海鳴大学病院の中庭で、はやてやヴィータと一緒に狼形態のザフィーラを撫でていると、石田医師との面談を終えたシグナムが戻ってきた。
「取り敢えず現状では、麻痺の進行は無いのですわね。良かったですわ」
シグナムが医師から受けてきた説明内容を聞く限り、近々で問題になるような事態にはならないだろう。
「だが、あくまでも対症療法だ。闇の書…いや、夜天の魔導書の対処方針が未だ検討中である以上、油断は出来ないな」
「今はまだ『原因不明』なのですから、仕方ありませんわよ。後はユーノさんやリニスさん達が良い報告をしてくれるのを待つばかりですわね」
「まぁそうなんやけど、取り敢えず今は移動せえへん? シグナムも戻ってきたし、さっきからお腹の虫が鳴いて仕方あらへん」
はやてがそう言うと、まるで計ったかのように彼女のお腹が「くぅ」と可愛らしい音を立てた。
「はやては今朝、食事抜きだったからなー」
「我々だけ朝食を頂いてしまって、申し訳ありません」
実は守護騎士達も最初ははやてに付き合って朝食を抜こうとしたのだが、それははやてが良しとしなかった。微笑みながら「ちゃんと食べておかんと、いざという時私を護るだけの力が出せんかもしれへんよ? 」とはやてが言うと、渋っていたシグナムも漸く折れたのだ。
「ええんよ。検査が午前中やったから仕方あらへんし。ほな翠屋に行って、桃子さんの美味しい料理を頂こか! 」
シグナムが頷いて、はやての車椅子を押すと、ヴィータがザフィーラのリードを手に取った。
『…私は狼なのだが』
「仕方ねーだろ。一般人には犬と狼の区別なんてつかねーんだから」
「せやな。それに海鳴の条例で散歩中の犬はリードで繋いでおかなあかん。もう少し、我慢してな」
『……』
最初から人間形態で出掛ければ問題も無かったのだが、今日ははやてが珍しく我儘を言って、ザフィーラには狼形態で出掛けて貰うことになったのだ。
「前から犬を飼って、一緒に散歩したいって思っとったんよ。ザフィーラは狼やけど、一緒に出掛けられて嬉しいわ。あ、ヴィータ。後で私にもリード持たせて」
「ああ。ザフィーラ、構わねーか? 」
『…主が喜ぶのであれば、私はそれで構わん』
はやてがちゃんと守護騎士達を家族として受け入れてくれている様子に、笑みが零れた。守護騎士達が顕現した当日は、混乱もあってストレス障害を起こしたことを以前ヴァニラからも聞いていたが、もうそんな心配も必要ないだろう。
ただ嬉々としてリードを握るヴィータやはやての様子とは裏腹に、ザフィーラからは哀愁が漂ってくるように感じた。
守護獣とは言え、見た目が犬のまま翠屋に行くのは好ましくないだろうということで、念のため事前に連絡した上で一度高町家に寄ることにした。幸い高町家の人達はみんな守護騎士達と面識があるし、ザフィーラが守護獣であることも説明済みだ。
「ザフィーラだけお昼抜きにする訳にもいかへんしな」
そんな軽口を言いながら高町家の門をくぐると、士郎さんが態々待っていてくれた。
「お忙しいのに、態々ありがとうございます」
「いや、バイトの子達もいるからね、少し抜けるくらいなら問題ないさ」
士郎さんに玄関の鍵を開けて貰って中に入ると、ザフィーラは早速光に包まれ人間形態になった。
「すまない。面倒をかけたな」
「大丈夫、気にしてないよ。じゃぁ行こうか」
高町家を出ると、翠屋まではすぐだ。平日とはいえ、お昼時ということもあって店内はかなり混雑していた。
「今日は風もないし、日差しもそんなに強うないから、テラス席でええかな」
「はい。では主はやて、こちらへ」
シグナムがはやての車椅子をテラス席のテーブルにつけると、自分はその隣の席に腰を下ろした。ヴィータとザフィーラまで席に着くと、若干手狭な気がしたが、テーブルを2つ使うほどでもないだろう。
「うん、狼の恰好もええけど、兄ちゃんみたいなザフィーラも恰好良くてええな」
丁度向かいに座ることになったザフィーラを見て、はやてがそう言った。
「ありがとうございます、主はやて」
「…ちょっと堅いんが玉に瑕やけどな。まぁ、今はまだええけど」
「ザフィーラも、これが素ですからね」
はやての呟きに苦笑しながらシグナムがメニューを手渡した。
「ありがとうな。今日は…あ、日替わりランチセットが揚げ鶏の香味タレやな。私はそれにするわ」
「あたしも、はやてと同じのにする」
はやてとヴィータが早々にオーダーを決めると、シグナムもはやてに渡したばかりのメニューを覗き込んだ。
「成程、これは美味しそうですね。では私もそれで」
揚げ鶏の香味タレといえば、3年ほど前にクラナガンのショッピングモールで事故に巻き込まれ、食べられなかったメニューだ。結局その後、陸士隊の人の厚意でお弁当バージョンを貰うことが出来たし、自分でもタレを研究して何度か母さまやサリカさんと一緒に作ったこともあるのだが、そのことを思い出して懐かしさから俺も同じメニューを選んだ。
「…なら私も同じものを貰おう」
「ザフィーラさん、大丈夫ですか? 見たところ葱が使われていますし、恐らくタレには生姜とニンニクが使われていますわよ? 」
「大丈夫だ。葱も生姜も問題ない」
さっきまで狼形態だったため気になったので聞いてみたのだが、どうやらリニスと同じく香辛料ですら慣れてしまっているらしい。よくよく考えてみれば古代ベルカの守護獣なのだから、リニスなど比べ物にならない程長い時間を生きている筈なのだ。問題なくて当たり前だろう。
(もしかしたら、アルフさんもそろそろ食べられるようになっているかもしれませんわね)
アルフはまだ使い魔になってから3年弱ではあるが、そのうちフェイトと一緒にカレーライスを食べる日が来るのかもしれない。
そんなことを考えながら、配膳された揚げ鶏の香味タレをみんなで食べた。それは翠屋のメニューに相応しい、とても美味しいものではあったのだが、何となく3年前に食べたお弁当の味と似ているような気がした。
午後も暫くは海鳴に滞在し、夕方近くになってアースラに戻ると、ヴァニラがハラオウン家の養女になったことが一部の関係者に対して周知されていた。
日本の法律とは異なり、公文書以外では「ヴァニラ・H(アッシュ)」をそのまま名乗っても良いらしい。最初は原作のフェイトのように「ヴァニラ・H・ハラオウン」になるものだと思っていたのだが、そう言えば確かに原作でもフェイトを母としながらも、自らは「テスタロッサ」も「ハラオウン」も名乗っていなかった少年と少女がいた。
(エロオ…ではなくてエリオ、それから…キャロもそうでしたわね)
StrikerSを観ておらず、二次創作小説程度の知識しかなかった俺の頭にまず過ったのは、ラッキースケベ属性を持つ少年の二次創作的呼び名だったのだが、それはひとまず置いておく。いずれにしてもあの2人が「モンディアル」や「ル・ルシエ」を名乗ることが許されていた以上、ヴァニラも同様に扱われるということなのだろう。
「あ、でもまだヴァニラちゃんもアリシアちゃんも、暫くは地球にいるんでしょ? 」
なのはの言葉が、考え事をしていた俺を現実に引き戻した。放課後になって、アリシアと一緒にアースラにやってきたのだろう。そのアリシアがなのはの問いに答える。
「うん。こっちの中学校卒業までは、留学っていう体裁を取るみたい」
「そっか。こういう言い方もなんやけど、ちょっとだけホッとしたわ。アリシアちゃんともヴァニラちゃんとも、もっともっといろんなお話をしたいしなぁ」
ちなみにヴァニラ本人はこの場にはいない。俺達と入れ違いのような形で、リンディさんと一緒に高町家に報告に行っているのだそうだ。
「あ、はやてちゃん。みんなも、お帰りなさい」
みんなで雑談をしていると、シャマルもやって来て合流した。今朝ヴァニラに貸していたトリックマスターを手にしている。
「ヴァニラちゃんから預かっていたの。ありがとう、ミントちゃん。おかげで助かったわ」
≪Master, I accomplished the mission.≫【マスター、私はやり遂げました】
「お疲れさまです。今回は無事成功したそうですわね。良かったですわ」
模造レリックの回収手術が成功したことは事前に聞いていたのだが、なのはやアリシアにとってはヴァニラの養女問題の方が重要だったようで、ずっとそちらの話題ばかりしていたのだ。
「後はルル・ガーデンのオリジナルだけですわね」
「そうね…ただデータ上、模造レリックとオリジナルのレリックだと色々な意味で違いが大きいのよ。超高エネルギー結晶体としての純度もそうね。基本的な手術の手順は変わらないと思うけれど、万が一爆発してしまった場合の被害規模は劣化版とは比べ物にならないと思うわ」
シャマルの言葉に一瞬背筋が寒くなった。爆発の規模としては、計算上では恐らくアースラ程度なら軽く吹き飛ばしてしまうくらいのレベルになるのだそうだ。
「…最初に爆発したのがオリジナルではなかったのは僥倖ですわね」
「ミントちゃん、『ぎょうこう』ってなぁに? 」
話の途中でアリシアが聞いてきたので、ふとなのはを見ると目を逸らされた。確かに小学校で習うような言葉ではないだろうと思っていたら、意外なことにはやてが説明していた。
「僥倖いうんは偶然、思いがけなく手に入った幸運ちゅう意味や。たまに小説なんかで使われとるな」
「へぇ~、そうなんだ。ありがとう。はやてちゃんも良く知ってるね」
「本は好きやし、結構色々読んどるからなぁ。自然と覚えたっちゅう感じやね」
やり取りの様子に微笑みながら、改めて考える。今のところレリックが危険なのは爆発に関することだけだ。ただいくら爆発の規模が大きいとは言っても、次元干渉型エネルギー結晶体であり、複数の同時発動で次元断層にまで被害が大きくなるジュエルシードと比べれば、まだ現実的といえる。
だがレリックはジュエルシードよりも状態が不安定で、ふとした拍子に爆発してしまう可能性が高い。プレシアさんが通常の封印を施した後に更にコーティングしているのも暴発を防ぐためだ。
「被害程度はそんなに大きくなくても、常に状態が不安定で、すぐに発動してしまうレリック…それから普段は比較的安定していて発動し辛いものの、一度発動してしまうと世界規模での被害を起こす可能性があるジュエルシード…どちらも厄介極まり無いですわね」
週末に海中のジュエルシードを4つ回収してから今日で3日が経つが、その間アースラで念のためにと走らせて貰っているスーパー・エリア・サーチにも反応は全くない。更にその1週間前から地上での反応が無いことを考えても、残り4つのジュエルシードはテロ組織に押さえられているとみて間違いない。
だがそのテロ組織の詳細な情報は判っていない。ルルの口を割らせることが出来ればいいのだが、尋問しているのが素人の俺だけなので、それがまたネックになってしまっている。
(何とかルルに喋らせる方法があれば良いのですが…)
揺さぶりをかけるなら、もう1人の転生者と思われる人間の名前でも当てることが出来れば良いのだが、そもそも転生者が全員ギャラクシーエンジェルのキャラクターと同じ容姿や名前を持っているという確証もない。仮にそうだったとしても、脇役まで含めた全てのキャラクターを知っている訳でもない。
(順当に考えればルルの上司はシェリー・ブリストル、或いはエオニア・トランスバールなのでしょうけれど)
漫画版でのルル・ガーデンの立ち位置は、シェリーの配下でありながらも常にエオニアの傍に控えているシェリーに対して嫉妬心を募らせており、いずれシェリーに代わって自分がエオニアの傍に着くことを画策していた筈だった。
自分にとって邪魔な人間に対して、平気で死の呪いをかけるルルならば、仮にシェリーが原作と同じような立場だったなら邪魔者として処分しようとした可能性は無いとは言い切れない。
(確証はありませんが、候補の一つとして考えておきましょう)
その時、不意に嘗てフェディキアの空港地下で捕らわれた時のことを思い出した。あの時、俺はルルに対して「トランスバール皇国」という言葉を使ったにも拘らず、反応が無かったのだ。もしルルの知り合いがエオニア・トランスバールだった場合、皇国という単語は置いておいたとしても「トランスバール」には反応していた筈だ。
(つまりこの時点で、少なくとももう1人の転生者がエオニアではないことが判った訳ですわね)
そこまで考えて、俺は溜息を吐いた。確かに俺はミント・ブラマンシュだし、他の転生者にはヴァニラ・H(アッシュ)もいる訳だが、ここはギャラクシーエンジェルの世界ではないし、俺達を取り巻く環境だって大きく異なる。もし転生者が全てギャラクシーエンジェルのキャラクターと同じ容姿や名前を持っていたとしても、原作通りの立場ではない可能性の方が大きいのだ。
(漫画版ではルルの配下だった筈のレゾム・メア・ゾム…彼がテロ組織のリーダーである可能性だってありますわよね)
もっと言ってしまえば、アニメ版で噛ませ犬だったパトリック、ジョナサン、ガストなどがボスになっていてもおかしくない。つまり、この場でいくら考えてもそれは結局根拠のない推論でしかないということだ。
「ミント、大丈夫? 」
「ひゃいっ? 」
不意にかけられた声に驚いて、変な声を出してしまった。気が付くと、いつの間にか隣にフェイトが座っていた。
「あ…フェイトさん。いつからいらしたのです? 」
「ちょっと前からいるよ? 姉さんが来ているって聞いたから、ちょっと面白いものを見せようと思って来たんだけど…」
「すみません、少し考え事をしていたのですわ。というか、面白いものって何ですの? 」
フェイトが微笑みながら示す先には、真っ赤な顔をしたクロノがいた。どうやらフェイトと一緒に来たらしい。
「クロノ執務官、かわいい妹が出来た、今の心境を一言! 」
調子に乗ってクロノに突撃しているのはアリシアだ。普段のクロノならこのようにからかわれても一刀両断にしているのだが、何故か今日は必要以上にわたわたというか、そわそわしているような気がする。
「…何かあったんですの? 」
「どうやらヴァニラが、出かける前にエイミィのところに行って、クロノの呼び方について相談したみたいなんだ」
「あぁ…なるほど。状況が読めてきましたわ。それをネタにエイミィさんにからかわれたんですのね」
頷くフェイトに確認したところ、エイミィさんのお勧めは「お兄ちゃん」だったらしいのだが、これはヴァニラ本人も何か違うと感じたようで、結局上手く言えなかったらしい。その後「兄さん」や「兄貴」など、色々な呼び方を試したようなのだが、結局纏まる前にヴァニラが海鳴に行ってしまったらしい。
「で、ヴァニラが帰ってきたら改めて呼び方を決めるらしいんだけど、そのことでエイミィが随分とクロノのことを弄っちゃって、こうなったんだ」
フェイトとそんな話をしていると、なのはもこちらにやって来て会話に加わった。
「なんだかヴァニラちゃんが『お兄ちゃん』っていう言葉を使うイメージは無いかな。でも『兄貴』はもっと無いと思うよ。わたしとしては『兄さん』が一番合いそうな気がするけど、何かそれも違うような気がするなぁ」
「私はなのは程ヴァニラとの付き合いがある訳じゃないけれど…確かに『お兄ちゃん』は違うと思う」
その後もなのはとフェイトで「兄上」とか「お兄様」とかの候補を挙げては「合わないね」と首を捻っていたのだが、そのうち「ミント(ちゃん)はどう思う? 」と異口同音に聞いてきた。正直、今候補に挙がったものは全て彼女のキャラではないような気がしていたのだが、取り敢えず無難な答えを返しておくことにした。
「そうですわね…わたくしもヴァニラさんとは知り合って間もありませんが、やっぱり『お兄ちゃん』だけは無いと思いますわよ。というより、ヴァニラさんのことなら一番付き合いの長いアリシアさんに聞くのが良いのではないですか? 」
俺がそう言うと、2人共納得したような顔で頷き、はやてと一緒になってクロノを弄るアリシアを呼び寄せた。
「クロノくんの呼び方かぁ…今まで通りじゃないかな」
「え…それって『クロノさん』のままってこと? 」
「うん。ヴァニラちゃん、性格的にそう言う呼び方を急に変えたり出来ないと思うよ」
そう言われてみれば、確かにそんな気がする。そんな話をしていると丁度タイミング良くヴァニラが戻ってきた。
「あ! お帰り、ヴァニラちゃん」
「ただいま。どうしたの? 何か盛り上がっていたみたいだったけれど」
「ヴァニラちゃんが今日からクロノくんのことをどう呼ぶのか、みんなで話して盛り上がっていたんだよ」
なのはの回答を聞いてヴァニラは苦笑した。
「あぁ、そのことね。リンディ提督とも相談したりして色々と考えてみたんだけど、結局無理に改めなくてもいいんじゃないかなって…そういう訳ですのでクロノさん、改めてこれからもよろしくお願いします」
ヴァニラはそう言って、兄になったクロノに会釈した。
「さすが姉さん、大正解だね」
「うん。さすがアリシアちゃん」
「まーねー」
得意そうに笑顔を見せるアリシアと異なり、クロノが少し寂しそうな表情をしたのを、俺は見逃さなかった。
「クロノさん…残念でしたわね」
「君か…残念って、何のことだ? 」
惚けるクロノの横に回り込み、そっと囁いた。
「…『お兄ちゃん』」
「!! 」
「…と、呼んで欲しかったのではありませんか? 」
「なな何を言っているんだ君は。これでエイミィに弄られないで済むと思って安心していたところだ。僕はもうブリッジに行くからな」
真っ赤な顔のまま席を立って、そのまま去ろうとするクロノを見送りながら、クスリと笑みが零れた。あの態度では逆に弄るネタを提供している以外の何物でもないだろう。
「お疲れさま、と言っておきますわ」
エイミィさんの満面の笑顔を思い出しながら、俺はそう呟いた。
いつもよりも文字数が少な目ですが、キリが良いので投稿してしまいます。。
今回はとにかく筆が乗りませんでした。。プライベートでいろいろとあって、気が散ってしまったのが原因です。。
特に今週始まったブラウザゲームのイベントが思うように進められず苦労していることと、旅行に出ている知り合いにしばらくペットの世話をお願いされていることが大きいです。。
イベントは来週まで続くし、ペットの面倒も見てあげないといけないので、申し訳ないのですが来週の投稿はお休みさせて頂きます。。
落ち着いたらまた続きを投稿しますので、しばらくお待ちくださいませ。。
※タイトル修正しました。。×「27話」→○「26話」です。。大変失礼しました。。