刹那の軌跡 【完結】   作:天月白

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第2話 運命仕掛けの鳴動

「………………」

 

 ロイドたちが特務支援課に帰ってきた翌日。時間としては早朝と言った時間。まだ陽光に照らされてから時間も間もない為に、空気は未だ冷たさを保っていた。そんな中で、アルクェイドは覚束無い足取りでふらふらと歩いていた。ローゼンベルグ工房から歩いてきたのか、今はクロスベル市の外れにある教会へと続く分かれ道をクロスベル市に向けて歩いている。ここ数日、彼はアパルメント『メゾン・イメルダ』に篭ってずっとあるモノを創っていた。本来、彼は創っているモノがある時には如何なる理由があろうと、ソレを中断する事を心底嫌う。なのに、今こうして出歩いているのは創っていたものが出来上がったからではない。

 

「ああ、くそっ」

 

 アルクェイドはこの創っている間の数日はほぼ寝ていない。その上、蛇から一応役職としては、アルクェイドよりも上の立場の者がこのクロスベルに、ローゼンベルグ工房に来るとなっては、出迎えない訳にはいかない。嫌いな人間だからといって、無視しても無駄な人種であるし、相手にしなければ何をするかわからない奴でも有る。だから、アルクェイドは今不機嫌で苛立っているし、ふらふらと寝不足の頭を必死に覚醒させようと気力を振り絞っている状態だった。

 

「何度言われようが、戻る気はないってのが分かるだろうに」

 

 その来訪者というのは、この間彼を呼び出したノバルティス博士と道化師カンパネルラだ。その内容は、ヨルグとアルクェイドに蛇の13工房に復職して欲しいということだった。その答えは、ついこの間答えたように両者とも戻らないという返答だった。その返答に博士たちは分かっていたのか、不満気ではなかった。彼らに戻ってこないかと聞いたのも、あくまで何かのついでとアルクェイドは感じていた。その上で、アルクェイドが今何を創っているのか分かっている風な態度を見せた。そのせいで、アルクェイドは更に不機嫌になった。そして、博士たちは工房に寄った本当の理由である、パテル=マテルのデータを回収していった。

 

「何度も何度も煩わしい。それに例の子だ? ここで何する気だ」

 

 博士が最後に言ってた『例の子』という言葉。そんな物が必要になるということはただでは終わらないことを証明している。正直な話、このクロスベルという場所に関しては何が起ころうとアルクェイドとしては知ったことではない。だが、ここにはアルカンシェルが存在している。建物だろうと所属している人間だろうと、それに何かしらの被害が(こうむ)れば、アルクェイドが大人しくしているわけがない。それが分かっていて、彼らは何かしらのアクションを起こそうとしているのだ。苛つくのは当然だろう。

 それにアルクェイドが不機嫌に苛立っているのはそれだけではない。あのヨアヒムの起こした事件、でクロスベル市の裏社会の大部分を掌握していたマフィア――ルバーチェが死神によって壊滅したせいで、ここしばらく静かだった裏社会も前とは違う動きを見せ始めていた。そして、そのルバーチェが拠点にしていた裏通りにある建物を買い取ろうとしている集団が出始めている。再び、このクロスベルで何かが動き始めようとしているのをアルクェイドは肌で感じていた。張り詰めていくピリピリとした空気を。

 クロスベル市内の門の所を通った時、アルクェイドは前から来るシスターとすれ違った。年の頃はアルクェイドと然程変わらないだろう。朱に染まったような栗色の肩の下まである髪を両端で纏めている。それ以上に目を引くのが彼女の持つ大量の紙袋だろう。紙袋に大量に入っているパンが今にも紙袋から溢れそうになっている。その光景は、以前シュリをアルクェイドが連れ回した時の様である。その量は、アルクェイドが買った量と大差ない事が想像できる。

 

「……………ん?」

 

 そのシスターとすれ違ってから数歩歩いた所で、アルクェイドは背後から視線を感じた。視線の主を確かめるために彼は振り返る。視線の主は先程すれ違ったシスターだった。彼女はアルクェイドの方をジッと見ていた。

 

「何か用か?」

 

 声をかけて来るでもない彼女にアルクェイドが問う。

 

「いえ…………足取りが不確かなようなので、少々心配しまして」

 

 シスターは丁寧に頭を下げて、アルクェイドを気遣うような言葉を発する。

 

「……少しばかり忙しくてな。帰ったら休むことにするさ」

 

「では、気をつけてお帰り下さい」

 

「ああ」

 

 アルクェイドはシスターの言葉に言葉少なに返すと、背を向けて左手を振って歩き出した。それ以降、アルクェイドはシスターに興味を向けることはなかったが、シスターはアルクェイドの背中が見えなくなるまでずっと彼の姿を見ていた。

 アルクェイドはそのまま、メゾン・イメルダまで戻ってきた。彼は建物に入ると否や、そのまま以前レンたちがお茶会をしていたソファに倒れこんだ。とは言っても、ソファに乗っているのは上半身だけで、下半身はだらしなく伸ばされている。うつ伏せに倒れこんだせいで、膝は床に付いている。このまま寝ていたら体を痛めることは容易に想像できた。けれど、アルクェイドはソファに体全体を乗せる間も無く、そのまま寝始めた。それほどまでに彼は疲れていたのだ。ここ数日寝ていないのも有るだろう。もし、この光景を誰かが見たらアルクェイドに何かあったと思うことだろう。そして、それは共に暮らしているシュリにとっても同じ事だった。

 

「なんか大きい音がしたけど…………なっ!?」

 

 アルクェイドが倒れた時に膝や右手の義手が床を叩いた音がしたことで、部屋に居たシュリが出てくると、居間となっている部屋の中央のソファにアルクェイドが倒れていた。その光景を見れば、誰だって驚くだろう。だがそれも一瞬で、ああまたか、と溜息を付く。

 

「何度も言うけどさ。ちゃんと布団で寝たほうがいいよ」

 

 アルクェイドと共に生活してそれなりの時間をシュリとアルクェイドは過ごしている。故に、シュリは今までにこんな場面に何度も遭遇していた。だから、彼女は驚いたのは一瞬で、すでにアルクェイドをせめて体全体がソファに乗るように動かしている。

 

「んしょっと……いつもならこのくらいで起きるのにな」

 

 とは言え、少女が運べる体重ではない。せいぜい足を持ち上げることが出来るくらいだ。いつもであるならば、シュリが触る前に、もしくは足を持ち上げたくらいで、アルクェイドは目覚めていた。そして、部屋に戻るか、その場でちゃんと寝やすいように動いていた。けれど、今回は足を持ち上げても起きる気配がない。

 仕方なく、シュリは側にあるもう一つのソファを動かして浮かせた足を乗せる。それだけしても、アルクェイドは起きるどころか身動(みじろ)ぎもしない。そんなアルクェイドにシュリは呆れるしか無い。

 

「数日間部屋に篭っていたと思ったら、突然工房に行ってくるからって言い残して出て行くし、帰ってきたら変な体勢で寝てるとか…………相変わらず、変な奴」

 

 変な奴、それが今までアルクェイドと過ごして、彼を見てきた結果の感想である。確かに拾って貰った、と言うか()し崩し的に連れて来られたと言ったほうが正しいが、シュリはそのことに関して、アルクェイドに感謝していた。無条件で養って貰う訳ではなく、自らの意志でここに居たいと思うし、生きる意味や意義を得る助けをして貰った。それでも、シュリはアルクェイドにそんな言葉しか思いつかない。

 

「レンも言ってたけど、面白い奴だ」

 

 今はいないが、少し前まではレンも一緒にここに住んでいた。そのレンは事ある事にアルクェイドにちょっかいを出していた。アルクェイドはそれに呆れながらも良く付き合っていたのを思い出す。愛想がないように見えて、いつもシュリとレンの事を見ていたのを彼女たちは知っていた。最初にそれに気付いたのはイリアの言葉だった。それから気付くと彼がアルカンシェルに来る回数と、目が合うことが多い。アルクェイドの方を見るとすぐに視線を逸らされてはいたが。だが、その視線の中で、何処か違和感を感じてもいた。今もその違和感の正体は分からない。

 

「あっ、そろそろ行かないと」

 

 シュリはアルカンシェルに出かけるつもりだったのを思い出して、立ち上がる。アルクェイドが風邪を引かないようにタオルケットをかけて自室に戻る。荷物を持って出てくると、ドアの前まで歩く。取ってを握ると一度アルクェイドの方に振り返った。

 

「行ってきます」

 

 それだけを言って、シュリはドアを開いてメゾン・イメルダから出て行った。

 

「………………………」

 

 ドアが閉じられ、それから数十秒後。アルクェイドはゆっくり体を起こした。少しだけ眉間に皺を寄せ、左手を後頭部へと持っていく。ただでさえ、乱れていた髪を更に掻き乱している。

 

「……変な奴って喧しいわ」

 

 アルクェイドは何処かいたたまれない気持ちでいた。彼は徐ろに立ち上がると、体の筋肉を解すように大きく伸びをした。右手の義手の調子を確かめるように手首を回したり、掌を開いたり閉じたりしている。

 

「……そろそろメンテナンスをした方がいいか」

 

 少しだけ右手に違和感を感じたアルクェイドはそう呟いた。クロスベルに来る前に一度メンテナンスをしたが、それ以降全く触れていない。ただでさえ、精密機械であるのに、クロスベルに来てから激しい戦闘が多かった。それの所為で少々ガタが来ているようだった。

 

「帰ってからでいいか」

 

 アルクェイドはそのままドアを開けようとして止まった。

 

「ああ、そうだ。ファルケ」

 

 ドアの前で振り返り、建物の奥に向いて鷹の名を呼ぶ。すると、一声鳴きながら、奥から一羽の鷹が滑空して、アルクェイドの右肩に止まる。

 

「こいつを彼らに頼む。覚えてはいないが、一応助けられたようだからな」

 

 キーアに関連する力によって、何かが起こった結果、そのような事になっていた。だから、アルクェイドは知らなくても借りは返そうとファルケに頼み事をした。コートの内側から取り出した何かが入った袋を咥えると、ファルケはアルクェイドが開いたドアから勢い良く飛び出していった。陽光で眩しそうに目を細めながら、アルクェイドはファルケを見送った。支援課の方に消えていくファルケに満足して、アルクェイドはメゾン・イメルダからでて階段を降りていった。

 

*

 

 アルクェイドは欠伸をしながら歩いていた。眠気を噛み殺しながら歓楽街にある自らが所有する劇場――アルカンシェルへと入っていった。その中では団員たちが練習を始める前の準備を行なっていた。機械の整備をする者、より高度なパフォーマンスをするために入念に体を解す者、役者の衣装を繕ったり、舞台の掃除をする者。全員が各々の仕事をし、一体となって演目を完成させようと動いていた。その光景は観覧席の最後列からでも見られた。それを見たアルクェイドは何処か嬉しそうに口元を微かに緩めていた。

 

「あら、久しぶりじゃない」

 

 そんな彼に背後から話しかける人物が居た。

 

「イリアか」

 

 アルクェイドに話しかけたのはこのアルカンシェルの花形スターのイリア・プラティエだった。彼女が自分の背後から話しかけてくるのに、少々驚いていた。

 彼女がここの一番のスターであるのは才能は勿論、弛まない努力の結果だ。スターである彼女は誰よりも努力しているのはアルクェイドも知っている。だからこそ、皆が準備している中で、彼女だけがここに居るのは些か不思議だった。

 

「これから良いものが見れるわよ」

 

「良いもの?」

 

 アルクェイドの顔に出ていたのか、イリアは笑いながら舞台の方を指さした。それ釣られてアルクェイドは舞台を見る。彼女の指の先には、先程まではいなかった一人の少女が中央に立っていた。

 

「あれは……シュリ」

 

 少女が誰か分かって名を呟いた時、シュリは動き出した。普段とは違うイリアやリーシャが着ているのと似ている舞台衣装を纏い、舞い始めた。体を縮め伸ばし、足や手を使い、体全体で演技を表現している。

 

「こいつは…………」

 

 イリアやリーシャに比べて、まだまだ荒削りではあるが、それでも演技としての質は高い。足捌きなど所々技量としては足りない部分も多いが、一番大事な気迫などアルクェイドが良く言う『輝き』というものは十二分に感じられた。魅せること、演技において一番重要なことをシュリは出来ていた。初めて見るということも有り、アルクェイドは一度も逸らすこと無くシュリを見続けていた。その横で何故か得意気な顔でイリアが微笑を浮かべていた。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 演技が終わったのか、シュリは結構な汗を拭いて息を整えていた。そんな彼女の耳に少しの拍手の音が聞こえて、面を上げた。シュリの視線の先にはアルクェイドとイリアが拍手押しながら舞台へと歩いてきていた。

 

「イリア姉に……アル!?」

 

 イリアに薦められ、練習が始まる前に以前から進めていた公演の演技を練習する所にアルクェイドが居合わせたと言う訳だった。彼が見ていることに気付かなかったシュリは、気恥ずかしくて逃げ出しそうにキョロキョロと隠れられそうな場所を探している。

 

「そこまで挙動不審にしなくてもいいじゃない」

 

「ああ、実に素晴らしい輝きだった」

 

 尊敬しているイリアや恩人のアルクェイドに純粋に褒められたのが嬉しくも恥ずかしそうに少し顔を赤くして下を向いている。

 

「今のはシュリに出てもらうつもりの演目の演技よ」

 

「ふむ……練度は未だ荒いが、新人の技量としてはまずまずといったところか」

 

 アルクェイドは少々興奮していたのに、いきなり冷静となり淡々とシュリの演技を評価する。他にもつらつらと評価を言うが、評価としては良くとは言えない。

 

「ま、そんなものよね」

 

 イリアもアルクェイドのその評価に言うところがないようで、それに同意している。それに対してシュリは同じように下を向いているが少々落ち込んでいるようだ。そのシュリの態度にアルクェイドとイリアは少しだけ口元を緩めた。

 

「そんな気にするな」

 

 アルクェイドはシュリの頭に手を置く。ワシャワシャと髪を掻き乱して笑う。

 

「くっははっ、そう落ち込むな。ここでやる以上、比べられるのはイリアやリーシャだ。彼女たちに比べて劣るのは致し方ないさ」

 

「そうよ。それでも、アルクェイドが褒めていたのは事実よ」

 

「おい」

 

 勝手なことを言うなと、アルクェイドはイリアを窘めようとするが、イリアは構わずに言う。

 

「さっきもシュリの演技に食い入るように見ていたんだからね」

 

「……え?」

 

 辛辣な評価を述べたアルクェイドが夢中に見ていたというイリアの言葉を信じられずに、シュリは面を上げた。上げた先にはイリアの笑顔が有り、そのやや後ろにはそっぽを向いたアルクェイドが見えた。

 

「今日はついでにメンテナンスもしておく。用があったら呼んでくれ」

 

 アルクェイドはシュリとイリアの視線から逃げるように舞台の袖から裏に周る。

 

「逃げなくてもいいでしょうに」

 

「な、なぁ。本当に?」

 

「何が?」

 

「本当に、アルが俺のこと褒めていたのか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「そっか……」

 

 イリアの言葉が信じれず、再度問うと同じ言葉が返ってきた。それでシュリは嬉しくて俯向きながらも口元を緩めて笑い、アルクェイドが消えた方向に視線を向けた。そんなシュリをイリアは微笑ましそうに見ていた。そんな彼女たちに近づいて来る者がいた。

 

「すいません、遅れました。………どうかしたんですか?」

 

 それはリーシャだった。彼女は駆けて来ると呼吸を整えていた。二人の様子がおかしいことに首を傾げた。

 

「なんでもないわよ。ねぇ、シュリ」

 

「うん、何でもない」

 

「……?」

 

 イリアとシュリの普段ではしない対応に、リーシャは更に首を傾げるしかなかった。


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