「……………………」
「……………………」
イリアの頼みで、アルカンシェルに設備されている昇降可能なシャンデリアの整備を行なっているアルクェイド。イリアの計画している演目では、このシャンデリアの速度を上げたいということだった。その速度を変えることは大した作業ではない。だが、それを支える機械に掛かる負荷に関しては別だ。現状、その速度に変えたとしても十分に使えるだろう。今日明日、一週間一ヶ月ならば大丈夫だろう。しかし、それを長期的、一年二年と長い年月も使うならば、その吊るしている鎖の強度も含めて、不十分だといえる。それを万全にするには、勿論代わりとなる部品が必要となるのだが、今はない。アルカンシェルの機械の部品はシャンデリアからそれを吊るす鎖、歯車の一個一個が全てアルクェイドが制作している。アルクェイドがいない時、と言ってもいない時が殆どなのだが、その時はヨルグが微調整してくれている。しかし、ここ数年アルクェイドがクロスベルに来なかったせいで、一つ一つの部品に多少のガタが来ている。それはアルクェイドとて予想していたことなので、ほとんどの部品はもう制作してあるのだが、根本的な部分を変えるとなっては新たに制作する必要な物もある。現在は、その部分の間に合わせで補強している最中だった。
「どうアルクェイド。問題無さそう?」
今、アルクェイドは最後の補強をしていた。その最後の部分はシャンデリアを吊るす鎖の根本を弄っていた。彼はその支える機械の取り付けられた天井の梁にぶら下がっていた。逆さ吊りに近い状態になっているというのに、アルクェイドは事も無げにスパナやドライバーを軽やかに使いこなしている。イリアはそんな状態のアルクェイドを舞台から見上げて声をかけた。その位置はアルクェイドのほぼ真下にいた。いつアルクェイドの手が滑って工具や機械が落ちてくる危険性が有るというのにだ。それは、アルクェイドに対して絶対にミスらないという信頼と、落ちてきても絶対に躱せるという自信の表れでもある。
「んー、とりあえずと言った感じだな。少なくとも練習する分には問題無いだろ」
イリアの問いに答えつつ、作業が終わったのかアルクェイドは工具を仕舞う。
「よっと」
今までぶら下がっていた梁から引っ掛けていた足を外して梁を蹴り、今尚吊るされたままのシャンデリアを避けて回転しながら飛び降りた。
「イリア姉、聞きたいことが有るんだけど……」
丁度アルクェイドが飛び降りた時、シュリが着地予定点の近くまで歩いてきた。
「シュリ! ストップ!」
「ッッ!?」
イリアの声にシュリは動きを止めた。だが、すでに遅い。アルクェイドの着地点に入ってしまっていた。それを見たアルクェイドはシャンデリアの端を掴み、無理矢理に方向変え、シャンデリアの真下に落ちるようにした。
「ふう……」
そして、アルクェイドは何でもないように着地すると悠々と立ち上がる。彼は振り返ると呆然としているシュリの方に歩み寄る。
「作業をしていると伝えていただろう。気をつけろ」
「そうよ、アルクェイドだったから良かったけど、工具とかだったら当たってたわよ」
アルクェイドと共にイリアもシュリを窘める。そのイリアを見てアルクェイドは呆れたて肩を竦ませる。
「お前も俺の作業中にずっと真下に居ただろうが」
「あたしは少なくとも把握していたし、仮に落ちてきても避けれるわよ」
自信たっぷりの発言にアルクェイドは溜息を付くしかなかった。
「それよりも、あなたもやってみない? 十分通用すると思うわよ」
アルクェイドの柔軟な体や類まれなる身体能力を見てイリアはそう言う。イリアは何度かアルクェイドの身体能力を見てはこうして誘っている。だが、その度に彼は断っている。
「あー、んー。だから俺はいい。ここにいつまで居るとも知れんからな」
一瞬何かを考えたが、それを頭から追い出して断る。それで残せるものも有るかと考えたが、それは彼が理想とする物ではないからだった。だからと言って、ソレを否定するわけではない。むしろ、アルクェイド自身がソレを一番認めている。それは、彼がアルカンシェルを所有していることからも考えられる。それでも、断ったのは彼が今創りあげたいのは限りなく劣化することのない輝きだからだ。
「いい加減頷いてもいいと思うけど?」
イリアはアルクェイドが断る時に少しだけ歯切れ悪そうにしたのを見逃さずに、再度念を押す。しかし、アルクェイドはそれをそっぽを向いてねーよと断る。
「いなくなる……のか?」
遠回しにアルクェイドがいなくなるという発言にシュリは不安そうに尋ねるが、アルクェイドは余計なことを言ったと言うように口元を微かに歪めた。だが、それは一瞬で彼女たちは気付かなかった。不意に、アルクェイドは舞台裏の方を見た。いや、見ているのはそのずっと先。ここからは絶対に見ることが出来ない。市外の方に意識を向けた。
「どうかしたのか?」
「……いや」
不意に遠い目をしたアルクェイドに不思議に思い、首を傾げながらシュリが尋ねるが彼は何でもないと首を振って否定した。それでもしばらく、アルクェイドは何処かを見ていた。ここからは見えないはずの何処かが見えているかのように。後ろ髪を惹かれるような思いでその思考を頭から追い出す。
ふと、意識を目の前に戻すと視界の端に一人の青年の姿が見えた。彼に向けてアルクェイドは注意を払う。彼の歩みは軽やかだが、何処か無理している感がある。それは無茶というよりは、限界を超えた動きしたために体を痛めた感じだった。それを見て、アルクェイドは理解した。
「ああ、彼が……まぁいい、これで来た意味を果たせる」
ヨアヒムの残した傷跡は意外にも多い。それをアルクェイドは実感した。原因となった人物は既に故人となっている。しかし、仮に生きていたとしても、アルクェイドはヨアヒムを恨む事は絶対にない。甘言に乗ったのは他ならぬ彼――ニコルなのだ。だからと言っても、彼自身を攻めることは出来はしない。
才能が有り、実力を付けても、ここにはイリアという類まれなる存在が居る。それを見ては同じ役者でも――いや、同じ役者だからこそ、彼女の能力や才能に嫉妬してしまう。思い通りにいかない現実に、歯痒さを感じていればいるほど、そういう甘言には誘われてしまう。グノーシスによって得られた力は完全に偽物とはいえない。グノーシスはあくまで本人の力を限界まで引き出す物でしかない。その限界が本人の能力の限界ではなく、体の限界なのが、問題なのだ。脳のリミッターを解除されれば、過剰の力を使用出来るが、体が耐え切れず崩壊する。アーネストとヨアヒムの異形の化物になった際に自壊したのがこれだ。グノーシスを投与させられた警備隊ですらリハビリをしているのに、悪魔化どころか異形の化物になった時の負荷は計り知れない。
そういった意味では、警備隊も彼も幸運だったのかもしれない。ニコルも何かに頼った実力はいらないという結論を出し、警備隊でも今はリハビリで必死なのに、彼は全快とは言えないが、もう舞台の練習に参加し、グノーシスで傲慢になっていた時の償いなのか、雑用まで引き受けている。今も彼は休憩中なのに、道具を運んでいたのだ。そんな彼にアルクェイドは近寄っていく。
「もう、体は大丈夫なのか?」
「あ、オーナー……」
アルクェイドが声をかけるとニコルは少しだけ驚き、後ろめたくて視線を下げる。以前はアルクェイドの事をオーナーだと知らない人物も沢山いたが、今では全員が知っている。
「体は……問題ないです」
「…………嘘だな」
視線を合わせずに告げた言葉に、アルクェイドは切って捨てるような言い方で否定した。その瞬間、ニコルはビクッと体を震わせた。
「別に練習するなとも言わないし、リハビリや勘を取り戻す必要として継続して練習する必要がある。だがな、お前が今していることは何だ?」
「……………………」
「それをするなとも言わない。だが、今お前の心を占めているのは罪悪感だろう?」
「…………はい」
「俺が言うまでも無いが、イリアや他の奴らからも言われただろう。そんなことしなくてもいいと」
「ですが……ですが……っ!」
迷惑をかけた罪悪感で一杯のニコルは
「それでも僕はっ、あんなことした僕でもっ、今でも認めてくれている人たちにっ、少しでもっ、感謝を示したいんですっ!」
アルクェイドは肺から全ての空気を入れ替えると思えるほど大きく息を吐く。それがニコルにとっては失望に見えたのか、また視線を下げた。だが、それは違った。
「何言ってるのよ」
そのアルクェイドの背後から声が聞こえた。それを言ったのが誰か、ニコルは分かってしまってまた体を震わせた。
「本当にね」
「いい加減気づけっての」
それだけでなく、ニコルの横からも声が聞こえる。そして、それはだんだんと増えてきた。その声に釣られるように、ニコルは声の主たちを見渡す。そこには同じアルカンシェルの仲間たちが居た。彼らもアルクェイドと同じように、ニコルに対して言いたいことがあったのだ。
「罪悪感を感じるのは仕方ないと思うけどね」
「償い方が間違ってんだよ」
「間違ってるって、そんな……僕はみんなに少しでも……」
他の仲間からも間違ってると言われ、ニコルは焦り戸惑いを隠せなかった。
「少しでもなんだよ?」
「まさか、楽して欲しいとか言わないよね?」
「…………っ」
先に言われてしまって、ニコルは先を告げることは出来なかった。
「だったら……だったら他に何をしたらいいのさっ」
「決まってんだろ」
「あんたは役者だろ。だったら、あたし達があんたを期待する以上の演技を見せてくれれば、それでいいのさ」
「あ………………」
ニコルと共に演技する者、その時に着る衣装を繕う者、舞台装置を弄る者。次々とアルカンシェルの仲間たちがニコルに声をかけていく。アルクェイドは最初に居た位置――ニコルの前からいなくなって遠巻きにその光景を眺めていた。みんなニコルの事を気にしていたのだ。
「オーナー、ありがとうございます」
そのアルクェイドの横で、オーナー代理の老紳士が頭を下げていた。
「俺じゃなくても良かったの思うのだが……」
「いえいえ、オーナーだからこそ、言えたことで御座いますよ。私や彼らでは、言ったとしても頑なになって声が届かなかったでしょう」
「それでも、最後に届くのは彼らの声のみだ」
遠巻きに眺める光景。新たな決意を心に込めたニコルの目は僅かに涙が溢れるのを堪えていた。罪悪感から始めた雑用も最初の数日でしなくなると踏んでいたのだが、今日になっても、間違いに気づかなかったことで、今更止めることも出来なくなってしまっていたのだ。過剰になるつつあった雑用を止めるためにはと、老紳士が打った策はアルクェイドを呼ぶことだった。
以前、アルクェイドが何かの彫刻を創っていた時にレンの通話を切った後に掛かって来た通信は彼からのものだったのだ。だが、結局それに出なかったアルクェイドに会うために、彼はわざわざメゾン・イメルダにまで足を運んだのだ。
「それよりも、いい加減こっちを見るのは止めてくれないか?」
アルクェイドは機械を調整していた時から――いや、その前から、彼女が来てからずっとぶつけられていた視線をいい加減煩わしく感じて、遂には声をかけてしまった。彼の心情的には遂には根負けしてしまった形になってしまった。
「なぁ、リーシャ」
アルクェイドは背後を向いて、ずっと自分を見ていた者の名を呼ぶ。
「教えてもらえますか? あの日の全てを――いえ、貴方の全てを」
「ああ――――」
アルクェイドは観念したように何処か冷たい、いや寂しい目をした。
「ここで話すのもなんだ、場所を変えるか」
リーシャの返事を聞かずにアルクェイドは彼女を通りすぎてアルカンシェルの外へと向かう。リーシャはアルクェイドの背中を見つつ、彼の後を付いて行く。その背中は今にも消えなそうなほど、儚げに見えた。否、本当に消えた。
「え?」
不意に確かにアルクェイドが消えて我が目を疑い、目を擦って目を凝らす。すると、アルクェイドの姿は普通に見えていた。姿が消えたのは本当に一瞬。それが気のせいだと思えるほど短いのに、リーシャは間違いなく本当に一瞬彼が消えていたのだと解ってしまった。それでも、その思考を振り払うように頭を振る。そして、歩みを止めてしまっていた足を動かして彼の後を追った。