子供の頃から、『随分と無表情な奴だ』と言われ続けてきた。
幼稚園の頃、俺はお遊戯で木の役をやった。他の奴等は主役になれなかったと駄々をこねていたのに、俺は黙って木の真似をするだけだった。
小学校低学年の頃、運動会で怪我をした。腕の骨に小さなヒビが入る大怪我だったのだが、俺があまりにも平気な顔をしているものだからいくら痛みを訴えても取り合ってもらえず、怪我した場所が明らかにおかしい腫れ方をし出してからようやく病院に行った。
小学校高学年の頃、課題で提出した絵が市のコンクールで表彰された。表彰式で喜びも緊張も一切表に出さない俺に、その場に居合わせた出席者達は変な顔をしていた。
中学校の頃、家族で海外に旅行に行った。現地の風土病だろうか、謎の高熱を出して数日間寝込んでしまったが、親によればその時も俺は表情だけは平然としていたらしい。
親や友人からは、クールな人間だと思われている。何にも動じず平然と対応する、フィクションの戦記物に登場する軍師のような奴だと言われたこともあった。
だが――
実を言うと俺だって桃太郎をやりたくて仕方なかったし、骨折の痛みで正直涙が出そうだったし、自分の絵が賞を取った時は今までの人生で一番嬉しくて、高熱を出した時はこれで死んでしまうのではないかと不安だった。
俺の内心、俺が表に出さない中の感情は、他の人間とあまり変わらない。俺の心の中は、普通の男子学生のものであると自負していた。
俺はただ、感情が表に出ないだけだった。いくら笑おうとしても口の端は少しも上がらない、泣こうとしても表情は変わらずにただ涙が出るだけ、怒ろうとしても眉はピクリとしか動かない、そんな呪いのような体質なのだ。
悔しくても、痛くても、嬉しくても、辛くても。俺の表情は変わらない、昔からの無表情そのままを貫いている。まるで仮面のようだ、と不気味に思った人間もいたほど、俺のそれは徹底していた。
その体質を、俺は最初は嫌っていた。しかし今では割り切って、仕方がないと受け入れて生活している。
どんなに変えたくても、受け入れたくなくても、それは変えがたい現実として存在する。小さい頃から高校生の今まで、十年近く何とかしようと努力してきてどうにもならないのだから、俺の心は割り切って精神的に楽になる方法を選んだのだ。
見方を変えれば、俺は究極のポーカーフェイスと言える。使いようによっては俺の大事な武器になるかもしれないし、大きなメリットにもなるだろう。
そして、俺がその体質を最初にありがたい、と思ったのは。俺が高校生になった翌年の、高校二年のある日のことだった。
「おい、テメェ……。何じろじろと見てやがる?」
学校へ行く途中の、通学路。いつも通りの風景の中、俺はいつもと違う状況の中にいた。
目の前にいるのは、学校でも有名な不良の男。二メートル近い身長にガタイのいい体、妙に似合った学生帽と学ランが合わさったその雰囲気は、昔見た学園ドラマの番長よりも迫力がある。
俺とは面識もない、学年は一緒だがクラスは違うその男と、俺はあまり関わらないようにしていた。彼は見るからに不良という印象だし、実際彼自身も周囲に不良だと公言している。
俺が何か直接的な害を受けたわけではないから別に嫌ってはいないが、進んで不良という面倒な人種に関わろうとは思わないし、出来る限り接触は避けていた。
今日のように通学時にたまたま見かけることは今までもあったし、その時は挨拶などはせずにさっさと通り越していたからあちらも俺を無視していた。
だが今日に限ってあちらが絡んできたのは、俺がつい彼のことを見つめてしまったからで。その理由――彼の腕から飛び出る
しかも運が悪いことに、何故か周囲に俺達以外の人影はない。遠くから話し声は聞こえるが、第三者の手でこの状況が改善される可能性はほぼなかった。
「いや……。すまない、不快に思ったのなら謝るよ……。気にしないでくれ、きっと俺の見間違いだったんだ……」
喧嘩になるのは御免だから、すぐに彼に対して謝罪をする。
視線を彼から外して、再び足を動かしてその場から立ち去ろうとする。が、ガシリと肩を掴まれる感触と共に、無理矢理動きを止められて。思わず振り返れば、いつの間にかこちらに近づいている彼の体から飛び出た緑色の人間のような何かが、俺の肩を軽く掴んでいたのだ。
ゴゴゴ、という擬音が付きそうな迫力を持ったその存在を、俺は思わず注視して。彼はそんな俺の様子を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「
つまり、テメェも俺と同じ『スタンド使い』というわけだ」
スタンド、とは何だ。文脈からすると、この人間モドキの名前か何かだろうか。
色々と気になることはあるし、彼に尋ねたいことはあるが、まず何より。これだけは最初にはっきりさせておこうと、俺は
「……言っていることは、よく分からないが。『スタンド』というのは――こういうものかな?」
それで彼の人間モドキの腕を取り、俺の肩から無理矢理引き剥がす。
また掴まれないように少し距離を取りながらそう尋ねると、彼もまた距離を取るように後ろに下がっていて。眉を吊り上げ、人間モドキにファイティングポーズをとらせているその様子は、まさに臨戦態勢と言ってよかった。
……はて。何故、いきなり戦うような雰囲気になっているのだろう。
彼の表情は普段通りのクールなものだが、その頬には一筋の汗が流れていて、その内心に少しばかりの緊張が含まれていることが分かる。俺に敵意、と言うよりは警戒心を強く持っているようで、間合いをじりじりと詰めようとしていた。
「おいおい、そう逸るなよ……。俺は別に、喧嘩をしたいわけじゃあないんだ。な?」
「……」
「最初に、その……『スタンド』だったか。スタンドを出したのは君の方だ、俺はただ対処をしたにすぎない……。
分かるか? 手を出したのは
「ごちゃごちゃ五月蝿ぇッ! 結局何が言いたいんだ、テメェはッ!?」
「……焦るなよ。話はまだ、途中なんだぜ」
不良と対峙している、という事実に内心はビビりつつも、変わらない表面上の雰囲気のお蔭で俺が会話の主導権を握れている。
最近では無表情を活かす喋り方にも慣れてきたから、変に言葉をどもらせることもない。流暢に会話を続けて、俺が欠片も動じていない風に完全に思わせることに成功していた。
これで俺の感情がダイレクトに表現されていたら、俺の取れる対応はひたすら謝り倒すか一目散に逃げるかの二択しかなかったはずだ。
そう考えると、この体質が本当にありがたいものだと思った。ある程度冷静になれているのは、正直体質の影響も大きい。
「いいか、空条。俺は怒っちゃあいないし、お前に恨みがあるってわけでもない……。ただよ、ちょぉっと聞きたいことがあるんだ」
「……何?」
「そう難しいことじゃない……。『ポリンキーはどうして三角なのか』とか、そんなふざけた質問でもない……。
いいか、よく聞け空条ッ! その――――」
スタンドというのは、いったい何なんだ。俺が聞こうとしていたのは、そんな質問だった。
そもそも俺がこの人間モドキを出せるようになったのは、中学時代に旅行先で原因不明の高熱を出してからである。
理屈は分からないが、ただ何となく、“こうあるものだ”と俺の中で自然に受け入れられていた。熱が引くと何故か出せるようになっていて、その扱い方も少しは理解出来ていた。
ただ、あくまで分かっているのは少しだけだ。存在についても、扱いについても、詳しいことは未だに分かっていない。
だから、おそらく何か知っているであろう彼に、この人間モドキについて聞いてみようとしたのに。
『コッチガヤラレタンナラヨォーッ……。コッチモヤリカエシテイイッテ、ソウ思ウヨナァーーーーーッ!?』
俺の意思とは無関係に、俺が出した人間モドキが突然喋り出して。いきなり動き出すと同時に、彼へと殴りかかっていったのだ。
「ッ、『スタープラチナ』ッ!」
『オセェンダヨッ! 一発モラッタゼェーーーッ!!』
へ、と。俺が呆然とする間もなく、凄まじい速さでそれは相手の人間モドキに接近する。
彼の人間モドキはガードの体勢をとろうとするが、俺の人間モドキのスピードがそれを許さない。ボクシングのブロックのように腕がたたまれるその前に、振るわれた拳が相手の頭を直撃。
その攻撃を受けて、相手の人間モドキは後ろに吹っ飛び――彼もまた同じように、その身を後ろに飛ばしていた。
……待て。待て待て、いや待て、ちょっと待て。
なんでいきなり攻撃してるんですかね、うちの人間モドキは。というか自分で動けるとも、まして喋れるとも今の今まで素振りの一つも見せなかったのに、どうしてよりにもよってこの瞬間にその能力を現したというのか。
まずい、非常にまずい、とてもまずい。
俺は喧嘩をするつもりなぞ本当になかったのに、これでは戦闘一直線だ。人間モドキが勝手にやりました、と言って信じてもらえる等と考えるほど俺も楽観的ではない。
どうしよう、と突然のアクシデントに対して俺が必死に頭を働かせている間に、彼はゆっくりと立ち上がりながら、こちらを凄みの入った目で睨む。
完全に怒っていらっしゃるご様子で、人間モドキの方も心なしか、その表情が険しくなっているように思えた。
「……俺は、根っからの不良だぜ。売られた喧嘩は買ってやるッ! 奴をぶちのめせッ、スタープラチナ!」
実際、非常に怒っていたらしい。
彼はそう俺に宣戦布告すると同時に、人間モドキを俺のそれへとけしかけて。今度は逆に俺の人間モドキが守り、『スタープラチナ』という名前らしい彼の人間モドキが攻めるという構図が発生していた。
それを見て、これは一戦避けられないな、と悟り。とりあえず痛いのは嫌だし、俺が出来るだけ傷つかないようにしようと、彼と人間モドキの動きをよく注視することにした――――。
「――――ハッ!?」
ガバリ、と。意識が覚醒すると同時に、俺は急いで体を起こした。
スタンドを出しながら周囲に目をやり、あのクソッタレな吸血鬼の姿がないかどうかを探して。周囲の光景がカイロの市街などではなく、病院のような部屋に変わっていることに気づいて、思わず拍子抜けをしてしまう。
色々と見渡してみると、どうやらここは病院の個室で、俺はそこのベッドの上に寝ていたらしかった。体には包帯が巻かれ、手首には点滴の針が刺さっているところを見ると、戦いで負った傷の治療をされていたのだろう。
これは……全て片付いた、ということなのだろうか。正直、奴の攻撃から承太郎を庇って以来の記憶が全くないのだが、俺がこうして治療を受けられるような平穏な状況にいる以上、奴が勝ったとは考えられない。
承太郎と悲しいすれ違いによって戦うことになり、それからあいつと奇妙な縁が出来てから今日まで約二ヶ月。とある一家ととある吸血鬼の宿命の対決の旅に何故か巻き込まれて同行することになった、道中で散々死と隣り合わせのピンチを潜り抜け続けたこのエジプトへの旅は、ようやく終結を迎えたのだ。
そう結論を出すと同時に、俺の体からガクリと力が抜けて。俺はスタンドを消し、沸き上がってきたこの危険な旅が終わったことへの達成感と安心感に身を任せ、再びベッドに背を預けることにしたのだった。
「……おっ! 目が覚めたか、啓一郎」
ベッドに寝転がったまま、今後どうするかをぼうっと考えていた時のこと。
ガチャリとドアの開いた音に視線をやると、特徴的な髪型の人間が部屋に入ってくる姿を目にした。
その男は俺もよく知っている男で、この長い旅を共に過ごした仲間の一人でもある。軽薄な雰囲気を少し持ってはいるが根は真面目な男で、表情が変わらない俺に積極的に会話を振ってきてくれた気のいい男だった。
『シルバー・チャリオッツ』というスタンドを持つその男、ジャン・ピエール・ポルナレフが来たのだと知ると、俺は体を起こして。傷の心配をしてくる彼に「意外と軽傷だ」だと返しながら、まず一つのことを尋ねた。
「なあ、ポルナレフさん。DIOは……」
「ああ……死んだよ。承太郎が倒してな……。死体も日光で完全に塵にしたそうだから、もう復活することもないだろう」
「……そうか。じゃあ、終わったんだな」
「……ああ。そうだな、終わったんだ」
予想はしていたが、事の顛末と終結を実際に知らされて、何とも言えない感慨が襲ってくる。
数秒ほど見つめ合った後、俺達は揃って窓から見える外の空に視線をやって。その際に思い浮かべた三つの名前は、きっと彼も一緒だったはずだ。
アブドゥル、イギー、花京院。俺達の仲間で、尊い犠牲となった二人と一匹のスタンド使い。
決して楽しい思い出ばかりじゃなかったし、『チュッパチャップスは何味が一番美味しいか』とか下らないことで喧嘩をしたりもしたけれど。それでも今思い返すと、あいつらとの旅は本当に楽しくて――貴重な経験だったんだと思う。
『啓一郎君。君の『ザ・ワンズ』は、実にトリッキーなスタンドだ……。自立思考型ということも合わせると、使いようによっては相手を確実に翻弄出来る。初見なら、まず間違いなく破れまい……。
だがッ! 恐れるべきは、君のその強靭な精神をもってしても完全には御しきれない“我の強さ”! 君に害をなす行動をとらないのが幸いとはいえ、それは間違いなく最大の弱点となるッ!』
アブドゥルさんには、色々とスタンドについてのことを教えてもらった。
そういえば、彼は俺の体質を精神の強さ故だと最後まで勘違いしたままだったが、親でさえ信じてくれないことを信じろと言うのも酷であろう。他の旅のメンバーもどうやら同じように思っているらしいし、今更訂正するのも憚られる。
……砂漠で太陽を使うスタンド使いと出くわした時、俺だけ平然としていたのがまずかったんだろうか。いや、あの時は俺も内心かなり焦っていたんだけれど。
『(ケッ……。随分とスカした野郎だぜ、コイツ。あのムカつくスタンドが邪魔しなけりゃ、あの人形みたいな顔にションベンかけてやんのによォーッ)』
イギーは正直かわいくない犬だったが、何だかんだで仲良くやれていたと思う。
ただ、あいつが側に来る度に何故か俺のスタンドが勝手に出てきたのはいったい何故だろう。今となっては謎である。
『啓一郎、君は『アイスクライマー』をやったことは? ……ふむ、ないのか。それはいけない、あのゲームを知らないなんて君は人生を損している。この旅が終わったら、僕が貸してあげよう』
花京院とは、色々と下らない話で盛り上がったりした。
同い年だし、趣味がゲームという人間同士で色々と話が合った。色々とソフトを貸し借りする約束もしたのだが……。今はもう、それは叶わない。
彼らとの思い出が次々に浮かんできて、もう会えないのだと思うと無性に悲しい、寂しい気持ちになってくる。
ポルナレフも同じなのだろう、ふと視線を向けると彼の目には涙が浮かんでいて。俺の視線に気づいた彼は慌てて目を擦り、それを誤魔化そうと話の話題を切り替えた。
「そ、そうだ啓一郎! 目が覚めたんならよ、俺はちょっと下に行ってジョースターさん達を呼んでくらぁ。承太郎のやつかなり心配してたからな、きっとすぐに飛んでくるぜ」
「承太郎が?」
「ああ、お前がやられたのはあいつを攻撃から庇ってだったろ? 随分気にやんでるみたいでよ。さっきジョースターさんが飯に連れていったそうだが、ろくに味あわずにさっさと食っちまうらしいんだよ。
だからよ、さっさと顔見せて安心――――」
「――――その必要はねぇぜ、ポルナレフ」
ポルナレフの言葉を遮って、俺達とは別の誰かが室内に入ってくる。それが誰なのかは、姿を見ずとも声だけで分かった。
俺がこの度に同行することになった切欠であり、旅の仲間達の中心的な存在の、学ランを着こなした不良のスタンド使い。
空条承太郎が、薄い笑みを浮かべて部屋の入り口に佇んでいた。
「承太郎ッ! おい、いつの間に……」
「たった今、だ。俺のせいで死なれちゃ寝覚めが悪いんでよ……。ジジイとの昼飯をさっさと終わらせて、コイツに会いに来てやったぜ」
ポルナレフの問いかけに平静と返しながら、彼はゆっくり歩を進めると、俺が乗っているベッドの近くで足を止める。
そのまましばし、俺達は色々な感情を含ませた視線を交わらせて。やがて彼は無言で、こちらに右腕を突き出してきた。
一瞬キョトンとした俺も、すぐにその意図を理解すると、フッと短い笑い声を呟いて。彼と同じように右腕を伸ばし、作った握り拳を軽く突き合わせて――俺達は同時に腕を上げ、そのまま万感を込めたハイタッチをした。
パチン、と乾いた音が部屋の中に響き渡る。それは長続きもしないし、清らかでもないが、今までに聞いたどんな音よりも俺の心に残った。
「承太郎」
「おう」
「お疲れ」
「……テメェもな」
約二ヶ月前、初めて会った時にはこんな関係になるとは予想もつかなかったけれど。いざなってみると、こういう存在も心地いいものだと思う。
承太郎と――俺の親友と、短く言葉を交わして。
俺は自分の口の端が、ほんの少しだけ上がっていることに気がついた。
※なのはの二次創作です