全ては終わりから始まっていた。
「えッ……?」
「どうしたんだ、キーア?」
樹が崩壊する寸前、キーアは感じ取ってしまった。
このままでは訪れてしまう悲劇。
それを視てしまい、それはもう既に手遅れなのを理解してしまった。
一つ目はレンを襲う悲劇、二つ目は先程目の前で仮死状態にされてしまったイアン、三つ目はイリア……
「そんな……、なんで今更ッッッッ!?」
「キーアッ!?」
かつてロイド達が死ぬことを知った時と同じくらいの悲しみがキーアの心に溢れた。
それは先程まで明るく希望に満ちていたこの空間が一瞬でそれが塗りつぶしてしまった。
「そんなダメ!?
だ……れ……か……
誰……か……
誰か、助けてッッ!!」
力は既になくなりかけていることも承知でキーアは願ってしまった。
否、それを考えることすらなく、只々願ってしまった。
その反作用で何が起きるかも分からないままに。
そしてそれは幸か不幸か届いてしまった。
因果を弄ぶ力を持った幼き少女の願いは届いてしまったのだ。
これからどうなるかも解らない儘……
「…たくっ、ガキは脳天気な顔して笑ってりゃ良いんだよ。
好きなだけ泣け、笑え、怒れ、子供ってのはそういうもんだ。
小難しいことは大人に全部任せてたら良いんだよ……
だから……難しいことは俺に任せろ……な?
さぁ、最後は俺の軌跡見せてやるよ」
一つ目の悲劇は、パテル=マテルが壊れてしまったことだ。
ヨシュア曰く、もう直せないとのこと……
彼女の過去から考えるに彼女はとても弱い。
戦闘能力ではなく、心が……だ。
彼女は今まで殻に篭っていたからこそ、耐えてこられたのだ。
その殻は、レンがかつて『楽園』と呼ばれていた場所にいた時に作られたものだ。
『楽園』はペドフィリアに対する売春をする施設だった。
そこにはレンと数人の仲間たちがいた。
①リーダーの『クロス』
②好奇心旺盛の女の子・エッタ
③可憐で大人びた女の子・アジュ
④いつも殴られている男の子・カトル
⑤お姫様の『レン』
それ以外にもいたがレンは『どうでもいい』と思っていた。
しかし、お姫様である『レン』には仕事が来ませんでした。
他の子達が痩せ細ろえていく中、自分だけはおいしいものを食べ、お人形で遊んでいれば良かった。
何故、レンには仕事が来なかったのか……?
その理由を彼女は『特別だから』と言い、周囲の子供達も『レン』が喜んでくれればそれでいい、と口にしていた。
普通に考えれば一人だけ苦痛を味わないなんて理不尽が子供たちに我慢できるわけがない。
けれど、次第に他の子供達は段々と消えていきました。
ある日、『レン』は『クロス』に問いました。
「他の子達は何処に行ったの?」と……
それに対して『クロス』の返答はこうだった。
「ここは元々、僕とレンだけの世界だ」
さらに『クロス』は続けて言う。
「他のみんなはすぐに殺しちゃったくせに。
なんで僕だけ生かしておくんだ」
それは『クロス』が疲れていからだった。
他のみんながいなくなったから疲れているのだ。
クロスが疲れているから、他のみんなが消えた。
《身喰らう蛇》は崇高ではない無粋な組織を潰す事がある。
今回の対象は『楽園』だった。
その時やって来たレーヴェは『クロス』の体にある無数の十字傷を見て言った。
この無数の『クロス』は自分で傷つけたものだ。
自我を保つためにやったのだ、と。
つまり、クロスとは『レン』という人格を守るためにつけた傷の事。
他の仲間とは、レンが持つの人格の事なのです。
本当に別の子供がいたわけではなかったのです。
客から様々な注文を付けられ、多くの嗜好に合わせなければならなかった。
その中で、本当の『レン』を守るために、生まれた人格があの4人。
どの人格も彼女の一部である。
本当の『レン』という人格は、彼女が自我を保つために、クロスを始め、4人の子供達を生み出だし、演じました。
そうする事で自分を守るしかなかった。
『クロス』がリーダーだったのは、傷を刻む事がもっとも彼女を保つ術だった。
しかし、その最後の人格さえも壊れてしまう時が来た。
もう彼女を守る
そして本当の『レン』さえも傷付いてしまう前に身喰らう蛇が『楽園』を壊しに来た。
その後の『レン』は執行者となり、執行者としてとても優秀だった。
天才であった彼女は、また別の道を見つけたのに、それでも本当の自分ではなかった。
同じように自我を守る偽りの自分を作り出したのだ。
しかし、不幸なことに優れすぎていたからこそ、それは周囲に認められてしまった。
だから彼女の心は全く強くはない。
今までずっと目を逸らし、逃げ続けてきたのだから……
だが、その執行者の『レン』をエステルに壊されてしまった。
エステルならば本当のレンを救うことは出来るだろう。
ヨシュアを救ったように。
太陽のように照らすことで、きっと救えるはず───だった。
しかし、すでに
まだ、心が強くなっていないレンにとってこの衝撃はとてつもなく大きすぎた。
本当のレンはそれに耐えられはしなかったのだ。
今しばらく、時間があれば何とかなったかもしれないが……
それに耐えられなかったレンはまともな受け答えどころか、食事すらまともに喉を通らなくなってしまった。
日に日に衰弱していくレン。
それを世話するエステル達もとても悲しんでいた。
キーアはこの光景を視てしまった……
ロイドたちを助けるために勝手に呼び寄せた……
自分の我侭で振り回してしまったから、彼女はパテル=マテルは壊れてしまい、レンは廃人へとなってしまった……
キーアはその事実を視てしまった。
だからこそこの未来を認めたくなかった。
だから、願ってしまった。
キーアが知覚した二つ目の悲劇はイアン先生だった。
彼は先程キーアの目の前でマリアベルに攻撃された。
確かに彼女は仮死状態にしただけだったかもしれない。
しかし、攻撃の衝撃でそれなりの速度で柱に叩き付けられ、内蔵も幾つか壊れてしまっているだろうということは容易に想像できるだろう。
果たして、それだけの重症を負いながら、明らかに遅い手当で命を取り留められるのか?
どう考えても答えはNOである。
仮に命だけは助かったとしても、目が覚める可能性は極めて低い。
しかし、この事件の後でクロスベルを襲う悲劇。
帝国の侵略に抵抗するにはイアンの力は必要不可欠だ。
ロイドたちの性格などから鑑みるに、帝国に抵抗するのは必至。
そこで彼の力が欠けた状態では唯でさえ、分が悪すぎる彼らが命を落とす可能性は高くなるだろう。
仮にそうなってしまってからでは遅すぎる。
その時にはもうキーアの因果を弄ぶ力はなくなっているのだ。
-もうあの時の悲しみを味わいたくない
その一心でキーアは切に願った。
この要因が彼女に幸せを願う気持ちを強くさせた。
三つ目の悲劇はイリア・プラティエ。
アルカンシェルの花形スターである彼女。
太陽のような彼女は多くの人を魅了した。
舞台の上では勿論、プライベートの時でもその性格や行動で様々な人を惹きつけた。
しかし、彼女はイエーガーのクロスベル襲撃で重症を負ってしまう。
脚に関してはもう動くことすら怪しい。
それでも彼女は決して諦めなかった。
リハビリは大きな苦痛を耐え忍び、それでも懸命に真っ直ぐに突き進む彼女の姿は周りからは輝いて見えたことだろう。
そして、念願のリハビリの成果でウルスラ病院の医師によって脚が回復したことを告げられた。
それから彼女は今までの時間を取り戻すかのように舞台で練習を重ねた。
その姿を見ていたリーシャも安堵していた。
リーシャは自分がいたからシャーリィがアルカンシェルを襲撃したと思っていた。
だが、事実はそうではなく、彼女がいなかった所でイエーガーはアルカンシェルを襲撃しただろう。
そして、練習に練習を重ねたイリアは遂に公演の舞台に上がる。
しかし、ここで悲劇に襲われた。
イリアが舞台に上がることが確定したことにより、新聞社によって大々的に取り上げられることになった。
クロスベルの中でイリアを知らぬものは居らず、誰もが彼女に魅了されていた。
その彼女が襲撃によって重症を負い、リハビリを経て、再び舞台の上に上がる。
これほど人々を騒ぎ立てるモノはないだろう。
リハビリをしている間も何かと彼女の記事が多く書かれていた。
中には『イリア、再起不能か!?』等といったゴシップ記事が大いに出回った。
時の人である彼女の行動はクロスベル全体に大きく影響を及ぼしていた。
そして遂にその復活劇のクライマックスに悲劇は起きた。
復帰最初の公演のクライマックスだった。
彼女は突如、膝をついた。
その行動に誰もが呆気に取られ、目を疑った。
そしてそのまま、彼女は倒れ、会場は沈黙に支配された。
誰もが願わず、信じられないことが起こったのだ。
その日はそのまま幕が降り、イリアは再び病院に行く羽目になった。
そして精密検査の結果、イリア・プラティエは再起不能を申告された。
この日以来、彼女は自分の脚で立つことすら出来なくなってしまった。
それはクロスベルに大きな影響を与えた。
イリアはクロスベルにとって大きな希望だったのだ。
グノーシスの薬物事件、イエーガーの襲撃、クロイス家の野望、そしてディーター大統領による独立宣言。
これら全ての事件がクロスベルに大きな影響を与え、未だに修復すら儘ならない状況での、帝国の侵略。
その絶望の中でのイリアは正しく希望だったのだ。
その希望が瞬く間に絶望へと変わった。
太陽な彼女が一瞬で沈んでしまったのだ。
明けない夜が無いように、沈まない朝もないのだ。
そして、此度の朝は短すぎて、さらに深い夜を呼んでしまった。
一瞬の煌きはさらに深い闇を演出するだけに終ってしまったのだ。
一度でも……
たった一度でも公演が成功していたならば、それは希望になったかもしれないが、それは果たされぬままに、より印象的な絶望を植えつけただけだった。
イリアの脚が、まだ少しでも動くならば状況が変わったかもしれないが、微塵も動かすことが出来なかったのだ。
クロスベルは希望から一転、絶望の底へと落とされたのだ。
そして、この事件で一番影響を受けたのは他ならぬリーシャだった。
彼女はイリアに対して後ろめたく思っていた。
自分の存在が、『銀』という存在が災い呼んでしまったのだと思っていた。
そして、その数日後、リーシャはクロスベルから姿を消した。
彼女はやっと見出した光の道を自らの意志で閉じたのだ。
『銀』へと、復讐の道へと堕ちていったのだ。
それから『銀』の名は裏世界に轟き始めた。
より残忍、より残酷な殺し方を始めた『銀』
裏世界でその名を知らぬものとなり、大いに恐怖を与えた。
リーシャの失踪はすぐさまイリアに告げられて、それを聞いた彼女は一言だけ呟いた。
「今、あの娘は何処で何やってるのかしらね……」
その呟いた姿は普段からの彼女からは想像できず、何処か寂しげな姿だったという。
キーアは知覚してしまった。
この大いなる絶望を、誰もが包まれる絶望を。
故に彼女は願った。
この絶望を希望へと変える可能性を……