刹那の軌跡 【完結】   作:天月白

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第13話 運命仕掛けの悪夢

 明かりが一切無い空間でカリカリカリカリと音がする。アルクェイドは懐かしい夢を見ていた。

 今はもう、見ていたことすら記憶のなかった夢。幼き頃にリーシャと出会うよりも大分前の時だった。

 カリカリカリカリと指で何かを削るような音。

 この夢を見るときはいつも、アルクェイドは浮遊感に包まれていた。

 そして感じるのは幾つもの、視線。視線。視線。視線。視線。視線。

 現状のような狂気を宿すアルクェイド。蛇に拾われたときに一度、記憶が飛んでいたために暗示も相まって、その鳴りは潜めていた。

 カリカリカリカリと指で壁を削るような音。爪が剥がれようとも身が削れ骨がむき出しになり、手が血に染まろうとも音は途絶えない。それどころかより一層幼いアルクェイドを攻め立てる。

 

「ああ…………ああああ…………」

 

 音を聞きたくないと耳を抑え、しゃがんで恐怖に震えている。

 寝る度に見る夢。箱庭に入れられたような場所で、何処にもいけない浮遊感。分かるのはカリカリカリカリと壁を削ろうとしてる音とその壁を突き抜けて感じる視線の数。それを受ける側からすれば、恐怖どころの話ではない。狂気を感じるのだ。何十人もの人々がアルクェイドを囲み、何も言わぬくせに指と視線で何かを訴えてくる。

 この夢を見なくなったのは、奇しくも幼き頃のリーシャと出会った時だった。

 

「想い出せば、あの時以来か……」

 

 不意に真っ暗な空間に頭を抱えて怯える幼き頃の自分を見下ろす成長したアルクェイドが現れた。

 自分を見下ろす目は異様に冷たい。見下しているわけでも、軽蔑したりしているようにも見えない。ただ、見ているだけ。そこに何の感情も宿ってはいない。

 人としての数少ない思い出のお陰か、記憶が無くなったせいか、それともヨルグに拾われたお陰か、今もそれは分からない。

 

「何を……」

 

 不意に、アルクェイドの耳に声が届いた。その声色は子供のように幼い様で老人のように嗄れて、男のように低く女のように甲高い。

 

「お前はまだ気付かないのか?」

 

 肌にまとわり付くようなネットリとした怖気の走る声。空間全体から響いているようで、目の前の自分から聞こえてくる気がしていた。

 良く見れば、幼き頃のアルクェイドの体の震えが止まっていた。

 

ボク(ワタシ)はずっと君といたんだよ? どうして見ない振りをするの?」

 

 幼き彼は下を向いたまま立ち上がる。動くと思っていなかったアルクェイドは大きく目を見開いた。

 

ボク(ワタシ)らの想いを無視しないでよ。君は何故■■の味方をするの?」

 

 幼き彼は小首を傾げる様にアルクェイドの顔を見上げる。その顔は人間とは思えなかった。

 目はアルクェイドを見ているようで見ていない焦点の有ってない瞳をし、ギョロギョロと動いている。

 

「何の話だ」

 

 縋るようにアルクェイドの服を掴む手を払う。幼き彼から距離を取ろうと二三歩下がろうとして背中に壁がぶつかった。思った以上にこの空間は狭かったようだ。

 壁に近づいたことで背後から壁を削ろうとするカリカリカリカリという音がより強まった。

 

「何でボク(ワタシ)たちではなく、■■の力を使うの? 裏切るの?」

 

「裏切る以前に仲間になった覚えはない」

 

「嘘だ!! 前に壊すと言ったじゃないか! アレは嘘だったの!?」

 

「ああ……そういう意味か」

 

 幼き彼の言葉の意味を理解したアルクェイドはより冷たい目を向けた。蔑視している。異論を唱える様に至る所から聞こえる壁を削る音は大きく聞こえる。

 

「お前たちは捨てたんだろうが」

 

 真っ黒な空間に罅が入った。

 

「俺は貴様らを背負う気など無い」

 

 その罅割れは広がり、そこから白く眩い光が入り込んでくる。

 

「だが、まぁ……潰すのは本気だがな」

 

 ピタリと、音が止む。目の前の幼き彼も視線を向けるだけで口を少し開けたまま呆然としている。

 

「クカ…………」

 

「あ?」

 

 不意に、幼き彼の周りに黒い靄の様なものが現れ始めた。それと同じように、罅割れた隙間から同じような靄が入り込んでくる。

 亀裂から差し込んでいた光も弱くなり、黒く塗りつぶされていく。

 

「クケカカキココキクケカカキクケコカカ」

 

 ソレは声ではなかった。ただ、下顎が動いて歯と歯が接触することで音が鳴っているだけ。先程までのような意志はなく、人形が音を鳴らしているだけにしか見えない。

 突如、大きな爆散音を立てながら幼き彼の頭部が弾け飛んだ。

 

「なっ!?」

 

 ビチャビチャと水音を立て、アルクェイドの顔と言わずに体全体を血に染める。吐き気を催す様な臭いは血生臭さだけでなく、腐臭までしている。

 空間内に漂う黒い靄は弾け飛んだ首の部分から体内へと入り込んでいく。全ての靄が入り切り、そこから漏れるように黒い靄が漂っている。

 何を思ったか、アルクェイドはそこを注視してしまった。弾け飛んで靄の掛かった首の中を……。

 良く見れば、淀む闇の中に光るような2つの物が見えた気がした。

 

【長く深淵を覗く者を、深淵もまた等しく見返す】

 

 それは、目だった――――。

 

* * *

 

 月の寺院の最奥を目指して駆ける三人の少女。それぞれが自身に届いた手紙に記された場所がこの寺院だった為に急いで来たのだ。

 彼女たちが急ぐ理由はたった一つの手紙に記された言葉だった。その内容は実に趣向が越されていたが、端的に言えば、アルクェイドに関することだった。

 ソレに気付いた彼女らはこの場に来たということ。

 

「ねぇ、コレってどういう状態?」

 

 最奥に辿り着いた彼女らが目にしたのは奇怪なものだった。訳が分からないと最初に声を出したのはレンだった。

 

「さ、さぁ……?」

 

 レンの問いに答えられるわけもなく、戸惑いを隠せないリーシャ。

 

「ともかく、どうにかして、下ろさなければ」

 

 機械竜のリンドヴルムに跨り、訝しげな目をしつつも溜め息を零して言うティオ。

 彼女らの目的の人物である、アルクェイドが居た。居たのは居たのだが、何故か浮いている。アルクェイドは依然と気絶したままで。

 

「吊るされているわけではなさそうですが……」

 

「かと言って、特に変な力は感じない」

 

「なぜ浮いているのでしょうか?」

 

 浮いている理由が分からなければ、手を出したときにどんなことが起こるか分からない。だからと言って、このまま放置は有り得ない。

 

「恐らくだが、このまま下ろしても問題はない」

 

「誰!?」

 

 不意に、男性の声が聞こえ、そちらに三人の意識が向く。レンやリーシャはそれぞれの獲物を構え、ティオはリンドヴルムから降りる。そのリンドヴルムだけは興味なさそうに大人しく主を降ろすと、体を丸めて座っている。

 

「お久しぶりと言っておこうか、美姫達よ」

 

 闖入者は白いシルクハットを掴んで、恭しく頭を垂れる。

 

「お久しぶりね、ブルブラン」

 

 同じようにレンも菫色のゴシックドレスを摘んで挨拶を返す。

 見知った人間だった為に、リーシャとティオも敵意を捨てる。

 

「さて……挨拶もそこそこにして、今はコレをどうするかだ」

 

 ブルブランはハットを被り直すと、視線を宙に浮いている親友に戻す。

 

「恐らく、下ろすことには問題はないのだろうが……」

 

 レンの知らないアルクェイドの背景を多少知った彼は憶測で語るのだが、歯切れが悪い。

 

「どうかしたの?」

 

 結社で行動を共にしたこともあるレンだけが、ブルブランの動揺を見逃さなかった。

 

「いや、少々込み入った話になるのだがね……彼は今、死地に居るのかも知れない」

 

「死地……ってどういう意味ですか?」

 

 確かに、アルクェイドの様子……状況はおかしいが、アルクェイド自身は実に穏やかに見えた。それだけに、ブルブランの言った死地と言う言葉は不似合いで、だからこそ、その言葉が出た。

 

「以前、特務支援課に依頼した原因を覚えているかな?」

 

「確か……自ら破滅に向かう、でしたか」

 

「そう、それだ。私はその後、その結果を示した占い師に詳しいことを聞きに行ったのだ。結局、詳しいことはあまり得られなかったのだが、結社を使い様々なことを調べた」

 

 ブルブランはアルクェイドから視線を移動させて、三人に向ける。

 

「そして、とある組織の一人の存在を知った」

 

「もしかして……」

 

 リーシャの脳裏に老人とは思えない程姿勢の良い一人が過ぎる。ホムンクルスを生み出し、そして神殺しの力を求める老人。

 

「組織の名をD∴G教団」

 

「――ッ!」

 

 ブルブランの口から忌々しき名が発せられて、レンとティオは目を見開く。

 

「そして、その組織の中枢に位置したアグニと言う男。その男は…………500年前から生き続けている」

 

「――――ッ!」

 

 その言葉はティオに一つの大きな衝撃を与えた。同じように500年前から生きている存在を知っているからだった。

 

「そう、君のところに居るキーアという少女と同じようにね」

 

 ブルブランは普段の飄々とした態度の笑顔ではなく、射抜くような鋭い視線を大きく動揺したティオへと向ける。

 

「何故……貴方がそれを……」

 

「結社の力故……と言っておこうか」

 

「それで、どうしてそのアグニは500年も生きていられるの?」

 

「それは少々複雑になる」

 

 そして、ブルブランは語り始める。結社を使い、知り得たそれらを順序説明していく。

 500年前にD∴G教団が興った理由、そして産み出されたホムンクルス、そして至宝成し得る触媒に選ばれたキーアがシステムを産み出すまで、眠らさせられていたこと。

 

空の女神(エイドス)の至宝……ですか」

 

 これまでヨアヒムですら語らなかった……いや、もしかしたら知らなかったのかも知れない。

 

「大層な計画は分かったけれども、それがどうしてアルと関係あるの?」

 

「……………………………」

 

 詳しく語られたのは教団のみで、アルクェイドの事が一向に出てこない事でレンが問う。しかし、ブルブランは神妙な顔をして口を開かない。

 

「ここから先は憶測でしかない。それでも聞くか?」

 

「当然よ」

 

 レンの言葉にリーシャもティオを大きく頷く。

 

「さて、先にアグニが500年も生きれる説明をしておこう。先に述べたホムンクルスなのだが、奴はそのホムンクルスを取り込んでいる」

 

「取り込む……?」

 

「正確にはホムンクルスへと身を変えたのだ」

 

「そんなこと……どうやって?」

 

「まぁ、当然気になるが……私が調べただけではそれを知ることは出来なかった」

 

 ブルブランは眼を閉じてゆっくりと左右に首を振る。

 

「ねぇ、まさかアルもホムンクルスだなんて言わないわよね?」

 

 先にアグニの事を述べたということは、それもアルクェイドに関係することだと考えるのは当然だろう。

 

「安心したまえ、彼は列記とした人間だ」

 

 その言葉に、三人は安堵の息を吐く。しかし、それは、次の言葉で掻き消された。

 

「今は……な」

 

 言ったブルブランに鋭い視線が集まるがそれを気にせずに、アルクェイドへと視線を向ける。

 

「彼は今……人為らざる者へと変貌しかけている。思えば、その片鱗は昔からあったのであろうな……」

 

 何処か寂しげに聞こえるブルブランの声。そこに如何なる想いが込められているのか……それは、彼女たちでは計り知れない。今までアルクェイドと一番長い時を過ごしたのはヨルグでもなければレンでもない。他ならぬ、親友たるブルブランなのだ。

 そこには何人たりとも足を踏み入れることは出来はしない。

 

「おかしいと思ったことは無かったか? アルクェイドの超常なる力はまだしも、13工房を超える機械に対する技術、巨大人形兵器を同時に複数操る精神力に統率力……何よりも、全く寝ずに行動できる体力に異常なほどの引き篭もり体質」

 

 ブルブランはアルクェイドの異常性を数えれば(キリ)が無いと言う。そして、ブルブランの至った結論を述べた。

 

「総じて言えば、おかしいほどの精神力と体力だ。まるで――アルクェイドが複数いるみたいじゃないか」

 

「……そ、それって…………」

 

 どういう意味かと言う言葉を言い切ることは叶わなかった。

 不意に、アルクェイドの体が落ちてきた。

 

「ッ!? リンドヴルム!」

 

 主が命令するよりも速く、機械竜はアルクェイドに向かって駆けた。落ちてくるアルクェイドをうまく背中に乗せて、衝撃を与えないように着地する。

 

「話はまた今度だな。今は彼の様子を見なければ……」

 

「そうね……」

 

 聞きたいことはあるけれど、と言いはするが、最優先する事を履き違えはしない。

 

「先に行きたまえ……後ほど、また会おう」

 

「え? ブルブラン?」

 

 ブルブランは何処からとも無くナイフを取り出して手遊びするようにクルクルと回す。彼の視線は一点に向けられていた。

 

「アレは……」

 

 その視線を追いかけるように目を向ければ、その先にはダボダボの大きなコートを纏う一つの人影。陽光に反射して煌く鮮やかな金色の髪。

 崖の上に立つその姿は遠目から見ても一目見れば誰か解ってしまうほどの熾烈で異彩。

 

「死神!」

 

「いくら貴方でも一人でアレの相手はキツイでしょう……手を貸しますよ。アレはわたしでもありますし」

 

 ティオはオーバルスタッフを構えてブルブランの横に並ぶ。だが、ブルブランはティオの視界を阻むように更に前に出る。

 

「勘違いをしてはいけない。今優先すべきことはAが目を覚ますことだ。それには君たちが必ず必要になる」

 

「ですが……」

 

「それに、君はAに魅入られたという意味でアレと比較しているようだが、ソレは全くの勘違いだ」

 

「え……?」

 

 尚も食い下がろうとするティオだが、ブルブランの言葉に釣られ、彼の顔を見上げる。

 

「確かに、どちらもAに救われたのだろう。だが、アレはもう…………」

 

 その先を言おうとした時、死神が崖から落ちた。否、降りた。真っ逆さまに駆け下りている。彼らを目指して。

 

「速く行きたまえ! 手遅れになる前に!」

 

 ブルブランは大量のナイフを取り出して、死神へと投げる。彼我の距離は離れすぎているが、ブルブランは的確に死神の動きを予測して攻撃となっている。

 だが、如何せん距離があると的確に攻撃しているとはいえ、当たらない。

 

「ふっ、私がこんな役目をする羽目になろうとはな……」

 

 背後から去りゆく姿を見ずとも感じていた。死神から視線を放すことは出来ず、見送ることも出来ない親友。

 だが、それでもブルブランは笑っていた。

 

「私もヤキがまわったかな?」

 

 言葉だけならば、残念そうに聞こえるだろう。だが、そこに込められた想いは実に楽しそうだった。

 

「Aよ、君は相変わらず私を楽しませてくれる」

 

 ダメージを与えられずとも、足止めには成ると思って更にナイフを投げ続ける。それでも、直線的に駆け降りられることに比べるとマシという程度。

 

「やはり、狙いは私ということか……」

 

 執拗にアルクェイドに執着していた死神が、崇拝していた人物を見て、冷静にいられるはずもなく、本来ならばブルブランではなくアルクェイドに向かっているはず。

 だが、現状ではアルクェイドではなく、ブルブランが狙われている。

 

「私は君に対してもそれなりに評価していたのだがね……」

 

 愚行と分かっていても、ブルブランは数秒だけ眼を閉じる。

 

「今も見ているのだろう、アグニ。私を殺したければ、死神クラスの強者を100人は用意するべきだったな」

 

 そして、目を開くと目の前には死神の姿。しかし、ブルブランは焦ることはなかった。

 前に突き出された死神の腕。それがブルブランに触れようとした瞬間、死神の体は真っ二つに裂けた。

 体は二つに分かれ、ブルブランの右手には精巧な剣が握られていた。

 

【そうかね? では、御希望に沿う様にしようではないか】

 

 辺りに嗄れた声が響く。それを同時に、崖や寺院の至る所から人影が現れる。

 

「これはこれは、既に準備していたとは」

 

 その人影の全てが死神で、そしてその数は数百は下らないだろう。

 

【無論、ワシはこうなることを知っているからの】

 

 カッカッカッと笑い声が辺りに響く。

 

「先に話しておいて良かったか……」

 

 ブルブランは再度眼を閉じて眼前に剣を翳す。それと同時に全ての死神がブルブランを襲う。

 ブルブランは剣を翻して構えた。

 

「アグニよ。私の命、そう簡単にくれてやらんぞ!!!」




終わりが見えて来ました。少しばかり感慨深くなりますね。

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