェイドを思わせる要素として成り立ってしまったのか、嫌でも彼を思い出す。だから、これはたまたまだ。キーアも思っていなかった。リーシャすらも決してそういう意図があったわけではない。
たった一言。今、そんな言葉が出てくるわけがないのだが、何故か言ってしまった。
「さっさと
ードクンー
空間に鼓動が響いた。
* * *
最初に自我が芽生えたのは何時からだったのだろうか。
彼女には、いつもその疑問を抱えていた。奇妙なカプセルの中から壁を隔てて見ていた世界の先にはいつも翁が立っていた。
いつしかそのカプセルから取り出され、他者と触れ、遂には子供を身篭るまでになった彼女には、それでも自分で自我と呼べるようなものが存在しているとは思えなかった。
人間に対しての羨望があった。ただただ羨ましかった。そう思えたのは、はっきりと自分の意志を肯定したことがないからだ。
いつも翁に言われたことのみをしてきた。身篭るときも人形を好きになった奇特な東方人に愛されたから。そして、それを許可されたからだった。
知識も感情も、何もかも有る筈なのに、何かをしたいと言う人間らしき欲求のみが彼女の中に存在しなかった。
そして、彼を産んだ時に彼女は生き絶えた。理由は不明。体が弱いなどという理由は一切なかった。それと時を置かずに彼女の夫も生死不明。残されたのは翁と赤子。
それから約500年。
「それが貴様が死んだ理由か?」
「それだけが私の一つの選択だった」
アルクェイドは緑髪の女と会話をしていた。全てが希薄な印象を受ける彼女は姿のみは大きくなったキーアと感じてしまうだろう。だが、中身は全く違う。キーアに感じられる無邪気な元気さは彼女には存在しない。腕など握ってしまえば簡単に折れるのではないかと心配してしまうような細さと肌白さ。
「わざわざ怨念の中を泳いで来たくせに意志が薄弱だな。とっくの昔に掻き消されていると思っていたのだがな」
こうして悪感情に耐えられている彼女の強さに疑問を吐露しつつもいつも以上に口が悪い。そんな悪態をつかれながらも女は気にした風はない。
「あの時は確かにそのはずだったのよ? 私でもそんな理由で存在できるわけがないと思ったけれど、確かに存在していた」
「だったら、既に十分満足してるだろう。こうしてアグニの邪魔を十二分に出来たのだから」
とっとと消えろと言わんばかりにアルクェイドは言うが、彼女は悲しげに首を振る。
「貴方の中で、ずっと見てきた。人間という生き物を客観的に。ほとんどが自己欲求を満たすために行動存在しているのに、時折誰かさんみたいに自己を犠牲にする」
500年の間、怨念の連中も含めて彼女は人という生き物を見てきた。死んで初めて感じた欲求。それはアグニの固執する人間という生き物はなんだろうと。
「はっ、子供すら作っておいて人を知らぬとほざくか。何処まで馬鹿なんだ? 全く、お前を愛した男が哀れで仕方が無いな」
「そうね、私はいつも彼に怒られていたわ……でも、それ以上に私がすることに喜んでくれた」
「……さっさと本題に入れ。何が悲しくて貴様の惚気を聞かないといけないんだ」
苦虫を潰したような顔でアルクェイドは先を促す。そんな彼をクスクス笑いながら彼女は話す。
「アグニを止めて欲しいの。それが、私が最初に感じた本当の欲求だったから」
「愚問だな。それならもう既に事が終わっている。後は時間の問題だ」
こうしてなにより無駄に話せていられるのがその証拠だとアルクェイドは語る。事実、時間の問題であるのは間違いなかった。アグニの視線が彼女に戻らない時点で詰みの布陣は崩れない。そして、そのアグニは目の前の亡者を弄ぶことに夢中。故に結果は分かり切っている。
「それはそうなのだけれどね……」
「契約は果たされた。二人から同じモノを受けるとは思わなかったがな」
キーアと彼女、どちらが先かそれはもう考える意味も必要も無いが、結果としてこうして二人から受けねばアルクェイドは存在できなかったのも事実。キーアだけでは時間を飛べず、彼女だけでは世界に存在できない。
「死者と生者、共に同じ願いを受けたときのみ、俺が存在できる。なんともまぁ、神様は残酷な存在を許したものだな」
自身の存在を皮肉で苦笑するアルクェイドだが、彼女の目にはそんな風には映らず、悲しそうにしていた。
「とは言え、限界は近いさ。所詮はイレギュラー、時期に消える。俺はそれまで寝て待つだけさ」
「せめて、せめて言葉くらいはかけてあげなくていいの?」
「……してどうする。俺の代わりは用意した。それに、もう既に出ようがないだろう?」
「それは大丈夫よ。私が送り出せるから」
「あぁ?」
「ただし、外から呼びかけられる必要はあるけれど」
「貴様、何を言って……」
『起きてください!』
ードクンー
その瞬間、自分が活性化し始めたことに彼は気付いた。
「貴様……まさか!?」
自分とは別の関係ない力の作用。それを理解した瞬間、アルクェイドは女の喉を爪で引き裂こうと飛びかかったが、彼はそのまま女をすり抜けた。生者と成りかけている彼に死者の女にては届かない。
「死者を生者に戻すなどバカげてるぞ!」
「そう……かもしれないわね。でも、それ以上に貴方にはして欲しかったことがある。私が出来なかったことを」
「それを今更したところで傷を抉るだけとは思わんのか。一瞬戻れたところで、どうしようともないだろうが!」
「大丈夫、貴方には手がある、足がある、口がある。それでちゃんと伝えてきなさい」
アルクェイドは最早彼女らの所に戻れるとも戻ろうとも思ってはいなかった。しかし、そんな考えとは別に、女によって戻されようとしている。少しの間だけだが。
「本音は本人の前でちゃんと言いなさい? いつもそれを避けてたでしょう? 私はずっと見ていたのだから」
「余計なお世話だ馬鹿野郎……」
だんだんと、アルクェイドの体が透けていく。怨念の中から
「ーーーー」
アルクェイドが消える寸前、何かを言おうと口を開いたが、それも虚しく女には届かない。
「ありがとう」
女は立ち上って消えていくアルクェイドの粒子に見上げて涙を流しながら感謝する。ずっと抱えていた願いを果たしてくれた感謝を。
「ごめんなさい」
完全に消えたことを確認してから膝から折れた。手で掬い止めようとしても流れるものは止まらず、嗚咽すら零れていく。
一度も名前を呼べずにいた事、抱きしめられなかった事、ありとあらゆる考えられる当たり前をしてあげられなかったことを悔やんで。
「ありがとう……私の愛しき子」
女は掠れるような絞り上げた声で最期の言葉を紡いだ。