スタンド使い、海鳴に行く   作:通天閣スパイス

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第一話

「あれは確か、二十年くらい前だったかな……。ワシはあるロシア人女性と、一夜を共にしたことがある」

 

 

 

 とあるカフェの、とある一室。人払いがなされているのか、彼ともう一人以外の人影はないその場所で、ジョセフ・ジョースターはそう口を開いた。

 彼と同じテーブルに座るもう一人の男は、話なぞ興味がないとでも言うように黙ってコーヒーを啜っている。が、彼のそんな反応にも構わずに、ジョセフは言葉を続けた。

 

 

 

「その時は彼女は二十代でな、まるで天使かと見間違うほどに美しかった……。“絶世の美女”とか言われとる『モナリザ』を昔見たことがあるが、あんなのっぺりした女なんぞよりよっぽど綺麗じゃったわい。ワシもその美貌につい心惹かれての、喜んでホテルに連れていった……」

 

「……」

 

「無論、一晩のお遊びなんてことはワシも向こうも分かっとる。ちょっと一夏の思い出を楽しんで、相手の住所も聞かずに別れたあの時から、彼女と会うこともなく長い年月が経った……。

 だが、偶然というのは起こるもんでな。先日行ったニューヨークのブロードウェイで、その女性と本当に偶々出くわしたんじゃよ。……なのに、ワシはちっとも嬉しくなかった……。何故だと思う?」

 

 

 

 チラリ、と男に視線をやって。彼に全く答える気がないのを見ると、ジョセフは少し残念そうな顔をした。

 が、さほど気にすることもなく、話の続きをしようと軽く息を吸って――

 

 

 

「――久しぶりに会ったあいつは、クリスマス前の七面鳥みたいにブクブク太っとったんじゃよッ! 二十年前の面影なんぞ見る影もない、週末にスポーツジムに通ってるのがお似合いのババアなんぞ会っても嬉しくとも何ともないわいッ!

 なんで二十年前のあれからああなっちまうんじゃ、あれから! 詐欺じゃあんなもん、どうしてロシアンビューティーは賞味期限が短すぎるんじゃ、クソッ!」

 

 

 

 大層悔しげに表情を歪めながら、そう叫んだ。

 

 どう考えても公共の場でする態度ではないし、言ってる内容もあまりマナーが良いとは言えないものだったが、それがジョセフの普通である。

 数年前からの知己であり、この老人の性格もよく知っている男は、一つ溜め息を吐いて。特に何か注意をするでもなく、スルーしてさっさと話題を変えることを選択した。

 

 

 

「……ジョセフさん。いい加減、本題に入ってくれませんかね」

 

「む……。いや、しかしな、せっかく久しぶりに会ったんじゃから――ああ、分かった分かった! 話してやるから席に座れ、な!」

 

 

 

 椅子から腰を浮かしかけていた男を宥めながら、慌てて鞄から何枚かの資料を取り出すジョセフ。

 

 そもそもこの場に男を呼んだのはジョセフであり、重大な問題が発生したからという理由で男は半ば無理矢理予定を空けさせられたのだ。

 それでもすわ緊急事態か、と急いで会いに行ってみたら、何故か世間話ばかりで一向に話が進まなかったわけであり。表情は全く変わっていないが、男の機嫌は確実に悪化していることを、ジョセフは長年の付き合いからくる経験で理解していた。

 

 男が説得に応じて腰を下ろしたのを見て、ジョセフは思わず安堵の息を吐く。

 場を和ますための話だったのに、せっかちな男だ……と思ったが、そういえば承太郎も同じような反応をした覚えがあるな、と。若者と老人の忍耐力の違いを感じとり、ジョセフは自分が予想以上に精神的にも年を取っていることに、内心軽いショックを受けた。

 

 

 

「で……。話というのは、これじゃ。まずはこの写真を見てくれ」

 

 

 

 そんな内心はおくびにも出さずに、ジョセフは男に一枚の写真を手渡す。

 

 その写真は一見するとただの天体写真で、流れ星らしき何かが映っているだけの普通の写真に見える。

 だが、こうして渡してくるというのは間違いなく、これが普通ではないことの証明で。今回の厄介事の正体について男が尋ねると、ジョセフは写真の中の流れ星を指差した。

 

 

 

「これはSPW財団が撮影に成功したものでな……。少し前に飛来してきた、宇宙からの謎の物体を映した写真じゃよ」

 

「謎の物体?」

 

 

 

 流れ星ではないのか、との男の問いに、ジョセフは首を横に振る。

 

 物体は手のひらサイズのもので、それが二十一個ほど、突然地球の衛生軌道上辺りから降り注いできたそうだ。

 普通なら大気圏で燃え尽きるサイズなのにも関わらず、それらは何故かそのままのサイズで大気圏を越えて。

 幾つかは海に落下したものの、その殆どは人間の居住地域に直撃したということで、その謎物体を追跡していた機関はどこも騒ぎになったそうだが……。いつまで経っても聞こえてこない被害報告に、彼らは首を傾げることしか出来なかったという。

 

 そう、被害が出なかったのだ。確実に落下したにも関わらず、その予想落下地点にはクレーターの一つも生じていなかった。

 これがどういうことなのか、未だに専門家達が議論を重ねている。被害が出ていないのだから余計なショックを与える必要はないと、この『謎の隕石』事件は一般には公表されていないが、政府機関の間では既に様々な憶測が飛び交っていた。

 

 

 

「話がそれだけなら、それでよかった……。少なくとも、ワシらに関係ある話じゃあない……。

 だがッ、謎の物体が落下した翌日から! とても奇妙な(・・・)ことが落下地点の周囲で起こり続けたのじゃッ!」

 

 

 

 例えば、道路やブロック壁が人力ではありえないほどの壊れ方をして、しかもそれがどう考えても一晩で行われていたり。そんな通常ではありえない、明らかな超常現象が頻発しているらしい。

 

 超常現象という言葉を聞いて、男がまず思い浮かべるのは、自身らが持つとある特殊能力のこと。

 ものによってはそれこそ世界の法則すらねじ曲げる、『側に立つもの』という意味を込めて名付けられたその能力――スタンドの存在が、反射的に脳内を過る。

 

 

 

「……その、奇妙なこと、とやらが。スタンドによるものだ……と?」

 

「その可能性は高い、と見ている。少なくとも、ワシにはそれ以外の原因が思いつかん」

 

「成程……。つまり、俺にその落下地点とやらに行ってこい、ということですね」

 

 

 

 問いかけへのジョセフの答えを聞いて、男は少し考える仕草を見せた後、合点のいったように頷く。

 男が視線をジョセフに向ければ、彼は話が早いと笑みを浮かべていて。やがて真面目な表情を作ると、男がエジプト以来久しく見ていなかった男らしい顔つきで、真剣な眼差しのまま口を開いた。

 

 

 

「……いいか、啓一郎君。今回のこの一件、どうにも嫌な予感がする。承太郎は別件で今すぐには動けんし、ワシは最近病気がちじゃ。出来る限りの支援は約束するが、基本的には君の力だけで対処することになるじゃろう。

 君の力を疑ってはいない……。ワシが知る中で、君より信頼のおけるスタンド使いは承太郎しかおらん……。だからこうして話を持ってきたわけじゃし、信頼して送り出せる……。

 じゃがな、決して慢心してはならんッ! 本当に嫌な予感がする……。あの旅に行く前に感じた、奇妙な運命の悪寒(・・・・・・・・)があるッ! 別件が片付けばすぐに承太郎が応援に行く、だから頼む! 心して行ってくれ、啓一郎君!」

 

 

 

 ガシリ、と男の手を握りながらジョセフが言ったその頼みに、男――上坂啓一郎は、こくりと頷いて。

 スタンド使いとしては歴戦の部類に入るその男は、いつも通りの平静な表情で任務を請け負ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八神はやてという少女にとって、世界は決して楽しいものではなかった。

 

 

 彼女には、両親がいなかった。無論木の根の股から産まれたわけではないから、正確にはいた(・・)と言う方が正しい。

 小さい頃の事故で父母を亡くしてから、彼女は一人で家族が暮らしていた家で生活してきた。奇妙なことに親戚は誰も引き取ることを名乗り出なかったし、施設に預けるという話も出なかったのだ。

 端から見るとどう考えてもおかしい事態ではあるが、未だ幼い彼女はそれを知ることもない。遠い親戚を名乗る男性の仕送りで暮らしていけるのだからそれでいいと、ある種の思考放棄を起こしていた。

 

 学校に持っていく弁当は、彼女が自分で作った。隣の席で『お母さんが作ってくれたお弁当』に文句を垂れている奴等の頬を、張り倒してやりたいと何度も思った。

 運動会で、親と一緒に二人三脚をする競技があった。えっちらおっちらと楽しそうに走る他の組を横目に、彼女は担任の先生と走った。

 授業参観で、親が学校に来る日があった。授業が終わってワイワイと家族の団欒が始まった教室から、彼女は逃げ出すことしか出来なかった。

 

 そして数年前、彼女は原因不明の病気で足が動かなくなった。

 大きな大学の病院に行っても、その原因も治療法も分からなかった。神経性の何かではないか、と診察した中年の医者は推測を話してくれたが、彼女はそれを聞いてもちっとも心は楽にならなかった。

 

 車椅子を買った。家の中を自力で歩くことも出来なくなったから、仕方なく業者に頼んで家を改築してもらった。

 一人では学校に行くことも困難になったから、教員に頼み込んで休学を認めてもらった。孤児という境遇の彼女をもて余していたのか、その際の担任の少し安心したような声を彼女は未だに覚えていた。

 

 

 八神はやては、九歳の少女である。

 本来なら彼女は親に甘えて、褒められて、時々躾られて……。親の愛と誰かに甘えられる幸せを享受する、人生でも特に幸福な時期のはずなのだ。

 しかし今、彼女の人生は“孤独”である。平穏ではあるかもしれないが、何の刺激もない……。ただ毎日を流されるままに生きる、そんな怠惰な無気力が生活を支配していた。

 

 時々、彼女は買い物や病院への通院以外で外に出てみることがある。

 どうせ予定もない土日、朝早くに家を出て。キュラキュラと一人で車椅子を動かし、数キロほど離れている市の中心部を訪ねてみることがあった。

 別に何か目的があるわけではない。何となくぶらぶらして、人通りの多いその場所で色々と見て回る……。散歩の趣味、というのが一番近いかもしれない。

 

 日曜日の今日も、彼女はそこにやって来ていた。

 ちょうど時間はお昼頃で、彼女がいるショッピングモールの通路は家族連れや若者達で賑わっている。アーケードに並ぶ色々な店を外から見ながら、彼女は笑みを浮かべるでもなく、何の感情も見せない無表情で歩みを進めていた。

 

 

 

「――でよォー。そのスケがさ、マジパネェの。もうムンムンでよ、こりゃ堪らん涎ズビッって言うかァ」

 

「マジで? 羨ましいなァおい、俺にも紹介しろよー」

 

 

 

 ふと。彼女の前から、二人組のチャラチャラした男性が歩いてやってきた。

 話に夢中になっているのか、顔は横の相手に向けたままで、前を一切見ようとしていない。前方の彼女の姿にも、明らかに気づいていなかった。

 

 このままではぶつかってしまう、と考えた彼女は急いで避けようとするが、運悪く地面の石畳の隙間に車輪が挟まってしまい、身動きがとれなくなる。

 あ、と彼女が呟く間もなく、男達の姿が彼女の眼前に迫って――

 

 

 

「おうっ!?」

 

「きゃっ……!?」

 

 

 

 ガシャリ、と。ぶつかった衝撃で、彼女は車椅子ごと地面に倒れた。

 

 男はしばし痛そうに足を擦って、自身に痛みを与えた犯人が目の前にいることに気づくと、その表情を怒りに染めて。

 その犯人が年端もいかない少女で、車椅子から投げ出されたまま地面に倒れているという事実を気にもせずに、男は彼女に怒鳴り声をあげた。

 

 

 

「いっ……ってぇーじゃねぇかッ、この糞ガキッ! どこ見て歩いてやがる、このタコォ!」

 

 

 

 前を見ていなかったのは自分だろうに、男はあたかも相手が悪いかのように言った。

 

 はやては目の前の男の様子を見て、彼が所謂『チンピラ』と呼ばれる部類の人種であることを理解する。

 彼女の知人にはいないタイプの人間だし、そもそも関わり合いにもなりたくなかったから、彼女が上手いあしらい方なぞを心得ているはずもなく。

 彼女は状態を起こしながら、「すんません」と謝ることにして。車椅子に戻ろうと手を伸ばした瞬間、チンピラに体を押されて再び倒れ込んだ。

 

 

 

「すいません、で済んだら警察要らねーだろうがよォーッ……。おう、これどうしてくれるんだ? せっかくのおニューがよ、テメーのせいで傷ついちまったじゃねーか」

 

 

 

 そう言いながらチンピラは自身のジーパンを指差すが、それは所謂ダメージジーンズと呼ばれる類いのもので、わざとボロボロの状態にされているズボンである。

 彼女が見る限りは、正直本当に傷ついていたとしても、それがどの傷かを判断するのは難しかった。そもそも傷が出来るほど車椅子と強くぶつかったのなら、彼女は今頃強く頭を打って病院に搬送されている。

 

 つまり、これは完全ないちゃもんである。そう理解した彼女は、面倒な輩に絡まれたものだと、内心溜め息を吐いた。

 

 

 

「……そない言われても。ぶつかったのはそっちやないか」

 

「こんな場所でそんなもんに乗ってるテメーが悪いんだろうがッ! 人様に迷惑かけてんじゃねぇよ、このグズッ」

 

 

 

 ――ウチが好き好んで乗っとるとでも思っとんのかッ!

 そう叫びたくなるのを、彼女は何とか堪えた。

 

 世の中には心ない人たちも大勢いる、ということを彼女は理解している。

 彼女が車椅子で外に出れば奇異の視線で見てくる輩はいるし、中には隠そうともせずに不快な視線を向けてくる奴等もいる。障害者だ、と指さして言われることも多々あった。

 

 正直我慢ならないし、足が動かないからといって見下してくる人間なぞは消えてしまえばいいとも思ってはいるが、彼女はそれを口に出すことはない。

 そういった人種に、倫理面での正論なぞを言っても無駄なのだ。そんなことを理解させるほどの経験を、彼女はこれまで過ごしてきていた。

 

 

 

「はいはい、ごめんなー……。ほんならもう、話は終わりでええやろ」

 

 

 

 上半身を使って移動しながら、彼女はそう言って話を無理矢理打ち切ろうとした。

 

 倒れている車椅子をよっこらせと起こし、自力でそれに登ろうと(・・・・)する。

 男は何やらギャーギャー騒いでいたが、それに耳を貸すこともなく彼女は腕に力を入れ続けて。慣れた様子で車椅子の座席に座り直すと、彼女はそのままここを離れようとして――いきなり車椅子の持ち手を誰かに掴まれて、その動きを止めさせられた。

 

 振り返ると、先程騒いでいたチンピラの連れの男――こいつも明らかにチンピラだった――が、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべながら佇んでいて。

 車椅子後部の持ち手を勝手に握ったその男に、彼女が「何や」と尋ねれば、その深海魚のような面をさらに深めて男は口を開いた。

 

 

 

「おいおい、そう睨むなよ……。これでも俺は親切でよォー、ガッコでは『親切なマーくん』とか呼ばれてんだぜ」

 

「……ほうか。で?」

 

「いやさ、その親切な俺がよ? キミの車椅子をちょっと押してやろうかなー、なんて思ってたりするのよ……。

 俺は今のことなんて全然気にしてない(・・・・・・・・・・・・・・・)からさァ、な? 俺この辺詳しいんだぜ、ちょっと案内してやるよ」

 

 

 

 ……本当に、面倒な類いに捕まったものだ、と。彼女は嫌悪感を隠さずに、その顔を苦々しく歪めた。

 

 この男の言葉を額面通りに受けとるバカは、まずいない。まず間違いなくこの男は彼女に対して何かをするつもりで、それも最悪の場合は口にするのも憚られる類いのものであろう。

 彼女がこれに肯定を返すことはまずないが、それを無視して男が彼女の車椅子を押した場合、彼女の力ではそれを止めることなど出来ない。本当に最悪の場合、彼女は彼らのなすがままになるしかないのだ。

 

 チラリ、と彼女は周囲の通行人達に視線を向ける。既に小さな騒ぎになっているこれは、人々の注目を集めるに十分で、遠巻きに彼女達を眺める野次馬達の輪が出来ていた。

 心配そうな視線を彼女に向けてはいるが、しかし彼らは自分が割って入ろうとはしない。止めようとして自分に矛先が向くのが嫌なのか、それとも積極的に動くだけの勇気を持ち合わせていないのか。

 何にしろ、あの腰抜け達は自分を助けるつもりはないらしい――。そう結論付けた彼女は、ふと昨日見た『都市部の冷たい人間関係』という話題のワイドショーを思い出す。

 

 

 

『今の日本の人達はねぇ……。何て言うか、冒険(・・)が出来ないんですよねぇ。ちょっとでも危険があるとおじけついちゃって、その場で立ち止まっちゃうの。

 先日ニュースになった、学校でいじめられてた子が怪我が元で死んじゃった事件があるでしょ? あれもね、周囲の人達が“ホンのチョッピリの勇気”を持ってたらあんなのは起きなかったんだ……。

 そんな大層なものじゃない、一歩踏み出せるだけでよかった……。『自分が虐められるかもしれない』という恐怖に目を瞑って、知ったことかとヤケ(・・)になれる勇気があればよかったんだよ。

 いやさ、自分は大事だよ? 僕もそう思うけど……。でもねぇ……』

 

 

 

 どこかの大学の教授とかいう老人が、画面の中でそう嘆息していたのを覚えている。

 

 その通りだと、彼女は彼の言葉に全力で同意したかった。

 グレアムとかいう名前の親戚も、学校の同級生も、担任の先生も、大学病院の医者も看護師も警官もスーパーの客も通行人もサラリーマンも子供連れの主婦も学生も店員もこの野次馬達も誰も彼も。皆が遠くから眺めるばかりで、彼女に直接手を差し伸べることさえしなかったのだ。

 そのくせ表情だけはいかにも同情してますと言わんばかりに取り繕って、『あんな子供が一人で車椅子に乗っているだなんて可哀想だ』等と、知ったような口を聞いて離れた場所から見続けている。彼女の周囲は、そんな大人な(・・・)人間ばかりだった。

 

 無論、中には優しくしてくれた人もいるし、例えば彼女を今担当している女性医師は真摯に彼女と向き合ってくれている。

 それでも彼女との間には、どうしても『医者と患者』という関係があった。最近色々と煩くなってきた風潮では安易にその関係を踏み越えられず、プライベートな面までは踏み込んでこなかったのだ。

 それはしょうがない、ということを彼女は理解している。社会の柵を理解出来るくらいには、彼女は大人だったが――しかし未だ九歳の彼女は、それを理解しても納得の出来ない、子供だった。

 

 

 

「……話は終わりや、言うとるやろが……ッ! ええから放さんかボケッ、このアホンダラァ!!」

 

 

 

 そんな諸々の感情を爆発させて、彼女は叫んだ。

 

 振り返って腕を伸ばし、引き剥がそうと男の腕を鞭のように叩く。彼女の全力で行われたそれは、しかし、一回り上の男性に対してはあまりにも非力であった。

 軽く腕を揺らしただけのその一撃に、男は嘲笑うかのように鼻を鳴らして。逆に彼女の手を掴むと、顔を不気味な無表情に変えて、ゆっくりと彼女の顔に近づけた。

 

 

 

「なあ……。俺の勘違いだったらいいんだけどさぁ……。お前、今、俺を叩こう(・・・)としてなかったか?

 いや、勘違いならいいんだぜェー。だってよォ、おかしいもんな。俺は親切にしてやったのに、叩かれるなんてのは筋の通らねぇ(・・・・・・)話だよなァ……。

 ――どうなんだよ、おいッ! 答えろこの糞ガキがァ!」

 

 

 

 最後の方は憤怒の表情に変えて、少女の細腕を力の限り握り締めながら、男はそう詰め寄った。

 腕の痛みに堪らず彼女が悲鳴をあげるが、男にそれを気にする様子はない。むしろ空いている手で彼女の胸ぐらを掴み、少女の体を車椅子から浮かせて宙吊りの状態にさせるという追い討ちをかけた。

 

 さすがにまずいと思ったのか、野次馬達の中から制止の声がかかる。が、最初に彼女に絡んだ方のチンピラが怒鳴りながらその方向を睨むと、怯えた声を残してそれ以降は黙ってしまった。

 

 

 

「俺はよ、テメーみたいな親切を受け取らない奴が大ッ嫌いなんだよォーーー! 『他人の親切は素直に受けとりましょう』って親に習わなかったんならなァーッ、俺が教育してやるぜェーーーッ!」

 

「ぐ、ぎ……!」

 

 

 

 無理な体勢を強要され、喉が絞まっているのか段々と苦しみを感じてくる彼女の眼前で、力強い握り拳が形作られた。

 それは男が彼女の腕を掴んでいたはずの手だったが、いつ放したのだろう、彼女が気づかぬうちに文字通りのフリーハンドと化している。

 

 それに気づいた彼女は、必死に放された方の手で胸ぐらを掴んでいる手を叩くが、とても相手に痛みを与えられるほどのダメージは及ぼせない。

 彼女は体を掴まれたまま、目の前で、男が自分に向けて拳を振り上げる姿をゆっくりと目にして――――

 

 

 

 

 

 

 

「――なあ……。すまないがそこ、退いてもらえないかな……?」

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。その場に相応しくない、第三者の平坦な声が割って入ったのだ。

 

 反射的に彼女が視線を向けると、視界にその声の主を捉えることが出来た。

 その男は少年にも青年にも見える若々しい姿で、年は自分より一回り大きい程度だろう、と彼女は思った。白を基調にしたモノクロのツートンカラーの衣服は、彼の淡い栗色の茶髪とよく似合っていて、不思議な存在感を周囲に与えている。

 そして何より特徴的なのは、その表情だろう。まるで何も感じていないかのような、それでいて作られた風の違和感も感じさせない、奇妙な能面を浮かべていた。

 

 その彼を見た彼女の第一印象は――その時の状況を考えると、あまりにも呑気なものであったが――『俳優のキアヌ・リーブスに少し似ているな』という、そんなどうでもいいようなことだった。しかし何故か彼から目を離せなくて、彼女は彼の様子を出来る限り注視していた。

 その白黒の男は何時近づいたのか、彼女達二人の近くに立っていて、その無感情の目を二人に向けている。「取り込み中だ」とチンピラの男が怒鳴って追い返そうとしたが、彼はそれに怯えた様子の一つも見せなくて。

 パンパン、と自分のお腹を数回叩きながら、彼は二人を挟んだ反対側の、彼女達が騒ぎを起こしている場所の奥にある店の看板を指差したのだ。

 

 

 

「俺は、今日この町にやって来たばかりでね……。急いで来たもんだから、朝からろくなものを食べてないんだ……。

 君らの後ろにある看板、ありゃピエロがマスコットやってるファーストフードだろ? 俺はね、ちょっとそこに行きたいだけなんだよ……。電車の中でどうしても食べたくなっちゃってさぁ」

 

「うっせーぞボケッ! 取り込み中だって言ってんだろ、見て分かんねーのかテメー!」

 

「ちょっと通してくれるだけでいいんだよ……。もし万が一、君があそこの店員で、『只今準備中ですのでお待ちくださいお客様』っていうなら話は別だが……。どう見ても違うだろ? じゃあ君に俺を止める権利なんてないんだ、大人しく退いてくれ(・・・・・)

 

 

 

 あ、と。彼の言葉を聞いているチンピラの額に、怒りの筋が浮かんだことに彼女は気づいた。

 

 こういうタイプは自分の思い通りにならないのが本当に嫌いらしい。キレたチンピラは彼女を掴んでいた手を乱暴に放すと、ヒステリックな叫び声をあげながら彼に襲いかかっていったのだ。

 黙れ黙れ、と繰り返しながら拳を振り上げ突撃してくるチンピラの姿を、彼は平然と見つめていた。焦りも驚きも恐怖も一切感じない、チンピラに一切の脅威を感じていないかのような様子を見て、彼女の勘は彼がこういったものに慣れているのではないか、と告げる。

 

 根拠もないに等しいが、合っているという奇妙な確信が彼女の中に何故かあって。実際彼は、どうやったのか彼女には見えなかったが――拳が顔に当たる前に、チンピラを自分から転ばせたのである。

 足が何もないところで動きを止める、というあまりにも不自然な挙動だったから、チンピラの自爆でないことは端からでも容易に分かった。彼が何かしたのだろうとは思うが、それが何なのかは彼女には分からない。

 

 

 

「あでェーーーッ!?」

 

 

 

 ドシン、という大きな音を立てて倒れたチンピラの男は、そのまま呻き声をあげて動かなくなった。息はあるようだが、おそらく頭を打って気絶でもしたのだろう。

 

 その一連の様子を無表情のまま見ていた彼は、ふと、呆然としていた彼女に視線を向ける。数秒ほどかけて全身を眺めて、やがて何を思ったのか、ズボンのポケットに手を入れながら近づいてきた。

 何をされるのか、と最初は彼女も少し身構えたものの。彼がポケットから出した手にハンカチが握られ、その手が目の前に差し出されるのを見ると、その緊張も思わず解いてしまった。

 

 

 

「……胸元が、随分汚れている。これで拭くといい」

 

 

 

 彼のその言葉に彼女が視線を下ろすと、確かにチンピラに掴まれた箇所が脂で汚れていることに気がついた。

 そのことが何故か急に恥ずかしくなって、彼女はハンカチをありがたく受け取ると、必死に服の胸元を擦り始めた。

 

 何とか汚れを消そうという努力を続けながら、彼女は上目遣いに彼を見る。

 先程はよく分からなかったが、こうして近くで目にすると、何ともとも言えない魅力を持っているのが分かった。明らかに見た目の若さに合わない、他の同年代の男性と比べて一皮も二皮も剥けているような、そんな雰囲気を彼女は感じたのだ。

 

 くんくん、と。彼に気づかれないよう、彼女はハンカチの匂いを嗅いでみる。

 薄い生地で出来たそれは、ミルクのような甘い匂いと、隠されているかのように微かに香る血の臭いがした。

 このハンカチで、彼が自分の血を拭きでもしたのか――。そう考えると、どうしてか、彼女の胸の奥に熱い何かが芽生えたのが彼女自身にも分かった。

 

 

 

「――テメーッ! マーくんに何しやがった、この糞野郎ォーーーーーッ!」

 

 

 

 彼女が自身の奥底の感情に戸惑った時、不意にそんな声が聞こえた。

 見ると、先程のめされたチンピラの連れ、最初に彼女に絡んだ方の男が彼に背後から殴りかかろうとしている。

 

 後ろ、と彼女が半ば悲鳴のように叫んでも、彼は後ろに顔を向けなかった。

 表情も変えないまま、ただ一言だけ呟いて。……次の瞬間には、チンピラは同じような動きで転倒、気絶をしていたのだった。

 

 

 

「無事か?」

 

 

 

 へ、と驚く彼女に、彼は平坦な声でそう尋ねる。

 コクリと彼女が頷けば、彼はその口の端を微妙に緩めて――近くで見なければ気がつかない範囲で――彼なりの笑顔を浮かべ、よかったと小さな声で囁いた。

 

 

 その瞬間の彼女の感情は、正直、彼女自身も何て形容すればいいのか分からなかった。

 

 喜び、安堵、照れ、エトセトラエトセトラ……。ここ数年の生活で鳴りを潜めていた感情が、一気に爆発染みた勢いで吹き出てきた、というのが一番近いかもしれない。

 一目惚れ、というのも違う気がした。自分が抱いた感情はもっと複雑で分かりにくい何かだと、彼女は自分の胸中を認識している。

 しかしあえて、誤解を恐れずに、平易な言葉で表すとしたら。八神はやてという少女は、きっと――

 

 

 

 

 

 

 

 ――運命(・・)のような縁を、彼から感じたのだ。

 

 

 

 

 




なのはにジョジョをぶち込む、というよりなのはでジョジョをやる感じ。
時系列は三部の数年後をイメージしてますが、三部の時代設定となのはの時代設定とのズレは、その。許して。

Q.どうして杜王町に行かないのよォーーーーーーーッ!?

A.ベテランのスタンド使いをもう一人ぶち込んだら吉良さんが可哀想すぎる。

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