【カッカッカッ、これも退けるか】
月の寺院を中心に嗄れた笑い声が響く。
「最初に言ったはずだ。私を殺したければ、死神クラスを100人は必要だと……」
辛うじて剣を杖のようにして体を支えるブルブラン。体力はほぼ底を尽きかけ、片膝をついている。息を荒々しく吐きながらも呼吸を整えようと必死になっていた。
彼を中心として大小の数々の山が築かれていた。それらは全て、死神の死体で出来ていた。
最早、何体切り刻んだのかさえ、ブルブランにも把握出来ていない。
【そうかそうか、
数は異常なほど多かったが、見た目はまるで死神その者だったが、強さと言う点に置いては、死神には大きく及ばなかった。それでも、数の暴力というものはブルブランを大きく消耗させるには十分だった。
同じ結社の執行者でも、レンやアルクェイドと違ってブルブランは対集団戦闘は不得手だった。それは彼女たちが使用することが出来る巨大人形兵器の様な一気に場を殲滅できるような力がないからだった。
故に、ブルブランは数多くいた死神の劣化複製体を一体ずつ倒さなければならなかったし、敵は集団で襲ってくるために一体に集中するわけにもいかなかった。だから、ブルブランはここまで消耗させられたのだ。
【ふむ……このまま数で押しても良いが、興が乗った。お主には特別なのを用意しよう】
「……特別だと?」
ブルブランの声に対しての返事はなく、カツーンという何かを叩いたような音が響いた。
そして、ブルブランの近くに存在する鐘が鳴り響いた。
「鐘が急に……」
何をしても鳴らないと言われる鐘が、突如として鳴り始めた。アグニが何かをした作用で鳴り始めたのは明白。
だから、ブルブランは鐘から目を逸らせない。
【これはお主が我らの真実へと到達する可能性が有るが故だ】
「それは……私の推測が当たっていたということか」
力を振り絞り、これより
【どうじゃろうな? 第一、もうお主には関係の無い話だ】
不意に、鐘の手前の空間がぐにゃりと捻り曲がる。寺院の色が乱れ、そこに何かが混ざったように黒い色を滲ませている。それが段々と何かを形作っている。
「ま、まさか……」
それが人型に成りつつ有った時、ブルブランはその何かに見覚えがあった。
【カッカッカッ!】
驚愕に目を見開くブルブラン。それに対してなのか、何かによって起こるこの後の光景を想像しているのか、アグニは大声で笑う。
「お前は……!!」
* * *
「い、痛いよ……助けてロイド」
クロスベルの存在する特務支援課のビル。キーアは自室の中で一人、痛がっていた。
助けを乞うように一番信頼している人物の名を呼ぶ。だが、それは室内に響くだけで誰にも届かない。
「エリィ……ティオ……ランディ……課長……」
誰でもいいから今直ぐ痛みを止めて欲しくて、和らぐように抱き留めて欲しくて……それでも誰も側にはいない。
床に倒れた体は必死に虚空に手を伸ばす。救いを求めるように。
「痛いよう……助けて……ごめんなさい……ごめんなさい……」
目からは大粒の涙がいくつも零れ落ち、謝罪の言葉は誰に向けているのか……。
痛みはかなりの物で、痛みで気を失っても、痛みでまた意識を引き戻される。
「ずっと……ずっと、貴方達はこの痛みに耐えてきたんだね……」
キーアの目には誰かがそこに立っているように見ているのだろうか。そこには誰もいない。それでも確かに、キーアには見えているのだろう。同じ……いや、今自身が受けている苦痛以上の物をずっと耐えてきた人物達の姿が。
「ごめんなさい。でも私は、幸せになって欲しいの……」
【
「今なら分かるよ……貴方も私も同じだって」
【でも、見捨てられた。他ならぬ君によって】
「うん……貴方達にとっては同じだよね……」
【それが分かっていながら、君はまだ使う気なのか?】
「だって、それしか知らないから……」
痛みを堪えて、微かに笑う。それが彼女の意志なのだろう。そして、決意は揺らがない。痛みで気絶と覚醒を繰り返し、彼女の体力は限界で、意識は既に朦朧としている。
【君ほど割り切って我欲に対して必死になれば、こうならなかったのかも知れない。だが……それでも
もう碌に声は届いていないだろう。だから、コレは独白としてしか意味を成していない。
【気付いているだろう、
それでも、伝えたい事がある。同じ
【君の決意は大いなる苦痛にも揺らがなかった。だから、彼らも救って欲しい。何よりも、彼を……】
キーアの意識は既に無い。それでも声は彼女に届いていた。
そして、不意にはっきりと一人の姿が見えた。倒れ伏しているキーアと同じように長い碧の髪が特徴的で、碧の眼もまるで我が子を慈しむように優しくて、纏うオーラは正しく母であった。
【ごめんなさいね。小さな貴方に辛い事を背負わせて……私ではあの人を止められなかった。だから、他ならぬ貴方の手で止めて欲しい。伝えて……もう、休んでくれていいと】
彼女の柔らかい物腰や姿はキーアが成長すれば、こうなるのではないかと思えるほど二人は似ていた。
【私は楽しかったと……お願いしますよ、キーア】
最後に彼女は微笑んで、淡い光となってキーアに吸い込まれていった。
「ぅぅ…………」
痛みによって意識を失い、苦痛に歪んでいた表情が穏やかに変わる。
キーアは規則的な寝息を立て始めた。
* * *
「一向に目を覚まさないわね」
リーシャ、レン、ティオの三人は、アルクェイドをメゾン・イメルダにまで運び込んだ。しかし、エントランスにソファを使って簡易ベッドにして寝かせたがそれ以降変化がない。
実に穏やかで静かに、レンが見たこの前以上に安眠しているとしか思えないほどで……だからこそ、彼女達は不安で仕方なかった。
「わたし達の力が必要、と彼は言いました」
何かしら助けが欲しくティオはエントランスの片隅で大人しく丸まっているリンドヴルムに視線を向けるが、我関せずと動く気配すら見せない。ティオはそんなリンドヴルムに憤りを感じるが、意志はあれど、あくまでも指令に忠実な機兵にそう感じても意味が無い。それほどまでに、リンドヴルムが生き物であると思わせるほどの機兵であるだけだ。
「問題はそれがどういう意味なのか、ってところかな」
簡易ベッドの端に腰をかけて、アルクェイドの穏やかな寝顔に手を伸ばし、髪を払うように頬を撫でるリーシャ。
「やっぱりアレでしょ。前みたくお姫様のキスで……」
「そこまで」
何時ぞやの様に、レンが前のめりになって顔に近づけていく。が、拳一つ分の距離になったところで、リーシャに肩を掴まれて止められた。
「何をしようとしているのですか?」
「何ってキスよキス、ベーゼって言ったほうがいいかしら?」
笑顔で尋ねるリーシャに、それにこちらも笑顔で答えるレン。それも答え方が何時ぞやの様に同じ風に言う。
「冗談よ冗談。だから放してくれない?」
無邪気に笑うレンに、毒気を抜かれたように溜め息を付いて手を放す。目で先程の行動は本当に冗談と理解した。
それに、ブルブランの言った君達という言葉でレン自身もそういう行動ではないことを分かっている。
「……………………」
傍から見ていたティオは呆然としているしかなかった。
突然の光景に思考回路が追いついていないのだ。
「ともかく、今は様子見しかないみたいね……」
さしたる解決策も分からぬまま、時間だけが過ぎていく……。三人が感じるのは歯痒さのみ。ブルブランから親友を託されたというのに、何も出来ないという無力さ。
今、アルクェイドに何が起こっているのかも分からないというのに、一体自分たちに何が出来るというのか……? 何も分からぬままに、気づけば陽は落ちて夜になっていた。
「一体、私達に何が出来るの?」
実に穏やかに眠り続けるアルクェイド。その左手を握り、悲しげに呟くリーシャ。彼女の左右にはいつの間にか寝てしまっているティオとレンがいる。
一度、夕刻時にイリアにシュリを預ける為にメゾン・イメルダから出て行ったが、それ以外は彼女たちはずっとアルクェイドの側にいた。それでも、良い意味でも悪い意味でもアルクェイドに変化はない。
何かしら変化が起これば、まだ対処の方法が分かるのかも知れないが、傍から見れば寝ているようにしか見えない彼への対処は不明のまま……。
「……ダメ……私だけでも……起きて……」
ずっと緊張が張り詰めていたからだろうか? 視界がボヤケて見える。強烈な睡魔がリーシャを襲う。せめて、自分だけでもずっと起きて様子見を見ていないと、気力を振り絞る。
けれど、彼女はアルクェイドに凭れるように体が倒れてしまった。
「……ケイ……くん……」
緩やかに、微睡みの中へと落ちてゆく。
* * *
「ここは……?」
ティオは辺りを見渡していた。自分はメゾン・イメルダに居たはずなのだ。
しかし、気づけば見知らぬ小屋の中に居た。小屋のサイズは実に小さく、古ぼけていた。けれど、人の手によって手入れがされているらしく、見た目以上に綺麗で生活感が有り有りとしていた。
「酒を持ってこい!」
「ッ !?」
興味深く小屋の中を観察していると、目の前を何かが通り過ぎた。
ソレはティオの前を通り過ぎると壁にぶつかり、大きな音を立てて粉々に砕け散った。まだ中身が微かに残っていたのか、そこからアルコール臭が漂ってくる。どうやら、投げられたのは酒瓶のようだった。
「傷に触りますよ……」
「煩い! さっさと酒を買ってこい!」
「きゃあ!?」
再び罵声が聞こえ、人が転ぶような派手な音も聞こえた。ティオが声の方に顔を向けると、そこにはベッドに腰掛けたような状態でいる隻腕の男。見るからに生気が少なく、頬は痩せこけ、口元は無精髭が生えていた。
その足元には少々気弱そうな女性が腰を付いて倒れている。側にひっくり返っているテーブルもあり、先程の派手な音はそのテーブルがひっくり返った音だったようだ。
「もう買うお金すらありませんよ」
「何だと!? なければ何処からでも借りてくればいいだろ!」
女性の言葉に怒り荒れ狂う男の暴言。口声する度に男は女に手を出す。それを甘んじるようにただただ受ける女。
「何をしているんですか!?」
男の言動に憤りを感じたティオは声を出し、間に入ろうとするが、男にも女にも聞こえてはいない様で、反応はない。
より一層ひどくなる暴行にティオは割って入り体で邪魔をする。
「え……?」
だが、男の拳はティオの体をすり抜けた。彼女の体が無いかのように通りぬけ、男の拳は女を殴る。
その事実に呆然としたティオ。これ以上の暴行を受けては堪らないと女は返事をして、酒を買ってくると言って小屋から出て行った。
「ふん、初めからそう言や良かったんだ」
男は満足そうに鼻を鳴らすとベッドに戻る。
「いい加減に……!」
男の態度にティオは聞こえてなかろうと怒りを止められなかった。しかし、その言葉を全部言うことは出来なかった。
ベッドの上から窓の外を眺める男の顔を見ると、そんな怒りを吐き出すことさえ出来なかった。
「………………」
憤りを感じていたはずなのに、それはもう湧き上がりすらしない。
男の顔は泣き出しそうなほど弱々しい。それでも何かに焦がれるように遠い空を見上げ、女を殴った掌は力無く握られていた。
そんな儚い姿にティオは何も言えなくなった。今の男の死んだような姿に比べれば、殴られた女のほうがまだマシだろう……。
「一体、何が……」
哀れと感じてしまうまでの弱々しい男の姿。一体何があれば、こんな姿に成るのかと思ってしまうほどだった。
それからティオに男と女の関係を見続けた。所々飛び飛びになるのだが、ティオは疑問を抱くこともなく、只々二人を見続けた。
小屋の外に出れば、見窄らしい村の一角の小さな小屋。近所に住む人間の話を盗み聞きした結果幾つかのことが分かった。男と女は夫婦で、昔はそれはもう仲が良かったらしい。今はもう見る影もないが、男は実に気持ちの良い好青年だったらしく、女も気立ても良く良い妻に鳴ると噂だったらしい。二人は幼馴染みという間柄で、昔から好き合って結婚したらしい。
では、何故それが今のような状態になったのか……。ある時、男は争いに出向いた。近場で戦争とまではいかないが小規模の争いが有ったらしく、この村にも被害が出ていた。
男はその争いに参加した。そこで何があったかは詳しくは分からないが、帰ってきた時には、男の腕は片方がなくなっていた。
それからだ、男が酒を浴びるように飲み始めたのは……。最初はなくなった腕に走る痛みを和らげるために飲んでいた。それがいつしか酒を呑むことがメインとなり、少ない金で有りっ丈の酒を求めるようになった。
「アルコール中毒ですか…………」
実は、こう言うことは少なくない。医療としてもそれが認められいる節もある。だが、度を過ぎれば、こうなってしまう。
「戦争時にはこういう家庭は少なからず有ったと聞きます」
酒が切れるたびに男は酒を求め、買ってくるように女を脅迫する。金がない等と言えば、返って来るのはまともな言葉ではなく、傷めつける拳のみ。
ティオはそんな光景を見る度に、何度も、何度も止めたいと思うのだが、声も体も意味を成さない。
そんな光景を何回見ただろうか? 数えることすら止めた時、いつもと違うことが起こった。
「もう……いい加減にしてください!」
小さな小屋に耐え続けた女の声が響いた。
「いつもいつも口を開けば酒! 酒! 酒と! もう買うお金はありません!」
「何だと!? いいからお前はさっさと酒を持ってこい!」
「もう酒を買うために売るものさえありません!」
女の言葉通りだった。最初の時は室内に家具らしき物が少なからず存在していた。しかし、それらは酒を買うために売り払われ、もう残っているのは男が寝ている寝具のみだった。
「優しいあなたに戻ってください……!」
終いには女は泣き出してしまった。男から幾度と暴行や罵声を浴びせられても目に雫を溜めることすら無かったというのに……。
「うっせえ! いいから酒を持ってこい!」
もう男の言葉はめちゃくちゃになっている。口を開けば酒、酒、酒。
「…………もう…………いないんですね」
男は構わず罵声を浴びせる。女のか細い声など聞こえはしない。
もう、いないのだろう……女の愛した優しき男は……。
「もう休んでください……」
ふらりと女は立ち上がる。もう見ていられないと。
「疲れたでしょう……」
女は部屋の片隅にフラフラとした足取りで向かい、何かを手にする。
それは薄暗い小屋の中でも僅かな光に煌めいてソレが何か分かった。
「包丁……!」
それは、男が女に結婚を申し込んだ時に、プレゼントした物だった。何を売っても、それだけは絶対に売らなかった物。
それを力一杯に握り締め、女は駆けた。
「待ってください!」
愛した男の成れの果てを目指して……。
「さようなら……」
か細い女の手でも助走をつけた勢いに任せれば、人の胸を貫くのは容易だ。
女の握った包丁は、男の心の臓を貫いていた。男は力無く倒れる。ベッドは見る見る間に男の血で紅く染め上げられる。
「私も……直ぐ逝きますからね」
女な包丁を引き抜くと逆手に持つ。
「ダメ……!」
ティオは叫ぶ。けれど、声は聞こえず、手で触れもしない故に、止めることは出来ない。
そして、包丁は女の胸を貫いた。
「愛してますよ……あなた」
女はもう死ぬ直前。それでも、動かなくなる前に精一杯体を動かして男の上に倒れる。
「死んでも……一緒ですよ……」
女は物言わぬ死体となった男に口づけをした。
「……………………」
彼らはもう動かない。物も言わない。死体と成り果てた。
ティオの目から涙が流れる。何も言えない。ただ、見せられた救いようのない現象。
「これが、運命とでも言うのですか……? 愛しあった二人の結末だと言うのですか!?」
なんと悲しい終わりだろう……何か方法が、誰か助けられなかったのか、と考えれば考えるほど、涙は止まらない。
それでも、ティオは二人から目を離せなかった。
「何故……何故なのですか……?」
何故ならば……。
「何故……笑っているのですかッ……」
女と男は確かに笑っていた。安らかに死んだかのように思えるほど笑う二人。
「それで満足なのですか! こんな終わりで、傍から見れば悲劇でしか無いというのに!」
ティオは叫ぶ。不条理な運命の終わりを嘆いて。
【だって……ありがとうと言われたから】
【だって……止めてくれたから】
不意に、そんな声が聞こえた気がした。
【ただ、やっぱり幸せにしてやりたかったかな……】
【十分幸せでしたよ……】
彼らは満足しているのだろう。それは間違いなく本心なのだろう。それがティオにも分かった。
「分かりました。ですが、悲しいことには変わりありません」
涙を手で払い、彼らの姿を真摯に見つめる。
【君には助けるべき人がいるだろう?】
【私たちは大丈夫。だから、ねじ曲げられてしまった人を助けてあげて?】
小屋の一角がボヤケて、その先に微かな光が見えた。その先には、自分たちが作った簡易ベッドが見えた。
「分かりました」
ティオは力強く頷くと、そちらへと歩いていく。
【気をつけてな。神様を恨む連中は手強いぞ】
【大丈夫ですよ、あの娘なら……人の痛みを知ることの出来る優しい娘ですから】
【僕らは僕らで出来ることをしよう】
【ええ、アグニを止めましょう】
小さな小屋が壊れていく。暖かな光に包まれて。