刹那の軌跡 【完結】   作:天月白

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もうヒロインはリーシャでいい気がしてきた……。


第5話 運命仕掛けの夢幻

 二人が外に出ると、もう陽光は橙色に街を染め上げていた。数刻もすれば、夜になるだろう。アルクェイドはアルカンシェルから出るとそのまま住宅街を抜け、マインツやローゼンベルグ工房へと続く山道へ歩んでいく。その途中で足を止めると、崖を見上げて跳び上がっていく。まともな足場など無いというのに、実に軽やかに崖を登っていく。リーシャはそんなアルクェイドの後を無言で続いていく。彼らは崖を駆け上がり、クロスベルが一望できる場所で足を止める。彼らの視界の端には、今いる場所以上に高くそびえ立つ未完成のタワーが見える。やや風が出ており、アルクェイドのコートが少しだけ靡いている。今、どんな顔をしてクロスベルを見下ろしているのかは、後ろにいるリーシャは分からない。

 

「歪だな……」

 

 たった一言だけ、アルクェイドは微かに呟いた。市内に見えるは高く立ち並ぶビルに住宅街。自家乗用車すらも高価ではあるが、一般人が買えるレベル。今やクロスベルは無線でのネットワーク技術すらも成し得ようとしている。なのに、少し市外に目を向ければ、クロスベル周辺には自然が大いに存在している。その人工と自然の差にアルクェイドは歪だと言う。二者の融合ではなく、明らかに別個として存在しているからこそ、彼の口からはこの言葉が零れた。そして、アルクェイドだからこそ、読めてしまえる。このクロスベルで何が起ころうとしているのか。

 

「制約があるというのは、歯痒いな」

 

「何の話ですか?」

 

 独り言を呟く目の前の彼に背後から少女は問う。

 

「なに、したい事が出来ないのは辛いな、と思っただけだ」

 

「…………………」

 

 その言葉はアルクェイド自身の事なのか、それともリーシャの事なのか、彼女は判別が出来ずに口を閉じる。

 

「さて、あの日の事をどこまで覚えている?」

 

 アルクェイドはようやく振り返り、リーシャと向き合う。いつもよりもやや薄く目を開き、彼女を真正面から見据える。その目はまるで、彼女の心を見透かそうとしているように見えた。

 

「……ケイくんを袈裟斬りにしたことまでしか覚えていなかった」

 

「そうか……」

 

「少なくとも、あの墓を見るまでは……」

 

 あの墓という単語が出た瞬間、微かにアルクェイドの纏う雰囲気が変わった。彼女がそこまで知っていることに予想外だったのか、それとも知ったことに対して安堵しているのか、目を閉じたアルクェイドからは察することが出来ない。

 

「あのままコレを受け取り、放置したのか……それとも、あそこまで埋めに行ったのか……二つの記憶がせめぎ合っている」

 

「………………」

 

 リーシャは胸元から欠けた歪な銀片翼を取り出して強く握りしめながら想いを口にする。対して、アルクェイドは目を閉じたまま空を仰ぐように上を向く。

 

「ねぇ、どっちなの? 私があそこから逃げたのならケイくんは生きているのかもしれない。だけど……だけど!」

 

 アルクェイドがケイくんだろうとほぼ確定していたのに、あの墓が存在するせいで、その確信は脆く崩れ去ってしまった。信じたくない事実を突きつけられ、リーシャは泣きそうなを顔をしてアルクェイドに詰め寄る。

 

「ねぇ、教えてよ……貴方は本当にケイくんなの?」

 

 彼女は縋るようにアルクェイドの胸元の服を掴む。そのまま泣き崩れるように下を向く。恐怖なのか、悲しみなのか、それはアルクェイドには知りようがないが、彼女がもう完全に泣いていることは理解できた。そんな彼女の耳に届いた言葉は絶望に近い言葉だった。

 

「本当は、あそこでケイは死んでいるはずだった」

 

「っっ……」

 

 他ならぬ目の前の彼からその言葉が告げられ、彼女の服を掴む力は更に強くなった。そんな言葉は聞きたくないと言わんばかりに。

 

「両方共、間違ってはいないさ。あそこでお前が逃げたから今俺はここにいるし、お前が俺をあそこに埋めてくれたから墓があるのさ」

 

「………………?」

 

 何を言っているのか理解出来ずに、彼女は下を向いたままで、服を掴む手は微かに震えていた。それは誤魔化しているようにも取れる彼の言葉に怒っているわけではない。

 

「破綻しかけているのさ、この世界が。世界の要素として、認められているんだよ。俺も、あの墓もな」

 

 彼女には彼の言葉の意味が理解出来ない。だけど、彼女でも理解出来たことがあった。少なくとも、今目の前に居るのは紛れもない、あのケイで、あの墓も存在しているということ。それが意味していることまでは理解してないが。

 

「でも……でもっ……」

 

 彼女は喘ぐように涙声で何かを言おうとしている。それが何か気付いて彼は幼子をあやすように、彼女の頭を抱き抱えるように生身の左手を動かした。

 

「そういや、言ってなかったか? 俺は――ケイはお前に殺されたことを恨んでいない」

 

「ぅ…………ぅぁ……うああああああぁぁぁぁ」

 

 少しずつ、少しずつ薄れていたケイを殺したことへの罪悪感。それがあの墓の事を知ったせいで、以前よりも重くなっていた事をアルクェイドは理解した。だから、アルクェイドは口にした。リーシャが何よりも望んだ言葉を。

 その言葉を聞いてしまったせいで、リーシャの目から流れる涙は、もう止まることは出来なくなってしまった。アルクェイドはそのままの体勢で、また空を仰いだ。もう日が落ちそうになっていた。あと少しで闇の(とばり)が落ちてくるだろう。もう見え始めている星を見ながら、前にもこんな事があったな、と彼は考えていた。

 しばらく泣いている彼女の側に無言で居た彼は気付かなかった。それだけ彼は気を抜いていた。自分を絶対に傷つけないという認識もあったせいだろう。だから、こんな現象を理解することが出来なかった。それでも、彼は類まれなる強者で、だから彼は弾き飛ばした。胸元で泣いていた少女を。

 

「え……?」

 

 瞬間、少女は何が起こったのか理解出来なかった。いきなり押しのけられ、突然のことでその場に尻餅を付いてしまった。ただ、彼女の視線に映るのは自分を押しのけたまま手を伸ばしている彼と、彼の腹部から出ている鈍色の何か。

 そして、数瞬遅れて彼女の顔に付着した生暖かい鉄の匂いのする粘り気のある水。それが何か確かめるように指で頬を触る。指で伸ばされ付着した水はその範囲を広げていく。ゆっくりと目の前に指先を持ってくると、より鉄の匂いが強くなった。だが、それが何なのか頭で理解しても心が認めなくなかった。

 そんな彼女の心を嘲笑うように、雲の隙間から月明かりが差し込む。月明かりの照らされた手には深紅の液体。それに驚愕していると、ポタッポタッと視界の隅に同じような深紅の液体が落ちてきている。それに釣られて視線を上げると、そこには彼が居る。腹部を鈍色の掌に貫かれた彼が――。

 

「ぐっ……がぁっ……」

 

 その貫いた掌にはアルクェイドの体に組み込まれていた機械が握られていた。突然の衝撃に反応が遅れたが、すぐに彼は貫いた掌を掴む。その手は彼の右手と同じように機械で出来ていた。その手を捩じ切る様に捻り、機械の手はバキャッという嫌な音を立てて手首から折れた。そのままアルクェイドは背後にいる人物に目掛けて回し蹴りを放つ。だが、それは空を切る。それを予測していた彼は捩じ切った手を跳び下がった人物に目掛けて投げる。だが、襲撃者はそれを事も無げに受け止めた。そして、必要なのは組み込まれていた機械だけなのか、自分の捩じ切られた機械の手は要らないと言わんばかりに背後の崖下に放り投げた。

 

「きっさま……」

 

 流れ出る血を止めようと腹部に手を当てるが止め処なく手の隙間から零れ落ちていく。忌々しげに襲撃者を睨む。月明かりに照らされ、襲撃者の髪は鮮やかな金色に煌めいて、宝石のように金の瞳が揺れていた。そう揺れていた、悲しげに。

 

「嘘だ……嘘だ……」

 

 それは崇拝するアルクェイドを自ら傷つけたと言う驚愕よりも、何かに絶望した声色だった。信じられないと頭を揺らす。それでも、絶望している事柄を見ないことにすることは出来ないようだった。事実を認められないと少しずつ後ろに下がっていく。

 

「そんな……それじゃ、貴方は……」

 

 そのまま下がり続けて襲撃者は崖から落ちる。

 

「がっ……あああああぁぁ!」

 

 血が流れることも厭わずに、抑えていた手すらも、落ちていくコレを掴もうと伸ばす。だが、その手は何も掴めずに終わった。流れでた血が多すぎたのか、耐え切れず彼は崖の淵に倒れこむ。

 

「あいつを……捕まえろ!」

 

「え………………」

 

 自分に言われていると瞬時に理解出来なかったリーシャは呆気に取られた。それでも、アルクェイドは息も絶え絶えに言葉を発する。

 

「死神を……今すぐ……捕まえてこい!」

 

「はっ……はい!」

 

 鬼気迫るアルクェイドの形相で睨まれ、リーシャはほぼ反射的に崖を飛び降りた。

 

「くそがっ……」

 

 彼女の背を見送ってそこで力尽きたのか、支えていた両手も崩れ完全に土の上に転がった。

 

「一体何が……」

 

 死神のアルクェイドを攻撃するという行動。今までで考えればありえない行動。それを今初めて行われた。その疑問に答えられる者は今はいない。そもそも、死神は死んだはずではなかったか。あの時、確かに首が飛んだはずだった。首が飛んで生きていられる生物はいない。その常識を覆した死神。それについてまともに考える余裕も時間もなく、アルクェイドの意識は急速に落ちていった。

 

「………………」

 

 意識の無いアルクェイドの側に足音がした。ゆらりと体を揺らしながら、白いローブをきた人物が現れた。以前、洞窟で見たあの碧の人物にそっくりだった。同じ碧の髪に碧の瞳。そして全く同じの中性的な顔。

 碧の人物はアルクェイドの側まで歩み寄ると、前に両手を掲げる。すると、ふわりとアルクェイドの体が浮かび上がる。碧の人物は淡い青の光を放ち始めた。その光は手からアルクェイドに移り、彼の体を包む。そして、その光は一点に収束していく。その場所は先程死神に奪い取られた機械が埋め込まれていた場所。そこに青い光が集まっていくと同時に、傷が治っていく。それもただ治っていくのではない。アルクェイドの体には無数の傷が大小と刻まれている。それはアルクェイドの腹部にも存在しており、その幾つかは嵌っていた機械によって傷跡が途切れていたのも有る。治った箇所にはその途切れていたはずの傷も刻まれていた。

 碧の光がそこに収束していくに連れて、碧の人物はどんどん稀薄になっていく。傷が治りかけている今、もう碧の人物は透き通っており、体の向こう側まで見えている。碧の光が収まると、アルクェイドの傷は完璧に治り、ゆっくりと地面へと落ちる。音もなく彼は着地した。彼が地面に着いたと同時に、碧の人物が消え、着ていた白いローブが地面と落ちる。

 

「…………ぁ」

 

 光が収まるとアルクェイドは目を覚ました。ゆらりと立ち上がると、眼下に存在するクロスベル市内を見下ろす。そのアルクェイドの目は碧の光を放っていた。風によって、靡く髪も碧。アルクェイドの視線はクロスベルの一点を見詰めていた。それは色々な物が存在するクロスベルで一際目立つ未完成のタワーや自らが所有するアルカンシェルでもなく、住んでいるメゾン・イメルダでもない。それは、特務支援課の有る建物だった。

 そして、その視線は中で動く誰かを見ているのか。建物内で誰かの動きを追いかけるように動いている。

 

「くはっ…………」

 

 アルクェイドは微かに口を開く。その時に僅かだが呼気が漏れる。それは笑っている顔だった。それも見た者にとてつもない恐怖を感じさせるものだった。たまに、笑顔は本来恐怖を感じさせる物だという学者も居る。笑顔(それ)は肉食獣が得物を見つけた時に舌舐めずりをする動作が元だといわれる。今、アルクェイドがした笑顔はまさにそれが真実であると証明させるような笑顔(もの)だった。

 不意にアルクェイドは支援課の建物から目を外す。笑顔だった顔は苦痛で歪み、左手で顔を抑える。彼は頭を振って、前を向く。その時にはもう碧の色はなくなり、いつもの空を彷彿させる蒼い髪に、海のように深い青の目だった。そして、彼は何処かを目指して落ちるように崖下を駆け下りた。

 

「あはははは」

 

 そして、先程までアルクェイドが崖よりも少し上から一連の流れを見ていたものが居た。

 

「こいつは面白いことになりそうだね」

 

 そこには道化が一人いた。眼下に見えていた彼らを眺めて実に楽しそうにしていた。

 

「さて、予定よりも少しだけ早いけど……」

 

 道化は暗闇の中なのに、まるで舞台の上で演技しているかのように仰々しく動く。

 

「観客も少ないけれど、お約束といこうか」

 

 先程まで笑っていたはとても思えないほど、道化師は物々しい雰囲気に移り行く。

 

「執行者№0、『道化師』カンパネルラ――これより盟主の代理として『幻焔計画』の見届けを開始する」

 

 それだけで、道化師の言葉を終わらずに次の言葉を噤む。

 

「それと『永遠の刹那』の見届けを開始する――」

 

 道化師は消え、あたりには道化師の笑い声がいつまでも木霊していた。


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