とりあえずどうぞです。
正妻求めて3m
女房役という言葉がある。
ピッチャーを支えるキャッチャーに対して差す言葉。
他にも言葉があり、正捕手に正妻という言葉を使う者もいる。
そして堂島闘矢はエースピッチャーであり、自然と彼を相手する捕手は正捕手。
彼のいう正妻は常に自らがエースであるという自身の現れ――
「正妻、げっつ……」
――そういう自信の現れ……かも。
「ん……」
がらがらと黒い鉄扉を引き開け、外へと出る雪那。
冬の間は長く曇り空が続き日差しは無かった。
もう春の兆しが見える3月の上旬、珍しく晴れた日。
照らされる日はまだほのかに暖かいといった程度で風が吹くとまだ冷たさが肌に残る。
雪那は長袖長ズボンの女の子らしくない出で立ちで外へと出た。
「公園」
今の時刻は16時。
保育園等に通っている子供たちも家へと帰り、今は公園に遊びに出かけている子もいるだろう。
きゃっきゃっと甲高い声が少し離れた公園の方向から聞こえてくる。
雪那は同年代の正妻――もといキャッチャー役の子供を拉致……ではなく探そうと企んでいた。
(やっぱりピッチャーにはキャッチャーが必要だな。
というか受け手がいないから投球の練習がしづらい。
いつまでも壁投げだけだと感覚が覚えづらいし、ケン(橋口健一郎の渾名)の時みたいに誰か探そうっと)
実はこのおと――ではなくこの野球バカは幼い時、公園で遊んでいた橋口健一郎を半ば拉致り、一緒に野球道へと引きづり込んだ前科がある。
ただ健一郎の場合、本人も野球が好きだったので自然と仲良くなっていた。
だが彼の場合、肩があまり強くなく送球の精度や捕球能力が低かった(本人はこの事を酷く悔しく思っており、その後苦手分野を克服していたりする)のでファーストへと転向する羽目になり闘矢の計画は頓挫したが。
それは兎も角。
雪那はくいくいと足首を回し、ぐぐっ肩を伸ばしながら軽い準備運動を行う。
目指すは公園、目的は
公園に行くついでに道中は走り込みだといわんばかりに一息に向かおうと――
「れっつ、スター――」
――ト、といいつつ走り出しすぐ先の曲がり角へ差しかかったところで、
ドン!
「どぶ」
「きゃあ!?」
黒い影が目の前に現れすぐ走り込みは中止されるに至った。
相手の方が背が高かったせいか、黒い影――相手は尻もちをつき、雪那はころころとボールのように転がる。
「いたた~なに一体?」
「痛ひ」
まったく痛そうじゃない雪那と若干涙目の黒髪の少女。
(ん……? こいつは)
まじまじと尻もちを付いている少女を見やる。
黒髪のショートカット、オシャレのつもりなのかモミアゲだけ長くペケマークのアクセサリーを付けている。
顔はそばかすがついていて純朴――良くも悪く普通といった具合。
拳1つ分雪那より背が高い。
ぱんぱんとお尻に付いた砂を払いつつ、じっと自分に尻もちをつかせた雪那を見つめる。
「あなた誰よ(うわ外人! どうしよ言葉通じる?)」
「雪那……(ん、ん~これは……)」
「私は咲夜よ。で、いきなり走ってぶつかってきたんだから言う事があるんじゃないかな?(よかった、言葉通じた)」
「ごめん(言いづらいこともハッキリ指摘する性格。なんかきょろきょろとこちらを観察してる。観察する癖があるのか?
うん捕手には必要な癖だな……。それに体格も良いから走者のタックルに当たり負けしない……)」
「うんそれでよし。じゃあアタシは公園に行かなくちゃいけないから」
そういって地面に落ちていたグローブを拾う少女。
明らかに野球用のグローブだった。
その瞬間ピコン! と雪那の頭上には電球が燈る。
「野球、する?(野球をするのか! 捕手を探そうって時にこんなおあつらえ向きの人材と出会う――これはもう俺にこの子を捕手にしろって言っているようなもんじゃないか?
いやむしろ捕手にする!)」
「え、まぁ、やるけど――」
若干表情を翳らす少女に雪那は気付かずむんずと手を掴むと、
「え、ええ、ナニ?」
「正妻、げっと」
「えええ正妻ってなに!?」
「捕獲、捕手、練習!」
「ちょちょとぉぉぉぉぉ!?!?!?」
意外と強い雪那の力に抵抗出来ずズルズルと公園へと連れて往かれる少女。
暴走野球バカ、雲母雪那とそれに付き合わされる憐れな女の子、
もし今日、雪那と出会わなかったらこの少女は平凡な日々を送っていたのかもしれない。
しかし雪那にロックオンされたこの少女にもう戻る術は無い。
ずるずると引きずられていく。
その道の先にある未来は野球三昧の日々。
せめて少女の未来に幸あれ――
「ちょ!? アタシこれからどうなるのぉぉぉぉ!?!?!?」
――――南無。
「ぜーっぜーっ……いいかげん、はぁ……訳をいいなさい、よ……」
「ん、いい運動」
途中から手を離そうと抵抗したが雪那は決して手を離すことをしなかった。
むしろこれも練習とばかりに嬉々として引っ張るばかり。
今も無表情ながら汗をぬぐう仕草をしつつ明後日の方向を見ている。
一方咲夜は白い息を吐きながらへばっていた。
何せ文句を言っても「げっと」「来る」と日本語やっぱり通じてない? と思う位、馬耳東風な状態。
無理やりなら引きはがせなくは無いが、初対面という事もありそれも気が引けていた。
結局流されるまま公園の一角へと連れていかれるハメになったのだった。
ちなみに雪那はよく外人と間違われる。
髪色はともかく顔立ちは基本元の世界とそう違いは無い。
つまり日本は黄色人種なので肌色もそれに準じている。
だが雪那は家族の中で唯一肌がやたらと白い。
雪那の名が表すように新雪の白を彷彿される穢れ無き肌。
顔は日本人離れしたまるでビスクドールを思わせる幼くして完成された顔立ち。
常に無表情という姿も不思議と容姿の良さに独特のアクセントを加え、片言の言葉遣いが言葉に不自由な外国人を連想してしまい度々勘違いされる事が多かった。
しかも本人はその突き抜けた美少女っぷりを理解していないので周囲はハラハラするばかりだったりする。
いつか不届き者にお持ち帰りされないか心配になる子供だった。
そんなこんなで雪那と相対した黒髪のザ・日本人代表といった咲夜は彼女に圧倒されていた。
住む世界が違う。
明らかにテレビとかの中に居そうな女の子。
なんで自分と話しているのだろう、と。
そんな自身の心の内など気にした風も無く青髪ポーカーフェイス少女は手を差し出す。
咲夜はそんな彼女に訝しむ。
「――なに?」
「野球、しよう」
「野球を?」
「うん」
「嫌。だって野球、嫌いだから」
「?」
雪那は疑問に思う。
野球嫌いなら何故グローブを持っているのかと。
そんな彼女の視線に気づいたのか咲夜はため息をつきながら、
「無理やり突き合わさせれてんの。毎日毎日、球拾い要員。
ロクにバットも触れやしない。
無駄に高ビーな女でやってられないんだけどね……。
断りたいけど女同士の付き合いって奴よ」
「――む」
「何、怒った? どっちにしてもアンタと嫌いな野球はしてらんないのよ。他を当たって――」
「野球!」
「な、なに!? だからやらないって――」
「野球、楽しく、一緒!」
「はぁ!? なにいって――」
雪那は憤っていた。
野球の醍醐味とはなにか?
それは抑える楽しみか打つ楽しみ、またはファインプレーのどれかだろう。
もちろんそれ以外にもある。
巧みなリードで投手を導く捕手の楽しみ。
投手のアクションを盗み、盗塁する楽しみ等々。
しかし球拾いはあくまで雑用だ。
必要ではあるがそれは仲間内で平等に行えばいいだけのこと。
それは野球では無い。
なのに彼女は一方的にやらされているのだと言う。
野球はみんなで楽しくやってこそ素晴らしいスポーツだと信じる彼女からすればそれはふざけていると感じた。だから、
「ソイツ、どこ!」
「なにが……?」
「ソイツ、会わせろ!」
「なに言って――まあ、いまから行かないと向こうも煩いし、いいけどさ……」
短い間だが雪那がこっちの言い分を聞かない頑固者だと感じた咲夜はやれやれといった感じで承諾した。
どのみちあの高ビーだろうがこの外人だろうがどうでもいい――そんな考えがあったからだ。
咲夜は珍客を連れ幾らか広い公園内で呼び出されている場所へと向かう。
歩いて5分。
緑のアーチを抜けた先にソイツは居た。
「おーほっほっほっほ! 咲夜さん遅いですわよ。さあ野球をしようではありませんか」
「そうですね音猫様、早くやりましょう」
「ほら咲夜さん早く位置についてください。球拾いするために、ね♪ くすくす」
「ほほほ、ではさっそく――ん? そちらの方は?」
「お前!」
「な、なんです、の?」
雪那の背後には般若の姿を幻視したかもしれない。
それくらい怒っていた。
こんなくだらないことで未来ある1人の少女が野球嫌いになるかもしれない事に。
そして野球を楽しむために一方的な犠牲を強いるこの愚かな金髪縦ロールに。
だから宣戦布告する。
野球を理解していない莫迦共から自分の捕手(予定)を手に入れるために。
それはそれで自分本位だろという突っ込みはさくっとスルーしつつ――
「勝負、一打席!」
「よく分かりませんが……このパーフェクト野球ガール
蒼じゃりさん、かかってくるがいいですわ♪」
「上等! 完封! 完勝!」
「あら完封ということは投手の方ですか。ならわたくしはバッターでいきますわ。せいぜいあがくことですわね!」
いつか夕日で投げた少女はまた同じようにオレンジ色に彩られる公園で気炎を上げた。
今度は野球をする覚悟ではなく、野球を真に理解しない者たちに対する怒りによって――