「それで? 君は最近どうなんだ?」
「どう、と言われてもな……」
カランと溶けた氷が音がグラスの中から響く。裏通りに存在する一部の者のみが知る隠れたBAR。
BARと言うには活気はほぼ無く席の数も少ないが、こういった場所に訪れる者にとってはそれが好都合だった。そしてそれは、西イベリア通商会議の前日であっても同じだった。
「いきなり酒に誘ったと思ったらコレか? と言うか、お前の方は大丈夫なのか? 跡地には血しか残されていなかったが……」
その人気の少ないBARのカウンターの一角に2つのイスが埋まっていた。並んで座る二人の男。片方は黒を基調とした色の体のスタイルが分かりやすい格好ではあるが、引き締まった肉体と背丈で実に似合っている。背中には赤の刺繍がアクセントとなって栄える装いに少ない光源に反応して鈍く光る右手もまた、彼に良く似合う。対して、もう一人は白を基調としたスーツが燕尾服の様に少しばかり装飾に拘った服装だった。それと合わせて横の席に置いてあるハットやステッキもまた、紳士服に良く似合う物が伺えた。
黒の男が横にいる白の親友の問いかけにどう答えたらいいものかと悩みつつ酒を煽るが、やはり答というものが出てこずに逆に問い返す。
「見れば分かるだろう? とは言え、私としても少々骨だったと言うしか無いが……いやはやしかし、フフフ」
男としても、一度その場所を見に行ったのだが、血の痕跡しか残されていなかった。しかし、彼が気になったのは親友が含むように笑ったことだった。
「なんだよ?」
それが気に障ったのか、表情は変わらないが少しばかり声色が不機嫌になっている。
「いや何、以前の君ならば私の心配などしないはずなのだが……私が望んだとは言え、これは少々思った以上に……フフフフフ」
バーテンダーによって新たに注がれたウィスキーの入ったグラスを持ち上げて、琥珀色の世界を透かせてカウンター奥のボトルに反射して写る親友を見る白の紳士。
「何笑ってやがる」
親友がこらえ切れずに笑いを零したことに仏頂面で文句を言っては互いに酒を煽る。
グラスに酒が無くなると、一言も発しないでいたバーテンダーが酒を注ぐ。居たのかと思えるほどに気配の無いバーテンダーは妙にこの場に合っていた。
黙々とグラスやボトルを磨き、カウンターで一言どころか気配すらも感じさせない彼は正にこの場に適していると言えよう。
店内には二人の男が話す声と、キュッキュッとバーテンダーがグラスを磨く音のみ。
「ふん…………」
ツツーッとジンの注がれたグラスの縁を指でなぞる黒の男。丁度いい位置まで指が滑ったのか指を止めてグラスを持ち上げると、グラスの中に浮いたライムの輪切りを噛みつつジンを口に流す。
「相変わらず、妙な癖だね」
「何がだよ」
その様を見ていた白は自分のグラスを持ち上げて言った。
「ソレだよソレ」
黒がグラスを撫でたように自らも撫でながら言った。
「コレか…………さぁな、自分も良く分からん」
少なくなった酒の中で浮かぶ氷を弄ぶようにグラスを揺らしてカラカラと音を鳴らしながら答える黒。その上で、指だけではグラスの縁を撫でていた。
黒も知ってはいるのだ。気付けばというよりかは、ふとした時に何かしら撫でることが多い。そしてそれは有ることに対してが多かった。
「私が思うに、君はいつも求めているのではないか?」
「何をだよ……」
会話が変な方向に行き始めたと感じた黒は更に顔を渋くする。
「決まっている、麗しの姫君だよ」
「……………………」
ああまたか、と黒は思った。少し前に白は自らの理想の者を見つけた時から、黒にソレが如何に素晴らしいかと語る。そして、未だ見つけていない黒に君はどうなんだと、まるで婚期を逃した者に見合いを進める親戚の叔母の如く、如何にそういうモノが素晴らしいかと言っては黒に探すように、彼らの知っている人物や世界的に有名な人間を話に出す。
黒はいい加減、それが面倒になっていた。白がソレによって嬉しくなっているのも知っているし、黒の事を思ってなのも理解している。しかし、それも数が多くなれば煩わしくなるのも必至だった。
「私が語るように、君は手が求めているのではないかね? そう、愛おしいと、抱きしめたいと」
「…………何故そうなる」
「フフフ、君を見ていれば良く解るものさ。その心境の変化もね」
白は実に良い、実に良いと頷く様に笑う。
「彼女達は良い候補……いや、既に候補と言うほど不確かなものではないのかも知れないな」
「お前、もう酔っているだろ」
黒は呆れてカウンターに片肘を付く。
「かもしれないな。いやいや、実に良い気分だ」
面倒くさそうな黒に愉快に笑う白。対照的な二人のコントラストが薄暗いBARの中で、妙に合っていた。
「そうそう。つい先日の事なのだが、君の劇場に脚を運んでみたのだよ」
「アルカンシェルにか?」
不意に話題を変えた白に、何のためにと黒は問う。
「うむ。あの濃い血の匂いのする彼女の出来を見に来たわけだが……化けるには今しばらく、時間が掛かりそうだ」
「アレか……大丈夫だろう。それなりに化けるさ。出来なければ……」
「死ぬか?」
「恐らくな」
「それはそれは……フフフ、フフフフフ」
黒の言葉に白は可笑しそうに笑う。これは面白い変化だと。
「君がそういう事をするとは思っていなかったよ。しかし、そうか」
白は納得するように頷く。
「と成れば、時間は然程無いという訳か……」
じわりと、微かに本当に僅かだが空気が変わった。歴戦の英雄と呼ばれるような達人の部類の更に研鑽を積んだ者の中でも、更に鋭敏な感覚を持った者だけが察知できるような僅かな変化。
「時期は分からぬがな。ひと月か、ふた月か……気づいている奴も少なからずいるだろう。この地の下で蠢く気配を」
「怨念か……私には然程東方の呪術の知識はないが、危険な気配の濃さは嫌というほどに実感できる。が、やはり、御教授頂きたいものだね」
「……そうだな」
黒は止まっていた手を動かしてグラスに満たされた酒を一気に煽る。空になったグラスをカウンターにカンッと音が鳴るように強めに置くと、カウンターの端に立っていたバーテンダーがゆっくりと、床に倒れ伏した。
「東方には龍を祀る信仰が有るのは知っているな?」
「七耀教会の威信に沿わぬ過去の失われた東方の地の事か」
「この地で言うなれば、耀脈か。彼地ではそれを龍脈という。地の下には龍が眠り、そのエネルギーを借り受けた地によって栄枯の差が出来る。要は、土地によって運の良い場所と悪い場所が有るわけだ。是即龍乃力也」
「つまりは、龍の機嫌によって栄枯盛衰が決まると?」
「その辺は空の女神と変わらぬさ。今も東方の呪術に符というモノがある。色々あるが、その力の大元が龍脈を利用したものだ。アレは恐ろしいぞ。なにせ神様の力だ、何よりも強大だ。人で刃向かうなど烏滸がましいほどのな」
「ふむ……? 私は幾度かその手の部類と手合わせた事があるが、そこまでの脅威を感じたことはないが……」
「当然だ。符はあくまでも人の生み出したモノだ。神の力なんざ入れても符が耐え切れないさ。それにアレは利便性を追求し、誰でも使える様にする為のものだ。もっとも、使用するための知識は必要だが」
「故に力も人の領域であると?」
「然り。故に、龍脈の力を使うのは基本的に結界や土地に付随した重要拠点の防衛に使われることが多い。でかくなれば、その分をキャパシティも大きくなるしな」
「確かに興味深くはあるが、それだけに邪教として認識されかねない力ではあるな」
「だから知識も技術も失われたんだよ」
「いや、しかし、それで彼は何をしようと言うのか……使える保証など何処にもないだろうに」
「それでも使いたいくらい憎いのだろうさ。それにそのための教団だろ」
「ホムンクルスか……その力を使うための符のような存在。所謂端末のようなものか……」
そこまで聞いて白は一つだけ疑問が思い浮かんだ。あの少女はあくまでも教団の為の端末だ。アグニの為に調整するような事はしていない。そっちに用事があるならば、ここまで黒に固執していないだろう。つまりは……。
「なるほど、それで……」
黒が試練を用意した理由も解ってしまった白は、微かにグラスを握る手に力を込めた。
「お前は死ぬなよ……」
「……? ああ、そんな気はさらさら無いさ」
いきなり白が言い出した言葉に、黒は不思議に思いながらもそう答えた。
「だからこそ、引っ張り上げる者が必要になる。だから、節操なしと思われようが、そのためなら何でもしよう」
右手で握っていたグラスがミシミシと音を立てる。あと少しでも力を込めれば砕けることが容易に想像できるだろう。
そんな黒を見て白は薄く笑う。やはり変わったなと。昔ならば生きることに興味など無かっただろうに。それこそ、人と関わることすら無かったはずだ。山小屋で延々と細工を作り続けていたように。
それ故に、少しばかり気になった。アグニがそれを想像できないはずが無いと。白も知っているように、アグニは未来を見ると。それこそ、掌の上なのではないかと勘ぐってしまう。それでも、動かなければ彼の思惑のままに事態は動くだろう。
「ままならないものだな」
憤怒のままにグラスを握りつぶそうとしている黒を横目に白は呟く。白が丁度グラスを空にしたところで真横からバギンと黒はグラスを握りつぶしてしまった。
「さて、そろそろ行こうか」
白は立ち上がり、置いていたハットとステッキを持つと黒の肩を叩く。
「ああ……」
黒は短く答えると、義手にくっついたガラス片を無造作に振り払い立ち上がる。
「もう、二人とも遅いわよ」
いつの間にか、BARの入り口には菫色の少女が立っていた。幼い見た目通りに頬をやや膨らませている姿は、苛立っていた黒すらも少しばかり和ました。
「悪い悪い、少しばかり興に乗ってな」
「ふーん」
バーテンダーの姿がカウンターに見えない事で察した少女は興味なさそうに生返事をするだけだった。
「そんなことよりも、行きましょう。今日はお祭りなんだから」
「では、そろそろ私は退散させてもらおうかな」
「あら、もう帰るの? せっかくだから楽しんでいけばいいのに」
白の言葉に少女は残念そうに言うが、白はハットをかぶり直すように摘むと敬々しく頭を下げた。
「ふふふ、レディの誘いを断るのは忍びないが、これから仕事なのでね」
「仕事? また結社からの依頼かしら?」
「いや、そちらとは別件だね。しばらくは
白は先にBARを出ようとしている黒の背中を一瞥だけして、直ぐに少女に視線を戻す。
「だから、少しの間彼を頼む」
「……ええ?」
白の今まで見たことがないような対応に少女は不思議に思いながらも頷いた。
「それでは、しばしの間お別れだ。ではまたいずれかの時に」
「ああ、
「ああ、
少しばかり何かしらを含めたような言い方に少女は首をかしげるが、その意味を理解しているのは彼らだけ。
そのまま白はいつものように音もなく姿を消した。
「また、か……無茶を言いやがる。知っている癖に」
「どうかしたの?」
歯痒そうな黒を見上げて少女は問う。黒のコートを何処か寂しそうに掴んだ少女の手を義手で掴んで、黒は歩き出す。
「何でもねえよ」
いつもよりも小さな声はか細く、今にも消え入りそうだが、しっかりと少女の耳に届いた。
黒も白も知っている。その言葉がその通りに成るためには、今繋がれた手が重要な意味を成さなければならないことを。
「どうしたものかな……」
そして、そのままでなければならない。
「まぁいい。全てはその時。その時こそ」
全てを潰せば良い。それだけの話だ。じわりと、どす黒い感情が内から溢れないように。
朝日が昇り始めた光を浴びて、クロスベルは目覚める。良くも悪くも転機の日の幕開け。
政治関連が上手くいかないので、間にコレを。私としては終わりがやや見えた感じです。独立宣言さえ出来れば後は落ちるだけなんですが、そこまでの持っていき方が悩ましいです。