クロスベルへと向かうまでの湖上を走る一隻の船。
ランディは巧みに操縦しつつ、クロスベルの湾岸区を目指す。
そして、そこが見えた時に緑髪の少女は何かに惹かれるように船の後ろの方へふらふらと歩いて行く。
「キーア?」
先ほど、シュヴァルツオークションで救出した少女のいきなりの行動に首を傾げながらランディを除く三人が後に続く。
キーアはどこか虚ろな目で、虚空を眺めている。
「…んで?」
キーアが何かを微かに呟いたが、それは波とモーター音でかき消されて、ロイドたちには届かない。
「…がい、…めて」
何かを感じたキーアは力なくその場に坐る。
その行動が先ほどの脱出劇の恐怖からだと勘違いした支援課は彼女を抱きかかえて戻る。
その間も、キーアの視線は同じ方向を眺めていた。
「そこまで、そこまでじゃよ」
アルクェイドが手を上げた瞬間にその声は響いた。
年老いた老人の嗄れた声が、アルクェイドの行動を止めた。
アルクェイドが声の方に視線を向けると、そこにいるのは杖をついた老人と白いローブを頭まで被り、老人よりもやや低い人物の二人だった。
「誰だ、てめぇ…」
「ほう、私に敵意を向けるとはまだ思い出してはおらぬようじゃの」
老人は一人で何かを納得して長く生えている顎髭を撫でる。
「何を言ってやがる」
「予想通りとはいえ、些か期待はずれじゃ」
老人はアルクェイドの声を無視してやや大げさに動きながら明らかな落胆の声を出す。
そして、ソレを言い切るととても冷たい目でアルクェイドを、否、その場に居るエステル達を含めた三人を見た。
その目には失意の色が宿っていた。
「まぁ、よい。
思い出してもらうだけじゃから問題はなかろう」
さしたる問題ではないと言い切り、老人は持っていた杖で地面を一度叩いた。
カツンとした音に、白いローブの人物がアルクェイドに目を向ける。
その目は碧色だった。
「―――――――――」
アルクェイドがその碧の目を見た瞬間に彼は絶句した。
そして、彼の脳裏に広がる光景。
「あ………ああ………」
全てが走馬灯の様にフラッシュバックし、それが何かを理解する瞬間――
「おめでとう、これで君は自由だよ、好きに生きるといい」
記憶の中のカンパネルラがそう言った瞬間、脳裏の光景がガラスのように砕け散った。
「はぁっ――――はぁっ!?
ぐっ、かはっ――」
アルクェイドは胸を抑えつつ、胃液を吐き出した。
「おぅえっ――」
胃液を全て吐き出しても吐くという行為を止められない。
いくらえずいてももう口からは何も出てこない。
「っんでだよ……」
ようやくえずくことはなくなったが、気持ち悪さは止まらない。
そして、先ほど違う脳裏に浮かび続ける人物の顔が浮かんでくることに理解が得ない。
「どうして、ここであんたが関わってくるんだよ――」
アルクェイドは空を見上げて盛大に叫んだ。
浮かび続ける顔の人物の名を――――
「マイスタアアアアアアアアァァァァ!!?」
「ふむ、なるほどなるほど」
納得がいったと老人は顎髭を撫でる。
「さすがは蛇、と言ったところかの?」
老人は髭を撫でるのを止め、杖を仕舞う。
そして後ろを向いて歩き始めた。
まるで、もう興味はないと言わんばかりに。
「何をしておる、ゆくぞ」
動かない白い人物に向けて言うと、動くことを確認もせずに歩いて行く。
その後を、ゆらゆらと力なく続いていく。
「待ちなさいよ」
エステルはフラフラになりながらも立ち上がって彼らに棍を向ける。
「私は君に発言の許可をした覚えはない」
振り向くこともせずに老人は冷たくエステルに言う。
そして、老人たちは足を止めることもなく視界から見えなくなってしまった。
「何なのよ、本当に……」
彼らが完全に消えたと判断して、エステルもその場に座り込む。
そして、力なくヨシュアに視線を向ける。
ヨシュアは少し身じろぐとゆっくりと目を開けた。
「ヨシュアァ……」
泣きそうな顔でエステルはそれに安堵した。
「エステル……」
ヨシュアは立ち上がるとエステルの側へと近づいた。
「ヨシュア、あんまり動かないほうが……」
「大丈夫だよ」
エステルの言葉にヨシュアは笑顔で答える。
「それにアルが僕を殺すなんて有り得ないからね」
異常なほどの信頼と言えなくもない言葉をヨシュアは言う。
ここまでの過激な戦闘を見て、そんな判断を下せるわけがない。
さらにはアルクェイドは確かに最後に死ねとヨシュアに向かって言った。
「なんでそんなことが言えるのよ?」
エステルがそういうのは当然だし、むしろ殺さないということが信じられない。
「彼には彼の矜持があるということさ」
ソレはアルクェイドもまた、一人の狂人だということに他ならない。
狂人にはそれぞれ個人の矜持、ルールがある。
他から見たら下らない事でもあるし、それに縛られる故に行動を制限することもある。
だが、狂人にとってそれは命よりも遥かに価値あるものだ。
故にそれを侵さない限り、狂人は牙を剥くことはない。
「傷は酷く見えるけれど、大分手加減されたからね」
見た目ほど酷くはないとヨシュアは言う。
それでもそれなりの怪我には違いはないが、致命傷に至るものはひとつもない。
「アルが本気を出したら誰も敵わないよ。
戦いにすらもならない」
エステルは違和感があった。
ヨシュアの言葉、傷、そしてアルクェイドの言動。
何かがおかしいと、エステルは感じていた。
先ほどまで、明らかにアルクェイドは敵意を向けていた。
なのに、ヨシュアは殺されないという。
見た目ほど酷くないというのも事実だろう。
ならば、何故、アルクェイドの言葉は殺しにかかっていのか。
何故、行動は傷を与える程度ですんだのか。
そんな疑問がエステルの頭の中で蠢いていた。
「それよりも……」
ヨシュアはエステルから視線を外して、アルクェイドを探す。
ヨシュアは自分が先ほど倒れていた近くにアルクェイドが倒れているのを見た。
「アル!?」
慌てて駆け寄って彼の体を揺する。
その時に、ヨシュアの掌にぬっとりとした感触があった。
「え……?」
それを確かめるように掌を翻すとそこには月明かりに反射して見える真っ赤な色。
異常なほどの血がコートだけでなく、地面も真っ赤に染め上げていた。
そして、コートから落ちたのか、すぐ側に青い錠剤の入った袋が側に落ちていた。
ヨシュアはそれを拾って、アルクェイドを担ぐ。
「エステル、急ぐよ!」
「ちょ、ちょっと待って!?」
状況の理解が追いつかないエステルは棍を支えにしながらも立ち上がる。
「早くしないと、アルの古傷が開いてるんだ!」
「古傷って何よ!?」
「いいから早く!」
ここに来るときに乗ってきた船を目指して二人は駆ける。
その間にも異常な量の血が絶えず流れていく。
「死ぬなんて許さないからね!
死ぬならせめてレンの場所を言ってから死になさい!」
「無茶な……」
船が見えてきたところでエステルはアルクェイドにそんなことを言う。
それにやや呆れながらも船に乗り込んで発進させた。
そのエステルの言葉に答える言葉はなかった。
そして、エステルとヨシュアはアルクェイドをこっそりとギルドに運んだ。
軽く傷の手当と人払い、ギルドには全ての事情を話せないが、手当くらいは見ることを許可してくれた。
二人のただならぬ事情を察してのことだった。
そして、アルクェイドは目が覚めないまま、3日経過した朝にアルクェイドはギルドの部屋からいなくなっていた。
誰にも見られることもなく、姿を消した。
彼が寝ていた場所には一本の根と二対の剣が置かれていた。
そして、彼が消えた後にクロスベルの裏社会に一つの噂が流れ始めた。
願いを叶える力を与えてくれる人がいると――――