他愛もない日常のメロディー   作:こと・まうりーの

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第5話 「八神家」

高町家で夕食を済ませ、後片付けも終えてから、私ははやてさんの足の状態をスキャンすることになった。食事中にアリシアちゃんが「治せないの? 」と聞いてきたことが発端だった。

 

正直なところ色々なことが纏めて起こり過ぎていて治療まで考えが回っていなかったというのが実情ではあるが、いずれにせよ治療をするならば障害の原因を特定しなければならない。そのため八神邸に戻る前のはやてさんと付添のミントさんが高町家を出る前に、ハーベスターに頼んでかなり詳細なスキャンを走らせてみたのだ。

 

士郎さん達は既に翠屋に戻っているため、場所は2階のアリシアちゃんと私の部屋に移動している。アリシアちゃん、なのはさん、ミントさん、ユーノさんが見守る中、はやてさんのスキャンを終えた私はふっと息を吐いた。

 

「…なるほど、原因不明ね…」

 

通常、両下肢麻痺には対麻痺、或いは四肢麻痺などの可能性があり、それらの原因となるのは脊髄や末梢神経の障害、場合によっては脳幹や筋肉の病気も疑われるのだが、スキャンした限りでは脊髄炎や血管障害、腫瘍といったものは一切ない。筋萎縮も見られるものの、これは廃用性と思われた。

 

「はやてさん、足が動かなくなったのっていつ頃から? あと家族や親戚に同じような症状の人は? 」

 

「正確には覚えとらんけれど、3歳の頃にはもう症状が出とったと思うよ。それから足が動かんのは私だけやったはずやね」

 

「3歳…なら多発性硬化症の可能性は低いかな…期間も長いからギラン・バレー症候群でもない…症状としては性染色体劣性遺伝型筋ジストロフィーのデュシェンヌ型が一番近いけれど、筋原性筋萎縮も見られないし遺伝も確認出来なくて、何よりはやてさんは女性…それにCK(クレアチンキナーゼ)の値が上がっていないのもおかしいな…」

 

「ごめん、ヴァニラちゃん。出来れば日本語で話してもらえると嬉しいかな…」

 

独り言のように呟いていると、頭の周りにクエスチョンマークを飛び回らせた様子のなのはさんがそう言ってきた。アリシアちゃんもユーノさんも良く判っていない感じだったが、ミントさんだけは値踏みするように私を見ている。

 

「普通に医学的な判断をすれば、はやてさんの病気は良く判らないっていう以外にないと思う、っていうこと。少なくとも私が知っている病気には、当てはまるものは無いよ」

 

「そっかぁ…まぁ神経内科の先生も同じようなこと言うとったしなぁ」

 

はやてさんが少し気落ちした様子で俯いた。確かに普通に考えればこの手の病気について根本原因を探るのは神経内科の範疇であり、その後の診断結果によって患者は脳神経外科や整形外科などに回されることになる。私のように外科医を目指していただけの医学生の知識程度では原因を特定するのは困難だろう。

 

「でも…」

 

ふと口をついて出た言葉に、みんなの視線が集中する。

 

「直接関係あるかどうかは判らないんだけど、気になることはあるんだよね」

 

「魔力の異常な減少…ですわね? 」

 

ミントさんが確認してきたので頷いて返す。以前なのはさんには話したことなのだが、制御されていない魔力は身体機能の感覚を阻害するものだ。これは本来命の危険などはなく、はやてさんのように麻痺を起したりすることもまず考えられない。だが本来なら体内を循環する筈のはやてさんの魔力が、まるで何かに吸い取られているかのように減少していることは、ずっと引っかかっていた。

 

「えっと…魔力の異常な減少って…? 」

 

アリシアちゃんが不思議そうに聞いてきたので、はやてさんのリンカーコア容量に対して魔力が極端に少なくなっていることを説明した。

 

「何だか、昔話に出てくる妖怪みたいだね…わたし前にガマガエルが人を病気にするお話とか読んだことある…」

 

「ミッドチルダにも似たようなお話があるよ。人の精気を吸う魔物とか」

 

「もう…2人共、そう言う話は後にして」

 

こそこそと不謹慎な話をしているなのはさんとアリシアちゃんを窘めると、私ははやてさんに向き直った。

 

「効果があるかどうか判らないんだけど、少し試してみたい方法があるの。『ディバイド・エナジー』っていう魔法で、私の魔力をはやてさんに分けてあげる方法なんだけれど」

 

「それでしたらわたくしがやりますわ。丁度ブラマンシュに伝わる、良い方法がありますのよ」

 

それまで横で話を聞いていたミントさんが、魔力の譲渡を申し出てくれた。確かにAA+の私がやるよりも、はやてさんの魔力量に近いミントさんが譲渡してくれるのはとても助かるのでお願いすることにした。

 

「い…痛くせんといてな…」

 

「大丈夫。痛いことなどありませんわよ。既にユーノさんで実験済みですわ」

 

「ミント…出来れば実験なんていう言い方はやめて欲しいんだけど」

 

ユーノさんの苦情を無視するようにミントさんは何故かトリックマスターから取り出したジュエルシードを右手に持ち、左手ではやてさんの足をさするようにした。すると、決して少なくない魔力がミントさんからはやてさんに流れ込んでいくのが判った。

 

「ん…っ」

 

はやてさんが身動ぎする。様子を見ている限り、痛みなどはなさそうだ。そして暫くの間、同じような状況が続いた。

 

「…もうっ、どちらもまるで底なしのようですわ」

 

10分ほどしてミントさんが溜息と共にはやてさんから手を離し、ジュエルシードをトリックマスターに再封印した。どうやらジュエルシードが蓄えていた魔力を、自身を介してはやてさんに流し込んでいたようなのだが、相当な量の魔力を譲渡したことで少なからず消耗している様子だった。

 

「でも、さっきまでと比べて随分と楽になったわ。おおきに。ありがとうな」

 

はやてさんが微笑みながらそう言った。アリシアちゃんもなのはさんもホッとしたような表情を見せている。

 

「…確かに、譲渡前と比べても体内で循環している魔力が少しだけ増えている気がする。だけど…」

 

「ええ。恐らくすぐにまた減ってしまうのでしょうね」

 

魔力を融通することで、一時的に回復することは判った。矢張りこれは魔力的な何かが原因の障害だろう。となると、ギル・グレアム氏がはやてさんの後見人になっているという事実にも何か理由があるような気がしてきた。

 

(お父さんの元上司ということは、リンディ提督もご存じかも知れない…今度会う時に聞いてみよう)

 

定時連絡の約束もしてはいるが、それはあくまでも定時連絡なのであって、あまり私的な話を織り込むわけにもいかないだろう。どうせ2週間後には会うことになるのだし、その時に確認することの一つとして頭の片隅に記憶しておくことにした。

 

「魔力の譲渡は定期的にやってみてくれるかな? 今回みたいに大量じゃなくて、普通のディバイド・エナジーくらいの量で構わないから」

 

「了解ですわ。毎日、少しずつやってみますわね。ではそろそろ参りましょうか」

 

時計を見ればそろそろ20時になろうとしているところだった。

 

「あ、帰るときに翠屋に寄って欲しいってお兄ちゃんが。送ってくれるみたいよ」

 

「折角だからみんなで送ろうよ」

 

さすがに幼女だけで出歩くには遅い時間だが、恭也さんが付いていてくれるなら安心だろう。

 

「あ、私はユーノさんの治療経過も見たいから、翠屋までね」

 

「じゃぁ僕はここで待っているね。ミント、みんなも気を付けて」

 

そう言うとユーノさんはまたラタンバスケットの中に潜り込んだ。

 

4月とはいえ、夜はまだ肌寒い。上着を羽織ってから身体強化をして、ミントさんと一緒にはやてさんを階下に連れて行くと、なのはさんとアリシアちゃんが車椅子の準備をしてくれていた。そのまま全員で翠屋に向かう。日曜日の夜ではあったが、幸い翠屋の方も落ち着いていて、恭也さんが抜けても問題ない状況だった。

 

「じゃぁヴァニラちゃん、今日はありがとうな。今度ウチに遊びに来てな」

 

「うん。近いうちに必ず」

 

「この時間だと桜台を抜けるのは止めた方が良いな。遠回りになるからバスを使おう。じゃぁ行ってくるよ」

 

恭也さんが車椅子を押すと、なのはさんとアリシアちゃんもはやてさんとお喋りをしながら歩き出した。

 

<ではヴァニラさん。何かあったら連絡しますわね>

 

<うん。こっちもまた連絡するね。はやてさんのこと、よろしく>

 

頭の中にミントさんの念話が届いたので、こちらも念話で返しておく。本当ならもっといろいろなことを話し合いたいところだったが、それはロストロギアの回収が終わってからのんびりすればいいだろう。

 

「あれ? ヴァニラちゃんは一緒に行かないんだ」

 

みんなのことを見送っていると、翠屋の入り口から美由希さんが出てきて声をかけてくれた。

 

「ええ。ユーノさんの治療経過を見たいのと、それから少し士郎さんとお話がしたくて」

 

「とーさんなら中にいるよ。まだ外は冷えるから中に入って」

 

美由希さんに手を引かれて翠屋に入ると暖房が効いているのか、程よく暖かかった。

 

 

 

「成程、雰囲気からしてそうだろうとは思っていたが…それにしてもあの歳で一人暮らしというのは確かに常識では考えられないな」

 

「普通なら施設等に行くのでしょうけれど…本人が魔力を持っていて、しかも後見人はミッドの人である可能性があるというのは出来過ぎのような気がします」

 

「ふむ…何らかの目的があってそうしていると見た方が良いだろうな」

 

カウンターで士郎さんに淹れて貰ったコーヒーを飲みながら小声で話をする。お客さんはまだ何組かいるのだが、幸いカウンター席には誰も座っておらず、店内で話をしても聞き咎められるようなことは無いだろう。

 

「まぁ、何かあったらいつでも言ってくれて構わないよ。まだ空き部屋も残っているし、いざとなったらうちで面倒を見ることも出来るからね」

 

士郎さんはそう言ってくれるが、さすがにそこまでして貰うのも気が引ける。もしこれがミッドチルダの人が関与する問題ならミッドチルダの人が対応するべきことだし、高町家に来るかどうかを決めるのははやてさん自身だからだ。

 

「私としては、はやてちゃんよりもミントちゃんの方が気になるな。話をしていて思ったんだが、彼女は嘘は吐いていないけれど明らかに隠していることがあるよ。特にはやてちゃんについて何か知っているようだったし」

 

「そうなのですか!? 」

 

「悪意はなさそうだったし、敢えて触れないでいたんだよ。もしかしたらそれも魔法絡みかもしれないしね。特に問題は無いと思うが…本当に何かあればいつでも言ってくれて構わないからね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

それについては後で念話ででも聞いてみようと思う。

 

「さて…コーヒーのお代わりはいるかい? 」

 

「いえ、ユーノさんの治療経過も気になりますし、今日は戻ります。いろいろありがとうございます。コーヒーも、ご馳走さまでした」

 

私はそう言って席を立つと、高町家に戻ることにした。

 

 

 

=====

 

バスに乗ると、15分程度でとある小さな公園前のバス停に着いた。運転手さんが専用のスロープ板を用意してくれたので、乗り降りも特に問題は無い。

 

「ここがはやてちゃんの家の最寄? 」

 

「うん。その先の信号を渡ったらすぐや」

 

なのはの問いにはやてが答える。隣にいるのはアリシアなのだが、どうも未だ前世のイメージが抜け切れていない所為か、この場にフェイトではなくアリシアがいることが不思議に思えてしまう。だが前世知識が当てにならないことも重々承知している。俺は軽く頭を振ってイメージを追いやった。

 

「ん? ミントちゃん、どうかした? 」

 

「いえ、何でもありませんわ」

 

無邪気な笑顔を向けてくるアリシアにこちらも笑みを返すと、みんなで青に変わった信号を渡る。

 

「ここは幹線道路だろう? 見通しは良いが、昼間は交通量もそれなりに多い。車椅子で、1人で渡るのは大変そうだな」

 

「お気遣いありがとうございます。せやけど、もう慣れました」

 

恭也さんの呟きにはやてが笑顔で答えた。

 

「まぁ暫くはわたくしが一緒にいますから、問題はありませんわ」

 

「せやな。これからよろしくな、ミントちゃん。っと、あぁ、ここです」

 

はやてが示した先には立派な一軒家があった。高町家と比較すると少しばかり小さく、それでいて一人暮らしをするには大きすぎると言わざるを得ない。そしてこの建物はどう見ても二階建てだった。

 

「あぁ、大丈夫や。ちゃんと車椅子用のエレベーターも付いとるんよ」

 

全員が一斉に心配そうな表情を見せた所為か、はやてが慌てて弁明する。

 

「本当なら上がってもろて、お茶でもどうや? って言いたいところやけど…」

 

「あぁ、さすがにこの時間だからね。俺達は遠慮させて貰うよ」

 

「えぇー、ちょっとくらいなら良いんじゃない? 」

 

「ダメだぞ、なのは。明日は学校もあるんだろう? 」

 

なのはは頬を膨らませているが、恭也さんが言う通り今日は日曜日でなのはとアリシアは学校がある。この時間からのお茶はさすがにまずいだろう。

 

「明日、学校の帰りにでも待ち合わせましょう。念話の練習はしておきますから、おしゃべりならいつでも出来るようになりますわ」

 

「そうだね。私は念話出来ないから、なのはちゃん通訳お願い」

 

「うん。任せて」

 

漸く機嫌を直したらしいなのはと翌日学校が終わる頃に翠屋で落ち合うことにして、今日は別れることにした。

 

「恭也さん、態々ありがとうございます。それから昨夜からお世話になりっぱなしなのに、我儘ばかりで申し訳ありません。士郎さんにもよろしくお伝え下さいませ」

 

「気にしなくても良いよ。それにしてもまさか本当に一人暮らしをしているなんてな…」

 

さっきバスに乗っている時に予め恭也さんには後見人のことも含めて大まかな事情は説明してあったのだ。士郎さんには今頃ヴァニラが説明してくれている筈だ。恐らく後で認識合わせの念話も来ることになるだろう。

 

「関わった以上は面倒も見てあげたいと思うが、正直魔法絡みとなると君達の方が専門だ。はやてちゃんのこともよろしく頼むよ。なのは、アリシアちゃん、そろそろ帰るぞ」

 

「はーい。じゃぁ、ミントちゃん、はやてちゃん。また明日」

 

恭也さんと一緒になのはとアリシアがこちらに手を振ってきたので、はやてと一緒に手を振り返した。

 

 

 

「ええなぁ…私もあんな優しくてかっこいいお兄ちゃんやかわいい妹達が欲しかったなぁ」

 

3人の姿が見えなくなっても、はやては暫くその場でなのは達が曲がって行った角を見つめていた。何だかんだ言って、ずっと1人で寂しい思いをしてきたのだろう。ヴァニラではないが、グレアム提督に一言文句を言いたい気持ちになった。

 

「まぁ、今日からはミントちゃんがおるし、楽しくなりそうや。よろしくな」

 

「そうですわね。こちらこそよろしくお願いしますわ」

 

先程とは打って変わって、満面の笑みで言うはやてにこちらも笑顔で返す。

 

「そろそろ入りましょうか。ずっと外にいると身体が冷えてしまいますわ」

 

はやてから鍵を預かり、ドアを開ける。中に入るとそこは開放感のある吹き抜けになっていた。

 

「あ、ミントちゃん。ちょっと手伝って貰ってええ? 」

 

「了解ですわ。こちらの車椅子に乗り換えるのですわね」

 

どうやら室内用には別の車椅子を使用しているようで、玄関にはもう一台の車椅子が置いてあった。

 

「去年まではあまり外にも出へんかったし車椅子も一台で何とか間に合っとったんやけど、今年に入ってからはあちこちに行ってみたくなってなぁ。室内用の簡易車椅子をもう一台購入して、今まで使うてたんは電動ユニットを付けて外出専用にしたんよ」

 

身体強化をかけてはやてを室内用の車椅子に乗せ直すと、はやては嬉しそうにそう語った。そのまま室内用の車椅子を押して、家の中を案内して貰う。はやて自身の部屋は利便性を考慮して1階にあり、2階部分はエレベーターで上がれるようにはなっているものの、今は殆ど使っていないらしい。

 

「掃除だけはしとるんやけど、今は空き部屋とよう使わん荷物を置いとるくらいやな。ミントちゃん、もし良かったら好きに使うてええで」

 

「さすがにそこまでは致しませんわよ。泊めて頂けるだけで十分ですわ」

 

「ほな、私の部屋で一緒に寝る? ベッド大き目やし、2人でも大丈夫やで」

 

布団さえ貸してもらえれば床に敷いて寝るのでも構わないと思っていたのだが、かなりしつこく誘われて最終的には一緒のベッドで寝ることになってしまった。まぁ、同じベッドで寝ると言えば、以前もフェイトやコレット達とよくやっていたので然程気になることもないだろう。

 

そのまま居間とキッチンを見せてもらう。普通のシステムキッチンの隣に机くらいの高さのシンクやコンロなどがあり、車椅子に座ったままでも楽に作業が出来るようになっていた。

 

「ここは…問題があると思ったのですが、意外と使えそうですわね」

 

さすがに普通のシステムキッチンは踏み台が無いと作業は困難だが、意外なことに車椅子用のキッチンは普通に立っている筈の俺に丁度良い高さだったのだ。

 

「あぁ、車椅子自体にある程度高さがあるし、ミントちゃんくらいの身長でも問題なく使える筈やな」

 

「助かりますわ。踏み台の購入を検討しなければならないと思っていましたから…」

 

そこまで話をして、ふと俺は日本円を全く持っていないことに気が付いた。バスの運賃は恭也さんが纏めて払ってくれており、翠屋での昼食も高町家の厚意で頂いたものだったため、お金を払うという行為自体、全くしていなかったのだ。

 

「? どうしたん? ミントちゃん、顔色悪いで」

 

「わたくし…こちらのお金を全然持っていませんでしたわ…」

 

「あぁ、別の世界から来たんやったな。そらしょうがないわ。まぁ、お金のことは心配せんでもええよ。グレアムおじさんから結構な額、仕送りして貰っとるし、うちにいる間は私が面倒見たるわ」

 

それはそれで抵抗がないわけではなかったが、背に腹はかえられない。結局八神家滞在中ははやてのお世話になることで同意した。

 

「いずれブラマンシュにいらっしゃることがあれば、その時は最大限のおもてなしをさせて頂きますわ」

 

「うん! 楽しみにしとるわ。ほな次行こか」

 

キッチンに続いてトイレやお風呂などの水回りも確認させてもらった。トイレはさすがに車椅子が問題なく進入出来るように十分なスペースが確保してあり、手すりも確りしたものが取り付けられていたが、お風呂については手すりこそあるものの車椅子で入れるような作りにはなっていなかった。

 

「最近は入浴用の車椅子とかリフト付きの専用バスユニットとかもあるんやけど、ヘルパーさんが手伝ってくれればお風呂は入れるしな。あ、後で一緒にお風呂入ろ」

 

「ええ、構いませんわよ」

 

ヘルパーが手伝ってくれればお風呂に入れる、ということは、裏を返せばヘルパーがいないときはお風呂に入れない、ということだ。俺も一時期お風呂に入りたくても入れないことがあったが、あれはかなりストレスが溜まる。幸い身体強化をすればヘルパー並みに手伝いをすることも可能だ。俺自身ブラマンシュが襲撃されて以来お風呂に入っていなかったこともあり、はやての申し出は渡りに船だったので、二つ返事で了承した。

 

「次はいよいよ寝室やね。こっちや」

 

はやてに案内されて寝室に入ると、微かに魔力を感じた。それは寝室の書架に置かれた本が発する魔力だった。四辺を鎖で縛られた大きめの本。これが闇の書なのだろう。だが現段階ではジュエルシードと同じなのか、近づくことで漸く判る程度にしか魔力を発していない。

 

「その本、気になるん? ずっと昔からうちにあったんよ。両親の物やと思うし、形見みたいなもんやから本棚に置いとるんやけど、見ての通り鎖で確り固定されとるから、中は見たことないなぁ」

 

闇の書に見入っていると、はやてから声をかけられた。

 

「鎖で縛られていて中身が読めないなんて、読んではいけない本のようですわね」

 

「怖いなー。エイボンの書とか、ルルイエ異本とか、セラエノ断章とか、そう言ったもんやろか? 」

 

実はむしろ思春期の女の子が書いた日記帳のようなものをイメージしていたのだが、敢えてそれは口外しないことにして、適当に相槌を打っておいた。エスティアの事故についても詳細を知らされていない俺が闇の書について知識を持っているのは不自然なので、そのままスルーしておく。

 

ヴォルケンリッターが覚醒するのは、俺の記憶通りならはやての誕生日である6月4日だった筈だし、まだ多少とはいえ時間はある。近いうちに出来るだけ自然に管理局と情報共有できるようにしなければ、と考えた時点で介入する気満々の自分に気が付いて苦笑する。

 

(まぁ、知り合った以上は助けたいと思うのが人情ですわね)

 

そもそも、既にリンディさんやクロノにははやてを紹介してしまっているのだ。口ではああ言っていたが、クロノはかなり慎重派だし、リンディさんも無条件に他人を信用したりはしない。彼らも当然独自ルートでなのはやはやての身辺調査はする筈だ。トリックマスターの修復もじきに完了するだろうし、アースラが地球に来るまでに状況証拠を纏めておけば共有もしやすくなるだろう。

 

「準備出来たで。ほなお風呂行こか」

 

はやての声にふと我に返る。見るとはやては着替えをこちらに差し出していた。

 

「パジャマは私のやから、ミントちゃんには少しサイズが大きいかもしれへんな。下着は丁度新品の在庫があって良かったわ」

 

「ありがとうございます。お借りしますわね」

 

闇の書については取り敢えず棚上げし、俺ははやてと一緒にお風呂場に向かった。

 

はやての背中を流し、髪を洗うサポートをした後、こちらも身体を念入りに洗う。遺跡の坑道に入ったり、竪穴から落ちたり、更にはテロリストと戦闘行為まで行ったのだ。身体は汗や埃にまみれているだろう。

 

「あ、ミントちゃん、背中流したるわ」

 

「ありがとうございます…って、はやてさん、そこは背中ではありませんわよ? 」

 

「いやー、ちょっと手が滑ってもうて」

 

はやては何を思ったのか俺の脇から両手を差し込み、胸を揉もうとしてきたのだ。ただ残念なことにブラマンシュ一族の特性から俺の胸は実年齢以上に完全にまな板で、つぼみと呼ぶのも烏滸がましい。せめて母さまくらいまで成長すれば、と思わず溜息が出た。

 

「堪能できましたか? 」

 

「いや…その、何というか…ゴメンな? 」

 

「その謝り方は、逆に心を抉りますわね…」

 

≪I was satisfied with the physical contact between little girls.≫【私は幼女同士のスキンシップを堪能させて頂きました】

 

「……」

 

今日一日、殆ど音声を発していなかった俺の相棒が、何故か浴室にいた。

 

「…これ、ミントちゃんの持っとった人形やろ? 何や喋っとったみたいやけど」

 

「わたくしのデバイスですわ。さっきはやてさんに魔力を譲渡した時にも、ジュエルシードを取り出したり再格納したりしていたのですが…」

 

思い返してみれば、はやての前で音声を発したのはレイジングハートとハーベスターだけで、トリックマスターはずっと黙っていた。恐らくはやてはトリックマスターのことをアンティークドール型の収納か何かだと思っていたに違いない。

 

「ヴァニラちゃんのペンジュラムと同じようなもんやと思っとけばええ? 」

 

「ええ、それで齟齬ありませんわ。で、どうしたのです? トリックマスター」

 

≪I have completed my recovery. Therefore, I came here to report.≫【修復が完了しましたのでご報告に】

 

どうやら遠距離通話機能も含め、全ての機能が復旧したらしい。

 

「それはご苦労さまです。ただ女子の入浴中にお風呂場に忍び込むのはあまり感心しませんわね」

 

≪What a pity! It was purpose in my life!≫【何ということでしょう…生き甲斐なのに】

 

俺は黙って浴室のドアを開けると、トリックマスターを蹴り出した。

 

「大丈夫なん? 一応精密機械なんやろ? 」

 

「いつものことですわ」

 

 

 

お風呂から上がってパジャマに着替え、はやてと一緒にベッドに潜り込むと、ヴァニラからの念話を受信した。

 

<遅い時間にすみません。今、大丈夫ですか? >

 

<まだ寝る前でしたから問題ありませんわ。何か御用ですの? >

 

少しの間、声が途切れる。別になのはやユーノ達を宛先に含めた訳ではないようで、俺だけを宛先にした個別念話だった。

 

<今日、少し士郎さんと話をして、その時にその…ミントさんがはやてさんについて何かを知っている様子だったと言われたので>

 

成程、さすがメンタリストと言ったところか。だが俺は他の人に「原作知識」について話すつもりは無かった。例え相手がヴァニラであっても、だ。いや、むしろヴァニラだからこそ「原作知識」を教えることは金輪際有り得ない。これは原作を知らずに今まで頑張ってきた人達にとって、それまでの頑張りを否定することにもなりかねない劇薬なのだ。

 

ただ士郎さんが感づいているのなら、無理に隠し通すのも困難だろう。俺は少し考えた上で、詳細は語らないまでも、一部の事実のみを認めることにした。

 

<その通りですわ。わたくしは八神はやてさんを、以前から知っていました。ですが、これ以上は申し上げることが出来ません>

 

<…それは、同じ転生者であってもダメということ? >

 

<このお話しは聞いた人が必ず死ぬとか、そう言うものではありませんが、ある意味それ以上に厄介なものなのですわ。わたくしはこのお話を誰にも話すつもりはありませんわよ>

 

<……>

 

暫くの間、沈黙が続く。やがてヴァニラがふっと息を吐くような気配があった。

 

<…それは、もしかして私や貴女が『ヴァニラ・H(アッシュ)』であったり、『ミント・ブラマンシュ』であったりすることと同じようなことなのかな? >

 

<…申し上げた筈ですわよ。わたくしはこのお話を誰にも話すつもりはありません。お墓まで持って行きますわ>

 

ヴァニラの言葉を聞いて、俺は一瞬冷水を浴びせられたような気分になった。ヴァニラの質問は正鵠を射ている。もしかしたら大凡の事柄についても把握してしまったかもしれない。俺は出来るだけ平静を装い、重ねて言った。

 

<ヴァニラさん、わたくし達は今、生きていますわ。これは『ギャラクシーエンジェル』というゲームでも、アニメでもありません。紛う方なき現実ですわよ。そのことは重々、承知して下さいませ>

 

再び静寂が訪れる。隣から、はやての規則正しい寝息が聞こえてきた。枕元の時計は22時を指している。普段は0時頃まで本を読んだりしていると言っていたが、今日はもしかしたら色々とあって疲れていたのかもしれない。

 

<…うん、判った。ごめんね。私はミントさんを信じるよ>

 

暫くして、漸くヴァニラから返答があった。その内容に、俺はホッと息を吐いた。

 

<わたくしはヴァニラさんやアリシアさん、はやてさんや高町家の人達に害を与えるつもりは全くありませんわ。これは誓っても良いです>

 

<大丈夫。それは判っているから。じゃぁ、これからもよろしく。明日、また連絡するね。お休みなさい>

 

<ありがとうございます。お休みなさいませ>

 

クスリと笑うようなヴァニラの声に癒される。念話を切ると見慣れない天井を見つめ、そのまま目を閉じた。

 

(あ、ユーノさんの治療経過について聞き忘れてしまいましたわね…)

 

明日また聞けばいいか、と思いながら、俺は眠りについた。

 




長かった週末が漸く終わりました。。
気がつけばいつも通りののんびりモードに入っていましたが、そろそろ少し話を進めていかないといけませんね。。

でもついつい日常の描写が楽しくて、そっちばかりに感けてしまいます。。

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