夕方に一時的に寝付いてしまい、夕食の時に起こされたとは言え、睡眠とは十分取ってしまうと勝手に起きてしまうものだ。
ティオはまだ外が白い光で明るくなってきている早朝に目覚めた。
皆が起きる時間までベットで転がっていようと考えたが、昨日思い出した光景が幾度と甦る。
体を動かせば多少は気が晴れると思ったティオはもそもそとベッドから出た。
「やっぱりこの時間は気温が低いですね」
この時間は一番人がいないため、彼女が周りを見ても誰もいない。
少し歩いて広場の鐘に来た時だった。
ティオは他人より感知能力が高く、裏通りに無数に動く気配を感じた。
「こんな時間に何でしょうか?」
不思議に思い裏通りに近付くと思わず鼻を防いでしまう程の異臭が漂って来た。
「う……これは……」
かつて、あの時に見た光景が脳裏に鮮明に思い出す。
いや、目の前の光景はそれ以上に酷い。
生臭い鉄分と肉の腐敗臭。
それに視線を向けるとぐちゃぐちゃとそれを貪るカラスの群だった。
バラバラに裂けた腕や足、指。
死肉に群がるカラスどもはそのクチバシで目をつつき、ハラワタを抉る。
「あ……ああ……」
その光景にティオはその場で腰を抜かしてしまった。
悲鳴を上げたくとも恐ろしさで声が出せない。
口を動かしても恐怖で歯が震えてカチカチと音を鳴らすだけ。
初めは気紛れだったのに……
どうして自分はこんな悲惨な光景を見ているんだ。
忘れたくとも忘れられないあの時の記憶に呪われているかのように錯覚する。
「ああ……どう……して?」
−なんでだろう、わたしがこんな目にあっているのは?
わたしはただ、あの人に会いたいだけなのに−
そう思ったときティオの背後から二本の腕が伸びてきて、ティオの体を引き寄せた。
何者かの胸元に引き寄せられて、顔が見えるよりも早くに頭を胸に抱えられた。
その時にコートの裏側にある銀細工が目に入った。
「大丈夫だ、安心しろ」
−やっぱりアレは−
「やっぱり憑いて来たか、死神」
その言葉を最後にティオの意識は途切れた。
「ティオ助がいなくなっただぁ!?」
特務支援課にランディの声が響いていた。
朝食時になっても現れないティオを呼びに行ったのはエリィだった。
ドアをノックしても返事がなく、部屋の中に入ってみるとそこは無人だった。
「部屋には誰もいなかったわ。
オーバルスタッフはあったから市外には行ってないと思うのだけれど……」
「散歩じゃないのか?
ティオ助もそこまで子供じゃないんだ。
心配し過ぎだろう」
「だが、さすがに食事の時間になっても戻ってこないのは気になるだろう」
いなくなったティオを心配しているとそこに通信機が鳴った。
「はい、特務支援課です。
はい……
なんですって!?
……分かりました。
それでは市内を定期的にパトロールします」
通話が終わるとロイドは他のメンバーに振り向いた。
「なんだったんだ?」
「裏通りで殺害事件があったそうだ」
「ええ!?」
「何だと!?」
「被害者は男性、カラス等により損傷が酷いため、身元の確認は取れていない」
「最近多いわね……
今週に入ってもうすでに三人……」
「ああ、それで今回は緊急のモノがない場合は基本的に市内を巡回して欲しいそうだ」
「街の奴らも不安だろうしな。
巡回ついでにティオ助も探さないとな」
「ああ、今日は各自指定の場所を巡回してくれ」
「分かったわ」
ティオの欠けた特務支援課の一日が始まった。
「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない」
死神は闇の中を漂う。
血に塗れた手からポタポタと血が垂れる。
「あの人の作品を勝手に奪うなんて許せない」
死神は正しく呪詛の様に発していた。
同じ場所をグルグルと円を描く様に歩く。
足元にある大量の水分が足を出す度にビチャビチャと音がする。
「あの素晴らしい価値を理解出来ない輩がそれを持つことなど許せない」
その呪詛はまるで何かを讃えるように呟かれる。
「僕が初めての理解者なんだ」
恨むように、悲しむように、羨むように死神は呟く。
「だから他の奴らがそれを汚すなど許されないことだ」
その空間に常人が踏み込めば、一瞬で気を失うくらいの狂気と血臭が充満していた。
死神はしゃがみ込み、足元に満たされた血を掬い、目の前のモノに掛ける。
まるでそれは神像を清めの水で浄化する様だった。
「後にも先にもあの人の理解者は僕だけなんだ」
死神は讃えながら目の前のモノに血を注ぎ続けた。
「だから僕はあの人に捧げ続けるんだ」
アルクェイドに抱えられたティオは住宅街の誰もいない屋敷に連れて行かれていた。
ソファにアルクェイドのコートを敷き、その上に寝かされていた。
「私まで連れ出すなんて、ここはちょっと都合が悪いのだけど」
「分かっている」
ティオを見守るアルクェイドに溜め息をつきながらレンは文句を言う。
アルクェイド自身もレンをこの住宅街に連れて来たくはなかった。
しかもこの昼間に……
この住宅街にはレンの本当の親が住んでいるのだ。
ある程度は鉢合わせにならないように気をつけてはいるが、不確定要素はある。
レンは親に捨てられていると思っていたのだ。
「それでも、お前には伝えておかないといけないことだ」
「一体何だと言うのよ?」
「死神が現れた」
「ッッッッ!?」
アルクェイドの言葉にレンは息を飲んだ。
「あの狂人が現れたの?
本当に獣のように鼻が利くわね」
「人は捨てている」
「既にその身は畜生の身ってね」
「笑い事じゃない」
アルクェイドとて死神は厄介だった。
レンは言うように死神は異様に鼻が利く。
自分よりも強者……
レンやアルクェイドとは絶対に出会さないのだ。
一回、彼らで死神を消そうとしたのだが、噂があっても出会いはしないのだ。
それ程にまで鼻が利く。
「それでこの娘はどうしたの?」
「死神の現場を見ていた」
「あら、御愁傷様ね」
「……………………」
出来るだけ辛気臭い空気にしないとレンは軽口を言うが、重い空気は変わらない。
「……ま、待って…くださ…い」
魘されているティオは藻掻くように手を動かし始めた。
その手の動きは何かを掴もうとしているようだ。
「待って、下さい…わたし……つれっ」
何かを願うように手を伸ばすティオ。
けれど、その手は空気を掴むだけだった。
目からは涙が流れていた。
「何を魘されているのかしら?」
「さあな」
レンの言葉に冷たく返すとアルクェイドはティオに近寄った。
「安心しろ、お前は何も見ていない」
普段の言動からは想像できないほどの優しい言葉を宙を漂うティオの手を握って言う。
その光景にはレンも驚いていた。
暫く魘されていたが、ティオは落ち着いた。
「どういうつもりなのかしら?
返答によっては……」
あくまでも笑顔でレンはアルクェイドに言う。
「俺が原因なのだから、最低限のことはしないとな」
「アルのせいじゃないでしょ」
「俺が来たから憑いて来た様なものだ」
「それはどうかしらね」
死神の行動理念は確かにアルクェイドが元になっている。
しかし、今回の原因とはあまり関係ないとも言える。
死神はアルクェイドの作品のある場所に現れるのだ。
それは最初の事件からだった。
気紛れで孤児に渡したペンダントを何処で知ったのかさえも分からない。
だけど、そこに死神は現れた。
「………………」
歯痒いアルクェイドは奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締める。
「アル……」
そんなアルクェイドにレンは背後から抱きついた。
本当は抱きしめたいのだろうが、彼女らの身長差ではレンが抱きついてるようにしか見えない。
アルクェイドは死神のことになるといつも自分が原因だと言う。
その度にアルクェイドは自分を責める。
そんなアルクェイドをレンは幾度と見てきた。
だが、そんなアルクェイドに抱きつくのは初めてのことだった。
「……アレは俺が作り出したような物だ」
「それってどういう……?」
「あ……」
その意味を問おうとする前にティオが目覚めた。
「……私を連れて行って下さい」
「は?」
ティオは目を覚ますと、暫く視線は宙を彷徨っていたが、アルクェイドを見るとそう呟いた。
アルクェイドは何を言われたか分からなかった。
「夢の内容じゃないかしら?」
アルクェイドに抱きついたまま、レンは目を覚ましたティオを見た。
数度瞬きするとティオはようやく此処を何処か確かめるように視線を動かした。
「あの……ここは?」
見覚えのない場所だと気づき、ティオは目の前のアルクェイドに尋ねる。
「此処は住宅街の空き家よ」
ようやくアルクェイドから離れたレンはアルクェイドを押しのけてティオの前に出る。
「あの私は一体……」
「思い出さないほうが良いわよ」
気を失う寸前に何があったか思い出そうとするティオをレンが止める。
「俺は支援課の奴らに伝えてくる」
「あの、私も行きます…っ」
ティオがいることをアルクェイドがロイドたちに伝えようと外に向かうと、ティオは起き上がろうとするが体が悲鳴を上げた。
何もしてないとはいえ、目を疑うようなことに出会い、トラウマを思い出したのだ。
頭が悲鳴を上げて当然だった。
「いいから、寝ておきなさい」
レンに押されるままにティオは寝かされた。
-私を連れて行って下さい……か-
「レンちゃん、聞いてもいいですか?」
アルクェイドが出て行ってから数分後、寝かされているティオは口を開いた。
「なぁに?」
「あの人は何者なんですか?」
「どういう意味?」
質問の真意が分からずにレンは聞き返した。
「あの人は……」
それから先を口にしていいのか分からず、ティオは口篭もった。
「恐らく、アナタが思っている通りの人よ」
ティオの言葉から察したレンはそう言った。
「そうですか……」
それを聞いて安心したのかティオは目を瞑ると、先程とは違う安らかな寝息が聞こえ始めた。
「俺をお前たちと一緒にするな!」
かつての記憶。
忌々しい、人体実験の頃の記憶。
そこにあの人は現れた。
わたしよりも少し年齢が上だと思う青年と少年の間の人。
先刻まで無関心な表情だったのに、一瞬で激高した。
わたしの場所からでは何を言われたか聞こえなかったけど。
ぐるぐると何処から出しのか、わたしをいつも傷めつける人を鎖で縛り上げていた。
それでもその人はわたしを見るときと同じ顔で嫌な笑顔をしていた。
その人がさらにあの人に何か言うと、その人はさらにきつく鎖を締め上げられた。
限界以上に締め上げられたあの人は血をぶちまけて死んだ。
一緒に肉片も私の方に飛んできたりしたがわたしは何も気にならなかった。
今まで苦痛を与えてきた人がいなくなった。
その事実がわたしの中でとてつもなく嬉しかった。
これでもう痛くされないのだと思ったから。
激高した感情を息荒く沈めようとしているあの人はわたしに気づくと歩み寄ってきた。
わたしの目の前まで行くとわたしの顔に付いた血や肉片を手で擦り落としてくれた。
ずっとわたしはそれを呆然と為すがままにされていた。
わたしはあの人の首から下げられた歪な形の翼が目についた。
そして、未だ少年に近い男はわたしの手を掴んだ。
「いたぞ!
アレらを使え!」
「くそっ」
「……いや、助けて……」
あの人が後ろを向くと同時にわたしはそう呟いていた。
あの人の背後から声が聞こえる。
それと共に獣のような声が聞こえる。
それはわたしと同じ子供だった。
だけどそれは最早人とは思えない動きをしていた。
あの人はそれから逃げるように獣をかわしながら部屋を飛び出た。
「くそ、あいつはなんなんだ。
おい、コイツらを別の部屋に入れておけ」
獣を連れてきた人が側の人に行ってわたしを強引に引っ張っていく。
あの人はいなくなってしまった。
やっとこの苦痛から助けてくれると思ったのに。
わたしは別の部屋に入れられてまた苦痛の日々を過ごすことになった。
それからの日々はこれまでとは少しだけ変わった。
前の人が死んだからか、前ほどの苦痛ではなくなった。
あの人が助けてはくれなかったけど、多少の感謝はしている。
あの人が来てから数日後、わたしは別の人達が助けに来た。
「君に伝えることがある」
その中で一人がわたしに話しかけてきた。
「これは依頼主からの言葉なんだが……
あの時に君を助けられなくて悪い、とのことだ」
あの時のことはわたしも助けられた時は殆ど覚えてなかった。
あれは夢だと思っていたし、それを言われた時もまともな状態じゃなかった。
だけど、今日初めて分かった。
あの時の出来事は本当の事で、あの人はアルクェイド・ヴァンガードなんだと……