「この子が発生源、ということかしら?」
燃えるような赤い髪と眼を持つ女が、ボロだらけの衣服を着た地面に横たわる黒髪黒目の少年を見ながら言う。
彼女がここに来たときにはすでに少年はこの状態であり、``紅世の徒``に囲まれた上で瀕死の状態だった。仮にこの場に誰も現れなかったら。現れたとしても彼女ほどのフレイムヘイズじゃなければ、この少年は命を落としていただろう。
「助けてくれた事は感謝するよ。でも、発生源なんて随分な言い方かな」
「ふふ、ごめんなさい。別に悪気があって言ったわけじゃないの。ただ、まだ新人の彼がこれほどの力を示した事にちょっと驚いただけ」
これだけの力を示しているのだから、さぞ名のあるフレイムヘイズだろうと思ったが、実際に見てみれば、ここらでは見当たらないような容姿で特徴的なのに誰も知らなかったのだから。
「それだけが……それだけが彼の特権だからね」
「逃げるフレイムヘイズ、てのもなんだか変な感じよね」
ここいらではよく嵐が起きるらしい。自在法ってことだけは分かるのだが、嵐が収まったときにはフレイムヘイズがいないんだ。それだけじゃない、そこにいたはずの``紅世の徒``も討滅されずにそこに呆然と残っている。呆気に取られたんだろうな。だって、フレイムヘイズがまさか目の前から消えるなんて思わないからな。
こんな噂話だけは、ヨーロッパの一部で最近、聞くようになった。
「私も同意するけど。だからこそ、私の契約者たるものと言えるのよ」
「確かに、まさかあの``晴嵐の根``が契約する時が来ようとはな。時代も変わったものだ」
ひどい言われようだとウェパルは思うものの、そう言われても当然かと思い直す。変と言えば自らの契約者もウェパル自身も同じ類に入るだろうことは当の昔に分かっていたし、そうじゃなければ契約する事もなかっただろう。
しかし、それを言うならお前もそうだろうアラストールと心の中だけで悪態をつく。これは言葉にしたってあの堅物には解りっこない。あるいはその契約者ならとは思うけど、わざわざ言うほどの事でもないかと改めなおす。
おそらくは、この契約者だって分かっているだろうから。この真正の魔神が如何に変わっているかという事を。
「そんなことより、私はモウカを早く助けてあげたいのだけど?」
ここで強引に話を戻す。このままアラストールをからかうという事も選択肢としてはないわけではないが、そんなことより優先すべき事があった。自らの契約者の安否である。
敵の第一陣はモウカの嵐により一時的な撤退を与儀なくされ、第二波の攻撃陣は『炎髪灼眼の打ち手』によってほとんど壊滅された。もっともこの追撃の一波の中には、敵の主要な王らがいるわけではなかったので、容易く追い払う事が出来ただけだが。
何れはさらなる追っ手が来るだろうから、早くこの場から逃げたかった。戦場から逃げることは出来なくとも、一時的な休養の場がモウカには必要だった。
「契約者想いというかなんというか……。今まで見てきた人間と契約した``紅世の徒``の中でこんなにゆるいのはいたかしら」
「褒め言葉ありがとう。喜んで受け取るよ」
「……はぁ」
「こういう奴なのだ。だから我もこやつがまさか契約するなどとは──」
「早くして欲しいな」
「分かってるわよ。何より、将来有望なこの子の為にね」
彼女はそう言うと紅蓮の翼を羽ばたかせ、少年を背負い、嵐の前の静けさを表すような雲一つない青空へと飛んでいった。
「大きな戦が起こるわ」
『炎髪灼眼の打ち手』はどこか燃える様な使命感と闘争心を心に抱きながらこれからの戦いを予期し、
「うむ。それも近年では稀に見るほどの大きな戦いがな。被害も少なくないだろう」
その契約したる``天壌業火``アラストールはこの戦いで消えていくであろう同胞や仲間たちを想いながらそれを肯定し、
「モウカもこんな時期じゃなければ、戦いから逃げ果せたのかもしれなかったのに」
``青嵐の根``は己が契約者の果たせぬ思い(戦いから逃げる)と身体の傷を心配しながら気だるそうに答えた。
その合間にも徐々にフレイムヘイズは終結し、やがて``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の野望を阻止するべく兵団を結成し、大戦の火蓋は切られた。
◆ ◆ ◆
自分の体質を幸か不幸かで判断する時。自身の今までの人生を振り返るのは言わずもがなのことだが、なら俺の人生はどちらかといえば……なるほど、判断つかない。
そもそも何をして幸せとなし、何をして不幸と見るのかが定まっていなければ判断のしようがないものではある。しかし、俺の判断つかないとはそういう意味ではない。単に幸せもあれば不幸もあり、特上な不幸せも味わった事があれば、これ以上ないほどの愛情を注がれ幸せに満ちたことがある。
事故に遭ったのを不幸とするならば、事故後の父母の愛情は確かに幸せを感じ。屋上から落とされた事を不幸と言うならば、その後に再び人生を歩めた事を幸せなことと判断できる。三度命が失われたのに、それでも生き残れたのであればやはりそれは幸運だったのかもしれない。
因果応報とでも言うべきなのか、それともある種のギブ&テイクとでも言うべきなのかは分からないが、人生山あり谷ありなのは言うまでもなく分かった。
理解するのではなく分かった。経験する事で分からされた。分かってしまったといっても過言では無い。果たしてそれに気づけたのは不幸なのか幸なのか。
そんな事を沸々と考えながら、はあやっぱりと溜め息をつかざるを得ない。山を登りきったと思ったらさらに高い山が待っていたのだ。いや、もしかしたら山の頂上を読み間違えたという可能性もあるが。
「それで『不朽の逃げ手』モウカ。貴方はこの状況をどう見ますか?」
「どう……と言われましても。分かりかねますよ、サバリッシュさん。こういった経験は初めてなんですから」
「自分の思った事を口にしてもらえればいいのですぞ」
「と、言われても」
修道服を着た見た目はどこにでも居そうな、面倒見の良さそうな雰囲気を醸し出しているのは『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ、``仏の雷剣``タケミカズチの契約者たるフレイムヘイズ。音に聞こえた歴戦のフレイムヘイズ。
俺なんかでは足元にすら及ばないだろう存在感を解き放っている。そのあまりの存在感に萎縮すらもしてしまっている。だが、それもしょうがない事だと思う。書いてその通り年季が違うのだ。格が違うともいえるかもしれない。
「先ほど目覚めたばかりだから、それも仕様がないことかもしれませんね。あまり時間は無いのですが、今はゆっくり養生してください」
「迫る戦はあまりにも大きいですからな」
二人にして一人はそう言うとあまりにも簡易に建てられたテントから出て行った。このテントは簡易といえども、特設用のテントである。怪我人用という意味のテントでもあるが、今は俺のために使われている。
──曰く、この惨事を生み出したのも貴方なら、この惨事を見つけることが出来たのも貴方
──曰く、事前の対策を考えられたのが貴方だけなら、打開できる状況に発展させたのも貴方
もっと直接に教えてくれ、抽象的過ぎてよく分からなかった。その心中を察してかウェルからの解説が入る。
ただ、わざわざ大将自らで迎えたのは、噂の人というのを知って直接目で見てみたかったからだそうだ。
その噂のことについては教えてくれなかった。
「つまり、この町の被害がモウカの『嵐の夜』のせいで、それはフレイムヘイズとしては少し外れた行為ではあるけれど、そのおかげで敵の野望を見つけられたのもモウカのおかげ。
この絶望的な状況に気付き、事前の対策を立てられたのはモウカだけだけど、現状の打破しうる状況になったのもモウカのおかげだ、と言う事よ」
「ようするに怒られたの? 褒められたの?」
「呆れられながらも褒められた、て感じかな」
プラスマイナス、むしろプラス! という結論らしい。なら良かった、あんなにすごそうな人に目をつけられたらどうしようかと思った。少し胸をなでおろしホッとする。
その上、どうやら俺は生き延びる事が出来た。
九死に一生を得た。千載一遇のチャンスを掴んだとでも言うべきなのだろうか。そんな表現よりも何はともあれ生き残り死なずに済んだと簡単に、単純に喜ぶべきか。
喜ぶべきかな? 喜ぶべきだよね? 喜んでいいんだよね?
「ふふ、ははは! はーっはーっはっは! 見よ! 俺は生きているぞ! 五体不満足、四肢の欠損すらも覚悟し死ぬかもしれない、今度こそ駄目かもしれないのに! 生き残ったぞーー! 俺は猛烈に今を生きている!」
危機を脱した事を嬉々として、身体で表現できうる限りの最大限の喜びをここに露わにする。普段なら恥ずかしくて死にそうになるくらいの歓喜の声をあげて、その場に身体を留めて置くのは勿体無いとばかりに、ジャンプをしながらガッツポーズをし、スキップをしてテント内を動き回る。
最高の気分だ。今まで嘗てない程の気分だ。史上最高と言い換えることも出来るかもしれないほどの喜びだ。この世界はなんとも生き辛く生きていくのも一苦労どころか大変なことばかりで。死に溢れているのに俺はようやく、やっと自身の命を自身の力で生を掴み取った瞬間とも言える。
「何度も成すがままに殺されたが、俺は初めて自分の力で生き残った!」
「正確には違うけど……言うのは無粋かな。それは兎も角、今更だけど生還おめでとう、モウカ」
「ありがとうウェル! 君のおかげだよ!」
「私のおかげであるという事は自分のおかげという事もでもあるんだよ。私たちは二人で一つなんだから」
「そうか、ならお互いに生還おめでとう、と言うべきか」
なんと生きているというのは良い事か、なんと逃げるとは正しい行為か。それが証明された。逃げ切れれば生き残れる、俺はあの大群ですらも逃げ切ることが出来た。これは確実に自信へと変わる。
逃げ切れたからこそ味わえる生の感覚。普通に生きているだけでは決して手に入らないこの感覚。なんとも甘美なこの感覚だろうか。貴重な体験は色々と経験してみたいと思っていたが、実はこの感覚を知る為にそう思っていたのかもしれない。
むしろ、大袈裟に言うならばそのために生き返ってきたのかもしれない。
まあいい。そんなことよりも早くこんな所から逃げ出したい。俺は一刻も早くこのどうしようもないほどの戦場から逃走したい。
しかし、その思いは簡単に打ち砕かれる。次の登場人物のせいで。
「お喜び中のところ、ごめんなさいね」
そう言って、俺しかないない(正確にはウェルも居る)テントに入ってきたのは、これまた存在感溢れ返るような圧倒的存在を放つ、燃えるような赤い髪と眼を持つ女性だった。
嗚呼、なんと美しく凛々しく綺麗な人なんだろう。きっと誰もが彼女の姿を見たら惚れてしまうのだろう、そう真剣に思った。そう思わせるほどの女性だった。
だが、それ以上にあの喜んでいる姿を見られて恥ずかしくなり、羞恥心で一杯になってしまったのは言うまでもない事。
運命の神様が存在するなら、そいつの首根っこを掴んで殴ってやりたい。殴れなくてもいいから平手でもいいから、もう運命の神様じゃなくてもいいから神様なら何でもいいから殴りたい。
そんな心持ちだった。
理由は簡単。死地から蘇り生還を果たして、ならば早く逃げるための心算をと思ってる矢先に現れたのは``天壌業火``アラストールの契約者『炎髪灼眼の打ち手』マティルダ・サントメールだった。
何なんだろう。俺は今まで自分以外のフレイムヘイズとは会うことは無かったのだが、初めて出会ったフレイムヘイズのサバリッシュさんもすごかったけど、サントメールさんもこれまたすごかった。あれなのか、フレイムヘイズってあれぐらいすごいのが普通なの?
俺みたいのはむしろ弱小で、異常に弱いのは俺だけなのか。あの大群から必死に生き残って、俺って実は逃げる分野だけならすごいんじゃないかと思ったのに、実は大したことがないということなのか。
閑話休題。
つまりあのサントメールさんが原因だ。
彼女の訪問によって知らされた事実それは、
「ああ、良かった。せっかく助けた人が結局眼を覚まさなかったら助け損だもの」
彼女から発せられた言葉それだけだった。そう、これだけ。
なんとも呆気のない言葉であり、彼女にとってはなんの深い意味の篭っていない言葉だった。安否を確認しただけ、それだけ。たったそれだけの為にここに来たのか。否、俺にとってはそれだけで十分ではある。
助けられたという事実だけで、俺には十分すぎる理由だ。
さっきまでの驚きは何だったのだろうか、さきほどまでの喜びはどこへ行ったのだろうか。自らの力だけで助かったと思ったのに、それは思い過ごしで実は人に助けられていた。
喜びとは真反対の感情が沸きあがる。悔しさ、後悔、惨めとでもいうべきなのかは自分でも分からない。
「助けられる状況まで持って行ったのは間違いなく、モウカの力だよ」
「それでも、それでもだよ。ウェル。俺は一人で逃げ切れるほどの力を欲してるのに」
結局まだ俺はそれほどの力を有してはいない事が証明された。そして、さらには命を助けられた。
ありがたいことではある。これ以上ない程の恩義でもある。
そう恩義、借りだ。これは借り以外の何物でもない。自分の命を最も重く見ている俺にとっては何物にも変えがたいほどの恩義と借りとなる行為だった。
借りは返す。男として、何よりこの先の面倒ごとを無くす為にも。助けてくれた本人はたとえ何も思っていなくとも、俺はそれでは気が気でいられない。俺は恩義を返せないほどの不義理者でもない。
「……はぁ、結局巻き込まれるのか」
「なら気にせず逃げればいいのに」
尤もここから逃げ切れるのならばとウェルは言う。
なら仕方ない。俺は俺の意思で。恩義と借りを返すため、何より死地から逃げるためにこの大戦を戦う事にしよう。しょうがないのだ。どちらにしろ、この戦いを見逃して結果、フレイムヘイズが負ければ俺だって生きづらくなるのだから。
渋々、嫌々ながらも俺はこの戦いに参戦することを決意し、とあるテントを訪ねて告げる。
「サバリッシュさん、俺にも何か出来る事はありますか」
彼女は待っていたかのように、分かっていたかのように、にやりと笑い言った。
「ええ、貴方『不朽の逃げ手』モウカにしかできない役割が。お願いできるかしら?」